【Knight Meets Samurai.】172氏



「何だその有り様はっ!!」
 Gジェネレーション隊の戦艦ゴルビーIIの格納庫に大音声が響き渡る。
 戦闘を終えて愛機から降りてきたパイロットたちも、これからが本当の戦いになる整備員も何事かと視線を向ける。
 その中心にあったのは、数日前新たに配属されてきたエルフリーデ・シュルツ。
 そして彼女に向かい合ってその怒声に直撃されたのが、孤高の侍ケイン・ダナート。
 エルフリーデがバックに背負う純白のモビルスーツ・トールギスIIIには傷一つない。
 一方のケインの後ろにあるモビルファイター・シャイニングガンダムは満身創痍である。
「貴様のためにどれだけの人員が迷惑を蒙っているのか、考えたことはあるのか!」
 腕を振り、格納庫全体を示す。あちこちから整備員が、最も損傷のひどいシャイニングガンダムに向かって流れてきている。
 怒りも露わなエルフリーデだが、対するケインはまったく動じた風もない。トレーススーツ兼用の羽織袴を正して、無言のまま立ち去ろうとする。
 その、「武」の一文字が入った背中に、エルフリーデはさらに続けた。
「貴様のその技は、何のために磨いたものだ!?」
 ケインは足を止め、ゆっくりと振り返る。不満と苛立ちに満ちたエルフリーデとは対照的な、醒めた瞳で。
「拙者の技芸は拙者の武のためにある」
 射抜くような視線に釘付けにされたエルフリーデは、悠然と立ち去るケインをただ見送るしか出来なかった。
 その姿が格納庫から消えて怒りのやり場を無くしたエルフリーデは、外した手袋を力任せに愛機に叩きつけた。
 ぺちん、と軽い音がして、無重力に手袋は漂う。
 見かねて、整備班長のミンミ・スミスが声をかける。
「エルフリーデさん、自分たちのことは気にしなくていいでありますよ。ケインさんがああいう方だというのは初めから解っていることでありますし、全身全霊整備に打ち込むのみであります」
「いいや!」
 予想外に強いエルフリーデの返事に、ミンミは一瞬身を縮める。
 顔の前で固く握った拳を震わせながら、エルフリーデはなおも怒りの言葉を吐く。
「貴殿たちが甘いからつけあがるのだ。奴には分からせなければいけない。戦う者がどうあるべきか。強い者がどうあるべきか」
「エルフリーデさん……」
「強さは弱き民を守るためにある。強い者は弱い者を守らねばならないはずだ。それが力ある者の義務」
 どう返事をしたものかミンミが迷っているうちに、エルフリーデも格納庫を後にした。
「ケイン・ダナート……その強さを、何故皆のために使わない」

 ケイン・ダナートは元来武道家であった。いくつもの武術を修め、齢三十を重ねる頃には全世界にその名を知られるほどになっていた。
 少林寺拳法を極限まで鍛え上げ、ガンダムファイト優勝を成し遂げたサイ・フェイロン。脅威の暗殺拳法で恐れられた、キラル・メキレル。そして、第12回ガンダムファイトにおいてその名の通りの不敗神話を作り上げた東方不敗マスターアジア。
 彼らに次いでその力を世界に知らしめる東洋の武人、断空流武術のケイン・ダナート。
 紆余曲折を経て現在は時空を駆ける機動艦隊Gジェネレーションのパイロットとなっているが、本質はその頃と変わっていない。
 要するに軍人ではなくてひとりの武人なのだ。
 そんな彼が前線に立てば、ビームサーベル1本を携えて敵に突撃していく。必然的に戦果は上がるが、正比例して損傷も凄まじい。しかし決して倒れることはなく、必ず戻ってくる。それがケイン・ダナートの戦いであった。
 それを支えているのは、日々続けられる鍛錬である。
 板張りの道場を模したトレーニングルームに響く快音。中心近くで、刀を外したケインとジャージ姿の青年が拳を交えている。ケインの回し蹴りを姿勢を低くしてかわしたジャージ男は、右手を後ろに引いて一撃必殺のモーションに入った。
「必殺! 断空拳!」
 アキラ・ホンゴウが全身のバネをフルに使ってケインに右正拳を打ち込む。それを左手で軽くいなし、突っ込んでくるアキラの身体に腰を落として肩からぶつかる。中国拳法の鉄山靠に似た衝撃が、カウンター気味に決まる。自らの突撃を2倍にして返され、アキラが大きく浮き上がった。
 その身体が地上に落ちる前に、さらに踏み込んだケインの掌底が叩きつけられる。
