【半熟兵士と踊る空】692氏



「エルンストさん、エルンストさん!」
怒声に目を覚ますと、そこは愛機のコックピット内だった。
「ちょっと、聞いておられますの!?」
目の前のスクリーンには、ネリィ・オルソンが眉を吊り上げて映っている。ブリッジクルーの操舵係だ。
寝ぼけ眼をこすって欠伸を一つした途端、ネリィから再度怒鳴り声が飛んでくる。
「起きているのなら返事をなさってください!」
「寝てたよ、さっきまでは」
スクリーンの隅に表示されている時計に目をやる。
コックピットに入ってからまだ三十分ほどしか経っていなかった。
「ネリィさんよ、俺は今日非番じゃなかったか?」
「ええ。予定ではそうでしたけれど……」
ネリィは少し顔を曇らせた。
「先ほど、本社の方から出撃命令が下りましたの」
連絡がつくように、通信機だけ起動させておいて正解だったようだ。エルンストは身を起こした。
「どこへ?」
「A4宙域だそうです」
「近いな……敵は?」
「デスアーミーの可能性が高いそうです。まだ断定はできないそうですけれど」
「それなら少しは気が楽なんだけどな。レイチェルやカチュアには出来るだけ対人戦闘やらせたくないんでね」
「同感です。情報が確かであることを祈りましょう」
ネリィが少しだけ表情を緩ませる。
エルンストは首を傾げた。
「そういや、さっきから気になってんだけどよ」
「はい?」
「何で操舵員のあんたが俺に通信いれてんだ? ケイはどうした?」
聞いた途端、ネリィは眉間にしわを寄せた。
「ケイさんでしたら通信士の席で居眠りしておられます」
「人聞き悪いね、寝てないよあたしゃ」
回線に割り込み。通信士のケイだ。トレードマークのキャップで顔を覆っている。アイピロー代わりらしい。
「寝てるじゃありませんの」
「目ぇ閉じてるだけ」
「だったらちゃんと仕事をなさいませ!」
「えー、だってさ、あたし今日非番だったんだよ?」
「今は第一種戦闘配置中ですわよ!?」
「戦闘真っ最中じゃないだろ? ドンパチ始まったら真面目にやるって」
「そうやってまたあなたは……ちょっと、コンソールに足を乗せるのはお止めなさい、はしたないですわよ!?」
「どうでもいいけど、喧嘩は回線閉じてからやってくれよなお二人さん……」
小さな抗議は、ネリィの怒声とケイの気だるげな応対に飲み込まれてしまう。
エルンストはため息を吐いて、自分の方から回線を切断した。
が、次の瞬間すぐに他者からの通信が入った。
「騒がしくてすみませんね、エルンストさん」
艦長であるエターナ・フレイルだった。スクリーンに映える銀髪。穏やかな美貌。
「おっと、こりゃ艦長殿。なに、緊張しすぎるよりゃいいですよ」
エルンストは軽く敬礼しつつ、肩を竦めた。
そんな態度を諌めるでもなく、エターナも微苦笑を返す。スピーカーからわずかにネリィの声が聞こえてくる。ブリッジでは言い争いが続いているらしい。
「状況は先ほどネリィさんが仰ったとおりです。作戦の概要は後でお送りしますので、確認後小隊員の皆さんにも伝えて下さい」
「はいよ、了解」
「慌しくてごめんなさいね。何分急な話でしたので」
「ま、いつものことさ。こっちで何とかしますよ」
軽く肩を竦めると、エターナは柔らかく微笑んだ。
「そう言っていただけると助かります。でも、おかしいですね」
「何がです?」
「いえ、エルンストさん、この部隊に馴染むのが随分早かったものですから」
「とても元軍属とは思えない?」
「ええ」
「ま、正直、軍隊のガチガチな気風よりも、こっちの適当くさい……じゃなくて自由な気風の方が肌に合ってますよ。俺に取っちゃね」
「ふふ……とても助かっているんですよ。個人的な戦闘技能が突出している人は何人もいますけど、正式な訓練を受けて指揮を執れる人はなかなかいませんから」
「俺の他はジェシカとニキの姉さん方、後はマークにエイブラムぐらいのもんですか」
「ええ。頼りにしていますよ、小隊長さん」
「我らが美人艦長殿に言われると悪い気はしませんな」
「相変わらずお上手ね」
もう一度柔らかく微笑んだ後、エターナは少しだけ表情を引き締めた。
「予定では、後三十分ほどで問題の宙域に到着するそうです。時間がないため細かい打ち合わせは出来ませんが……」
「問題ないですよ。期待には応えますからご安心を。今回も全員生還させてみせますよ」
「ええ。第三小隊の皆さんのこと、よろしくお願いします。こんな戦いで命を散らすことほど、馬鹿な話はありませんから。それでは、ご武運を」
綺麗な一礼を残して、スクリーンからエターナの姿が掻き消える。会話の間中絶えることのなかった、ネリィたちの口論の声も聞こえなくなった。
一転して、コックピットの中は静かになった。
シートに身を沈めて、エルンストは目を閉じる。
胸に手を当てると、鼓動が少し早くなっているのが分かった。
「……大丈夫、全員生きて還す。ただの一人だって死なせやしねぇ。それがお前の誓いであり、約束だ。そうだろ? エルンスト・イェーガー……」
目を開ける。視線を、スクリーンの隅に貼り付けてある一枚の写真へ。
エルンストはかつての戦友たちに黙礼すると、機体を起動させ始めた。
 モニタを起動させて、戦闘配置命令に騒然となっているモビルスーツデッキを見渡す。
 今はまだ乗り手を抱いていない機体の間を、整備兵たちが忙しそうに行き来している。
 新米のミンミ・スミスが急ぐ余りひっくり返って工具をぶちまけ、班長のダイス・ロックリーに怒鳴りつけられる。それをなだめるライル・コーンズと、横から見てゲラゲラ笑うニードルの姿もある。あまり笑うものだから、最後にはダイスにスパナを投げられていた。
 ベテラン揃いの第一小隊は、そのほとんどが既に姿を見せていた。
 とは言え、打ち合わせらしきものをしているのは小隊長のニキ・テイラーと副隊長のマーク・ギルダーだけで、他は皆思い思いの行動を取っていた。
 いつもどおりどこの物だか分からない軍服に身を包んだエルフリーデ・シュルツは、周囲を気にせず黙々とレイピアの手入れをしている。乗機の横で整備兵に質問しているのはブラッドだ。顔のせいでいびっているようにしか見えない。エイブラム・ラムザットは機体の横で瞑想中。ラナロウ・シェイドは整備兵と雑談中で、特に緊張はしていないようだった。

 デッキの入り口付近には第二小隊の面々が整然と整列していた。というよりさせられていた。
 地に立てた金属バット先端に両手を置き、小隊長のジェシカ・ラングが何か叫んでいた。その横で壁に寄りかかりながら、副隊長のノーラン・ミリガンがニヤニヤしている。エルンストは指向性の集音マイクを調節して音を拾い、さらにそのの周囲を拡大表示した。
 「いいかキサマら! 我が第二小隊と第一小隊の間には撃墜数で三十七、被撃墜数でマイナス三の開きがある! 今回の戦闘でこの差を縮め、アタシたちが最強であることを艦中に知らしめるんだ! いいな!?」
 「あのー、ジェシカ姐さん?」
 恐る恐る手を挙げた小隊員のジュナス・リアムを、ジェシカは一睨みした。
 「隊長と呼べ、ジュナス。で、何だ?」
 「いや、被撃墜数はこっちがどう頑張ったで縮まらないっしょ?」
 「まさか後ろから撃てとか言いませんよね?」
 苦笑気味に付け足したのは同じく小隊員のシェルド・フォーリーだ。ジェシカは二人を交互に睨みつけた。
 「そんな馬鹿なことは言わん。友軍を誤射するなど、戦士としてあるまじき行為だ。推奨するどころか、そんなことをした奴にはアタシ直々に釘バットを喰らわしてやる」
 「んじゃどうしろって……」
 「落とされるなと言っている。ジュナス、キサマ最近被弾率が増加しているだろう。機体に装甲が追加されたからと言って油断しているな?」
 「まあまあ、ジュナスが回避下手くそなのは前からでしょ」
 肩を竦めて茶化すように言うのはサエン・コジマだ。ジェシカはまたも睨みを利かせる。
 「サエン、キサマはチャラチャラし過ぎだ。戦士としての自覚はあるのか?」
 「もっちろん。愛の戦士だもん、オレ」
 「そういうの、よく真顔で言えますよね」 
 サエンの隣で、小隊内最年少のショウ・ルスカが顔を赤くする。サエンの目が細くなった。
 「またまた。ショウちゃんったらそんなこと言っていいのかい?」
 「え」
 「オレ知ってんだよね。最近ショウちゃんの瞳はたった一人のラブリーベイベーをロックオンだってこと」
 「いや意味不明だって」
 「何だいショウ、つまり好きな子が出来たのかい?」
 「え、マジ? 誰だよ教えろよ」
 ジュナスがここぞとばかりに囃し立てる。ショウの顔がさっきよりも赤くなった。
 「そんなんじゃないですよ! 僕は別に」
 「まさかエターナ艦長とかじゃないよな? 止めとけよ競争率高いんだから。泣き見るのはお前だぜ。あ、でもネリィとかケイとかエリスとかは別の意味で勘弁だよな」
 「失礼だよジュナス」
 「そうだぜ、女の子は皆プリティーなエンジェルだからな。もう誰でも俺の胸にカモーンて感じさ!」
 「いやそれも違うよサエン」
 ジュナスをなだめてサエンを諭すシェルドの横で、ショウは慌てふためいて両手を振る。
 「ち、違いますよ! そんな年上じゃなくて……」
 「え、じゃあカチュアかシスかミンミか……いや待てよ、大穴でレイチェルって可能性もあるな、あいつ精神年齢低いし」
 「あー、ちょっとあんたたち?」
 恋愛談義に花を咲かせる四人に、ノーランが水を差す。その顔には苦笑。
 「そろそろ止めないと全員撲殺されるよ?」
 「え?」
 四人が揃ってジェシカの方を見る。
 怒髪天。こめかみに立った青筋といつも以上に吊り上った瞳には、限界ギリギリで抑えられた怒りの炎が燃え盛っている。四人の身体が一息で硬直するのが、エルンストにも分かった。
 「キサマら、緊張感という言葉を全身に刻んでやろうか」
 「まあまあ姉さん、時間もないことだしさ」
 バットを振り上げかけたジェシカを、ノーランがやんわりと止める。ジェシカはギリリと歯噛みをした後、ため息を吐いてバットを下ろした。
 「とにかくだ! 我が第二小隊は第一小隊よりも多くの戦果を上げ、最強の二文字が我等にこそ相応しいものであることを証明する! しかるに、今日の戦闘で情けない結果を残した者はデッキ百周プラス撲殺バットの刑を喰らわせてやるからそのつもりで」
 「お〜、エ〜リスちゃ〜ん! レ〜イチェ〜ルちゃ〜ん!」
 気合の入った演説は、サエンの浮ついた声で中断された。
 「エリスが来たのか?」
 エルンストは、デッキの入り口付近を拡大表示した。
 第三小隊副隊長のエリス・クロードと小隊員のレイチェル・ランサムが入ってきたところだった。二人に飛びつこうとしたサエンがレイチェルに蹴り落とされる。
 「う〜ん、相変わらず過激な愛情表現だぜベイベー」
 「お姉ちゃんに近寄るな変態! ばっちい菌がうつるでしょ!?」
 エリスの腕に抱きついたレイチェルが怒鳴る。エリスは少し困った顔をしていた。
 「失礼よレイチェル、いくら相手がサエンさんだからって」
 「えー、だってサエンだよ、艦内汚物ランキングダントツ一位だよ? アタシお姉ちゃんが汚れるの嫌だもん」
 「確かにサエンさんは艦内触りたくないもの、見たくないもの、認識したくないものランキングダントツ一位の三冠王で救いようのない変態だけど、そんなこと言ったら傷つくでしょう?」
 あくまでも優しく柔らかな声音でレイチェルを諭すエリス。遠巻きに見ているジュナスやシェルドが微妙な表情で顔を見合わせる。レイチェルはすねたように口を尖らせた。
 「……うん、分かった。本当は全然そんな風に思ってないけど一応謝る。ごめんねサエン」
 「はい、よく出来ました。いい子ねレイチェル」
 「えへへ」
 エリスは優しい微笑を浮かべてレイチェルの頭を撫でると、まだ床に這いつくばっているサエンに顔を向けた。
 「ええと、多分大丈夫だと思いますけど社交辞令ですからとりあえず聞きますね。大丈夫ですか、サエンさん」
 「フフ……相変わらずごくナチュラルにハートをえぐってくれるねエリスちゃん。だけどそんなところがまたラブリー!」
 サエンは別段痛そうな様子もなく、勢い良く立ち上がった。
 「あ、やっぱり大丈夫でしたね」
 「もちろん。この程度でへたばってたら愛の戦士は務まらないからね」
 「ふふ、体が頑丈なのはいいことですよね。私、サエンさんのそういうところって本当に尊敬してるんですよ」
 「イヤッハァ! 嬉しいねぇ。そうとも、俺は頑丈だとも。エリスちゃんがお望みなら何度だって蘇ってみせるさ、そうフェニックスのように!」
 「そうか。なら蘇ってもらおうか」
 「へ?」 
 振り向いたサエンに振り下ろされる金属バット。怒り心頭のジェシカ隊長による撲殺ショーが幕を開けた。
 「やれやれ」
 エルンストはため息を吐いて表示を元に戻した。

 それと同時に、誰かから通信が入る。
 「シスか」
 「はい、エルンスト隊長」
 第三小隊員、つまりはエルンストの部下であるシス・ミットヴィルからだった。もう自機であるBD1号機に乗り込んでいるらしい。エルンストはチラリと機外のショウの方に目をやった。
 「悪ぃけど、作戦の説明はもうちょっと待ってくれ。エリスとレイチェルはまだ機体に乗ってないし、カチュアとドクはまだ来てないからよ」
 「はい。敵は……」
 「デスアーミーだと。人間じゃねぇから安心しろよ」
 「……そうですか」
 表面上、シスの表情に変化はない。エルンストは軽く微笑んだ。
 「カチュアやレイチェルが心配か?」
 「え……」
 一瞬、シスの目線が逸れる。
 デッキではまだ騒ぎが続いていた。サエンをバットで殴り続けるジェシカと、それを止めようとする第二小隊の面々。それを見てレイチェルは腹を抱えて笑っている。
 「カチュアは敏感すぎるし、レイチェルは不安定すぎる。人が死んだときにニュータイプにかかる精神的な負担は想像を絶するものがある……とか、俺の昔のダチが言ってたもんでな」
 エルンストは張り付けてある写真を軽く指でなぞり、肩を竦めた。
 「ま、今回の相手はデスアーミーだ。少なくとも、そういう面での心配はまずないさ。安心したろ?」
 シスは無言で、ほんの少しだけ頷いたようだった。
 その時、まだ切っていなかった集音マイクから、新たな声が聞こえてきた。
 「ホラ、やっぱあの時右に曲がってれば良かったんじゃない!」
 「う、うう、うるせぇな、お、お前だって一回間違っただろ!」
 「な、何よ、ワタシが悪いって言うの!?」
 「そうだ、お、お前が全部悪ぃんだ! お、俺のせいじゃねぇぞ!」
 「ムカツク〜! 人のせいにしないでよねこのハゲ!」
 「は、ハゲって言うなこのチビ!」
 「何よ役立たずのくせに! ハゲ、ハゲ、ハゲハゲ!」
 「お、おお、お前だっていっつも落とされそうになってんじゃねぇか! チビ、チビ、チビチビ!」
 同年代の二人にも聞こえるこの会話。しかし、言い争っているのは第三小隊員のカチュア・リィスとドク・ダーム年齢差およそ十五歳ほどの二人である。デッキに入ってすぐの辺りで口論をしている。
 その付近では未だに第二小隊が騒いでいるので、やかましいことこの上ない。エリスは止めるべきかどうか、もしくはどう止めていいものだか迷っているようだった。
 「ったく、あいつらもホントに緊張感ねぇな……いや、ドクは気を紛らわそうとしてんのかもな。っつーか一隊の連中も止めろよな……」
 エルンストはぶつぶつ呟くと、外部マイクを起動させた。
 「おいお前ら、さすがにそろそろ時間がないぞ! さっさと機体に乗り込めや!」
 「あ、はーい! さ、行きましょう、レイチェル」
 「うん、お姉ちゃん」
 まず真っ先に答えたエリスとレイチェルが動き始め、それにつられるように、第二小隊の面々やカチュア、ドクも慌てて移動し始める。
 「さて、残り時間十分ちょいってところか……いっちょ気合いれるとすっか」
 「……隊長」
 「ん?」
 「……あの、隊長……皆に……」
 シスは何か言おうとして数秒口を開いたままにしていたが、やがて少し苦しそうに表情を歪めて口を閉じ、表情を元に戻した。
 「いえ、何でもありま……」
 「おーい皆、ちょっと聞けや!」
 唐突に、エルンストは外部マイクと通信回線を全開にした。デッキの人々が何事かとエルンスト機の方を向く。
 「第三小隊のシス・ミットヴィルから伝言だ。『皆、全員無事に生還できることを祈っています。怪我をしないように気をつけて下さい』……だってよ」
 シスが驚いて目を見張る。反応はすぐに返ってきた。
 「任せてよシスちゃん! 帰ってきたらあつ〜いキッスを頼むぜ!」
 「サエン、こう言っちゃなんだけど犯罪ギリギリだよそれ……ありがとうシスちゃん、君も怪我をしないように」
 「ああ、絶対全員で帰ってこようぜ!」
 サエン、シェルド、ジュナスの三人から元気な声が届く。ショウも何か言っているようだったが、その声は小さすぎて届く前に消えてしまった。
 他の面々からも次々に返事が返ってくる。驚いて固まったままのシスに、エルンストは笑って片目を瞑ってみせた。
 「もちろん俺やお前もな。怪我しないようにってのには大賛成だぜ」
 シスの顔にわずかに赤みが差した。
 「はい……隊長」
 ありがとうございました、とようやく聞き取れるぐらいの小さな声で言って、シスは回線を閉じた。
 シートにもたれかかり、エルンストは長い息を吐く。と、唐突ににこやかな顔のエリスがスクリーンに映りこんだ。
 「ナイスフォローです、エルンスト隊長」
 「おや、これは我等が副隊長殿。何のことかな?」
 「シスちゃんの言いたいこと、分かるようになってきたんですね」
 「シスは口下手だから気をつけてやってくれって言ったのはお前さんだろうに」
 「そうですけど、言われるだけでなかなか出来るものじゃありませんよ。さすが第三小隊最年長、無駄に年を取ってる訳じゃないんですね」
 「へいへい。おかげさまでしっかり経験積ませてもらってますよ」
 「ふふ……ところで隊長、今回もまた準備が早かったですね」
 「ん? ああ、ちょうどコックピットの中で昼寝してたからな」
 「……パイロットスーツを着て、ですか?」
 「習慣かねぇ。そうやってんのが一番落ち着くのさ。人間こうなっちゃもう末期って感じだな」
 エルンストが肩を竦めると同時に、レイチェルが通信に割り込んできた。
 「ちょっと隊長、何二人で秘密の通信してるの!? そういうのセクハラって言うんだよ!」
 「おいコラレイチェル、人聞き悪いこと言うんじゃねぇよ。俺は別に」
 「そうよレイチェル、確かに隊長はいかにもそういうことが好きそうな顔をしてるけど、人を見かけで判断してはいけないわ」
 「うん、ごめんなさいお姉ちゃん」
 「エリス、お前も天使のような笑顔でそういうこと言うな」
 「まあお上手ね隊長。だけどまるで口説き落とそうとしてるみたいであんまり印象よくないですよ。めっ」
 「めっ、じゃねぇよ。その言動不一致いい加減どうにかしろ、ったく」
 うんざりしたように首を振ると、今度はカチュアとドクが通信を入れてきた。
 「ごっめーん隊長、ハゲのせいで遅れちゃった」
 「ハ、ハゲって言うな! ち、ちち、違うんだぜ隊長! ホントはこのチビが……」
 「あー、分かった分かった、結果的に間に合ったからいいって。怒ってないから」
 「そうよカチュアちゃん、確かにドクさんは髪の毛が一本もなくて外見がちょっと愉快なことになってるけれど、それをあげつらっちゃいけないわ」
 「ひ、ひでぇよエリス」
 「きゃはは、ハゲハゲー」
 「れ、れれ、レイチェルまで」
 コックピットに隊員たちのけたたましい声が響き渡る。その中心でエルンストは頭を抱えた。
 「……ああ、確かに緊張しすぎるよりゃいいって言ったけどな、こりゃねぇだろ……」
 「あの、隊長」
 他の隊員に比べるとかなり控え目な声。見ると、シスの顔がスクリーンに映っていた。
 「作戦の説明は……」
 「ああ、そうだった。おいお前ら、ちょっと静かにしろ。作戦説明すっから」
 「あ、そういえばまだ聞いてなーい」
 「隊長、今回こそ第一小隊の人たちと一緒に戦えるんでしょ、ね、ね?」
 カチュアが目を輝かせて聞いてくる。
 「だから説明するって言ってんだろ……ああ、ったく、お前らちょっとはシスを見習って落ち着けや」
 「いえ、ワタシは……」
 「そうですね、シスちゃん偉いですよ。後でいい子いい子してあげますね」
 「あー、シスばっかりずるーい! お姉ちゃん、ワタシには〜?」
 「……あの」
 笑顔のエリスと騒ぐレイチェルと少し顔を赤くして困るシスと。エルンストは頭を掻き毟った。
 「あ、隊長そういうことするとハゲちゃいますよ。ただでさえハゲそうな顔なしてるのに」
 「黙れエリス。もういい、さっさと説明すっぞ。つっても、今回もいつも通りだけどな」
 「え〜、じゃあまたお尻なの?」
 「最後尾って言えやカチュア。不満か?」
 「当たり前じゃん! 今回こそマークさんと一緒に戦いたかったのに〜」
 不満たらたらにカチュアが頬を膨らませる。エルンストは肩を竦めた。
 「ま、妥当な判断だろ。お前らまだ経験不足なんだ。ベテラン揃いの第一小隊と同じとこに放り込む訳にゃいかんさ」
 「そんなことないよ、ワタシ強いもん! 役立たずはハゲだけでしょ!?」
 「な、なな、何だとこの野郎! お、おお、俺は、や、役立たずじゃねぇ!」
 ドクが興奮して叫ぶが、カチュアも即座にやり返す。
 「何よ、被撃墜王のくせに! アンタみたいのがいるからワタシたち全員がへっぽこだと思われるんじゃない!」
 「こ、ここ、この……!」
 「へへん、言い返せないでしょハゲ! ホントのことだもんね。悔しかったら」
 「そこまでだ」
 少し強い口調で、エルンストは二人の口論を止めた。
 「とにかく、今回も俺達は先行する第一、第二小隊の後方に待機して、奴等が討ち漏らした敵を掃討する。いいな?」
 「だけどっ」
 「上の命令なんだよ、カチュア。ここは軍隊じゃねぇが、だからっつって規律や決まりごとがない訳じゃない。個人的な我が侭が通らないことだってある。分かるな?」
 「……分かんない」
 「カチュア」
 「分かんないもん! なによ、ワタシは早くマークさんの隣に行きたいのに、皆でそれを邪魔するんだから!」
 癇癪を起こしたように喚くと、カチュアは一方的に回線を切断した。エルンストはため息を吐いた。エリスが苦笑する。
 「確かにかなり自己中で我が侭な態度ですけど……カチュアちゃんは純粋ですから、言いたいことを言ってるだけだと思いますよ?」
 「分かってるさその上ガキだしな。ったく、何でこんなとこに来たんだか……」
 「マークさんを追いかけて、でしょう? 仕方ないですよ、本社のNT適性検査で史上最高の数値をたたき出したんですから」
 「何度も聞いたよ。ったく、とんでもねぇ大型新人が来るって聞いたから、どんなのかと思えばただのミーハーなガキだってんだからな」
 「あら、なかなか一途で素敵だと思いますよ、私は。これぞ恋の力って感じじゃないですか?」
 「恋の力ねぇ」
 「止めようよお姉ちゃん、隊長にそんなこと言ったって仕方ないよ」
 「レイチェル、隊長は人生経験豊富なんだから、恋愛経験の一つや二つ……いえ、ないかもしれないですね」
 「おいちょっと待て、何で俺の顔見て言うんだお前」
 「さ、そろそろ機体の最終チェックをしないと。レイチェルもちゃんとやっておくのよ?」
 「はーい」
 「それじゃ隊長、今回も頑張りましょうね」
 「へいへい」
 エリスとレイチェル、さらにシスの回線が閉じられる。
 急に静かになったコックピットの中、エルンストは静かに呟いた。
 「……エリス、俺が言ってるのはな。何でそんなガキが命を落とすかもしれない場所に来てんのかってことなんだよ。ったく、世の中この上ないぐらい異常だぜ。どいつもこいつもこぞって死にたがる」
 エルンストは目を細めて、張り付けある写真の表面をなぞる。そして気付いた。ドクがまだ回線を閉じていない。
 「どうした、ドク?」
 ドクは明らかに気落ちした様子で俯いていたが、やがて上目づかいにエルンストを見て、ぼそぼそと言った。
 「な、なあ隊長……俺、やっぱ役立たずかな……」
 「何だ突然」
 「や、やっぱそうだよな、カチュアもそう言ってるし、あんまりいい戦果上げられないし……俺なんかいない方が……」
 「おいおい、悪い方ばっかに考えんなよ。お前はよくやってくれてるさ」
 「……ほ、ホントか?」
 「ああ。俺が新兵のころなんかもっとひどかったさ。だからあんま気にすんなよ」
 「……そ、そうか……」
 少しだけドクの表情が明るくなる。
 その時、不意に通信が入った。全艦放送らしい。
 「全艦に通達いたします。本艦はあと五分ほどで作戦宙域に到着いたします。各小隊員は機体のチェックを怠らないように」
 こころなしか不機嫌そうなネリィの声。どうやらまだケイは仕事をする気がないらしい。エルンストはドクに向かって笑ってみせた。
 「ホラ、そろそろ出撃だ。今回もそれなりに頑張るとしようぜ」
 「……お、おう」
 「えー、なお」
 少しだけ引きつっているような、ネリィの声。
 「出撃前に当たって、督戦士官であるイワン・イワノフ少佐より激励の訓示を頂きます。各員は心して聞くように」
 通信回線を通して、ため息のような声や小さな舌打ちがいくつも聞こえてくる。ドクも嫌そうな顔をした。
 「お、俺、あのおっさんあんまり好きじゃない」
 「安心しろ、俺もだ」
 エルンストはドクに言い、
 「何で出撃前に士気を下げるような真似をするんだかな……」
 と、一人で毒づいた。
 少し経つと、スピーカーから涼やかで聞き心地のよい声が流れてきた。
 「艦内の皆様、艦長のエターナ・フレイルです。本艦は後五分ほどで作戦行動に入ります。作戦宙域では、既に駐留軍とデスアーミーの間で激しい戦闘が行われているとのことです。我々の任務は駐留軍と協力し、デスアーミーを全機撃破、あるいは撃退することです」
 そこで、声が柔らかくなる。
 「本艦は軍属ではありませんので、任務のために死ねとは言いません。給料分の仕事をこなし、一人も欠けることなく帰還されますよう、ブリッジよりお祈りいたします」
 通信回線を通して、いくつもの拍手と口笛の音が溢れ出した。エルンストは苦笑する。
 「相変わらず大人気だな艦長殿……」
 「では、続いてイワン・イワノフ少佐より訓示を頂きます」
 どこかうんざりしたようなネリィのアナウンス。先ほどまで鳴っていた拍手がぴたりと止んだ。代わりに舌打ちや低いブーイングが生まれる。
 「正直な奴等……」
 「えー、艦内の諸君、全地球連合宇宙軍第三艦隊所属、督戦士官のイワン・イワノフ少佐である」
 尊大かつ勿体ぶった、それでいて威厳を感じさせない声。督戦士官のイワン・イワノフ少佐のものだ。

