【その男、ラナロウにつき】692氏



 彼を評して同僚曰く、

 ――あいつは人間の皮を被った猿だよ。股間以外の話だけど―― 通信兵K・N

 ――キレるタイミングさえ掴めればそんなに怖くないな。ニュータイプでも難しいだろうけど―― 小隊員S・K

 ――俺はどんなじゃじゃ馬でも乗りこなす自信があるが、奴と同じ機体に乗るのだけは勘弁願いたいね―― 小隊員M・G

 ――動物園にいたらさぞかし似合うだろうな。もちろん、場所は猿山だ―― 小隊員B

 ――あいつからはよく修理を頼まれるよ。サンドバックが破けたから縫ってくれって―― 小隊員N・M

 ――生身で宇宙に出しても大丈夫なんじゃないんですか? そんな感じですね―― 小隊員 E・C

 ――この間廊下で会ったらカツアゲされそうになったぞ!―― 督戦士官 I・I



機動戦記Gジェネレーションズ第二幕 第一話 その男、ラナロウにつき



 どれだけ頑張っても落ちない頑固な汚れに、ジュナスはうんざりしてため息を吐いた。
 「MSなんかよりも、まずは洗剤を高性能にするべきなんじゃないのか? 世の中間違ってる」
 「なに、馬鹿なこと言ってるんだよ」
 少し離れた場所でデッキブラシを動かしながら、シェルドが呆れて言う。
 「口よりもまず手を動かしなよ。早くやらなきゃ終わらないだろ」
 「だってさぁ、どう考えたっておかしいじゃないか」
 ジュナスが拳を振り上げて抗議する。
 「何で俺達がこんなところでこんなことをやらなきゃいけないんだよ!」
 「連帯責任だって。何度も言ってるじゃないか」
 「今はいつだ? ここはどこだ? 何だって地球の島国の古い風習に、俺達が従わなきゃいけないんだよ。断固抗議する!」
 ジュナスの演説にも、シェルドの白けた瞳は動かない。シェルドは黙って窓の外を指差した。
 「ああなりたくないだろ?」
 ジュナスが無言でそちらを見る。窓の外には、縄でグルグル巻きにされたサエンが浮かんでいた。顔に「変態男」「死ね」「女の敵」「肉」「生ゴミ」だのといったいくつもの落書きがある。ジュナスは嫌そうな顔をした。
 「そりゃ、元はと言えばサエンが共用のシャワー室覗こうとか言い出したのが始まりだけどさ」
 「君だって鼻の下伸ばして着いてったじゃないか。僕は止めたのに」
 「絶対安全だとか言われれば、ついやりたくなるだろ!」
 「まあいいけどね。結局土壇場で君が踏みとどまったおかげで、こうやって掃除だけで済まされてる訳だし」
 当てつけるように言って、シェルドはまた黙々とモップを動かし始める。ジュナスも仕方なくそれに習った。
 彼等は掃除を続けたが、少し経ってふと顔を上げたジュナスが、
 「あれ」
 「ん?」
 「サエンがいないぞ」
 シェルドもデッキブラシを動かす手を休めて窓の外を見る。先ほどまで芋虫のような格好で浮かんでいたサエンの姿が消えている。
 「どこ行ったんだ?」
 二人が周囲を見回すと、
 「やー、幸運だなぁ。たまたま外にいたら君みたいな可愛い子と会えるなんて。これも何かの縁だな、うん。一緒にお茶でも飲みにいかない?」
 調子のいい声。言うまでもなくサエン。二人は無言で顔を見合わせ、昇降口の外を見る。
 空中を這うようにして進んでいるサエンが、ドックの入り口に立っている小柄な人影に声をかけていた。
 「女の子……だよな?」
 「まあ、サエンが声かけてるぐらいだし」
 「……見た感じ、小学生?」
 「ぎりぎりで中学生ってとこじゃないかなぁ」
 「ホント見境ないなぁ、サエンも」
 呆れ半分に言葉を交わしつつ、二人はデッキブラシを片手に昇降口の床を蹴った。
 「ん、どうしたのそんな顔して。ああ、別に怪しい者じゃないって」
 「でもその顔」
 「ああ、これ?最近話題のボディペインティング。いや、フェイスペインティングかな?」
 「だけど、死ねとか」
 「今の流行は自虐的文句なんだよいやもう俺ってば常に時代の最先端で困っちゅえれぼ」
 ぺらぺらと適当なことを捲し立てていたサエンを、ジュナスとシェルドがモップで殴り飛ばす。サエンは顔面からドックの壁に突っ込んで動かなくなった。
 「……またつまらぬ物を殴って」
 「いやいいから。そこの君ー、大丈夫ー?」
 ジュナスの言葉を遮って、シェルドが件の少女に声をかける。少女は白目を剥いて浮かんでいるサエンを気味悪そうに眺めていたが、呼ばれてすぐに振り返った。シェルドは片手を上げる。
 「驚かせてごめん。あれのことは気にしないでいいよ、黙らせれば無害だから」
 「そりゃそうだろ」
 少女は反応に困っているようだった。ジュナスが首を傾げた。
 「君、どうしてこんなところにいるの? 宇宙港の中に入ってきたら危ないよ」
 「あ、ううん。ワタシ、この船に用があって」
 少女は、グランシャリオの巨大な船体を眺めながら、
 「これ、グランシャリオよね? Gジェネレーションの」
 「そうだけど……え、関係者の人?」
 「そうなるわね」
 少女は微笑んで頷く。シェルドとジュナスは声を潜めて、
 「誰かの娘さんかな?」
 「子供がいる人っていったら……エイブラムさん?」
 「肌の色も髪の色も違うじゃないか」
 「でも、それ以外に子持ちの人なんて……あ、まさかブラッドさんの隠し子とか?」
 「顔のパーツが違うじゃないか」
 「あの」
 すぐ近くで声。少女が旅行鞄片手に近寄ってきていた。
 「多分、何か誤解してるんじゃないかと思うんだけど、私、乗組員の娘とかそういうのじゃないわよ?」
 シェルドが目を見張る。
 「え、じゃあ……新しいパイロットとか!?」
 「いくら何でも若すぎるんじゃ」
 「ショウたちに比べたらそうでもないよ」
 「いや、パイロットでもなくて」
 「じゃあ……」
 ジュナスがぽん、と手を叩き、
 「今週の給食当番」
 「……あなたがワタシをどんな風に見ているかは何となく分かったわ」
 少女は苦笑しつつ、
 「ワタシ、こういう者です」
 と、IDカードを取り出してみせた。シェルドとジュナスが顔をつき合わせてそれを見る。
 「ミリアム・エリンさん?」
 「MS開発部の?」
 「ええ。初めまして、ジュナス君、シェルド君」
 二人は驚いた。ミリアムは澄まして言う。
 「開発に協力してくれている人たちだもの、名前ぐらい知っておくのは当然の礼儀でしょう?」
 「すげぇなぁ、まだこんなに小さいのに」
 ミリアムの小柄な体を見て感心するジュナスに、
 「それと」
 と、ミリアムは幼げな顔に苦笑を浮かべて付け加えた。
 「ワタシ、あなたたちよりは年上だからね?」
 何度も同じ事を言ったことがあるらしく、実に澱みのない口調だった。

