【彼女がなりたかったもの】692氏



 数分後、ショウは先ほどよりもずっと暗い顔でベンチに座っていた。隣には苦笑気味に笑うノーランの姿が。
 「ははは……まあ、元気出しなよ。こういうこともあるって」
 「慰めなんかいらないです……酔っ払ってるノーランさんにも負けるだなんて……僕って一体……」
 ノーランは「うーん」と軽く唸り、
 「本当はもっと訓練したげるつもりだったんだけど、ショウが目の前で隕石に激突してあたふたしてるのを見たら、ついつい指が引き金にかかっちゃってさ……」
 で、コックピットに直撃である。ショウの顔がさらにどんよりと曇った。
 「隕石に激突して撃墜だなんて……そんな馬鹿なこと、無免許の人だってしないですよ」
 「いや、さすがにそこまで落ち込むのはどうかと思うけどねぇ」
 ノーランは苦笑して、ショウの肩をぽんぽんと叩いた。
 「まあ、元気出しなって。まだまだ先は長いんだから、これから頑張れば、さ」
 「ホントに、そうなんでしょうか?」
 「ん?」
 ショウは不安そうな顔で、
 「今日だって、何度も何度も……それこそ気が遠くなるぐらいに特訓したのに、この調子で……このままずっと下手くそなままなんじゃ……」
 「うーん……」
 ノーランは困ったように頬を掻く。何を言うべきか、迷っている様子だった。ショウはますます俯き、
 「……やっぱり、ノーランさんも向いてないと思いますか、僕?」
 「え? いやいや、そういう意味じゃなくてね」
 ノーランは慌てて手を振り、少し考えて、尋ねた。
 「一つ、聞いてもいいかい?」
 「何ですか?」
 「ショウはさ、どうしてパイロットなんかやってるんだい?」
 「え? どうしてって……」
 「ショウぐらいの年齢でパイロットなんて危険な仕事やることもないんじゃないかって思ってさ」
 ノーランの質問に、ショウは答えようか答えまいか迷っているようだったが、やがて、
 「うまく、言えないんですけど」
 「うん」
 「多分、嬉しかったんだと思います」
 「嬉しい?」
 ノーランはきょとんとした。ショウは頷き、
 「僕、チビじゃないですか」
 「まあ、大きい方じゃないよね」
 ショウの体を見ながら、ノーランは答える。ショウは、
 「かけっことかやっても、いつもビリだったし……あんまり頭も良くなかったから、ホントに、何やってもダメだったんです」
 「情けなかった?」
 「そうです。だから、Gジェネレーションの人が来て、僕にパイロット適性があるって言われたとき……単純に、ただ嬉しくて。こんな某にも取り得があったんだなぁって」
 少し嬉しそうなショウの横顔を、ノーランは黙って、少し痛ましげな瞳で見つめている。それに気付いたように、ショウは慌てて、
 「あ、もちろん、給料がいいっていうのもあったんですけどね。僕の家、貧乏でしたから」
 「うん。分かってる。助けたかったんだろ、お母さんを」
 「……はい」
 少しくすぐったそうに、ショウは頷いた。ノーランの表情が憂いに陰る。彼女は手を伸ばし、ゆっくりとショウの頭を撫でた。ショウは驚いて、
 「……ノーランさん?」
 「そういうの、えらいと思うよ。だけど、こんな危険なことしてるの……お母さん、きっと喜んでないよ?」
 「それは……」
 「家計を助けるためって言うんなら、他にも仕事はあるだろ? 坊やはまだ子供なんだ。こんな危険な仕事やることなんて、ないんだよ」
 軽く諭すようなノーランの声は、頭を撫でる手つき同様、柔らかく、優しかった。ショウは耐えられなくなったように、頭を振ってその手を跳ね除け、勢い良く立ち上がった。
 「で、でも、今はそれだけじゃないんです! デスアーミーがコロニーとか壊してるの見て、誰かが何とかしなくちゃならないんだとか、そういうこと思って、あの」
 何故か赤くなって、ショウはあたふたと弁解する。ノーランは目を丸くしてそれを聞いていたが、やがてクスリと笑い、
 「……やっぱり、男の子なんだね」
 そう言って、また優しく頭を撫で始めた。ショウはますます顔を赤くして、ぼそぼそと、
 「あの……できれば、撫でるの、止めてほしいんですけど」
 「んー? こういうの、いや?」
