【半熟兵士と踊る空】692氏



 エルンストは、マークとニキにシスについて自分が知っていることを全て話した。
 二人はしばらく無言で何かを考えている様子だったが、やがてニキが口を開いた。
 「シスは、自分のことを人形だと言っていました」
 ニキは、かすかに目を伏せた。
 「そんなことはないと否定してあげたかったのですが……事情が事情だけに、そんな風に考えてしまうのも仕方ないかもしれませんね」
 「何も知らない子供に歪んだ価値観を教え込む……気に入らないな」
 マークも不機嫌そうに腕を組む。エルンストが頷いた。
 「子供ってのは親の言うことを簡単に信じちまうからな」
 「何か、私たちにできることはないのでしょうか?」
 ニキは真摯な瞳をエルンストに向ける。エルンストは顔をしかめた。
 「俺も、いろいろと考えてはいるんだがな。シスをスタンから引き離す手段は未だに見つからない」
 「表面上問題を起こしている訳ではないから、尚更難しいだろうな」
 マークが難しい顔で押し黙る。
 「……とにかく、出来ることから始めてみましょう」
 ニキの言葉に、エルンストは申し訳なさそうに、
 「手伝ってくれるか?」
 「ええ、私に出来ることなどそう多くはありませんが……」
 「悪いな、お前さんの小隊だって問題がない訳でもないのに」
 「その辺は俺が何とでもサポートするさ」
 だから気にするな、とマークは笑った。
 「エルンスト。子供が子供らしくいられないのはとても不幸なことだと、私は思います。シスのために協力できることがありましたら、何でも仰ってください」
 ニキが胸に手を置いて言う。エルンストは二人に頭を下げた。
 「すまないな、二人とも。よろしく頼む」
 「いえ。では、私は少し書類仕事が残っていますので、失礼させていただきます」
 折り目正しく会釈し、ニキがデッキの入り口に向かって去っていく。その背中を見つめながら、マークが呟いた。
 「隊長は名のある軍人の家の出だそうだ」
 「連合のゼノン大佐だったか、親父さんは」
 「ああ。多分、今のシスと昔の自分が少し重なるんだろうな。十代の頃の自分を省みて後悔することがあると、酒の席で言っていたのを聞いたことがある」
 「なるほどね。自分で自分を縛っちまってるって訳か……ところで、よ」
 口調を少し意地の悪いものに変えて、エルンストがニヤニヤしながらマークを見る。マークはそれだけで何を言われるのか分かったように、ニキの背中に目を向けたままむっつりしている。
 「そんな捕らわれの姫君に、白馬の王子様が現れるのはいつの日のことになるのかな、ん? どうせ今日も渡し損ねたんだろ」
 マークは無言のまま、手の平サイズの小箱を取り出して蓋を開ける。中央に鎮座しているのは、凝った意匠の指輪。エルンストは呆れたようにため息を吐く。
 「ったく、澄ました顔をテレビに映し、世界中の女性を魅了する天下無敵のエースパイロット様が、こっちの方面に関しては新兵とはねぇ」
 「……ガラじゃないんだ」
 マークは拗ねたようにそう言って小箱を仕舞いこむ。エルンストはぽんぽんとその肩を叩いた。
 「ま、そう落ち込むなよ。どんなベテランだって最初は半熟だったんだからよ」
 「別に落ち込んでる訳じゃない。それにな」
 と、マークは背中を壁に預けて呟いた。
 「まだチャンスがあるなんて思える内は幸せなんだろう。こんな状況じゃな」
 「……そうだな」
 エルンストは頷き、消え行くニキの背中を目を細めて見つめた。
 「どっちのお姫様にも、生き延びて幸せになってほしいもんだ」

 「逆にあなたにお聞きしますけど」
 一瞬のにらみ合いの後、エターナは不審そうにブラッドを見る。
 「私の思惑を知ったとして、あなたはそれを利用して何をなさるおつもりですか?」
 「別に、どうもしない」
 「は?」