「がぁっ……」
 今度は水平に飛んで、派手な音と一緒に道場の壁に叩きつけられた。そのまま、うつ伏せに床に落ちる。大きく背中が上下して、息をしているのがわかる。
 アキラが立ち上がらないのを見て、ケインは構えを解く。その場にどっかりあぐらをかいて、アキラが立ち上がるのをじっと待つ。
 そのうち、全身が鉛になってしまったかのようにゆっくりと起き上がり始めたアキラ。
「まだ勝とうという欲が捨てきれておらんな」
「ちぇっ……もらったと思ったんですけど」
 どうにかあぐらの姿勢をとって、アキラは頭をかく。表情は悔しそうだ。
 それを一瞥して、ケインは嘆息する。
「我を断ち空となりて敵を討つ。それが我が断空流の真髄ぞ」
「わかってますよ。空の心にて敵を断つ、名付けて『断空拳』でしょう?」
「アキラ、お主……」
 わかっておらんじゃろう、と続けようとした言葉は、しかし、凛とした乱入者に遮られた。
「心を空にしているから、自分ひとりで戦ってあれほどボロボロになるということか?」
 アキラの目線がケインを超えて、入り口付近に立つ声の主に向く。
「エルフリーデ……」
「アキラ、今日の戦いでは良い働きだった。今後もその力を役立ててくれ」
「いや、オレなんかまだまだだ」
「謙遜することはない。そこの身勝手な男なぞよりよほど皆のためになっている」
 敵意の目でケインを見下ろすエルフリーデと戸惑ってふたりを見比べるアキラの間で、ケインは音もなく立ち上がる。
 壁際に置いた大小2刀を帯に差し、佩く。
 あまりに冷静な立ち振る舞いに、無視された格好になったエルフリーデの方が激する。
「反論のひとつもしないのか、ケイン・ダナート!」
「拙者はお主の言う『皆』などに興味はない――なれど」
 振り返り際、ケインの三白眼がエルフリーデを捉える。
「お主になら興味が湧いた」
「ど……どういうつもりだ」
 ケインの舐めるような視線から身体をかばうように、エルフリーデは自らを抱く。強気な口調とは裏腹に、半身を引いている。
 その仕草に口の端を吊り上げるケインの手が、動いた。
「知れた事」
 一瞬後には、輝く太刀の切っ先がエルフリーデを一直線に指している。
「女子[おなご]の細腕が申す武、どれほどのものか試してみたくなった」
「……貴様、我が剣術を愚弄するか」
 エルフリーデも瞬時に携えたサーベルを抜き放つ。その頬が薄く染まっているのは、怒りか、はたまた別の何かか。
 満足げに笑みを強くするケインの足が床板を響かせる。
 甲高い金属音、エルフリーデのサーベルがケインの一太刀を受け止めている。
「ほう? ……一太刀目をしのぐか」
「舐めるな!」
 押し返し、連続して打突を繰り出すエルフリーデ。その全てを紙一重で捌きながら、ケインの口からは笑みが消える。
「この程度かエルフリーデ・シュルツ」
 横薙ぎに変わったエルフリーデの斬撃を弾く。
「これしきの腕で武を語るなど……」
 下から斬り上げるのをバックステップでかわし、伸びきったエルフリーデの長身に間合いを詰める。
「……笑止」
 白磁の肌が軍服から覗く喉元に日本刀の切っ先が軽く触れて、剣戟は終わった。
「……ッ!」
「お主と拙者では剣に乗せるものが違う」
「何を……」
 刀を収め、背を向けるケイン。彼が相変わらず悠然と立ち去る間、エルフリーデは切っ先を突きつけられた姿勢で固まっていた。
「大丈夫か、エルフリーデ?」
 しばらく経ってからかけられたアキラの声。返事は無く、ただ軍靴の高らかな足音が苛立たしげに立ち去っていった。

「ケインさんについて知りたい?」
 ゴルビーII内に割り当てられた自室でペーパーバックを読んでいたミリアム・エリンは、スウェットに上着を羽織っただけの格好で突然の来客に茶を入れていた。
 彼女の個室にひとつしかない椅子に座っている長身の麗人エルフリーデが、遠い目をして頷く。
 ほんのり湯気の立つグリーンティーが入った湯呑みを差し出しながら、重ねて問い掛ける。エルフリーデとケインの折り合いはよさそうだと予想していたミリアムは、突然の訪問に驚かされていた。
「どうしたの?」
「いや、特にどうというわけではないのだが……」
 口ごもるエルフリーデは、間を取り繕うように茶に口をつけた。
「確かに得体の知れない人だっていうのはわかるけど、エルフィがあの人のこと気にするなんて意外だわ」
