【彼女がなりたかったもの】692氏
「……以上が、診断の結果です」
少女が横たわるベッドのそばで、担当医は無表情に宣告した。
答える声はない。包帯だらけの少女は、瞬きもせずに呆然と、毛布の下にある自分の下腹部を見つめている。
その姿を見ていた担当医は、硬い表情を隠すように頭を下げ、
「それでは、お大事に」
言って、部屋の入り口に向かって踵を返した。出て行く直前、肩越しに振り返り、ちらりと、痛ましげに彼女を見た。
自分以外に誰もいなくなった部屋の中、少女は壊れた操り人形のようなぎこちない動作で、何度も何度も毛布越しに自分の腹を撫でた。撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、
「……うぁ」
わずかに開いた唇の隙間から、絞り出したような悲鳴がこぼれた。
「うぁ、あ、あああ」
しわが寄るほどに、強く毛布を握り締める。手の甲に、涙が一粒零れ落ちた。
少女は蹲り、ベッドの上で膝を抱えて絶叫した。
その日、病院の一角には、少女の慟哭が絶えることなく響き続けていた。
機動戦記Gジェネレーションズ 第二幕 第二話 彼女がなりたかったもの
「腹減ったー!」
誰に言うでもなく叫びながら、グランシャリオ居住区の食堂に入って来たのは第二小隊のジュナスである。シェルド、サエン、ショウが彼に続く。彼等はトレイ乗せた食事を手に、食堂の隅のテーブルに陣取った。
「毎度毎度、そんなこと大声で言うなよ。こっちまで恥ずかしくなってくるよ」
周囲をチラチラと気にしながら、シェルドがジュナスの向かい側に腰掛ける。サエンとショウもそれに習った。
「だってさぁ、やっぱ腹減るって。今日は特にジェシカ隊長のしごきが……」
言いかけて、ジュナスは不意に周囲を見回した。彼らの話に耳を傾けている者はいないようだった。
「心配しなくても、隊長は帰ってくるなりトレーニングセンターに行ったよ」
「うへぇ、マジで? よく体力持つなぁ」
ジュナスがげっそりとした様子で言う。彼らは今、MSを使った模擬戦を終えてきたばかりだった。
「でもさぁ、今日の俺、惜しかったと思わない? もうちょいでマークさんに一発当てられたのになぁ」
食事の途中、少し悔しそうにジュナスが言う。シェルドは手を止めてため息を吐き、
「何言ってるのさ。あれはわざと隙を見せて、ジュナスが突っ込んでくるのを誘ってたんだよ」
「え!? そうだったの!?」
ジュナスが目を丸くする。隣のサエンが苦笑気味に、
「分かりやすい引っ掛けだったじゃないか」
「そうだったのか。ちっとも気付かなかった」
ジュナスは少し肩を落とす。
「ちぇっ、あのマークさんにもう少しで勝てそうだったなんて、俺の腕も随分上がったなぁって思ってたのに」
「まあ、そりゃ入った当初に比べれば腕は上がったと思うけどね。さすがにマークさんには勝てないよ」
澄ました顔で、シェルドが言う。サエンも頷き、
「そうだな。俺もあの人には十回やって二回勝てるかどうかってところだ」
「へぇ、じゃ二回は勝てる自信があるんだ?」
「ま、調子にもよるけどな」
肩を竦めてみせるサエンに、ジュナスは感心した様子で、
「すげぇなぁ」
「そんなことより早く食べなよ。腹減ったって自分で言ってただろ」
「あ、そうだったそうだった」
シェルドに言われ、ジュナスは慌てて食事を再開する。
「別にそんな、急いで食べろって言ってるわけじゃ」
「何言ってんだ。食えるときに食っとかないと、次はいつになるか分かんないぞ」
口いっぱいに物を頬張ったまま喋るジュナスに、シェルドは苦笑いする。
「大丈夫だよ。ここは家じゃないんだから」
言いながら、シェルドはふと、隣のショウに目を移し、眉をひそめた。
「ショウ、どうしたんだい。あんまり食べてないみたいだけど……」
「え?」
ショウが、ぼんやりとシェルドを見た。
「何ですか?」
「ご飯。食べないのかい?」
「何だ、食わないんだったら俺にくれよ」
ショウの向かい側から、ジュナスが手を伸ばしてくる。ショウは慌ててトレイを引き寄せた。
「あ、あげませんよ! 僕だってお腹すいてるんですから」
「そっか? じゃあちゃんと食べないとな。大きくなれないぞ」
伸ばした手で、ジュナスはそのままショウの頭をぽんと叩き、また自分の食事に集中し始めた。ショウも、少しぎこちない手つきながらスプーンを口に運ぶ。
「あ、いたいた」
元気な声が聞こえてきたのは、二十分ほど経ったころだった。見ると、厨房の方から大きめの皿を持ったカチュアが歩いてくるところだった。
「ノーラン、皆こっちにいたよ」
「ほらほらカチュア、そんなに慌てんじゃないよ。転んじゃったら危ないだろう」
困ったように微笑みながら、後ろからついてきたのは第二小隊副隊長のノーランだ。髪を後ろで束ね、エプロンをつけている。やはり、大きな皿を両手で持っていた。
「だってさ、早く食べたいんだもん」
「食いしん坊だねぇ、カチュアは。でも、転んでひっくり返したら食べられなくなっちゃうだろ?」
「う、それは嫌だなぁ」
話しながら歩いてきた二人は、ジュナスたちのテーブルに、持っていた皿を置いた。
「おお、グッドタイミング!」
ジュナスが喜色に満ちた声を上げる。皿の上には、手作りと思しきクッキーとプリンがいくつか乗っていた。
