【半熟兵士と踊る空】692氏



 「そこのジム道を空けろ! ウチの航路は送ってあるはずだろ! さっさと動かないとひき潰されるぞ!」
 ケイはマイクを引っ掴んで声を枯らさんばかりに叫んでいた。
 「全員、ちゃんと内側に引っ込んだだろうね!? 外縁部にいて外に放り出されたってボーナスは出ないよ!」
 その横の操舵席で、すっかりハイになったネリィが高笑いを響かせる。
 「オーッホッホッホッホ! さあ、いますぐそこをどいて道をお作りなさい下賤の者ども! 峠のひき逃げ女王のお通りですわー!」
 「犯罪者!? っていうか艦長、もうちょっとこいつを落ち着かせてよ!」
 ケイが艦長席を振り返るが、我等がエターナ艦長はにっこりと微笑み、一言呟くのみ。
 「よしなに」
 「誰の真似だこの野郎!? あーもう、おいこら、早く退避しろってんだよ!」
 余所見をしている暇などない。圧倒的質量を持って宇宙を爆走するグランシャリオは、その運動エネルギー自体が最強の武器となりうるのだ。正面衝突したらMSなど一瞬でグシャグシャである。
 さらに、小隕石やデブリに衝突することなどお構いなしなので、被害報告は時を増すごとに増え続けていた。既に外部装甲を示すデータの半分以上が赤色で埋め尽くされている。
 ケイは半泣きになりながらキャップを握り締め、ヤケクソで叫ぶ。
 「チクショウ、この作戦終わったら絶対有給もらうからな! そのぐらいの贅沢は許されるだろ、なぁ!?」
 ちなみに、意識を飛ばされたまま放置されているイワンが何度も何度も頭をぶつけていたが、それを気にする者は誰一人としていなかった。
 「有給か……いいねぇ」
 ケイの叫びは全艦にだだ漏れだった。額の汗を拭いながら、ライル・コーンズがしみじみと呟く。
 「休みが取れたら月に行ってジャンク漁りしたいなぁ」
 「その前に永遠の休息を与えられることになるかもしれんがのぅ」
 エンジンの様子を観察しながら、ダイスが顔をしかめる。
 「全く、無茶な運転しおって。メカニック泣かせめが」
 壁に取り付けられたスピーカーから、ネリィの高笑いが遠く響く。ダイスはため息を吐いた。
 「なんなんじゃ、あのお嬢ちゃんは」
 「さぁ……昔賊の総長をやってたとか、それが原因で家から追放されたとか……変な噂はいろいろ聞きますけどね」
 「どうしてこう阿呆が多いんじゃ、ウチの艦は……」
 ダイスはぶちぶちと呟きつつ、ちらりと部屋の隅を見やる。暴走してダイスにスパナで殴られたミンミが正座していた。その瞳は非常に真剣に、ダイスとライルの様子を見据えている。
 「おいミン坊。お前もそろそろ中に引っ込んどれ。ここにいたってお前なんぞに出来ることは何一つありゃせん」
 「いえ、自分はここでダイスさんとライルさんのお仕事を見届けるのであります!」
 ミンミが拳を作って力説する。
 「たとえエンジンが暴走して火の玉に飲み込まれたとしても、自分は本望であります!」
 「コラ、不吉なことを言うな」
 「それに、仲間が命がけで戦っているのに、自分だけが安全なところにいる訳にはいかないのであります!」
 「いやミンちゃん、今この艦に安全なとこなんてないと思うけどね」
 止まぬネリィの高笑いに苦笑しつつ、ライルが言う。ミンミは力強く頷く。
 「だからここにいても同じことであります!」
 「……阿呆」
 「すんません」
 ため息を吐くダイスに、ライルが頭を掻く。ダイスは少し考えて、ミンミを手招きした。
 「ミン坊、なら近くにいて操作を見とけ」
 「よろしいのでありますか!?」
 「どこにいても同じことだと言ったのはお前さんじゃろうが」
 「では、失礼して……おおー、これはこれは……ほうほう……」