「そうか?」
「同じ側にいる人だと思ってたから」
 湯呑みを傾けるエルフリーデの手が止まり、驚いたような目でミリアムを見る。座っているエルフリーデでも、小柄なミリアムと目線はそう変わらない。そんなふたりが仲良くなった理由は、今もエルフリーデの手の中にある茶がきっかけである。ゴルビーに馴染めずにいたエルフリーデを文字通り「お茶」に誘ったのがミリアムで、エルフリーデは初めて接するグリーンティーに魅せられたというわけだ。
 一方のミリアムは端末とファイルで半分以上が占領されているデスクに寄りかかるように腰掛けて、湯呑みを傾けている。
「そう、見えるか?」
「違った?」
「……向こうは違うと思っているようだった」
「ふうん……それでか、聞きに来たの」
 得心がいったと何度も首肯するミリアムを見る、エルフリーデの疑問の眼差し。
「どういうことだ?」
「エルフィは、ケインさんが自分と同じだと思ってたんでしょう? それが、向こうから突き放されて、わからなくなっちゃったのね」
 ミリアムは得意げに微笑んで、諭すように言う。
「同じ価値観を持ってる相手だと思ってなきゃ、あんな熱心に怒ったりしないと思うわ」
 思いのほか核心を突いてくるミリアムの言葉に、エルフリーデは驚きを隠せない。
 その顔があんまりに面白くて、ミリアムは笑いを堪えきれない。
「図星?」
「そ、ん、な……そんなことはない!」
 顔を真っ赤にして全力で否定するエルフリーデの様がまた面白くて、とうとうミリアムは声に出して笑い始める。怒ったエルフリーデがますます顔を赤くする――という循環がひとしきりあったあとに、怒り疲れたエルフリーデの大きく上下する肩を、目の端から涙までこぼしているミリアムが慰めるように叩く。
「ごめんなさい、ちょっとからかい過ぎたわ」
「……ミリアムは趣味が悪い……」
「だって、エルフィがあんまり意地張るものだから……」
「意地ではない!」
 いっこうに赤みが引かない頬を引きつらせて、せめてもの抵抗を試みるエルフリーデ。
 が、ミリアムはまるで意に介していない。
「言い張るあたり意地だとおもうけど……いいわ。ケインさんのことが知りたいっていう話だったわよね」
 不意に思い出したように言うミリアムに、エルフリーデの方もそもそもの理由を思い出していた。
 咳払いをしてどうにか落ち着きを取り戻すと、仕切りなおしとばかりにミリアムを見つめる。
「ミリアムはケインと同じ時代の出身だろう。彼がどういう生き方をしていたのか、聞かせて欲しい」
「うーん……そういうのならアキラくんの方がよく知ってると思うんだけどな。仮にも弟子なんだし」
「アキラは、その……なんというか……」
「暑苦しい?」
「それだ」
 即答するエルフリーデに苦笑するミリアム。
「結構いいところもあるんだけど……エルフィとは合わないかもね。それじゃあ……でも、私は参考になるようなことは知らないと思うな」
「どんな些細なことでもいい。奴を理解する手助けになれば」
「って言ってもねぇ……」
 すっかり落ち着いて真摯な表情で見つめてくるエルフリーデの前で、ミリアムは片手を頬に当てて考え込んだ。
 その少しおばさんっぽい仕草でミリアムが思案を巡らせている間、エルフリーデも考えていた。ケインと自分の違いは何なのかと。
 しばしの沈黙の後、申し訳なさそうにミリアムが口を開いた。
「やっぱり、私は力になれそうもないわ」
「ミリアム……」
「ケインさんの一番中心の部分は、どんな形であれ強さを追いかける人にしか感じ取れないと思うの。私だって一通りの武術を修めてるけど、強さの意味なんて突き詰めたことはなかった。だから、私にはわからない。エルフが何を大切に思ってるかも、ね」
 年上なのに情けないわ、と肩を竦めて、ミリアムは続ける。
「ケインさんの一番奥を知りたいんだったら、エルフが本音でぶつかってくしかないんじゃない?」
「本音と言われてもな」
 エルフリーデはかぶりを振って、
「私は常に思ったことを口にしているつもりだ」
 と宣言した。
 だから噛み合わないのよ……。ミリアムは心の中でごちるとともに、心の奥でおせっかいの虫が騒ぎ出すのを感じていた。

 エルフリーデが帰ったあと、ミリアムはそのままケインの部屋を訪ねていた。もちろん、いつものピンクの制服に着替えてはいたが。