 この艦……宇宙戦艦グランシャリオは、一民間企業Gジェネレーションに所属している。
 数年前まではMSの部品製造等を請け負う小会社に過ぎなかったこの企業は、新社長ブランド・ブリーズが就任して以降急激に勢力を伸ばし、現在では業界一、二を争う技術力と財力を保有しているとさえ言われている。
 その力に目をつけた地球連合政府は、デスアーミーの発生以降彼らと契約を結び、様々な特権を与えると同時に、軍事的な協力を約束させたのである。
 こうして、Gジェネレーション所属の私設軍隊Gジェネレーションズは、軍からの要請によってデスアーミー掃討戦に参加することとなったのである。グランシャリオに督戦士官という名目でイワン少佐が搭乗しているのには、そういった背景がある。
 スピーカーから、イワンの勿体ぶった咳払いと何か紙切れを取り出すような音が聞こえてきた。
 「あ〜、諸君。知っての通り、諸君らが所属するGジェネレーションは、地球連合軍総司令ガルン・ルーファス将軍のご厚意により、我が軍の傘下に加えられている。栄光ある地球連合軍の名に恥じない戦いをするように。敵は悪魔のデスアーミーだ。そんな者どもに我等の地球を破壊される訳にはいかん。諸君らには例え刺し違えてでも敵を倒す義務があるのだ。各員決死の覚悟で奮闘するように」
 明らかにただ文面を読み上げているだけだと分かる、棒読みで気合の足りない演説。
 「……ルセェんだよクソジジイが……」
 回線を通して、誰かの呟きが聞こえてくる。苛立ちを隠そうともしていない、怒りをはらんだ低い声音。第一小隊員のラナロウ・シェイドだ。髪を掻き毟るような音もわずかに混じっている。
 「落ち着きなさいラナロウ。戦闘前に心を乱しては命に関わりますよ」
 「分かってるよ隊長……でもなぁ、あの声聞くとイライラすんだよチクショウが!」
 第一小隊隊長ニキ・テイラーの制止も空しく、ラナロウの苛立ちは止まらない。髪を掻き毟る音と、未だに終わらないイワンの平坦な演説がオーバーラップする。
 こちらからブリッジに対しては回線が開いていないので、ラナロウの罵倒などは、あちらには届いていない。
 「ま、気持ちは分かるがね」
 ポツリとエルンストが呟いたとき、唐突に一枚の画像つきプライベートメールが届いた。「カチュアより愛を込めて」。開くと散々に落書きされたイワンの顔写真画像が出てきた。見事な不意打ち。
 エルンストが噴出すのとほぼ同時、一転して大爆笑の渦が回線を満たす。
 「……で、あるからして……む、おい艦長、何を笑ってるんだ?」
 「い、いえ、何でも……」
 スピーカーから流れてくるその声を聞くに、どうやらカチュアは艦内のほとんどの人間に同じメールを送りつけたらしい。イワンは気がついていないらしく、しつこくエターナを問い詰めていた。
 「最高だよカチュア」
 まだ笑いが収まりきっていない声で、ジュナスが言う。追従するようにいくつかの口笛が響いた。
 「督戦士官殿、ありがた〜いご高説はそこら辺にしといて頂けます? ……皆、そろそろ緊張しな。作戦宙域が近いよ」
 ケイ・ニムロッドの、内容に比べれば軽い口調の声。ようやく仕事をする気になったらしい。イワンは演説を途中で止めることに少し難色を示しながらも、結局のところ引き下がった。
 「グランシャリオはこの場に固定。各小隊は第一、第二、第三小隊の順で順次発進してください。戦闘員の皆さん一人一人が、冥府の神に嫌われていることを願います」
 エターナの声が、深く静かに、物語の序文を謳いあげるように響き渡った。
 「Gジェネレーションズ第一部隊、グランシャリオ隊……現時刻を持って、作戦を開始いたします」
 「第一小隊、了解いたしました。必ず勝利の報告を持って全員帰還します」
 「第二小隊も了解だ。お望みとあらば化け物共を一匹残らずミンチにしてやる」
 「第三小隊、右に同じ。ま……死なない範囲でせいぜい気張らせてもらおうかね」
 各隊の小隊長たちが応えるのに合わせて、艦内が目まぐるしく動き出す。
 「それじゃ、第一小隊から出撃を開始してよ。大丈夫だとは思うけど、急ぎすぎて機体同士でガッツンコなんて間抜けな真似はよしとくれよ」
 「んなミスを俺がするとでも思ってんのか? ナメんじゃねぇよ。今日の一番乗りも第一小隊のラナロウ・シェイドがもらうぜ!」
 ケイのアナウンスと、ラナロウの上機嫌な声。MS用カタパルトに直結したエレベーターが起動し、ラナロウ搭乗のギャプランがデッキから姿を消す。数秒後、
 「ヒャッホーッゥ!」
 というノリに乗った叫び声が聞こえてきて、エルンストは苦笑した。
 「相変わらず戦闘になると元気になるんだな、あいつは……」
 続いてエイブラムのドーベンウルフ、ブラッドのザクL、そしてマークのスーパーガンダムが次々と出撃した。続けてニキ搭乗のガンダムMKMもエレベーターまで移動したが、カタパルトに上がる直前にニキがエルフリーデに通信をいれた。
 「エルフリーデ、何をしているのです? 早くカタパルトに上がりなさい」
 「精神統一中だ。邪魔をするな」
 短く、素っ気無い返答。立場を無視した言葉だったが、ニキは特に怒りを見せなかった。
 「分かりました。では出撃のタイミングはそちらに任せます。第一小隊隊長ニキ・テイラー、ガンダムMKM、出ます!」
 エルフリーデを除く第一小隊員が全員出撃した後、次に三基あるエレベーターに向かって移動し始めたのは、第二小隊隊長のジェシカ機だった。
 「さて、第二小隊もすぐに出るぞ。今回も泥人形どもを一匹残らず塵にしてやる」
 「……見る度に思うことだけどさ、あれ程隊長に似合う機体もなかなかないよな」
 「そうだね。でもそういうのは回線開きっぱなしで言うことじゃないと思うんだ」
 気合満タンで宣言するジェシカの影で、囁きあうのはジュナスとシェルドだ。二人の視線は、スクリーンに映ったミンチ・ドリル……ジェシカ機イーゲルの右腕武装に向けられているらしい。
 そのイーゲルの横をすり抜けて、精神統一を終えたらしいエルフリーデ機が歩み出てくる。
 「……フン、相変わらずふざけた機体だ」
 ジェシカが毒づく。
 「侮辱するつもりか? ふざけているのはキサマの機体の方だろう」
 言い返すエルフリーデの声は、冷静な口調ながらも隠し切れない怒気をはらんでいる。
 答えるように、ジェシカのイーゲルが、エレベーターの前でエルフリーデ機に向き直る。ミンチ・ドリルが持ち上げられた。
 「ほう……面白い。子鬼どもの前にキサマをグシャグシャにしてやろうか?」
 「出来るものならやってみろ。その無粋な機体もろとも真っ二つにしてやる」
 エルフリーデ機もまた、自機の腰部につけられている武器に手をかける。一触即発。
 「でも、どっちも面白い機体であることに変わりはないよな」
 「聞こえてるってばジュナス」
 全く慌てていないジュナスとシェルドの機体は、イーゲルとエルフリーデ機……ナイトガンダムの対峙をのん気に傍観している。
 さながら金棒を持った大鬼のごときイーゲルと、騎士を模したナイトガンダムのにらみ合いに割って入ったのは、全身を金色に塗りたくった機体だった。
 「ハッハーッ、美女二人の戦いに割って入るイケメンな俺」
 「邪魔だ」
 ジェシカとエルフリーデの冷たい声が重なる。その真ん中で、サエンの機体である百式は器用に肩を竦めてみせた。
 「そんなつれないこと言わないでよ隊長もエルフィーも」
 「黙れ。今日こそはこいつのスカした面を潰してやらんことにはアタシの気が収まらん」
 「癪に触るが同意だ。今日こそそいつの脳に品性という言葉を刻んでやる。ついでに変な相性で呼ぶな」
 「まあまあ。んじゃさ、撃墜数で勝敗を決めるってのはどう? それなら公平じゃん」
 緊張を解かない二機の間で、百式が右手の人差し指を立てる。
 「相変わらず無駄に器用ですよねサエンさん……」
 ショウが呆れた。それに向けて百式が親指を立てる。イーゲルとナイトガンダムは黙って向き合っていたが、その内にブリッジから怒声が届いた。
 「どうでもいいですから早く発進してくださいまし! 今は戦闘中ですわよ!? ケイさんも黙ってないで注意なさい!」
 「えー、面白いんだけどなぁ。ま、いいや。ちゃっちゃと発進してよ二人とも。後ろがつかえてるからさ」
 ジェシカとエルフリーデはなおも沈黙していたが、やがて互いに親指を逆立て合うと、黙々と三基のエレベーターの両脇に立った。真ん中にはサエンの百式が陣取る。
 「何つーか、グランシャリオ隊イロモノ三人組勢ぞろいって感じだよな」
 「ジュナス、そろそろ怒られると思うよ」
 「第二小隊の全員、念のため言っておく」
 シェルドの警告が終わらない内に、ジェシカは声を低くして宣言した。
 「今回の戦闘で落とされたもの、撃墜数が一番低かった者にはアタシ自ら再教育を施してやるからそのつもりでいろ」
 「ゲェッ!?」
 ジュナスが潰れたカエルのような声を上げる。エルフリーデは無言。サエンだけが上機嫌で鼻歌を歌っていた。
 「いいねいいね、両手に花って感じで俺にピッタリだ」
 「口閉じなよサエン、舌噛むよ」
 「ヨッ、相変わらずいい声だねケイちゃん。今度ベッドで聞かせてうぎゃあ」
 台詞が終わる前に、ケイがエレベーターを起動させてサエンを射出した。ジェシカとエルフリーデも順次カタパルトに上る。
 「あーあ、また面倒なことになったなぁ……」
 「口は災いの元って訳でもないだろうけど」
 ため息混じりに機体を移動させたのは、ジュナスとシェルドだ。
 「よーし、こうなったら何としてでも撃墜数稼いでお仕置きを回避しないとな!」
 「ま、落とされないように頑張ろうよ」
 ジュナスのスターク・ジェガンとシェルドのジム・カスタム高機動型が揃ってエレベーターに立つ。
 「おーいショウ、早く来いよ」
 「ハ、ハイ」
 ショウの駆るガンダムNT1の動きがどこかぎこちない。後ろからノーランのゼク・ツヴァイが追いついた。
 「どうしたんだい坊や。そんな動きじゃ落とされちまうよ?」
 「あ……す、すいませんノーランさん。前の戦闘のこと思い出したら急に緊張してきちゃって」
 「あー……そういや、前回のお仕置き対象はあんただったっけね。大丈夫さ、あたしも出来るだけフォローするから、な?」
 「はい……」
 ショウの操縦は硬いままだったが、それでもとりあえず発進準備は完了し、第二小隊の三人組は揃って出撃していった。
 「やれやれ……じゃ、アタシも行こうかね。第三小隊の皆、しんがりはよろしく頼むよ」
 「了解」
 応じたエルンスト機に軽く敬礼し、ゼク・ツヴァイの姿がデッキから消える。

 「よーし、そんじゃ第三小隊もぼちぼち出撃するぞ。先頭はエリスとレイチェルとシス、カチュアとドクはその後ろ。俺も後方からついてく」
 「了解。行きましょう、レイチェル、シスちゃん」
 「うん、お姉ちゃん」
 「はい」
 エリスのリ・ガズィとレイチェルのサイコ・ドーガ、シスのブルーディスティニー一号機が動き出す。
 「ちょっと隊長! ワタシも先頭がいいんだけど!」
 エルンスト機のスクリーンに、カチュアの怒った顔のアップが映りこむ。エルンストは片手を振った
 「ダメダメ。んなことしたらお前勝手に先行してマークに追いつこうとするだろうが。だろ?」
 「う〜」
 カチュアが頬を膨らませている間に、エリスたちはさっさと出て行ったようだ。
 「ホラ、拗ねてないで行くぞ。ドクも準備いいか?」
 「お、おう」
 「トローい! ドクなんかほっといて早く出ようよ!」
 「な、何だとこの」
 「ホラ、騒いでる暇があったらさっさと出るぞ、ったく……」
 エルンストのEz8・HMCを中心に、カチュアのバギ・ドーガとドクのギラ・ドーガがエレベーターに並ぶ。
 「んじゃ、第三小隊も出るぜ。艦内の皆さん、お留守番はしっかり頼むよ」
 「ブリッジ了解。ま、帰ってきたときに三時のおやつが残ってることを祈っとくんだね」
 ケイが気楽に答えて、エレベーターが上昇し始める。数瞬後、エルンスト機のスクリーンにはどこまでも深い星の海が映っていた。静かで冷たい闇の中、ずっと遠くで激しい戦闘の光芒が煌いている。エルンストは目を細めた。
 「……あんなことがあっても、俺はまだこんなところにいる、か……また来ちまったよ、皆」
 エルンストはコックピット内の写真をゆっくり指で撫でた後、軽く息を吐いて前方を見据えた。カタパルトが起動し、加速によるGが全身を襲う。Ez8・HMCは戦火渦巻く宇宙にその身を躍らせた。
 周囲を見回すEZ8のすぐ近くに、カチュアのバギ・ドーガとドクのギラ・ドーガの機影が現れる。
 「二人とも、無事に出たか?」
 「おう」
 「当ったり前じゃん。それより隊長、敵はどこ?」
 うずうずしているようなカチュアの声に合わせて、バギ・ドーガのモノアイも目まぐるしく左右に動く。
 「この辺にはもういないみたいだな。一隊と二隊の連中が張り切ったんだろうさ」
 目の前に無数の機体の残骸が漂っているのを見て、エルンストが答える。
 「案外、俺らの仕事はもうないかもな」
 「えぇ〜!?」
 カチュアが不満の声を上げるのとほぼ同時に、少し離れた場所に浮いていた隕石の陰で何かが動いた。
 反射的ともいえる早さで、エルンストの手が動く。Ez−8が発射したビームライフルの光が、飛び出したデスアーミーの胴体を貫いた。
 逆方向に飛び出した二機は、既にカチュアの手で撃墜されていた。左はビームライフルで打ち抜かれ、右はビットによる多角攻撃を受けて沈んだ。
 「お見事……」
 エルンストは口笛を吹いた。
 バッタのような特殊な形をしたビットがバギ・ドーガに収容されるのと同時に、エルンスト機のスクリーンにVサインを作ったカチュアが現れる。
 「えっへん! どう隊長、見てた? ワタシの大活躍!」
 「コラ、油断すんのはまだ早ぇぞ。敵さんがどこに隠れてるか分かったもんじゃ」
 「ううん、この辺にはもういないよ」
 迷いなく、カチュアが言い切る。エルンストは片眉を上げた。
 「自信満々だな? 根拠は?」
 「ないよそんなの。でもいないもん」
 「あのなお前」
 「うるさいなー! いないったらいないの!」
 少し怒ったように、カチュアは頬を膨らます。エルンストは腕組みした。デスアーミーの残骸を見やる。
 デスアーミーはどこから出てくるか分からない。それらが活動を開始して数年も経とうというのに、出現場所の予測すらロクに出来ないのが現状だ。ミノフスキー粒子の影響もあり、彼らの存在を完全に把握するのは不可能と言っても過言ではないのだ。
 (だってのに、こいつはそれを一瞬で見抜きやがったのか……?)
 カチュアは拗ねたようにそっぽを向いている。エルンストは目を細めた。
 「ニュータイプ……こういうのが?」
 「え、なに?」
 「何でもない。ま、いつまでもこんなとこにいても仕方ないしな。カチュアの勘を信じて、行くとすっか」
 カチュアの顔が一転して明るくなった。目が輝いている。
 「じゃあさ、第一小隊と……」
 「先行してるエリスたちと合流すっぞ。ドクもいいな」
 「お、おう」
 カチュアの頬が不満げに膨らんだ。機体を前方に移動させながら、エルンストは苦笑を返す。
 「そうぶーぶー言うなよ。大体、今から行ったって俺らの出る幕はねぇよ。あいつらは天下の第一小隊だぜ?」
 「違うもん! そんなの、全然関係ないの! ワタシはマークさんの傍がいいの!」
 カチュアとドクも後ろから追いついてきた。エルンストはため息を吐いた。
 「あのなぁ、お前時と場所を考えろよな。マークにベタベタすんのは艦内でも出来んだろうが」
 「それじゃ意味ないもん」
 「はぁ?」
 エルンストが眉根を寄せる。ドクがどこか遠慮がちに口を挟んだ。
 「そ、そういえば、いっつもはあんまりマークの近くに行かねぇよな、カチュア」
 「……そう言われりゃそうだな。っつーか戦闘のときだけだよな、マークの傍に行きたがるの。何でだ?」
 「それは……うーんとね」
 カチュアは小さな体を丸め込むようにして腕を組み、数秒一生懸命考えていたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。
 「匂いがするの」
 「匂い?」
 「そう、匂い。だから宇宙じゃなきゃダメなの!」
 カチュアはすっかり満足した表情で頷いたが、エルンストは少しも納得できなかった。
 「全然分かんねぇよ。匂いってお前……宇宙じゃますますそんなもん分かんねぇだろ?」
 「だって、宇宙って何にもないじゃん」
 「何にもない?」
 「そう、だから分かるの、マークさんの匂い」
 エルンストの視線が、戦友たちを映した写真に向けられた。
 「何にもないから、感覚がクリアになる?」
 「そんな難しいのじゃないよ。でも、艦の中でマークさんに会ったときは分かんなかったんだもん」
 「匂いが?」
 「うん! でもきっと、宇宙なら分かるって思ったの。だから宇宙でマークさんに会うの」
 「宇宙じゃないと分からない……?」
 「そう。宇宙って凄いんだよ。心を広げれば何でも伝わるの」
 エルンスト機のスクリーンに映ったカチュアが、狭いコックピットの中で大きく両手を広げる。
 「こうしてるだけで、いろんなものがワタシを通り抜けていくの……隊長も分かるでしょ?」
 ゆりかごに揺られて夢を見ているような、うっとりとしたカチュアの笑顔。
 エルンストは、自分の指が写真のある部分だけを繰り返し撫でていたことに気がついた。
 頭の奥で太陽が生まれたように、意識が熱を帯びてひどくぼやける。
 「なあ、カチュア」
 絞り出した声が、わずかに震えていた。
 「なあに?」
 「マークの匂いっての……どんな感じなんだ?」
 「え? うーんとね……」
 カチュアは少し首を傾げたが、言葉はすぐに見つかったようだ。
 「懐かしいの」
 「懐かしい……」
 「うん。それに、あったかい。一度も会ったことないのに、知ってる匂いがしたの。だから、マークさんに会いたいって思ったの」
 カチュアの言葉には、澱みも迷いもない。エルンストは無言で彼女の微笑を見ていた。
 「……な、なあ、俺、全然分かんなかったんだけどよ……」
 小さな声で自信なさそうに、ドクが言う。カチュアは小馬鹿にしたように笑った。
 「フフン。そりゃそうだよ、あんたバカだもん。だからハゲなのよ」
 「な、な、何だと!? そ、それとこれとは、か、関係ねぇじゃねぇか!」
 「うっさいよハゲ」
 「ハゲって言うなチビ!」
 「何よこの……あれ、どうしたの隊長ボーッとしちゃって?」
 カチュアが首を傾げた。
 「あ……いや、何でもない」
 エルンストは慌てて手を振ると、気を取り直すように軽く咳払いした。
 「あー、で、何だったか……そうそう、さっさとエリスたちと合流するとしようぜ。なに、第一小隊の奴等だって戦い終わったらグランシャリオに戻るんだ。その途中で多分マークにだって会えるさ」
 「ホント!?」
 「ま、保証は出来ねぇけどな」
 「やったぁ! 隊長、早くエリスちゃんたちに追いつこうよ!」
 バギ・ドーガが加速し、少し離れたところで踊るように反転した。モノアイがはしゃぐような光を放つ。
 「ホラ、隊長早く早く!」
 エルンストは苦笑しながら、写真に映っている戦友の内、一人の顔を指で弾いた。
 「ったく、これだからなぁ……おい、元気すぎて俺の手には負えねぇぜ? そういうとこだけは……」
 「な、なぁ、隊長……」
 「ん?」
 明らかに沈んだ声。顔を上げると、俯いたドクがスクリーンに映っていた。
 「どうした?」
 「や、やっぱ俺ダメなんじゃねぇかな……」
 「いきなり何だよ」
 「だ、だって、さっきだって隊長とカチュアはすぐに敵倒したのに、俺なんか……」
 「あのな、そういちいち落ち込むなよ」
 「でもさ……」
 「別に構わないだろ、敵倒せればよ。他の奴がやれるんだ、無理してお前がやる必要はないよ」
 「だけどよぉ……カチュアなんて俺よりずっとガキなのに……」
 「そんなの関係ないよ。いいか、さっきはたまたま俺とカチュアが早く動いた。それで敵倒せた。お前の出番じゃなかったんだ。な? それでいいだろ」 
 まだ納得がいかなそうなドクに、エルンストは苦笑した。
 「ま、不安なのは分かるがな……ドク、確かに、お前に出来ないことはたくさんある。だが、出来ることだってあるんだ」
 「……たとえば?」
 「それは俺には分からんさ。いや、お前にだって分からんかもしれない。でもな」
 エルンストは、怯えているようなドクの目を見つめながら言った。
 「出来る、と心の底から確信する瞬間が、必ず来る。そういう時は、余計なことを考えずにそれだけを信じて行動するんだ。そうすりゃきっと出来る。分かるか?」
 「……出来る、と心の底から確信する瞬間……」
 ドクの瞳が、初めて光を目にしたような色を帯びる。彼の口からもう一度その言葉が繰り返されたとき、先行していたカチュアから突然通信が入った。
 「隊長、何か大変なことになってるみたいだよ!」

 時は少し前にさかのぼる。
 エルンストたちよりも先に出撃したエリスらは、第一、第二小隊の通った後を辿るように移動していた。
 「……そこっ!」
 人工衛星の残骸の陰に隠れていたデスアーミーを、リ・ガズィのビームライフルが撃ち抜く。胸部を破壊されたデスアーミーのモノアイが消え失せ、機体が沈黙する。
 「今ので五機目です」
 無機質な声で、シスが確認する。エリスは頷いた。
 「そうね。シスちゃん、周囲に敵影はありますか?」
 「ないと思います」
 「他の皆がやっつけちゃったのかな?」
 あまり緊張感の感じられない声。レイチェルはリラックスしているようだった。答えるように、BD一号機の頭部が左右に動く。
 「おそらく。デスアーミーの残骸らしき物が多数ありますから」
 「あ、ホントだ。気付かなかったよ」
 サイコ・ドーガのモノアイが揺れ動き、レイチェルがコックピットの中でデスアーミーの欠片の一つを指差した。
 「多分、あのバラバラになってるのはジェシカ隊長が壊したんじゃない? あの両方から一辺に撃たれてるのはニキ隊長のインコムでしょ。溶けかけてるのはサエンの百式かエイブラムのウルフな。それに……」
 楽しそうに破壊者の名を推測していくレイチェルを横目でそっと見やり、エリスは安堵したようにほっと息を吐いた。


 「……良かった。これならあまり危ない目に遭わずに済みそうね」
 「そうですね」
 警戒の姿勢は崩さないながら、シスも同意する。
 「とりあえず、先へ進みましょう。多分大丈夫だと思うけど、二人とも、油断はしないようにね」
 前方やデブリの陰に気を配りながら、三機が動き始める。少し進んだところで、レイチェルがはしゃいだ声を上げた。
 「でも、やっぱりお姉ちゃんすごいよね。ワタシとシスには分かんない敵にも気付くんだもん」
 何ら含みのない、無邪気な賞賛。エリスの顔に柔らかい微笑みが浮かぶ。
 「ありがとう。でもね、そんなの本当は誰にでも出来ることなのよ」
 「ワタシにも?」
 「ええ、もちろん。こういうの、きっと誰にでも備わっている力よ。ただ気付かないだけで……それよりもレイチェル、大丈夫?」
 エリスの声音に不安が混じる。
 「何が?」
 「ホラ、何度かファンネルを使ってたから……気持ち悪くない?」
 「大丈夫だよ」
 「本当? 無理することないのよ? 頭が痛いとか、吐き気がするとか……」
 「大丈夫!」
 それを示すように、スクリーンに映ったレイチェルが満面の笑みを浮かべる。
 「だって、お姉ちゃんが傍にいてくれるんだもん。だからワタシ、もし気持ち悪くったって我慢できるよ! お姉ちゃんがいてくれれば、何があってもへっちゃら!」
 そう言って、レイチェルは力強く拳を上げる。エリスの微笑みが、ほんの少しだけ哀しい色を纏った。
 「そう……でも、気持ち悪くなったら我慢しないでワタシに言うのよ?」
 「うん」
 「レイチェルが痛かったり、苦しかったり……そういうの、お姉ちゃんも嫌なんだから、ね?」
 「うん、ありがとう、お姉ちゃん!」
 生まれて間もない赤子のような、無垢な笑顔。哀しみを宿したエリスの瞳に、涙が浮かぶ。それを誤魔化すように、エリスはシスに尋ねた。
 「シスちゃん、先行している皆から連絡は……シスちゃん?」
 「……え? あ……」
 二人の様子を呆けたように見つめていたシスが、慌てて手を動かし始める。顔が少し赤い。
 「……通信、ありました」
 「何て?」
 「戦闘宙域の中央に存在していたデスボールは、既に撃破されたそうです」
 デスボールとは、デスアーミー出現に先立ってまず現れる、球状金属質の謎の物体である。これはデスアーミーの指揮官のような役割を果たしているらしく、排除されると同時にデスアーミーの増援もストップする。そのため、デスアーミー襲撃の際にはまずこれを撃破することが最優先目標とされる場合が多い。
 さらにシスは続けた。
 「第一、第二小隊の皆さんは、周辺宙域の残存敵機を駐留軍に任せ、グランシャリオへの帰還コース付近の敵を掃討しながら帰還中、だそうです」
 エリスは眉をひそめた。
 「帰還コース、付近?」
 「はい。今回、先行した二小隊は、戦闘宙域の中心に向かって直進するコースを取ってデスボールを撃破しましたが、その結果……宙域図で見ると右よりのエリアに、多数のデスアーミーが残っているそうです」
 「そう……」
 エリスは目を閉じて数秒黙った後、レイチェルとシスに指示を出した。
 「私たちも第一、第二小隊に合流しましょう」
 「エルンスト隊長たちは待たなくていいの?」
 レイチェルが首を傾げる。エリスは首を横に振った。
 「隊長と合流するのを待っていたら、少し時間がかかりすぎると思うの。急いで行けば、もしかしたらデスアーミーを挟み撃ちに出来るかもしれないでしょう?」
 「そっか。うん、分かったよ」
 「それじゃシスちゃん、エルンスト隊長に通信を送ってくれる?」
 「はい」
 シスが通信を試みる。不意に、レイチェルが尋ねた。
 「ねえシス、デスボールをやっつけたのって、誰?」
 「ジェシカ隊長とエルフリーデさんだって……ミンチ・ドリルとランス、どっちが届くのが早かったかで喧嘩になりかけてて大変だって、ジュナスさんが言ってた」
 作業の手は休めず、シスが答える。レイチェルは声を上げて笑った。
 それを見たエリスの顔にも、苦笑めいた微笑が浮かぶ。しかし次の瞬間、エリスの目が鋭く、サイコ・ドーガの後方に向けられた。
 「来る……!? レイチェル!」
 「え?」
 突然のことに、レイチェルもシスも反応しきれない。エリスはほとんど反射的にリ・ガズィを突出させる。そして、白い軌跡が宇宙の闇を切り裂いた。

