【彼女がなりたかったもの】692氏



 「……以上が、診断の結果です」
 少女が横たわるベッドのそばで、担当医は無表情に宣告した。
 答える声はない。包帯だらけの少女は、瞬きもせずに呆然と、毛布の下にある自分の下腹部を見つめている。
 その姿を見ていた担当医は、硬い表情を隠すように頭を下げ、
 「それでは、お大事に」
 言って、部屋の入り口に向かって踵を返した。出て行く直前、肩越しに振り返り、ちらりと、痛ましげに彼女を見た。
 自分以外に誰もいなくなった部屋の中、少女は壊れた操り人形のようなぎこちない動作で、何度も何度も毛布越しに自分の腹を撫でた。撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、
 「……うぁ」
 わずかに開いた唇の隙間から、絞り出したような悲鳴がこぼれた。
 「うぁ、あ、あああ」
 しわが寄るほどに、強く毛布を握り締める。手の甲に、涙が一粒零れ落ちた。
 少女は蹲り、ベッドの上で膝を抱えて絶叫した。
 その日、病院の一角には、少女の慟哭が絶えることなく響き続けていた。



 機動戦記Gジェネレーションズ 第二幕 第二話 彼女がなりたかったもの



 「腹減ったー!」
 誰に言うでもなく叫びながら、グランシャリオ居住区の食堂に入って来たのは第二小隊のジュナスである。シェルド、サエン、ショウが彼に続く。彼等はトレイ乗せた食事を手に、食堂の隅のテーブルに陣取った。
 「毎度毎度、そんなこと大声で言うなよ。こっちまで恥ずかしくなってくるよ」
 周囲をチラチラと気にしながら、シェルドがジュナスの向かい側に腰掛ける。サエンとショウもそれに習った。
 「だってさぁ、やっぱ腹減るって。今日は特にジェシカ隊長のしごきが……」
 言いかけて、ジュナスは不意に周囲を見回した。彼らの話に耳を傾けている者はいないようだった。
 「心配しなくても、隊長は帰ってくるなりトレーニングセンターに行ったよ」
 「うへぇ、マジで? よく体力持つなぁ」
 ジュナスがげっそりとした様子で言う。彼らは今、MSを使った模擬戦を終えてきたばかりだった。
 「でもさぁ、今日の俺、惜しかったと思わない? もうちょいでマークさんに一発当てられたのになぁ」
 食事の途中、少し悔しそうにジュナスが言う。シェルドは手を止めてため息を吐き、
 「何言ってるのさ。あれはわざと隙を見せて、ジュナスが突っ込んでくるのを誘ってたんだよ」
 「え!? そうだったの!?」
 ジュナスが目を丸くする。隣のサエンが苦笑気味に、
 「分かりやすい引っ掛けだったじゃないか」
 「そうだったのか。ちっとも気付かなかった」
 ジュナスは少し肩を落とす。
 「ちぇっ、あのマークさんにもう少しで勝てそうだったなんて、俺の腕も随分上がったなぁって思ってたのに」
 「まあ、そりゃ入った当初に比べれば腕は上がったと思うけどね。さすがにマークさんには勝てないよ」
 澄ました顔で、シェルドが言う。サエンも頷き、
 「そうだな。俺もあの人には十回やって二回勝てるかどうかってところだ」
 「へぇ、じゃ二回は勝てる自信があるんだ?」
 「ま、調子にもよるけどな」
 肩を竦めてみせるサエンに、ジュナスは感心した様子で、
 「すげぇなぁ」
 「そんなことより早く食べなよ。腹減ったって自分で言ってただろ」
 「あ、そうだったそうだった」
 シェルドに言われ、ジュナスは慌てて食事を再開する。
 「別にそんな、急いで食べろって言ってるわけじゃ」
 「何言ってんだ。食えるときに食っとかないと、次はいつになるか分かんないぞ」
 口いっぱいに物を頬張ったまま喋るジュナスに、シェルドは苦笑いする。
 「大丈夫だよ。ここは家じゃないんだから」
 言いながら、シェルドはふと、隣のショウに目を移し、眉をひそめた。
 「ショウ、どうしたんだい。あんまり食べてないみたいだけど……」
 「え?」
 ショウが、ぼんやりとシェルドを見た。
 「何ですか?」
 「ご飯。食べないのかい?」
 「何だ、食わないんだったら俺にくれよ」
 ショウの向かい側から、ジュナスが手を伸ばしてくる。ショウは慌ててトレイを引き寄せた。
 「あ、あげませんよ! 僕だってお腹すいてるんですから」
 「そっか? じゃあちゃんと食べないとな。大きくなれないぞ」
 伸ばした手で、ジュナスはそのままショウの頭をぽんと叩き、また自分の食事に集中し始めた。ショウも、少しぎこちない手つきながらスプーンを口に運ぶ。
 「あ、いたいた」
 元気な声が聞こえてきたのは、二十分ほど経ったころだった。見ると、厨房の方から大きめの皿を持ったカチュアが歩いてくるところだった。
 「ノーラン、皆こっちにいたよ」
 「ほらほらカチュア、そんなに慌てんじゃないよ。転んじゃったら危ないだろう」
 困ったように微笑みながら、後ろからついてきたのは第二小隊副隊長のノーランだ。髪を後ろで束ね、エプロンをつけている。やはり、大きな皿を両手で持っていた。
 「だってさ、早く食べたいんだもん」
 「食いしん坊だねぇ、カチュアは。でも、転んでひっくり返したら食べられなくなっちゃうだろ?」
 「う、それは嫌だなぁ」
 話しながら歩いてきた二人は、ジュナスたちのテーブルに、持っていた皿を置いた。
 「おお、グッドタイミング!」
 ジュナスが喜色に満ちた声を上げる。皿の上には、手作りと思しきクッキーとプリンがいくつか乗っていた。
 「どうしたんですか、これ?」
 シェルドが訊ねる。ノーランは近くの席から椅子を引っ張ってきて、それに座りながら、
 「皆、今日訓練だったからね。多分デザートとか食べたくなるだろうと思って」
 「ふふん、ワタシも手伝ったんだよ」
 胸を張るカチュアに、
 「味見をか?」
 茶化すようにジュナスが言う。カチュアは口を尖らせた。
 「ぶー、何でそんなこと言うの?」
 「口の周りにクッキーのカスがついてるぞ」
 「え、ウソ!?」
 カチュアは慌てて口の周りを袖で拭ったが、ジュナスはにっと笑って、
 「ウソ」
 「ちょっとぉ!」
 怒るカチュアを、ノーランが笑ってなだめる。
 「その辺にしときなよ。で、どうだい、皆?」
 「いやもう最高! ノーラン姐さん、これ、食べちゃっていいの?」
 ジュナスはもう涎を垂らさんばかりだ。ノーランは苦笑しながら、
 「そりゃ、食べるために作ったんだからね。でも、ちゃんと皆で分けて食べなよ?」
 「そりゃもう」
 どれにしようかな、とジュナスはプリンを選び始める。サエンがノーランの隣に椅子を寄せてきて、
 「いやいやさすがは副隊長! よく気のきいた心配り。どうです今度食事でも」
 「遠慮しとくよ」
 苦笑してやんわりと断るノーラン。ふと、ショウの方を見て、
 「どうしたんだいショウ。随分元気ないじゃないか」
 「え」
 またぼんやりしていたショウが、慌てて顔を上げる。クッキーを頬張っていたカチュアが、
 「分かった。今日の模擬戦の結果が良くなかったから落ち込んでるんでしょ?」
 「……そんなんじゃ」
 ショウは答えたが、声に元気がなかった。ジュナスが小皿にプリンを取りながら、納得したように
 「ああ、そういうことか。まあそう落ち込むなよショウ。たまたま調子が悪かっただけさ」
 「君はもうちょっと気にしたほうがいいと思うけどね」
 いただきます、とノーランに頭を下げてから、シェルドが言った。ショウは、
 「でも……やっぱり気になりますよ。僕、第二小隊の中じゃ一番成績悪かったし」
 「そりゃ仕方ないさ、ショウはウチの隊で一番経験が浅いんだから」
 サエンがそう励ましたが、ショウは、
 「でも、実戦じゃそんなこと言ってられないってジェシカ隊長が」
 「まあ、姐さんは厳しいからねぇ」
 ノーランが苦笑しつつも、
 「でもさ、経験が浅いのも事実なんだ、ゆっくりやればいいんだよ」
 「そう、ですか?」
 ショウは納得できない様子だった。ノーランは優しい微笑みを浮かべ、
 「頑張り屋さんだね、坊やは。だけどね、こういうのは焦って無理したって出来るもんじゃないんだ。一歩一歩、少しずつ努力を積み重ねていけばいいんだよ」
 ショウは顔を赤くして俯いてしまう。「ん?」とノーランは小さく首を傾げた。
 「どうしたんだい、坊や?」
 「ノーランさん、ノーランさん」
 ジュナスが、にやにやしながらノーランに耳打ちする。
 「その坊やってのが恥ずかしいんだよ、きっと」
 「あー、そっかそっか。ごめんよ」
 ノーランはぱしんと額を打った。
 「別にそういうつもりじゃなかったんだけど、何だか可愛くて、ついついね」
 「可愛いだって」
 ぷっ、とカチュアが吹き出す。ショウはますます顔を赤くして、トレイを持って立ち上がり、
 「ぼ、僕……失礼します!」
 と、そのまま席を立ち去ってしまった。シェルドが困ったように笑いながら、
 「からかっちゃダメだよ、カチュア」
 「えー、だって、面白いもん。男に可愛いだなんて」
 「はは、悪いことしちゃったかな」
 急ぎ足で食堂を出て行くショウを、ノーランは苦笑いで見送る。カチュアはプリンを小皿に取り、
 「あとで持っていってあげよっと」
 「うん、頼むよカチュア」
 カチュアとノーランのやり取りを横目に、ジュナスはしたり顔で頷きながら、
 「いやぁ、でも分かるなぁ、そういうのが恥ずかしいって。俺もそうだったもんな」
 「え、君、可愛いなんて言われたことあったっけ?」
 うさんくさそうに、シェルドがジュナスを見る。ノーランが、
 「うん、ジュナスは腕白坊主って感じで可愛いと思うよ、アタシは」
 「ほら見ろ、言われたぞ!」
 威張るジュナスに、シェルドは呆れて、
 「いや、この年で可愛いってのは情けないだろ」
 「ノーランさん、俺なんてどう?」
 無意味にきらりと目を光らせるサエン。ノーランが言うよりも早くカチュアが、
 「ウザイって感じじゃない?」
 「ひどいなぁ」
 サエンは大してショックでもなさそうに笑ったあと、
 「でも、ホント子供好きだなぁノーランさんは」
 「ん?」
 ノーランは少し照れくさそうに笑う。カチュアがはしゃいで、
 「ワタシ知ってる。ショタコンって言うんでしょそういうの」
 「君はどこでそういう言葉を覚えてくるんだい?」
 シェルドが呆れて言った。ノーランは悪戯っぽく微笑んで、
 「どうかな? カチュアみたいな可愛い女の子も大好きだよ、アタシは」
 と、カチュアの頭を優しく撫でた。カチュアも嬉しそうに笑い、
 「うん、ワタシもノーラン大好き。優しいから」
 「ははは、それなら俺がいくらでも優しくしてあげるよカチュアちゃん」
 「だからそれは犯罪だってばサエン」
 そうやってクッキーを摘みながら談笑している間も、ノーランは時折ショウが去った方向を見て、少しだけ寂しそうに微笑んでいた。

