【半熟兵士と踊る空】692氏
時は少し前にさかのぼる。
エルンストたちよりも先に出撃したエリスらは、第一、第二小隊の通った後を辿るように移動していた。
「……そこっ!」
人工衛星の残骸の陰に隠れていたデスアーミーを、リ・ガズィのビームライフルが撃ち抜く。胸部を破壊されたデスアーミーのモノアイが消え失せ、機体が沈黙する。
「今ので五機目です」
無機質な声で、シスが確認する。エリスは頷いた。
「そうね。シスちゃん、周囲に敵影はありますか?」
「ないと思います」
「他の皆がやっつけちゃったのかな?」
あまり緊張感の感じられない声。レイチェルはリラックスしているようだった。答えるように、BD一号機の頭部が左右に動く。
「おそらく。デスアーミーの残骸らしき物が多数ありますから」
「あ、ホントだ。気付かなかったよ」
サイコ・ドーガのモノアイが揺れ動き、レイチェルがコックピットの中でデスアーミーの欠片の一つを指差した。
「多分、あのバラバラになってるのはジェシカ隊長が壊したんじゃない? あの両方から一辺に撃たれてるのはニキ隊長のインコムでしょ。溶けかけてるのはサエンの百式かエイブラムのウルフな。それに……」
楽しそうに破壊者の名を推測していくレイチェルを横目でそっと見やり、エリスは安堵したようにほっと息を吐いた。
「……良かった。これならあまり危ない目に遭わずに済みそうね」
「そうですね」
警戒の姿勢は崩さないながら、シスも同意する。
「とりあえず、先へ進みましょう。多分大丈夫だと思うけど、二人とも、油断はしないようにね」
前方やデブリの陰に気を配りながら、三機が動き始める。少し進んだところで、レイチェルがはしゃいだ声を上げた。
「でも、やっぱりお姉ちゃんすごいよね。ワタシとシスには分かんない敵にも気付くんだもん」
何ら含みのない、無邪気な賞賛。エリスの顔に柔らかい微笑みが浮かぶ。
「ありがとう。でもね、そんなの本当は誰にでも出来ることなのよ」
「ワタシにも?」
「ええ、もちろん。こういうの、きっと誰にでも備わっている力よ。ただ気付かないだけで……それよりもレイチェル、大丈夫?」
エリスの声音に不安が混じる。
「何が?」
「ホラ、何度かファンネルを使ってたから……気持ち悪くない?」
「大丈夫だよ」
「本当? 無理することないのよ? 頭が痛いとか、吐き気がするとか……」
「大丈夫!」
それを示すように、スクリーンに映ったレイチェルが満面の笑みを浮かべる。
「だって、お姉ちゃんが傍にいてくれるんだもん。だからワタシ、もし気持ち悪くったって我慢できるよ! お姉ちゃんがいてくれれば、何があってもへっちゃら!」
そう言って、レイチェルは力強く拳を上げる。エリスの微笑みが、ほんの少しだけ哀しい色を纏った。
「そう……でも、気持ち悪くなったら我慢しないでワタシに言うのよ?」
「うん」
「レイチェルが痛かったり、苦しかったり……そういうの、お姉ちゃんも嫌なんだから、ね?」
「うん、ありがとう、お姉ちゃん!」
生まれて間もない赤子のような、無垢な笑顔。哀しみを宿したエリスの瞳に、涙が浮かぶ。それを誤魔化すように、エリスはシスに尋ねた。
「シスちゃん、先行している皆から連絡は……シスちゃん?」
「……え? あ……」
二人の様子を呆けたように見つめていたシスが、慌てて手を動かし始める。顔が少し赤い。
「……通信、ありました」
「何て?」
「戦闘宙域の中央に存在していたデスボールは、既に撃破されたそうです」
デスボールとは、デスアーミー出現に先立ってまず現れる、球状金属質の謎の物体である。これはデスアーミーの指揮官のような役割を果たしているらしく、排除されると同時にデスアーミーの増援もストップする。そのため、デスアーミー襲撃の際にはまずこれを撃破することが最優先目標とされる場合が多い。
さらにシスは続けた。
