【彼女がなりたかったもの】692氏



 その日の夜のこと。居住区の一角にあるジェシカの部屋で、ジェシカとノーランは小さな飲み会を開いていた。
 「そうか。ショウが……な」
 椅子に片足を乗せ、ビールの缶を片手にジェシカが呟く。ベッドに腰掛けたノーランは苦笑しながら頷き、
 「大分落ち込んでたねぇ、あれは」
 「現状ではただのお荷物だからな、あれは」
 「ひどいねぇ。アタシは結構頑張ってると思うんだけど」
 「ふん……」
 ジェシカは気に入らなそうに目を細める。
 「そもそも、ガキがMSに乗っている、というのがな……他にも使える奴ならいるだろうに、何故奴らをこんな船に乗せているのだか」
 「うーん。あの子たちは特別だからね」
 「ニュータイプという奴か? くだらん。少し勘がいいだけの人間が、戦争の役に立つものか」
 「その勘の良さがあってこそ、今まで死なずに済んでるじゃないの?」
 「死なないのを目的にするなら、MSになぞ乗らなければいい。大体、今は敵がノロマだから何とか対応できているだけだ」
 ジェシカは目を鋭くする。
 「今のままでは、まず間違いなくくたばるぞ、奴は」
 「うん……」
 ノーランは困ったように目を伏せる。ジェシカは小さく嘆息し、
 「まあ、才能がない訳ではないがな。さすが、本社のお墨付きだけはある」
 「あの『ガンダム』を任されてるぐらいだよ? 才能だけなら隊一番、それが本社の見積もりなんだろ」
 「だろうな」
 「でもさ」
 ノーランは不思議そうに首を傾げ、
 「だったら本格的に鍛えてあげればいいじゃない?」
 「……」
 珍しく、ジェシカは瞳をさまよわせ、
 「正直、迷っている」
 「迷う?」
 「アタシ個人としては、奴を思う存分鍛えてみたいと思う。だが、果たしてそうしていいものかどうか、とな」
 「ああ、ああ」
 ノーランは納得したように、二度頷いた。
 「分かるよ。あんな子供を兵士に仕立て上げたくないってんだろ?」
 「ショウの家も、あまり裕福ではないと言うが……アタシたち……それに、ジュナスやシェルドが兵士になったのとは事情が違う。わざわざ、あんな子供が好き好んで命のやり取りなどする必要はない」
 「だから、自分には才能がないんだと思わせて、この道を諦めさせたい、と」
 「そう思っている部分もある、ということだ」
 そこまで言って、ジェシカは不機嫌そうにビールの缶を握りつぶす。
 「フン……アタシも甘くなったもんだ」
 「仕方ないよ」
 ノーランは、少し悲しそうに微笑む。
 「前の戦争で……人が死ぬのを見すぎたんだ。お互いに、さ」
 「そう、かもな」
 しんみりと、二人は押し黙った。その沈黙を振り払うように、ノーランは周囲を見回して笑った。
 「しっかし、姐さんの部屋って、どこになっても昔から変わんないよねぇ」
 「ん? そうか?」
 つられるように、ジェシカも首を巡らせた。
 小隊長の身分と言えども、部屋の広さ自体は他の隊員と対して変わりがない。人一人暮らすには十分なスペースだが、ベッド一つにデスクが一つで、既に部屋の三分の一が占められているのだ。その上、ジェシカは個人的なトレーニンググッズや、大き目の飾り棚まで運び込んでいる。ガラス越しに、何の賞品だかよく分からない、ところどころメッキの剥げたトロフィーが大量に飾ってあった。
 「って言うか、狭いよ」
 「これでもキサマが来るから片付けたんだぞ」
 「女の部屋じゃないよねぇ、これは」
 壁に貼り付けてある、プロレス選手らしき男がマイク片手に人差し指を立てているポスターを見て、ノーランが苦笑した。ジェシカは鼻を鳴らし、
 「フン、キサマとて人のことをとやかく言えんだろうが。使い道のない産着なんぞ大量に作っておいて……」
 「ん。そうだね……」