 「どこだ、どこにいるんだ……?」
 宇宙空間に一機で漂いながら、ショウの駆るガンダムNT1は敵機の姿を捜し求めていた。
 前を見ても後ろを見ても、光点を見出すことは出来ない。操縦桿を握る手に汗が滲んだ。
 その時、前方の小隕石の影で何かが光った。ショウは慌てて機体を横に滑らせる。先ほどまでいた場所をビームが通過した。
 「クッ……!」
 狙いをつけ、引き金を引く。機体から放たれたビームが、小隕石を破壊した、が。
 「いない!? うわっ」
 敵機の姿がない、と認識するのと同時に、コックピットが大揺れに揺れた。ビームの直撃。赤いランプが点灯し、警報が鳴り響く。慌てて機体を反転させると、ビームサーベルを構えたギャプランが突っ込んでくるのが見えた。ショウは悲鳴を上げる。ギャプランのモノアイが間近に迫る。あまりの迫力に、ショウは思わずぎゅっと目を閉じていた。
 「YOU DEAD」
 そんな声が聞こえてきて、ショウはようやく目を開けた。コックピットは、無傷のまま存在していた。モニターには、戦闘の経過などの記録が事細かに流れている。
 「……シミュレーターだったっけ」
 ショウは荒い息を吐いた。全身に嫌な汗を感じる。ハッチを開いて外に出ると、そこは宇宙空間ではなくトレーニングセンターの中だった。反対側のハッチを開けて、ラナロウが姿を現す。こちらはショウとは反対に、余裕の表情である。ショウを見るなり、
 「下手くそ」
 「こら」
 ミリアムが後ろからラナロウの足を蹴る。
 「いってぇ! 何すんだよ!?」
 「そうやっていちいち挑発的なこと言うんじゃないの!」
 「下手くそに下手くそって言って何が悪いんだよ!?」
 「思っても言わない方がいいことだってあるって、何で分かんないの!?」
 ショウそっちのけで、ミリアムとラナロウが怒鳴りあう。もうすっかり恒例化したやり取りである。実際、周りで思い思いにトレーニングしている誰もが、「またか」という感じの、素知らぬ顔をしている。
 「いえ、いいですよミリアムさん。僕が下手くそなのは事実ですし……」
 「でも」
 「へっ、本人がいいって言ってんだ、お前が出る幕じゃねぇんだよ」
 ラナロウがミリアムの額を人差し指で小突く。ショウはおそるおそる、
 「ラナロウさん」
 「何だ?」
 「さっき、確かに小隕石の方からビームが飛んできたのに、ギャプランはその反対側から来ましたよね?」
 「ああ」
 「あれ、どうやったんですか?」
 「あれはな」
 ラナロウは親指でシミュレーターを指しながら、説明し始めた。
 「このゲーム、出撃するときに武装選べるだろ」
 「そうですね」
 ショウは頷く。実際、先ほどガンダムNT1がビームライフルを装備していたのも、出撃時にオプションで選択したからだ。
 「だから、俺もビームライフル持ってってよ、小隕石の後ろにほっぽり出して遠隔操作で撃ったんだよ」
 「え、そんなこと出来るんですか!?」
 ショウは驚いた。ラナロウは得意顔で頷き、
 「へへっ、知らなかっただろ? ま、あんま柔軟な真似が出来るのもこの俺がエースパイロットだから……」
 「なに言ってるの」
 ミリアムがラナロウの腰を叩く。
 「そういう使い方は私が教えたんでしょ? 大体、エースパイロットって言ったって、成績自体は一回やったっきりのマークさんの方がずっと優秀じゃない」
 「んだと!?」
 「ホントのこと言っただけでしょ。私が教えるまでは移動するかビーム撃つかサーベルで切るかぐらいの操作しか知らなかったくせに」
 「う……」
 ラナロウは言葉に詰まる。ショウは慌てて、
 「で、でも、逆に言えば、それだけしか知らなかったのにここまで生き残って、いい戦果を残してるラナロウさんは凄いパイロットだってことですよね!?」
 「えー。でもね、ショウ君」
 今度はミリアムが口ごもった。ラナロウは勝ち誇ったように胸を張り、
 「ヘッ、分かる奴には分かるってことだよ! MSにも乗れないようなど素人のチビは引っ込んでろってんだ」
 ミリアムはキッとラナロウを睨み上げ、
 「乗れない訳じゃないわよ。大体、突撃バカのあなたが生き残ってきたのはデスアーミーがあんまり強くなかったからでしょ!?」 
 「なっ……テメェ、俺の腕をけなそうってのかよ!?」
 「何が俺の腕よ! 対人戦じゃ突っ込んで撃墜するか、突っ込んで撃墜されるかのどっちかしかないじゃないあなた!」
 「倒せりゃいいじゃねぇか!」
 「実戦じゃ一回倒されただけで終わりでしょ!? それに、これはゲームじゃないって何回言えば分かるの!」
 「ゲームじゃねぇか、対戦モードまであるんだからよ!」
 キーキー喚くラナロウと、キャンキャン吼えるミリアム。これぞまさしく犬猿の仲である。しかし、そんな騒がしい二人の傍ら、ショウは暗い顔で俯いていた。
 「何してるの?」
 後ろから静かな声をかけられて、ショウは慌てて振り返った。そこに、トレーニングウェア姿のシスが立っていた。
 「シ、シス!?」
 少し顔を赤くして、ショウはシスに向き直る。シスはスポーツタオルで汗を拭きながら、無表情に、
 「どうしたの」
 「ん、と」
 ショウは気恥ずかしそうに目をそらしながら、
 「今の話、聞いてないよね?」
 「……聞こえてた」
 「え、本当? 近くにいたようには見えなかったけど」
 「……遠くでも、よく聞こえるようになっているの」
 そう言うシスの目は、少し暗かった。ショウはそのことを奇妙に思いながらも、
 「ミリアムさんの言うとおり、デスアーミーはジムなんかよりもずっと弱いと思うんだ。動きは遅いし、皆バラバラに動くし」
 「そうね」
 「だけど、それなのにいつも苦戦して、撃墜されかかってばっかりの僕は何なんだろうな、って思って」
 ショウは落ち込んだ声でそう言った。シスは無言。ショウは慌てて、
 「あ、ごめん。こんなカッコ悪いこと言って」
 「ううん。そういうのじゃなくて」
 シスは少し考え、
 「ショウ」
 「え」
 「ラナロウさんみたいに戦えないの、当然だと思う。ショウは子供で、まだ戦いの経験もあまりないから」
 そういった内容のことを言い慣れていないらしい。どこかたどたどしい口調でシスは言った。ショウは納得がいかない様子で口を尖らせ、
 「だけど……子供だって言うなら、シスだって同じじゃないか」
 初めて、シスの表情が目に見えて変わった。少し辛そうに顔をゆがめ、
 「ワタシは……違うから」
 「え?」
 「それじゃ」
 それ以上何かを訊く暇を与えず、シスは去っていく。何も言えずにその背中を見送りながら、
 「そりゃ、僕は君より弱いよ……だから、情けないんじゃないか」
 ショウは悔しそうに、そう呟いた。