 エルンストたちがカチュアの誘導で到着したのは、戦闘の中心からはかなり離れた宙域だった。
 エリスのリ・ガズィに寄り添うように、サイコ・ドーガとBD一号機が並んでいた。
 「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
 恐慌に青ざめた、レイチェルの泣き声。目の前に広がる光景に、エルンストやカチュアも口を閉ざしている。
 「ドク」
 「……あ、ああ?」
 「周囲の警戒を頼む。……ボケッとすんな。エリスでさえこうなったんだ、気を抜いたら一瞬でお陀仏だぜ」
 「……お、おう」
 「よし、じゃあ任せたぞ。カチュアも反対側を見張ってくれ」
 「……うん」
 口調の固いエルンストの命令を受けて、戸惑いを隠しきれない動きで、ドクとカチュアが少し離れた場所に待機する。
 それを確認してから、エルンストはエリスらに向き直った。
 「お姉ちゃん、やだよ、お姉ちゃん、返事してよ! お姉ちゃん!」
 恐怖を隠そうともせず、レイチェルが泣き叫ぶ。エルンストは隣で待機していたシス機との通信回線を開いた。
 「シス、何があった?」
 リ・ガズィは、見るも無残な状態だった。右足が吹き飛ばされ、頭部の一部も破損している。コックピットが存在する胸部にダメージはないようだったが、エリスからの返答がなかった。
 「実は……」
 シスが説明を始めた。
 あの後、急接近してきた謎の白い機体は、レイチェル機に向かって突進した。それを一早く察知したエリスがレイチェルをかばったのだ。
 「白い機体?」
 「はい。識別コードも登録されていませんでしたから、恐らく未確認の……デスアーミーだと思われます」
 デスアーミーにもいくつか種類がある。頻繁に宇宙に出現するのは、金棒を持った子鬼とも言うべき、通常タイプのデスアーミー。その中心に位置するのが、指揮官と認識されている、球形のデスボール。その他、過去数回だけ地上に現れたデスアーミーの中には、潜水可能タイプや飛行可能タイプも混じっていたらしい。
 「新たなデスアーミー、か」
 エルンストは半壊したリ・ガズィに視線をやった。
 「かなり強力な奴らしいな」
 「はい。凄い速度で……ワタシやレイチェルには捕捉できませんでした」
 「で、今そいつは?」
 「リ・ガズィを交錯と同時に破壊した後、戦闘宙域外の方向へ一直線に飛んでいきました」
 「ふうむ」
 エルンストは唸った。試しに回線を開こうとしてみたが、通信装置が故障しているらしく、応答がない。数秒間の黙考。その間も、レイチェルの泣き声が途切れることなく響いていた。
 「ま、とりあえず」
 小さなため息が漏れた。
 「リ・ガズィをけん引して艦まで戻ろう」
 「大丈夫でしょうか?」
 シスの声から、わずかながら不安の色が感じられた。エルンストは安心させるように微笑んだ。
 「エリスのことなら大丈夫。コックピットに傷はついてないんだ、多分ぶつけられたときのショックで気絶してるんだろうさ。一応精密検査受けた方がいいだろうがな」
 「命に別状はない、と?」
 「ああ……むしろ、その謎の機体とやらの方が問題だろうな。ま、ここまで話し込んでても戻ってこねぇんだから、大丈夫だとは思うが、な」
 「……分かりました」
 シスが黙礼する。エルンストはもう一度リ・ガズィに目をやった。
 (コックピットに破片が飛び込んでなきゃ大丈夫だろうが……早めに戻った方がいいな)
  エルンストは周辺を警戒していたカチュアとドクに呼びかけた。
 「カチュア、ドク。艦に戻るぞ。リ・ガズィは俺とシスで抱えてくから、お前らはこっちとの相対距離を保ったままついてきてくれ」
 「お、おう」
 「はーい……レイチェル!?」
 元気よく返事をしかけたカチュアが、突然強張った叫び声を上げた。エルンストはその場でレイチェル機の方に振り向く。レイチェルの泣き声が聞こえなくなっていたことに、ようやく気付いた。
 「レイチェル……どうし……!?」
 言いかけたエルンストの耳が、小さな呟きのような声をとらえた。
 「……お姉ちゃん、やだよ、いなくならないで、おいてかないで、一人にしないで、恐いよ、恐いよぉ……助けて、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん……!」
 その場の全員が硬直する。スクリーンに映る、生気の欠けたレイチェルの泣き顔。追い詰められた人間のほの暗い狂気が、瞳に揺らめいている。
 エルンストの背中がゾクリと震えた。嫌な汗がこめかみを滑り落ちる。エルンストは叫んだ。
 「皆、散……!」
 「いやだァァァァァァ――ッ!!」
 レイチェルの絶叫。突如としてサイコ・ドーガから飛び出した無数のファンネルが、一斉に砲火を放つ。吹き荒れるビームの嵐が、周囲に存在していた全機を襲った。三つの短い悲鳴。BD一号機の肩アーマーを火線が掠め、ギラ・ドーガのシールドが吹き飛ばされる。
 「隠れろ!」
 間一髪で避けながら、エルンストが鋭く指示を飛ばす。全員が慌てて近くの小隕石やデブリの陰に身を隠した。
 「ど、どど、どうなってんだ隊長!? あれ、レイチェルだろ、な、何でこっちに」
 混乱しきったドクの声。エルンストは叱咤で返した。
 「うるせえ! そうなってんだよ! 死にたくなきゃ黙って避けるのに専念しろ!」
 人口衛星の残骸の陰から、そっとレイチェル機の様子を窺う。
 サイコ・ドーガの周囲を、いくつものファンネルがパニックを起こしたように飛び交い、ひっきりなしにビームを乱射している。目標も狙いもない、でたらめな方向に向けて。
 「混乱してるのか……? おい、レイチェル!」
 「やだよぉ……恐いよぉ……お姉ちゃん……」
 幼子のように泣きじゃくるレイチェルの声。いつの間にかヘルメットを外し、体を丸めて耳を塞いでいる。エルンストは舌打ちした。
 「ねぇ……隊長、レイチェル、どうしたの……?」
 怯えたように声を震わせ、カチュアが問いかけてくる。彼女の顔も青ざめていた。
 「分かるの。レイチェル、すごく怖がってる。助けてあげてよ、隊長。レイチェル、かわいそうだよ……」
 カチュアの声が上ずり始める。それをなだめながら、エルンストはシスに通信を入れた。
 「シス、聞こえるか?」
 「はい……隊長、あれは……」
 「……強化の弊害、って奴だろうな。俺も見るのは初めてだが……」
 シスがハッと息を飲んだ。エルンストが目を逸らす。
 「無理矢理脳味噌いじくりやがって。胸糞悪いぜ、クソッ」
 エルンストは吐き捨て、苛立ち紛れにコックピットの壁を蹴った。
 「どうすれば……」
 迷うように、シスが顔を伏せる。エルンストは歯切れ悪く答えた。
 「サイコ・ドーガのエネルギーだって無限じゃない。ほっときゃその内止まるだろうが……」
 「でも、それではレイチェルに負担が」
 「ああ。多分、ファンネルの前にレイチェルの精神に限界が来る」
 「そしたら、どうなるの……?」
 恐れるように、カチュアが問いかける。エルンストは何かに耐えるように奥歯を強く噛んだ。
 「簡単なこった。限界を迎えた精神は、壊れる。そしてレイチェルは廃人になっちまうだろう。食事すら一人じゃ出来なくなり、自分が誰なのかすら忘れたまんま、一生ベッドの上で過ごすことになる」
 「や、ヤベェじゃねぇかよ、それ!」
 「そんなの絶対イヤ!」
 ドクとカチュアの声が重なる。エルンストは辛そうに顔を歪め、コックピットの写真に触れながら頷いた。
 「そうだ、そんなの絶対に許されることじゃない。大丈夫だ、絶対に助けてみせる。そう、絶対だ……」
 「隊長……?」
 思いつめたように呟くエルンストを見て、シスが不思議そうに呼びかける。しかし、次の瞬間シスは驚愕したように叫んだ。
 「隊長! サイコ・ドーガの後方からデスアーミーが!」
 「何だと!?」
 エルンストはサイコ・ドーガを振り仰ぐ。シスの言うとおり、サイコ・ドーガの後方からデスアーミーらしき機影が迫りつつあった。
 「馬鹿な、デスボールは撃破されたんだろうが!?」
 「そのはずです!」
 会話している内にも、デスアーミーの影はどんどん大きくなっていく。そして、先頭の一機が金棒型ビームライフルを撃った。
 「避けろ、レイチェル!」
 レイチェルは答えない。光条はサイコ・ドーガの肩を掠めた。
 「な、なに!?」
 レイチェルが全身を震わせながら顔を上げ、怯えた様子で左右を見回す。そして、迫るデスアーミーを見て恐怖に目を見開いた。
 「いやぁぁぁ! 来ないで、来ないでぇぇぇ!」
 振り絞るような悲鳴と共に、ファンネルがデスアーミー目掛けて飛んで行き、先頭集団を残らず撃墜する。エルンストは飛び出しかけたが、ファンネルのビームが向かってきたのでまた引っ込んだ。近付く物全てを敵とみなしているらしい。
 「クソがっ、これじゃ近づけねぇ!」
 「え、エリスはまだ起きないのかよ!?」
 ドクの問いかけ。エルンストは首を振った。
 「ダメだ、応答がない。チクショウ、何か手はないのかよ……!?」
 エルンストが無力さに膝を叩いたとき、黙っていたシスが、決意したように口を開いた。
 「……隊長、システムを起動させます」
 「なっ」
 「許可を」
 「危険だ!」
 「でも、他に手はないでしょう?」
 「だからってお前……ここにはカチュアだってエリスだって、レイチェルだっているんだぞ!」
 「シス、何か方法があるの?」
 カチュアが必死に問いかける。シスは目を伏せた。
 「うん……でも、ひょっとしたらカチュアも危ないかもしれないけれど」
 「そんなのどうだっていいよ、レイチェルを助けてあげて! あんなに苦しんでるの、もう見てられないよ!」
 「お、俺からも頼むぜ!」
 カチュアが何度も頷き、ドクも興奮して叫ぶ。シスは、迷うように唇を噛んでいたエルンストに、改めて向き直った。
 「隊長」
 「……分かった。だが、危ないと思ったらすぐにシステムを停止させて戻ってくるんだ。いいな?」
 「……はい。ありがとうございます」
 徐々に小隕石の裏側から出て行くシスのBD一号機を見つめ、エルンストは歯噛みした。
 「クソッ、これ以外に方法がないのかよ……!?」
 「いーや、あるぜ!」
 唐突に、新たな声が通信回線に割って入った。聞き覚えのある軽薄な声に、エルンストが顔を上げる。
 「ヒャッホ――ッ!」
 サイコ・ドーガを取り囲むデスアーミーを、ビームライフルの乱射で正確に撃ち抜きながら、金色に輝く機体が宇宙を駆ける。
 「サエンか!?」
 「ご名答!」
 デスアーミーとサイコ・ドーガのファンネルが放つビームを器用に避けながら、百式はアクロバットな軌道を描いて滑る。そんなことをやってのけながら、スクリーンに現れたサエンはウインクする余裕を見せた。
 「お前、何でこんなとこに」
 「いやぁ、ジェシカ隊長のお尻眺めてたらさぁ、レイチェルちゃんの泣き声が聞こえたんだよねぇ。で、飛んできたって訳」
 「聞こえたって、お前、どんだけ離れてると」
 言いかけて、エルンストはハッとカチュアのバギ・ドーガを見た。
 「まさか、お前も」
 「その通り! この俺、サエン・コジマはニュータイプ! 時代の最先端を華麗に駆ける、宇宙一の色男だぜ!」
 予測不能な滅茶苦茶な動きで敵機を翻弄しながら、百式が立て続けにビームライフルの引き金を引く。闇を切り裂くビームの光が、一機残らずデスアーミーを貫いた。空になったライフルを投げ捨てたサエン機は、ビームサーベルを引き抜いてサイコ・ドーガに向かって突進した。
 「来るなァ――ッ!」
 ファンネルが、接近する百式目掛けて一斉にビームを放つ。錯乱したレイチェルの叫びに、サエンは、いつもの軽い笑いを浮かべてみせた。
 「そんなに嫌がんなくてもいいじゃない。だけどそんなところがまた、俺のハートをガッチリキャッチだぜ!」
 数条のビームを以てしても、百式を捕らえることはできない。一瞬動きを停止させたファンネルを、百式はすれ違い様に全て斬り捨てた。
 「凄い……」
 その光景を、第三小隊の面々はただ呆然と見守るしかない。やがてカチュアがポツリと呟いた。
 「サエンって、ただの変態じゃなかったんだ……」
 「どうよ、惚れ直したでしょカチュアちゃん? 感動のあまりムチューッとキスして抱きついてもいいぜ」
 「それはイヤ」
 「つれないなぁ……っと」
 無駄口を叩きながらも、サエンは百式をサイコ・ドーガに取り付かせる。
 「やだ、やだぁ……離れてよぉ……」
 レイチェルが両手で頭を抱えてすすり泣く。
 「恐いよぉ、皆がいじめるよぉ……お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
 「……やべぇ、何か新たな快楽に目覚めそう、俺」
 「撃たれたくなきゃ黙れ、サエン」
 「いや、本気で銃口向けないでよエルのおやっさん」
 「変なあだ名で呼ぶな、ったく」
 エルンストはため息を吐いた後、気を取り直したように指示を出した。
 「ドク、カチュア、周囲の警戒を頼む。シス、エリスを起こすぞ」
 「……いえ、大丈夫です、隊長」
 ノイズ混じりの通信。エリスの声だ。
 「エリス、目が覚めたのか」
 「はい。ごめんなさい、通信装置を直すのに手間取っちゃって……」
 「いや……機体は動かせないのか?」
 レバーやスイッチをいじる音の後、ため息。
 「……ダメですね。推進装置が全部破壊されてます」
 「一瞬の交錯で、か? 並の器用さじゃねぇな……」
 「……それよりも……」
 「ああ、そうだった。状況は分かるか?」
 「はい、何となくは……レイチェル? 聞こえる?」
 コックピット内に蹲ってしゃくり上げていたレイチェルが、エリスの声を聞いてぱっと顔を上げた。
 「お、お姉ちゃん? どこ、どこにいるの!?」
 「リ・ガズィのコックピットよ。大丈夫、レイチェル?」
 「うん、うん……怖かったよぉ、お姉ちゃん……」
 レイチェルが目を拭い、ヘルメットを脱いだままコックピットハッチを開こうとする。百式は慌ててサイコ・ドーガの胸部を押さえた。
 「あっぶなー。レイチェルちゃん、ちゃんとヘルメット被ってよ!」
 「やだぁ、開けてよぉ! お姉ちゃんに会うのぉ!」
 レイチェルが駄々っ子のように内部からハッチを叩く。エリスがそれをたしなめた。
 「ダメよ、レイチェル。サエンさんの言うとおりにしなさい」
 「……うん、分かった」
 「いい子ね。偉いわ、レイチェル……」
 エリスの声音はどこまでも優しい。
 「……ふぅー、ど、どうなることかと思ったぜ……」
 「良かったね、隊長」
 「……ああ、まあ、な」
 ドクの一気に気が抜けたような声と、カチュアの嬉しそうな声を聞きながら、エルンストもまた肩の力を抜いて答える。かすかに、安堵したようなシスのため息が聞こえてきた。
 「じゃあ、私たちは一足先に艦に戻ってますね」
 サイコ・ドーガのコックピットに乗り移ったエリスが言った。
 結局、リ・ガズィは自走不能の状態だったので、ワイヤーでサイコ・ドーガに結びつけてけん引していくことにしたのである。
 カチュアとドクとシスが周辺の索敵を続けているのを横目に、エルンストは頷いた。
 「気をつけろよ。さっきみたいにデスアーミーに襲われる可能性だってあるんだからな」
 「それは……多分、大丈夫だと思います」
 「何で?」
 「何となく、です」
 「……そうか。なら、大丈夫なんだろうな」
 「はい。それに、サエンさんも着いてきてくれますから……それはそれで別の危険を感じるんですけど」
 「ハッハーッ! そう不安がるなよエリスちゃん! 何ならベッドの中までエスコートするぜ?」
 「……そういうこと言ってっから……」
 スクリーン越しに投げキッスしているサエンを見て、エルンストはため息を吐く。エリスは苦笑した。横から元気な声が割り込んでくる。
 「安心してよお姉ちゃん、変態が何かしたらワタシがやっつけてあげるから!」
 「ありがとうレイチェル。だけどちょっと離れてくれないと操縦しにくいから……ね?」
 「やだ!」
 レイチェルは、先ほどからずっとエリスに抱きついていた。離そうとすると泣きそうな顔をするため、エリスも強く出られないらしい。サエンはその二人の姿を、両手の人差し指と親指で作った四角形の中に収めて、ニヤニヤしていた。
 「んー、いいねいいね、美少女二人による、お肌とお肌の会話! 最高だねー。芸術だねー。感動だねー。エリスちゃん、ちょっと画像保存させてもらってもいい?」
 「いいですけど……握りつぶしますよ?」
 エリスはニコリと笑った。サエンの笑顔が引きつる。
 「何を……いやすんません調子に乗ってましたゴメンナサイ」
 「はい、よく出来ました。それじゃ隊長、ワタシたち行きますね」
 「おう。ほらサエン、お前もさっさと行けよ」
 「フフン、このサエン・コジマにお任せあれ。艦に戻るまでに二人とも俺の虜に」
 「一応言っとくが、エリスたちに何かあったらジェシカの姉さんにすり潰してもらうからそのつもりでな」
 「ハハハ、ジョウダンキツイデスヨ」

 サイコ・ドーガと百式の背中が遠ざかっていく。索敵を続けていた三機も、少しの間それを見守っていた。
 「ねぇ隊長、レイチェル大丈夫なの?」
 カチュアが不安そうな声で尋ねる。エルンストは眉根を寄せた。
 「エリスがいるから、な……ま、心配ないだろうよ」
 「そうかな……そりゃ、さっきよりはマシになってると思うけど……」
 カチュアが首を傾げながら通信を切る。エルンストが黙っていると、突然プライベート通信が入った。
 スクリーンに映ったサエンの顔を見て、エルンストは目を細める。
 「何か用か?」
 「またまた。分かってるんじゃないの?」
 サエンは肩を竦めた。口調はそのままだが、声音は硬い。
 「強化人間?」
 一言だけ、聞いてくる。斬りつけるように鋭い瞳。エルンストは少しの間黙っていたが、やがて静かに頷いた。サエンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
 「人工的なニュータイプね。気に入らないなぁ」
 「俺だってそうさ……それだけか?」
 「もう一つ。エリスちゃんとレイチェルちゃんの関係は?」
 エルンストの目がさらに細くなる。
 「何でそんなことを聞く?」
 「前から気になってはいたんだよね。二人とも自分で姉妹だって言ってるけど、そもそも肌の色からして違うしさ」
 「そうだな。だが、それだけじゃないだろ?」
 「……さっきさ、泣き声が聞こえたって言ったじゃん?」
 「ああ」
 「お姉ちゃん、お姉ちゃんってさ……何て言うかな、こう、胸が締め付けられる感じだったんだよ。それで、いくら姉妹だからってあの取り乱し様はおかしいと思った訳さ」
 エルンストは黙って聞いていたが、やがて疲れたように息を吐いた。
 「お前の考えてるとおりだ。あの二人は本物の姉妹じゃない」
 「やっぱりね。いや、実際おかしいよな、あんな美少女姉妹がそう滅多にいる訳ないし。それで、本物の姉妹じゃないとすると?」
 「偽物の姉妹さ。レイチェルにとってエリスは、一種の精神安定剤なんだ」
 「精神安定剤?」
 サエンが片眉を上げる。
 「そう。サエン、お前、レイチェル以外の強化人間、知ってるか?」
 「……いや。そういえば、そういうのがいるらしいって聞いたことはあるけど、誰がってのは知らないな」
 エルンストは張り付けてある写真を少し見てから、目を閉じた。
 「いないんじゃなくて、いなくなったのさ。レイチェルは強化人間としてはかなり安定してる方だ」
 「あれでか?」
 「あのぐらいならまだいいさ。もっとひどいのを、俺は知ってる」
 もう一度目を開けて、エルンストは写真を指で撫でた。
 「で、レイチェルだ。それまでの奴等と同じで、レイチェルも強化されてすぐの頃はほとんど廃人同様の状態だったんだとよ。それが、エリスと一緒のときだけ」
 「元気になった?」
 「ああ。理由は分からない。レイチェルとエリスの脳波の相性が良かったからだとか、エリスのニュータイプとしての適性が高かったおかげだとか、研究者連中はいろいろ理屈づけようとしてるらしいがね……」
 「ふーん」
 サエンはその辺りにはあまり興味がないらしかった。エルンストは続ける。
 「ともかく、それを知った研究者連中は、レイチェルはエリスの妹だっていう偽の記憶を、あの子に植え付けた」
 「なるほどねぇ、相性のいい人間が本人の中でもっと身近な存在になれば……って訳か」
 「そうだ。今のレイチェルはエリスに依存することで精神のバランスを保ってる。だから、さっきみたいな状況になると……」
 「ボン、って訳か。美しい姉妹愛だねぇ、反吐が出るよ」
 サエンが吐き捨てる。エルンストはほろ苦く笑った。
 「それで、レイチェルちゃんはそのことを?」
 「知る訳ないだろ。あの子は自分がエリスの妹だってことを少しも疑ってない」
 「エリスちゃんは?」
 「あいつは……一生懸命なんだな。レイチェルの姉をやってやるって」
 「偽物の記憶なんだろ? いつまでも続けられるのかね?」
 「それでも、止める訳にはいかないのさ。レイチェルを救ってやるにはそれしかないってな。不器用な奴なんだよ」
 どこか辛そうに語るエルンストの言葉を、サエンは黙って聞いていたが、やがて肩を竦めた。
 「さて、と。そろそろ通信切るよ。あんまり声かけないもんだから、エリスちゃんたちが不審に思ってるみたいだしさ」
 「ああ。護衛の方は頼むぜ」
 「分かってるよ。今の話聞いたら尚更、な……ああ、そうだ」
 通信を切りかけたサエンが、思い出したように訊ねてきた。
 「エルのおっさん、ひょっとして強化人間関係でかなり辛い思い出、ない?」
 エルンストは一瞬目を見張り、写真に視線をずらした。
 「何故そう思う?」
 「何となく、だな」
 エルンストは苦笑した。
 「ったく、ニュータイプって人種は、何聞いてもそう返してきやがる」
 「昔のお仲間にもいたの?」
 「ああ。おかげであの頃は散々変態扱いされたぜ」
 「あ、ちょっと親近感」
 「死ぬほど嫌だ」
 「ひどいなぁ。今、お仲間は?」
 「……いなくなっちまったよ、皆」
 エルンストは肩を竦めた。サエンは満足したように頷いた。
 「ありがとよ。あ、最後にさ」
 「何だよ、まだあんのかよ」
 「これで最後だって。……何で、今みたいなこと、全部俺に話してくれたんだ?」
 エルンストは一瞬言葉に詰まった後、からかうように笑った。
 「さぁてね。何となくってことにしとくか?」
 「おい……っとと、やべぇ、とうとう通信入ったよ。……それじゃ」
 「おう」
 「あーあ、それにしても研究者連中がうらやま……いや憎たらしいなぁ、あんな可愛い子の体にいろいろ好きなことしたなんて」
 「アホ」
 二人は笑い合い、通信を打ち切った。人の声の絶えたコックピットの中、エルンストは目を閉じて困ったように微笑んだ。
 「ホント、何でかねぇ……自然に話せちまったんだよな。あいつがどことなくお前に似てたせいか? なあ、クレア……」

 索敵を終えたらしいカチュアが接近してくる。エルンストは通信回線を開いた。
 「ちょっとー、ワタシたちにばっかりやらせてないで、隊長も働いてよー」
 カチュアの頬を膨らませた顔がスクリーンに映る。エルンストは苦笑で答えた。
 「悪い悪い……で、どうだった?」
 「おそらく、この周辺にはデスアーミーはいない……と思われます」
 断言しかねる様子で、シスが報告する。エルンストは腕を組んだ。
 「はっきりしねぇな」
 「すみません。目視できるところにいないのは確実ですが、先ほどのように突然出現することもあり得ますので」
 「ふうむ」
 エルンストは唸った。カチュアが不機嫌そうにむくれる。
 「でもむかつくなー、レイチェルとエリスをあんなにされたちゃったのに、仕返しも出来ないなんて」
 エルンストはちらりとカチュアを見た。
 「カチュア、お前はどうだ、近くにいると思うか?」
 「え? ワタシ? ワタシも見つけられなかったけど」
 「見えるか見えないかじゃなくて、どう思うか、だよ」
 カチュアは難問を解きにかかるように、眉根を寄せた。
 「よく分かんないかなぁ。こう、いるような気はするんだけど、見てみるといない、というか」
 「どっちにいるように感じる?」
 「えーと、あっち?」
 自信なさ気に、カチュアが何もない方向を指差す。エルンストは無言でそちらにビームライフルを撃った。打ち出された光の射線は、何物を穿つこともなく、暗い宇宙の闇に消えていく。
 「た、隊長、何やってんだ?」
 ドクの混乱した声。シスもカチュアも怪訝そうな顔をしている。エルンストは数瞬迷った後、説明した。
 「いや、ひょっとしたら、連中が姿を隠してるかもと思ってな」
 「まさか、デスアーミーが光学迷彩機能を備えたとでも?」
 シスが驚きに目を見開く。エルンストは首を傾げた。
 「断定は出来ねぇがな。エリスを攻撃した白い奴といい、デスボール撃破後に沸いて出たデスアーミーといい……今回は今までと何かが違う。奴等が新しい機能を備えてきた可能性は、十分にある」
 「じゃ、じゃじゃ、じゃあ、その辺からいきなり敵が出てくるってこともあり得るのかよ!?」
 「ないとは言い切れん状況だ。だから注意して索敵を続けてくれ。幸い、残ってた敵は第一、第二小隊の奴等が片付けちまったらしいから、五分ほどやって何もなかったら艦に帰還するぞ。いいな?」
 「了解」
 「わ、分かった!」
 「OK!」
 先ほどよりは緊張した動きで、三機がEz8から離れていく。エルンストはバギ・ドーガの背中を無言で見つめた。
 「白い奴は、十中八九レイチェルがああなることを見越して襲ってきた……それは間違いない。そして、他の小隊には特におかしなことは起きていない……か。まさか奴等、ニュータイプを潰しに……?」
 その時、視界の隅でビームが打ち出された。ハッと顔を上げ、エルンストは他のメンバーに向けて通信回線を開く。
 「敵か!?」
 「うん、いたよ!」
 エルンストから一番離れた位置にいたカチュアが、バギ・ドーガのビームライフルを連射しながら答える。見ると、一機のデスアーミーが、背中を向けて逃げようとしていた。ビームの射線はその機影をわずかに逸れている。
 「あーもう、すばしっこい……! 逃げるなこのぉー!」
 カチュアが機体を発進させる。遠ざかるデスアーミーに向かって急加速。機影がどんどん小さくなっていく。エルンストは慌てて叫んだ。
 「バカ、一人で先行するな!」
 「ダメです、通信届きません!」
 シスが早口で言う。エルンストは舌打ちした。
 「追うぞシス……!?」
 機体を加速させかけたエルンストが目を見開く。
 放置された戦艦の残骸、小隕石の陰、漂うデブリの群……ありとあらゆるところから、数え切れないほどのデスアーミーが這い出るように出現したのだ。
 シスのBD一号機もドクのギラ・ドーガも、反応できずに硬直している。エルンストにしてもそれは同じで、呆然と口を開いてその光景を見ているしかない。
 「バカなッ……こいつら……そんな……!」
 振り絞った声が震えた。
 「たたたた、隊長! どど、どうすんだよ、こんな大勢に一斉に攻撃されたら……!」
 ドクが半分涙混じりで騒ぎ立てる。
 「これは……異常な事態、です……!」
 シスも声に焦燥を滲ませながら、そう呟くのがやっとだ。三機はすっかりデスアーミーの包囲網に捕らえられてしまった。
 しかし、デスアーミーたちはいつまで経っても攻撃してこない。ただ、一定の間隔を置いてエルンストたちを取り囲んでいるだけだ。
 「何だ……?」
 エルンストが疑問の声を発した時、シスが報告した。
 「隊長、デスアーミーの布陣を……!」
 「どうした!?」
 「カチュアが向かった方向に、一番多くのデスアーミーが配置されているようです」
 エルンストは鋭く息を飲んだ。
 「まさか、カチュアと俺達を引き離すつもりで……!?」
 「な、何でそんなことを!?」
 ドクが喚く。カチュアもエルンストも、それに答えることはできなかった。
 「考えてる場合じゃない!」
 叫んで、エルンストが前方に突進しかける。それに瞬時に反応して、デスアーミーの一機が金棒型ビームライフルを放った。明らかな威嚇。エルンストは息を荒げ、膝を握り締めた。
 「……ククッ、やってくれんじゃねぇか。また邪魔してくれるって訳だ。どうあっても通さないってか? この化け物どもがぁっ!」
 激昂し、ビームライフルを上げかけたEz8を、BD一号機が手で制する。
 「隊長、落ち着いてください」
 奇妙なほどに冷静なシスの声。エルンストは歯軋りした後、大きく一つ息を吐いた。
 「すまん」
 「いえ。ワタシも、気持ちは同じです」
 シスの声は淡々としていたが、そのすぐ裏側に隠しきれない激情が潜んでいた。そして、
 「隊長、ワタシが隙間を作りますから、その間に突破を」
 「……システムを使う気か?」
 「はい」
 迷いなく、シスが答えた。モニター越しに視線が交差する。強い覚悟。エルンストは重々しく頷いた。
 「危険になったら退避しろよ」
 「大丈夫です。副隊長もレイチェルもカチュアもいない以上、僚機に危険を及ぼすことはありません」
 「お前のことを言ってるんだ」
 「必要ありません」
 エルンストは口を開きかけて閉じ、首を振った。
 「説教は後だ。ドクも聞いてるか?」
 「おお、おう!」
 「いいか、今から俺が合図するタイミングで仕掛ける。まずシスが前の敵を蹴散らすから、その間にドクは一番包囲の薄いところを突破して、本隊に連絡を取れ」
 「こ、こんな異常事態だぜ? もう分かってるだろ」
 「万一のことを考えるんだ。いいな?」
 「……隊長、俺だけ逃がそうとしてねぇか?」
 疑わしそうに、ドクが聞いてくる。エルンストは一瞬目を逸らして、笑った。
 「バカ、そんな余裕ないだろうが。誰かに助けを呼びに行ってもらうのは当然だろ、な?」
 「……分かった」
 納得出来ない様子ながら、ドクは引き下がった。シスとエルンストは頷きあった。
 「それじゃ、いいか……」
 シスがシステム起動準備をし、目を閉じる。ドクが操縦桿を握って唾を飲み干した。エルンストは深呼吸をし、カウントを開始した。
 「3」
 ギラ・ドーガがビームマシンガンを持ち上げる。
 「2」
 Ez8が加速体勢に入る。
 「1」
 BD一号機の目が少しずつ赤い輝きを放ち始める。
 「GO!」
 BD一号機が一気に加速した。殺到する数条のビームを軽々と避け、正面のデスアーミーたちに肉薄する。宇宙の闇にビームサーベルがの光が閃いた。デスアーミーの数機が一息で吹き飛ばされる。包囲網に間隙。エルンストは間髪いれずにEz8の後部バーニアを全開にした。迫るビームをギリギリで避ける。BD一号機の隣をすり抜け、Ez8はついにデスアーミーの群を突破した。
 後方に向けてビームマシンガンを撃つと、すぐに隙間ができた。退避しかけて、ギラ・ドーガは迷うように振り返る。バーニアから焔を噴出しながら、Ez8の背中が遠ざかっていく。ギラ・ドーガは落ち着きなく交互に前後を見た。Ez8が向かった方向と、艦のある方向。
 熱に浮かされたように、ドクの呼吸が荒くなる。髪一本ない頭からだらだらと汗が流れ落ちた。ドクはぎゅっと目を瞑り、
 「……ち、ち、ち、ちくしょぉぉぉ!」
 半ばヤケクソで叫びながら、ギラ・ドーガを前方に向けて加速させた。同時にビームマシンガンを連射。閉じかけた包囲網を無理矢理こじ開け、ギラ・ドーガもまたカチュアのいる方向に飛び出していく。
 Ez8に続いて、ギラ・ドーガもまたBD一号機の脇を通り抜けていった。シスの唇に、儚い微笑が浮かんだ。
 「隊長、ドク……お気をつけて」
 デスアーミーの一機が、エルンストとドクを追って移動しかけた。その側面に、シスは冷たい視線を向ける。
 「どこへ行くの?」
 呟き、無駄がなさすぎる動作でBD一号機のビームサーベルを振るう。デスアーミーが真っ二つになった。その爆発を背に佇むBD一号機に、その場の全てのデスアーミーが向き直る。鬼の一つ目を象ったモノアイが、怒るような輝きを放った。持ち上げられる金棒。無数の殺意にさらされるシスの顔に、幼さに似合わぬ邪笑が浮かんだ。
 「ふふっ……あはははは……」
 聞く者も答える者もない高笑いが、狭いコックピット内に反響する。シスの額に逆三角の紋章が浮かび上がり、それを起点として不気味な文様が肌を埋め尽くしていく。唇が愉悦に歪んだ。
 「いいよ。教えてあげる。お前たち出来損ないの泥人形に教えてあげる。ただ戦うために、ただ破壊するために、ただ蹂躙するために……ひたすらそれだけを追求して作られた、本物の戦闘人形の力をね」
 蒼い機体の赤い目が、禍々しい輝きを放つ。デスアーミーたちの金棒型ビームライフルが、一斉に光を噴出した。しかし、その貫く先に蒼い機体の姿はない。
 「あははははは! 崩れろ潰れろ、壊れてしまえぇぇぇぇぇぇ!」
 流星のような加速を纏い、シスの狂笑が響き渡る。BD一号機が、蒼い殺戮者となって子鬼の群を蹂躙した。

