【彼女がなりたかったもの】692氏



 「さて……」
 架空の宇宙空間に躍り出たジェシカは、前方を見据えて唇を吊り上げた。彼方に小さな点のように見えていたNT1の機影が、見る間に迫ってきていた。
 「真っ向勝負を挑んできたか」
 こちらの射撃を警戒してか、NT1はジグザグに動きながら、イーゲルに向かって突っ込んでくる。
 「少しずつ落ち着いてきているようだな。だが……」
 迫り来るNT1が、ビームサーベルを引き抜きざま切りつけてきた。それを予期していたかのように、ジェシカはイーゲルを真横に移動させ、余裕で斬撃をかわす。そのまま、担いでいたミンチ・ドリルをNT1に向かって振り下ろしたが、NT1は不安定な姿勢のままブースターを吹かして紙一重で逃れた。ジェシカは感心したように、
 「少しは柔軟に対応できるようになったか」
 イーゲルは間髪いれずにミンチ・ドリルを振り上げたが、それよりも速く、NT1は体勢を立て直しつつイーゲルから離れていた。
 「そうだ。NT1の機動性を有効活用せねば、アタシには勝てんぞ、ショウ」
 ジェシカは楽しげに笑い、NT1に追いすがりつつ、ビームライフルを連射した。NT1は機体正面をイーゲルに向けたまま、ビームを避けながら後退する。避けるので精一杯らしく、反撃はない。
 「逃げてばかりではどうにもならんぞ?」
 ジェシカが呟いたとき、イーゲルの放ったビームがNT1の左腕部のシールドを吹き飛ばした。その衝撃で、NT1はモニターの片隅に見えていた小隕石帯に向かって流れていく。ジェシカはペダルを踏み込み、イーゲルにNT1の後を追わせた。

 ダメージ報告が響くコックピットの中で、ショウは唇を噛んだ。
 「やっぱり、隊長は強いな……調子はいいつもりなんだけど、こうも軽くあしらわれるなんて」
 NT1は少し大きめの小隕石の陰に身を潜めていた。周囲には大小様々な大きさの隕石が浮かんでいる。ビームを喰らって全力で逃げたおかげか、幸いにも付近にイーゲルの機影は見えなかった。
 「どうする? 撃ち合いで勝てるとは思えないし、もう簡単には隙を見せてくれないだろうし……」
 ショウは焦った声でぶつぶつと呟く。操縦桿を握る手に汗が滲んだ。
 「大丈夫、落ち着きなよ」
 背後から、優しい声がかけられる。ショウはちらりと振り返る。ノーランは、少し赤い顔で微笑んでいる。
 「……はい」
 ショウはゆっくりと頷き、周囲を見回した。そして、近くの隕石の一つに目を止めた。

 視界を遮る隕石に、ジェシカは舌打ちをもらした。
 「チッ……どこに行った?」
 進路の邪魔になる隕石を避けながら、ジェシカはせわしなく視線を動かす。そして、少し進んだ先の宙域にやけに隕石が密集しているのを見て、目を細めた。
 ジェシカはペダルを踏み込み、密集した隕石にイーゲルを接近させる。近くで見ると、ほとんど進む隙間もないほどの密度だった。
 ジェシカは、手近に浮かんでいた隕石の一つにミンチドリルを接触させる。隕石は一瞬で弾け飛んだ。
 「やはり、ダミーか」
 機体によっては標準装備されている、ダミーのバルーン隕石を放出する装置。おそらく、オプションで選んでおいたものを使用したのだろう。
 ジェシカは小さく失笑した。
 「ダミーに紛れるという考えは分からんでもないがな。こうも露骨にまき散らしては、かえって自分の位置を知らせることになるぞ」
 見えない相手に向かって教授するように呟きながら、ジェシカは障害となるダミー隕石を次々と弾き飛ばし、その宙域の奥へと突き進んだ。その奥に、NT1の機影が小さく見え始めた。正面をこちらに向けて、じっと佇んでいる。
 「もう観念したか? 諦めの良すぎる奴は戦場では生き残れんぞ」
 NT1にも当然イーゲルが見えているらしく、ある程度の距離まで近付いたときに右腕を持ち上げてガトリングガンを撃ってきた。その射線から逃れつつ、ジェシカもビームライフルを撃ち返す。NT1もまた、ガトリングガンをばら撒きつつイーゲルのビームから逃れる機動を取り始める。
 「逃がすか!」
 ジェシカはペダルを強く踏み込み、イーゲルをNT1に突っ込ませる。NT1のガトリングガンの射線を予期するのは、ジェシカにとっては容易なことだった。
 (……ガトリングガンだと?)
 ジェシカは目を見張る。最初切り結んだとき、NT1は確かにビームライフルを携行していた。しかし、今NT1が使用しているのはガトリングガンであり、ビームライフルはどこにも見当たらない。
 (……罠か!)
 ジェシカの背筋に悪寒が走った。ジェシカは慌てて機体を停止させようとしたが、それよりも早く、コックピットが大きく揺れ動いた。

 「うまくいった……!」
 後方から飛んできたビームがイーゲルを直撃したのを見て、ショウは小さく歓声を上げた。
 ジェシカに発見される前に、近くにあった隕石の陰にビームライフルを隠しておき、遠隔操作で撃ったのである。前にラナロウに使われた手を、咄嗟に思いついて実行したのだった。
 さしものジェシカもこれは予期していなかったらしく、イーゲルは大きくバランスを崩す。その隙を見逃さず、ショウはNT1を突進させた。

