【美しき友情】C氏



 夜の闇に、漆黒の機体が踊る。
 背中に据え付けられた十字架から青白い炎を噴き上げ、疾風となって地を駆けるクロスボーン・ガンダムX2。木星の高重力下での運用を想定し設計されたこの機体は、地球の重力など誤差範囲だと言わんばかりに加速を続け、敵を確実に追い詰めていた。
 やがて、黒い機体の真っ赤な双眸に、敵の姿が映り込む。ネオジャパンの民謡に登場する「鬼」を模倣した兵器、デス・アーミー。
 獲物を射程に捉えたクロスボーンガンダムは、右腕に携えた特殊な形状のビームライフル……ザンバスターを構えた。同時に、照準の補助のため片目にバイザーが降りて来る。
 ピピピピピ……
 神経を僅かに刺激する電子音が操縦席の中に響く。だがシートに身を埋める少女には、その音がまるで子守唄のように聞こえる。
 操縦桿の引き金に指をかけ、火器管制装置の合図を待つ少女は、その小さな愛らしい唇を歪ませて呟いた。
「戦うために作られたお人形……それが私」
 瞬間、ザンバスターの銃口から一筋の雷電が迸る。闇を裂き、木々の間を抜け、一直線に目標へ向かう光の束は、デスアーミーの胸部に突き刺さると共に大爆発を起こした。
 砂塵と残骸の欠片を乗せて、爆風がクロスボーンガンダムの鉄の肌を撫でる。機体に括り付けられたマントは、その風を受けて気持ちよさそうにはためいていた。

「オーライ、オーライーッ!」
 整備班の指示に従い、格納庫内のハンガーに機体を固定する。操縦席のハッチを開け、灯を落とすと、少女の耳に親友の声が聞こえてきた。
「シスちゃーん、お疲れさまでーす!」
 目の前にそびえる巨人の胸に向かってぶんぶんと手を振る、まだ少年の面影を残す中性的な少女。名をミンミ・スミスというこの少女は、齢11歳という若さにして整備主任を任される優秀な技術者だった。
 彼女の声を受けたパイロットの少女……シス・ミットヴィルも、無表情ながらどこか嬉しそうに僅かに頬を緩ませ、操縦席の淵に接続したワイヤーに掴まり、ゆっくりと床へ降りていく。
 戦闘と整備、お互い立場は違えどもそれぞれの分野で才能を買われ、大人に混じって働く少女達。いくら腕前は良くとも心は多感な女の子、同年代の友達は貴重で、二人はとても仲が良かった。
「ただいま……ミンミちゃん」
「もう報告は受けているでありますよ。たった一機でデスアーミーをあれだけ撃墜するなんて、今日はシスちゃん大活躍でありますね!」
 軽く上げたシスの腕を取り、ご機嫌に振り回すミンミ。シスは彼女の喜びの表現が大好きだった。
「あっ、そうだ!」
 突然手を離され、シスはちょっとさみしそうな表情を浮かべるが、真顔との判別は常人には不可能である。その例に漏れず、ミンミはシスに自分の伝え聞いた事を告げ始めた。
「アヤカ少佐が、シスちゃんが帰還したらお部屋に来るように言っていたのをすっかり忘れていたであります」
 少佐が?
 名残惜しそうにクロスボーンガンダムの整備に向かうミンミを見送りながら、部隊長に呼び立てられる理由が思い至らず小首を傾げるシスだった。

