【彼女がなりたかったもの】692氏
数十分ほどしてから出てきたショウは、むすっとした顔をしていた。ずっとベンチに座っていたノーランが、軽く手を上げる。
「お疲れさん。戦果は?」
「……これで四十連敗です」
ショウは不機嫌そうにそう言って、ノーランの隣に乱暴に腰を下ろす。ノーランは苦笑し、
「あんまり気にすんじゃないよ。そんな、すぐに上手くなるもんじゃないんだからさ」
「慰めてくれなくてもいいです。僕、どうせ下手くそですから」
ショウはすねた様子で口を尖らせる。ノーランは困ったように笑う。その笑い方が気に障ったらしく、ショウは不機嫌そうに彼女を睨み、
「……そんなにおかしいですか?」
「え?」
「そりゃおかしいですよね、下手くそが無駄な努力を続けてるんですから」
子供っぽい、いじけた口調だった。ノーランはいよいよ困った様子で、
「今のはそういう意味じゃないんだよ。ただね、坊や……」
ショウの頭を撫でようとしてか、ノーランはスッと手を伸ばした。ショウはその手を払いのけ、
「その坊やっていうの、止めてください!」
と、怒鳴った。ノーランは驚いて手を引っ込め、目を吊り上げているショウに軽く頭を下げ、
「ごめんよ、ショウ。わざと言ってるんじゃないんだ。ただ……」
と、ノーランは少し迷うように瞳を彷徨わせ、言った。
「何だろうね。頑張ってるショウを見るの、好きなんだ。だから、ついおせっかいしちゃって……子供扱いしちゃうんだろうね」
そんなノーランを、ショウは苛立った様子で睨んでいたが、やがて彼女から視線を外し、言った。
「そんなに子供が欲しいんだったら、自分で産めばいいじゃないですか」
「え……」
ノーランが目を見開く。気付かずに、ショウは続けた。
「だって、そうでしょ? 子供の世話を焼いたり、可愛がったりしたいんだったら、自分の子供にそうすればいいんですよ。僕にそういうことされたって、正直言って迷惑なだけ……」
恨み言を喋りながらチラリとノーランに目を向けたとき、ショウの言葉は途切れた。ショウを見つめるノーランの瞳に、今まで見たことのない感情が浮かんでいたからだ。それは、言葉では到底言い表すことの出来ない、深い悲哀の色だった。
ショウは息を呑んだ。だが、ノーランが悲しげな表情を見せたのはほんの一瞬のことで、彼女の顔にはすぐに優しい微笑が戻っていた。
「……そうだね。ごめんよ、今度からは気をつけるから、許しとくれ」
ショウは返答できなかった。彼に横顔を向け、笑みを絶やさないまま、ノーランは小さく呟く。
「ホント……欲しかったなぁ、赤ちゃん」
そう言うノーランは、何かに憧れるような、遠い目をしている。
(……謝らなくちゃ)
ショウは、そう思った。理由もなく、自分が悪いことをしたということが分かった。しかし、何と言っていいのかは分からなかった。それでも無理矢理に口を開き、
「……あの」
「うん?」
ノーランが小さく首を傾げて、ショウの方を向く。ショウはノーランの瞳を直視できず、俯いてしまう。
「あの、えっと」
「どうしたんだい?」
ショウの言葉を、ノーランは穏やかな顔で待っている。しかし、どうしても言葉が出てこない。そのとき、トレーニングセンターのドアがスライドして開いた。
「何だ、ここにいたのか」
入ってきたのはジェシカだった。何かズダボロになった物を引きずっている。
「サ、サエンさん!? それにシェルドさんにジュナスさん……」
「こいつらは脆すぎる。ちょっと鍛えてやろうと思ったら、こうだ」
つまらなそうに、ジェシカは三人を放り出す。三人はすっかり虫の息だった。
「うわぁ、こりゃまた派手にやったねぇ。おーい、三人とも、生きてるかい?」
ノーランが気楽に笑いながら、倒れている三人に歩み寄る。謝るタイミングを逃してしまったと、ショウはため息を吐いた。
「……で、ショウ。キサマ、こんな時間にこんなところで何をやっていたのだ?」 「え?」
いつの間にか、ショウの隣にジェシカが立っていた。いつも通り鋭い目つきだったが、いつもよりも顔が赤い。
「……あの、隊長、ひょっとしてお酒」
「質問に答えろ!」
怒鳴り声と共に、ジェシカがショウの真上の壁を殴りつける。轟音が鳴り響き、トレーニングセンターが揺れた。ショウは反射的に立ち上がり、直立不動で
「はい! 第二小隊員ショウ・ルスカ、シミュレーターによる訓練を行っておりました!」
「訓練……ほう……」
ジェシカがショウに顔を近づけてきた。鼻息がかからんばかりの距離でジェシカのつり目に見据えられ、ショウは硬直してしまう。これまさに蛇に睨まれた蛙である。と、唐突に、ジェシカは満面の笑顔を浮かべ、
「ハハハッ、感心したぞショウ! キサマにそんな気概があるとはな!」
言いながら、ショウの背中をバシバシと叩く。あまりの勢いに、ショウはむせながら、
「あ、ありがとうございます」
「見上げた根性だ。キサマらも少しは見習ったらどうだ!」
振り向くが、サエンとシェルドとジュナスは未だにへばっており、
「うぅ……もう勘弁してください」
とシェルドが呻き、
「あぁ……もっと叩いて〜」
とサエンが錯乱し、
「うぁ……グレッグおじさん、ちょ、それは抱きしめるって言うより背骨折る……」
とジュナスが何やら幻覚を見ている。ジェシカは舌打ちし、
「情けない奴等だ……」
「あの、大丈夫なんですか?」
おそるおそる聞いたショウを、
「こんなところでくたばるようなら、所詮そこまでの男たちだったということだ!」
ジェシカはばっさりと切って捨てる。そして、
「ふむ……それで、どうだショウ、成果は上々か?」
「は……」
唐突に聞かれて、ショウは言葉を濁す。ジェシカは不機嫌そうに、
「その様子では、大して効果が出ていないらしいな」
「……すみません」
「謝ったところで腕は上がらん。ふむ……」
ジェシカは赤い顔で考え込み、
「よし、ならばアタシじきじきに訓練してやろう」
「は?」
ショウの目が点になった。ジェシカはいかにも名案だという風にうんうん頷き、
「うむ、それがいい。そうすればキサマのどこが悪いのかも正確に分かるというものだ」
「えっと」
ショウはちらりと後ろを見る。ボロ雑巾のようにされた三人を見る限り、今のジェシカに手加減というものを求めるのは不可能だろう。
「……いえ、わざわざ隊長にやってもらわなくても」
「遠慮するな!」
一喝。ショウが押し黙ってる間に、ジェシカはずんずんシミュレーターの方に歩いていく。
「うー……」
「やってもらったら?」
いつの間にかショウの隣に立っていたノーランが言う。
「どうせシミュレーターだからさ、あんなにまではされないって」
「……ノーランさん」
ショウは、きまりが悪そうにノーランを見る。しかし、ノーランは屈託の無い笑顔で、
「ね?」
「……そう、ですね。いい機会ですし」
「うん。あ、でも、疲れてないかい?」
「少し。だけど、サエンさんたちよりはマシだと思います」
「はは、そりゃそうだ。じゃ、頑張ってきなよ」
ぽん、と肩を叩いてくれたノーランに一つお辞儀して、ショウはシミュレーターに向かった。