 エターナが眉をひそめる。ブラッドは馬鹿にするように肩を竦めた。
 「私が今把握している情報を総合して考えると、現在の情勢はあまりにも複雑すぎる。誰を利用してどこにつこうが、絶対に利益を得られるとか、何をしても安全ということはあり得ん」
 「では、何故?」
 エターナは本気で分からないと、首を傾げた。答えてブラッドは、自信満々に、
 「楽しいからだ」
 「はぁ?」
 エターナは先ほどよりも頓狂な声を上げた。ブラッドはこの時だけ少年のように目を輝かせ、
 「誰もが知りたい情報を自分のみが握り、誰もが知りえない情報を自分だけが把握する。そうして、私だけが現在の状況を理解する……そう、私だけがだ。戦を人の視線からではなく一人鳥の目から眺めるようなものだ。全体像をどれだけでも拡大して見られるのだ、これほど楽しいことはあるまい?」
 「……つまり、私の思惑を知って交渉の材料にするとかゆすろうとしているとか、そういう訳ではなくて……ただ単に、大きなジグソーパズルの足りないピースが一つ欲しいだけなんですか?」
 「なかなか的を得た表現だな」
 ブラッドが感心したように言う。エターナは呆れて声も出ないようだったが、やがて気を取り直すように首を振った。
 「分かりました。私の知りたい情報も譲渡してくれるという条件でなら、話しましょう」
 「内容にもよるが、まあいいだろう。それで?」
 「一言で言うなら、私は本社や研究班の人たちの意向に従うつもりは一切ありません」
 エターナはきっぱりと言い切った。
 「何度も艦内の皆さんに申し上げていますが、私はこんな戦いで……いえ、戦争で命を落とすことほど馬鹿馬鹿しいことはないと思っています」
 「では、本心から部下のことを大切に思っていると?」
 ブラッドは興味深そうに問う。エターナは当然だと言わんばかりに頷いた。
 「当たり前でしょう。あの子たちの悲惨な現状を見せつけられて、何とかしてあげたいと思わない方が人間としてどうかしてますよ」
 「なるほどな」
 ブラッドは低く笑う。
 「何です?」
 「いや……普通は年を喰った人間ほど信用できんものなのだがな」
 「お黙りなさい」
 「キサマがそういう考えなら、今度の戦争ではもっと面白いものが見られそうだ」
 エターナはため息を吐いた。
 「まあ、いいですけど。それで、何か私にとって益になりそうな情報は何かないんですか?」
 「がめついな。キサマを見ているとアレを思い出す」
 「は?」
 「休日のバーゲンセールや特売品に群がる中年」
 「怒りますよそろそろ」
 エターナのこめかみに青筋が立つ。ブラッドは余裕綽々、皮肉げな笑みを崩さない。
 「そう言うな。キサマ個人とて興味深いことに変わりはない。より多くのデータを取りたくなっても仕方がないだろう?」
 「……私もいろいろな人間を見てきたつもりですけど、あなたは極めつけの変人ですね」
 疲れたように、エターナはチェアに身を沈める。ブラッドは笑いながらそれを見下ろしていたが、不意に目を鋭くした。
 「キサマに……いや、この部隊に影響を及ぼしそうな情報だ」
 ブラッドは指を立てる。
 「まず、ビーンズの動きについてだ。キサマはユリウス・フォン・ギュンターを知っているか?」
 「ええ。確か、木星で十年ほど前に生み出された、最高のコーディネイター……でしたよね」
 「その豆小僧が、数ヶ月ほどまえにGジェネレーションのNT適性試験を受けたそうだ」
 エターナが目を細める。
 「結果は?」
 「適性、全くなしと判断されたそうだ。ことNT適性に関しては、奴は平均以下の数値しか示さなかったらしい」
 「そうですか……皮肉な結果だとは思いますが……私たちに関係が?」
 「奴は、試験を受けに地球に来た際、EXAMシステムに対してかなり興味を示したそうだ。その上ビーンズで、ガキらしくプライドが高いときている。どういう意味かは、言うまでもないだろう?」