 「やってくれる……!」
 警報が鳴り響くコックピットで、ジェシカは悔しげに呻いた。
 「坊主だと思って侮りすぎたようだな……アタシも、ノーランのことをとやかく言う資格はない、という訳か」
 ジェシカは、一瞬だけ自嘲気味に微笑んだ。
 「ヤキが回ったな、お互い……だが」
 ジェシカは鋭く前方を見据える。少し画像が乱れているモニターでも、NT1がビームサーベルを構えて一直線に突っ込んでくるのは見えていた。ジェシカは素早く機体を立て直し、ミンチ・ドリルを構えた。
 「そうそう楽に勝ちを譲ってやると思うなよ、ショウ!」
 イーゲルもまた、NT1に向かってがむしゃらに突進し始める。
 そして次の瞬間、偽物の宇宙空間の片隅に炎の花が一つ生まれた。

 「YOU DEAD」
 何度繰り返し聞いても変わらない、無機質な合成音。ショウは荒い息を吐いて、シートにもたれかかった。
 「負けた、か……」
 呟く声に、悔いは感じられない。むしろ、どこか心地よさげな口調だった。しばらくそのまま座っていると、ハッチが外部から開けられて、ジェシカが顔を見せた。
 「ショウ」
 「隊長」
 ジェシカは少しの間複雑そうな表情をしていたが、フッと気を抜いたように笑うと、
 「……まだまだ詰めの甘いところはあるが……さっきの戦闘は、まずまずだったな。あの感じを忘れるな」
 肩を竦めながら、
 「ま……今日のところは、合格にしておいてやるよ」
 ショウの顔に、見る見るうちに喜びが広がっていく。だが、ジェシカに向かって何かを言う前に、ショウはいそいそと立ち上がって、後ろを振り返った。ノーランは無言で、下を向いて立っていた。ショウは勢い良く頭を下げ、
 「ノーランさん、ありがとうございました! 僕がここまでやれたの、ノーランさんが落ち着かせてくれたからです。ホント、何て言ったらいいか……」
 ショウは言葉を捜すように唇を震わせたが、何も言えずに口を噤む。その末に目を潤ませて、
 「ありがとうございました!」
 と、もう一度頭を下げた。
 だが、ノーランはいつまで経っても返事をしなかった。ショウは眉をひそめておそるおそる顔を上げる。そうやって下から見上げてみて初めて、俯いていたノーランの顔が見えた。
 さきほどまで赤かった顔色が、今は青ざめていた。ぱっと見た感じ、気持ちが悪そうである。
 そこでふと、ショウは思い出す。ノーランは酒に弱いらしいこと、そのノーランが缶ビールを何本か開けていたこと。そして、このシミュレーターが戦闘中の衝撃などをかなりリアルに再現するということ。
 それらの事実からショウが結論を導き出したとき、ノーランは青い顔で口を押さえ、
 「……うぷっ」
 ……こうしてショウは、その日一番威力のある攻撃を、顔面で受け止めることになったのである。

 「あー、やっと終わったよ……」
 げっそりした顔で呟きながら、ジュナスが雑巾片手にシミュレーターから顔を出す。ベンチに座っていたシェルドは、軽く片手を上げた。
 「お疲れ……とれた?」
 「ん。まあ何ていうか、液体ばっかりだったしな。臭いが残んなきゃいいけど」
 「後で消臭剤撒いとこうか」
 二人は疲れた口調で言い合っていた。ノーランを担いだジェシカに、証拠隠滅……もとい後始末を命ぜられた二人は、今ようやくその作業を完了したところだった。サエンはショウについて、洗面所で顔を洗ってやっているはずだった。
 「もうこんな時間か」
 壁に備え付けられた時計を見たジュナスが、欠伸混じりに言う。
 「俺、もう寝るわ。何かかなり疲れた気がする……」
 「ああ、僕もそうしようかな……」
 言った後、シェルドはふとシミュレーターを見て、思いなおしたように、
 「やっぱり、臭いがついてないか確かめてから帰るよ。掃除用具、片付けておいて」
 「ん。そっか。じゃ、お休みな」
 ジュナスは特に疑問を抱いた様子もなく、バケツと雑巾を持ち、欠伸をしながらトレーニングセンターを出て行く。シェルドはそれを見送った後、シミュレーターの中に入った。 特に、嫌な臭いはしなかった。すぐに拭き取ったのが良かったのだろう。
 「さて、と」
 シェルドはコンソール下部のスリットにIDを通し、コンピューターを起動させた。戦闘シミュレーションではなく、過去の成績閲覧を選択する。そして、ランキングを表示させた。
 「十二位、エリス・クロード、十七位、シス・ミットヴィル……か」
 二人の名前を呟き、シェルドは目を細める。
 「……二人が戦ったら、エリスの方に分がある、か」
 そう言ってから、ふと苦笑し、
 「馬鹿馬鹿しい、二人が本気で戦うことなんてある訳ないじゃないか。何を考えてるんだ、僕は」
 言い聞かせるように呟きながら、シェルドはさらに、エリスの個人成績を見る。他人の成績を見て参考にすることも有意義だということで、こういった機能も備わっているのだ。
 そして、モニターに、エリスの使用履歴が表示される。そのデータは、全て対BD一号機戦で埋め尽くされていた。対人戦はなく、対AI戦闘ばかりだった。
 「……」
 半ば、そうなることが予想できていたのかもしれない。シェルドの顔に、驚きは浮かんでこなかった。ただ、何かを危惧するような険しい表情を浮かべて、シェルドはいつまでもモニターを注視していた。