【その男、ラナロウにつき】692氏



 カチュアとミンミは、居住ブロックの中心部に位置しているトレーニングセンターに入った。この部屋の隅っこで半ば埃を被っていた旧型のシミュレーターが撤去され、試作段階の新型が設置されているはずだった。
 その辺りに、大きな人だかりが出来ていた。二人は顔を見合わせ、人垣の端っこにいた整備班のライルにどうしたのかと尋ねた。ライルは苦笑する。
 新型のMSシミュレーターは予定よりも早く搬入されたらしい。既に、パイロットの数人は試用を終えたとのことだ。
 「それで、何故皆さんはシミュレーターを取り囲んでいるのでありますか?」
 「ひょっとして、誰かが壊しちゃったとか」
 「いや、壊してはいないんだけどね」
 困ったように、ライルが頭を掻く。その時、人だかりの向こうから
 「どういう意味ですか、それは!?」
 という叫びが聞こえてきた。聞き慣れない声。ミリアムだ。
 二人はするすると人だかりを抜け、人々の間から顔を出す。すると、新型のシミュレーターの前で第一小隊のラナロウとミリアムが向かい合っていた。
 「ゲッ、ラナロウだぁ……」
 カチュアは嫌そうに顔をしかめる。ミンミはきょとんとした。
 「ラナロウさんがどうかしたでありますか?」
 「あいつ嫌い」
 「どうしてでありますか?」
 「だってさぁ、乱暴じゃん。近付いただけでぶん殴られそうだし」
 「そうでありますか? 優しい人だと思うでありますが」
 「えぇー!? ありえない。絶対ありえないから」
 大袈裟に首を振るカチュア。ミンミが何かを言いかけたとき、再びミリアムが口を開いた。大勢の前で叫んだことを恥じるように、一つ咳払いをしてから、
 「もう一度言ってみてください。あなたが先ほど言ったこと、聞き流す訳にはいきません」
 キッとラナロウを見据えるミリアムに、彼の不機嫌そうな視線が返ってくる。
 「こんなガラクタ、クソの役にも立たねぇって言ったんだよ」
 ミリアムの頬がぴくりと動いた。
 「何が最新式のシミュレーターだよ。こんな物積み込んだって狭くなるだけだ。時間の無駄だったぜ」
 ミリアムの顔が紅潮した。
 「あのオカマ社長も大したことねぇな。こんな鉄屑に金かけるなんてよ」
 ミリアムが俯いて肩を振るわせ始めた。
 「ま、こんなん置いてたってその内スクラップにされるのがオチだ。せいぜいリサイクルの方法でも考えとくんだな」
 そう言ってラナロウは肩を竦めた。ミリアムの手の中で仕様書の束がぐしゃりと潰れる。ミリアムは眉を吊り上げてラナロウに詰め寄った。
 「いい加減にしなさいよ! こっちが黙って聞いてれば、随分好き勝手に言ってくれるじゃないの!?」
 顔が怒りで真っ赤になっている。近くにいたジュナスが「落ち着けって」と慌てて止めに入ったが、「黙ってなさい!」と一喝されてすごすご引き下がった。ミリアムは腰に両手を当てて、ラナロウを下から睨みつけた。
 「さっきの言葉、今すぐ撤回しなさい! これは私……いえ、開発チーム全体に対する侮辱だわ」
 ミリアムの怒り顔を見下ろし、ラナロウは嘲笑を浮かべる。
 「ハッ、笑わせんじゃねぇよ。侮辱だ? クソゲーをクソゲーって言っただけじゃねぇか」
 「……私たちが心血注いで作り上げたこのマシンを、こともあろうにゲーム……それもクソゲー呼ばわり!?」
 「おーおー、何度だって言ってやらぁ。クソゲーもクソゲー、ゲーセンにあったって誰もやらねぇよ!」
 ミンミがカチュアの袖を引いて、
 「カッちゃん、クソゲーって何でありますか?」
 「知らなくてもいいと思う」
 カチュアは迷わずそう答えた。乗組員が取り囲む中で、ラナロウとミリアムの口論はますます熱を帯びていく。
 「言ってくれるじゃない、私たちがこれを作り上げるのにどれだけ苦労したかもしらないで!」
 「ケッ、こんなポンコツ作るのに苦労してたんじゃ、ウチの開発部のレベルもたかが知れてるぜ!」
 「あーら、そういうあなただって、いかにも口ばっかりのヘボパイロットって感じじゃない!?」