 「そうですね」
 「それと、近々ビーンズだけで構成された部隊が設立されるという話だ。ユリウス・フォン・ギュンターやシャロン・キャンベル、それにオグマ・フレイブなど……少し有名な連中が参加するという話だ」
 「他には?」
 「チップだ」
 「チップ……これですか?」
 エターナは、デスクの引き出しから、ブリッジで発見されたチップを取り出す。ブラッドは頷いた。
 「最近、何やら『突然、人が変わったように』というのが流行っているらしいな」
 「……ある意味、分かりやすいといえば分かりやすいですけど……チップで人格操作だなんて、まるで出来の悪いSFですね」
 エターナはうんざりしたようにため息を吐く。ブラッドはさらりと付け足した。
 「キサマが言えることではないだろうに」
 「大概しつこいですねあなたも」
 「チップに関してはあまり多くは分かっていない。ただ、かなり簡単に取り外せるようになっていたり、隠す気がないのではないかと疑いたくなるぐらい見つかりやすいことから、連合上層部を疑心暗鬼に陥れるための策なのではないかと推測する者もいる……この程度だな」
 「他には?」
 「黒いガンダムについて」
 「黒い……ガンダム? ガンダムMKKの初期カラーですか?」
 「違う。何でも、ここ数日巨大な黒いガンダムの機影が、いくつかの宙域で確認されているそうだ。連合宇宙軍の間で、ゴーストガンダムとして噂されている。その正体などは不明だが、そういった訳の分からん兵器はこの部隊の専売特許のはずだろう?」
 「そうですね」
 「キサマに話せることといったらこの程度だな」
 一方的にそう締めくくると、ブラッドはさっさと背を向けて部屋を出て行こうとした。その背中にエターナが抗議する。
 「今ので全部ですか!?」
 「キサマに話せる分はな」
 「……何だか疑わしいですね、あなたの情報収集力というのも」
 「この部隊に関係があるか検討中の事柄もあるということだ。それに……私の情報収集力の証明なら、この紙一枚キサマに見せるだけで事足りる」
 そう言って、ブラッドはくしゃくしゃに丸めた紙をエターナに投げる。それを開いたエターナの顔が、一瞬で凍りつく。ブラッドは開け放されたドアの前で、一度振り返った。
 「それで分かっただろう。まあ、今の私は一応キサマの部下だからな。ちょっとした情報ぐらいは渡してやるとも。未熟な部下どもを助けるために、せいぜい気張るといい」
 言いたいことを言い残して、ブラッドは去っていく。
 「艦長、機体の格納は大体終わったんだけど……艦長?」
 入れ違いに入ってきたケイが、紙切れに目を奪われたままのエターナに首を傾げた。
 「何見てんだい、艦長」
 言いつつ手を伸ばしたが、紙はケイの手に渡る前にエターナに握りつぶされる。
 「フ、フフフ……」
 「か、艦長?」
 「なかなかやりますね、ブラッドさん……ですが、このまま負けっぱなしで終わる私ではありませんよ……今に見ていなさい、フフフフフ……」
 「……やっぱ管理職って疲れるんだな……」
 憑かれたような不気味な笑みを浮かべるエターナを見て、ケイが妙な納得と共に頷いた。
 ちなみに、三桁の数字が一つと二桁の数字が三つ書かれていたその紙は、エターナの手でビリビリに破られた後に焼却処分までされたそうである。

 先の戦闘から一週間ほどが経過した。
 グランシャリオはネリィの手による爆走と、不安定なグランノヴァ砲を無理矢理使用したことによる負荷のせいで、少し進んでは立ち往生するという牛歩の如き歩みを見せていた。
 「あー、退屈ぅー!」
 休憩スペースのソファーで足をぶらぶらさせながら、カチュアが頬を膨らませる。
 その傍らで缶コーヒーを飲みながら、エルンストは苦笑した。