 その空間は異質と言っていい。部屋の真ん中にはちゃぶ台。隅の方にはせんべい布団。壁は板張り、襖のディテールもある。いくら自室の改造は個々の裁量に任されているといっても、メカニックな印象の強い個室を6畳間に改造するのはやりすぎであろう。ご丁寧に床の間まで設置されている。
 そんな純和風空間の主は、ディテールだけの襖の上の鴨居に足を引っ掛けて逆さ吊りの状態になっていた。
「ケインさん、お話があります」
「……ミリアム殿。拙者、瞑想中なのじゃが」
 というか扉はロックしてあったはずなのじゃが。
 目の前でペタンコ座りをしているミリアムを見下ろし(見上げ?)て、ケインは渋面を作る。
「いいから下りてきてください。大事なお話です」
「………瞑想中じゃ」
「なら、私もお付き合いしますから」
 ひょいと身を翻して、ミリアムはケインと同じ姿勢をとった。両手は制服のミニスカートの裾を押さえているが。後ろ側は……。
 ケインは慌てて目を閉じた。瞑想中なら当然である。アゴが赤いのは気のせいであろう。
「それで、何用じゃ」
「いえいえ、大したお話ではないんですけどね」
 大事な話ではないのか。ケイン、心のツッコミ。
「ちょっと噂を聞きまして」
「噂、とな?」
「ええミンミちゃんとアキラくんから。ケインさん、エルフリーデと喧嘩してるそうじゃないですか」
 ミリアムの言葉に対し眉間に皺を寄せて、
「喧嘩などしておらん」
 とケイン。
「でも、エルフリーデの怒鳴り声は整備のみなさんがちゃあんと聞いてますよ?」
「あれは喧嘩などではない」
「喧嘩じゃないけど何かがあったんですね。何があったんです?」
「……ミリアム殿には敵わぬな」
「お褒めに預かり光栄です」
 口では社交辞令を返しながら、ミリアムの目は答えを促している。
 実に敵わん。毒気を抜かれたケインはどうしたら勝てるものか考えながら、口を開いた。
「あ奴は拙者の戦い方が気に食わぬようでな。今日も、独断専行に文句を言われていた」
「ああ……ケインさん、ひとりで戦うタイプですものね?」
「なれど、拙者には拙者の道がある。それが折り合わぬだけのこと」
 どうすることも出来ぬと、ケインは半ば諦めたように答える。
「妥協する気は、ないんですね?」
「これが拙者の生き方よ」
 放っておいてくんなまし――-と節のつきそうな言い方に、ミリアムの溜め息が重なる。どうしてこう男の人って、自分のことだけに夢中になれるのかしら。
「なんじゃ?」
「なんじゃももんじゃもありません。私はお好み焼き派です」
「なんと奇遇な。拙者もお好み焼き派じゃ」
「じゃあ、今度ご馳走しますよ。私、お好み焼き焼くの上手いんですから」
「ふむ」
「まあ、それはそれとしまして。ケインさんはエルフリーデのこと、どう思ってるんですか?」
「む……」
 それまで冷静を保っていたケインの表情が、崩れた。
「綺麗で真面目でいい子だと思いません?」
 と畳み掛けるように、ミリアム。
 ケインは目をきつく瞑り無関心を装う。
「ミリアム殿は、新手の押し売りか?」
「そんなんじゃありませんよ」
 ミリアムは笑って、俯きがちに顔をそむけた。その表情は暗い。
「ただもう40近いのに嫁のひとりも娶れないケインさんが不憫で不憫で……」
 砂袋を打ったような音に、ミリアムがケインの方を見る。
 キン肉ドライバーを喰らったように天高く足を伸ばしたまま、アゴ侍がぴくぴくと震えていた。

「冗談だったんですけど……」
 憮然としてあぐらをかくケインの脳天に氷嚢を当てながら、ミリアムは恐縮しきりである。
「言っていいことと悪いことというものがある」
「すみません」
 しゅんとなるミリアムだが、すぐに「でもですね」と立ち直って、
「ケインさんがエルフリーデを嫌いじゃないのはわかってるんですよ。ですからアドバイスでもと思いまして」
 疑わしげなケインの眼差しに、ミリアムは自信ありげに微笑む。
「まあまあ、ここは私の言うことを聞いた方がいい結果になりますよ?」

 翌日。ゴルビーIIに新たな任務が伝えられた。本隊援護を目的とした、敵量産型部隊の掃討。