 その日の夜のこと。居住区の一角にあるジェシカの部屋で、ジェシカとノーランは小さな飲み会を開いていた。
 「そうか。ショウが……な」
 椅子に片足を乗せ、ビールの缶を片手にジェシカが呟く。ベッドに腰掛けたノーランは苦笑しながら頷き、
 「大分落ち込んでたねぇ、あれは」
 「現状ではただのお荷物だからな、あれは」
 「ひどいねぇ。アタシは結構頑張ってると思うんだけど」
 「ふん……」
 ジェシカは気に入らなそうに目を細める。
 「そもそも、ガキがMSに乗っている、というのがな……他にも使える奴ならいるだろうに、何故奴らをこんな船に乗せているのだか」
 「うーん。あの子たちは特別だからね」
 「ニュータイプという奴か? くだらん。少し勘がいいだけの人間が、戦争の役に立つものか」
 「その勘の良さがあってこそ、今まで死なずに済んでるじゃないの?」
 「死なないのを目的にするなら、MSになぞ乗らなければいい。大体、今は敵がノロマだから何とか対応できているだけだ」
 ジェシカは目を鋭くする。
 「今のままでは、まず間違いなくくたばるぞ、奴は」
 「うん……」
 ノーランは困ったように目を伏せる。ジェシカは小さく嘆息し、
 「まあ、才能がない訳ではないがな。さすが、本社のお墨付きだけはある」
 「あの『ガンダム』を任されてるぐらいだよ? 才能だけなら隊一番、それが本社の見積もりなんだろ」
 「だろうな」
 「でもさ」
 ノーランは不思議そうに首を傾げ、
 「だったら本格的に鍛えてあげればいいじゃない?」
 「……」
 珍しく、ジェシカは瞳をさまよわせ、
 「正直、迷っている」
 「迷う?」
 「アタシ個人としては、奴を思う存分鍛えてみたいと思う。だが、果たしてそうしていいものかどうか、とな」
 「ああ、ああ」
 ノーランは納得したように、二度頷いた。
 「分かるよ。あんな子供を兵士に仕立て上げたくないってんだろ?」
 「ショウの家も、あまり裕福ではないと言うが……アタシたち……それに、ジュナスやシェルドが兵士になったのとは事情が違う。わざわざ、あんな子供が好き好んで命のやり取りなどする必要はない」
 「だから、自分には才能がないんだと思わせて、この道を諦めさせたい、と」
 「そう思っている部分もある、ということだ」
 そこまで言って、ジェシカは不機嫌そうにビールの缶を握りつぶす。
 「フン……アタシも甘くなったもんだ」
 「仕方ないよ」
 ノーランは、少し悲しそうに微笑む。
 「前の戦争で……人が死ぬのを見すぎたんだ。お互いに、さ」
 「そう、かもな」
 しんみりと、二人は押し黙った。その沈黙を振り払うように、ノーランは周囲を見回して笑った。
 「しっかし、姐さんの部屋って、どこになっても昔から変わんないよねぇ」
 「ん? そうか?」
 つられるように、ジェシカも首を巡らせた。
 小隊長の身分と言えども、部屋の広さ自体は他の隊員と対して変わりがない。人一人暮らすには十分なスペースだが、ベッド一つにデスクが一つで、既に部屋の三分の一が占められているのだ。その上、ジェシカは個人的なトレーニンググッズや、大き目の飾り棚まで運び込んでいる。ガラス越しに、何の賞品だかよく分からない、ところどころメッキの剥げたトロフィーが大量に飾ってあった。
 「って言うか、狭いよ」
 「これでもキサマが来るから片付けたんだぞ」
 「女の部屋じゃないよねぇ、これは」
 壁に貼り付けてある、プロレス選手らしき男がマイク片手に人差し指を立てているポスターを見て、ノーランが苦笑した。ジェシカは鼻を鳴らし、
 「フン、キサマとて人のことをとやかく言えんだろうが。使い道のない産着なんぞ大量に作っておいて……」
 「ん。そうだね……」
 つぶやくように答えて、ノーランは遠い目でビールをあおる。ジェシカは罰が悪そうに、
 「スマン、失言だ」
 「ああ、ゴメンゴメン。ただちょっと、未練がましいなぁと思ってさ」
 気軽に笑い、ノーランはさらにビール缶を傾ける。目に見えて顔が赤くなった。ジェシカは眉を傾げ、
 「おい、あまり飲まん方がいいぞ。キサマはあまり強くないからな」
 「なに言ってんの。姐さんが強すぎるんだよ」
 言ったあと、小さくげっぷをするノーラン。その時、入り口のドアがスライドして、
 「いやーゴメンゴメン、遅くなっちゃったよ」
 「失礼しまーす」
 「うわ、もうそんなに飲んでるんですか!?」
 サエンとジュナスとシェルドが連れ立って部屋に入ってきた。ノーランが気楽に手を振り、
 「おー、いらっしゃい三人とも。さ、遠慮せずに飲んだ飲んだ」
 「コラ、アタシの金で買った酒だぞ」
 「気にしない気にしない」
 顔をしかめるジェシカに、ノーランはけらけらと笑う。言っている間もビールを飲み続けていたせいか、先ほどよりも顔が赤い。シェルドが心配そうに歩み寄ってきて、
 「ノーランさん、ちょっと飲みすぎじゃないですか?」
 「おやシェルド、心配してくれてるのかい?」
 「そりゃそうですよ。ノーランさんお酒弱いんだし……」
 「可愛いなぁもう!」
 ノーランが笑いながらシェルドの首を引っ掴み、彼の頭をグシャグシャと撫で回す。シェルドは首に回された腕を外そうともがきながら、
 「ちょ、ちょっと、止めてくださいよ! 僕だって子供じゃないんですから」
 「んーもう、照れない照れない!」
 「そうだぞシェルド、『僕』なんて言ってる内はまだ子供なんだぜ」
 ベッドの脇に座ろうとしていたジュナスが得意げな顔で言ったが、ノーランはジュナスの首も引っ掴んで、
 「ははは、そうやって背伸びしてるところが可愛いんだよねぇ、ジュナスは」
 「ちょ、ノーランさん、苦しいって!」
 ノーランの腕の中で、ジュナスがじたばたともがく。そんな賑やかな三人を苦笑気味に横目に、サエンはジェシカの近くの床に座りながら、
 「やれやれ、要するに二人ともまだお子様だってことだよなぁ。ねぇ隊長?」
 「サエン」
 「へ?」
 低い声で呼ばれ、振り向く。椅子に座ったジェシカが、睨むようにサエンを見下ろしていた。少し顔が赤い。
 「キサマには常々言おうと思っていたことが大量にある」
 「え」
 「キサマはおふざけが過ぎる。戦士としての自覚を持っているなら、もっと真面目にやれ」
 「いや、でも隊長」
 反論しかけたサエンに、
 「口答えするなぁ!」
 言葉と共に蹴りが飛んでくる。まともに顎に入り、サエンは悶絶する。
 「痛ぇ! ああ、でもちょっと気持ちいいような変な気分!?」
 「いいか、キサマの技量自体は第一小隊のマークにも劣らぬものだとアタシは見ている」
 「そ、そりゃどうも」
 「だが、キサマはそのふざけた態度でそれを全て台無しにしている! 戦闘中に曲芸機動などやりおって、何を考えているのだキサマは。百式の機動性を無駄に使うんじゃない」
 「いや、それは」
 「口答えするなぁ!」
 再び蹴りが飛んでくる。床をのたうち回りながらベッドの方を見たサエンは、
 「あれ」
 と、瞬きした。いつの間にかノーランの姿が消え、ベッドにはシェルドとジュナスだけがぐったりと横たわっていた。
 「どこ行ったんだ……?」
 「余所見するなコラァ!」
 「ぐえぇ!?」
 上からのしかかってきたジェシカが、うつ伏せのサエンの両足を思いっきり持ち上げる。見事なえび固めである。サエンはバシバシ床を叩き、
 「ギブ! ギブ! ああ、でもこの姿勢エロくてちょっと嬉しいかも!?」
 苦痛の中にわずかな快楽を見出すサエンの姿を、ぐったりしたままのシェルドとジュナスが気味悪そうに眺めていた。

 ジェシカの部屋を出たノーランは、少し覚束ない足取りで、居住区の廊下を歩いていた。片手には開けていないビールの缶をぶら下げている。
 「おっとっと」
 ふらついて通路の壁に寄りかかりながら、ノーランは「へへっ」と照れ笑いを浮かべる。
 「調子に乗って飲みすぎちゃったか」
 呟きながら、周囲を見回す。出来る限り生活感を出せるようにと、標準時で夜間にあたる時間帯は、照明が若干薄暗くなっている。そのためか、ノーラン以外の人影はなかった。ふと、ノーランは近くにトレーニングセンターのあるのに気付いた。
 「あらら、こりゃ随分遠くまで来たもんだ……」
 呟きながらドアの前に立つ。ドアがスライドして開いた。ノーランは内部に入り、壁際にある休憩用のベンチに腰掛けた。人気のない静まり返ったセンター内をぼんやりと眺めながら、持っていた缶ビールのプルタブに指をかけて、
 「あー……さすがに、飲みすぎかなぁ」
 と、思い直して缶を脇に置いた。
 「あんまり良くないよねぇ。肝臓にも悪いし」
 ほとんど夢見心地でそう呟きながら、ノーランを下腹部を撫でるようにさする。
 「それに、胎教っていうの、ああいうのにも悪いって言うし……」
 その言葉は、自然に口を突いて出たものらしい。言ってしまってから、ノーランは自嘲気味に笑って、額を手で叩いた。
 「はは、ダメだなぁホント……未練だわ、これ」
 そして次に顔を上げたとき、ノーランはトレーニングセンターの隅に置いてあるシミュレーターが起動状態であるのに気がついた。

 突如、隕石の陰からデスアーミーが飛び出してきて、ショウは悲鳴を上げた。対応するよりも早くデスアーミーが金棒を大きく振りかぶる。次の瞬間、コックピットに大きな衝撃が走り、全天周囲モニターが完全に沈黙した。
 「YOU DEAD」
 数秒後、スピーカーから無機質な合成音が流れ、コックピットは再び正常な状態を取り戻す。汗だくになりながら、ショウは荒い息を吐いた。モニターに表示されている今回の成績を見ることもなく、
 「三十六回目の撃墜、か。我ながら、被撃墜数はトップかもな……」
 ベルトを外してからも、ショウは疲れた様子でシートにもたれかかっていた。夕方、人がいなくなってから再びシミュレーターに閉じこもり始めて、早数時間。前回の戦闘と同じく、大量のデスアーミーが出現したという設定でやっているのだが、一番簡単なモードもクリアできていない。
 「やっぱり、向いてないのかな……」
 暗い顔で、ショウは独白する。そのあとすぐに慌てて首を振り、
 「ダメだダメだ。こんな弱気だから、いつまで経っても皆の足を引っ張るんじゃないか。そうだ、僕は弱虫じゃない、弱虫じゃないんだ……」
 自分に言い聞かせるように必死な顔で呟いた。が、すぐに眉尻が下がる。
 「……でも、現実はこうだもんなぁ」
 目を開くと、モニターには過去の成績が表示されていた。ショウは一瞬顔をしかめたが、すぐに画面が切り替わり、ランキング形式の成績一覧が流れ出した。それをぼんやりと眺め、
 「一位は……クレア・ヒースロー? 誰だろ、分かんないや。二位がマークさんで、三位がエルンスト隊長、四位がサエンさんか……やっぱり、あんなでも凄い人なんだな」
 その後も、次々と順位が表示される。中には、ショウが知らない名前もあった。
 「そう言えば、ネットワーク対応も検討してる、とかミリアムさんが言ってったっけ」
 現在はそれを試験的に導入している最中らしかった。知らない名前はグランシャリオ隊以外の人間のものだろう。しかし、上位入賞者にはグランシャリオ隊の面々の名前が圧倒的に多い。五位、ニキ・テイラー、六位、エルフリーデ・シュルツ、七位、ジェシカ・ラング。エースパイロットを自称しているラナロウは十位だった。ショウの名前はない。
 「まあ、当たり前なんだけど」
 ショウは苦笑したが、「十七位、シス・ミットヴィル」という文字が表示されたときにはグッと顔が歪み、「二十位、カチュア・リィス」が表示されたときには目が潤んだ。
 「……そろそろ、一旦休憩しようかな」
 乱暴に目元を拭って、ショウは呟く。最下位がドク・ダームだったのは別段救いにならなかった。そのすぐ上にショウの名前があったからだ。ちなみに、その上にジュナスとシェルドの名前が並んでいた。少しげっそりしながら、ショウはシミュレーターのハッチを開ける。と、
 「わっ!」
 「うわぁ!?」
 突然脇から現れた人影に、ショウは悲鳴を上げて倒れこみ、シミュレーターのコンソールに後頭部をぶつけた。
 「いたたたたた……」
 「あらぁ、ごめんよ。大丈夫かい?」
 見上げると、ノーランが心配そうにこちらを覗きこんでいた。
 「まさかあんなに驚くとは思ってなくてさ」
 「はぁ」
 ノーランの手が後頭部をさすってくれているのに気付いて、ショウは少し赤くなった。が、すぐに顔をしかめて、
 「何か、お酒臭いんですけど……」
 「ん? ああ、飲んでるから」
 ノーランはへらっと笑ってショウを助け起こす。ショウは「大丈夫です」と、少しノーランから離れ、壁際まで歩いてベンチに腰を下ろす。隣にノーランも座った。
 「んー、こぶにはなってないみたいだね、良かった」
 ショウの後頭部を軽く触りながら、ノーランがほっと息を吐く。ショウはじっとりとした目でノーランを見て、
 「僕だったから良かったですけど……他の人が入ってたらどうするつもりだったんです?」
 「ん? ああ、それはないよ。ほら、あのシミュレーター、ハッチのところに誰が入ってるか表示されてるから」
 「え? ああそっか、最初にIDカード通しますもんね、使うとき」
 「そういうこと。で、ショウが入ってるのが分かったから、ちょっと驚かしちゃおっかなぁってね」
 「びっくりしましたよ、ホント……」
 ショウはため息を吐く。ノーランは「ごめんごめん」と軽く笑い、
 「それにしても、こんな時間にシミュレーターに入ってるなんて思わなかったよ。ずっとやってたのかい?」
 「はい、まあ、一応」
 「ホント、頑張ってるねぇ。偉いよ」
 感心した様子で頷くノーランに、ショウは少し暗い顔で俯きながら、
 「下手くそですから、僕……」
 「……んー……」
 ノーランは「参ったなぁ」という顔で後頭部を掻き、シミュレーターを見て何かを思いついた顔をした。
 「ねぇショウ、アタシ、相手になったげようか?」
 「え? ノーランさんが?」
 ショウは驚いてノーランを見る。ノーランは気楽そうに手を振り、
 「ああ、そんな身構えなくてもいいよ。ホラ、アタシ今酔っ払ってるからさぁ。こんな状態ならきっと勝てるんじゃない?」
 「……別に、そこまでして勝ちたい訳じゃ……」
 ショウはそう言いながらも少し考え込み、
 「でも、そうですね。じゃあ、お願いできますか?」
 「もっちろん。じゃ、やろうか」
 ノーランはさっさと立ち上がり、少しふらつきながらシミュレーターの方に歩いていく。ショウはノーランとは反対側に向かった。コックピットを模したデザインのハッチは、通常は開きっぱなしになっている。パイロットが乗り込み、コンソール下部のスリットにIDを通した時点で閉じるのである。ショウは開いたハッチに足をかけ、少しためらった。
 「……」
 先ほどまで、ずっと座っていたシートが見えていた。ショウは迷いを振り払うように勢いよく首を振り、シミュレーターの中に滑り込んだ。シートに座り、ベルトをかけてIDカードをスリットに通す。AIがグランシャリオ隊第二小隊員のショウ・ルスカを認識する。次の画面で対戦モードを選択し、使用する機体やオプションも入力する。そのとき、反対側の席から通信が入った。
 「舞台設定はどうするんだい?」
 「宇宙で」
 「障害物の数は?」
 「少なめに」
 「OK。入力はそっちに任せるよ」
 ショウが設定を入力する。AIが求めてきた最終確認にOKを出すと、モニターはすぐに宇宙空間を映し出した。本物かと思うほどに精巧に作られた星の海。遠くにはゆっくりと回転しているコロニー群が見えている。ショウはふと遠い目で、
 「母さん、元気かな……」
 呟いたが、すぐにハッと気を取り直し、
 「いけない、集中しなきゃ……」
 と、真剣な顔で敵機の姿を追い求める。すると、ゼク・ツヴァイが無策に突っ込んでくるのが見えた。
 「相当手加減してくれてるみたいだな……」
 ショウは敵機に向けてビームライフルを撃つ。着弾。ゼク・ツヴァイはバランスを崩し、近くを漂っていた小さな隕石群の方へ流れていく。
 「逃がさない!」
 ショウは気合を入れてペダルを踏み込み、機体を加速させた。