 つぶやくように答えて、ノーランは遠い目でビールをあおる。ジェシカは罰が悪そうに、
 「スマン、失言だ」
 「ああ、ゴメンゴメン。ただちょっと、未練がましいなぁと思ってさ」
 気軽に笑い、ノーランはさらにビール缶を傾ける。目に見えて顔が赤くなった。ジェシカは眉を傾げ、
 「おい、あまり飲まん方がいいぞ。キサマはあまり強くないからな」
 「なに言ってんの。姐さんが強すぎるんだよ」
 言ったあと、小さくげっぷをするノーラン。その時、入り口のドアがスライドして、
 「いやーゴメンゴメン、遅くなっちゃったよ」
 「失礼しまーす」
 「うわ、もうそんなに飲んでるんですか!?」
 サエンとジュナスとシェルドが連れ立って部屋に入ってきた。ノーランが気楽に手を振り、
 「おー、いらっしゃい三人とも。さ、遠慮せずに飲んだ飲んだ」
 「コラ、アタシの金で買った酒だぞ」
 「気にしない気にしない」
 顔をしかめるジェシカに、ノーランはけらけらと笑う。言っている間もビールを飲み続けていたせいか、先ほどよりも顔が赤い。シェルドが心配そうに歩み寄ってきて、
 「ノーランさん、ちょっと飲みすぎじゃないですか?」
 「おやシェルド、心配してくれてるのかい?」
 「そりゃそうですよ。ノーランさんお酒弱いんだし……」
 「可愛いなぁもう!」
 ノーランが笑いながらシェルドの首を引っ掴み、彼の頭をグシャグシャと撫で回す。シェルドは首に回された腕を外そうともがきながら、
 「ちょ、ちょっと、止めてくださいよ! 僕だって子供じゃないんですから」
 「んーもう、照れない照れない!」
 「そうだぞシェルド、『僕』なんて言ってる内はまだ子供なんだぜ」
 ベッドの脇に座ろうとしていたジュナスが得意げな顔で言ったが、ノーランはジュナスの首も引っ掴んで、
 「ははは、そうやって背伸びしてるところが可愛いんだよねぇ、ジュナスは」
 「ちょ、ノーランさん、苦しいって!」
 ノーランの腕の中で、ジュナスがじたばたともがく。そんな賑やかな三人を苦笑気味に横目に、サエンはジェシカの近くの床に座りながら、
 「やれやれ、要するに二人ともまだお子様だってことだよなぁ。ねぇ隊長?」
 「サエン」
 「へ?」
 低い声で呼ばれ、振り向く。椅子に座ったジェシカが、睨むようにサエンを見下ろしていた。少し顔が赤い。
 「キサマには常々言おうと思っていたことが大量にある」
 「え」
 「キサマはおふざけが過ぎる。戦士としての自覚を持っているなら、もっと真面目にやれ」
 「いや、でも隊長」
 反論しかけたサエンに、
 「口答えするなぁ!」
 言葉と共に蹴りが飛んでくる。まともに顎に入り、サエンは悶絶する。
 「痛ぇ! ああ、でもちょっと気持ちいいような変な気分!?」
 「いいか、キサマの技量自体は第一小隊のマークにも劣らぬものだとアタシは見ている」
 「そ、そりゃどうも」
 「だが、キサマはそのふざけた態度でそれを全て台無しにしている! 戦闘中に曲芸機動などやりおって、何を考えているのだキサマは。百式の機動性を無駄に使うんじゃない」
 「いや、それは」
 「口答えするなぁ!」
 再び蹴りが飛んでくる。床をのたうち回りながらベッドの方を見たサエンは、
 「あれ」
 と、瞬きした。いつの間にかノーランの姿が消え、ベッドにはシェルドとジュナスだけがぐったりと横たわっていた。
 「どこ行ったんだ……?」
 「余所見するなコラァ!」
 「ぐえぇ!?」
 上からのしかかってきたジェシカが、うつ伏せのサエンの両足を思いっきり持ち上げる。見事なえび固めである。サエンはバシバシ床を叩き、
 「ギブ! ギブ! ああ、でもこの姿勢エロくてちょっと嬉しいかも!?」
 苦痛の中にわずかな快楽を見出すサエンの姿を、ぐったりしたままのシェルドとジュナスが気味悪そうに眺めていた。