 「いや、というか」
 「恥ずかしい?」
 「……はい」
 「そっか」
 案外素直に、ノーランは手を引っ込める。ショウはほっと息を吐いて座りなおした。ノーランは横目にそれを見ながら、可笑しそうに微笑んだ。
 「でもさ、やっぱり急ぎすぎだと思うけどね」
 「……だって、いつまでも足引っ張ってばっかりじゃ」
 「仕方ないよ。何度も言うようだけど、経験が浅いんだからさ」
 苦笑混じりにノーランは言うが、ショウは拗ねたように口を尖らせ、
 「そういうのだったら、シスやカチュアだって」
 「え?」
 一瞬、ノーランはきょとんとしたが、ぽんと手を叩き、
 「あー、そうかそうか、やーっと分かった!」
 と、嬉しそうに何度も頷いた。ショウは驚き、
 「な、何がですか?」
 「ふっふーん」
 ノーランは少しにやけながらショウの頬をつつき、
 「要するにさ、ショウは女の子に負けてるのが悔しかったんだろ?」
 「なっ」
 「あの二人はシミュレーターのランキングでも結構上の方だもんねぇ。そりゃ、同年代の女の子二人に負けてちゃ情けなくもなるよねぇ」
 「……」
 反論できずに、ショウは押し黙る。目に涙が浮かんできた。ノーランは慌てて、
 「あー、ごめんよ、いじめるつもりじゃなかったんだけど」
 「そういう言い方、止めてください」
 すっかりいじけた口調である。ノーランはショウの背中をぽんぽんと叩いて、
 「大丈夫だよ、ショウ。人それぞれ、進むスピードに違いがあるんだ。その点、ショウはこんなに頑張ってるんだから、その内あの二人よりもいいパイロットになれるさ」
 「……そう、ですか?」
 ショウは鼻をすすり上げた。ノーランは大きく頷いて、
 「もちろんさ。アタシが保証したげるよ」
 その言葉に、ショウもいくらか自信を取り戻したようだった。ノーランは満足そうに笑いながらも、ふと悪戯っぽく笑って、
 「でもさ」
 「え?」
 「ホントは、それだけじゃないんじゃない?」
 「な、何がですか?」
 ショウは、明らかに動揺していた。ノーランはまたにやにやと笑いながら、
 「ずばり! ショウ、あんた、シスかカチュア、どっちかのことが好きなんじゃないかい?」
 「なっ……! 違っ、僕は、そんな……!」
 ばたばたと無駄に両手を振り回し、ショウは慌てふためく。否定したいらしいが、口がぱくぱくと動くだけで言葉になっていない。ノーランは完全にふやけた笑顔を浮かべてショウを抱きしめ、
 「ああもう、ホント可愛いなぁ坊や!」
 「ぶっ……の、ノーランさん、苦しい……って言うか、酒臭っ……ちょ、離してくださいよ!」
 「やだ」
 ショウとは違う意味で顔を赤くしながら、ノーランがショウの頭に頬擦りする。
 「もう……ホント、たまんないなぁ」
 「いや、たまんないのはこっちですから! 離してくださいってば!」
 暴れるショウを、ノーランは見た目には細い腕でがっしりと抱きしめる。ノーランはそれだけでも満足そうな表情だったが、ふと、
 「ね、坊や」
 と、ショウの耳元に口を寄せてきた。ほとんど息を吹きかけられたような感触である。ショウは反射的に顔を上げる。ノーランは、どこか夢見心地に、うっとりとショウの顔を見つめていた。
 「な、何ですか……?」
 おそるおそる、ショウは聞く。ノーランは黙って二、三度ショウの頭を撫でたあと、子守唄でも聞かせるような口調で、
 「坊や……」
 「は、はい……」
 「ね、アタシの子供にならない?」
 「……はい?」
 思わず、ショウは間抜けな返事を返していた。赤い顔のノーランと見つめあいながら、数秒ほど考え、ぎこちなく笑い、
 「な、何言ってるんですかノーランさん? やっぱり酔って」
 「アタシは本気だよ?」
 遠慮がちなショウの声を遮って、ノーランは言う。相変わらず顔は酒気に火照っていたが、表情はこの上もなく真剣だった。
 「ずっとそう思ってたんだ。坊やみたいな子がアタシの子供だったら、すごく幸せだろうなって」
 「……」
 「アタシ、坊やみたいな元気な子供産むの、夢だったんだよ」
 「だ、ダメですよそんなの……僕、もう母さんはいるし……」
 「もう一人いたらもっといいんじゃない?」
