【軌跡のあとさき】190氏



 終わらない明日へ続く歴史を朋に、今、その世界を語ろう――

伝説が、また一つ幕を下ろした。
 少年たちがそれぞれの愛機に別れを告げ、先立って爆散した一機を覗く四機のガンダムが、体内からの光を上げて消滅していく。それはMSという戦いがこの世界の歴史から消えたということ。
 私自身が、この歴史から排出されたということ。
 虚空を漂流する愛機の肌は長年の戦いですっかり煤け、背負った翼は展開されたまま噴出孔を詰まらせていた。ただ四角形のカメラ・モジュールが煌々とした輝きを宿すだけだった。
 私は。
 私といえばもはや切り開くべき道もなく。果たすべき使命もなく。戦うべきともがらもなく。唯一つを残して一切合切をなくしてしまった。
その、わたしに残った最後の一振り。疲労の限界へ達しながら、それでも冴え冴えと輝く我が剣。私の生涯を培った信念のかたち。
ゼクス・マーキスの駆った一号機と、トレーズ・クシュリナーダの駆った二号機と、火消しの風が駆った三号改良型。その欄外の一機、あるはずが無く、そして事実無いその機体。ナンバレス・トールギス。
その存在が私を突き動かした。ゼクス・マーキスだったかもしれない私が、エルフリーデ・シュルツになることを決めさせた。私が歴史を拒否し、反抗した。すくなくともそう思っていた。
だが。完全平和主義という理想を選択した世界で、モビルスーツが全て消滅したはずの世界で、未だにトールギスは戦おうとしていた。それを私は受け入れていた。それを世界は無視していた。世界という漫然とした入れ物の中で、私だけが異端だった。
それはつまり、私が世界を拒否したのではなく。世界が私達を拒否したということだ。
――それでもお前は、止まらない。止まらないのか。トールギス。死を供にする騎士よ。
ならば、私も止まるまい。止まらないのであれば、進めばよい。進む道は切り開けばよい。切り開くための力を、私は既に携えている。
「もはや、ここでは戦えないのだ……私達の出番は終わった。既にこの世界は、私達の居場所ではない。この世界に先は無い」
己が血と汗で汚れ、使い古されたスロットルレバーを撫でる。白く輝く蒼い惑星が、眼前のウィンドウに映りこんでいた。
聞こえるだろうか、トールギスよ。
「もう、私には何処へ行けばいいのかわからない。私は私であるために、何もかも切り捨ててしまった……だから」
シュルツは胡乱だった両目を閉じ、長い時間をかけ深呼吸をして目を開き、
まっすぐに見据えた。青い星を。
――往くぞ、私達を求める世界へ。
出し抜けにスロットルを押し込んだ。ブースター・ユニットが断続的な咳を吐き、機能不全を訴える。思わず苦笑してしまう。
――私を試すのはもうよしてくれ。既に私はお前を御している。それが一番わかっているのは、トールギス、お前自身ではないか。
染み出すようにバーニアの奥から光が溢れ、そして一気に膨れ上がった。爆発する。トールギスが文字通り弾け飛ぶ勢いで驀進し、シュルツの骨格が軋み肉体が押し潰される。だが、その眼はひとときも閉じることは無かった。
ほしぼしを切り裂いて突き進むシュルツの瞳が進む先を凝視し、秒単位で大きくなる星を目指す。星が記憶する世界を目指す。
世界を捨てた私達を導くもの。歴史を超え、世界を超え、ただ人だけが焦がれ、地球に付随するもの。全肯定のさらに向こう。炎のうちに生まれ変わる、それは神話の伝承者。『フェニックス』。
トールギスは――エルフリーデ・シュルツは、その力を垣間見ていた。彼女が初めて己を確定したときだった。地球の廃墟。国葬演説。黒い三機のMS、標識、青空。そして、素顔のゼクス・マーキスが、白いMSと死闘を繰り広げるのを。
「私が彼奴の写し身だったならば……そしてお前を駆っているのであれば、応えるはずだ!
私を導け、フェニックス――いや、トールギスッッ!」
叫んだ。その叫びに乗せてスロットルを限界まで叩き込み、一段と加速させる。いつ爆発しても可笑しくなかったブースター・ユニットがさらに悲鳴を上げながら完全に限界を超えた出力を発揮し崩壊しかけ、しかしまるで何かに守られているかのように加速し続ける。
その一瞬。シュルツは炎を見た。その向こうで戦う、二人の少年を。
一機はトールギスであった。改良型の装備をしているものの、それは間違いなく自分の乗っているナンバレスだ。
もう一機は白いMSであった。特徴的なアンテナとデュアルカメラは人の顔にも見え、角張った巨躯は秘めた力を思わせる。
これは、フェニックスの見せた記憶のさらに先だ。
二機は縺れ合うように螺旋を描き、踊るように戦い続ける。その姿がやがて地球の楔に捕えられ、全身を赤く焼きながら尚も戦い続ける。シュルツは食い入るようにその帰趨を追い、自身も重力に捕まり成層圏へと突入し、おのれの視界を赤々と染めながら――


そこで、シュルツの意識は途切れた。