「第一、第二小隊の皆さんは、周辺宙域の残存敵機を駐留軍に任せ、グランシャリオへの帰還コース付近の敵を掃討しながら帰還中、だそうです」
エリスは眉をひそめた。
「帰還コース、付近?」
「はい。今回、先行した二小隊は、戦闘宙域の中心に向かって直進するコースを取ってデスボールを撃破しましたが、その結果……宙域図で見ると右よりのエリアに、多数のデスアーミーが残っているそうです」
「そう……」
エリスは目を閉じて数秒黙った後、レイチェルとシスに指示を出した。
「私たちも第一、第二小隊に合流しましょう」
「エルンスト隊長たちは待たなくていいの?」
レイチェルが首を傾げる。エリスは首を横に振った。
「隊長と合流するのを待っていたら、少し時間がかかりすぎると思うの。急いで行けば、もしかしたらデスアーミーを挟み撃ちに出来るかもしれないでしょう?」
「そっか。うん、分かったよ」
「それじゃシスちゃん、エルンスト隊長に通信を送ってくれる?」
「はい」
シスが通信を試みる。不意に、レイチェルが尋ねた。
「ねえシス、デスボールをやっつけたのって、誰?」
「ジェシカ隊長とエルフリーデさんだって……ミンチ・ドリルとランス、どっちが届くのが早かったかで喧嘩になりかけてて大変だって、ジュナスさんが言ってた」
作業の手は休めず、シスが答える。レイチェルは声を上げて笑った。
それを見たエリスの顔にも、苦笑めいた微笑が浮かぶ。しかし次の瞬間、エリスの目が鋭く、サイコ・ドーガの後方に向けられた。
「来る……!? レイチェル!」
「え?」
突然のことに、レイチェルもシスも反応しきれない。エリスはほとんど反射的にリ・ガズィを突出させる。そして、白い軌跡が宇宙の闇を切り裂いた。
エルンストたちがカチュアの誘導で到着したのは、戦闘の中心からはかなり離れた宙域だった。
エリスのリ・ガズィに寄り添うように、サイコ・ドーガとBD一号機が並んでいた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
恐慌に青ざめた、レイチェルの泣き声。目の前に広がる光景に、エルンストやカチュアも口を閉ざしている。
「ドク」
「……あ、ああ?」
「周囲の警戒を頼む。……ボケッとすんな。エリスでさえこうなったんだ、気を抜いたら一瞬でお陀仏だぜ」
「……お、おう」
「よし、じゃあ任せたぞ。カチュアも反対側を見張ってくれ」
「……うん」
口調の固いエルンストの命令を受けて、戸惑いを隠しきれない動きで、ドクとカチュアが少し離れた場所に待機する。
それを確認してから、エルンストはエリスらに向き直った。
「お姉ちゃん、やだよ、お姉ちゃん、返事してよ! お姉ちゃん!」
恐怖を隠そうともせず、レイチェルが泣き叫ぶ。エルンストは隣で待機していたシス機との通信回線を開いた。
「シス、何があった?」
リ・ガズィは、見るも無残な状態だった。右足が吹き飛ばされ、頭部の一部も破損している。コックピットが存在する胸部にダメージはないようだったが、エリスからの返答がなかった。
「実は……」
シスが説明を始めた。
あの後、急接近してきた謎の白い機体は、レイチェル機に向かって突進した。それを一早く察知したエリスがレイチェルをかばったのだ。
「白い機体?」
「はい。識別コードも登録されていませんでしたから、恐らく未確認の……デスアーミーだと思われます」
デスアーミーにもいくつか種類がある。頻繁に宇宙に出現するのは、金棒を持った子鬼とも言うべき、通常タイプのデスアーミー。その中心に位置するのが、指揮官と認識されている、球形のデスボール。その他、過去数回だけ地上に現れたデスアーミーの中には、潜水可能タイプや飛行可能タイプも混じっていたらしい。
「新たなデスアーミー、か」
エルンストは半壊したリ・ガズィに視線をやった。
「かなり強力な奴らしいな」
「はい。凄い速度で……ワタシやレイチェルには捕捉できませんでした」
「で、今そいつは?」