 ダイスの手元の操作盤を見て、感心したように唸り始めるミンミ。ダイスは苦笑した。
 「全く、どこまで分かっとるんだか……」

 突然の通信に、エターナが眉をひそめた。
 「停止しろ、と?」
 「そうだ。グランシャリオはその場で停止してこちらの指示に従え」
 「ふざけんなよ、もうちょっとで予定宙域だってのに!」
 ケイが乱暴にコンソールを叩く。正面スクリーンに映る地球連合士官は、尊大に鼻を鳴らした。
 「そんなことはこちらの知ったことではないな。キサマらが何をやろうとしているかは知らんが……グランシャリオの移動で混乱が起きていることの方がよほど問題なのだ。潰されかけたMSも多数存在するのだぞ?」
 「警告は出しただろ!?」
 「そういう問題ではない! 軍の規律に収まらんキサマらが好き勝手に暴走しているのを見過ごす訳にはいかんのだ」
 ケイは舌打ちした。グランシャリオは、合流宙域まであとわずかということで、駐留軍の戦艦に道を塞がれているのだった。
 「艦長、構わないから別のルート通り抜けようよ。こんな奴に構ってらんないよ」
 「キサマ……誰に向かってそんな口を利いている!?」
 「うるさいよ、じゃあアンタにこの状況を収拾する策があるのかよ、えぇ!?」
 「そ、それは……」
 連合士官は一瞬言葉に詰まったが、すぐに開き直るように胸を張った。
 「そんなことは、キサマの知ったことではない! キサマらは黙ってこちらに従えばいいのだ!」
 「このっ……!」
 「ケイさん、落ち着きなさい」
 艦長席から、エターナが静かに注意する。連合士官はにやりと笑った。
 「ほう……さすがに艦長ともなると、少しは話が分かるようだな?」
 「ええ……ですが、先ほどの質問にはお答えいただけないでしょうか?」
 「……軍事機密だから明かせないが、こちらも策は考えている。安心しろ」
 「騙されんなよ艦長! こいつら、自分たちに従わないアタシらが気に入らなくて嫌がらせしてるだけなんだ!」
 「キサマッ……! どこまでナメた口を利けば気が済むのだ!」
 モニタ越しに、ケイと連合士官がにらみ合う。正規軍同士ではあり得ない光景。ネリィはその横でイライラした表情で腕を組んでいる。エターナは黙考したが、答えは出ない。
 その内、痺れを切らした連合士官が叩きつけるに叫んだ。
 「もういい! キサマらでは話にならん。督戦士官のイワン・イワノフ少佐を出せ!」
 「え?」
 ケイの頬が引きつる。イワンは白目を剥いた放置されているはずだった。ケイの反応に、連合士官が眉根を寄せる。
 「どうした? ……まさか貴様ら、イワン少佐に何か……!」
 「い、いや、そんなことはないんだけどその」
 ケイは焦って艦長席を振り返る。エターナはその会話が耳に入っていないかのように、驚いた表情でケイを見下ろしている。いや、正確には彼女の左隣を。ケイは不思議そうにそちらを振り返り、絶句した。
 先ほどまで気絶していたイワン・イワノフ少佐が、背筋を伸ばして立っていた。真剣な横顔。
 「そんな、四時間は目覚めないはずなのに!」
 「やっぱやばい薬だったのかよ!?」
 注射器を見つめて驚愕するエターナに、ケイが呆れて叫ぶ。
 「おおイワン少佐、今までどちらに?」
 「いや……それよりも、言いたいことがある」
 イワンは静かにマイクを握る。ケイは頭を抱えた。
 「クソッ、ここまでかよ……!?」
 イワンは大きく息を吸い込み、大真面目な顔で言い放った。
 「お前ら、早く散開してとおさんかい!」
 一瞬、ブリッジが奇妙な沈黙で満たされる。ケイが口を開け、ネリィが目を見開きエターナが首を傾げる。連合士官も唖然とした顔をしていた。
 「……今の、ひょっとして駄洒落?」
 ケイが嫌そうな顔で呟く。イワンは顔を赤くして咳払いした。