 「そうブーブー言うなよ。ようやっと休めるって喜んでる連中だっているんだぜ?」
 「退屈なものは退屈なのー! グランシャリオはノロノロだしさー!」
 「グランシャリオがぶっ壊れたのは、お前を助けるためでもあったんだ。そのぐらい我慢しろよ」
 たしなめるように言って、エルンストは空き缶をゴミ箱に向かって投げる。外れて床に転がった。カチュアが笑う。
 「やーい、へたくそー!」
 「うるせぇな」
 エルンストが頭を掻きながら缶を拾いに行く。
 「ねぇ、隊長」
 不意に、カチュアが少し不安そうに声をかけてくる。
 「……ごめんなさい」
 「いきなり何だよ」
 缶をゴミ箱に放り込んだエルンストが振り向く。カチュアは伏し目がちに、
 「考えたの。今回、隊長に一杯迷惑かけちゃったなぁって」
 「まあ、そうだな。俺にだけじゃないが」
 「だから、ごめんなさい」
 そう言って、頭を下げる。エルンストはカチュアの隣に座り、ぽんと彼女の頭に手を乗せる。
 「カチュア、何で俺がお前を怒らなかったか、分かるか?」
 カチュアは首を横に振る。
 「お前がちゃんと怖がってたからさ。怖いって感情を知れば、もうあんな無謀なことはやらないだろう。そう思ったから、俺は怒らなかったんだ」
 「うん」
 「もちろん、次からは別だぞ。次もやったら軍隊流の罰を与えるからな。覚悟しとけよ?」
 カチュアは素直に頷いた。「ま、」と、エルンストは意地の悪い笑顔を浮かべ、
 「お前はひよっこの半熟お子様兵士だからな。今回は特別に勘弁してやるってことさ」
 カチュアが眉を吊り上げた。
 「お子様って何よー!」
 エルンストの手を払いのけ、怒鳴りながら立ち上がる。エルンストは肩を竦め、
 「お子様じゃねえか。迷子になって野良犬に囲まれてぴーぴー泣いてたんだからな」
 「泣いてないもん!」
 「いーや、泣いてたね。全く、ガキのお守りは疲れるぜー……案外寝小便の癖とか残ってるんじゃないかお前?」
 「そ、そんなはずないじゃん!」
 不必要なほど慌てふためいて、カチュアが否定する。エルンストのニヤケ面が一層深くなった。
 「ひょっとして図星か?」
 「ち、違うよ、そんな、癖だなんて……月に一回あるかないかぐらいだもん!」
 「うわー、おい、聞いたか皆ー! カチュアはまだおねしょぐせが」
 「わーわーわー!」
  顔を真っ赤にして、カチュアが両手を振り回した。腹を抱えて笑うエルンストの顔を、思いっきり睨みつける。
 「隊長、そういうのセクハラって言うんだよ!」
 「あのな、レイチェルといいお前といいどこでそんな……まあいいか。残念だったなカチュア。セクハラっていうのはあくまで対象が女だった場合だ。お前はお子様だからセクハラにはならないんだよ」
 「じゃあロリコン!」
 「いや、だから、どこでそういう言葉を」
 「あの、隊長」
 横手から、遠慮がちな声。振り向くと、微妙に困った顔をしたシスがいた。
 「シス!」
 叫んで、カチュアが猛然とシスの手を握り締める。シスは珍しく驚いた顔でのけぞった。
 「な、なに?」
 「シスもおねしょするよね!」
 「え?」
 「二週間に一回ぐらいなら普通だよね、ね、ね!?」
 カチュアの必死な声に、シスが助けを求めるようにエルンストを見る。頼みの綱の隊長は壁に寄りかかって肩を震わせている。
 「ね!?」
 「あの」
 「無視っとけシス。俺が許す」
 「むかつくー! こうなったら隊長の部下なんか今すぐやめちゃうから!」
 エルンストに指先を突きつけて、カチュアが宣言する。
 「大体さー、ワタシみたいな可愛い女の子が隊長みたいなムサいおっさんの部下だってのが間違ってるんだよ!」
 「自分で可愛いとか言うな! 大体、俺の部下やめて誰の下に着くつもりなんだよ」
 「ニキ隊長!」
 「アホ、これ以上ニキの仕事増やさせてたまるかっての」