「リ・ガズィを交錯と同時に破壊した後、戦闘宙域外の方向へ一直線に飛んでいきました」
「ふうむ」
エルンストは唸った。試しに回線を開こうとしてみたが、通信装置が故障しているらしく、応答がない。数秒間の黙考。その間も、レイチェルの泣き声が途切れることなく響いていた。
「ま、とりあえず」
小さなため息が漏れた。
「リ・ガズィをけん引して艦まで戻ろう」
「大丈夫でしょうか?」
シスの声から、わずかながら不安の色が感じられた。エルンストは安心させるように微笑んだ。
「エリスのことなら大丈夫。コックピットに傷はついてないんだ、多分ぶつけられたときのショックで気絶してるんだろうさ。一応精密検査受けた方がいいだろうがな」
「命に別状はない、と?」
「ああ……むしろ、その謎の機体とやらの方が問題だろうな。ま、ここまで話し込んでても戻ってこねぇんだから、大丈夫だとは思うが、な」
「……分かりました」
シスが黙礼する。エルンストはもう一度リ・ガズィに目をやった。
(コックピットに破片が飛び込んでなきゃ大丈夫だろうが……早めに戻った方がいいな)
エルンストは周辺を警戒していたカチュアとドクに呼びかけた。
「カチュア、ドク。艦に戻るぞ。リ・ガズィは俺とシスで抱えてくから、お前らはこっちとの相対距離を保ったままついてきてくれ」
「お、おう」
「はーい……レイチェル!?」
元気よく返事をしかけたカチュアが、突然強張った叫び声を上げた。エルンストはその場でレイチェル機の方に振り向く。レイチェルの泣き声が聞こえなくなっていたことに、ようやく気付いた。
「レイチェル……どうし……!?」
言いかけたエルンストの耳が、小さな呟きのような声をとらえた。
「……お姉ちゃん、やだよ、いなくならないで、おいてかないで、一人にしないで、恐いよ、恐いよぉ……助けて、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん……!」
その場の全員が硬直する。スクリーンに映る、生気の欠けたレイチェルの泣き顔。追い詰められた人間のほの暗い狂気が、瞳に揺らめいている。
エルンストの背中がゾクリと震えた。嫌な汗がこめかみを滑り落ちる。エルンストは叫んだ。
「皆、散……!」
「いやだァァァァァァ――ッ!!」
レイチェルの絶叫。突如としてサイコ・ドーガから飛び出した無数のファンネルが、一斉に砲火を放つ。吹き荒れるビームの嵐が、周囲に存在していた全機を襲った。三つの短い悲鳴。BD一号機の肩アーマーを火線が掠め、ギラ・ドーガのシールドが吹き飛ばされる。
「隠れろ!」
間一髪で避けながら、エルンストが鋭く指示を飛ばす。全員が慌てて近くの小隕石やデブリの陰に身を隠した。
「ど、どど、どうなってんだ隊長!? あれ、レイチェルだろ、な、何でこっちに」
混乱しきったドクの声。エルンストは叱咤で返した。
「うるせえ! そうなってんだよ! 死にたくなきゃ黙って避けるのに専念しろ!」
人口衛星の残骸の陰から、そっとレイチェル機の様子を窺う。
サイコ・ドーガの周囲を、いくつものファンネルがパニックを起こしたように飛び交い、ひっきりなしにビームを乱射している。目標も狙いもない、でたらめな方向に向けて。
「混乱してるのか……? おい、レイチェル!」
「やだよぉ……恐いよぉ……お姉ちゃん……」
幼子のように泣きじゃくるレイチェルの声。いつの間にかヘルメットを外し、体を丸めて耳を塞いでいる。エルンストは舌打ちした。
「ねぇ……隊長、レイチェル、どうしたの……?」
怯えたように声を震わせ、カチュアが問いかけてくる。彼女の顔も青ざめていた。
「分かるの。レイチェル、すごく怖がってる。助けてあげてよ、隊長。レイチェル、かわいそうだよ……」
カチュアの声が上ずり始める。それをなだめながら、エルンストはシスに通信を入れた。
「シス、聞こえるか?」
「はい……隊長、あれは……」