 出撃準備の喧騒に包まれている格納庫。エルフリーデは愛機トールギスIIIの前で軽く体をほぐしている。Gジェネレーションにやって来てから搭載されたモビルトレースシステムは、搭乗者の運動能力がそのまま機体に反映される。そのため操縦者を選ぶのだが、貴族として武人として剣術を鍛えたエルフリーデは充分適格者であった。同様にこの艦のパイロットたちは、拳法のアキラ、サブミッション系のミリアム、総合武術のケインというように体術のスペシャリストが揃っている。
 ウォームアップを終えたエルフリーデの前を、ケインが通り過ぎていく。彼の向かう先にあるシャイニングガンダムは、ミンミらの活躍によって完璧に整備されていた。
 闘気を全身から発しているケインはエルフリーデを一顧だにしない。
 完全にスルーされている事実に気を削がれながらも、エルフリーデは精一杯凛とした声でケインに呼びかけた。
「ケイン・ダナート!」
 ぴたり、と足を止め、ケインはゆっくりエルフリーデを振り返る。
 相変わらずの醒めた目に気圧され言葉を飲み込みかけたエルフリーデは、それでも、昨夜から考えていた言葉を搾り出す。
「あの……その……昨日は、その……す、すまな、かっ……た」
 その簡潔な言葉を口に出すために、エルフリーデは様々なものを乗り越えなければならなかった。貴族としての信念、騎士の誇り、自身のプライド――それでも、ミリアムの言葉に背中を押されて決意を固めてきたエルフリーデには精一杯の言葉であった。
 それを知ってか知らずかケインは、奇異なものを見たかのような目つきでエルフリーデを見る。そして、一言。
「お主に謝られると気味が悪い」
「何だと!?」
 あまりといえばあまりな一言にまた昨日のように詰めようとするエルフリーデだったが、第一種戦闘配置を伝える警報と出撃用意を告げる艦内放送に遮られた。そちらに気を取られている間にケインは愛機に乗り込んでいる。
 言いかけの言葉を無理矢理飲み込んで、エルフリーデも愛機のコクピットに滑り込んだ。すぐさまモビルトレースシステムを起動すると、OZ制服の各関節に先端が球状になった突起が取り付けられる。トレースシステムのキモである受発信機である。軽く関節を動かし反応を確かめる脇で、アキラのゴッドガンダムがいの一番に出撃していく。続いてミリアムのライジングガンダム、ケインのシャイニングガンダム。
 エルフリーデは彼らの発進を待って、簡易カタパルトに愛機を移動させた。右肩にメガキャノンを、左肩にヒートロッド内蔵シールドを装備したトールギスIIIはいつものように最後尾につける。全体の指揮と前線を突破した敵機の遊撃がエルフリーデの役目である。
<敵はクラウダタイプ多数、さらに増援も考えられます。お気をつけて――エルフリーデ機、出撃どうぞ!>
「了解した!」
 カタパルト上にトールギスIIIが固定され と同時に、通信機に飛び込んでくる元気な声。ラ・ミラ・ルナの明るさは戦場にあっては一服の清涼剤となり、今のエルフリーデにとっては胸のもやもやをとりあえずは押しのけてくれる力を持っていた。
「エルフリーデ・シュルツ、トールギスIII、出るぞ!」
 カタパルトによって星の海へと放り出されたトールギスIIIは、その背中に備えたバーニアを全開にしてさらに加速、戦闘宙域へと一直線に向かった。星々の瞬きに混じって、時折、一際明るく輝く光が現れる。
「やっているな……」
「うおぉぉぉ! 超級! 獅王! 旋風だぁぁぁぁぁん!!」
 宇宙空間を震わせる咆哮――もちろん、乱れ舞う闘気がそう思わせるだけではあるが――と共に、真っ赤な炎を全身にまとったゴッドガンダムが敵部隊の間を駆け抜ける。そして、さらなる咆哮。
「爆はぁつ!」
 言葉どおり次々と巻き起こる爆発。流派東方不敗の奥技、超級覇王電影弾をアキラ流にアレンジした超級獅王旋風弾は、対多数の戦闘では絶大な威力を発揮する。闘気の奔流はどれだけの数がいようと敵を巻き込み、破壊する。
 アキラの先制の一撃によって損害を受けたであろう敵部隊に追い討ちをかけるのがミリアムと、そしてエルフリーデの仕事になる。
「必殺必中! ラァーイジングッ! アロー!!」
「薙ぎ払え! メガキャノン!!」
 ライジングガンダムの左腕に装備されたビームボウから無数の光の矢が敵部隊に殺到し、手負いの機体を的確に破壊していく。
 トールギスIIIの右肩に装備されたメガキャノンが吐き出した光芒が、一直線に敵部隊を飲み込んでいく。
