【その男、ラナロウにつき】692氏



 シスは無言で、自機であるBD一号機を見上げていた。
 MSデッキに人気はない。しんと静まり返った空気の中、シスの瞳だけが激しい葛藤に揺らいでいる。
 BD一号機の外見は、連合の旧主力機であるジムと大差ない。しかし、その性能はジムとは似ても似つかぬものだ。
 シスは少しの間目を瞑り、ふっと息を吐いて蒼い装甲に触れた。手に伝わる感触は冷たかった。
 「……私は人形」
 ぽつりと、シスは呟く。
 「ワタシは人形。感情を持たず、死を恐れず。ただひたすら戦うことだけを許された、戦闘人形……」
 左手を機体に、右手を胸に。その言葉は自分に言い聞かせるように。
 「そう。私は人形。だから、怖いことなんて、ない……だから、きっとできる……」
 シスの顔が苦しみに歪む。機体に触れている手が、小刻みに震えていた。
 「……怖い、の? どうして……」
 「何がですか?」
 突然横から聞こえてきた声に、シスは弾かれたように振り返る。見ると、ミリアムがきょとんとした顔で立っていた。
 「……ええと」
 「シス・ミットヴィルです。第三小隊の……」
 感情を抑えた声で言い、シスが一礼する。ミリアムも慌てて頭を下げた。
 「あ、ご丁寧にありがとう……私は」
 「ミリアム・エリンさん、でしたよね」
 「あら、もうご存知なのね。よろしくお願いします、シスちゃん」
 ミリアムが笑顔で右手を差し出してくる。ためらいがちに握り返しながら、シスはミリアムの顔を見て、
 「あの……」
 と、言いかけて口ごもった。ミリアムは一度首を傾げてから、
 「あ」
 と、気付いたように自分の頬に手を当て、照れたように笑った。
 「顔色良くないかしら?」
 シスは小さく頷く。ミリアムは苦笑混じりに、
 「やっぱり、お化粧で誤魔化すのにも限界があるわね」
 「……大丈夫ですか?」
 「ええ。ちょっと寝てないだけだから。ありがとう、心配してくれて」
 ミリアムが優しく微笑む。シスは少し赤くなって顔を伏せた。
 「ところで、何が怖いの?」
 シスは顔を硬くした。ミリアムが慌てて手を振る。
 「あ、ごめんね、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど」
 「いえ……」
 シスも慌てて首を振ったが、それ以降は口を噤んでしまう。そんなシスの様子を見て、ミリアムはぽん、と手を打って、
 「ああ、そっか。お化けね?」
 「は?」
 理解不能。シスが口を半開きにする。ミリアムは周囲を見回して
 「そうよね、今夜中で人もあんまりいないし……散歩してたら怖くなって帰れなくなっちゃったんでしょ? 違う?」
 「え……」
 シスはちらりと機体を見てから、
 「そんな、ところです」
 「やっぱりね。そういえば今日心霊特集やるって言ってたっけ。忙しくて録画も出来なかったわ。完璧に見逃しちゃったな」
 何と言っていいか分からず、シスは黙っていた。ミリアムは首を傾げながら、
 「技術者が幽霊信じてるなんて、おかしい?」
 「いえ……あの、それよりも、何か用事があったのでは?」
 「あ、そうそう。ちょっと整備班の人たちに道具を貸してもらおうと思ったんだけど」
 と、ミリアムは無人のMSデッキを見渡した。
 「誰もいないみたいね」
 「現在停泊中で、急ぎの仕事はないと聞いていますから……ミンミが手伝っていたのでは?」
 「張り切りすぎちゃったみたいでね。今シミュレーターの横で寝てるわ。起こすのも可愛そうだったから」
 ミリアムは再度周囲を見渡した。やはり、誰もいない。
 「まあ、いいわ。今すぐ使うって訳じゃないし」
 ミリアムは小さくため息を吐いて、
 「じゃ、帰りましょっか」