 「と、とにかく、早くそこをどきなさいアンタ」
 「は……いや、しかし」
 「いいからさっさと通すの! 通してくれないとガルン将軍に言いつけちゃうぞ!」
 腕を振り上げて駄々っ子のように喚くイワン。連合士官は困惑してケイに訊いた。
 「おい、本当にこの方はイワン少佐か?」
 「え? あー……」
 ケイはちらりとイワンを見る。イワンは「何だとぅ! どういう意味だこのぅ!」だのと言って拳を振り回している。ケイは顔を引きつらせながら頷いた。
 「も、もちろんさ! ささ、早く督戦士官の言うとおりにしてよ、ね?」
 「うーむ、しかし……前にお会いしたときと様子が違いすぎる……」
 渋る連合士官。イワンの顔が真っ赤になった。
 「なにぃ!? もう怒ったぞ! お前なんかガルン将軍に言って……あー……」
 イワンは困ったようにケイを見た。
 「どうしてもらったらいいんだろ?」
 「え? ええと……な、南極基地に転勤なんてどうかな?」
 「おお、そりゃいい!」
 それを聞いていた連合士官の顔が、見る見るうちに青くなる。イワンの階級は少佐だからそれ程高くないが、彼は個人的に連合上層部に顔が利くという噂だった。
 ネリィとエターナが顔を見合わせ、面白そうな顔で便乗する。
 「ついでに給料五十パーセントカットなんてどうでしょう?」
 「清掃員に格下げなんて素敵じゃないかしら?」
 イワンは満足したように頷いた。
 「それだけやられりゃアンタの人生終わったようなもんだな、うん」
 「ちょ、勘弁して下さいよ! 私には病弱な妻と五歳になったばかりの娘が……」
 立場も忘れて慌てふためく連合士官に、イワンは指を三本立ててみせた。
 「だから、そうなりたくなきゃ通せって言ってんの! さあ3秒以内に選べ、通すか南極か!?」
 「え、ちょっと」
 「ほれ行くぞぉ! ブリッジの皆さんカウント始めぇ!」
 指揮者のように手を振り上げるイワン。ブリッジの三人は半ばヤケクソに、半ば楽しそうに手を叩いた。
 「3!」
 「あの」
 「2!」
 「いやだから」
 「1!」
 「まっ……」
 「だっはっは、それじゃありがとうな! 君のことはガルン将軍にもよろしく言っといてあげよう!」
 イワンの高笑いを残して、グランシャリオが連合戦艦の前を通り抜ける。連合士官はげっそりとした表情でスクリーンから消えた。
 「うむうむ。いい感じだぞ。目的地にはまだ着かないのか、ケイちゃん」
 「ケイちゃん!? は、いや、まああともう少しってとこかな……」
 「そうかそうか、それは結構コケコッコー! 何ちゃってー!」
 一人で笑い転げるイワン。ケイは泣きそうな顔でネリィに耳打ちした。
 「ねぇちょっと、何でこの人こんな愉快で不愉快なおっさんになってんの!?」
 「知りませんわよ! ワタシに聞かないで下さいまし!」
 ネリィもイワンのことが気になってか、先ほどよりもテンションが低い。
 「ん、何の話かなお嬢さん方、おじさんに全部話してごらんってこれじゃ変態だなぁうわっはっはっは」
 腹を抱えて大爆笑するイワン。その時、ケイはイワンの頭に大きなたんこぶが出来ているのを見つけた。
 「……ひょっとして、頭ぶっけておかしくなったのか?」
 「そんな都合のいい……」
 ネリィは呆れて言葉もないようだった。
 「皆さん、些細なことを気にしてはいけませんよ」
 「うむ、よく分からんけどその通りだ。細かいこと気にするとハゲるって言うしな!」
 エターナが微笑みイワンが笑う。ケイとネリィは顔を見合わせてため息を吐いた。
 「さあ進めグランシャリオ! 新しい世界の扉を、ワシらの手でドアー! っと開けてやるのだ!」
 イワンが上機嫌で前方を指差す。目標地点は間近に迫っていた。