 「じゃあジェシカたいちょ」
 「エルンスト隊長ー!」
 カチュアが叫びかけたとき、誰かの情けない悲鳴と共に、ボロ雑巾のようになった人影が二つ、休憩スペースに転がり込んできた。ジュナスとショウだ。
 「た、助けてよエルンストさん」
 傷だらけの手を必死で伸ばすのはジュナス。
 「こ、このままじゃ僕たち殺されちゃいますよ!」
 ショウなど恐怖にまみれた顔が泥だらけになっている。エルンストは思わず一歩身を引いた。
 「っつーか、この鉄の塊の中でどうやったら泥だらけに」
 「こ、細かい突っ込みはいいからさ、かくまってくれよ」
 「早くしないとジェシカ隊長に捕まって」
 その時、死にそうな顔で訴える二人の後ろから、
 「逃げられるとでも思ったか?」
 心胆凍らす絶対零度の瞳。両手にズダボロになったシェルドとサエンを持ったジェシカが、熊も逃げ出す怒り顔で仁王立ちしていた。
 「いいいいやぁぁぁぁぁああああ!」
 ジュナスとショウがじたばたともがく。しかし、
 「はいはい、お二人様ごあんなーい」
 逆方向から現れたノーランにあっさりと捕まってしまう。
 「そんじゃ撤収。お騒がせしましたー」
 男二人を捕まえたまま、ノーランがジェシカの後を追って去っていく。
 「ノ、ノーランさん! お願いです、見逃してください!」
 「んー、ごめん、アタシもお仕置きは嫌だからさ。大丈夫だって、姉さんだって死ぬまでやりゃしないよ。死にそうになるまではやるだろうけど」
 「あ、あんまり大差ないですううううぅぅぅぅ……」
 ショウの絶叫が遠ざかっていく。何となく木枯らしが吹いたような寒々しさに包まれた休憩スペースで、カチュアがぽつりと呟いた。
 「隊長?」
 「何だ」
 「ワタシ隊長の部下でよかったなぁ」
 「……そうか」
 「……隊長、さっき怒らないとか言っといて、やっぱりお仕置きとか言わないよね?」
 「安心しろ、俺がやったら逮捕されるだろうから」
 「……隊長」
 「……何だ?」
 「……ワタシ、やっぱりしばらくお子様でいいや」
 何となく疲れた表情で、エルンストとカチュアがソファーに座り込む。
 ふと、エルンストは状況についていけなかったらしいシスが、戸惑った顔で立ち尽くしているのに気がついた。
 「ああ、悪いなシス。何の用だったんだ?」
 「あ……いえ」
 シスは少しの間迷うように視線をさまよわせた。思案している……というよりは、何かを恐れるような表情。そのとき、馴染み深い声が聞こえてきた。
 「あー、皆、こんなとこにいたんだ」
 元気良く手を振りながら、レイチェルが休憩スペースに駆け込んでくる。それを見たシスが、目をそらした。反射的な動き。
 「お姉ちゃーん、皆ここにいたよー」
 レイチェルが振り返って手を振る。
 「レイチェル、いきなり走り出したら危ないでしょう……」
 微笑みながらこちらに歩いてきたエリスが、突然顔を強張らせて立ち止まる。視線はシスに向いていた。
 「……? どうしたの?」
 エリスに向かって手を振りかけたカチュアが、シスとエリスを交互に見て首を傾げる。何か不穏な空気が休憩スペースに満ちる。
 「……用事を思い出したので、失礼します」
 いたたまれなくなった様子で、シスが一礼して姿を消す。エリスもすぐに頭を押さえて、
 「レイチェル、何だか頭が痛いの……帰りましょう」
 と、返事も待たずに踵を返す。慌てて後を追いかけるレイチェルに、エルンストは声をかけた。
 「おいレイチェル、何か用があったんじゃ」
 「あ、ううん。皆で遊ぼうと思ってたんだけど……待ってよお姉ちゃーん!」
 レイチェルも行ってしまい、休憩スペースにはカチュアとエルンストだけが残された。
 「何だ……?」
 狐につままれたような面持ちで、エルンストが首を傾げる。カチュアは不安そうな顔で隊長の腕の袖を引いた。