 数分後、ショウは先ほどよりもずっと暗い顔でベンチに座っていた。隣には苦笑気味に笑うノーランの姿が。
 「ははは……まあ、元気出しなよ。こういうこともあるって」
 「慰めなんかいらないです……酔っ払ってるノーランさんにも負けるだなんて……僕って一体……」
 ノーランは「うーん」と軽く唸り、
 「本当はもっと訓練したげるつもりだったんだけど、ショウが目の前で隕石に激突してあたふたしてるのを見たら、ついつい指が引き金にかかっちゃってさ……」
 で、コックピットに直撃である。ショウの顔がさらにどんよりと曇った。
 「隕石に激突して撃墜だなんて……そんな馬鹿なこと、無免許の人だってしないですよ」
 「いや、さすがにそこまで落ち込むのはどうかと思うけどねぇ」
 ノーランは苦笑して、ショウの肩をぽんぽんと叩いた。
 「まあ、元気出しなって。まだまだ先は長いんだから、これから頑張れば、さ」
 「ホントに、そうなんでしょうか?」
 「ん?」
 ショウは不安そうな顔で、
 「今日だって、何度も何度も……それこそ気が遠くなるぐらいに特訓したのに、この調子で……このままずっと下手くそなままなんじゃ……」
 「うーん……」
 ノーランは困ったように頬を掻く。何を言うべきか、迷っている様子だった。ショウはますます俯き、
 「……やっぱり、ノーランさんも向いてないと思いますか、僕?」
 「え? いやいや、そういう意味じゃなくてね」
 ノーランは慌てて手を振り、少し考えて、尋ねた。
 「一つ、聞いてもいいかい?」
 「何ですか?」
 「ショウはさ、どうしてパイロットなんかやってるんだい?」
 「え? どうしてって……」
 「ショウぐらいの年齢でパイロットなんて危険な仕事やることもないんじゃないかって思ってさ」
 ノーランの質問に、ショウは答えようか答えまいか迷っているようだったが、やがて、
 「うまく、言えないんですけど」
 「うん」
 「多分、嬉しかったんだと思います」
 「嬉しい?」
 ノーランはきょとんとした。ショウは頷き、
 「僕、チビじゃないですか」
 「まあ、大きい方じゃないよね」
 ショウの体を見ながら、ノーランは答える。ショウは、
 「かけっことかやっても、いつもビリだったし……あんまり頭も良くなかったから、ホントに、何やってもダメだったんです」
 「情けなかった?」
 「そうです。だから、Gジェネレーションの人が来て、僕にパイロット適性があるって言われたとき……単純に、ただ嬉しくて。こんな某にも取り得があったんだなぁって」
 少し嬉しそうなショウの横顔を、ノーランは黙って、少し痛ましげな瞳で見つめている。それに気付いたように、ショウは慌てて、
 「あ、もちろん、給料がいいっていうのもあったんですけどね。僕の家、貧乏でしたから」
 「うん。分かってる。助けたかったんだろ、お母さんを」
 「……はい」
 少しくすぐったそうに、ショウは頷いた。ノーランの表情が憂いに陰る。彼女は手を伸ばし、ゆっくりとショウの頭を撫でた。ショウは驚いて、
 「……ノーランさん?」
 「そういうの、えらいと思うよ。だけど、こんな危険なことしてるの……お母さん、きっと喜んでないよ?」
 「それは……」
 「家計を助けるためって言うんなら、他にも仕事はあるだろ? 坊やはまだ子供なんだ。こんな危険な仕事やることなんて、ないんだよ」
 軽く諭すようなノーランの声は、頭を撫でる手つき同様、柔らかく、優しかった。ショウは耐えられなくなったように、頭を振ってその手を跳ね除け、勢い良く立ち上がった。
 「で、でも、今はそれだけじゃないんです! デスアーミーがコロニーとか壊してるの見て、誰かが何とかしなくちゃならないんだとか、そういうこと思って、あの」
 何故か赤くなって、ショウはあたふたと弁解する。ノーランは目を丸くしてそれを聞いていたが、やがてクスリと笑い、
 「……やっぱり、男の子なんだね」
 そう言って、また優しく頭を撫で始めた。ショウはますます顔を赤くして、ぼそぼそと、
 「あの……できれば、撫でるの、止めてほしいんですけど」
 「んー? こういうの、いや?」
 「いや、というか」
 「恥ずかしい?」
 「……はい」
 「そっか」
 案外素直に、ノーランは手を引っ込める。ショウはほっと息を吐いて座りなおした。ノーランは横目にそれを見ながら、可笑しそうに微笑んだ。
 「でもさ、やっぱり急ぎすぎだと思うけどね」
 「……だって、いつまでも足引っ張ってばっかりじゃ」
 「仕方ないよ。何度も言うようだけど、経験が浅いんだからさ」
 苦笑混じりにノーランは言うが、ショウは拗ねたように口を尖らせ、
 「そういうのだったら、シスやカチュアだって」
 「え?」
 一瞬、ノーランはきょとんとしたが、ぽんと手を叩き、
 「あー、そうかそうか、やーっと分かった!」
 と、嬉しそうに何度も頷いた。ショウは驚き、
 「な、何がですか?」
 「ふっふーん」
 ノーランは少しにやけながらショウの頬をつつき、
 「要するにさ、ショウは女の子に負けてるのが悔しかったんだろ?」
 「なっ」
 「あの二人はシミュレーターのランキングでも結構上の方だもんねぇ。そりゃ、同年代の女の子二人に負けてちゃ情けなくもなるよねぇ」
 「……」
 反論できずに、ショウは押し黙る。目に涙が浮かんできた。ノーランは慌てて、
 「あー、ごめんよ、いじめるつもりじゃなかったんだけど」
 「そういう言い方、止めてください」
 すっかりいじけた口調である。ノーランはショウの背中をぽんぽんと叩いて、
 「大丈夫だよ、ショウ。人それぞれ、進むスピードに違いがあるんだ。その点、ショウはこんなに頑張ってるんだから、その内あの二人よりもいいパイロットになれるさ」
 「……そう、ですか?」
 ショウは鼻をすすり上げた。ノーランは大きく頷いて、
 「もちろんさ。アタシが保証したげるよ」
 その言葉に、ショウもいくらか自信を取り戻したようだった。ノーランは満足そうに笑いながらも、ふと悪戯っぽく笑って、
 「でもさ」
 「え?」
 「ホントは、それだけじゃないんじゃない?」
 「な、何がですか?」
 ショウは、明らかに動揺していた。ノーランはまたにやにやと笑いながら、
 「ずばり! ショウ、あんた、シスかカチュア、どっちかのことが好きなんじゃないかい?」
 「なっ……! 違っ、僕は、そんな……!」
 ばたばたと無駄に両手を振り回し、ショウは慌てふためく。否定したいらしいが、口がぱくぱくと動くだけで言葉になっていない。ノーランは完全にふやけた笑顔を浮かべてショウを抱きしめ、
 「ああもう、ホント可愛いなぁ坊や!」
 「ぶっ……の、ノーランさん、苦しい……って言うか、酒臭っ……ちょ、離してくださいよ!」
 「やだ」
 ショウとは違う意味で顔を赤くしながら、ノーランがショウの頭に頬擦りする。
 「もう……ホント、たまんないなぁ」
 「いや、たまんないのはこっちですから! 離してくださいってば!」
 暴れるショウを、ノーランは見た目には細い腕でがっしりと抱きしめる。ノーランはそれだけでも満足そうな表情だったが、ふと、
 「ね、坊や」
 と、ショウの耳元に口を寄せてきた。ほとんど息を吹きかけられたような感触である。ショウは反射的に顔を上げる。ノーランは、どこか夢見心地に、うっとりとショウの顔を見つめていた。
 「な、何ですか……?」
 おそるおそる、ショウは聞く。ノーランは黙って二、三度ショウの頭を撫でたあと、子守唄でも聞かせるような口調で、
 「坊や……」
 「は、はい……」
 「ね、アタシの子供にならない?」
 「……はい?」
 思わず、ショウは間抜けな返事を返していた。赤い顔のノーランと見つめあいながら、数秒ほど考え、ぎこちなく笑い、
 「な、何言ってるんですかノーランさん? やっぱり酔って」
 「アタシは本気だよ?」
 遠慮がちなショウの声を遮って、ノーランは言う。相変わらず顔は酒気に火照っていたが、表情はこの上もなく真剣だった。
 「ずっとそう思ってたんだ。坊やみたいな子がアタシの子供だったら、すごく幸せだろうなって」
 「……」
 「アタシ、坊やみたいな元気な子供産むの、夢だったんだよ」
 「だ、ダメですよそんなの……僕、もう母さんはいるし……」
 「もう一人いたらもっといいんじゃない?」
 「何言ってるんですか」
 「ね、アタシ、本気なんだ。どうかな、坊や……艦にいるときだけでもいいからさ、アタシのこと、お母さんって呼んでくれない?」
 ノーランは真剣というよりも、どこか必死な顔だった。長い間探し続けてようやく見つけた宝物を、決して手放すまいとするかのように。
 一方のショウは、気恥ずかしさからか目をそらしていたので、ノーランの表情には気付かなかった。ただ本当にそうなった時のことを想像したのだろう。ほんの少し、不快そうに顔を歪めた。
 ノーランが「あ」と、小さく、呆けたような声をもらした。一瞬腕の力が緩んだ隙に、ショウがあたふたとノーランの腕の中から脱出する。息と衣服を整えて、ショウはおそるおそるノーランに向き直る。
 「ノーランさん……?」
 声をかけても、返事はない。ノーランは脱力した様子で、ベンチに座り込んでいた。俯いていて、ショウからは表情が分からなかった。ショウは言葉に迷いながら、
 「……ごめんなさい、ノーランさん。僕、ノーランさんの子供にはなれないです。別に、ノーランさんのことが嫌いだとか、そんなんじゃないですけど……そういうの、変ですよ、やっぱり」
 ショウなりに考えた言葉だったのだろう。途中で突っかかりながらも、その口調は真剣だった。ノーランからの返事はない。ショウはいよいよ不安そうに、
 「あの……」
 声をかけた瞬間、突然ノーランが笑い出した。頭のネジが外れたような、狂った笑いである。
 「え」
 「あっはっはは、はははは! はははは、はははは……ああ、おっかしい。ショウ、ちょっと慌てすぎだよ、アンタ……あははは」
 ノーランは腹を抱えて笑い転げる。ショウは呆然と立ち尽くし、
 「……ひょっとして……全部、冗談だったんですか?」
 「はは、ははは……なーに言ってんの、当たり前だろ? あんなこと本気で言う女がいたら、頭がおかしいとしか思えないよ……はははっ」
 ノーランの笑いはおさまらない。ショウは全身を震わせ、
 「ノーランさん!」
 「うん?」
 「ぼ、僕は、本気で……!」
 「うん、そうだね」
 先ほどの馬鹿にするような笑いを一瞬で引っ込め、ノーランは優しく微笑んだ。あまりの態度の変化に、ショウはきょとんとする。
 「さっきのショウの答え、良かったと思うよ。あんな風に、どんなことにでも誠実に対応するのを忘れなきゃ、あんたはきっと、今よりもっと成長できる」
 「え……と」
 「でも」
 と、ノーランはまた気軽な笑いを浮かべ、
 「ちょーっと力みすぎかね。まずは、もっと力を抜く場所を覚えなよ」
 「……何か、さっきと言ってることが反対じゃないですか?」
 「全然。よく考えてみれば、矛盾はしないと思うよ」
 「うーん……?」
 ショウは腕組みをして考え出す。ノーランはそれを微笑ましげに見つめていたが、ふと壁の時計に目を移し、
 「おっと、もうこんな時間だ」
 「え?」
 ショウは慌てて振り返る。現在、時刻は午後十一時半。ノーランが苦笑混じりに、
 「ちょっと、話し込んじゃったかなぁ。ショウ、どうするんだい?」
 「……もうちょっと、やっていきます」
 「ん。あんまり夜更かししちゃダメだよ。子供の寝不足は成長に悪影響を及ぼすって言うしね」
 やんわりと注意するノーランに、ショウは不満そうな表情を浮かべ、
 「……そうやって子供扱いするの、止めてくださいよ」
 「んん? でも、やっぱり可愛いからねぇ、ショウは」
 そう言って、ノーランはまた嬉しそうな顔をする。ショウは口を尖らせて、
 「……シミュレーター、入ってきます」
 「あいよ、いってらっしゃい」
 ノーランはのん気に手を振る。ショウはむくれたまま踵を返した。