 グランシャリオのブリッジは騒然としていた。
 敵全滅も間近という時になって、突然デスアーミーが増殖したという報告が入ったのだ。戦闘宙域から少し離れて固定されていたグランシャリオ付近にもデスアーミーの出現が確認され、エリスたちを護衛して帰艦したサエンが再び百式で艦外に舞い戻り、砲撃手たちも休むことなく対空機銃を撃ち続けている。被害報告もちらほら現れ始めていた。第三小隊からの連絡も途絶えている。
 「お、おい、攻撃を受けているじゃないか! 何故本艦は逃げんのだ!?」
 止まない警報に顔を引きつらせながら、督戦士官イワン少佐がエターナに詰め寄る。
 「まだ戦場に残っている小隊員がいます。それに、戦闘自体もまだ終了していませんから」
 「だ、だからと言って母艦が沈んではどうにもならんだろう!」
 「デスアーミー数機の襲撃で落ちるほど、グランシャリオの装甲は薄くありません。ご安心ください」
 「いや、しかし……そ、そうだ、なら艦を少し下げて、安全な場所まで退避させよう、それなら……」
 「これ以上後退しては帰還できない小隊員も出始めます。これでもギリギリの位置までは下がっておりますので、ご了承ください」
 「そ、そんな!」
 澄ました声で応対するエターナと、唾を飛ばして喚きたてるイワン。二人の押し問答を終わらせたのは、ケイの報告だった。
 「艦長、また新たなデスアーミーが出現したってさ」
 「どこです?」
 「第二小隊のジュナスとシェルドとショウを取り囲むように展開中だとさ。座標出すよ」
 ブリッジのスクリーンの一部に、新たに更新された戦闘状況図が映される。それをじっと見つめていたエターナが、ぽつりと呟いた。
 「敵は……やはり、特定の宙域に展開しているようですね。その近辺の味方機は?」
 「んーと、第二小隊の連中でしょ。それから第一小隊のマークとニキ姉、あと、ミノフスキー粒子のせいでよく聞き取れなかったけど、第三小隊のカチュアがどうだとか報告があったね。ああそうそう、駐留軍のルナ・シーン大尉の小隊とソニア・ヘイン大尉の小隊も結構な数のデスアーミーに囲まれてるってさ」
 「駐留軍の戦艦はどうですか?」
 「そっちの方にはほとんど被害がないってさ。あと、さっき言った小隊以外の兵士もデスボール撃破後はほとんどデスアーミーに遭遇してないって」
 「そうですか、ありがとう」
 ケイの報告を聞き、エターナは手元のコンソールでルナ・シーン大尉とソニア・ヘイン大尉のデータを呼び出した。二人ともニュータイプ。エターナはぽつりと呟いた。
 「……やはり、ニュータイプが狙いですか」
 「な、何だと?」
 「いえ、何でもありません」
 イワンには笑顔で答えておいて、エターナは目を閉じて黙考し始めた。その時、入り口の扉がスライドして、誰かがブリッジに入ってきた。
 「艦長!」
 レイチェルだ。操舵員のネリィが、驚いて席を立つ。
 「どうしたんですの、レイチェル」
 背後でイワンが「追い出せ」だのと喚いているのを無視して、ネリィは聞いた。レイチェルは泣きそうになりながら必死に答える。
 「お姉ちゃんがいなくなっちゃったの!」
 「エリスが!?」
 「ワタシがお水汲みに行ってる間に……どこ行っちゃったの、お姉ちゃん……」
 レイチェルが心細そうにブリッジを見回す。当然、ここにはいない。レイチェルの目に涙が溢れ出した。
 「どこ、お姉ちゃん……まさか、デスアーミーに……」
 ネリィは困惑してエターナを振り返った。エターナは柔らかい目線で返す。ネリィは泣き出してしまったレイチェルを抱き寄せ、落ち着かせるようにゆっくりと頭を撫でてやる。
 「心配ありませんわ、レイチェル。エリスが艦外に出たという報告はありませんし、艦の外壁が破られたという報告もありませんから、きっとまだ艦内におりますわ」
 「そ、そうかな……」
 「ええ」
 はっきりと答えてやりながら、ネリィは眉根を寄せた。帰艦後、エリスは精密検査を受けるために医務室にいたはずだった。
 「艦長、誰かに探させた方がよろしいのでは……」
 「エリス!?」
 ネリィの言葉を遮るように、ケイの声が響く。見ると、エリスの顔が通路を背景にして映っていた。モビルスーツデッキ付近らしい。
 「あなた、一体どこに……」
 「艦長、発進許可を下さい」
 出し抜けに、エリスは言った。
 「デスアーミーが大量に出現したと聞きました。味方の援護に向います」
 「だけどさエリス」
 「大丈夫、外傷はありませんからすぐに出られます。サイコ・ドーガを使わせてください」
 なだめるケイの言葉を、エリスは遮った。言葉どおり、言動はしっかりしている。しかし、エターナは首を横に振った。
 「何故ですか?」
 「万一ということもあります。それに、レイチェルを残していくおつもりですか?」
 ネリィに抱き寄せられたまま、レイチェルは不安な表情でエリスを見つめている。エリスはその視線から逃れるように、顔を伏せた。
 「しかし、誰かが救援に向わなければ……」
 「あー、ちょっといいかな?」
 通信に割り込み。艦外で迎撃に当たっていたサエンだ。
 「艦長殿、グランシャリオの周りの敵は全機撃墜したよ」
 「お、おお、よくやった! 素晴らしいぞ!」
 ほっとした様子で、イワンがサエンを賞賛する。サエンは得意げにウインクした。
 「そうでしょそうでしょ、素晴らしいでしょ俺、最高でしょ俺。そういう訳で何かごほうび頂戴」
 「あのねぇ、ちったぁ状況見なよあんた……どうするよ、艦長」
 ケイが艦長席を振り返る。エターナの横で姿勢を正したイワンが、
 「もちろん、敵が殲滅できた以上本艦はこの場に固定……」
 「サエンさん、至急帰艦してください。ケイさん、全艦放送の用意を。グランシャリオを発進させます」
 イワンがぎょっとする。エターナの指示に、ブリッジの全員が驚いた。エターナは説明を始める。
 「交戦中の各員に指示を出してください。今から送る座標まで、敵を引き付けながら後退するようにと。駐留軍のソニア大尉とルナ大尉にも協力を要請するように。本艦はこの位置まで移動します」
 スクリーンに配置図が表示される。デスアーミーの大軍の正面にグランシャリオを置いているその図を見て、ケイが目を見開く。
 「この配置……艦長、まさか?」
 「ええ……グランノヴァ砲を使います」
 ブリッジの全員が息を飲む中、イワンだけが理解していない顔で周囲を見回している。
 「な、何だ、一体何の話だ?」
 「だけど艦長、あれ、実戦じゃ一回も使ったことないじゃんか!」
 イワンを無視して、ケイが怒鳴る。エターナは静かにケイを見据えた。
 「テストは終了しています。発射できないということはありません」
 「いくら何でも危険だよ。味方を巻き込む可能性もあるし……それに、駐留軍とかコロニーとかに当たっちまったら」
 「だから当てない位置にグランシャリオを持っていくんです。この座標なら大丈夫でしょう?」
 「けどさ」
 「他に方法がありますか?」
 有無を言わさない強い口調。数瞬、ケイは逡巡したが、やがて諦めたようにため息を吐き、キャップを被り直した。
 「あー、チクショウ、分かったよ、ワタシの負けですよ! 仰るとおりにいたしますよ!」
 半ばヤケクソで、ケイが艦内放送用マイクを引っ掴む。発進準備の放送が響く中、エターナはまだ呆然としているネリィに向き直った。
 「ネリィさん?」
 「は、はい?」
 「艦の操縦はあなたに一任します。全速で艦を目標座標まで持っていくように」
 その命令に、ネリィの肩がぴくりと震える。傍にいたレイチェルが首を傾げた。
 「ネリィ……?」
 「か、艦長。それはどれだけスピードを出しても構わないと解釈して、よろしいんですわね?」
 声が震えている。エターナは笑顔で頷いた。
 「ええ。どれだけでも、好きなように。速ければ速いほど状況は良くなります」
 ネリィの目が輝きだす。どこか危険な光だ。レイチェルが怯えて少し離れた。
 「ふ……ふふっ……ふふふふっ……一流企業に入社して早一年。こんなところでこんな機会に恵まれるとは、思ってもいませんでしたわ……」
 不気味な呟き声。ネリィは手をわきわきと動かしながら操舵席に収まる。興奮で鼻息が荒くなっている。エターナは最後に、スクリーンのエリスに視線を戻した。
 「エリスさん、これでよろしいですか?」
 「え……」
 「お姉ちゃん……」
 不安そうに、レイチェルが呼びかける。エリスは数瞬迷ったようだったが、やがて肩の力を抜き、苦笑した。
 「全く……相変わらずやることが滅茶苦茶ね、エターナ」
 「お互い様ですよ」
 「あら、ワタシ、あなたよりはマシなつもりよ?」
 「そっくりそのままお返ししますよ」
 二人は気安く笑い合う。レイチェルはきょとんとした。
 「お姉ちゃん、艦長にそんなこと言ったら怒られるよ」
 「あらごめんなさい、つい……」
 「構いませんよ。では、エリスは医務室で大人しくしていてくださいね」
 「了解です、艦長殿」
 軽く敬礼して、エリスの顔がスクリーンから消える。レイチェルはまだ不思議そうな顔をしていた。エターナは笑う。
 「エリスとワタシは、ずっと前からお友達なんですよ」
 「お友達?」
 「そうですよ。さあレイチェル、エリスの傍についてあげてくださいね」
 「あ、うん。ありがとう、艦長!」
 ぴょこんと頭を下げ、レイチェルはブリッジを出て行った。その時、呆然としていたイワンがようやく立ち直り、エターナに詰め寄った。
 「か、艦長! 一体どういうことかね!?」
 「何が、ですか?」
 「艦を敵の大群に突っ込ませるとはどういうことだと聞いている!」
 「ですから……説明申し上げたではありませんか」
 「ほ、本気か!? 数人の戦闘員を救うために、艦を危険にさらすなど!」
 「敵の全滅も見越しての策ですけれど……でも、概ねはその理由で当たっていますね」
 エターナはあくまでも柔らかく応じる。イワンは口をぱくぱくさせた。
 「ば、バカな……信じられん。君はそれでも艦長かね?」
 「これだからこその艦長であると自負しております」
 「ふざけている場合ではない! もういい、ワシの権限で、君から指揮権を剥奪する!」
 いきり立つイワンを、エターナは穏やかな目で見つめた。
 「……督戦士官殿は、死にたくないですか?」
 「は?」
 唐突な質問。イワンは一瞬呆然とした後、ハッとして周囲を見回し、罰が悪そうに咳払いをした。
 「いや、ワタシはそういう意味で言ったのではなく、軍人として当然の判断というか、その……」
 「ご安心下さい。ワタシも死にたくはありませんから」
 「そ、そうか。なら……」
 「でも」
 と、エターナは困ったように微笑んだ。
 「きっと、小隊員の皆さんも死にたくないと思うのです。そして、艦長としては乗組員の希望を出来るだけ汲んであげたいところですので」
 「な……!?」
 イワンが絶句する。その時、機関部から通信が入った。油まみれのダイス・ロックリーの顔がスクリーンに映る。
 「取り込み中失礼するぞい。艦長殿」
 「何ですか、ダイスさん」
 「発進とグランノヴァ砲の準備はもうすぐ終了するがのう……」
 ダイスの本来の畑はMSの整備である。しかし、人手不足の実情と現場で叩き上げられてきたその腕を見込まれて、彼は機関部の管理も任されているのだ。
 そのダイスが、渋い顔をしてハゲ頭を掻いていた。
 「本気で撃つつもりかね? 艦にかなり負担がかかることになるが……」
 「仲間の命には代えられませんよ」
 エターナはさらりと言ってのける。隣でイワンが何か怒鳴りかけたが、その前にダイスの太鼓を打つような笑いがブリッジに響き渡った。
 「こりゃあ愉快じゃわい! まさか艦長ともあろう者が平気でそんなことを言うとはのう!」
 「お嫌いですか?」
 「いいや、なかなか酔狂なことで非常にワシ好みじゃ。さっさと作業を終わらせ」
 「感動したでありまぁぁぁす!」
 突然、新たな声と顔が通信回線に割り込む。甲高いが、ダイスに劣らぬ声量だ。見ると、スクリーンに滂沱の涙を流しながら敬礼するミンミの姿が映っていた。その姿勢を崩さぬまま、ミンミは叫ぶ。
 「艦長殿ぉ!」
 「は、はい!?」
 さすがのエターナもこれには驚き、思わず姿勢を正した。
 「自分は、自分は感動したであります! 仲間のためには自らの命を危険にさらすことすら厭わない、熱き心と義侠心! 自分は、こういうのに憧れていたのであります!」
 「そ、そうですか」
 「スパナをガラガラ代わりに、ボルトをおしゃぶりの代わりにと育てられて早十二年! 整備兵をやってきたのは今日この日のためだったと、自分は今、確ッ信! しているのであります!」
 「はあ、それはそれは……」
 「自分は……自分は、一生エターナ艦長についていくであります! 艦の命運尽きるまでお供する覚悟なのであります!」
 「ええと」
 「うぉぉぉぉぉぉ、エターナ艦長! 万ッ歳! でありまぁぁぁす!」
 エターナが答える間もなく、瞳に燃え盛る炎を宿したミンミがどこかへ駆け去っていく。ダイスが慌ててそれを止める。
 「こ、こらミン坊、勝手にいじるな! じゃ、じゃあ艦長、準備が終わったらまた連絡するぞい」
 「あ、はい、よろしくお願いします……」
 通信が切れる。ケイが呆れ果てたように言った。
 「何だい、ありゃ……」
 「あら、頼もしいじゃありませんか」
 「何か、この船いつ沈んでもおかしくない気がしてきたよ……」
 笑顔のエターナに、あくまでげんなりしているケイ。その横で、ネリィは指の骨を鳴らしていた。
 「いいじゃありませんの、あのぐらい勢いがあった方が祭りが盛り上がりますわ」
 「祭りってあんた」
 「ふふふ待っていなさいデスアーミーども。このネリィ・オルソンが轢き殺してやりますわ……ふふふふ……」
 口から涎を垂らしそうな勢いでネリィが笑う。ケイはコンソールに突っ伏した。
 「勘弁してよもう……」
 その一連の流れを黙ってみていたイワンは、突如としてケイの通信席まで移動し、有無を言わさずマイクを引っ掴み、叫んだ。
 「全艦に告ぐ、直ちに艦を停止させろ。これは地球連合軍督戦士官イワン・イワノフ直々の……」
 「ちょ、何やってんだよ!?」
 敬語も忘れてケイが怒鳴る。イワンもこめかみに青筋を立てて怒鳴り返した。
 「うるさい! 貴様らは狂っとる! ワシはこんなところで貴様らの集団自殺に付き合う気は毛頭に」
 言いかけたところで、突然イワンが白目を剥いて意識を失った。ぎょっとしたケイがよく見ると、イワンの背後に、右手に注射器を持ったエターナの姿が。
 「……艦長殿?」
 「あらあら、戦闘中に居眠りだなんて、督戦士官殿は随分お疲れだったんですねぇ」
 困ったわ、と言うように、エターナは左手を頬に添えて微笑む。ケイは頬を引きつらせて、エターナの右手の注射器を指差した。
 「艦長、あの、それ……」
 「ビタミン剤ですよ」
 「いやあの」
 「困りますよねぇ。ワタシ生まれつき体が弱くて」
 「え、だって艦長いっつも人の五倍食うし」
 「生まれつき体が弱くて」
 「それに風邪すら引いたこと」
 「体が弱くて」
 「……」
 「弱くて」
 「ハハハ、か弱い艦長はまるでアスファルトに咲く儚い花のようだなぁチクショウ」
 半ばヤケクソになりながら、ケイは通信席に座り直す。白目を剥いているイワンが邪魔になりそうなので適当に蹴っ飛ばしておいた。
 「さて、ケイさん、機関部から連絡は?」
 艦長席に座りなおしたエターナが聞いた途端、機関部から通信が入った。発進準備完了。
 「よろしい。それでは、行きましょうか」
 エターナが悠然と微笑み、腕を上げる。もうどうにでもなれとキャップを放り投げるケイと、気合半分愉悦半分に操舵管を握り締めるネリィを見下ろして。
 「グランシャリオ、発進!」
 そして、エターナの腕が前方に向けて振り下ろされた。

 「くぅぅぅ、何で当たんないのよぉ!?」
 自機の前方を逃げていくデスアーミー目掛けてビームライフルを撃ちながら、カチュアは苛立ちに歯噛みしていた。
 ビームの光は時折デスアーミーを掠める程度で、どうしても直撃させることができない。
 「高機動型……? 隊長が言ってた新型なのかな?」
 カチュアが呟いたその時、不意にデスアーミーが停止し、振り向いた。周囲に無数の小隕石が漂っている、視界の悪い宙域。
 「今度は隠れて戦おうっての? それなら!」
 カチュアはバギ・ドーガのモビル・ビットを射出した。
 「いっちゃえ、ビッちゃん!」
 カチュアの声に合わせて、バッタに似た形をした二機のビットが、動かないデスアーミーに向かって一直線に飛んでいく。カチュアは会心の笑みを浮かべた。
 「よぉっし、そのままやっつけちゃえ!」
 その時、突如小隕石の陰から二本のビームが飛び出した。今まさにデスアーミーを撃とうとしていたモビル・ビットが、光に飲まれて四散する。
 「え……?」
 カチュアが目を見開く。どこに隠れていたものか、数え切れないほどのデスアーミーが、バギ・ドーガを取り囲んでいた。
 「ウソ、そんな……」
 前にも後ろにも、上にも下にもデスアーミー。閉じ込められた。感情の欠片もない、無数のモノアイがカチュアを見据える。全身が凍りついたように動かなくなった。
 デスアーミーたちの金棒型ビームライフルの銃口が、一斉にバギ・ドーガに向けられた。
 加速、加速、加速。
 「遅ぇ、遅ぇ、遅ぇ!」
 次々と迫ってくる障害物を驚異的な機動で避けながら、エルンストのEz8・HMCはバーニア全開で宇宙を飛んでいた。機体のスペックの限界に達している、最高の速度。だが、エルンストは苛立ちに歯軋りした。
 「頼む、Ez8! もっと速度を上げてくれ。これじゃ間に合わないだろうが!」
 機体がその思いに答えることはない。逆に、あまりの速度にエルンストの視界の端が白み始めていた。目に力を込め、血が出るほどに強く唇を噛む。
 「しっかりしろエルンスト・イェーガー。こんなとこでへばってる場合じゃないだろうが!」
 汗が顔を流れ落ちる感覚すら、徐々に遠のいていく。それでも機体をたくみに操りながら、いつしかエルンストは戦友たちの写真を強い力で握り締めていた。
 「今だけでいい、力を貸してくれ……お前の魂がこの宇宙を漂っているのなら!」
 肺が締め付けられ、心臓が悲鳴を上げる。弾けそうになる意識を繋ぎとめるかのように、エルンストは声を振り絞って叫んだ。
 「まだ……カチュアをお前のところにやる訳にはいかねぇんだよ! ビリー・ブレイズ――!」
 エルンストの視界の片隅に、小さな点が映った。ずっと遠くに、無数のデスアーミー。自分でも理解できないことを絶叫しながら、エルンストは敵の大群に機体を突撃させた。一瞬で視界が真っ白になり、意識が弾け飛んだ。

 スターク・ジェガンがミサイルを放ち、ジム・カスタム高機動型がビームライフルを連射する。爆発して四散するデスアーミーの機体を見ながら、ジュナスは舌打ちした。
 「クソッ……もうすぐ弾切れだぞ! シェルド、敵はどのぐらい残ってる?」
 「どうかな……数える気も失せるぐらい、と言っておくよ」
 機体を横滑りさせて敵のビームを避けながら、シェルドが肩を竦める。NT1の腕部ガトリングを撃ちまくっていたショウが、頬を引きつらせた。
 「い、一体どうなってるんでしょうか……?」
 「知るかよ……ショウ、後ろ!」
 ジュナスが鋭く叫ぶ。振り返るショウ。背後に金棒を振り上げるデスアーミー。ショウが悲鳴を上げかけたが、その時デスアーミーは頭からすり潰されていた。
 「油断するな、馬鹿者」
 短く、ジェシカが叱咤する。イーゲルは潰れたデスアーミーからミンチ・ドリルを引き抜き、次の獲物を探して首を巡らせた。
 「何度見ても恐ろしい武器だ……」
 ジュナスが唾を飲み込む。
 少し離れた位置でビームライフルを撃ち続けながら、ノーランが苛立ち紛れに叫んだ。
 「チクショウ、蟻みたいにワラワラワラワラ! 一体いつになったら終わるんだい!?」
 「いいじゃないかノーラン。敵が多いほど撃墜数も上がる」
 声に喜色すら滲ませて応えるジェシカ。物騒な会話をする二人を横目に、ジュナスはショウに通信をいれた。
 「ショウ、気付いたか?」
 「……はい。敵は、僕らに対して執拗な攻撃をしかけてきていますね」
 「やっぱそうだよな」
 「どういうことなんでしょう?」
 「さぁなぁ。おかしいな、デスアーミーの恨みを買うような真似をした覚えはないんだけど」
 「そうですよねぇ。僕ら撃墜数も一番低いですし」
 「不思議だなぁ」
 「言ってて情けなくないか君たち……」
 ビームサーベルでデスアーミーを叩き斬りながら、シェルドが呆れ声で言う。
 「ン……? 何だと?」
 ジェシカが誰かと通信した後、渋い顔で小隊員全員に命じた。
 「おいお前たち、今から送る位置まで撤退するぞ」
 「え……撤退ですか?」
 「良かったぁ」
 ジュナスとショウが安堵の吐息を漏らす。送られてきた座標を見て、シェルドが興味深そうに唸った。
 「この座標……ひょっとして、グランノヴァ砲を? さすがエターナ艦長、やることが大胆だなぁ」
 「そうと決まりゃあこんなところに長居は無用だね……っと」
 ノーランが、接近してきたデスアーミーの頭部を撃ち抜き、ジュナスが残りのミサイルを一気にばらまく。それを合図に全機が反転を開始した。
 「ふぅ……何とか助かりそう」
 「ジュナス、ショウ。殿はお前たちがやれ」
 「い!?」
 「ど、どうして!?」
 ジェシカの指示に、ジュナスとショウが引きつった声を上げる。
 「知らん。ブリッジからの指示だ。よく分からんが、敵を引きつけるためにはお前たちが囮になるのが一番なのだそうだ」
 「そ、そんな殺生な」
 「一応言っておくが」
 ジェシカの瞳がぎらりと輝く。
 「命令を無視したり、途中で落とされたりした場合はアタシ直々に挽き肉にしてやるから覚悟しておけよ」
 ジュナスとショウは顔面蒼白になった。
 「どうした、さっさとしろ」
 無慈悲に命令するジェシカ。ジュナスはヤケクソで叫んだ。
 「もうどうにでもなれチクショウ!」
 「ごめん母さん……帰る約束守れないかもしれない……」
 ぶつぶつと呟きながら、ショウが機体を減速させる。ジュナスもそれに続いた。ガンダムNT1とスターク・ジェガンを最後尾に、第二小隊の大逃走劇が始まろうとしていた。