 国際ガンダムファイト管理運営委員会ネオジャパン代表、アヤカ・ハットリ少佐。
 彼女の執務室の前まで来て、シスは自分の身長の遥か上に鎮座している呼び鈴を見上げて途方に暮れていた。
「ああーっ! ごめんシスちゃん!」
 急に背後から大声で名を呼ばれ、シスはびっくりして振り返ろうとしたが、それよりも早く近寄ってきた声の主に抱き上げられてしまう。
 シスに詫びを入れながら彼女を柔らかな胸と腕に包んだのは、部屋の主のアヤカ少佐だった。彼女は自分で人を呼びつけておきながら勝手にも外出してしまい、更に部屋の扉を入室許可状態にしておいても、シスでは操作盤に手が届かない事をすっかり失念していたのだった。
「ごめんね、寒かったでしょう。ささ、お部屋に入ろうね」
 アヤカはシスを抱き上げたまま執務室に入ると、シスを一番上等な椅子に座らせて自分はお茶を煎れに行ってしまった。
 その間、シスは姿勢を正してじっと彼女の帰りを待つ。向かいの幾分か粗末な椅子に移ろうかとも思ったが、そんな事したら今度は膝の上に乗せられそうなのでそのままでいた。
 シスはこの若くして少佐にまで上りつめながらも、部下思いで優しい指揮官が好きなのだが……何かにつけて子供扱いされるのだけは、ちょっと嫌なのだった。
 そうこうする内にカップをふたつ持って帰ってきたアヤカは、シスの向かいの椅子に座ると、コホンと咳払いして切り出した。
「まずは、今日もお仕事お疲れさま。ここのところデスアーミーの出現が頻発してるからね……疲れてるでしょうけど、ちょっとだけお話に付き合ってね」
「はっ……」
 シスが答えると、アヤカは机の脇から一冊のファイルを取り出してシスに手渡した。
「まずそれに目を通して頂戴。クロスボーンガンダムX2改の仕様書よ」
 もうX2のデータを取り終わったの……? 私、そんなに戦ってたのかしら……
 シスは少し驚いた表情を浮かべたが、勿論粗忽者のアヤカに判別できる訳がない。シスも気にせず仕様書を眺めていたが、とある項目に目をやった瞬間、今度は傍目にもわかる程くわっと目を見開いた。
「ど、どうしたのシスちゃんっ!?」
 驚いたのはアヤカの方だ。委員会の要請で第13回ガンダムファイトの影に潜む謎の軍団の討伐部隊を編成し、サバイバルイレブンの期間中ずっと世界各地のデスアーミーを殲滅して回る生活を続けていたが……未だかつて、シスの顔にこれ程の変化があったのを目の当たりにした事はなかった。
 しかしシスはそれどころではない。クロスボーンガンダムX2改の特殊機能……ビーム・シールド機構、大気圏突入機能、サブフライトシステム搭乗可能……その項目は、そこで終わっていた。
 急いでページをめくると、機体の全体図が描かれているページに辿り着いた。そしてその図を見た途端、シスはその場に崩れ落ちる。
「マントが……無い……」

 自室に戻った失意のシスは、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。
 次の出撃でシスが乗るクロスボーンガンダムX2改は、木星仕様のチューニングを行い攻撃力が向上している代わりに、コアブロックシステムやアンチビームコーティングマントなどの装備を失っていた。
 確かに攻撃力が高くなるのは良い……しかしシスにとってこのABCマントは、何よりも代え難い存在である。
 今でこそ親友づきあいをしているミンミ・スミスだが、当初彼女らの距離は遠かった。部隊設立以来、場所を選ばず発生するデスアーミーを追いかけて、人も通わぬ僻地ばかりを転戦する毎日。当然シフト表はぎゅうぎゅう詰めで、自由時間など雀の涙ほどしかない。
 そのごく僅かな時間……偶然顔を合わせたシスに、ミンミが何気なく言った一言。
「あのマント……かっこいいでありますね。自分はああいうのに憧れているであります」
 クロスボーンガンダムX2を見上げてそう言ったミンミは、ふと横のシスの方に振り返って仰天した。
 シスが、真顔のままそれこそ滝のように涙を流していたからだ。
 モビルスーツ操縦の英才教育を受けて育ったシスは、孤独だった。
 ネオイングランドのジェントル・チャップマンの果たしたガンダムファイト三回連続制覇という偉業は、その後の各国のモビルファイター、そしてモビルスーツの開発に大きな波紋をもたらした。
 ネオイングランドのモビルファイター・ブリテンガンダムをモデルに、ビーム兵器の出力増大、バーニアによる機動力向上、ロングレンジでの戦術の研究などが進められていく。次第に薄くなっていく、モビルスーツとモビルファイターの性能的な差異。
 モビルスーツ操縦の天才という肩書きは、ガンダムファイターと並べても恥ずかしくないエースの称号だった。
 だがその称号の価値は、第十二回ガンダムファイトの閉幕と同時に地獄の底まで失墜した。
 ネオ香港代表、東方不敗のクーロンガンダムの操る流派東方不敗の武術の凄まじさを目の当たりにした世間は、こぞって格闘技に秘められた可能性に目を向けた。ファイターの力を増強する装備、機動力を脚力に求める機体、再び花形となった武闘家たち。国家の一大事であるモビルファイター開発の恩恵を受けられなくなったモビルスーツ開発部門は、予算も回らず開店休業状態。
 当時8歳にして世間から露骨に軽んじられる辛さを覚え、見るも無残に性格の捻じ曲がったシス。そんな彼女に届いたミンミの一言……自分の誇りであるモビルスーツを誉めてくれた一言は、深く彼女の心に響いたのだった。
 こうして、クロスボーンガンダムX2のマントを切欠にシスとミンミの友情が始まったのだ。シスにとってそれを失うのは、半身を切り取られるに等しい。
 断固、中止させるべし!
 シスは燃える瞳をくわっと見開くと、とっぷりと日の暮れた廊下をつかつかと歩いていった。