「どうしたんですか、これ?」
シェルドが訊ねる。ノーランは近くの席から椅子を引っ張ってきて、それに座りながら、
「皆、今日訓練だったからね。多分デザートとか食べたくなるだろうと思って」
「ふふん、ワタシも手伝ったんだよ」
胸を張るカチュアに、
「味見をか?」
茶化すようにジュナスが言う。カチュアは口を尖らせた。
「ぶー、何でそんなこと言うの?」
「口の周りにクッキーのカスがついてるぞ」
「え、ウソ!?」
カチュアは慌てて口の周りを袖で拭ったが、ジュナスはにっと笑って、
「ウソ」
「ちょっとぉ!」
怒るカチュアを、ノーランが笑ってなだめる。
「その辺にしときなよ。で、どうだい、皆?」
「いやもう最高! ノーラン姐さん、これ、食べちゃっていいの?」
ジュナスはもう涎を垂らさんばかりだ。ノーランは苦笑しながら、
「そりゃ、食べるために作ったんだからね。でも、ちゃんと皆で分けて食べなよ?」
「そりゃもう」
どれにしようかな、とジュナスはプリンを選び始める。サエンがノーランの隣に椅子を寄せてきて、
「いやいやさすがは副隊長! よく気のきいた心配り。どうです今度食事でも」
「遠慮しとくよ」
苦笑してやんわりと断るノーラン。ふと、ショウの方を見て、
「どうしたんだいショウ。随分元気ないじゃないか」
「え」
またぼんやりしていたショウが、慌てて顔を上げる。クッキーを頬張っていたカチュアが、
「分かった。今日の模擬戦の結果が良くなかったから落ち込んでるんでしょ?」
「……そんなんじゃ」
ショウは答えたが、声に元気がなかった。ジュナスが小皿にプリンを取りながら、納得したように
「ああ、そういうことか。まあそう落ち込むなよショウ。たまたま調子が悪かっただけさ」
「君はもうちょっと気にしたほうがいいと思うけどね」
いただきます、とノーランに頭を下げてから、シェルドが言った。ショウは、
「でも……やっぱり気になりますよ。僕、第二小隊の中じゃ一番成績悪かったし」
「そりゃ仕方ないさ、ショウはウチの隊で一番経験が浅いんだから」
サエンがそう励ましたが、ショウは、
「でも、実戦じゃそんなこと言ってられないってジェシカ隊長が」
「まあ、姐さんは厳しいからねぇ」
ノーランが苦笑しつつも、
「でもさ、経験が浅いのも事実なんだ、ゆっくりやればいいんだよ」
「そう、ですか?」
ショウは納得できない様子だった。ノーランは優しい微笑みを浮かべ、
「頑張り屋さんだね、坊やは。だけどね、こういうのは焦って無理したって出来るもんじゃないんだ。一歩一歩、少しずつ努力を積み重ねていけばいいんだよ」
ショウは顔を赤くして俯いてしまう。「ん?」とノーランは小さく首を傾げた。
「どうしたんだい、坊や?」
「ノーランさん、ノーランさん」
ジュナスが、にやにやしながらノーランに耳打ちする。
「その坊やってのが恥ずかしいんだよ、きっと」
「あー、そっかそっか。ごめんよ」
ノーランはぱしんと額を打った。
「別にそういうつもりじゃなかったんだけど、何だか可愛くて、ついついね」
「可愛いだって」
ぷっ、とカチュアが吹き出す。ショウはますます顔を赤くして、トレイを持って立ち上がり、
「ぼ、僕……失礼します!」
と、そのまま席を立ち去ってしまった。シェルドが困ったように笑いながら、
「からかっちゃダメだよ、カチュア」
「えー、だって、面白いもん。男に可愛いだなんて」
「はは、悪いことしちゃったかな」
急ぎ足で食堂を出て行くショウを、ノーランは苦笑いで見送る。カチュアはプリンを小皿に取り、
「あとで持っていってあげよっと」
「うん、頼むよカチュア」
カチュアとノーランのやり取りを横目に、ジュナスはしたり顔で頷きながら、
「いやぁ、でも分かるなぁ、そういうのが恥ずかしいって。俺もそうだったもんな」
「え、君、可愛いなんて言われたことあったっけ?」
うさんくさそうに、シェルドがジュナスを見る。ノーランが、
「うん、ジュナスは腕白坊主って感じで可愛いと思うよ、アタシは」
「ほら見ろ、言われたぞ!」
威張るジュナスに、シェルドは呆れて、
「いや、この年で可愛いってのは情けないだろ」
「ノーランさん、俺なんてどう?」
無意味にきらりと目を光らせるサエン。ノーランが言うよりも早くカチュアが、
「ウザイって感じじゃない?」
「ひどいなぁ」
サエンは大してショックでもなさそうに笑ったあと、
「でも、ホント子供好きだなぁノーランさんは」
「ん?」
ノーランは少し照れくさそうに笑う。カチュアがはしゃいで、
「ワタシ知ってる。ショタコンって言うんでしょそういうの」
「君はどこでそういう言葉を覚えてくるんだい?」
シェルドが呆れて言った。ノーランは悪戯っぽく微笑んで、
「どうかな? カチュアみたいな可愛い女の子も大好きだよ、アタシは」
と、カチュアの頭を優しく撫でた。カチュアも嬉しそうに笑い、
「うん、ワタシもノーラン大好き。優しいから」
「ははは、それなら俺がいくらでも優しくしてあげるよカチュアちゃん」
「だからそれは犯罪だってばサエン」
そうやってクッキーを摘みながら談笑している間も、ノーランは時折ショウが去った方向を見て、少しだけ寂しそうに微笑んでいた。