 ショウの姿がシミュレーターの中に消えたのを見届けて、ノーランはため息を吐く。
 「……馬鹿なこと、しちゃったなぁ。やっぱ、酒なんか飲むもんじゃないや」
 顔には、自嘲気味な笑顔。
 「はは、あれじゃ変態だよ……ホント、アタシって、どうしようもないバカだ」
 ノーランは手の平で目を覆い隠し、
 「……未練、だよなぁ。さっさと諦めろよ、アタシ。いつまでひきずりゃ気が済むんだい、阿呆が……」
 と、呟いた。

 数十分ほどしてから出てきたショウは、むすっとした顔をしていた。ずっとベンチに座っていたノーランが、軽く手を上げる。
 「お疲れさん。戦果は?」
 「……これで四十連敗です」
 ショウは不機嫌そうにそう言って、ノーランの隣に乱暴に腰を下ろす。ノーランは苦笑し、
 「あんまり気にすんじゃないよ。そんな、すぐに上手くなるもんじゃないんだからさ」
 「慰めてくれなくてもいいです。僕、どうせ下手くそですから」
 ショウはすねた様子で口を尖らせる。ノーランは困ったように笑う。その笑い方が気に障ったらしく、ショウは不機嫌そうに彼女を睨み、
 「……そんなにおかしいですか?」
 「え?」
 「そりゃおかしいですよね、下手くそが無駄な努力を続けてるんですから」
 子供っぽい、いじけた口調だった。ノーランはいよいよ困った様子で、
 「今のはそういう意味じゃないんだよ。ただね、坊や……」
 ショウの頭を撫でようとしてか、ノーランはスッと手を伸ばした。ショウはその手を払いのけ、
 「その坊やっていうの、止めてください!」
 と、怒鳴った。ノーランは驚いて手を引っ込め、目を吊り上げているショウに軽く頭を下げ、
 「ごめんよ、ショウ。わざと言ってるんじゃないんだ。ただ……」
 と、ノーランは少し迷うように瞳を彷徨わせ、言った。
 「何だろうね。頑張ってるショウを見るの、好きなんだ。だから、ついおせっかいしちゃって……子供扱いしちゃうんだろうね」
 そんなノーランを、ショウは苛立った様子で睨んでいたが、やがて彼女から視線を外し、言った。
 「そんなに子供が欲しいんだったら、自分で産めばいいじゃないですか」
 「え……」
 ノーランが目を見開く。気付かずに、ショウは続けた。
 「だって、そうでしょ? 子供の世話を焼いたり、可愛がったりしたいんだったら、自分の子供にそうすればいいんですよ。僕にそういうことされたって、正直言って迷惑なだけ……」
 恨み言を喋りながらチラリとノーランに目を向けたとき、ショウの言葉は途切れた。ショウを見つめるノーランの瞳に、今まで見たことのない感情が浮かんでいたからだ。それは、言葉では到底言い表すことの出来ない、深い悲哀の色だった。
 ショウは息を呑んだ。だが、ノーランが悲しげな表情を見せたのはほんの一瞬のことで、彼女の顔にはすぐに優しい微笑が戻っていた。
 「……そうだね。ごめんよ、今度からは気をつけるから、許しとくれ」
 ショウは返答できなかった。彼に横顔を向け、笑みを絶やさないまま、ノーランは小さく呟く。
 「ホント……欲しかったなぁ、赤ちゃん」
 そう言うノーランは、何かに憧れるような、遠い目をしている。
 (……謝らなくちゃ)
 ショウは、そう思った。理由もなく、自分が悪いことをしたということが分かった。しかし、何と言っていいのかは分からなかった。それでも無理矢理に口を開き、
 「……あの」
 「うん?」
 ノーランが小さく首を傾げて、ショウの方を向く。ショウはノーランの瞳を直視できず、俯いてしまう。
 「あの、えっと」
 「どうしたんだい?」
 ショウの言葉を、ノーランは穏やかな顔で待っている。しかし、どうしても言葉が出てこない。そのとき、トレーニングセンターのドアがスライドして開いた。
 「何だ、ここにいたのか」
 入ってきたのはジェシカだった。何かズダボロになった物を引きずっている。
 「サ、サエンさん!? それにシェルドさんにジュナスさん……」
 「こいつらは脆すぎる。ちょっと鍛えてやろうと思ったら、こうだ」
 つまらなそうに、ジェシカは三人を放り出す。三人はすっかり虫の息だった。
 「うわぁ、こりゃまた派手にやったねぇ。おーい、三人とも、生きてるかい?」
 ノーランが気楽に笑いながら、倒れている三人に歩み寄る。謝るタイミングを逃してしまったと、ショウはため息を吐いた。
 「……で、ショウ。キサマ、こんな時間にこんなところで何をやっていたのだ?」 「え?」
 いつの間にか、ショウの隣にジェシカが立っていた。いつも通り鋭い目つきだったが、いつもよりも顔が赤い。
 「……あの、隊長、ひょっとしてお酒」
 「質問に答えろ!」
 怒鳴り声と共に、ジェシカがショウの真上の壁を殴りつける。轟音が鳴り響き、トレーニングセンターが揺れた。ショウは反射的に立ち上がり、直立不動で
 「はい! 第二小隊員ショウ・ルスカ、シミュレーターによる訓練を行っておりました!」
 「訓練……ほう……」
 ジェシカがショウに顔を近づけてきた。鼻息がかからんばかりの距離でジェシカのつり目に見据えられ、ショウは硬直してしまう。これまさに蛇に睨まれた蛙である。と、唐突に、ジェシカは満面の笑顔を浮かべ、
 「ハハハッ、感心したぞショウ! キサマにそんな気概があるとはな!」
 言いながら、ショウの背中をバシバシと叩く。あまりの勢いに、ショウはむせながら、
 「あ、ありがとうございます」
 「見上げた根性だ。キサマらも少しは見習ったらどうだ!」
 振り向くが、サエンとシェルドとジュナスは未だにへばっており、
 「うぅ……もう勘弁してください」
 とシェルドが呻き、
 「あぁ……もっと叩いて〜」
 とサエンが錯乱し、
 「うぁ……グレッグおじさん、ちょ、それは抱きしめるって言うより背骨折る……」
 とジュナスが何やら幻覚を見ている。ジェシカは舌打ちし、
 「情けない奴等だ……」
 「あの、大丈夫なんですか?」
 おそるおそる聞いたショウを、
 「こんなところでくたばるようなら、所詮そこまでの男たちだったということだ!」
 ジェシカはばっさりと切って捨てる。そして、
 「ふむ……それで、どうだショウ、成果は上々か?」
 「は……」
 唐突に聞かれて、ショウは言葉を濁す。ジェシカは不機嫌そうに、
 「その様子では、大して効果が出ていないらしいな」
 「……すみません」
 「謝ったところで腕は上がらん。ふむ……」
 ジェシカは赤い顔で考え込み、
 「よし、ならばアタシじきじきに訓練してやろう」
 「は?」
 ショウの目が点になった。ジェシカはいかにも名案だという風にうんうん頷き、
 「うむ、それがいい。そうすればキサマのどこが悪いのかも正確に分かるというものだ」
 「えっと」
 ショウはちらりと後ろを見る。ボロ雑巾のようにされた三人を見る限り、今のジェシカに手加減というものを求めるのは不可能だろう。
 「……いえ、わざわざ隊長にやってもらわなくても」
 「遠慮するな!」
 一喝。ショウが押し黙ってる間に、ジェシカはずんずんシミュレーターの方に歩いていく。
 「うー……」
 「やってもらったら?」
 いつの間にかショウの隣に立っていたノーランが言う。
 「どうせシミュレーターだからさ、あんなにまではされないって」
 「……ノーランさん」
 ショウは、きまりが悪そうにノーランを見る。しかし、ノーランは屈託の無い笑顔で、
 「ね?」
 「……そう、ですね。いい機会ですし」
 「うん。あ、でも、疲れてないかい?」
 「少し。だけど、サエンさんたちよりはマシだと思います」
 「はは、そりゃそうだ。じゃ、頑張ってきなよ」
 ぽん、と肩を叩いてくれたノーランに一つお辞儀して、ショウはシミュレーターに向かった。