 「え?」
 「大丈夫大丈夫、部屋まで着いていってあげるから。ね?」
 「でも」
 「ああ、私のことならいいのよ。どうせこのあと、一旦部屋に帰ってデータまとめるつもりだったから」
 シスはミリアムの顔を見て、
 「少し、お休みになられた方がよろしいのでは?」
 「……ありがとう。でも、大丈夫よ。さ、行きましょう」
 ミリアムはシスの手を引いて歩き出す。シスは少しBD一号機を見てから、
 「はい」
 と答えて、歩き始めた。

 このように、ミリアムは期限である二週間の七割ほどを、ほとんど寝ずに過ごした。
 協力を申し出たミンミとサエン、その他パイロット達の協力もあり、MSシミュレーターの改良は遅々としたスピードながらも確実に進んでいた。
 事実、改良版を試用したジュナスやシェルド、エルンストやニキらは皆それが以前よりも進歩しているのを認めたのである。
 しかし。

 「もう、何なのよあの人!」
 叫びつつ、ミリアムがビールの缶を叩きつけるようにしてテーブルに置く。ご立腹である。傍で見ていたケイとネリィ、カチュアとミンミがそれぞれ顔を見合わせる。
 「こっちが毎日毎日寝ずに改良加えてるってのに、やれ射程距離が狂ってるだの弾道がおかしいだの! 挙句の果てにはシートの座り心地が悪い!? やってらんないわ!」
 言いつつ、一気に残りのビールをあおり、口元を袖で拭う。外見の問題もあって、端から見れば完全に未成年の飲酒である。
 「なんか、ワタシも飲んでいいかなーって気分になってくるんだけど」
 「ダメですわ。連合の法律ではカチュアはまだ未成年でしょう?」
 「うー」
 ネリィの警告に頬を膨らませ、カチュアが不満げにオレンジジュースに口をつける。
 四人は今、ミリアムの部屋に集まって談話中だった。
 出向社員であるミリアムにあてがわれた私室は、他の船員と大して変わりがない。グランシャリオは巨大宇宙戦艦だが、MSデッキや機関部が大部分の体積を占めているため、居住ブロックは大して広くないのだ。だから、広い部屋がないのも当然のこと。ミリアムは特に文句を言っていないが。
 「ま、あのバカは歯に布を着せないって点じゃあエリスとタメ張れるぐらいだからねぇ」
 どことなく居心地悪そうに、ケイが呟く。ミリアムの出身地の風習に合わせて、彼女らは地べたに直接座っている。それがどうにも落ち着かないらしい。
 「イライラする気持ちは、まあ分からないでもないやね」
 「そもそもあの無遠慮な男の要求に応えようという方が無茶なのですわ」
 場違いに上品なワイングラスを傾けながら、ネリィが酷評する。
 「意地になればなるほど調子に乗りますわよ、彼は」
 「そうでありますかねぇ」
 カチュアの横でオレンジジュースを飲みながら、ミンミが眉をひそめる。
 「ラナロウさんは少なくとも何が不満なのか、分かりやすい分、まだマシだと思うでありますが」
 「それは……確かにそうね」
 複雑な表情で、ミリアムが同意する。
 「何をどう直してほしいのか分からないときって、本社でもときどきあったもの」
 「へぇ、そういうのってあるんだ。例えば?」
 少し興味のある様子で、カチュアが聞く。答えたのはミリアムではなくミンミだった。
 「取り分け、カッちゃんの要求は分かりにくいであります」
 「え、ワタシ!?」
 ミンミは頷いて、
 「『もうちょっと、ここのところがドバーッと動くようにならない?』とか、『ここがチョイチョイッとバシッてなれば言うことなしなんだけど』とか、何がなんだか分からんでありますよ」
 「だって、それでも直してくれてるじゃん」
 「こっちにも技術者としての誇りがあるでありますから。お客様のご要望にお答えできないのは無能の証なのであります!」