 「ねぇ隊長、シスとエリス、変だったよね?」
 「そうだな……何かあったのか、あいつら?」
 カチュアは首を横に振る。
 「大体、あの戦闘の後エリスとシスに会ったの、今が初めてだし……」
 「だよな。二人とも何か部屋に閉じこもりっぱなしだったもんな……何かあるはずがないんだが」
 「何か、怖いな……」
 カチュアが怯えるように目を伏せる。
 「二人とも、すごく怖かった」
 「二人……シスとエリスが?」
 「うん……ねぇ、二人とも、お互い嫌いになっちゃったのかな?」
 「まさか」
 エルンストは笑い飛ばそうとした。
 「シスが根っから優しいのはお前だって知ってるだろ? エリスだって、シスのことはかなり気にかけてたんだ。いきなり嫌いになるなんてあり得ないだろうが」
 「……そうだよね。そのはずだよね。だけど、何でだろう……」
 カチュアは心細げに、自分の体を抱きしめる。
 「嫌な感じがするの。すごく、怖いことが起きるような……隊長、どうしよう、震えが止まんないよ……」
 涙声。カチュアの顔が、恐怖に青ざめている。エルンストは黙ってその小さな体を抱き寄せ、落ち着かせるように頭を撫でてやる。
 「大丈夫だ。大丈夫。怖いことなんか、絶対に起こさせやしない。誰かがシスやエリスを傷つけようとするなら、俺が全力で止めてやる。だから安心しろ、な?」
 「……そんなこと、出来るのかな?」
 「出来るさ。まだ何にも起こってないんだ。だから出来る」
 「……うん」
 カチュアは小さく頷き、目元を拭った。
 「隊長」
 「うん?」
 「ワタシも……頑張るから」
 「……ああ」
 「よーう隊長、俺ってばあれからかなり調子いいぜぇ! もう絶好調ってやつ……おおお!? な、何だよどうしたんだよ!?」
 上機嫌から一転、沈んでいるカチュアを見て取り乱すドク。
 「おおおおいおい、隊長、カチュアを泣かせたのかよ!?」
 「違うって」
 「ででで、でもよ、な、泣いちゃってるよな、泣いてるよなカチュア!?」
 「あー」
 面倒臭そうに、エルンストが頭を掻く。ドクはカチュアに近付いて大騒ぎし始めた。
 「おおおおい、おい、カチュア、どっか痛いのか!? 大丈夫か!?」
 あたふたとするドクを見て、エルンストが少し笑う。
 「お前ってホントいい奴だよな」
 「え?」
 きょとんとするドク。エルンストの腕に顔を押し付けていたカチュアが、ぷっと吹き出した。
 「アッハハハハハ! ハゲ、おかしすぎ!」
 「え、え、え、え!?」
 訳の分からない様子で首を振るドク。それを見たカチュアがさらに高い声で笑った。
 「……テテ、テメェ! おお、俺を騙しやがったのかぁ!?」
 「やーい、バーカバーカ! ハーゲハーゲ!」
 「ここここ、こ、この野郎! ハゲって言うなぁぁぁ!」
 興奮して叫ぶドクと、ケラケラ笑うカチュア。いつもどおりの追いかけっこが始まった。
 しかし、エルンストの瞳は、カチュアの赤い目に残る痛々しい涙の痕を見つめている。
 今は写真の入っていない胸ポケットに手を触れ、エルンストは小さな声で呟いた。
 「そうだ……何が起ころうとも、今度こそ絶対に守ってみせる……全員生きて還す。ただの一人だって死なせやしねぇ。それがお前の誓いであり、約束だ。そうだろ? エルンスト・イェーガー……」
 その声を聞く者も、その声に答える者もいなかった。


 誰も、知らない。
 もうすぐ開演する、戦争という名の舞台。
 その上で自分が演じる役割を。
 その上で演じられる、台本の筋書きを。
 そして、自分たちが、今まさに舞台袖に引きずり込まれようとしていることすらも。

 半熟兵士たちが踊る舞台は、今だ照明の届かぬ宇宙の闇に隠されていた。



 機動戦記Gジェネレーションズ
 第一幕 半熟兵士と踊る空
 終幕

 第二幕へ続く