 持参した孫の手で執務室の呼び鈴を鳴らす。
 まだ仕事をしていたアヤカは扉を開けるなり、シスの眉毛が危険な角度を描いているのを見て腰を抜かしかけた。
「シ、シスちゃん、どうしたの!? 何か変なものでも食べた!?」
「……クロスボーンガンダムX2改への改修作業に、反対しに参りました……」
「は、反対?」
 こくん、とふわふわの巻き毛頭を揺らして頷くシス。
 立ち話も何だから、とシスを部屋に入れたアヤカだったが、まだ頭は混乱していた。彼女の知るシスは少女でありながら冷静沈着にして頭脳明晰、その割には大人の言う事をよく聞く素直なカワイイ子である。その子がこれ程までに改修に反対するとは……
 ……本部から持ってきた設計図に、何かとんでもない欠点でもあったのかしら?
「それで、シスちゃん。反対意見があるなら聞くけど」
「はい……」
 シスは眉毛の角度を維持したまま、あらかじめ用意しておいた意見を口に出し始めた。
「まず、アンチ……」
 いけない。
 シスは思いとどまり、強引に口を閉じる。
 目的を最初に出してはいけない。それ以外の理由をまず話し、そこから畳み掛けるように事を運ばなければ。
「まず、コア・ブロック・システムの排除についてです……クロスボーンガンダムX2は実験機だと少佐はおっしゃっていましたし……データの保護が優先されるべきではないでしょうか?」
「うーん、私もそれは考えたんだけどね。でもガンダムの装甲とシスちゃんの腕前を見る限り、余程の下手を踏まなければ撃墜される事はないと思うのよ。部下の生存を第一に考えるなら、敵の撃破を効率良く行うのも道のひとつだし。それにビームシールドもあるでしょう? アンチビームコーティングマントの代わりにもなるし……」
 シスは泣きそうな顔になったが、アヤカにはシスの感情の変化すら掴む事はできなかった。
 最大の目的を先に却下されてしまった……
 こうなってしまっては説得は不可能だろう。シスはそう悟り、アヤカの執務室を後にした。

 私室に戻ったシスは、ベッドに入って不貞寝しようと毛布を引っ張り上げた瞬間、雷に打たれたように起き上がった。
 これは……!
 手に持ったふかふかの毛布を眺めるシス。恐る恐るそれを羽織り、部屋の姿見に自分の姿を映してみる。
 鏡の中には、マントを着込んだ女の子が立っている。少なくともシスにはそう見えた。
 生唾を飲み込み、シスはきりりとした表情をつくって鏡を見据えた。そして胸の前に垂れた毛布を掴み、ばさあっと翻して見せる。
 その姿はどう見ても、マントを着込んだ気品溢れる皇女様。ただの平凡な少女が、マントを羽織るだけで誰よりも気高く美しく大変身。額のしるしも、それっぽい。
 シスは一度鏡の前から退き、身だしなみを整えてから再び鏡の前に姿を現した。
 ちらりと流し目で鏡を……いや玉座の間を見やる。拝謁する家来どもを一瞥するや、カッと一際大きな足音と共に前に振り返り、手首のスナップを効かせてマントを払いのけるように翻す。
 ばさあっ!
 一瞬の静寂ののち、ふわりとマントの高さが元に戻る。
 完璧だった。シス的に。
 これだ……これしかない……! 少佐にマントのよさをわかってもらわなくては……!
 シスは毛布をずりずり引きずりながら、自分の感覚が錯乱中の産物であるという可能性など欠片も考えつく事なく、再びアヤカの執務室への道を急いだ。