 ブリーフィングルームに集まった乗組員たちの前で、出向社員ミリアム・エリンは簡単に自己紹介した。多くの者達は興味津々に彼女を眺めるか、近くの仲間と内緒話をしている。話題は、
 「小さな子だねぇ。何だか頭撫でたくなってくるよ」
 「ふん……殴り甲斐はなさそうだな」
 「いや、殴っちゃダメでしょ隊長」
  と、大体彼女の背の小ささや童顔のことだったが、
 「MS開発部ってことは、新しいMSが来るんですかね?」
 「どうじゃろうな。ワシらにはお偉いさんの意向なんぞほとんど耳に入ってこんからのお」
 「またゲテモノが増えんのかよぉ。いじり甲斐がありそうだなぁ、アヒャハハハ」
 「新兵器。いい響きであります! これぞ整備兵の醍醐味ってやつでありますね!」
 などと、ミリアム自身よりも彼女が来艦した理由を気にしている者もいる。衆人環視の中、ミリアムは自分の仕事のことをすらすらと説明した。
 ミリアムがグランシャリオに出向してきた目的は、本社で製作が進められていた最新式のMSシミュレーターを完成させるためだという。
 説明を終えたミリアムが質問を促すと、まず真っ先に第一小隊のニキが手を挙げた。
 「何故わざわざ、この艦で製作を行うのですか?」
 「いえ、製作自体はもう九割がたは完了しているんです。でも、実際にMSを操縦している人たちの意見を聞いてみないと、本当に使い物になるかどうかは分かりませんから」
 「つまり、我々に試作品のテストを?」
 「簡単に言えばそうなりますね」
 ミリアムが頷くと、パイロットたちの間にかすかなざわめきが生まれた。
 「ねぇ隊長、シミュレーターって、あのおもちゃみたいなやつでしょ?」
 エルンストの隣に座っていたカチュアが首を傾げる。エルンストは頷いた。
 「そうだな。まあ、あれはかなり旧式だが」
 「ワタシもあれ一回やったことあるけどさぁ、本物と違いすぎて全然役に立たなそうだったじゃん」
 遠慮のない評価に、エルンストは苦笑した。
 「あれはMSが初めて開発された頃のやつだからな。その頃はMSのデータも少なかったから、本物とかなり違った感じになるのは仕方のないことなんだよ」
 「ええ、イェーガー隊長の仰る通りです」
 どうやら聞こえていたらしい。ミリアムが、微笑んで頷いた。
 「今は様々な環境下でMSを運用したデータが集まってきていますので、シミュレーターもかなり本物に近付いているはずですよ」
 「へぇ、凄いんだ」
 カチュアが素直に感心する。ミリアムも機嫌が良さそうだった。
 「筐体は本日の午後に搬入されますので、パイロットの皆さんは是非一度体験して、感想等をお聞かせ下さい」