 少し熱のこもった口調。分かる分かる、と言うように、ミリアムとネリィが頷いた。
 「誇りというのは人間が生きていくのに一番重要なものだと、私のお父様も仰っていましたわ」
 「そうよね。給料のためってだけじゃ、いい仕事は出来ないわ」
 「ま、今回はその情熱が仇になって苦労してるわけだけど」
 ビール缶片手にケイが茶々をいれる。そうしてから、感心した様子でミリアムを見て、
 「しかしまあ、知らないとは言えあんたも凄いよね」
 「え、何が?」
 きょとんとして、ミリアムが聞き返す。ケイはビールに口をつけながら、
 「あのラナロウに真正面から喧嘩売るなんてさ」
 「あー、そうそう。ワタシ見ててハラハラしちゃったもん。ミリアム殴られるんじゃないかって」
 カチュアも、どこかはしゃぐように頷く。ミリアムは目を白黒させながら、
 「え、あの人、そんな危険人物だったの?」
 「危険も何も。艦一番の問題児ですわ」
 ネリィの評価に、そうそう、とカチュアとケイが何度も頷く。
 「肩がぶつかって謝んなかっただけで相手半殺しにしたとか」
 「クレーンゲームに細工がしてあるってことが分かったとき、筐体を引っこ抜いて店主に投げつけたとか」
 「ストリートファイトで百人抜きしたあと、頭から血を流しながら『ガンダムだって殴ってみせらぁ。でもアッガイは勘弁な』とコメントしたというのは、こっちの世界では有名な伝説ですわね」
 「どっちの世界よ」
 と、一応言ってから、ミリアムは少し酔いが冷めたように、
 「そっかぁ。そんな危ない人だったのね」
 「ま、パイロットとしての腕は申し分ないんだけどね」
 ケイが苦笑する。
 「あいつが乗ってるギャプラン、加速が凄すぎてさ。他の奴には絶対乗れないって言われてるのさ」
 「え、そうなの?」
 「ああ。ラナロウの奴は身体が特別頑丈だからね。健康診断にきた医者が驚いて『君は本当に人間かね? 猿か何かの一種では』とか聞いて殴り飛ばされたぐらいだよ」
 「へぇ……何だ、ホントに凄いパイロットだったんだ」
 どことなく納得がいかないように、ミリアムが眉根を寄せる。カチュアがふと思いついたように
 「あ、だからかな、ラナロウがシミュレーター使えないって言ってるのって」
 「え?」
 「だってさ、そんな機体に乗ってるんだったら、戦闘も他の人とは違う風に感じるんじゃない?」
 「そうかもしれませんわね」
 ネリィも何かを思い出すように頷く。
 「単車で100kmオーバー出したあと、60kmぐらいだと凄く遅く感じますもの」
 「その例えもどうかと思うけどね」
 ケイが少し呆れて言う。そして、考え込んでいるミリアムを見て、
 「あいつの弁護する訳じゃないけどさ。出来る限りリアルなシミュレーター使いたいって理屈は分かるんだよ。パイロット連中はあれで慣れる訳だからさ。現実とちょっとでも違うと、実際乗ったときにそれが違和感になって、バカらしい失敗するかもしれないからね」
 「そして、戦場ではそれが死に繋がるでありますな」
 「そういうことさ」
 納得した様子で頷くミンミに、ケイがウインクする。それを横目に、ミリアムは考え込む。
 装置の改良自体は、ほぼ現時点での限界まで達していると、ミリアムは見ている。現場の人間であるダイスやライル、それにミンミの意見や、実際に実機を操っているパイロットたちの話を生で聞けたことが、開発にかなりいい影響を与えたのだ。
 だが、それでも足りないとラナロウは言う。
 「……つまり、後一つ、何かで補わなくちゃ……」
 「え、なに?」
 ミリアムの小さな呟きに、カチュアが首を傾げる。他の三人も、ミリアムの方を見た。四人の注目の中で、ミリアムはゆっくりと顔を上げ、
 「決めたわ」
 決意の表情だった。