【半熟兵士と踊る空】692氏



「エルンストさん、エルンストさん!」
怒声に目を覚ますと、そこは愛機のコックピット内だった。
「ちょっと、聞いておられますの!?」
目の前のスクリーンには、ネリィ・オルソンが眉を吊り上げて映っている。ブリッジクルーの操舵係だ。
寝ぼけ眼をこすって欠伸を一つした途端、ネリィから再度怒鳴り声が飛んでくる。
「起きているのなら返事をなさってください!」
「寝てたよ、さっきまでは」
スクリーンの隅に表示されている時計に目をやる。
コックピットに入ってからまだ三十分ほどしか経っていなかった。
「ネリィさんよ、俺は今日非番じゃなかったか?」
「ええ。予定ではそうでしたけれど……」
ネリィは少し顔を曇らせた。
「先ほど、本社の方から出撃命令が下りましたの」
連絡がつくように、通信機だけ起動させておいて正解だったようだ。エルンストは身を起こした。
「どこへ?」
「A4宙域だそうです」
「近いな……敵は?」
「デスアーミーの可能性が高いそうです。まだ断定はできないそうですけれど」
「それなら少しは気が楽なんだけどな。レイチェルやカチュアには出来るだけ対人戦闘やらせたくないんでね」
「同感です。情報が確かであることを祈りましょう」
ネリィが少しだけ表情を緩ませる。
エルンストは首を傾げた。
「そういや、さっきから気になってんだけどよ」
「はい?」
「何で操舵員のあんたが俺に通信いれてんだ? ケイはどうした?」
聞いた途端、ネリィは眉間にしわを寄せた。
「ケイさんでしたら通信士の席で居眠りしておられます」
「人聞き悪いね、寝てないよあたしゃ」
回線に割り込み。通信士のケイだ。トレードマークのキャップで顔を覆っている。アイピロー代わりらしい。
「寝てるじゃありませんの」
「目ぇ閉じてるだけ」
「だったらちゃんと仕事をなさいませ!」
「えー、だってさ、あたし今日非番だったんだよ?」
「今は第一種戦闘配置中ですわよ!?」
「戦闘真っ最中じゃないだろ? ドンパチ始まったら真面目にやるって」
「そうやってまたあなたは……ちょっと、コンソールに足を乗せるのはお止めなさい、はしたないですわよ!?」
「どうでもいいけど、喧嘩は回線閉じてからやってくれよなお二人さん……」
小さな抗議は、ネリィの怒声とケイの気だるげな応対に飲み込まれてしまう。
エルンストはため息を吐いて、自分の方から回線を切断した。
が、次の瞬間すぐに他者からの通信が入った。
「騒がしくてすみませんね、エルンストさん」
艦長であるエターナ・フレイルだった。スクリーンに映える銀髪。穏やかな美貌。
「おっと、こりゃ艦長殿。なに、緊張しすぎるよりゃいいですよ」
エルンストは軽く敬礼しつつ、肩を竦めた。
そんな態度を諌めるでもなく、エターナも微苦笑を返す。スピーカーからわずかにネリィの声が聞こえてくる。ブリッジでは言い争いが続いているらしい。
「状況は先ほどネリィさんが仰ったとおりです。作戦の概要は後でお送りしますので、確認後小隊員の皆さんにも伝えて下さい」
「はいよ、了解」
「慌しくてごめんなさいね。何分急な話でしたので」
「ま、いつものことさ。こっちで何とかしますよ」
軽く肩を竦めると、エターナは柔らかく微笑んだ。
「そう言っていただけると助かります。でも、おかしいですね」
「何がです?」
「いえ、エルンストさん、この部隊に馴染むのが随分早かったものですから」
「とても元軍属とは思えない?」
「ええ」
「ま、正直、軍隊のガチガチな気風よりも、こっちの適当くさい……じゃなくて自由な気風の方が肌に合ってますよ。俺に取っちゃね」
「ふふ……とても助かっているんですよ。個人的な戦闘技能が突出している人は何人もいますけど、正式な訓練を受けて指揮を執れる人はなかなかいませんから」
「俺の他はジェシカとニキの姉さん方、後はマークにエイブラムぐらいのもんですか」
「ええ。頼りにしていますよ、小隊長さん」
「我らが美人艦長殿に言われると悪い気はしませんな」
「相変わらずお上手ね」
もう一度柔らかく微笑んだ後、エターナは少しだけ表情を引き締めた。
「予定では、後三十分ほどで問題の宙域に到着するそうです。時間がないため細かい打ち合わせは出来ませんが……」
「問題ないですよ。期待には応えますからご安心を。今回も全員生還させてみせますよ」
「ええ。第三小隊の皆さんのこと、よろしくお願いします。こんな戦いで命を散らすことほど、馬鹿な話はありませんから。それでは、ご武運を」
綺麗な一礼を残して、スクリーンからエターナの姿が掻き消える。会話の間中絶えることのなかった、ネリィたちの口論の声も聞こえなくなった。
一転して、コックピットの中は静かになった。
シートに身を沈めて、エルンストは目を閉じる。
胸に手を当てると、鼓動が少し早くなっているのが分かった。
「……大丈夫、全員生きて還す。ただの一人だって死なせやしねぇ。それがお前の誓いであり、約束だ。そうだろ? エルンスト・イェーガー……」
目を開ける。視線を、スクリーンの隅に貼り付けてある一枚の写真へ。
エルンストはかつての戦友たちに黙礼すると、機体を起動させ始めた。