 「そこのジム道を空けろ! ウチの航路は送ってあるはずだろ! さっさと動かないとひき潰されるぞ!」
 ケイはマイクを引っ掴んで声を枯らさんばかりに叫んでいた。
 「全員、ちゃんと内側に引っ込んだだろうね!? 外縁部にいて外に放り出されたってボーナスは出ないよ!」
 その横の操舵席で、すっかりハイになったネリィが高笑いを響かせる。
 「オーッホッホッホッホ! さあ、いますぐそこをどいて道をお作りなさい下賤の者ども! 峠のひき逃げ女王のお通りですわー!」
 「犯罪者!? っていうか艦長、もうちょっとこいつを落ち着かせてよ!」
 ケイが艦長席を振り返るが、我等がエターナ艦長はにっこりと微笑み、一言呟くのみ。
 「よしなに」
 「誰の真似だこの野郎!? あーもう、おいこら、早く退避しろってんだよ!」
 余所見をしている暇などない。圧倒的質量を持って宇宙を爆走するグランシャリオは、その運動エネルギー自体が最強の武器となりうるのだ。正面衝突したらMSなど一瞬でグシャグシャである。
 さらに、小隕石やデブリに衝突することなどお構いなしなので、被害報告は時を増すごとに増え続けていた。既に外部装甲を示すデータの半分以上が赤色で埋め尽くされている。
 ケイは半泣きになりながらキャップを握り締め、ヤケクソで叫ぶ。
 「チクショウ、この作戦終わったら絶対有給もらうからな! そのぐらいの贅沢は許されるだろ、なぁ!?」
 ちなみに、意識を飛ばされたまま放置されているイワンが何度も何度も頭をぶつけていたが、それを気にする者は誰一人としていなかった。
 「有給か……いいねぇ」
 ケイの叫びは全艦にだだ漏れだった。額の汗を拭いながら、ライル・コーンズがしみじみと呟く。
 「休みが取れたら月に行ってジャンク漁りしたいなぁ」
 「その前に永遠の休息を与えられることになるかもしれんがのぅ」
 エンジンの様子を観察しながら、ダイスが顔をしかめる。
 「全く、無茶な運転しおって。メカニック泣かせめが」
 壁に取り付けられたスピーカーから、ネリィの高笑いが遠く響く。ダイスはため息を吐いた。
 「なんなんじゃ、あのお嬢ちゃんは」
 「さぁ……昔賊の総長をやってたとか、それが原因で家から追放されたとか……変な噂はいろいろ聞きますけどね」
 「どうしてこう阿呆が多いんじゃ、ウチの艦は……」
 ダイスはぶちぶちと呟きつつ、ちらりと部屋の隅を見やる。暴走してダイスにスパナで殴られたミンミが正座していた。その瞳は非常に真剣に、ダイスとライルの様子を見据えている。
 「おいミン坊。お前もそろそろ中に引っ込んどれ。ここにいたってお前なんぞに出来ることは何一つありゃせん」
 「いえ、自分はここでダイスさんとライルさんのお仕事を見届けるのであります!」
 ミンミが拳を作って力説する。
 「たとえエンジンが暴走して火の玉に飲み込まれたとしても、自分は本望であります!」
 「コラ、不吉なことを言うな」
 「それに、仲間が命がけで戦っているのに、自分だけが安全なところにいる訳にはいかないのであります!」
 「いやミンちゃん、今この艦に安全なとこなんてないと思うけどね」
 止まぬネリィの高笑いに苦笑しつつ、ライルが言う。ミンミは力強く頷く。
 「だからここにいても同じことであります!」
 「……阿呆」
 「すんません」
 ため息を吐くダイスに、ライルが頭を掻く。ダイスは少し考えて、ミンミを手招きした。
 「ミン坊、なら近くにいて操作を見とけ」
 「よろしいのでありますか!?」
 「どこにいても同じことだと言ったのはお前さんじゃろうが」
 「では、失礼して……おおー、これはこれは……ほうほう……」
 ダイスの手元の操作盤を見て、感心したように唸り始めるミンミ。ダイスは苦笑した。
 「全く、どこまで分かっとるんだか……」

 突然の通信に、エターナが眉をひそめた。
 「停止しろ、と?」
 「そうだ。グランシャリオはその場で停止してこちらの指示に従え」
 「ふざけんなよ、もうちょっとで予定宙域だってのに!」
 ケイが乱暴にコンソールを叩く。正面スクリーンに映る地球連合士官は、尊大に鼻を鳴らした。
 「そんなことはこちらの知ったことではないな。キサマらが何をやろうとしているかは知らんが……グランシャリオの移動で混乱が起きていることの方がよほど問題なのだ。潰されかけたMSも多数存在するのだぞ?」
 「警告は出しただろ!?」
 「そういう問題ではない! 軍の規律に収まらんキサマらが好き勝手に暴走しているのを見過ごす訳にはいかんのだ」
 ケイは舌打ちした。グランシャリオは、合流宙域まであとわずかということで、駐留軍の戦艦に道を塞がれているのだった。
 「艦長、構わないから別のルート通り抜けようよ。こんな奴に構ってらんないよ」
 「キサマ……誰に向かってそんな口を利いている!?」
 「うるさいよ、じゃあアンタにこの状況を収拾する策があるのかよ、えぇ!?」
 「そ、それは……」
 連合士官は一瞬言葉に詰まったが、すぐに開き直るように胸を張った。
 「そんなことは、キサマの知ったことではない! キサマらは黙ってこちらに従えばいいのだ!」
 「このっ……!」
 「ケイさん、落ち着きなさい」
 艦長席から、エターナが静かに注意する。連合士官はにやりと笑った。
 「ほう……さすがに艦長ともなると、少しは話が分かるようだな?」
 「ええ……ですが、先ほどの質問にはお答えいただけないでしょうか?」
 「……軍事機密だから明かせないが、こちらも策は考えている。安心しろ」
 「騙されんなよ艦長! こいつら、自分たちに従わないアタシらが気に入らなくて嫌がらせしてるだけなんだ!」
 「キサマッ……! どこまでナメた口を利けば気が済むのだ!」
 モニタ越しに、ケイと連合士官がにらみ合う。正規軍同士ではあり得ない光景。ネリィはその横でイライラした表情で腕を組んでいる。エターナは黙考したが、答えは出ない。
 その内、痺れを切らした連合士官が叩きつけるに叫んだ。
 「もういい! キサマらでは話にならん。督戦士官のイワン・イワノフ少佐を出せ!」
 「え?」
 ケイの頬が引きつる。イワンは白目を剥いた放置されているはずだった。ケイの反応に、連合士官が眉根を寄せる。
 「どうした? ……まさか貴様ら、イワン少佐に何か……!」
 「い、いや、そんなことはないんだけどその」
 ケイは焦って艦長席を振り返る。エターナはその会話が耳に入っていないかのように、驚いた表情でケイを見下ろしている。いや、正確には彼女の左隣を。ケイは不思議そうにそちらを振り返り、絶句した。
 先ほどまで気絶していたイワン・イワノフ少佐が、背筋を伸ばして立っていた。真剣な横顔。
 「そんな、四時間は目覚めないはずなのに!」
 「やっぱやばい薬だったのかよ!?」
 注射器を見つめて驚愕するエターナに、ケイが呆れて叫ぶ。
 「おおイワン少佐、今までどちらに?」
 「いや……それよりも、言いたいことがある」
 イワンは静かにマイクを握る。ケイは頭を抱えた。
 「クソッ、ここまでかよ……!?」
 イワンは大きく息を吸い込み、大真面目な顔で言い放った。
 「お前ら、早く散開してとおさんかい!」
 一瞬、ブリッジが奇妙な沈黙で満たされる。ケイが口を開け、ネリィが目を見開きエターナが首を傾げる。連合士官も唖然とした顔をしていた。
 「……今の、ひょっとして駄洒落?」
 ケイが嫌そうな顔で呟く。イワンは顔を赤くして咳払いした。
 「と、とにかく、早くそこをどきなさいアンタ」
 「は……いや、しかし」
 「いいからさっさと通すの! 通してくれないとガルン将軍に言いつけちゃうぞ!」
 腕を振り上げて駄々っ子のように喚くイワン。連合士官は困惑してケイに訊いた。
 「おい、本当にこの方はイワン少佐か?」
 「え? あー……」
 ケイはちらりとイワンを見る。イワンは「何だとぅ! どういう意味だこのぅ!」だのと言って拳を振り回している。ケイは顔を引きつらせながら頷いた。
 「も、もちろんさ! ささ、早く督戦士官の言うとおりにしてよ、ね?」
 「うーむ、しかし……前にお会いしたときと様子が違いすぎる……」
 渋る連合士官。イワンの顔が真っ赤になった。
 「なにぃ!? もう怒ったぞ! お前なんかガルン将軍に言って……あー……」
 イワンは困ったようにケイを見た。
 「どうしてもらったらいいんだろ?」
 「え? ええと……な、南極基地に転勤なんてどうかな?」
 「おお、そりゃいい!」
 それを聞いていた連合士官の顔が、見る見るうちに青くなる。イワンの階級は少佐だからそれ程高くないが、彼は個人的に連合上層部に顔が利くという噂だった。
 ネリィとエターナが顔を見合わせ、面白そうな顔で便乗する。
 「ついでに給料五十パーセントカットなんてどうでしょう?」
 「清掃員に格下げなんて素敵じゃないかしら?」
 イワンは満足したように頷いた。
 「それだけやられりゃアンタの人生終わったようなもんだな、うん」
 「ちょ、勘弁して下さいよ! 私には病弱な妻と五歳になったばかりの娘が……」
 立場も忘れて慌てふためく連合士官に、イワンは指を三本立ててみせた。
 「だから、そうなりたくなきゃ通せって言ってんの! さあ3秒以内に選べ、通すか南極か!?」
 「え、ちょっと」
 「ほれ行くぞぉ! ブリッジの皆さんカウント始めぇ!」
 指揮者のように手を振り上げるイワン。ブリッジの三人は半ばヤケクソに、半ば楽しそうに手を叩いた。
 「3!」
 「あの」
 「2!」
 「いやだから」
 「1!」
 「まっ……」
 「だっはっは、それじゃありがとうな! 君のことはガルン将軍にもよろしく言っといてあげよう!」
 イワンの高笑いを残して、グランシャリオが連合戦艦の前を通り抜ける。連合士官はげっそりとした表情でスクリーンから消えた。
 「うむうむ。いい感じだぞ。目的地にはまだ着かないのか、ケイちゃん」
 「ケイちゃん!? は、いや、まああともう少しってとこかな……」
 「そうかそうか、それは結構コケコッコー! 何ちゃってー!」
 一人で笑い転げるイワン。ケイは泣きそうな顔でネリィに耳打ちした。
 「ねぇちょっと、何でこの人こんな愉快で不愉快なおっさんになってんの!?」
 「知りませんわよ! ワタシに聞かないで下さいまし!」
 ネリィもイワンのことが気になってか、先ほどよりもテンションが低い。
 「ん、何の話かなお嬢さん方、おじさんに全部話してごらんってこれじゃ変態だなぁうわっはっはっは」
 腹を抱えて大爆笑するイワン。その時、ケイはイワンの頭に大きなたんこぶが出来ているのを見つけた。
 「……ひょっとして、頭ぶっけておかしくなったのか?」
 「そんな都合のいい……」
 ネリィは呆れて言葉もないようだった。
 「皆さん、些細なことを気にしてはいけませんよ」
 「うむ、よく分からんけどその通りだ。細かいこと気にするとハゲるって言うしな!」
 エターナが微笑みイワンが笑う。ケイとネリィは顔を見合わせてため息を吐いた。
 「さあ進めグランシャリオ! 新しい世界の扉を、ワシらの手でドアー! っと開けてやるのだ!」
 イワンが上機嫌で前方を指差す。目標地点は間近に迫っていた。

 マーク・ギルダーの駆るスーパーガンダムは、ブリッジからの指令を無視するかのように、見当違いの方向へ向かっていた。 
 「マーク、どこへ行くつもりなのですか。目標地点はそちらではありませんよ」
 スクリーンに、後ろからついてきているニキ小隊長の顔が映る。声に怒りはない。説明を求めている口調だ。
 「誰かが呼んでる気がするんだ」
 マークは少しの間言葉を選んだ後、自信なさ気に言った。
 「呼んでいる、ですか」
 「来い、か? いや……助けてくれ、か? 漠然とした感じでね。正確には分からない」
 「そうですか」
 「悪いな、はっきりしなくて」
 謝罪するマークに、ニキは微笑んでみせる。
 「あなたの勘は信用していますよ。大丈夫、デスアーミーは着いてきているようです。このまま速度を緩めなければ作戦時刻までには間に合う計算なのでしょう?」
 「状況にもよるがね。ありがとよ、隊長殿」
 二機はしばらくの間、宇宙を飛び続けた。不意に、ニキが呟くように言う。
 「もうすぐ、第三小隊からの連絡が途絶えた宙域に入りますね」
 「ああ……あれか!?」
 前方に、何かが見えてくる。いくつものMSの機影。その全体像をとらえたとき、マークは愕然とした。
 「これは……」
 ニキも驚愕に言葉を失っていた。
 彼らの周囲に、デスアーミーの残骸が無数に漂っている。その破壊のされ方が尋常ではない。
 「これは……明らかに強い力で引き千切られていますね」
 「こっちは頭が粉々だ。ミンチ・ドリルで砕いたってこうはならん。本当にMSがやったのか?」
 「分かりません……マーク!」
 ニキが短く叫ぶより前に、スーパーガンダムはその場から退避していた。ビームが過ぎ去っていく。振り向くと、金棒型ビームライフルを構えたデスアーミーの姿が。
 マークとニキが同時にビームライフルを構える。しかし、銃口から光が飛び出す直前に、デスアーミーの胸部をビームサーベルが刺し貫いた。デスアーミーの背後に、蒼い機影。
 「三隊の……ブルーディスティニー……?」
 BD一号機は滑らかな動きでビームサーベルを引き抜き、胸から火花を散らしているデスアーミーを横に蹴り飛ばす。宇宙に炎の花が咲く。その光に、BD一号機の蒼い機体が照らされる。
 「……では、この状況はシスが……?」
 「分からん。隊長、デスアーミーがこちらに追いつくまでにはどのぐらいだ?」
 「およそ五分ほどと推測されますが」
 「なら、それまでに何とかしないとな」
 ニキが息を飲んだ。
 「しかし、あれはシス・ミットヴィルでしょう? 第三小隊の……」
 「そうだ。そのはずだ。だが」
 マークは瞳に力を込めて、BD一号機の赤い目を睨む。パイロットスーツに包まれた手に、汗が滲んだ。
 「あれはやばい。そう感じる。思わずトリガーを引きたくなるんだよ、こうやって向き合ってるだけでもな」
 「危険、ということですか?」
 「そんな生易しいもんじゃない。全身が叫んでるんだ。奴を壊せ、早くあいつを消し去ってしまえって……!」
 その瞬間、突如BD一号機がマシンガンを持ち上げた。ほとんど反射的に、マークとニキが回避運動を取る。スーパーガンダムの腕部を銃弾が掠めた。
 「今の照準……正確にコックピットを狙っていた!?」
 ニキが驚愕する。マークは機体を動かしながら歯噛みした。
 「殺す気満々ってか!? そっちがその気なら!」
 マークもビームライフルを打ち返す。コックピットを直撃するコース。しかしBD一号機は、それを軽々とかわしてみせる。
 「馬鹿な、あんなタイミングで!?」
 「マーク、今、コックピットを!」
 「あっちが最初にやってきたんだろうが!」
 自分でも不思議なほどに、マークは激昂していた。その間にBD一号機は動き出す。凄まじい速度だ。肉眼ではその機影を捉えることすら危うい。
 「クソッ、本当に人が乗ってるのか!?」
 ニキがハッと息を飲んだ。
 「これはまさか……EXAMシステム!?」
 「エグザムだと!?」
 執拗にスーパーガンダムを狙ってくる射線を避けながら、マークが叫び声で問い返す。
 「BD一号機に搭載されているという……しかし、この動き……機体のスペックを完全に上回っている!?」
 ニキが驚愕するも、それに答える余裕はマークにはない。尋常でない速度で追いすがってくるBD一号機の動きに対応ので精一杯だ。
 「何かに取り憑かれてるような……!」
 「シス、シス! 聞こえますか? シス!?」
 ニキが通信をいれようとしているが、シスからは返答がないようだ。マークは舌打ちした。
 「隊長、もう今さらだろうが、撃墜の許可をくれ」
 「しかし……!」
 「何があったか知らないが、こっちだって落とされる訳にはいかないだろうが!」
 「行動不能には出来ないのですか?」
 「出来ればやっている!」
 マークは声を荒げて切り返す。BD一号機が蒼い軌道を描いて肉薄してくる。スーパーガンダムとBD一号機のビームサーベルが同時に引き抜かれ、打ち合わされる。その時、マークの頭の中で声が響いた。
 ――壊れろ!
 ――止メテ!
 「なにっ……?」
 マークが目を見開く。BD一号機の胸部バルカンが火を吹いた。スーパーガンダムの腕部装甲が、一部吹き飛ばされる。
 「マーク!」
 「無事だ!」
 ニキの声に短く答えて、マークはBD一号機を蹴って距離を取った。
 「今の……二人の……女の声?」
 「え?」
 「隊長、時間はあと一分はあるよな?」
 「え、ええ」
 「奴の足を止めてくれないか?」
 マークの声に冷静さが戻ってきていた。一瞬の間を置いて、ニキが頷く。細かい質問も打ち合わせもない。体勢を立て直したBD一号機が、再び突進の姿勢を取った。
 「GO!」
 マークの合図で、スーパーガンダムとガンダムMKMが同時に動いた。動こうとするBD一号機を、ニキがビームライフルで牽制する。蒼い機影がその場で硬直する。マークは機体をBD一号機目掛けて突進させた。
 「遅いか!?」
 BD一号機に取り付く寸前、マシンガンの銃口がスーパーガンダムに向けられた。しかし、射撃の寸前に左右からビームが飛来し、マシンガンを吹き飛ばした。ガンダムMKMのインコムだ。
 ――ファンネルもどきが!
 苛立った声がマークの頭で響く。今度は一人だ。
 「もっと近くへ……!」
 マークは理解しがたい衝動に駆られて、スーパーガンダムの手をBD一号機のコックピット部分に押し当てる。
 ――ワタシに触れるな、化け物!
 ――ワタシカラ離レテ!
 「誰だ……誰なんだ? お前は誰だ!?」
 BD一号機のバルカンが火を吹く。機体に絶え間ない衝撃。ニキの危機的な声が遠くなっていく。マークは意識を誰かの声に集中し、襲い来る死への誘いの中、静かに目を閉じた。
 いつしか、マークは不思議な静寂の中に抱かれていた。
 「……どこだ、ここは……?」
 薄らと目を開く。目の前に、無数の星が煌く宇宙が広がっていた。しかし、見慣れたものとは違う。
 「蒼い……宇宙……」
 呟きが口から漏れた。どこまでも果てしない、蒼い宇宙。微笑みを浮かべて眠る夜のような、静かな温かさが胸に満ちていく。
 ――アナタハ誰?
 どこからか声が聞こえてくる。マークは自然に言葉を返した。
 「俺は……マーク・ギルダー。お前は……?」
 ――ワタシハ……ワタシハ誰?
 「俺が聞いてるんだよ」
 マークは少し笑った。声が不思議そうに問い返してくる。
 ――オカシイノ?
 「自分のこと、分からないのか?」
 ――オカシイネ。
 声が微笑む。
 「ここはどこなんだ?」
 ――ウチュウ。
 「蒼い、宇宙?」
 ――ウチュウハ蒼イヨ。
 「そうなのか? ……そうなんだな」
 マークはしばらくの間、黙って蒼い宇宙を眺めていた。周りには誰もいないが、誰かが寄り添っている気がした。寂しくはない。しかし、手を一杯に伸ばしてみても、指先が何かに触れることはない。
 ――サミシイ。
 声が悲しげに呟く。
 「そうか?」
 ――ウン。
 「お前が、EXAMか?」
 マークは聞いた。何故だか、唐突だとは思わなかった。誰かが首を横に振った。
 「じゃあ、お前は誰だ?」
 迷うような気配。
 ――ワタシハ――
 蒼い宇宙が弾け飛ぶ。マークの意識が一瞬遠のいた。
 マークは、突如目の前に現れたBD一号機の姿に息を飲んだ。既に動きを停止した蒼い機体からは、先ほどのような禍々しさが消えていた。
 「マーク、無事ですか!?」
 ニキの声。振り返ると、ガンダムMKMがインコムを収納しながら近付いてくるところだった。
 「隊長……俺は、どのぐらい意識を……?」
 「え? 何の話ですか?」
 ニキの困惑した声。聞くと、スーパーガンダムがBD一号機の胸部に手を押し当てた瞬間、二機が同時に停止してしまったらしい。
 「その直前まで、BD一号機はバルカンを撃っていましたから……大丈夫ですか?」
 「ああ……空気漏れもないし、貫通もしてない」
 「そうですか、良かった」
 ホッと息を吐くニキ。マークはBD一号機から視線を横にずらした。闇を抱く宇宙。
 「……蒼い訳がない、か」
 「え?」
 「いや……それより、パイロットは無事なのか?」
 「……マーク、さん」
 通信。BD一号機から。消耗した様子のシスがスクリーンに映る。息が荒い。
 「……申し訳、ありませんでした……」
 俯いたシスが、震える声でそれだけを口にする。マークはその小さな姿に目を細めて見つめた。
 「記憶は、あるんだな」
 「はい」
 マークは再び、機外の暗い宇宙に目を移す。
 「あれは、お前なのか?」
 「……分かりません。システムを起動させたのはワタシですが」
 シスの返答に、マークはため息を吐く。
 「そういう意味じゃ、ないんだがな」
 「え?」
 「シス、先ほどのブルーディスティニーの動きは……」
 ニキが口を挟んでくる。
 「やはり、あれがEXAMシステムなのですか?」
 「はい。いくらかは、お二人もご存知かと思いますが……」
 シスは手短に話し始めた。運動性や攻撃力を飛躍的に高め、MSを戦闘マシーンに仕立て上げるシステム。自分がそのテストパイロットであり、それを知っているのはエルンスト隊長しかいなかったということ。
 「でも、まさかお二人に襲い掛かってしまうなんて……」
 「いえ、狙われたのはマークだけです」
 「……では、マークさんはニュータイプなのですか?」
 「ええ、そう聞いていますが……何故そんなことを?」
 「EXAMには、ニュータイプを感知すると暴走する性質があるらしいのです。詳しいことは聞かされていないので分かりませんが……」
 「それにしても凄い力だった」
 ポツリと、マークは呟いた。
 「あんな物が量産されでもしたら、デスアーミーなんかに手間取ることはなくなるだろうに」
 「それは、あり得ないと思います」
 シスが静かに断定する。
 「EXAMは、使用者の精神と肉体に強い負担をかけるんです。ワタシの前に乗っていた人たちは、ことごとく廃人に……」
 ニキが息を飲む。マークは舌打ちした。
 「そんな危険な代物に、子供を乗せるなんてな……恐れ入る」
 「いえ、ワタシは違うんです」
 「違う?」
 次の言葉を言うまでに、シスは数秒の間を要した。
 「ワタシは、EXAMを操ること……それだけを目的として作られた……人形です」
 シスの声は静かだったが、必死に抑えようとしている震えが、隠し切れずに滲み出ているようでもあった。怖がっているのだ、とマークは思った。
 「使い物にならなかったEXAMシステムを、有効利用するために、肉体と、精神の、強化を」
 「もういい」
 うんざりしたように、マークが話を遮った。
 「そんな話はどうでもいいんだ。そんなことより、問題はこれからどうするかだ」
 シスがびくりと肩を震わせた。そして、瞳に浮かぶ恐怖の色を振り払うように、彼女は口を開く。
 「……はい。いかなる処分も覚悟……」
 だが、その言葉はニキによって遮られた。ニキはマークに向かって頷き、言う。
 「そうですね。デスアーミーが追いつくまでもうほとんど時間がありません」
 シスが驚いて顔を上げる。しかし、そんなことなど気にも留めないように、マークはスクリーンの片隅に目をやった。
 「正確には……もう一分もないか?」
 「おそらく」
 「なら、さっさと行くとしよう。シス、機体の動作に問題は……」
 シスは、二人の会話を聞いて呆然としていた。マークは眉根を寄せた。
 「シス?」
 「あの、ワタシの処分は……」
 「処分?」
 マークは大袈裟に肩を竦めてみせる。
 「未完成のよく分からんシステムが誤作動を起こしただけだろう? それが何でお前を処分する話になる?」
 「しかし、ワタシはお二人を……」
 「大したことじゃないさ。実際何ともなかった訳だからな」
 「そうですね。別段珍しいことでもないですし」
 ニキも済まして同意する。
 「だから、いちいち人に話すような話でもありませんね?」
 「そうだな。ごくありふれたつまらん話だ。戦場ではよくある」
 「そんなはずはありません!」
 半分ムキになって、シスが反論する。顔がわずかに紅潮していた。
 「こういったことは報告して、艦長の処断を……」
 「言ったろう、つまらん話だと。エターナ艦長はああ見えて気が短いからな。退屈が話をして怒られたくない。そう、つまらん話だ。だから……」
 「あなたがそんな辛そうな顔をしてまで話すことではないと。そういうことですよ」
 ニキが、シスを安心させるように微笑んだ。
 「それよりも、すぐに帰艦しますから、手早く機体のチェックを済ませてくださいね」
 「しかし」
 「行動は迅速に!」
 ぴしゃりと遮るニキ。シスは顔を伏せた。
 「はい」
 ありがとうございます、という小さな声と共に、通信が切れる。
 ニキが、憂いを含んだ表情で言った。
 「サイコミュ系兵器の開発チームは、EXAMシステムの開発チームと仲が悪いと、聞いたことがあります」
 「そして、今ウチの会社で力を持ってるのは前者の方、か」
 マークはため息を吐いた。
 「あんな子供が派閥闘争に巻き込まれるとはね」
 「そもそも、こんな危険な場所に来ていること自体が問題なのですよ」
 「全く、世の中これ以上ないぐらいに異常だな」
 マークが愚痴るように言ったとき、いつもの無表情に戻ったシスがスクリーンに現れた。
 「あの、ニキ小隊長」
 「問題はありませんか?」
 「はい。帰艦命令が出ているのですか?」
 「ええ」
 「しかし、エルンスト隊長たちが……」
 「そういえば、第三小隊の皆さんはどういった状況に置かれているのですか?」
 「そうだ、いろいろあってすっかり忘れてたな」
 二人の疑問の声に、シスが手短に事情を説明する。
 「連絡があるまで待つことは……」
 「もちろんそのつもりですが……マーク、大丈夫ですか?」
 スーパーガンダムは、先ほどのBD一号機との戦闘で損傷を負っている。しかし、マークは余裕ぶって頷いた。
 「大丈夫、このぐらいなら問題ない。あんな雑魚どもに遅れはとらん」
 不意に、マークが機体を後退させる。そのすぐ前を、ビームの光が飛び去っていく。
 「……こんな風にな」
 三機が、マークたちが飛んできた方向を振り返る。金棒型ビームライフルを構えたデスアーミーの一群が、じょじょに迫ってきているところだった。マークとニキは、シスのBD一号機を守るようにその前方に展開する。
 「マーク、敵を近づけないようにしてくださいね」
 「ああ。せいぜい適当にあしらわせてもらおう……シス、よく分からんシステムは使うなよ」
 「……はい」
 シスの声が少し固い。ふと、マークは聞いた。
 「そういえば、エルンスト隊長はそのシステムについてどのぐらい知ってるんだ?」
 「多分、ワタシと同程度には」
 シスの声が、また少し沈む。
 「この機体の前のパイロットは、エルンスト隊長の同僚だったそうですから……」

 ――……エルンスト……怪我の具合は……
 ――……そう、新型のパイロット……
 ――……クレアの抜けた穴を……俺だって、今はニュータイプ……
 ――……心配すんなよ……データ収集だけで特別給与……楽な仕事……
 ――……これでカチュア……迎えに……楽な暮らしを……
 ――……ああ……今は、リィス家に……
 ――……一度も会ってない……マリアに似た、可愛い子に……
 ――……すまん……強化手術……頭が痛い……
 ――……大丈夫、今日は調子がいい方……前みたいに殴りかかったりは……
 ――……ああ、感覚はむしろクリアに……宇宙には何もないからな……
 ――……分からないか……でもそう思う……
 ――……出撃命令……
 ――……エルンスト……
 ――……俺に何かあったら……カチュアを……
 ――……柄じゃない……そう……俺、何でこんな……忘れてくれ……
 ――……心配ない……簡単な任務……
 ――……行ってくる……怪我、早く治せよ……