「……強化の弊害、って奴だろうな。俺も見るのは初めてだが……」
シスがハッと息を飲んだ。エルンストが目を逸らす。
「無理矢理脳味噌いじくりやがって。胸糞悪いぜ、クソッ」
エルンストは吐き捨て、苛立ち紛れにコックピットの壁を蹴った。
「どうすれば……」
迷うように、シスが顔を伏せる。エルンストは歯切れ悪く答えた。
「サイコ・ドーガのエネルギーだって無限じゃない。ほっときゃその内止まるだろうが……」
「でも、それではレイチェルに負担が」
「ああ。多分、ファンネルの前にレイチェルの精神に限界が来る」
「そしたら、どうなるの……?」
恐れるように、カチュアが問いかける。エルンストは何かに耐えるように奥歯を強く噛んだ。
「簡単なこった。限界を迎えた精神は、壊れる。そしてレイチェルは廃人になっちまうだろう。食事すら一人じゃ出来なくなり、自分が誰なのかすら忘れたまんま、一生ベッドの上で過ごすことになる」
「や、ヤベェじゃねぇかよ、それ!」
「そんなの絶対イヤ!」
ドクとカチュアの声が重なる。エルンストは辛そうに顔を歪め、コックピットの写真に触れながら頷いた。
「そうだ、そんなの絶対に許されることじゃない。大丈夫だ、絶対に助けてみせる。そう、絶対だ……」
「隊長……?」
思いつめたように呟くエルンストを見て、シスが不思議そうに呼びかける。しかし、次の瞬間シスは驚愕したように叫んだ。
「隊長! サイコ・ドーガの後方からデスアーミーが!」
「何だと!?」
エルンストはサイコ・ドーガを振り仰ぐ。シスの言うとおり、サイコ・ドーガの後方からデスアーミーらしき機影が迫りつつあった。
「馬鹿な、デスボールは撃破されたんだろうが!?」
「そのはずです!」
会話している内にも、デスアーミーの影はどんどん大きくなっていく。そして、先頭の一機が金棒型ビームライフルを撃った。
「避けろ、レイチェル!」
レイチェルは答えない。光条はサイコ・ドーガの肩を掠めた。
「な、なに!?」
レイチェルが全身を震わせながら顔を上げ、怯えた様子で左右を見回す。そして、迫るデスアーミーを見て恐怖に目を見開いた。
「いやぁぁぁ! 来ないで、来ないでぇぇぇ!」
振り絞るような悲鳴と共に、ファンネルがデスアーミー目掛けて飛んで行き、先頭集団を残らず撃墜する。エルンストは飛び出しかけたが、ファンネルのビームが向かってきたのでまた引っ込んだ。近付く物全てを敵とみなしているらしい。
「クソがっ、これじゃ近づけねぇ!」
「え、エリスはまだ起きないのかよ!?」
ドクの問いかけ。エルンストは首を振った。
「ダメだ、応答がない。チクショウ、何か手はないのかよ……!?」
エルンストが無力さに膝を叩いたとき、黙っていたシスが、決意したように口を開いた。
「……隊長、システムを起動させます」
「なっ」
「許可を」
「危険だ!」
「でも、他に手はないでしょう?」
「だからってお前……ここにはカチュアだってエリスだって、レイチェルだっているんだぞ!」
「シス、何か方法があるの?」
カチュアが必死に問いかける。シスは目を伏せた。
「うん……でも、ひょっとしたらカチュアも危ないかもしれないけれど」
「そんなのどうだっていいよ、レイチェルを助けてあげて! あんなに苦しんでるの、もう見てられないよ!」
「お、俺からも頼むぜ!」
カチュアが何度も頷き、ドクも興奮して叫ぶ。シスは、迷うように唇を噛んでいたエルンストに、改めて向き直った。
「隊長」
「……分かった。だが、危ないと思ったらすぐにシステムを停止させて戻ってくるんだ。いいな?」
「……はい。ありがとうございます」
徐々に小隕石の裏側から出て行くシスのBD一号機を見つめ、エルンストは歯噛みした。
「クソッ、これ以外に方法がないのかよ……!?」
「いーや、あるぜ!」
唐突に、新たな声が通信回線に割って入った。聞き覚えのある軽薄な声に、エルンストが顔を上げる。