 持参した孫の手で執務室の呼び鈴を鳴らす。
 仕事を終えて自室に戻ろうとしていたアヤカは扉を開けるなり、シスの格好を見てひっくり返りそうになった。
「ど……どうしたの、シスちゃん?」
 頭上に盛大にハテナマークを浮かべながら訊ねるアヤカを無視して、シスは部屋の中にずかずかと入り込んでいく。そしてアヤカのすぐ近くまで来ると、タンッと足音を響かせて歩みを止めた。
 ここからが本番。
 風の強い日用の大きな洗濯バサミで肩に固定された毛布を、素早く、かつ優雅に掴む。アヤカの視線がこちらを向いているのを確認し……
 ばさあっ!!
「……ふっ」
 会心の翻しだった。
 払った手の形も美しく、舞い上がった布地も元から端へ順に地につく。初心者にありがちなマントの動きに気をとられて表情を崩す事もない。ただ無表情なだけだったが。
 アヤカ少佐。私にはクロスボーンガンダムX2を改造するなと言う事はできません。私にできる事はこうして、あなたにマント・ソウルを伝える事だけ。ご覧になってください、マントを。マントを失くすなんて愚かな事。汝、神の造りたもうたマントを貶める事なかれ……
「あー」
 唐突に、アヤカは手を叩いた。
「そうかそうか、シスちゃん、眠れなかったのね」
「……え?」
 シスが陶酔の世界から舞い戻るより早く、アヤカはシスを毛布ごと抱き上げる。
「ごめんね、気付かなくって。今日は私の部屋で一緒に寝ましょうね」
 違う、下ろしてください。そう伝えるため手足をばたばたさせようにも、毛布に文字通り丸め込まれてしまっては鈍いアヤカの目には届かない。
 ガンダムファイト管理運営委員会、アクシデント抹消部隊。その旗艦たるネオジャパン所属の戦艦に、アヤカの子守唄が優しく響き渡った。
 そう、いつまでも、いつまでも……

「はっ」
 日頃の疲労と毛布の暖かさ、そしてアヤカの無駄に上手な子守唄の相乗効果であっさりと眠りに落ちてしまったシスは、起き上がるなりアヤカの私室を出て走り出した。
 パジャマ姿のまま、ぺたぺたと通路を駆け抜け、格納庫を目指す。
 無事でいて、クロスボーンガンダムX2!
 はあはあと息を切らせながらも、格納庫に辿り着いたシスは、息も絶え絶えに両開きの扉を開け放つ。
 珍しく出撃もなく整備も滞りなく終了し、人の気配のない格納庫内部。その隅には、見慣れた黒い機体が佇んでいた。
「あ……!」
 シスが扉を開けた事により気圧に変化が生じ、格納庫内に一陣の風が吹き抜ける。
 その風にはためくアンチ・ビーム・コーティング・マントを見て、シスは満面の笑顔を浮かべた。
「あれ、シスちゃん? どうしたのでありますか?」
 背後から声をかけられ振り返ると、そこには徹夜明けなのか眠そうな目をしたミンミが立っていた。
「ミンミちゃん……ABCマントが……」
「マント……? ああ、X2改への改修案は没になったでありますよ。昨日の夜にアヤカ少佐がみえられた時、デスアーミーの出現数が増えてきていると言うのに、まさかの時の保険になるビームを弾くマントを外すのは反対だと言ったら、珍しくそのまま提案を引っ込めてしまったのであります。シスちゃんには悪い事をしたかな……って……」
 ミンミは最後まで話す事ができなかった。感極まったシスが真正面から思い切り抱きつき、ぐしぐしと胸に顔を擦り付けてきたからだ。
「ど、どうしたのでありますか?」
 親友ミンミの胸の中で、シスは声を殺して泣き続けた。そんなシスに悲しい思いをさせるまいと、とにかく抱きしめて慰めようとするミンミ。
 ふたりの友情の象徴であるマントは、ギアナ高地の朝焼けを浴びて小汚く茶色に輝いていた。