 ――……隊が全滅……ブレイズってのが……
 ――……味方に襲い掛かったって……
 ――……機体は大破……さあ、死んだんじゃ……
 ――……やっぱり強化人間……失敗続き……前の奴も狂って……
 ――……EXAMってのも……暴走……
 ――……開発は中止……そりゃそうか……
 ――……だったら……全員無駄死に……

 ――……エルンスト……乱闘騒ぎとは……何が……
 ――……なるほど……気の毒な……
 ――……辞める……軍を……
 ――……戦場で人が死ぬ……よくある……
 ――……あまり気に病むな……
 ――……決意は固い……そうか……
 ――……君ほどの……失うには惜しい……
 ――……さよならだ……また……

 ――……エルンスト……アタシはブランド……
 ――……そう……社長さん……
 ――……もう一度戦場……デスアーミー……実験機部隊……
 ――……ダメ……そう言わずに……
 ――……これを見ても……同じことが……
 ――……EXAM……強化人間……ニュータイプ……
 ――……どれもあなたには……興味深い……
 ――……それらは……兵器として優良な……
 ――……そう……それでは……一週間後に……歓迎するわ……

 人類の敵、デスアーミー。
 それを殲滅するための実験機部隊、Gジェネレーションズ
 俺にとっちゃ、そんなのはどうでも良かった。
 俺の戦友を殺した物が、未だに存在して誰かを苦しめてる
 ただ、それが許せなかっただけだ。
 もう二度とあんな物に誰かを殺させやしない。そう誓った。
 だが、俺には何も出来なかった。
 檻に閉じ込められたエリス、喪失を怖れるレイチェル、絶望に囚われたシス。
 その上カチュアまで部隊に編入されてきたときには、本社に襲撃をかけようかと本気で考えたぐらいだ。
 どれだけ止めてもカチュアは引き下がらなかった。
 戦う理由。好きな奴がいるから。馬鹿かと思った。死にたがってるのかと。
 顔は全然似てないのに、そういうところだけはあいつにそっくりだ。
 なら、それもいい。ここは軍隊じゃない。
 俺の腕で全部守ることができるはずだと、そう思った。
 ヒーローを気取ってた訳じゃない。
 だが、それだけのことなら俺にも出来るはずだと。
 ただ単純に、理由もなくそう確信していたんだ。
 あいつが俺に託したもの、あいつを殺した物に押しつぶされそうなもの。
 今度こそ、俺がこの手で守ってみせる。
 全部守ってみせると。
 そう、誓ったんだ。
 誓ったんだ。

 「それなら、こんなところでへばってる場合じゃないだろ?」
 「ちょっとはカッコいいとこ見せてよね、おっちゃん」

 真っ白に染まっていた視界が、再び光を取り戻した。無数のデスアーミーに取り囲まれ、硬直しているバギ・ドーガの姿。
 エルンストは獣のような咆哮を上げながら機体を加速させ、ビームライフルを連射した。
 今まさに金棒でカチュアを押し潰そうとしていたデスアーミーが、一機残らず吹き飛ばされる。
 バギ・ドーガの隣で急制動をかける。強い衝撃と共に、機体が停止した。
 「カチュア!」
 通信。カチュアは恐怖に青ざめた顔をスクリーンに映す。
 「た、隊長……」
 「無事か。良かった。怖かったろう?」
 「わ、ワタシ……ワタシ……」
 カチュアの目に涙が溜まっていく。接近を試みてくるデスアーミーを射撃で黙らせながら、エルンストはカチュアの声を遮った。
 「話は後だ。すぐにこの宙域から脱出するぞ。いいな?」
 「う、うん」
 頷く。カチュア。しかし、デスアーミーの包囲は簡単に破れなかった。後退するべく機体を移動させようとしても、四方から殺到するビームに足を押さえられる。
 「こんなところで落とされる訳にはいかねぇってのに……!」
 歯軋りするも、戦力差は如何ともし難い。カチュアの動きもいくらか鈍くなっていた。二機は脱出する前にデスアーミーに取り囲まれてしまう。正面のデスアーミーが勝ち誇ったように金棒型ビームライフルを構えた。エルンストが舌打ちを漏らす。
 その瞬間、突如後方のデスアーミーが爆発した。同時に、通信が入る。
 「た、た、た、隊長おおおぉぉぉぉぉ!」
 こめかみに青筋を立て、目を極限まで見開いたドクの顔がスクリーンに現れる。エルンストは一瞬驚いた後、ニヤリと笑った。
 「カチュア!」
 「う、うん!」
 ドクの攻撃で空いた穴目掛けて、Ez8とバギ・ドーガが一気に飛び出す。追いすがるビームがいくらか装甲を削ったが、どれも致命傷には至らなかった。
 「く、くくく、喰らえぇ! 来るなぁ! 死ねぇ! ○※△×!」
 聞き取れないほど声を高くして絶叫しまくるドク。ギラ・ドーガはマシンガンをフルオートで掃射しつつ、携行している武器をひたすらデスアーミーに向けて発射あるいは投擲する。本人の叫び声同様滅茶苦茶な攻撃だ。しまいには片手のアックスまで投げつける始末だ。デスアーミーたちの足が止まった。エルンストが大笑いする。
 「よし、よくやったぞドク」
 「そ、そそそ、そうか?」
 「おう。さあ、さっさと退避するぞ!」
 「お、おおああ!? まま、待ってくれよ!」
 そのまま加速して離脱するEz8とバギ・ドーガを、ギラ・ドーガが必死で追いかけた。

 「第二小隊の連中がもう少しで到着するよ。ルナ大尉とソニア大尉も敵を引っ張ってきてくれてるみたい」
 「グランノヴァ砲、いつでも発射できるぞい」
 「エイブラム・ラムザット、サエン・コジマ、共に配置を完了しました」
 「ありがとう。それでは第一小隊と第三小隊の皆さんが帰艦するまでこの場に固定して下さい」
 ケイとダイスとエイブラムの報告に頷き、エターナは艦長席のシートに身を埋めた。隣ではイワンが「この一撃が歴史を変える」などと興奮気味に呟いている。艦が固定されたためにやることがなくなったネリィが、少し心配そうに艦長席を振り返る。
 「艦長、本当にグランノヴァ砲で戦闘を終わらせられるんですの?」
 「ええ。そうするつもりです」
 「でも、今回のデスアーミーはデスボール撃破後も数を増やしましたわよね?」
 「確かにそうだね。グランノヴァ砲で今いる分は殲滅できるかもしれないけど……その後にまた出てきたら、艦長、どうするつもりだい?」
 前方のスクリーンから目を離さないまま、ケイが言う。エターナは少し困ったように頬に手を当てた。
 「その質問に答えるのは、少し難しいですね……とりあえず、ワタシにはそれによって敵を倒せるという確信がある、ということで納得していただけませんか?」
 「でも」
 「止めなよ、ネリィ。こうなったら腹くくって艦長を信用するだけさ」
 ケイがキャップを被り直しながら、唇の片端を吊り上げる。
 「それに、こういう賭けは嫌いじゃないね」
 「あら、賭けは賭けでもオッズは1.1倍ですよ」
 「そりゃ結構。本命ってのはあんまり好きじゃないけど、今回ばっかりは大穴狙いでいく訳にもいかないもんなぁ」
 ケイは肩を竦める。エターナが安心させるように笑った。
 「大丈夫ですよ、ネリィさん。何も心配することはありません」
 「根拠をお聞きしてもよろしくて?」
 まだ少し疑わしそうに、ネリィが聞く。エターナは微笑んだ。
 「何となく、です」
 「自信満々に言うことですか?」
 「うむ。ワシも何となく大丈夫だと思うぞ!」
 「あんたのは多分気のせいだろ……来た!」
 胸を張るイワンに呆れて答えたケイが、突然緊迫した叫び声を上げる。
 モニターの右方で、無数の閃光が走るのが見えた。
 「第二小隊の連中だ!」
 「マークさんとニキさんと、第三小隊の方々は?」
 「まだ……いや、あれか!?」
 モニターの左方からも、いくつかの機影が近付いてくる。Ez8HMCを先頭に各機が続く。同時に、中央からも数機。駐留軍のルナ大尉とソニア大尉の小隊だろう。左方、中央、右方、どの小隊も大量のデスアーミーを引き連れてきている。
 「うっわ、気持ち悪ぃ」
 「悪趣味ですわね」
 ケイとネリィが揃って顔をしかめる。エターナは立ち上がって号令を発した。
 「グランノヴァ砲スタンバイ! エイブラム、サエンの両名は援護を開始。くれぐれも味方に当てないように」
 「了解」
 「OK!」
 艦の両脇で待機していた百式とドーベンウルフが、メガバズーカランチャーとメガランチャーを発射し、デスアーミーの大群と味方機の間を遮断する。サエンが口笛を吹いた。
 「狙いバッチリ。さすが俺!」
 ケイが通信回線を開いて全機に指示を送る。
 「全機、グランノヴァ砲の射線から退避しな!」
 「カウントを開始します」
 エターナが静かに宣言し、ゆっくりと右手を上げる。
 「5」
 重低音と共に、グランシャリオ前部の巨大な砲口が光を放ち始める。
 「4」
 デスアーミーをギリギリまで引きつけた後、味方全機が即座に射線上から退避。
 「3」
 機関部のクルーが生唾を飲み込んだ。
 「2」
 ケイとネリィが息を飲み、イワンが鼻息も荒く拳を握り締める。
 「1」
 コックピット内のエルンストが、デスアーミーに向かって親指を逆立てた。
 「くたばれ」
 「0!」
 エルンストが呟くのと、エターナが右腕を振り下ろすのとはほぼ同時だった。
 グランシャリオの砲口が、火竜の吐き出す炎さながらに極大のビームを放つ。ブリッジが眩い光に包まれ、その光景を目の当たりにした全ての人間が、腕で目をかばった。
 荒れ狂う光が、宇宙の闇ごとデスアーミーたちを飲み込み、舐め尽くす。それは魔を断つ神の剣か、死へと誘う魔王の息吹か。
 いつしか網膜を焼く輝きが過ぎ去り、誰もがおそるおそる目を開けたとき、宇宙は再び静かな闇をたたえていた。
 誰もが無言だった。わずかに残ったデスアーミーですら、動きを完全に停止して星の海に漂っている。
 「……状況報告」
 静寂を破るエターナの声。ケイは慌ててモニターに目を走らせた。
 「射線上のデスアーミー、全機消滅……残ってるのは、元の一割弱程度……だね」
 「味方への被害は?」
 「イワン少佐の名前で退避命令出してたから、多分大丈夫だと……思う」
 「よろしい」
 満足げに、エターナが頷く。同時に、残っていたデスアーミーが先を争うように散り始めた。
 「後は駐留軍の皆さんにお任せしましょう。全機に帰艦命令を」
 「あ、ああ」
 エターナはにっこりと微笑み、Gジェネレーションズ全機に通信を送る。
 「皆さん、お疲れ様でした。一人も欠けることなく、理想的に……私たちの勝利です」
 瞬間、通信回線に歓声が満ち溢れた。勝利を喜び合う声、安堵の吐息、聞き取りがたい絶叫。機関部でミンミが号泣し、ダイスとライルが肩を竦めあう。ブリッジでケイがキャップを放り上げた。
 「あー、疲れた、いっつも以上に疲れた、もう何もしたくないぐらいに疲れた! ねー艦長、有給申請したいんだけど、認められるかねぇ?」
 「さぁ、どうでしょうね。それはそうと、帰艦する皆さんの誘導がまだ残っていますよ」
 「えー、だるいなぁ……ネリィ、やっといてよ」
 「嫌ですわ! 自分の仕事ぐらい責任を持ってやり遂げなさい!」
 「うー」
 不機嫌に唸りつつも、ケイが味方機の誘導を開始する。艦長席の横で、イワンが何度も頷いた。
 「うんうん、何事もなく無事に終わって良かった良かった。ハッピーラッピーウレピーなーっと」
 上機嫌に鼻歌なんぞ歌い始める。ネリィが顔をしかめ、エターナがクスリと笑った。
 「イワン少佐、今回はご協力ありがとうございました」
 「いやいや、戦っている皆の苦難を思えばこのぐらい大したことないぞ! おおそうだ、MS隊の皆をねぎらってやらなきゃな。それじゃ皆さんバイバイキーン」
 気分良さそうにブリッジを出て行くイワン少佐を、ネリィがため息を吐いて見送る。
 「艦長、いいんですの? あの人放っておいたらどんな騒動が起きるか」
 「ビックリするでしょうね、皆さん」
 「ジェシカ姉あたりは気味悪さに耐え切れなくて撃つかもしんないよ……ん?」
 肩を竦めたケイが、不意に何かを見つけて前に手を伸ばした。
 「……壊れたチップ? 何でこんな物がブリッジに浮いてるんだ?」
 「何ですの、それ?」
 「さぁ。何かの部品かな……あ、イワン少佐の名前が刻んである」
 それを聞いたエターナの目が、一瞬鋭く細められたが、
 「まぁ、落し物ですか。すぐに届けてあげませんと」
 そう言ったときには、元の穏やかな表情に戻っていた。ケイが腰を浮かせる。
 「それじゃアタシが」
 「ダメですわ。そのままバックれるおつもりでしょう?」
 「いや、バックれるってあんた」
 「そうですね。それではワタシが届けてきましょう」
 エターナが立ち上がり、ケイの目の前まで移動する。ネリィは顔を曇らせた。
 「艦長が? でも……」
 「ネリィさんは念のため艦周囲の索敵とケイさんの監視をお願いしますね」
 「ずりぃな艦長、一人だけ早上がりかよ」
 「それなら代わりにやってくれます、今回の戦闘報告書作成」
 「お疲れ様でした艦長。ごゆっくりお休みくださいませ。さぁ仕事するぞー」
 手の平を返したようにコンソールに向かうケイ。ネリィはため息を吐いた。
 「全くもう、これだからケイさんは……」
 「それではお二人とも、後のことはお任せしましたよ」
 それだけ言い残し、エターナは受け取ったチップを持ってブリッジを出て行く。
 その背中を見送り、ケイとネリィは顔を見合わせた。
 「何か、怪しくない?」
 「艦長がわざわざイワン少佐の忘れ物を……」
 「まさか艦長、今回のイワン少佐の変わり様を見て惚れちまったんじゃ」
 「あり得ませんわ!」
 「そうだ! そんなことは神が許してもこの俺が許さん!」
 「いきなり割り込んでくるな!」
 ケイが怒鳴る。スクリーンに姿を表したサエンは、大袈裟に肩を竦めた。
 「そりゃちょっとひどいんじゃないの、ケイちゃん。仲間の生還をもっと喜んで頂戴よ」
 「あーはいはい、良かったね宇宙の塵にならなくて。なってもアタシは別に気にしなかったけど」
 「ひっどいなぁ、ねぇネリィちゃん」
 「気安く呼ばないで下さる? 耳が腐りますわ」
 「うわ、もっとひどい」
 「無駄口叩いてないでさっさと艦に入ってくれよ」
 「OK。とと、その前にさ、エリスちゃんとレイチェルちゃん、どこにいるか分かる?」
 「ああ? 何だよ、またちょっかい出しに行く気かい?」
 「そんなんじゃないって。たださぁ」
 サエンは照れくさそうに笑う。
 「結構艦揺れたみたいだし、やっぱ心配じゃない」
 「信用できないね」
 「差別だ! チクショウ、俺の人権を認めるまでここ動かないもんね!」
 「ああもうウゼェな! 分かったよ教えるよ。どうせまだ医務室にいるだろ」
 「サンキュー」
 サエンが通信を切り、百式が動き出す。ケイはため息を吐いた。
 「ったく、他人の色恋話に首を突っ込む暇もないのかよ」

 機体をデッキ内の所定位置に戻し、エルンストはようやく一息吐いた。
 ハッチを開けて外に出ると、Ez8の後背部を調べていたニードルが近付いてきた。
 「おいおいおいエルンストの旦那よぉ。どんだけ無茶な真似やらかしたんだよ。バーニアがほとんどイカれてるぜぇ!」
 「あー……そうか」
 「修理にはちぃっとかかるなぁ!」
 「悪いな、面倒かける」
 「いやいやいや、そういう意味じゃねぇんだよぉ!」
 愉快この上ないというように、ニードルが唇の両端を吊り上げる。
 「ヒャヒャヒャ、普通はこういう機体のバーニア全開にする奴ぁいねぇぜぇ!? 加速の途中で意識飛ばしちまうからなぁ!」
 「そうだな、実際その通りだった」
 目を細めて呟くエルンストを、ニードルは不思議そうに見ていたが、
 「あん? いやいやいや、ンなこたぁどうでもいいなぁ! 次はもっと機動力上げてやるよぉ! アンタがこいつの加速に耐えられるってんならもう我慢する必要ねぇからなぁ! アーヒャッハッハッハッハ!」
 頭のネジが外れているとしか思えない高笑いを上げながら、ニードルの背中が遠ざかっていく。
 それをぼんやりと見送っていたエルンストは、ふと自分が右手に何かを握り締めていることに気がついた。
 コックピット内に張り付けていた、戦友たちの写真だった。すっかり折れ曲がってしまっている。無言で伸ばす。
 エルンストとビリーが肩を組み、その横でマリアと腕を組んだクレアがカメラに向かってピースしている。他にも、エルンストにとっては懐かしい顔が、思い思いの表情で写っている。
 何本か残った折れ目は、全員を一人ずつに分断するように刻まれていた。
 エルンストの指先が、無慈悲な線を、静かにゆっくりとなぞっていく。
 その時、Ez8の隣のスペースに収まったバギ・ドーガのコックピットハッチがゆっくりと開いた。
 エルンストは折れ曲がった写真を胸ポケットに入れて、バギ・ドーガに近付く。
 「カチュア」
 声をかける。返事はない。コックピットを覗くと、カチュアはまだシートに座っていた。脱いだヘルメットを膝に置いて、俯いていた。
 エルンストは無言でカチュアの返事を待った。帰艦したMSの周囲を飛び回る整備員たちの声が、二人を取り巻いていた。
 「……怖かったの」
 震える声で、カチュアが呟いた。
 「デスアーミーに囲まれて、ワタシを睨んでたたくさんの目が凄く冷たくて、呼吸も出来なくなった、心臓が止まっちゃったかと思った、ワタシは、ここで、死んじゃうんだって」
 堰を切ったように、カチュアの口から言葉が溢れ出す。涙が珠となって宙に浮かんだ。
 「あんなに怖かったの、初めてだった」
 カチュアは少し顔を上げる。涙に濡れた瞳が、上目遣いにエルンストを見た。
 「隊長」
 「ん?」
 「宇宙って、怖いんだね」
 カチュアは怯えるように両手で肩を抱いた。
 「宇宙があんなに怖いところだなんて、今まで知らなかった」
 「それはきっと、お前が幸せに暮らしてきたっていう証拠なんだろうな」
 微笑を浮かべて、エルンストはカチュアの頭を撫でてやる。そして、気を紛らわせるように聞いた。
 「家は地球にあるんだったか?」
 カチュアが小さく頷く。
 「でも、テレビでマークさんを見たとき、どうしても会いたくなって」
 「懐かしい匂い、ってやつ……画面越しにそれを感じたってのか?」
 「うん……その時は一瞬だけ。何でかな、それは本当は宇宙でしか分からないものなんだって、宇宙に行ったこともないのに、そう思ったの」
 「そんな理由でこんなとこまで……何でお前、マークにそこまで……」
 エルンストの疑問に、カチュアはぽつりと呟いた。
 「お父さん、かな」
 「え?」
 エルンストが聞き返すと、カチュアは少し哀しげに笑った。
 「ワタシ、何となく分かってるんだ。マークさんって、きっとお父さんに似てるんだと思うの」
 エルンストは思わず、写真の入った胸ポケットに触れていた。
 「お父さんって……お前の親父さんは、まだ生きてるだろ? 会社からのデータには……」
 「あ、違うの。今のお父さんじゃなくって、ワタシを生んでくれたお父さん。顔も知らない、本当のお父さん」
 衝撃のあまり、エルンストは言葉を失っていた。何を言うべきか慎重に考えたつもりが、出てきたのは震え声の一言。
 「……聞いたのか?」
 「ううん。一言も。でも、何となく分かっちゃうんだよね。この人たちはワタシを愛してくれてるけど、本当のお父さんとお母さんじゃないんだなって」
 「勘違いじゃないのか」
 「違うよ」
 「何で?」
 「何となく」
 カチュアはあどけなく笑い、ふと首を傾げた。
 「隊長、それなぁに?」
 「え? ああ」
 隠す訳にもいかず、エルンストは折れ曲がった写真を取り出してカチュアに差し出した。
 「俺の戦友の写真さ。今朝まではもうちょっと綺麗だったんだがな」
 カチュアは、その写真を食い入るように見つめていたが、やがて、
 「ワタシ、この人知ってる……」
 エルンストの眉がぴくりと動く。
 「……若い頃の俺のことじゃないよな?」
 「違うよ。隊長老け顔だからあんまり顔変わってないし」
 「おい」
 「そうじゃなくて、この人」
 カチュアがまず指差したのは、ビリーだった。エルンストは小さく息を漏らす。
 「やっぱり、か」
 「それに、この人とこの人も」
 マリアと、クレア。エルンストは眉をひそめた。
 「クレアも……?」
 「うん。あ、あとついでに隊長ね」
 「ついでってお前」
 「皆、すぐ近くにいるような気がする」
 半ば確信しているように、カチュアが言う。エルンストは頬をかいた後、不意に目を細めて宙を見た。
 「お前がそう言うなら、ホントに近くにいるのかもしれないな」
 カチュアは目を丸くした。
 「隊長がそういうこと言うなんて……」
 「俺は霊だの魂だのってのはうさんくさいと思う人間だがな……ただ、そいつら宇宙で死んじまったからな」
 エルンストは困ったように眉をひそめた。
 「だからまぁ、そういうことだ。いるとしたら宇宙にいるんだろうよ」
 「きっとそうだよ。皆、エルンスト隊長を守ってくれてるんだよ」
 カチュアは愛しげに、写真の折れ目を撫でている。エルンストはしばらくそれを無言で見守っていたが、不意に言った。
 「カチュア、それやるよ」
 「え? どうして?」
 きょとんとした顔で、カチュアは首を傾げる。エルンストはどう言ったものか迷った。
 「まあ、お前にとっちゃ知らない奴等の写真だが……あー……まあ、俺にとってもお守りみたいなもんだったから……ほら、多分、今度怖いことがあったって守ってくれるぞ」
 だからもらっとけ、とエルンストは続けようとしたが、それを言う前にカチュアが顔を輝かせて立ち上がった。
 「え、じゃあ、ワタシまだここにいていいの!?」
 「は?」
 エルンストはぽかんと口を開ける。
 「だって、今回あんなことになったから、隊長絶対言うと思ったもん、地球に帰れって」
 「あ」
 「やったぁ! 隊長がやっとワタシの部隊入りに賛成してくれたぁ!」
 万歳、とカチュアは両手を挙げる。エルンストは慌ててカチュアの手の中の写真に手を伸ばす。
 「待った、カチュア! さっきのはナシ! やっぱ危ないから帰れお前」
 「ダメー! 一回言ったこと取り消しにするなんてズルイよ隊長ー!」
 エルンストの手から写真を遠ざけ、カチュアはべぇっと舌を出す。
 「お前、怖い目にあったのにまだ懲りてないのかよ」
 「ちょっとびっくりしただけだよ! 今度はワタシ一人でやっつけちゃうモン!」
 「お前な」
 「それにさ、怖いことばっかりじゃないんでしょ?」
 カチュアは写真を見ながら微笑んだ。
 「あんな風に怖いこともあるけど、楽しい事だっていっぱいあるんでしょ? だから皆こんな風に笑ってるんだよね?」
 エルンストが返答に詰まっている間に、カチュアはその脇をすり抜けてコックピットハッチに手をかける。そして、振り返って気楽に笑った。
 「大丈夫だよ隊長、今度はきっと、隊長の友達が守ってくれるから。それじゃワタシ、エリスのお見舞いに行ってくるねー」
 そう言って飛び出そうとしたカチュアが、横手から下りてきたドクに機嫌良く手を振った。
 「あ、ハゲー。さっきは助けてくれてありがとねー」
 「ハゲって言うな! お礼言うか馬鹿にするかどっちかにしろよぉ!」
 デッキの出口に向かって飛んでいくカチュアに、ドクが怒って腕を振り上げる。エルンストは観念したように笑った。
 「全くあいつは……ようドク、さっきはお手柄だったな」
 「隊長……へ、へへへ」
 ドクは少し照れたように笑う。
 「隊長の言うとおり艦に戻ろうとしたんだけどよ、何でだか隊長たちを助けられるって思ったんだよな、あん時。出来るって確信したんだよ。そしたら……ホントに出来たぜ、ひゃは、ははは」
 「ああ。どうだ、これでちょっとは自信もついただろ?」
 「おうよ! 見てろよ隊長、今度はデスアーミーなんか俺が全部一ひねりだぜ! ひゃっはっはぁ! 斬って斬って斬りまくるぅ!」
 無闇やたらに笑いながら、ドクは腕を振り回す。エルンストは首を振った。
 「……やれやれ。どうやらまだまだ目が離せないらしいな……」
 そして、ふと天井の方に目をやり、呟く。
 「お互い、苦労するな」
 答えはない。エルンストは苦笑した。
 「何やってんだか……柄でもない」
 その時、難しげな顔をしたニキとマークが近付いてくるのが見えた。エルンストは傷ついたBD一号機をちらりと見やり、目を細めた。