 「何言ってるんですか」
 「ね、アタシ、本気なんだ。どうかな、坊や……艦にいるときだけでもいいからさ、アタシのこと、お母さんって呼んでくれない?」
 ノーランは真剣というよりも、どこか必死な顔だった。長い間探し続けてようやく見つけた宝物を、決して手放すまいとするかのように。
 一方のショウは、気恥ずかしさからか目をそらしていたので、ノーランの表情には気付かなかった。ただ本当にそうなった時のことを想像したのだろう。ほんの少し、不快そうに顔を歪めた。
 ノーランが「あ」と、小さく、呆けたような声をもらした。一瞬腕の力が緩んだ隙に、ショウがあたふたとノーランの腕の中から脱出する。息と衣服を整えて、ショウはおそるおそるノーランに向き直る。
 「ノーランさん……?」
 声をかけても、返事はない。ノーランは脱力した様子で、ベンチに座り込んでいた。俯いていて、ショウからは表情が分からなかった。ショウは言葉に迷いながら、
 「……ごめんなさい、ノーランさん。僕、ノーランさんの子供にはなれないです。別に、ノーランさんのことが嫌いだとか、そんなんじゃないですけど……そういうの、変ですよ、やっぱり」
 ショウなりに考えた言葉だったのだろう。途中で突っかかりながらも、その口調は真剣だった。ノーランからの返事はない。ショウはいよいよ不安そうに、
 「あの……」
 声をかけた瞬間、突然ノーランが笑い出した。頭のネジが外れたような、狂った笑いである。
 「え」
 「あっはっはは、はははは! はははは、はははは……ああ、おっかしい。ショウ、ちょっと慌てすぎだよ、アンタ……あははは」
 ノーランは腹を抱えて笑い転げる。ショウは呆然と立ち尽くし、
 「……ひょっとして……全部、冗談だったんですか?」
 「はは、ははは……なーに言ってんの、当たり前だろ? あんなこと本気で言う女がいたら、頭がおかしいとしか思えないよ……はははっ」
 ノーランの笑いはおさまらない。ショウは全身を震わせ、
 「ノーランさん!」
 「うん?」
 「ぼ、僕は、本気で……!」
 「うん、そうだね」
 先ほどの馬鹿にするような笑いを一瞬で引っ込め、ノーランは優しく微笑んだ。あまりの態度の変化に、ショウはきょとんとする。
 「さっきのショウの答え、良かったと思うよ。あんな風に、どんなことにでも誠実に対応するのを忘れなきゃ、あんたはきっと、今よりもっと成長できる」
 「え……と」
 「でも」
 と、ノーランはまた気軽な笑いを浮かべ、
 「ちょーっと力みすぎかね。まずは、もっと力を抜く場所を覚えなよ」
 「……何か、さっきと言ってることが反対じゃないですか?」
 「全然。よく考えてみれば、矛盾はしないと思うよ」
 「うーん……?」
 ショウは腕組みをして考え出す。ノーランはそれを微笑ましげに見つめていたが、ふと壁の時計に目を移し、
 「おっと、もうこんな時間だ」
 「え?」
 ショウは慌てて振り返る。現在、時刻は午後十一時半。ノーランが苦笑混じりに、
 「ちょっと、話し込んじゃったかなぁ。ショウ、どうするんだい?」
 「……もうちょっと、やっていきます」
 「ん。あんまり夜更かししちゃダメだよ。子供の寝不足は成長に悪影響を及ぼすって言うしね」
 やんわりと注意するノーランに、ショウは不満そうな表情を浮かべ、
 「……そうやって子供扱いするの、止めてくださいよ」
 「んん? でも、やっぱり可愛いからねぇ、ショウは」
 そう言って、ノーランはまた嬉しそうな顔をする。ショウは口を尖らせて、
 「……シミュレーター、入ってきます」
 「あいよ、いってらっしゃい」
 ノーランはのん気に手を振る。ショウはむくれたまま踵を返した。

 ショウの姿がシミュレーターの中に消えたのを見届けて、ノーランはため息を吐く。
 「……馬鹿なこと、しちゃったなぁ。やっぱ、酒なんか飲むもんじゃないや」
 顔には、自嘲気味な笑顔。
 「はは、あれじゃ変態だよ……ホント、アタシって、どうしようもないバカだ」
 ノーランは手の平で目を覆い隠し、
 「……未練、だよなぁ。さっさと諦めろよ、アタシ。いつまでひきずりゃ気が済むんだい、阿呆が……」
 と、呟いた。