 「あぁ!? テメエ誰に向かって言ってんだ!? 俺は第一小隊最強のラナロウ・シェイドだぞ!?」
 「やだ、本当にいるのね自称最強って。あなた井の中の蛙って言葉を知らないの?」
 「はぁ!? 訳分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ! 買わず!? 喧嘩ならいくらでも買ってやるよ!」
 「あらごめんなさい、あなたには難しすぎた? お山の大将の方がいい? それとも……ああ、猿山のボス猿なんてどう? やだ、ぴったりじゃない」
 「誰が猿だ!?」
 「あなたに決まってるじゃない。文字読める? 掛け算できる?」
 「バカにすんじゃねぇ! 出来ねぇのは割り算だ!」
 「うわ、バカ丸出しってこういうことを言うのね。生きてて恥ずかしくない?」
 「んだとこのチビ女!」
 「何よこの野蛮人!」
 お互いの鼻先がぶつかり合うほどの至近距離で、二人の視線がぶつかり合う。長身のラナロウと小柄なミリアムでは頭三個分ほどの身長差があるが、ミリアムは一歩も引こうとしない。
 「皆さん、何をしているのですか?」
 凛とした声が響く。人々が声の方を振り返ると、部屋の入り口から第一小隊長のニキが入ってきたところだった。
 「何か問題が?」
 ニキが問うと、人垣が二つに割れた。その先で睨み合う二人を見て、ニキが眉をひそめながらも歩み寄る。
 「エリンさん、何があったのですか?」
 「え? えっと」
 言いにくそうに、ミリアムがラナロウをチラチラと見る。ラナロウはそっぽを向いて「ケッ」と吐き捨てている。ニキは困ったように、
 「ラナロウが、何か?」
 「いえ、隊長さんに言うほどのことでは……」
 「こいつが持ってきたシミュレーターが役に立たねぇって言っただけだよ」
 遠慮がちに誤魔化そうとするミリアムの声に被せるように言って、ラナロウが肩を竦める。ニキはため息を吐いた。
 「……ラナロウ。そのような言い方は失礼ですよ」
 「ホントのことを言っただけだろうが」
 「仮にあなたがそう思っていたとしても、です。わざわざ気に障るような言い方をして波風を立てるのは感心できません」
 諭す言葉に、ラナロウは鼻を鳴らす。ニキは首を傾げた。
 「それで、あなたはどういった点が不満なのですか?」
 「あぁ?」
 「それは是非とも聞きたいわね」
 ミリアムが両腕を組んでラナロウを睨む。ラナロウは面倒くさそうに、
 「シミュレーターってのは実戦を体験できる玩具だろ?」
 「玩具という言い方はどうかと思いますが、実戦を体験できるというのは当たっていますね」
 「なら、やっぱこいつは出来が悪いな」
 と、ラナロウはMSシミュレーターの筐体をぽん、と叩く。
 「動かしたときの反動が甘いし、砂漠なんかで足をとられる感じもなってねぇ。宇宙空間はさっぱりしすぎてるしな。それに、敵の動きが馬鹿正直すぎる」
 「そうですか? 私も一度試用させていただきましたが、それほど違和感は感じませんでしたが……」
 ニキが振り向いて、他のパイロットたちに感想を聞く。全員、七割方は満足しているようだった。ラナロウは肩を竦める。
 「ま、お前らがそう言うんならそれでもいいけどよ。こんな物使ってうまくなったつもりでも、実戦じゃ通用しないと思うぜ、俺は」
 全員が黙り込む。ニキは少し考えてからミリアムに向き直り、
 「エリンさん、ラナロウの暴言にも全く根拠がないという訳ではないようですので、今回は見逃していただけませんか?」
 ミリアムは軽く思案していたが、やがてラナロウを見て、
 「一つ、聞いてもいいかしら?」
 「何だ」
 「気に入らない点を言えるのなら、最初からそう言ってくれればいいじゃない。何もポンコツだとかスクラップだとか言わなくても」
 「面倒くせぇだろ。それに、言ったところでこいつがこれ以上良くなるとも思えなかったしな」
 挑発的な物言い。ミリアムの瞳に静かな怒りが宿った。
 「つまり、あなたはこのシミュレーターに何の期待もしていないと。そういう訳ね?」