 エターナは自室のチェアに身を沈め、右手でイワンの名が刻まれたチップを弄んでいた。瞳には不機嫌な色が浮かんでいる。
 備え付けのチャイムが来訪者を告げる。外部監視モニターに第一小隊のブラッドが映る。エターナはデスクの一番上の引き出しにチップを放り込むと、入室の許可を出した。
 「何か御用ですか、ブラッドさん」
 無表情で入ってきたブラッドにそう言ったとき、エターナの顔にはいつも部下に見せるような微笑が戻っている。
 ブラッドは挨拶も前置きもなしに言った。
 「随分と思い切ったことをしたものだな」
 上司に対して礼儀も遠慮もない態度。エターナは咎めることもなく、ただ首を傾げた。
 「グランノヴァ砲のことですか?」
 「たかが兵士二、三人を助けるために艦を危険に晒すとはな」
 「仲間を助けるためですもの、そのぐらいは当然ですよ」
 エターナは穏やかに答えた。ブラッドは鼻を鳴らした。
 「ナンセンスだな。あんな無理な使い方をした以上、この艦はしばらく動けん。一人二人切り捨ててでも、切り札は温存しておくべきだったのではないか?」
 「ブラッドさん」
 不良生徒を諭す女教師のように、エターナはぴっと人差し指を立てた。
 「いけませんよ、そのようなことを言っては。こんな戦争ごっこで人が死ぬなんて、馬鹿馬鹿しいです」
 「戦争ごっこ、か」
 ブラッドは陰険に笑い、意地の悪い瞳でエターナを見下ろした。
 「いつまでそう言っていられるかな?」
 「どういう意味です?」
 エターナの首を傾げた。ブラッドはその視線を受け止めながら、
 「スペースノイドの間で、反地球連合政府感情が高まりつつあることは知っているな?」
 「ええ。今までにデスアーミーが出現した場所はほとんどが宇宙空間でしたからね。ですが、地球連合軍は逐一それに対処して被害を最小限に抑えているでしょう?」
 「そうだ。しかし、近頃妙な噂が流れていてな」
 ブラッドは面白そうに顎に手を当てる。
 「デスアーミーというのは、近年力をつけてきたコロニー勢力を疲弊させるために地球連合政府が作り出した兵器だ、という」
 エターナは困ったように苦笑した。
 「地球政府陰謀説、ですか? ええと、ワタシは『な、なんだってー!?』とでも叫ぶべきなのでしょうか?」
 「愚鈍な振りをするな」
 ブラッドは不機嫌そうに目を鋭くする。
 「キサマの猿芝居に付き合っている暇はない」
 「……そうですか」
 それまでの穏やかな表情から一転、エターナは鋭い目つきでブラッドをにらみつけた。
 「では、さっさと本題に入りましょうか?」
 ブラッドはニヤリと笑って頷いた。
 「話が早くて助かるな」
 「あなたに頭の悪いお飾り艦長の振りをしても仕方がないですからね」
 「なら最初からそうしろ」
 「せっかちな男の人は嫌われますよ?」
 「どうでもいい話だ」
 茶化すように微笑むエターナに対し、ブラッドは腹黒い笑みを隠そうともしない。互いに探り合うような視線を交わしながら、まずブラッドが口を開く。
 「確かに、地球連合陰謀説など、本来ならば一笑に付される類の与太話に過ぎん」
 「しかし、自分たちばかりが不利益を被って不満を抱えているコロニー住民にしてみれば、地球連合を糾弾する格好の材料となる、と」
 「少なくとも、開戦した後の内部分裂を防ぐことはできるだろうな」
 「しかし、国力の差はどうします? 現状でコロニー側が団結して地球連合に宣戦布告したところで、勝つ見込みが少ないのは火を見るより明らかでしょうに」
 「そこで木星だ」
 「木星、ですか」
 エターナは口元に手を当てて考え込む。ブラッドは話を進めた。
 「最近、木星公国の貴族どもに不穏な動きがあるそうだ」
 「クォーツ家が議会の掌握に動いている、という?」
 「ああ。それに、ビーンズどもも暗躍している」
 ビーンズ、という単語に、エターナは不快げに眉を曇らせる。
 「彼等の正式名称はコーディネイターです」
 「フン、奴等など豆と大して変わらん。まあいい」
 ブラッドはエターナの目をじっと見つめる。エターナも真っ向から見返した。
 「私が聞きたいのはそれに関係したことだ」
 「さて。お答えできればいいのですが」
 「キサマが知らんはずはないさ」
 「プライベートな情報にはお答えできませんよ? 年齢とかスリーサイズとか」
 「そんなくだらんものに興味はない。ついでに言えばもう知っている」
 「え」
 口元を引きつらせるエターナのことは無視して、ブラッドは静かに切り出した。
 「シス・ミットヴィルとEXAMシステムについて、知っていることを話してもらおうか?」
 「コーディネイター、ですか?」
 ニキが眉をひそめる。エルンストは頷いた。
 「ああ。聞いたことはあるだろ?」
 「確か、遺伝子を改良された人間だったか? 木星圏では既に二十年ほど前から実用化されているとかいう」
 「ああ、思い出しました」
 マークの言葉に、ニキが合点したように頷く。
 今、三人はMSデッキの隅でシスについて話しているところだった。
 「しかし、コーディネイターは精神か肉体、どこかに欠落がある場合が多い上に人道的に問題があるとされて、地球での研究は一切禁止されているはずだろう?」
 「んなこと言ったって、隠れてやる奴はいるのさ」
 マークの至極まともな意見に、エルンストは肩を竦めて答える。
 「遺伝子自由に弄くって理想的な人間を、なんて、誰もが一度は思い描く夢のプランだからな」
 「それでは、シスは」
 「我が社の作り出したコーディネイター第一号って訳さ。しかも、あいつの施された『改良』ってのはちょいと特殊でな」
 エルンストは、整備兵のチェックを受けているBD一号機をちらりと見やった。
 「あいつは、EXAMシステムに対応できる人間を作る……それだけを目的として生み出されたんだ」
 「EXAM……」
 何かを思い出すように、マークが呟いた。
 「あれは危険だ」
 「そうだ。だから出来るだけ使うなって、シスには言ってある」
 「あれには精神を支配する作用でもあるのか?」
 「いや……だが、ニュータイプを感知すると襲いかかる、暴走っていう現象が確認されてるのは確かだ」
 「暴走というのは建前だな」
 エターナの説明を聞いて、ブラッドは反論した。
 「あれは普通の兵士にニュータイプ並の戦闘能力を持たせる……いや、ニュータイプを撃破させるために作られたシステムだ」
 「よくご存知で」
 エターナは呆れたようにため息を吐いた。ブラッドが続ける。
 「本社の連中は来る戦争と、多数のニュータイプを有する木星側の優位を見越して、それに対抗できる商品を開発しようとしているんだろう? 今この隊で試験中の機体や、レイチェル・ランサムのような強化人間もその一つという訳だ」
 「私が言うまでもなくご存知じゃありませんか」
 「今までは推論に過ぎなかった。要するに確認を取っているのだよ」
 悪びれることなく、かと言って自慢げでもなく、むしろ淡々とブラッドは言う。
 「さて、私が本当に聞きたいのはここからだ」
 「嫌味なぐらい長い前置きでしたね」
 「芝居は好きな方でな」
 「さっき嫌いだと」
 「猿芝居はな」
 「そうですか」
 「正直、貴様の演技は大根だ。見るに耐えん」
 「余計なことは言わなくていいですから」
 エターナのこめかみに青筋が立つ。ブラッドは気にせず、ゆっくりと言った。
 「キサマが不安定な武器を使ってまで部下を救った理由……それは、奴等が社の有力商品だからか?」
 「商品……」
 ニキが不快げに眉根を寄せる。エルンストは勘弁してくれと言うように手を振った。
 「もちろん俺はそうは思っちゃいないがね」
 「当たり前です」
 「だが、シスやレイチェルの能力を研究している奴等はそうは思っちゃいない」
 エルンストはため息を吐いた。
 「EXAMシステム関連のスタン・ブルーディ、強化人間関連のハワード・レクスラー……どっちも最低の人でなしだって話だ」
 「ああ。その二人の噂は俺も聞いたことがあるな」
 マークも頷き、面白くなさそうな顔をした。
 「最低最悪の利己的な冷血漢、技術の進歩のためには人一人犠牲にすることなどなんとも思っちゃいないとか」
 「そうさ。シスやレイチェル、それにエリスはそんな奴等の研究対象になってんだ。特にハワードはサドの気があるって話だ。奴の研究室に送られて帰ってきた人間はいないとさえ言われてる。用済みになった実験材料を、奴個人の楽しみで徹底的にいたぶった挙句、ぶっ壊しちまうそうだ。良くて廃人、悪くてバラバラにされてゴミ袋行きだとよ」
 「なっ……」
 ニキが絶句する。マークも一瞬言葉を失ったが、
 「そんな危険人物が何故黙認されている?」
 「科学者としては優秀だからさ。ウチの会社の力は分かるだろ? 奴の性癖一つ隠すのなんて簡単な話なんだろうよ」
 「……一つ、聞いてもいいですか?」
 ニキが今ひとつ納得いかない様子で訊ねる。
 「何故そんな、社の暗部に関わるような話をあなたが知っているのです?」
 「そうだな。前半はともかく後半の話は俺も聞いたことがない」
 マークも同意する。エルンストは苦々しげに視線を逸らした。
 「俺だって、いろいろ考えた。シスやエリスたちが、あんなに苦しみながらもこの会社辞められない理由ってのは何なのか、とかな。それでちょっと調べてる内に、情報通の奴と接触できたのさ」

 戦闘終了後、シスはすぐに自室に戻り、専用の端末を用いてBD一号機やEXAMの開発者であるスタン・ブルーディに連絡を取っていた。戦闘の結果報告。シスの義務だ。
 「フン……デスアーミー十六機撃墜か。大した戦果だな、オイ?」
 端末に映る、どこか不機嫌そうなスタンの言葉に、シスは無言で俯いた。賞賛されているにも関わらず、その表情は暗い。
 「やはり使えるじゃないか、俺のブルーは……NT研のクソ野郎ども、見てやがれ……対NT用の製品に採用されるのは俺のブルーなんだ……てめぇらのエセニュータイプなんぞに負ける訳がねぇんだ……」
 ぶつぶつと、誰に向けてともなく呟くスタン。疲労のためか妄執のためか、頬がこけて眼窩が落ち窪んだ顔は、さながら幽鬼のようでもあった。
 シスはそれを上目遣いに窺いながら、何度も口を開きかけて躊躇っていたが、おそるおそるか細い声を出した。
 「あの、所長」
 「……何だ?」
 不機嫌な様子を隠そうともせず、スタンがギラギラした目でシスを睨みつける。
 「お食事を……きちんと取られていますか?」
 スタンの顔が、火がついたように紅潮した。怒りの色。シスは怯えて顔を伏せた。
 「おいシス」
 「はい」
 「お前は何だ? え? お前は一体何様だ? 言ってみろ、おい。お前の生みの親であるこの俺に言ってみろ、おい」
 モニター越しに突き刺さる憤怒の視線。罵倒の痛みに耐えながら、シスは必死で声を振り絞った。
 「ワタシは……スタン・ブルーディ博士に生み出された、EXAMシステムを正常に起動させるためのパーツ……戦闘人形……です」
 「お前の役目は何だ?」
 「EXAMシステム及び搭載機であるブルーディスティニー一号機を実戦で使用し……可能な限りのデータを取得すること……です」
 「それに勝る役目がお前にあるのか? お前がそれ以外のことをする必要はあるのか? え?」
 「……ありません」
 「そうだ。その通りだよシス・ミットヴィル。お前は人形だ。EXAMの一部として細胞の一欠けらも残らないほどに戦い抜いて、俺にデータを提供するためだけに作られた、出来損ないの戦闘人形だ。分かるか? 分かるよな? 分かってるんだよな?」
 スタンの追及に、俯いていたシスがかすかに頷いた。それに少しは満足した様子で、スタンが鼻を鳴らす。
 「そうだ、それでいいんだよ。お前はEXAMでより多くの敵をぶっ壊すことだけを考えてりゃいいんだ。俺の健康状態なんぞ気にするんじゃねえ。そこんとこ分かっとけよ」
 「……ですが」
 「何だ? まだ何かあるのか? それとも俺がメシを抜くのがそんなに気になるのか? ああいや、そりゃ気になるよなぁ?」
 スタンは意地悪く唇を吊り上げる。瞳にどす黒い色が渦巻いた。
 「俺がぶっ倒れて研究が中止されりゃあ、お前は晴れて自由の身だもんなぁ?」
 「ち、違います、ワタシは……!」
 「うるせぇ! てめぇの考えなんて俺にはお見通しなんだよクズが、ゴミが、ボロ人形が……」
 スタンはじょじょに呼吸を荒くし、追い詰められた表情で頭を掻き毟り始める。
 「クソがっ……どいつもこいつも俺をイライラさせやがる……無能なくせにムカつくんだよ愚鈍な阿呆どもがぁ……」
 「シスよぉ、テメェがどう思ってんのかは知らねぇが、俺はテメェのデータを他の奴に渡す気はねぇんだよ。特にハワードの変態ジジイにはなぁ……へへへ、俺が死んだらブルーとお前自身につけてる自爆装置が爆発するんだ……」
 「……存じております」
 痛みをこらえるように目を閉じ、シスは自分の胸元にそっと手を置く。
 「ふへへ、俺ぁ一人じゃ死なねぇぞ……くたばるときゃあ全員道連れだ……ひっ、ひひっ、ひひひひ……」
 正気を失ったように笑い続けるスタンの姿を、シスの哀しげな瞳だけがじっと見つめている。やがてスタンはぴたりと笑うのを止めると、
 「シス、もっと積極的にEXAMを使って、出来るだけ多くのデータを俺に送れ。いいな?」
 「……ですが、暴走の危険を考えると……そのせいで、今日は同士討ちを……」
 「いいじゃねぇか……相手が化け物なら、俺のブルーが最強の兵器だってことを証明するにはちょうどいい……ああそうだ」
 スタンはいいことを思いついたというように、ニヤリと笑った。
 「シス、お前今度の戦闘で暴走した振りしてハワードのところの豚を料理しろ」
 「は……?」
 一瞬眉根を寄せたシスが、スタンが言いたいことに気付いて目を見開いた。
 「まさか……レイチェルを殺せと!?」
 「豚の名前なんかいちいち覚えてねぇよ。そうだよ、奴等は豚なんだよ……強化人間? ハッ、ハワードの家畜が大層な名前をもらいやがって、ムカツクんだよ……」
 何かに憑かれたように喋り続けるスタンの顔を見ながら、シスは青ざめて立ち尽くしていた。
 「所長……本気で、仲間を討てと?」
 「仲間? 仲間と言ったかお前。いっぱしに人間気取りかよお前。さっきも言ったろボケ。お前は何も考えないでいいからEXAMのデータを取り捲ってこっちに寄越せばいいんだよ。お前は俺の指示に従うだけの出来の悪い人形なんだよ。そうだろ?」
 「ですが……」
 「言っとくがな」
 スタンはシスの戸惑いなど歯牙にもかけず、冷徹に言う。
 「お前がもしも躊躇ったりしくじったりしたら、俺は遠慮なくブルーを爆破するぞ。それも、艦に置いてあるときにな」
 「……!」
 「ひひっ、見ものだなぁオイ。出来損ないの人形がちょっと失敗しただけでGジェネレーションの最新兵器が全部吹き飛ぶんだ……想像するだけで涎が出るぜぇ……」
 スタンはデスクを叩いて高笑いし始めた。唾が飛んでモニターを濡らす。シスは唇を噛み締めた。拳を握り締め、瞳をぎゅっと閉じる。
 思考は一瞬に過ぎなかった。シスは静かに目を開き、極力感情を排除した平坦な声で、スタンに告げた。
 「分かりました。ワタシは、レイチェル・ランサムを殺します」
 スタンはそれを聞いて笑いを収め、満足げに頷いた。
 「そうだ、それでいいんだ。それでこその戦闘人形だ。なぁ?」
 「……はい」
 「ああ、これでようやく目障りな奴がいなくなるぜ……へへっ、ハワードのジジイの呆然とした顔が目に浮かぶなぁ……」
 おかしくてたまらないという表情で呟き続けるスタンを、シスはただ無言で見守っていた。
 「なぁに、工作は任せとけ。どうなったって上は調べやしねぇよ。どうせハワードたちが失敗したら、会社は俺のブルーを採用するしかねぇんだからよぉ。ああ、安心したら急に腹が減ってきやがったぜ……じゃあなシス、うまくやれよ」
 一方的にそう言い残し、スタンは通信を打ち切った。静寂に包まれる室内に、シスが一人、無表情に立ち尽くす。
 それでも、スタンが食事を取るらしいことに、シスは少しだけほっとしていた。

 適当な用事を言いつけてレイチェルを部屋の外に出したエリスは、念のため室内に自分以外誰もいないことを確認し、デスクの上の端末を起動した。必要なコードを打ち込み、IDとパスワードを入力する。すぐに本社内のNT研直通の秘匿回線が開いた。
 「遅かったな、エリス」
 端末のモニターに口ひげを蓄えた壮年の男が現れる。Gジェネレーション内ニュータイプ研究所所長、ハワード・レクスラーだ。
 「さて、では今日の記録を聞かせてもらおうか……エリス?」
 デスクに頬杖を突いたハワードが、紳士然としながらもどこか嫌味な笑みを浮かべて、エリスに呼びかける。
 エリスは努めて無表情を装いながら、戦闘の経過を話し始めた。
 ハワードは満足げにそれを聞いていたが、特にレイチェルが精神の均衡を崩して見境なく暴れたという部分で、さらに笑みを深くした。
 「やはり、レイチェルにはお前という存在が必要不可欠らしいな……エリス……?」
 素肌を汚れた手で撫でるような不快な調子で、ハワードはさらにエリスに呼びかける。エリスは表情を消したまま、ただ無言でそれを聞いていた。
 「一人では精神の安定すら保てない不良品か。まあ、もともとアレは強化人間のデータを取った後廃棄する予定だったから、ちょうどいいといえばちょうどいいのだがな」
 勿体つけた口調でゆっくりと話しながら、画面の中のハワードがちらりとエリスの様子を窺う。エリスは無言を保ち続けていたが、瞳からはかすかに怒りが滲み出ていた。気付かぬ素振りで、ハワードはさらに続ける。
 「実を言うと、データ取り自体はそろそろ終了に近付いているのだよ。後数回ほど実戦のデータを取れば、安定した強化人間の製造法を確立することが出来るだろう。そうなった暁には……はて、役立たずのレイチェルをどうしたものか?」
 ハワードが首を傾げる。エリスの眉間に皺が寄り、目つきが鋭くなった。ハワードの笑い皺がまた深くなった。
 「私とて鬼ではないからな。ゴミにも劣る失敗作とは言え、我が子同然のレイチェルに再利用のチャンスを与えてやりたいものだな……さてどうしたものか」
 エリスの表情の変化を楽しむように、ハワードはゆっくりと指を折る。
 「そう言えば、愛らしい少女の剥製を集めている友人がいてな……いや、私も一度彼のコレクションを見せてもらったが、なかなか素晴らしいものだった。あの列にレイチェルが加わったらさぞかし美しいことだろうよ」
 エリスは答えない。俯いて唇を噛み締めた。
 「他には……そうそう、あいつは人肉愛好者だったな。人の四肢をノコギリでじりじりと切り取って、断末魔と血の雨を浴びながら生肉を食すのがたまらなく好きらしい。レイチェルの悲鳴はなかなか耳に心地よかったな。これもまた捨てがたい」
 エリスは答えない。肩が静かに震え始めた。
 「ああそうそう、人身売買で儲けている奴もいたな。レイチェルなら高い値がつくだろう。その後幸せになれるチャンスだってある。人生ギャンブル、結構なことだ。まあ最も、大抵の場合は散々弄ばれた挙句に豚の餌と化す運命が待っている訳だが。それもまた人の役に立てていいかもしれん」
 エリスは答えない。両手に血が滲むほど、強く拳を握りしめた。
 「いや、やはり私の手元に置いておくのが一番だな。ちょうど地下室の一つに空きが出来たところでな。レイチェルを日の当たらない暗い部屋に閉じ込めて毎日少しずついたぶってみようか。あの子の泣き叫ぶ声を聞きながら余生を過ごすのもなかなか」
 「止めて下さい!」
 エリスは頭を抱えて絶叫した。抑えきれない激情に顔が真っ赤に染まっている。瞳には涙が滲んでいた。ハワードは、それをうっとりとした表情で眺めながら、ゆっくりとエリスに問いかける。
 「私が憎いか、エリス? この体を八つ裂きにしてやりたいと、MSの手で握りつぶしてやりたいと、死をも超える苦痛を与えてやりたいと、そう思うかね、エリス?」
 エリスは視線に憎悪を込めてハワードをにらみつけた。しかし、ハワードは動じることなく、むしろ優しげに笑ってみせる。
 「だが、お前には出来ない。出来ないのだよエリス。それはお前が一番良く知っているはずだ、そうだなエリス・クロード?」
 エリスは苦しげに顔を歪めて押し黙る。ハワードは楽しくて仕方がないというように、
 「そうだエリス。お前は私に逆らうことができない。何故なら、お前の……いや、レイチェルの運命は常に私の手に握られているのだからな」
 ハワードは一枚の紙を取り出し、ぴらぴらとエリスに向けて振ってみせる。
 「これが何だか分かるかね? そうだ、レイチェルの異動申請書だ。これを人事部に提出するだけで、レイチェルは私の手の中に戻り、哀れ一生日の目を見ることなくクスリ漬けになるという寸法だ」
 ハワードは愉快さを隠そうともせず、声を立てて笑う。
 「悲劇だなエリス。お前が自分の命よりも大切に思い、他のどんな物よりも愛しく思っているレイチェルの存在は、こんなちっぽけな紙切れ一枚に左右されるという訳だ。やれやれ、人間の運命というのはかくも残酷で悲劇的なものか! まあ、私にとっては最高の喜劇だがね」
 ハワードは紙切れを放り投げ、顔を伏せいているエリスをじっと見つめた。
 「エリス、レイチェルを助けたいかね? この狂った企業の……いや、私の手から彼女を解放し、普通の少女としての人生を歩ませたいと思うかね、ん? 不可能なことではないぞ。全て私の機嫌一つなのだからな。どうだ?」
 首を傾げてみせるハワードに、エリスはわずかに唇を開き、か細い震える声で言った。
 「そんなことを言って……レイチェルを解放する気なんて少しもないくせに……!」
 「そのとおりだ」
 満面の笑顔で、ハワードは頷いてみせる。
 「私はレイチェルを手放すつもりなどさらさらない。私が現在最も楽しみにしていることは、レイチェルが殺されることに怯えながらも必死に任務をこなす健気な君を嘲笑い、希望の芽を一つ残らず摘み取ってやることだ。これに勝る愉悦など何一つないのだよ」
 ハワードはさらに追い討ちをかける。
 「君がいかに忠実に私に従って任務をこなそうが、どれだけいいデータを寄越そうが関係ない。君がどんなに奮闘しようとも、私の気が変わることなどあり得ない。分かるな?」
 エリスは全身の震えを抑えながら、ゆっくりと頷いた。
 「それでも君は私に従うしかない。なにせ、私がちょっと紙切れ一枚提出するだけで、レイチェルは明日にでもクスリ漬けになる運命なのだからな。君がしていることは全て無駄だ。君がレイチェルを救うために出来ることなど何一つとしてない。それでも私に従うのかね、エリス・クロード?」
 エリスは頷くしかない。ハワードの含み笑いが、部屋の空気を澱ませていく。
 「愉快だな。実に愉快な見世物だよエリス……さて」
 不意に、ハワードは少しだけ口調を変えた。嫌味なものから、汚らわしいものへ。
 「エリス……再三言っていることだが、私は人間をいたぶるのが大好きなのだよ。無論、君とて例外ではない。いや、むしろ、君は私が見てきた中で一番弄びがいのある玩具だ……」
 ねっとりとした視線が、モニター越しにエリスの体を這いずっていく。ハワードは、実に優しい笑顔で、エリスに命令した。
 「まずは、その邪魔なものを脱ぎたまえ」
 エリスは一瞬身を強張らせたが、すぐに堪えるように目を閉じると、上着のボタンを外し始めた。床に衣服が散らばり、エリスの裸身が露わになっていくのを、ハワードは微笑んだままじっくりと眺めていた。
 「隠すな。手をどけろ」
 一言そう言われ、エリスは羞恥に顔を染めながら、胸元を隠していた腕を脇に垂らす。
 室内灯に照らされる白い素肌を、ハワードのねっとりとした視線が撫で回していく。エリスは唇をきつく噛んでそれに耐えていたが、不意にハワードがうっとりとした表情で口を開いた。
 「何度も言うことだが……何度でも言ってやるが、君は実に美しい。古の女神に例えたくなるほどに完璧な、素晴らしい肢体だ」
 ハワードがモニター越しにエリスの体に触れようとするように、手の平を伸ばしてくる。
 「想像したよ。数え切れないほど想像したとも。君のその傷一つない体のどこに痣をつけてやったら一番よく似合うか、とね。ああ、君はどんな声で泣いてくれる? どんな風にその愛くるしい顔を歪ませるのか? 全く、君を思う存分嬲ってみたくてたまらないよ、私は」
 ハワードは嗜虐性を隠そうともせずに喋り続ける。エリスは身を引くこともハワードの目から体を隠すこともなく、ただじっと目を閉じて耐えていた。
 「ああ、そうだ」
 不意に、ハワードは思いついたように、エリスに向かって人差し指を突き出した。
 「エリス、私の指をなめろ」
 「なっ……」
 エリスは言葉を失った。ハワードは催促するように顎をしゃくる。
 「どうした、早くしろ。モニターに舌を這わせるだけでいいんだぞ」
 「そんなことに何の意味が」
 「馬鹿馬鹿しい、と思うかね? 私としても本当なら心行くまで君を痛めつけてみたいのだが、モニター越しにはそんなことは出来んしな」
 エリスは動かない。ハワードは嘲けるように鼻を鳴らす。
 「どうした。分からんのかね、今日はそれで勘弁してやると言っているんだ。従わなければどうなるか、分かっているだろう?」
 脅し文句。エリスは顔を歪めながら屈みこみ、迷いながらもモニターに顔を寄せた。舌を突き出し、ハワードの指先が映っている部分に近づける。
 「何だその様は。それでなめているつもりか?」
 少し不機嫌そうに、ハワードが目を細める。エリスは動きを止め、一旦舌を引っ込めた。数瞬躊躇った後、覚悟を決めたように目を閉じた。舌の表面をそっとモニターに下ろし、ハワードの指先が映っている辺りに這わせ始める。スクリーンが唾液で汚れ、彩光が乱れる。ハワードの口ひげが満足げにひくついた。
 「なかなかいい眺めだな。最も、カメラの位置的に君がモニターをなめている顔を直接見ることは出来ん訳だが」
 ハワードがなぶるようにそう言う間も、エリスは恥辱に顔を歪めたまま、ただ一心不乱に舌を動かし続けた。
 「ほら、舌を止めるなよ。勝手に休んだらすぐにレイチェルは地下室行きだぞ」
 舌の動きが激しくなった。口が塞がれ、息使いが荒くなる。ハワードは口元を押さえて失笑を浴びせかけた。
 「情けない格好だなエリス。まるで獣だ。今の君の姿をレイチェルが見たらどう思うことか。え、想像してみろ」
 エリスは答えず、這いずる舌も止まらない。ただ、歪んだ表情に刻まれた苦痛が、さらに大きくなった。ハワードはしばし舌が這いずる音に聞き入っていたが、やがて満足げに頷いた。
 「よし。そこまででいいぞ」
 エリスがすぐに顔を離し、口元を拭う。頬に少し赤みを残し、裸身を晒しながらも、その表情は冷静で、瞳には涙の欠片もない。ハワードはまた楽しげに唇を吊り上げた。
 「君は強いなエリス。それは、妹のためならどんな苦痛にも耐えて見せようという、そんな表情だ。尊敬に値するよ。だからこそ滅茶苦茶に汚したくなる」
 エリスは声を出さず、ただ黙ってハワードを睨みつけていた。ハワードは気分を害した様子もなく、むしろ心地良さそうに微笑み、組んだ両手に顎を乗せた。
 「さて、君に一つ任務を言い渡そう。言うまでもないが、拒否権はない」
 「分かっています。何をすればよろしいのですか?」
 ため息を吐いて、諦めたようにエリスが訊ねると、ハワードはさらりと言った。
 「シス・ミットヴィルを殺せ」
 エリスが息を呑む。
 「シスちゃんを? 何故です?」
 「君なら分かるだろう? スタンのEXAMシステムとやらと私の強化人間はどちらが次期主力製品になるか、競い合っているところでね。聞けば今日、EXAMシステムの搭載機はレイチェルを遥かに凌駕する戦果を上げたそうではないか?」
 「しかし、あれは不安定で、その上暴走の危険性を」
 「それぐらいは私だって把握しているさ。しかし、暴走の危険性があるのはこちらの不良品も同じだ」
 「それで、シスちゃんを殺してこちらの優位を築けと?」
 「無論、シス・ミットヴィルだけを殺しても意味がない。EXAMシステム搭載機ごと宇宙の闇に葬ってやらねばな」
 「誤射に見せかけて殺せと?」
 「それでもいいが、ベストではない。EXAM搭載機は暴走して味方に襲い掛かった後、競争相手である強化人間によって撃破されねばならんのだよ」
 「レイチェルにシスちゃんを殺させろと言うのですか!?」
 「それは君が承知しまい。まあ、無理矢理命令してもいいのだが、正直言ってレイチェルでは当てにならんということもあってな。だから君にやれと言っている。後は適当に情報を操作して、強化人間の方がEXAMシステムなどより優れていると報告すればいいだけだ。簡単なことだとも」
 それで、とハワードはエリスの顔を見つめた。
 「やるかね? 無論、従わなければ」
 と、これ見よがしに例の書類を掲げてみせる。エリスは無表情を保ったまま、一言だけで簡潔に答えた。
 「分かりました」
 あっさりとした決断に、ハワードが少し意外そうな顔をする。
 「いいのかね? 一応、シス・ミットヴィルは君の仲間だろう?」
 「関係ありません。レイチェルとシスを私という天秤にかければどちらに傾くか……あなたが一番良く分かってらっしゃるでしょう?」
 ハワードは愉快そうに痩せぎすの体を揺らした。
 「最高だなエリス。そうだ、君はそういう女だ。レイチェルさえ無事ならば後はどうなっても構わないのだな」
 「レイチェル以上に優先するべきものなんて、この世に存在しません」
 あくまでも淡々とした口調。ハワードは納得したように頷いた。
 「うむ。そうだろうな。では戦果に期待するとしよう。ああ、そうそう」
 通信を切る直前、ハワードは嫌らしい笑みを残した。
 「君が失敗してもレイチェルは即刻本社に呼び戻すからそのつもりでな」
 ハワードの顔が画面から消えうせる。エリスはしばらく表情を消したまま佇んでいたが、唐突に顔を歪め、モニターに向かって拳を振り上げた。
 「ただいま、行ってきたよお姉ちゃん……?」
 部屋に入ってきたレイチェルが、エリスの姿を見て目を見開いた。
 「何してるの、お姉ちゃん!?」
 「……何でもないわ。少し汗をかいたから、着替えようとしていただけ」
 振り上げた拳をさっと下ろし、エリスは穏やかに微笑んでみせる。レイチェルはほっと息を吐いた。
 「良かった。お姉ちゃんおかしくなっちゃったのかと思った」
 「こら、失礼よレイチェル。言葉には気をつけなさい」
 「はーい」
 けらけらと、楽しそうにレイチェルは笑う。エリスも微笑んでいたが、不意にその瞳から涙が零れ落ちた。
 「お姉ちゃん?」
 「ッ……ごめんなさい、何でも、ないから」
 口元を押さえ、エリスは顔を背ける。心配そうに近寄ってきたレイチェルに顔を見られないように、エリスは妹を抱きしめた。
 「お姉ちゃん?」
 「大丈夫よ、レイチェル。何も心配しなくていいから」
 「お姉ちゃん、泣いてるの? どこか痛いの? 誰かにイジめられたの?」
 「心配いらないわ、レイチェル。怖がることも心配することも何もないの。あなたのことはお姉ちゃんが守ってあげるから。だから、あなたは安心して笑っていてくれればいいの」
 レイチェルの背中に回された両腕に力が篭る。レイチェルは少し戸惑いながらも、エリスにもたれかかる。
 「うん……ありがとう、お姉ちゃん……」
 エリスの腕の中、レイチェルは無垢な赤ん坊のように目を閉じる。絵画の聖母のように微笑むエリスの瞳が、むき出しの刃のような危うい光を放つ。
 (そう……私はあなたを守ってみせる。他の何を犠牲にしてでも、必ず……!)