 数の優位を失った敵部隊に、それぞれの得物を携えたモビルスーツ隊が突撃する。ゴッドガンダムの拳が敵機を粉砕し、ライジングガンダムのナギナタが致命傷を与える。彼らと共にビームサーベルを振るい敵機を撃破したエルフリーデは、ふと思い出してケインを窺った。隊長機のトールギスIIIはレーダー機能も強化されている。
 と、さらに敵部隊へ突撃していくシャイニングガンダムが確認された。
「ケイン! 下がれ! 歩調を合わせろ!」
<いらぬ気遣いよ。拙者は拙者の道を行く!>
 言って、突っ込むシャイニングガンダム。背後には、健在な敵の第2陣が控えているはずなのに、だ。
 こみ上げてくる怒りを抑えつつ、堅実に敵機を撃破していくエルフリーデ。こちらが頭まで下げたというのに、あの男は何も変わらなかったというのか。情けなさと苛立ちがない交ぜになって、先ほどラ・ミラ・ルナが押しのけてくれたはずのもやもやと一緒に戻ってくる。
「我が剣の冴え、その身で味わうがいい!!」
 激情と共に叩きつけられる斬撃は敵機の致命的な部分を違うことなく寸断していたが、言葉とは裏腹にそこにはいつもの冴えはなかった。

 アキラらの活躍もあってあらかたの敵機が撃墜された頃に、それを覆す報がラ・ミラ・ルナから届けられた。
<敵機の増援が出現、現在ケイン機が応戦していますが、押されています! 急行してください!>
 しかしその言葉が終わるか終わらないかのところで、エルフリーデの目にも敵の増援が確認できた。ケインの応戦している増援であろうことは、すぐにわかる。今エルフリーデの周りにいるのはゴッドガンダムとライジングガンダムのみ。そもそも1対1の戦闘を主眼に置いたモビルファイターでは、多数の相手は難しい。だからこその先手必勝であり、広範囲に打撃を与える必殺技である。その効果が望めない戦局では、モビルファイターはただの機動性が高いモビルスーツに過ぎない。トールギスIIIも、メガキャノンを打ち尽くした状況では同じである。そういった機体で編成された部隊では、戦線を維持するだけで精一杯というところだった。
「こちら、エルフリーデ! 我々の方にも増援が出現した! ケインの援護は……」
<エルフィが行くわ! ケインさんにもう少し持ちこたえるよう伝えて!>
 不可能だ、と続けようとしたエルフリーデを遮って続けたのは、ミリアムの声。
 いつの間にか隣接していたライジングガンダムが、今度はお肌の触れ合い通信で話し掛けてくる。
「こっちは私とアキラくんで大丈夫だから、行って」
「しかし……!」
 エルフリーデの反論にかぶせるように、ミリアムは続ける。
「今ケインさんを助けられるのは貴方だけよ」
 黙り込むエルフリーデに、ミリアムは優しく最後の一言を加えた。
「行きなさい。私達は平気だから……アキラくんとなら、ね」
「……すまない!」
 トールギスIIIの放つ噴射炎が見る間に遠ざかっていくのを背に、ライジングガンダムはゴッドガンダムと並んで構えを取った。
「おせっかいだな、ミリ」
「ああしてあげなきゃ、エルフィが可哀相よ。折角お互い憎からず思ってるんだから……ね」
 そう言ってまるで少女のような笑みを見せるミリアムを、アキラはいとおしく思う。
「悪い癖が出たな」
「とってもいい癖よ」
 迫るクラウダの群れを前に、平然と悪態を吐きあう2機の掌が光を放ち始めた。
「我らのこの手が真っ赤に燃える――-!」

「秘剣……燕返し!」
 シャイニングガンダムの一閃が、ドートレス・ネオを両断する。その僅かな隙に、別のドートレス・ネオが攻撃をかける。ビームライフルの直撃を肩アーマーに受け、シャイニングガンダムの機体が傾ぐ。
 それでもコクピット内のケインは、痛みのフィードバックをまるで意に介せず咆える。
「この程度、手傷のうちにも入らんわ……ぬおっ!!」
 立て続けに襲い掛かる射撃、射撃、射撃。両前腕に装備されたシールドで受け止めるケインだが、間断ない攻撃に隙を見出すことが出来ない。単調な射撃であってもそれが束になれば、数の暴力で相手を圧殺することも容易い。止まない雨にシャイニングガンダムの装甲は徐々に削られていく。
 それでもケインは後退しようとしなかった。前へ、前へ。ケインの念じるのはその一念のみである。たとえそれで敗北したとしても、ケインに悔いはない。その考えが周囲の人間にとって迷惑であるというのはわかってはいたが、ケインはそうする以外を知らないのである。