 結果は言うまでもなく惨敗続きだった。二回やって二回とも、ショウのNT1はミンチドリルによって頭から粉砕されたのである。
 「どうしたショウ。これが実戦ならキサマはとっくに肉塊になっている」
 「す、すみません!」
 「謝っている暇があったら反省しろ。先ほどの戦闘、修正すべき点は百を超えているぞ!」
 「はい!」
 ジェシカの叱責に勢いよく答え、ショウはシミュレーターが打ち出した戦闘レポートを読み直す。が、
 「どうだ」
 「ええと……」
 ジェシカが舌打ちをもらす。
 「分からんか。分からんならキサマは何度だって今の失敗を繰り返す。分かるまでやるぞ」
 「はい!」
 再度各種の設定を打ち込みなおし、ショウのNT1は架空の宇宙へ踊りだす。
 「よし……今度こそ」
 呟き、ショウは機体をゆっくりと移動させる。
 「どこだ……?」
 何しろ、宇宙空間である。敵は前後左右どころか上下からも来る。ショウは慎重に周囲を見回しながら、機体を操っていく。その時、前方に小さくイーゲルが見えた。
 「真正面!? ならビームで、いや、この距離ならガトリング……」
 「遅い!」
 ジェシカの怒声と共に、イーゲルは急接近してくる。NT1は何らかの反応を起こすよりも前に、タックルで吹っ飛ばされた。
 「うわっ」
 コックピットに走る激しい衝撃に、ショウは思わず目を瞑ってしまう。そして、次に目を開けたときには、イーゲルのビームライフルがこちらを狙っていた。
 「しまった!」
 ショウは慌てて操縦桿を握りなおす。しかし、回避行動を取るよりも早く、モニターはイーゲルの放つビームライフルに焼かれていた。一瞬、ショウの視界が真っ白に染まり、
 「YOU DEAD」
 ショウは、この日、四十三度目の死亡宣言を聞いた。
 「……まったく」
 ジェシカのため息が聞こえる。ショウは俯き、
 「すみませ」
 「謝罪している暇があったら反省しろ……さっきも言ったぞ」
 「はい……」
 ショウはすっかり気落ちした表情で、先ほどと同じく戦闘レポートを読み返し始めたが、ふと、
 「あの、隊長」
 「ん?」
 「一つ、聞きたいことがあるんですけど」
 「何だ」
 ショウは少し躊躇ってから、
 「ノーランさんのことで」
 「ノーラン?」
 予想だにしない問いだったらしい。ジェシカは不可解そうに問い返してから、
 「戦闘以外のことなら後にしろ」
 「いえ……どうしても、聞いておきたいんです」
 「……そのせいで戦闘に集中できない、とでも?」
 「……それも、少しはあります」
 ジェシカは軽く息を吐き、
 「フン……で、何だ。妙なことを言われたというのなら、奴が酒に弱いせい」
 「ノーランさん、どうして子供作らないんですか?」
 ストレート過ぎる問いかけ。ジェシカは、しばらくの沈黙のあと、
 「……何故、そんなことを聞く」
 ショウは、手短に事情を説明した。
 「……ノーランさんは冗談だって笑ってましたけど……今思うと、あれ、本気だったんじゃないかって」
 「……馬鹿な奴だ。酒に酔ってガキ相手にいらんことを話すとはな。こういうことか、ヤキが回るというのは」
 吐き捨てるような物言いに、ショウが少しムッとして、
 「そんな言い方……!」
 と、反論しようと口を開きかけたとき、ジェシカは気だるげにため息を吐き、
 「作らないんじゃない」
 「え?」
 「作れないんだ」
 沈黙。ショウはジェシカの言葉の意味を反芻し、
 「……どういう、意味ですか?」
 「意味も何も……そういう体なんだよ」
 「どうして!?」
 「軍隊にいると、いろいろある……まあ、キサマに話しても理解できんだろう。忘れろ」
 ショウはモニターの向こうのジェシカをにらみつけ、
 「僕が、子供だからですか?」
 「そういう問題ではない。が」
 ジェシカは見せつけるような露骨な嘲笑を浮かべ、
 「何だ、ガキ扱いされたのが気に障ったのか、坊や?」
 「ッ!」
 ショウは乱暴に操縦桿を握った。
 「もう一度、お願いします!」
 「フッ……そうやって、すぐムキになる。やはりガキだな。まあいい。条件はさっきと同じだ。やるぞ」
 条件を入力。最終確認にも即座にOKを出す。モニター全域に宇宙空間が広がった。ショウは迷うことなく、真正面に向けて機体を突っ込ませる。同様に、イーゲルも直進してきていた。
 「ほう。少しは思いきりがよくなったな。だが」
 ショウは気合のこもった叫びと共にビームサーベルを引き抜き、イーゲルに切りつける。しかし、イーゲルは難なく刃をかわし、逆にミンチ・ドリルを叩きつけてきた。
 「読みやすい、単純な動きだ」
 「クソッ……!」
 まだ撃墜ではない。ショウは歯噛みしながら機体を操ろうとする。半壊したモニターにイーゲルの頭部が迫ってきた。
 「終わりだ」
 イーゲルがビームライフルの銃口をNT1のコックピットに突きつける。ショウはそれでも動こうとしたが、それより前に、ビームの光が彼を包み込んだ。
 「YOU DEAD」
 無慈悲な宣言。ショウは唇を噛む。
 「さて……まだやるか?」
 からかうようなジェシカの言葉。ショウは顔を上げて、
 「当たり前……」
 言いかけたとき、外から呼びかけがあった。
 「ショウー、ちょっと開けてくれないかい?」
 ノーランだ。ショウがハッチを開けると、外にいたノーランが滑り込んできた。先ほどよりも顔が赤い。どうやら、残っていた缶ビールも開けてしまったらしい。鼻腔を刺激する酒の匂いに、ショウは顔をしかめ、
 「大丈夫ですか?」
 「何が?」
 「お酒……」
 「だいじょーぶだいじょーぶ、意識もまだしっかりしてるしさぁ」
 「はぁ」
 「それより……ね、調子はどう?」
 「聞くまでもないだろうが」
 ジェシカの声。ショウは俯く。ノーランは軽く笑い、
 「ま、姐さんは容赦ないからねぇ。アタシがやっても勝てるかどうか。あんまり気にするんじゃないよ」
 「フン……当然だ。そろそろ諦めて、ノーランにでも泣きついたらどうだ? 甘えん坊の坊やにはそれがお似合いさ」
 「姐さん、そんな言い方は」
 咎めかけたノーランに、ジェシカは
 「黙ってろ」
 と言いつつ、顔ではニヤリと笑いかける。「ああ、そういうことか」という風に、ノーランは苦笑混じりに頷く。そのやり取りは、俯いていたショウには見えなかった。
 「……で、ショウ。どうする?」
 「悔しいです」
 「え?」
 ショウは痛みをこらえるように目を瞑りながら、
 「あんなこと言われて……なのに、一度も勝てないだなんて!」
 ノーランはジェシカを見る。ジェシカは肩を竦めながら、
 「ガキ扱いされたのが悔しいんだろ? だが、実際にキサマはピーピー泣き喚くだけの」
 「違います!」
 ジェシカの挑発を遮って、ショウが怒鳴る。唐突な叫びに、珍しくジェシカが目を丸くする。
 「……違うのか? ならば、何だ?」
 「……そうじゃなくて、僕は……」
 言いかけて、ショウはチラリとノーランを見る。そして、ぼそぼそと、
 「ノーランさんが馬鹿にされたのが……」
 「え? 何だって?」
 ノーランも聞き取れなかったらしく、屈みこんでショウの顔を覗き込む。ショウは少し顔を赤くして、
 「いえ、何でもないです! と、とにかく、僕、隊長に勝つまでは絶対に諦めません!」
 ショウの顔には疲労が色濃く現れていたが、瞳は強い光を放っていた。ノーランは楽しそうにそれを見て、
 「分かった。じゃ、アタシも手伝ったげるよ」
 「え?」
 ショウが驚いてノーランを見る。
 シミュレーター内部はコックピットを模して作られていたが、シートの後ろには人一人が立つぐらいのスペースは確保されている。観戦用スペース、という訳でもないだろうが。ノーランはそこに立ち、後ろからショウの肩に両手を置いた。
 「ま、手伝うって言ってもこうやって後ろから見てるだけだけどね」
 「えっと」
 「ほーら、リラックスリラックス。緊張してると出来ることも出来なくなっちゃうよ?」
 ノーランは気楽に微笑んでみせる。ショウは気恥ずかしげな顔をしながらも、
 「……隊長、もう一度、お願いします」
 「ああ、キサマがへたばるまで、何度でも相手をしてやるとも」
 条件を入力。再び、モニターが宇宙空間を映し出す。
 「よし、今度こそ!」
 ショウは操縦桿を握り直した。