 「ああ。こんな物やってる暇があったらゲーセン行ってレーシングゲームでもやるぜ、俺は」
 「またゲームって……!」
 ミリアムが叫んだ。
 「屈辱だわ!」
 「ま、いいんじゃねぇの、こいつらはこれでいいって言ってるんだしよ。なぁ?」
 ラナロウの問いかけに、周りの人々が慌てて頷く。ラナロウは軽く屈み、気楽にミリアムの肩を叩く。
 「良かったな、お前の仕事も成功って訳だ。これからはこの船のパイロット連中がこれで訓練するだろうよ。ま、最も」
 ラナロウはミリアムに背を向け、
 「俺は使わねぇけどな」
 と、言い残して人垣の間から去ろうとした。ミリアムは俯いて全身を震わせていたが、ラナロウが入り口のドアを開けたときに勢い良く顔を上げ、
 「それなら、改良してやろうじゃないの!」
 ラナロウに指を突きつけた。人だかりがざわめく。ラナロウは肩越しにミリアムを振り返った。
 「こうもコケにされて引き下がったんじゃ、本社の皆に申し訳が立たないわ! 絶対にあなたが使いたくなるマシンを作ってみせる!」
 「あの、エリンさん。そんなことをしている時間は……」
 「最終的な期限まで、後二週間ぐらいはあります。それだけあれば十分です」
 ニキの言葉に、ミリアムは簡潔に答える。静かな口調だったが、その裏には隠しきれない怒気が潜んでいた。ラナロウは肩越しに振り返り、にやりと笑う。
 「へぇ、面白れぇじゃねぇか。やれるもんならやってみな」
 「ええ、お望みどおりリアルなシミュレーターを作ってあげるわ。後で吠え面かかないでよね」
 「へん、言ってろよ。んじゃ、俺は帰るぜ」
 ぷらぷらと手を振りながら、ラナロウが去っていく。スライド式のドアが閉まるのと同時に、人々は声を潜めて話し始めた。その中心で、ミリアムは少し申し訳なさそうに、
 「皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした」
 一礼。最初に答えたのは、近くにいたジュナスだった。
 「別に俺達はいいんだけど……ミリアムさん、ホントに大丈夫なの?」
 「割と勢いだけで言っちゃったように見えたんですけど……」
 付け足したシェルドの言葉に、ミリアムが困った顔で考え込む。
 「うわー、何かすっごいことになってきたねミンミ……ミンミ?」
 面白がって見物していたカチュアの隣で、ミンミは肩を震わせていた。
 「ミン」
 「感動したでありまぁぁぁぁぁっす!」
 甲高い叫び声が、部屋の空気を震わせた。全員が驚いた顔で声の方を見る。絶叫したままの姿勢で、ミンミが滝のような涙を流していた。
 「現状に満足せず、ひたすら高みを目指す技術者根性! 侮辱を決して許さぬ男の意地と意地のぶつかり合い! 自分は、自分はこういうのに憧れていたのであります!」
 「いや、私は女で」
 「ミリアムさん!」
 「はい!」
 ミリアムが反射的に姿勢を正す。駆け寄ったミンミがミリアムの手を取った。二人の体格は大体同じぐらいなので、絵的にもバランスがいい。
 「このミンミ・スミス、微力なれどもお力になるであります! 何なりとお申し付けくださればこれ幸い」
 「は、はあ、それはどうも……」
 ミリアムはその勢いに圧倒されていたようだったが、ミンミの言葉に少し思うところもあったようで、
 「……確かに、私一人の力では少し厳しいかもしれません」
 と、周囲の人々を見渡して、遠慮がちに
 「申し訳ありません。もしもお暇な方がいらっしゃいましたら、少しでいいですので協力していただけませんか?」
 「もちろんOKですとも!」
 と、真っ先に答えつつ、どこかからサエンがすっ飛んできた。
 「このサエン・コジマ、ミリアムさんのためなら例え火の中水の中、何ならベッドの中まででもお供いたしますとも!」
 「え、遠慮しておきます……」
 果てしなく嫌そうな顔で、ミリアムが首を横に振る。その反応を見てまたサエンが馬鹿笑いし始める。
 「……ホント、どういう状況なんだろ」
 カチュアはため息を吐いた。