「まだまだ! これしきで討たれる拙者ではない!」
 しかしビームの雨は降り注ぎ続ける。シャイニングガンダムは動きを鈍らせる。
 時折、掌から放たれるビームがドートレス・ネオを破壊するが、圧倒的な数の前では焼け石に水である。
 とうとう両腕のシールドが限界を超え、崩壊する。それを見て、数機のドートレス・ネオがビームサーベルを抜いて突撃する。シャイニングガンダムの持つビームソード一本で対応できる状況ではない。
 それでも、ケインは引かない。捨て身の突撃を敢行しようとした――その瞬間。
 光の束が、シャイニングガンダムを囲うドートレス・ネオ数機を呑み込んだ。
「ケイン!」
 凛とした、気の強い声と共に気高い白磁の姿がシャイニングガンダムの眼前に躍り出る。その左肩のシールドからヒートロッドが伸びて、シャイニングガンダムの周囲を制圧する。トールギスIIIである。鞭を収め、満身創痍 侍の傍らに従騎士のように寄り添った。
 その、巨大なブースターが特徴的な背中を前に、ケインは嘆息する。
「お主か……」
「助太刀する! 下がれ!」
 小型モニタに顔を出すエルフリーデは、真顔でそう言う。そして、ケインも真顔で言い返す。
「だが、断る!」
 ビームソードをしっかと握りなおし、ケインは愛機をトールギスの前へ出した。
 モニタに映るエルフリーデの顔が、信じられないと言いたげに歪む。
「そんな傷で、無茶をするな!」
「無茶か否かは拙者が決めること。お主は下がっておれ」
「馬鹿な! 目の前で追い詰められている仲間を見捨てるなど……」
 その言葉に、ケインは不敵に笑う。
「追い詰められている?」
 傷だらけのシャイニングガンダムが、トールギスを押しのけさらに前へ踏み出す。
 新たな敵の出現に警戒していたドートレス・ネオの群れが、その無防備な姿に照準を合わせる。
 ロックオンアラートが鳴り響く中、ケインの笑みが消えた。
「なれば、お主に見せよう。我が、断空流の真髄を!」
 殺到するビームの弾丸。シャイニングガンダムは、ガードをする素振りもない。
 銃口に宿った光が弾ける、その直前。
 一瞬後には蜂の巣になっているはずだった、その直前。
「ケインッ……!」
 エルフリーデの喉から悲鳴がほとばしる、その直前。
 その一瞬に、シャイニングガンダムは、光に包まれた。
 一瞬後に放たれ、武者を蜂の巣にするはずだった光の矢は全てかき消され。
 エルフリーデの喉は、驚きに塞がれ。
 そしてケイン・ダナートは、シャイニングガンダムのコクピットで金色に輝いていた。
 その手には、彼が常に携えている太刀。全身から溢れる闘気は、鈍く輝く刀身をも包んでいる。
「ご覧に入れて進ぜよう……断空流が究極奥技!」
 ケインの動きに従い、シャイニングガンダムはビームソードを正眼に構える。
 金色の輝きに埋もれない、エメラルドの輝きが真っ直ぐに伸びる。
「心にて、悪しき空間を断つ……断! 空! 剣!」
 唱言に闘気は従い、シャイニングガンダムの手に剣が宿る。
 断空剣。
 それは、長く、強く、輝く。
「でぇやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 裂帛の気合が横薙ぎにした一閃は、ドートレス・ネオの大部隊を文字通り消滅させた。
 無数の爆光に照らし出されるシャイニングガンダムの背中に、ケイン・ダナートの「武」一文字を背負った姿が重なる。
 トールギスIIIのコクピットで、エルフリーデはその雄々しい姿に目を奪われていた。

 長期の作戦行動を想定した艦艇には、乗員のストレス解消を目的に様々な設備がある。
 ゴルビーIIのそれは、光学観測室の名を借りた展望台である。
 今、その広い天井には、先ほどまでの戦闘の舞台であった月が大きく、丸く映し出されていた。
 その明かりに照らされて、一組の男女。
 ふたりの間には、1本の瓶。それを挟んで、グラスがふたつ。
「……これが、ニホンシュというものか」
 未経験の味わいを持つアルコールに眉をひそめ、月明かりに器の中身を透かしてみるエルフリーデ・シュルツ。
 その隣に座するケイン・ダナートは、微笑を浮かべつつグラスを傾ける。
「酒の味だけが日本酒の良さではない」
 彼の見上げるのは、月。