 結果から言うと、ノーランの存在は戦況に大した影響を与えなかった。
 イーゲルの急接近に慌てたショウが、判断のミスや遅れから撃墜される、という展開が二度ほども続いたのである。
 「あちゃー、やっぱり厳しいねぇ」
 「当然だな。アタシは戦士だぞ。ひよっこ如きに撃墜されるほど、ヤワじゃない」
 ノーランの苦笑とジェシカの嘲笑が、俯くショウに降りかかる。ショウは少しの間沈黙していたが、やがてまた顔を上げ、
 「もう一度……!」
 言いかけたが、
 「ね、ショウ」
 不意に、ノーランが優しく呼びかけた。ショウは後ろを振り返り、
 「何ですか?」
 「これ、ちょっと見てみなよ」
 ノーランが指差したのは、正面のモニターだった。今は戦闘結果の表示が終わり、例のランキングが流れている。
 「フン、あの女も余計な機能をつけたものだ。このアタシがサエンや時代錯誤の騎士女に劣るなどと、考えるだけでも腹立たしい」
 「ゲーセンっぽいのがいいって、ラナロウが駄々捏ねた結果らしいよ」
 「猿が」
 「まあまあ」
 ジェシカをなだめてから、ノーランはショウの顔を後ろから覗きこんだ。
 「これの一位の人、知ってるかい?」
 言われて、ショウはランキングの一番上を見る。クレア・ヒースロー。ショウは首を横に振った。
 「まあ、そうだろうね。軍人さんの間じゃ、かなり有名な人なんだけど」
 「軍人の間で?」
 「そ」
 ノーランは少し遠い目をして、語りだした。
 「この人が乗ってた機体……何だか分かるかい?」
 「いえ」
 「ガンダム、さ」
 「ガンダム……」
 ショウはその名を繰り返す。不思議と、言い慣れた響きだった。
 「そう。だけどね、この人が乗ってたやつは特別なのさ。何たって、初代ガンダムだからね」
 「初代、ガンダムですか?」
 「前の戦争のときに、連合側の切り札として開発され、百機以上の敵を葬ったっていう機体さ」
 「百機……凄いですね」
 「ああ。あんまりに強いもんだから、白鬼なんてあだ名までつけられる始末さ。でもね、そのパイロットっていうのは、元々軍人でも何でもない、平凡な女の子だったんだよ」
 「え……そんな人が?」
 「そう。だからこそ、『最強のパイロット』クレア・ヒースローは、『最強のモビルスーツ』ガンダムと共に、一つの伝説として語られることになったって訳さ」
 「もっとも、そのクレア・ヒースローは作戦行動中に行方不明になったらしいがな……このシミュレーターに入っているのは、その時までに残されていた戦闘データだ。このランキングはあくまでも参考程度。そいつの技量を正確に表しているとは限らんということだ」
 ジェシカが話に割り込んでくる。そんな声など聞こえないかのように、ショウはじっとモニターに見入っている。その様子を見守りながら、ノーランが、
 「だけどね……いや、だからこそ、かな。ガンダムの純粋な後継機っていうのは、今までほとんど作られていないのさ」
 「え、でも、ウチの部隊にだって」
 「あれは違うんだ。外観こそガンダムだけど……設計思想っていうの、分かるかい? それがまるっきり違う機体ばっかりなんだよ」
 ニキのガンダムMK−Mも、マークのスーパーガンダムも、エルフリーデのナイトガンダムも、とノーランは指を折って数えてから、ふと苦笑いを浮かべ、
 「エルンスト隊長のEz−8なんか、元になった陸戦型ガンダムは同系機だったけど、今のはカスタマイズされまくって原型留めてないからねぇ」
 でもね、と、ノーランは力強い口調で続ける。
 「ショウのガンダムNT1は違うんだ」
 「僕の……NT1が?」
 「そう。あれは、ガンダムの純粋な後継機なんだよ。あの伝説の、ガンダムのね」
 「後継機……」
 どこか信じられない面持ちで、ショウはその言葉を繰り返す。ノーランはゆっくりと頷き、
 「そう。最強の機体と言われたガンダムの血を、NT1は受け継いでるんだ」
 「……」
 「そして、ショウ。そんな機体が、あんたに任されてる」
 「……それって」
 「それだけ、期待されてるってことさ」
 ノーランは励ますような微笑みを浮かべて、ショウの肩を叩いた。
 「だから……もっと自信を持っていいんだよ。ショウ」
 ショウは、じっと自分の手を見つめ、静かに目を閉じた。肩の力を抜き、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。両肩に、ノーランの手の温もりを感じた。
 「ノーランさん」
 目を閉じたまま、ショウは言う。
 「ん?」
 「ありがとうございます」
 視界は真っ暗だったが、背後のノーランが微笑んだのが、ショウにははっきりと分かった。
 ショウは目を開ける。眼前に、あのランキングが見えた。一位、クレア・ヒースロー。
 「隊長。もう一度、お願いします」
 モニターに映ったジェシカの顔に、薄い笑みが浮かんだ。

 「さて……」
 架空の宇宙空間に躍り出たジェシカは、前方を見据えて唇を吊り上げた。彼方に小さな点のように見えていたNT1の機影が、見る間に迫ってきていた。
 「真っ向勝負を挑んできたか」
 こちらの射撃を警戒してか、NT1はジグザグに動きながら、イーゲルに向かって突っ込んでくる。
 「少しずつ落ち着いてきているようだな。だが……」
 迫り来るNT1が、ビームサーベルを引き抜きざま切りつけてきた。それを予期していたかのように、ジェシカはイーゲルを真横に移動させ、余裕で斬撃をかわす。そのまま、担いでいたミンチ・ドリルをNT1に向かって振り下ろしたが、NT1は不安定な姿勢のままブースターを吹かして紙一重で逃れた。ジェシカは感心したように、
 「少しは柔軟に対応できるようになったか」
 イーゲルは間髪いれずにミンチ・ドリルを振り上げたが、それよりも速く、NT1は体勢を立て直しつつイーゲルから離れていた。
 「そうだ。NT1の機動性を有効活用せねば、アタシには勝てんぞ、ショウ」
 ジェシカは楽しげに笑い、NT1に追いすがりつつ、ビームライフルを連射した。NT1は機体正面をイーゲルに向けたまま、ビームを避けながら後退する。避けるので精一杯らしく、反撃はない。
 「逃げてばかりではどうにもならんぞ?」
 ジェシカが呟いたとき、イーゲルの放ったビームがNT1の左腕部のシールドを吹き飛ばした。その衝撃で、NT1はモニターの片隅に見えていた小隕石帯に向かって流れていく。ジェシカはペダルを踏み込み、イーゲルにNT1の後を追わせた。

 ダメージ報告が響くコックピットの中で、ショウは唇を噛んだ。
 「やっぱり、隊長は強いな……調子はいいつもりなんだけど、こうも軽くあしらわれるなんて」
 NT1は少し大きめの小隕石の陰に身を潜めていた。周囲には大小様々な大きさの隕石が浮かんでいる。ビームを喰らって全力で逃げたおかげか、幸いにも付近にイーゲルの機影は見えなかった。
 「どうする? 撃ち合いで勝てるとは思えないし、もう簡単には隙を見せてくれないだろうし……」
 ショウは焦った声でぶつぶつと呟く。操縦桿を握る手に汗が滲んだ。
 「大丈夫、落ち着きなよ」
 背後から、優しい声がかけられる。ショウはちらりと振り返る。ノーランは、少し赤い顔で微笑んでいる。
 「……はい」
 ショウはゆっくりと頷き、周囲を見回した。そして、近くの隕石の一つに目を止めた。

 視界を遮る隕石に、ジェシカは舌打ちをもらした。
 「チッ……どこに行った?」
 進路の邪魔になる隕石を避けながら、ジェシカはせわしなく視線を動かす。そして、少し進んだ先の宙域にやけに隕石が密集しているのを見て、目を細めた。
 ジェシカはペダルを踏み込み、密集した隕石にイーゲルを接近させる。近くで見ると、ほとんど進む隙間もないほどの密度だった。
 ジェシカは、手近に浮かんでいた隕石の一つにミンチドリルを接触させる。隕石は一瞬で弾け飛んだ。
 「やはり、ダミーか」
 機体によっては標準装備されている、ダミーのバルーン隕石を放出する装置。おそらく、オプションで選んでおいたものを使用したのだろう。
 ジェシカは小さく失笑した。
 「ダミーに紛れるという考えは分からんでもないがな。こうも露骨にまき散らしては、かえって自分の位置を知らせることになるぞ」
 見えない相手に向かって教授するように呟きながら、ジェシカは障害となるダミー隕石を次々と弾き飛ばし、その宙域の奥へと突き進んだ。その奥に、NT1の機影が小さく見え始めた。正面をこちらに向けて、じっと佇んでいる。
 「もう観念したか? 諦めの良すぎる奴は戦場では生き残れんぞ」
 NT1にも当然イーゲルが見えているらしく、ある程度の距離まで近付いたときに右腕を持ち上げてガトリングガンを撃ってきた。その射線から逃れつつ、ジェシカもビームライフルを撃ち返す。NT1もまた、ガトリングガンをばら撒きつつイーゲルのビームから逃れる機動を取り始める。
 「逃がすか!」
 ジェシカはペダルを強く踏み込み、イーゲルをNT1に突っ込ませる。NT1のガトリングガンの射線を予期するのは、ジェシカにとっては容易なことだった。
 (……ガトリングガンだと?)
 ジェシカは目を見張る。最初切り結んだとき、NT1は確かにビームライフルを携行していた。しかし、今NT1が使用しているのはガトリングガンであり、ビームライフルはどこにも見当たらない。
 (……罠か!)
 ジェシカの背筋に悪寒が走った。ジェシカは慌てて機体を停止させようとしたが、それよりも早く、コックピットが大きく揺れ動いた。

 「うまくいった……!」
 後方から飛んできたビームがイーゲルを直撃したのを見て、ショウは小さく歓声を上げた。
 ジェシカに発見される前に、近くにあった隕石の陰にビームライフルを隠しておき、遠隔操作で撃ったのである。前にラナロウに使われた手を、咄嗟に思いついて実行したのだった。
 さしものジェシカもこれは予期していなかったらしく、イーゲルは大きくバランスを崩す。その隙を見逃さず、ショウはNT1を突進させた。

 「やってくれる……!」
 警報が鳴り響くコックピットで、ジェシカは悔しげに呻いた。
 「坊主だと思って侮りすぎたようだな……アタシも、ノーランのことをとやかく言う資格はない、という訳か」
 ジェシカは、一瞬だけ自嘲気味に微笑んだ。
 「ヤキが回ったな、お互い……だが」
 ジェシカは鋭く前方を見据える。少し画像が乱れているモニターでも、NT1がビームサーベルを構えて一直線に突っ込んでくるのは見えていた。ジェシカは素早く機体を立て直し、ミンチ・ドリルを構えた。
 「そうそう楽に勝ちを譲ってやると思うなよ、ショウ!」
 イーゲルもまた、NT1に向かってがむしゃらに突進し始める。
 そして次の瞬間、偽物の宇宙空間の片隅に炎の花が一つ生まれた。

 「YOU DEAD」
 何度繰り返し聞いても変わらない、無機質な合成音。ショウは荒い息を吐いて、シートにもたれかかった。
 「負けた、か……」
 呟く声に、悔いは感じられない。むしろ、どこか心地よさげな口調だった。しばらくそのまま座っていると、ハッチが外部から開けられて、ジェシカが顔を見せた。
 「ショウ」
 「隊長」
 ジェシカは少しの間複雑そうな表情をしていたが、フッと気を抜いたように笑うと、
 「……まだまだ詰めの甘いところはあるが……さっきの戦闘は、まずまずだったな。あの感じを忘れるな」
 肩を竦めながら、
 「ま……今日のところは、合格にしておいてやるよ」
 ショウの顔に、見る見るうちに喜びが広がっていく。だが、ジェシカに向かって何かを言う前に、ショウはいそいそと立ち上がって、後ろを振り返った。ノーランは無言で、下を向いて立っていた。ショウは勢い良く頭を下げ、
 「ノーランさん、ありがとうございました! 僕がここまでやれたの、ノーランさんが落ち着かせてくれたからです。ホント、何て言ったらいいか……」
 ショウは言葉を捜すように唇を震わせたが、何も言えずに口を噤む。その末に目を潤ませて、
 「ありがとうございました!」
 と、もう一度頭を下げた。
 だが、ノーランはいつまで経っても返事をしなかった。ショウは眉をひそめておそるおそる顔を上げる。そうやって下から見上げてみて初めて、俯いていたノーランの顔が見えた。
 さきほどまで赤かった顔色が、今は青ざめていた。ぱっと見た感じ、気持ちが悪そうである。
 そこでふと、ショウは思い出す。ノーランは酒に弱いらしいこと、そのノーランが缶ビールを何本か開けていたこと。そして、このシミュレーターが戦闘中の衝撃などをかなりリアルに再現するということ。
 それらの事実からショウが結論を導き出したとき、ノーランは青い顔で口を押さえ、
 「……うぷっ」
 ……こうしてショウは、その日一番威力のある攻撃を、顔面で受け止めることになったのである。