 「新兵器じゃなくて残念でありますが」
 と、カチュアを並んで廊下を歩きながら、ミンミは感心したように唸った。彼女の小さな両手には、かなり分厚い書類の束が握られている。件のMSシミュレーターの仕様書という奴らしい。カチュアは呆れて、
 「ねぇ、そんなの読んでて面白いの?」
 「もちろんであります。なかなか興味深い技術が使われているでありますよ」
 書類の束を一枚捲りながら、ミンミが言う。夢中になっている横顔。カチュアは横から覗き込んでみた。文字と図式と数式の羅列。げんなりして舌を出す。
 「何が書いてあるのかサッパリ分かんないよぉ」
 「いやいや、かなり分かりやすく書いてあるでありますよこれは」
 「えー、そうなの?」
 「先ほどの説明もよくまとまっていましたし、あのお方は非常に優秀な女性であります」
 興奮気味にそう評しつつ、ミンミはまた紙面を捲る。正面に曲がり角が迫っているのに気付かずそのまま直進しかけたので、カチュアは慌てて進路方向を正してやった。
 「もぉ。ミンミってば機械とかのことになるといっつもこうなんだから」
 「もちろんであります。自分は機械油をミルクにして育ったようなもんでありますから」
 「死んじゃうってば」
 一応そう言ってから、カチュアはしばらく無言で歩き続けた。隣のミンミは、歩みを止めないまま、書類を読むのに没頭しており、時折感心した様子で「ほお」とか「ははあ」などと呟いていた。顔が情熱に輝いている。
 「何がそんなに面白いんだか」
 カチュアがつまらなそうにそう呟くと、ミンミは書類に目を落としたまま、
 「それではいけないでありますよ」
 「え?」
 「カッちゃんはせめて自機のスペックだけでも、もう少しでいいから把握するべきだと愚考するのであります」
 「えー、いいじゃん、ちゃんと動かせてるんだし」
 「己を知り敵を知れば百戦危うからずと、昔の偉い人も言っていたそうでありますよ」
 「うー」
 反論できずにカチュアが唸ると、ようやく読み終わったらしいミンミが満足げに書類の束を閉じた。
 「ううむ、これは凄い」
 「役に立ちそうなの?」
 「役に立つも何も、従来の物とは比べ物にならないほどの高性能でありますよ」
 「へぇ。じゃあさ、本物に乗ってるのとあんまり変わんないぐらいなの?」
 「それはどうでありましょうか?」
 と、ミンミはまだ幼さの抜けない顔に、難しそうな表情を浮かべた。
 「どれだけデータが充実していても、本物の機体というのは同じ型でも微妙に違いがあるでありますから」
 「え、そうなの? だって、ああいうのって同じ工場で作られてるんでしょ?」
 「それでも、全く同じという訳にはいかないであります。使っている内にその機体特有のクセみたいなものがついたりもするでありますし」
 「ふーん」
 知らなかったな、とカチュアは感心した。
 「ミンミって凄いなぁ。ワタシ、そういうの全然分かんないもん」
 「自分、赤ん坊の頃からこの世界にいるでありますから」
 少し照れてから、とは言え、と、ミンミはもう一度書類の束の表紙に目をやった。
 「それでも、このシミュレーターならかなり実戦に近い体験が出来るはずでありますよ」
 「じゃあ、役に立つんだね」
 「そうであります。自分もいつかこういうのを作ってみたいであります」
 憧れるようにそう言うミンミに、カチュアはふと尋ねた。
 「ねぇミンミ、ミンミも整備兵やってるからにはさ、やっぱりいつかはガンダムとか作りたい?」
 「ガンダム、でありますか? うーん……」
 少し悩むように首を傾げた後、ミンミは笑った。
 「作れるのなら作ってみたいでありますが、自分が一番作りたい物はMSではないであります」
 「え、そうなの?」
 カチュアが意外そうに驚いた。
 「いつもロボット見てカッコイイって言ってるから、てっきり」
 「いやお恥ずかしい。自分、ヒーロー好きでありますから」
 そう言って頭を掻いた後、ミンミは少し声の調子を落とした。
 「自分が一番作りたいのは、脱出装置であります」
 「え?」
 予想だにしない単語を聞いた、というように、カチュアが目をぱちぱちさせた。ミンミは続ける。
 「帰還率100%の脱出装置。これを作るのが自分の目標であります」
 「どうして?」
 「もちろん、パイロットの皆さんに無事で帰ってきてほしいからであります」
 そう言って、ミンミは笑う。カチュアは自信満々に胸を張って、
 「ふふん、そんなのなくたって、ワタシは落とされないもん!」
 「む。そうでありますか? でも、万が一ということもあるのであります。油断は大敵でありますよ」
 何故か、心配そうにそう言うミンミ。その表情を見て、
 (あ、何かさっき言ったのとは違う理由があるんだな)
 と、カチュアは何となく察した。だから、それ以上は追及せずに、
 「そうだね。うん、気をつけるよ」
 「まずは無事に帰ってくるのが一番でありますからね」
 ミンミの顔に笑いが戻った。