 ケインに倣い、エルフリーデも天を見上げる。
 たとえ戦いの原因になろうとも、その美しさは色褪せない。だからこそ、ケインは彼女を誘った。
「これほどの肴があれば、潰れるほど飲めるというものじゃ」
「サカナ? どこに、魚がある?」
 真顔で周囲を見回すエルフリーデに、ケインは苦笑を漏らす。
「川の魚ではない。酒を美味く飲む、雰囲気を盛り上げるものじゃ」
「雰囲気……ふ、ふん。話には聞いていたが、東洋人はロマンチストが多いのだな。月ひとつでそこまで盛り上がれるとは」
 エルフリーデの頬は、照れのためか酒のためか朱に染まっている。
 しかしケインはゆっくりと首を横に振り、
「月だけではない。勝利も立派な肴となる」
 と答え、もう酔いが回り始めたのか緩慢に何度も頷くエルフリーデに続けた。
「そ、それに……美しい女子もな」
 エルフリーデの頷きが止まった。
 意味がわからない、と言いたげな目でケインをじっとりと見つめる。
 対するケインの方は、どこか引きつった表情で天を仰いでいる。
「ばっ……馬鹿を言うな! 何を言っている!」
「拙者は武者修行で世界中を回ったが……お主ほどの器量良しは、見たことが、ない」
 台本を辿るような口調で言って、またグラスを呷る。やけっぱちのようにも見える。
 エルフリーデは意志の強そうな目と薄くルージュを引いた唇をぼんやりと開き、グラスを持っていない方の手をいっそう朱の差した頬に当てて、ケインの横顔を眺める。予想外な相手から予想外な言葉。少々――-いやかなりアゴが気にはなるが、求道者らしいストイックな面差しが緊張しているように見える。
 親ほども歳の離れた男がそんな風になっているのが不思議で、やっと理解が追いつく頃には、すっかり胸が高鳴っていた。だから、慌てて紡ぐ答えも上ずってしまう。
「そんなおだてには……乗らない」
「おだてなどでこんなことを言えるものか」
 ぶっきらぼうに言って、またグラスを呷る。完全にヤケだ。
「お主は強くはないが美しい――-」

「……思ったことをはっきり言え、とな?」
「そうです。エルフリーデはずっと騎士として生きてきて、理屈でガチガチになっちゃってるんです。そこを突けばケインさんでも勝ちの目があるんですよ」
「博打みたいな言い方をする……」
 苦笑するケインの頭上で氷嚢を振り回しながら、ミリアムは力説したものだ。
「大丈夫です、私が保証します! きっと上手くいきますよ!」

「――-拙者は心からそう思っておる!」
 空いたグラスを机に叩きつける。
 硬質な音が観測室に響いたその瞬間、柔和だったエルフリーデの表情が凍りつく。
「……ケイン」
 すぐ隣にいる男を呼ぶその声は、地獄の底から響いてくるように恐ろしい。
 しかし言いたい事を言って落ち着いたケインは、エルフリーデの声音が変わったことにも、表情が変わったことにも気付かない。
「どうした?」
「私は美しい……そう言ったな?」
 大仰に頷いて、ケインは答える。まだ、気付かない。
「何度でも言おう。お主の美しさは、天下逸品じゃ」
「美しいと……強くはないが?」
「うむ……!?」
 ここで初めて、ケインはエルフリーデの異変に気付いた。
 そして時すでに遅し。
 酔いと怒りで顔を真っ赤にしたエルフリーデが、自慢のサーベルを高く振り上げていた。
 話が違うぞミリアム殿、などというケインの呟きも耳に入っていない。
「そこへ直れ! 私を侮辱した罪、貴様を叩き斬って償わせてくれる!」
「ま、待て! 誤解じゃ!」
「問答無用!」
 唸りを上げて振り下ろされるサーベル。
 すんでのところで逃れたケインのモミアゲが、はらはらと散る。
 本気じゃな。ケインは悟る。気付けば反応は早い。気付くのが遅いだけである。
「アデュー、ケイン!」
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉ!?」
 烈火のごとく攻めるエルフリーデ。脱兎のごとく逃げるケイン。
 甲高い咆哮と野太い悲鳴は、ゴルビーIIがその世界に別れを告げるまで響いていた。


 なお艦内を引っ掻き回したふたりは、翌日ジェフリー・ダイン艦長にこってりしぼられることとなる。
 以後ふたりは相変わらず犬猿の仲であったが、ミリアム・エリンだけは「あれでいいのよ」と笑っていたという。