 「あー、やっと終わったよ……」
 げっそりした顔で呟きながら、ジュナスが雑巾片手にシミュレーターから顔を出す。ベンチに座っていたシェルドは、軽く片手を上げた。
 「お疲れ……とれた?」
 「ん。まあ何ていうか、液体ばっかりだったしな。臭いが残んなきゃいいけど」
 「後で消臭剤撒いとこうか」
 二人は疲れた口調で言い合っていた。ノーランを担いだジェシカに、証拠隠滅……もとい後始末を命ぜられた二人は、今ようやくその作業を完了したところだった。サエンはショウについて、洗面所で顔を洗ってやっているはずだった。
 「もうこんな時間か」
 壁に備え付けられた時計を見たジュナスが、欠伸混じりに言う。
 「俺、もう寝るわ。何かかなり疲れた気がする……」
 「ああ、僕もそうしようかな……」
 言った後、シェルドはふとシミュレーターを見て、思いなおしたように、
 「やっぱり、臭いがついてないか確かめてから帰るよ。掃除用具、片付けておいて」
 「ん。そっか。じゃ、お休みな」
 ジュナスは特に疑問を抱いた様子もなく、バケツと雑巾を持ち、欠伸をしながらトレーニングセンターを出て行く。シェルドはそれを見送った後、シミュレーターの中に入った。 特に、嫌な臭いはしなかった。すぐに拭き取ったのが良かったのだろう。
 「さて、と」
 シェルドはコンソール下部のスリットにIDを通し、コンピューターを起動させた。戦闘シミュレーションではなく、過去の成績閲覧を選択する。そして、ランキングを表示させた。
 「十二位、エリス・クロード、十七位、シス・ミットヴィル……か」
 二人の名前を呟き、シェルドは目を細める。
 「……二人が戦ったら、エリスの方に分がある、か」
 そう言ってから、ふと苦笑し、
 「馬鹿馬鹿しい、二人が本気で戦うことなんてある訳ないじゃないか。何を考えてるんだ、僕は」
 言い聞かせるように呟きながら、シェルドはさらに、エリスの個人成績を見る。他人の成績を見て参考にすることも有意義だということで、こういった機能も備わっているのだ。
 そして、モニターに、エリスの使用履歴が表示される。そのデータは、全て対BD一号機戦で埋め尽くされていた。対人戦はなく、対AI戦闘ばかりだった。
 「……」
 半ば、そうなることが予想できていたのかもしれない。シェルドの顔に、驚きは浮かんでこなかった。ただ、何かを危惧するような険しい表情を浮かべて、シェルドはいつまでもモニターを注視していた。

 翌日。
 食堂で昼食を終え、去りかけたショウの耳に、誰かの足音が聞こえた。振り返ると、
 「ホンット、昨日はごめん!」
 唐突に両手を打ち合わせ、昨日と同じエプロン姿のノーランがショウに向かって頭を下げた。ショウはぎこちなく笑いながら、
 「……いえ、大丈夫ですよ。別に気にしてないですから」
 「うわ、ひょっとしてすごく気にしてる!? ホントごめんね、もう次からは自重するから、今回だけは許しておくれよ、ね?」
 必死な表情で謝るノーランから、ショウは少しきまりが悪そうに目をそらし、
 「そんな、僕の方こそひどいこと言っちゃったし……」
 「え、何のこと?」
 ショウの小さな呟きを聞き取ったらしく、ノーランはきょとんとした。ショウはいくらかほっとした様子で、
 「いえ、覚えてないんならいいんですけど」
 「そうかい? いやでも、やっぱり悪かったよ」
 「そんな……ホントに、気にしてないですから。母さんも時々あんな風になってましたし」
 「そう? そっか、ありがとね。あー、良かった。ショウが口利いてくれなくなったらどうしようかと思ったよ」
 心底安堵した様子で、ノーランは笑う。ショウは「そんな大袈裟な」と言いかけて、ふと口をつぐんだ。
 (……そっか。大袈裟、じゃないんだ、ノーランさんにとっては)
 「ショウ?」
 少し、考え込んでしまったらしかった。気付くと、ノーランが不思議そうにショウの顔を覗き込んでいた。少し心配そうに、
 「やっぱり、怒ってる? 別に遠慮なんかしなくても」
 「あ、いえ、そういうんじゃないんです! そういうんじゃないんですけど」
 何と言っていいか分からず、ショウは言葉に詰まった。そんな彼を救うかのようなタイミングで、
 「ねーノーラン、これ、どこに持ってけばいいのー?」
 カチュアの声が届く。見ると、昨日のように両手で大きな皿を持ったカチュアが、困ったようにこちらを見ていた。皿の上には大きなケーキが載っているのが見える。ノーランは振り返って、
 「ああ、適当に、どっか空いてる席に置いといておくれ」
 「分かったー!」
 元気良く答えて、カチュアが手近な席に座る。昼食時のピークを過ぎたためか、食堂にいる人間はそれほど多くはない。ショウはカチュアがテーブルに置いているケーキを指差し、
 「あれ、どうしたんですか?」
 「ああ、昨日みたいにクッキーでも作ろうかと思ったんだけど、ちょっと気が変わってね。ケーキ焼いてみたんだよ。良かったら、一緒に食べないかい?」
 「いいんですか?」
 「もちろんさ」
 「……それじゃ、ごちそうになります」
 「うん」
 ノーランは嬉しそうに頷き、ショウに手を差し出しかけて、
 「あ」
 と、慌てて引っ込めて、
 「じゃ、じゃあ、行こうか」
 と、ぎこちなく微笑んで歩き出した。その背中を見ながら、
 (そっか。昨日僕があんなこと言ったから、気にしてるんだ……)
 ショウは少し迷ってから、ノーランに駆け寄って、彼女の右手を掴んだ。ノーランがちょっと驚いたようにショウを見てから、にっこりと笑う。
 「あー、ショウ、ノーランと手ぇ繋いでるー!」
 連れ立って歩いてきた二人を指差して、カチュアが囃し立てる。
 「甘えん坊さんなんだー!」
 「う、うるさいなぁ」
 ショウは少し赤い顔をしながら、カチュアの向かい側に座る。いくらか気を使ったのか、ノーランはカチュアの隣に腰を下ろした。
 ショウは、テーブルの中央に鎮座するケーキを見て、少し複雑そうな顔をした。ノーランが首を傾げながら、
 「ん、どうしたの? あんまりおいしくなさそう?」
 「いえ、そうじゃないんですけど……三人だと、多くないですか?」
 「あ」
 ノーランは「しまった」と言うように、ぱちりと額を叩く。その隣でカチュアが、
 「大丈夫だよ、二人が残したらワタシが全部食べてあげる!」
 「太るよ」
 ショウの短い指摘に、カチュアは頬を膨らませ、
 「さいてー! 普通、そういうこと女の子に言う? そういうの、デリカシーがないって言うんだよ」
 「だってさ」
 ショウが反論しかけたとき、
 「おおー! すげぇ、うまそう!」
 聞き慣れた声と共に、近くを通りかかったジュナスがテーブルに飛びついてきた。目を輝かせ、涎を垂らさんばかりの勢いである。
 「の、ノーランさん、これさ」
 「ああ、食べるかい?」
 「ぜひ!」
 ジュナスは勢いよくショウの隣に座る。ジュナスを追ってきたシェルドが呆れながら、
 「そんなにがっつくなよ……ノーランさん、僕もいただいていいですか?」
 「ああ、どうぞ」
 「じゃ、失礼します」
 と、ジュナスの隣に腰かけた。
 「うー、取り分減っちゃったなぁ」
 カチュアが少し不満そうに呟く。ショウは呆れて、
 「これだけあれば充分でしょ」
 「はは、足りなかったらまた焼いてあげるよ」
 そう言ってノーランが頭を撫でてやると、たちまちカチュアは機嫌を直した。
 五人はしばらくの間、ケーキを頬張りつつ談笑した。ふと、ノーランが苦笑気味にカチュアの頬に手を伸ばし、
 「ほら、食べかすくっついてるよ」
 と、カチュアの口元を拭き取ってやった。向かい側のジュナスが笑いながら、
 「カチュア、もっと行儀良く食べなきゃダメだぞ」
 「物を口にいれたまま喋るなよ、ジュナス」
 隣のシェルドが冷静に言い、カチュアが舌を出す。
 「べーだ。ジュナスは赤ちゃん用のよだれかけでもした方がいいんじゃないの?」
 「はは、そりゃいいや……案外似合いそうだ」
 カチュアとシェルドが笑い合う。ジュナスは不満そうに、
 「何だよ、二人して」
 「だからちゃんと飲み込んでから言いなって」
 そんなやり取りの間、ノーランは穏やかな目でカチュアを見つめていた。その視線に気付いたらしく、
 「どしたの、ノーラン」
 「ん? いやね、ちょっと、髪の毛伸びてきたなぁって」
 言いつつ、ノーランはカチュアの髪を梳くように指の隙間に通す。そして思いついたように、
 「そうだ、アタシが揃えてあげようか、カチュア?」
 「え、ノーラン、そんなことも出来るの?」
 少し驚いたように、カチュアが目を丸くする。その向かい側で、何故かジュナスが誇らしげに、
 「おう、出来るぞ。俺もいつも切ってもらってるし」
 「君は単に床屋代を浮かせたいだけだろ」
 隣で紅茶をすすりながら、シェルドが微笑む。
 「でも、腕の方は僕も保証するよ。切ってもらったらどうだい、カチュア?」
 「うん、そうしよっかな。ノーラン、あとでお願い」
 「ああ、いつでもいいよ」
 ノーランが気さくに頷いた。
 「でもさ」
 と、カチュアは無邪気な目でノーランを見上げ、
 「ノーランって、何だかお母さんみたいだよね」
 それまで黙って他の四人のやり取りを聞いていたショウは、カチュアの言葉を聞いて何故かびくりと体を震わせた。脳裏を、昨日見たノーランの悲しげな顔がよぎった。ショウはおそるおそる顔を上げ、前に視線を向ける。
 そして、本当に嬉しそうなノーランの微笑みを見たのだった。