 目の前で閉まっていくスライド式のドアの陰に潜みながら、サエンはいつになく真剣な顔をしていた。
 ドアの上にはエリス・クロードのネームプレート。見つめるサエンの視線は、石のように固い。
 「あれ、何やってんだサエン」
 不意に、通路の向こうから声がかかる。シェルドとショウを従えたジュナスが、近付いてくるところだった。サエンは振り向きながら、いつもの軽薄な笑顔を作る。
 「いや、エリスちゃんを探してたんだけどさ」
 「あー、やっぱりか。俺らも探しててさ。ケイは医務室にいるって言ってたのに、いないんだもんなぁ。部屋にいるのか?」
 サエンはちらりとドアに目をやり、大袈裟にため息を吐いた。
 「いるならとっくに入ってるって」
 「そしてたたき出されてる頃だね」
 シェルドが身も蓋もない相槌を打つ。サエンは静かに肩を竦め、
 「じゃあ、俺は他のとこ探してみるわ」
 と、三人に背を向けかけたが、
 「サエン」
 ジュナスに呼び止められて立ち止まった。
 「何だ?」
 振り向く。ジュナスの瞳が、真っ直ぐにサエンを見つめていた。
 「何かさ、危ないことしようとしてないか?」 
 「……別に」
 二人の視線が、一瞬だけ交錯する。ジュナスは特に追及することなく、「そうか」と引き下がった。
 「……シェルドさん、危ないことって何なんでしょう?」
 「さあ。盗聴とか盗撮とかじゃ」
 「おいこらお前ら聞こえてるって……ところで、何でお前らがエリスちゃんを探してたんだ?」
 「あー、それは……」
 言いにくそうにショウが口を開きかけたとき、ジュナスたちのずっと後方……廊下の角から、人影が一つ這い出てきた。
 「……見つけたぞ」
 最高に不機嫌でドスの聞いた声。三人が一斉に振り返る。金棒を持った鬼の影……いや、釘バットを持った女の影が徐々に大きくなり、やがて怒り心頭といった表情のジェシカ隊長が廊下の先に現れた。
 「撃墜数最低のシェルド、被弾数最高のジュナス、損傷率最高のショウ……」
 フッ、と笑う。
 「キサマら全員性根から叩き直してやる」
 「勘弁してくださぁぁぁぁい!」
 三人は脱兎の如く駆け出した。そちらの方向に向かおうとしていたサエンは、今や影も形も見えない。
 「くっそー、あいつ逃げやがったな!?」
 「ショウ、何だかんだで僕らが一番危ない真似をしてる気がするよ」
 「そ、そうですね……エリスさんにかくまってもらうつもりだったのに」
 「ええい、チョコマカ逃げるな貴様ら! 勝手に持ち場を離れたサエンの分も含めて、全員大人しくアタシのサンドバックになれ!」
 「うわ、ひでぇ本音!」
 「自分が撃墜数でエルフリーデさんに勝てなかったからって」
 「大人気ないですよね」
 「そんなに潰されたいかキサマらぁぁぁぁぁ!」
 叫び声を撒き散らしながら、第二小隊の四人が廊下の先に消えていった。その騒動の最中にあっても、エリス・クロードの私室は不思議な沈黙に包まれていた。

 エルンストは、マークとニキにシスについて自分が知っていることを全て話した。
 二人はしばらく無言で何かを考えている様子だったが、やがてニキが口を開いた。
 「シスは、自分のことを人形だと言っていました」
 ニキは、かすかに目を伏せた。
 「そんなことはないと否定してあげたかったのですが……事情が事情だけに、そんな風に考えてしまうのも仕方ないかもしれませんね」
 「何も知らない子供に歪んだ価値観を教え込む……気に入らないな」
 マークも不機嫌そうに腕を組む。エルンストが頷いた。
 「子供ってのは親の言うことを簡単に信じちまうからな」
 「何か、私たちにできることはないのでしょうか?」
 ニキは真摯な瞳をエルンストに向ける。エルンストは顔をしかめた。
 「俺も、いろいろと考えてはいるんだがな。シスをスタンから引き離す手段は未だに見つからない」
 「表面上問題を起こしている訳ではないから、尚更難しいだろうな」
 マークが難しい顔で押し黙る。
 「……とにかく、出来ることから始めてみましょう」
 ニキの言葉に、エルンストは申し訳なさそうに、
 「手伝ってくれるか?」
 「ええ、私に出来ることなどそう多くはありませんが……」
 「悪いな、お前さんの小隊だって問題がない訳でもないのに」
 「その辺は俺が何とでもサポートするさ」
 だから気にするな、とマークは笑った。
 「エルンスト。子供が子供らしくいられないのはとても不幸なことだと、私は思います。シスのために協力できることがありましたら、何でも仰ってください」
 ニキが胸に手を置いて言う。エルンストは二人に頭を下げた。
 「すまないな、二人とも。よろしく頼む」
 「いえ。では、私は少し書類仕事が残っていますので、失礼させていただきます」
 折り目正しく会釈し、ニキがデッキの入り口に向かって去っていく。その背中を見つめながら、マークが呟いた。
 「隊長は名のある軍人の家の出だそうだ」
 「連合のゼノン大佐だったか、親父さんは」
 「ああ。多分、今のシスと昔の自分が少し重なるんだろうな。十代の頃の自分を省みて後悔することがあると、酒の席で言っていたのを聞いたことがある」
 「なるほどね。自分で自分を縛っちまってるって訳か……ところで、よ」
 口調を少し意地の悪いものに変えて、エルンストがニヤニヤしながらマークを見る。マークはそれだけで何を言われるのか分かったように、ニキの背中に目を向けたままむっつりしている。
 「そんな捕らわれの姫君に、白馬の王子様が現れるのはいつの日のことになるのかな、ん? どうせ今日も渡し損ねたんだろ」
 マークは無言のまま、手の平サイズの小箱を取り出して蓋を開ける。中央に鎮座しているのは、凝った意匠の指輪。エルンストは呆れたようにため息を吐く。
 「ったく、澄ました顔をテレビに映し、世界中の女性を魅了する天下無敵のエースパイロット様が、こっちの方面に関しては新兵とはねぇ」
 「……ガラじゃないんだ」
 マークは拗ねたようにそう言って小箱を仕舞いこむ。エルンストはぽんぽんとその肩を叩いた。
 「ま、そう落ち込むなよ。どんなベテランだって最初は半熟だったんだからよ」
 「別に落ち込んでる訳じゃない。それにな」
 と、マークは背中を壁に預けて呟いた。
 「まだチャンスがあるなんて思える内は幸せなんだろう。こんな状況じゃな」
 「……そうだな」
 エルンストは頷き、消え行くニキの背中を目を細めて見つめた。
 「どっちのお姫様にも、生き延びて幸せになってほしいもんだ」

 「逆にあなたにお聞きしますけど」
 一瞬のにらみ合いの後、エターナは不審そうにブラッドを見る。
 「私の思惑を知ったとして、あなたはそれを利用して何をなさるおつもりですか?」
 「別に、どうもしない」
 「は?」
 エターナが眉をひそめる。ブラッドは馬鹿にするように肩を竦めた。
 「私が今把握している情報を総合して考えると、現在の情勢はあまりにも複雑すぎる。誰を利用してどこにつこうが、絶対に利益を得られるとか、何をしても安全ということはあり得ん」
 「では、何故?」
 エターナは本気で分からないと、首を傾げた。答えてブラッドは、自信満々に、
 「楽しいからだ」
 「はぁ?」
 エターナは先ほどよりも頓狂な声を上げた。ブラッドはこの時だけ少年のように目を輝かせ、
 「誰もが知りたい情報を自分のみが握り、誰もが知りえない情報を自分だけが把握する。そうして、私だけが現在の状況を理解する……そう、私だけがだ。戦を人の視線からではなく一人鳥の目から眺めるようなものだ。全体像をどれだけでも拡大して見られるのだ、これほど楽しいことはあるまい?」
 「……つまり、私の思惑を知って交渉の材料にするとかゆすろうとしているとか、そういう訳ではなくて……ただ単に、大きなジグソーパズルの足りないピースが一つ欲しいだけなんですか?」
 「なかなか的を得た表現だな」
 ブラッドが感心したように言う。エターナは呆れて声も出ないようだったが、やがて気を取り直すように首を振った。
 「分かりました。私の知りたい情報も譲渡してくれるという条件でなら、話しましょう」
 「内容にもよるが、まあいいだろう。それで?」
 「一言で言うなら、私は本社や研究班の人たちの意向に従うつもりは一切ありません」
 エターナはきっぱりと言い切った。
 「何度も艦内の皆さんに申し上げていますが、私はこんな戦いで……いえ、戦争で命を落とすことほど馬鹿馬鹿しいことはないと思っています」
 「では、本心から部下のことを大切に思っていると?」
 ブラッドは興味深そうに問う。エターナは当然だと言わんばかりに頷いた。
 「当たり前でしょう。あの子たちの悲惨な現状を見せつけられて、何とかしてあげたいと思わない方が人間としてどうかしてますよ」
 「なるほどな」
 ブラッドは低く笑う。
 「何です?」
 「いや……普通は年を喰った人間ほど信用できんものなのだがな」
 「お黙りなさい」
 「キサマがそういう考えなら、今度の戦争ではもっと面白いものが見られそうだ」
 エターナはため息を吐いた。
 「まあ、いいですけど。それで、何か私にとって益になりそうな情報は何かないんですか?」
 「がめついな。キサマを見ているとアレを思い出す」
 「は?」
 「休日のバーゲンセールや特売品に群がる中年」
 「怒りますよそろそろ」
 エターナのこめかみに青筋が立つ。ブラッドは余裕綽々、皮肉げな笑みを崩さない。
 「そう言うな。キサマ個人とて興味深いことに変わりはない。より多くのデータを取りたくなっても仕方がないだろう?」
 「……私もいろいろな人間を見てきたつもりですけど、あなたは極めつけの変人ですね」
 疲れたように、エターナはチェアに身を沈める。ブラッドは笑いながらそれを見下ろしていたが、不意に目を鋭くした。
 「キサマに……いや、この部隊に影響を及ぼしそうな情報だ」
 ブラッドは指を立てる。
 「まず、ビーンズの動きについてだ。キサマはユリウス・フォン・ギュンターを知っているか?」
 「ええ。確か、木星で十年ほど前に生み出された、最高のコーディネイター……でしたよね」
 「その豆小僧が、数ヶ月ほどまえにGジェネレーションのNT適性試験を受けたそうだ」
 エターナが目を細める。
 「結果は?」
 「適性、全くなしと判断されたそうだ。ことNT適性に関しては、奴は平均以下の数値しか示さなかったらしい」
 「そうですか……皮肉な結果だとは思いますが……私たちに関係が?」
 「奴は、試験を受けに地球に来た際、EXAMシステムに対してかなり興味を示したそうだ。その上ビーンズで、ガキらしくプライドが高いときている。どういう意味かは、言うまでもないだろう?」
 「そうですね」
 「それと、近々ビーンズだけで構成された部隊が設立されるという話だ。ユリウス・フォン・ギュンターやシャロン・キャンベル、それにオグマ・フレイブなど……少し有名な連中が参加するという話だ」
 「他には?」
 「チップだ」
 「チップ……これですか?」
 エターナは、デスクの引き出しから、ブリッジで発見されたチップを取り出す。ブラッドは頷いた。
 「最近、何やら『突然、人が変わったように』というのが流行っているらしいな」
 「……ある意味、分かりやすいといえば分かりやすいですけど……チップで人格操作だなんて、まるで出来の悪いSFですね」
 エターナはうんざりしたようにため息を吐く。ブラッドはさらりと付け足した。
 「キサマが言えることではないだろうに」
 「大概しつこいですねあなたも」
 「チップに関してはあまり多くは分かっていない。ただ、かなり簡単に取り外せるようになっていたり、隠す気がないのではないかと疑いたくなるぐらい見つかりやすいことから、連合上層部を疑心暗鬼に陥れるための策なのではないかと推測する者もいる……この程度だな」
 「他には?」
 「黒いガンダムについて」
 「黒い……ガンダム? ガンダムMKKの初期カラーですか?」
 「違う。何でも、ここ数日巨大な黒いガンダムの機影が、いくつかの宙域で確認されているそうだ。連合宇宙軍の間で、ゴーストガンダムとして噂されている。その正体などは不明だが、そういった訳の分からん兵器はこの部隊の専売特許のはずだろう?」
 「そうですね」
 「キサマに話せることといったらこの程度だな」
 一方的にそう締めくくると、ブラッドはさっさと背を向けて部屋を出て行こうとした。その背中にエターナが抗議する。
 「今ので全部ですか!?」
 「キサマに話せる分はな」
 「……何だか疑わしいですね、あなたの情報収集力というのも」
 「この部隊に関係があるか検討中の事柄もあるということだ。それに……私の情報収集力の証明なら、この紙一枚キサマに見せるだけで事足りる」
 そう言って、ブラッドはくしゃくしゃに丸めた紙をエターナに投げる。それを開いたエターナの顔が、一瞬で凍りつく。ブラッドは開け放されたドアの前で、一度振り返った。
 「それで分かっただろう。まあ、今の私は一応キサマの部下だからな。ちょっとした情報ぐらいは渡してやるとも。未熟な部下どもを助けるために、せいぜい気張るといい」
 言いたいことを言い残して、ブラッドは去っていく。
 「艦長、機体の格納は大体終わったんだけど……艦長?」
 入れ違いに入ってきたケイが、紙切れに目を奪われたままのエターナに首を傾げた。
 「何見てんだい、艦長」
 言いつつ手を伸ばしたが、紙はケイの手に渡る前にエターナに握りつぶされる。
 「フ、フフフ……」
 「か、艦長?」
 「なかなかやりますね、ブラッドさん……ですが、このまま負けっぱなしで終わる私ではありませんよ……今に見ていなさい、フフフフフ……」
 「……やっぱ管理職って疲れるんだな……」
 憑かれたような不気味な笑みを浮かべるエターナを見て、ケイが妙な納得と共に頷いた。
 ちなみに、三桁の数字が一つと二桁の数字が三つ書かれていたその紙は、エターナの手でビリビリに破られた後に焼却処分までされたそうである。

 先の戦闘から一週間ほどが経過した。
 グランシャリオはネリィの手による爆走と、不安定なグランノヴァ砲を無理矢理使用したことによる負荷のせいで、少し進んでは立ち往生するという牛歩の如き歩みを見せていた。
 「あー、退屈ぅー!」
 休憩スペースのソファーで足をぶらぶらさせながら、カチュアが頬を膨らませる。
 その傍らで缶コーヒーを飲みながら、エルンストは苦笑した。
 「そうブーブー言うなよ。ようやっと休めるって喜んでる連中だっているんだぜ?」
 「退屈なものは退屈なのー! グランシャリオはノロノロだしさー!」
 「グランシャリオがぶっ壊れたのは、お前を助けるためでもあったんだ。そのぐらい我慢しろよ」
 たしなめるように言って、エルンストは空き缶をゴミ箱に向かって投げる。外れて床に転がった。カチュアが笑う。
 「やーい、へたくそー!」
 「うるせぇな」
 エルンストが頭を掻きながら缶を拾いに行く。
 「ねぇ、隊長」
 不意に、カチュアが少し不安そうに声をかけてくる。
 「……ごめんなさい」
 「いきなり何だよ」
 缶をゴミ箱に放り込んだエルンストが振り向く。カチュアは伏し目がちに、
 「考えたの。今回、隊長に一杯迷惑かけちゃったなぁって」
 「まあ、そうだな。俺にだけじゃないが」
 「だから、ごめんなさい」
 そう言って、頭を下げる。エルンストはカチュアの隣に座り、ぽんと彼女の頭に手を乗せる。
 「カチュア、何で俺がお前を怒らなかったか、分かるか?」
 カチュアは首を横に振る。
 「お前がちゃんと怖がってたからさ。怖いって感情を知れば、もうあんな無謀なことはやらないだろう。そう思ったから、俺は怒らなかったんだ」
 「うん」
 「もちろん、次からは別だぞ。次もやったら軍隊流の罰を与えるからな。覚悟しとけよ?」
 カチュアは素直に頷いた。「ま、」と、エルンストは意地の悪い笑顔を浮かべ、
 「お前はひよっこの半熟お子様兵士だからな。今回は特別に勘弁してやるってことさ」
 カチュアが眉を吊り上げた。
 「お子様って何よー!」
 エルンストの手を払いのけ、怒鳴りながら立ち上がる。エルンストは肩を竦め、
 「お子様じゃねえか。迷子になって野良犬に囲まれてぴーぴー泣いてたんだからな」
 「泣いてないもん!」
 「いーや、泣いてたね。全く、ガキのお守りは疲れるぜー……案外寝小便の癖とか残ってるんじゃないかお前?」
 「そ、そんなはずないじゃん!」
 不必要なほど慌てふためいて、カチュアが否定する。エルンストのニヤケ面が一層深くなった。
 「ひょっとして図星か?」
 「ち、違うよ、そんな、癖だなんて……月に一回あるかないかぐらいだもん!」
 「うわー、おい、聞いたか皆ー! カチュアはまだおねしょぐせが」
 「わーわーわー!」
  顔を真っ赤にして、カチュアが両手を振り回した。腹を抱えて笑うエルンストの顔を、思いっきり睨みつける。
 「隊長、そういうのセクハラって言うんだよ!」
 「あのな、レイチェルといいお前といいどこでそんな……まあいいか。残念だったなカチュア。セクハラっていうのはあくまで対象が女だった場合だ。お前はお子様だからセクハラにはならないんだよ」
 「じゃあロリコン!」
 「いや、だから、どこでそういう言葉を」
 「あの、隊長」
 横手から、遠慮がちな声。振り向くと、微妙に困った顔をしたシスがいた。
 「シス!」
 叫んで、カチュアが猛然とシスの手を握り締める。シスは珍しく驚いた顔でのけぞった。
 「な、なに?」
 「シスもおねしょするよね!」
 「え?」
 「二週間に一回ぐらいなら普通だよね、ね、ね!?」
 カチュアの必死な声に、シスが助けを求めるようにエルンストを見る。頼みの綱の隊長は壁に寄りかかって肩を震わせている。
 「ね!?」
 「あの」
 「無視っとけシス。俺が許す」
 「むかつくー! こうなったら隊長の部下なんか今すぐやめちゃうから!」
 エルンストに指先を突きつけて、カチュアが宣言する。
 「大体さー、ワタシみたいな可愛い女の子が隊長みたいなムサいおっさんの部下だってのが間違ってるんだよ!」
 「自分で可愛いとか言うな! 大体、俺の部下やめて誰の下に着くつもりなんだよ」
 「ニキ隊長!」
 「アホ、これ以上ニキの仕事増やさせてたまるかっての」
 「じゃあジェシカたいちょ」
 「エルンスト隊長ー!」
 カチュアが叫びかけたとき、誰かの情けない悲鳴と共に、ボロ雑巾のようになった人影が二つ、休憩スペースに転がり込んできた。ジュナスとショウだ。
 「た、助けてよエルンストさん」
 傷だらけの手を必死で伸ばすのはジュナス。
 「こ、このままじゃ僕たち殺されちゃいますよ!」
 ショウなど恐怖にまみれた顔が泥だらけになっている。エルンストは思わず一歩身を引いた。
 「っつーか、この鉄の塊の中でどうやったら泥だらけに」
 「こ、細かい突っ込みはいいからさ、かくまってくれよ」
 「早くしないとジェシカ隊長に捕まって」
 その時、死にそうな顔で訴える二人の後ろから、
 「逃げられるとでも思ったか?」
 心胆凍らす絶対零度の瞳。両手にズダボロになったシェルドとサエンを持ったジェシカが、熊も逃げ出す怒り顔で仁王立ちしていた。
 「いいいいやぁぁぁぁぁああああ!」
 ジュナスとショウがじたばたともがく。しかし、
 「はいはい、お二人様ごあんなーい」
 逆方向から現れたノーランにあっさりと捕まってしまう。
 「そんじゃ撤収。お騒がせしましたー」
 男二人を捕まえたまま、ノーランがジェシカの後を追って去っていく。
 「ノ、ノーランさん! お願いです、見逃してください!」
 「んー、ごめん、アタシもお仕置きは嫌だからさ。大丈夫だって、姉さんだって死ぬまでやりゃしないよ。死にそうになるまではやるだろうけど」
 「あ、あんまり大差ないですううううぅぅぅぅ……」
 ショウの絶叫が遠ざかっていく。何となく木枯らしが吹いたような寒々しさに包まれた休憩スペースで、カチュアがぽつりと呟いた。
 「隊長?」
 「何だ」
 「ワタシ隊長の部下でよかったなぁ」
 「……そうか」
 「……隊長、さっき怒らないとか言っといて、やっぱりお仕置きとか言わないよね?」
 「安心しろ、俺がやったら逮捕されるだろうから」
 「……隊長」
 「……何だ?」
 「……ワタシ、やっぱりしばらくお子様でいいや」
 何となく疲れた表情で、エルンストとカチュアがソファーに座り込む。
 ふと、エルンストは状況についていけなかったらしいシスが、戸惑った顔で立ち尽くしているのに気がついた。
 「ああ、悪いなシス。何の用だったんだ?」
 「あ……いえ」
 シスは少しの間迷うように視線をさまよわせた。思案している……というよりは、何かを恐れるような表情。そのとき、馴染み深い声が聞こえてきた。
 「あー、皆、こんなとこにいたんだ」
 元気良く手を振りながら、レイチェルが休憩スペースに駆け込んでくる。それを見たシスが、目をそらした。反射的な動き。
 「お姉ちゃーん、皆ここにいたよー」
 レイチェルが振り返って手を振る。
 「レイチェル、いきなり走り出したら危ないでしょう……」
 微笑みながらこちらに歩いてきたエリスが、突然顔を強張らせて立ち止まる。視線はシスに向いていた。
 「……? どうしたの?」
 エリスに向かって手を振りかけたカチュアが、シスとエリスを交互に見て首を傾げる。何か不穏な空気が休憩スペースに満ちる。
 「……用事を思い出したので、失礼します」
 いたたまれなくなった様子で、シスが一礼して姿を消す。エリスもすぐに頭を押さえて、
 「レイチェル、何だか頭が痛いの……帰りましょう」
 と、返事も待たずに踵を返す。慌てて後を追いかけるレイチェルに、エルンストは声をかけた。
 「おいレイチェル、何か用があったんじゃ」
 「あ、ううん。皆で遊ぼうと思ってたんだけど……待ってよお姉ちゃーん!」
 レイチェルも行ってしまい、休憩スペースにはカチュアとエルンストだけが残された。
 「何だ……?」
 狐につままれたような面持ちで、エルンストが首を傾げる。カチュアは不安そうな顔で隊長の腕の袖を引いた。
 「ねぇ隊長、シスとエリス、変だったよね?」
 「そうだな……何かあったのか、あいつら?」
 カチュアは首を横に振る。
 「大体、あの戦闘の後エリスとシスに会ったの、今が初めてだし……」
 「だよな。二人とも何か部屋に閉じこもりっぱなしだったもんな……何かあるはずがないんだが」
 「何か、怖いな……」
 カチュアが怯えるように目を伏せる。
 「二人とも、すごく怖かった」
 「二人……シスとエリスが?」
 「うん……ねぇ、二人とも、お互い嫌いになっちゃったのかな?」
 「まさか」
 エルンストは笑い飛ばそうとした。
 「シスが根っから優しいのはお前だって知ってるだろ? エリスだって、シスのことはかなり気にかけてたんだ。いきなり嫌いになるなんてあり得ないだろうが」
 「……そうだよね。そのはずだよね。だけど、何でだろう……」
 カチュアは心細げに、自分の体を抱きしめる。
 「嫌な感じがするの。すごく、怖いことが起きるような……隊長、どうしよう、震えが止まんないよ……」
 涙声。カチュアの顔が、恐怖に青ざめている。エルンストは黙ってその小さな体を抱き寄せ、落ち着かせるように頭を撫でてやる。
 「大丈夫だ。大丈夫。怖いことなんか、絶対に起こさせやしない。誰かがシスやエリスを傷つけようとするなら、俺が全力で止めてやる。だから安心しろ、な?」
 「……そんなこと、出来るのかな?」
 「出来るさ。まだ何にも起こってないんだ。だから出来る」
 「……うん」
 カチュアは小さく頷き、目元を拭った。
 「隊長」
 「うん?」
 「ワタシも……頑張るから」
 「……ああ」
 「よーう隊長、俺ってばあれからかなり調子いいぜぇ! もう絶好調ってやつ……おおお!? な、何だよどうしたんだよ!?」
 上機嫌から一転、沈んでいるカチュアを見て取り乱すドク。
 「おおおおいおい、隊長、カチュアを泣かせたのかよ!?」
 「違うって」
 「ででで、でもよ、な、泣いちゃってるよな、泣いてるよなカチュア!?」
 「あー」
 面倒臭そうに、エルンストが頭を掻く。ドクはカチュアに近付いて大騒ぎし始めた。
 「おおおおい、おい、カチュア、どっか痛いのか!? 大丈夫か!?」
 あたふたとするドクを見て、エルンストが少し笑う。
 「お前ってホントいい奴だよな」
 「え?」
 きょとんとするドク。エルンストの腕に顔を押し付けていたカチュアが、ぷっと吹き出した。
 「アッハハハハハ! ハゲ、おかしすぎ!」
 「え、え、え、え!?」
 訳の分からない様子で首を振るドク。それを見たカチュアがさらに高い声で笑った。
 「……テテ、テメェ! おお、俺を騙しやがったのかぁ!?」
 「やーい、バーカバーカ! ハーゲハーゲ!」
 「ここここ、こ、この野郎! ハゲって言うなぁぁぁ!」
 興奮して叫ぶドクと、ケラケラ笑うカチュア。いつもどおりの追いかけっこが始まった。
 しかし、エルンストの瞳は、カチュアの赤い目に残る痛々しい涙の痕を見つめている。
 今は写真の入っていない胸ポケットに手を触れ、エルンストは小さな声で呟いた。
 「そうだ……何が起ころうとも、今度こそ絶対に守ってみせる……全員生きて還す。ただの一人だって死なせやしねぇ。それがお前の誓いであり、約束だ。そうだろ? エルンスト・イェーガー……」
 その声を聞く者も、その声に答える者もいなかった。


 誰も、知らない。
 もうすぐ開演する、戦争という名の舞台。
 その上で自分が演じる役割を。
 その上で演じられる、台本の筋書きを。
 そして、自分たちが、今まさに舞台袖に引きずり込まれようとしていることすらも。

 半熟兵士たちが踊る舞台は、今だ照明の届かぬ宇宙の闇に隠されていた。



 機動戦記Gジェネレーションズ
 第一幕 半熟兵士と踊る空
 終幕

 第二幕へ続く