【その男、ラナロウにつき】692氏



 MSシミュレーター完成の期限が、残り三日に迫ったその日。
 自室を訪れたニキ小隊長に哨戒任務を命ぜられたラナロウは、ぶちぶちと文句を言いながら艦内の通路を歩いていた。
 「めんどくせぇな……大体、哨戒なんざ正規軍の仕事だろうが」
 「その通りですが、我々にも立場というものがありますからね。艦が整備中で動けない以上、そういった支援で点数を稼いでおかなければいけないのでしょう」
 「知らねぇよそんなの」
 ニキは普段着だが、ラナロウは既にパイロットスーツに着替えている。しかし、気だるげに欠伸をしながら歩く様子からは、覇気というものが感じられなかった。ニキはため息を吐いて、
 「あなたという人は戦闘以外ではやる気がまるでないですね」
 「当たり前だろ。その辺ぷらーっと見回って帰って来るなんざ、何が楽しいんだ」
 「ネリィさんなら喜びそうですが」
 「誰だそれ」
 「この艦の操舵担当の女性ですよ」
 「ああ、あのクルクルしてる奴か」
 「同僚の名前ぐらい覚えてください」
 「うるせぇな。隊長の名前は覚えてるよ」
 「当たり前です」
 ラナロウは欠伸混じりにヘルメットを放り投げてキャッチしながら、
 「あーあ、にしてもくだらねぇ仕事だ。こんなんならシミュレーターでもやってた方が面白ぇぜ」
 ニキが少し感心した様子で、
 「随分評価が良くなりましたね」
 「あ?」
 「最初は鉄屑とかスクラップとか、散々に言っていたでしょう?」
 「んな細けぇこと覚えてねぇよ。ま、退屈しのぎにゃなるが、やっぱ実戦にはほど遠いな」
 「それでも、良くなってきているとは思うのですね?」
 「まあな。あのチビも随分張り切ってるみたいだしよ。そういやあいつは何て名前だったっけ?」
 「ミリアム・エリンさんですよ。出向社員の」
 「ふーん……ミリアム、ミリアム、ミリアム……」
 何度かその名前を舌で転がして、ラナロウは顔をしかめる。
 「言いにくい名前だ」
 「失礼ですよ」
 「しっかし、あいつも面白ぇー奴だよな」
 おかしくてたまらないと言うように、ラナロウは含み笑いをもらす。
 「ちょこっと改良する度に俺の部屋に来てよ、今度こそ満足させてやるからやってみろって胸張ってよ」
 「あなたが満足する出来に持っていくのが目標だそうですからね」
 「でも、やっぱまだまだなんだよな。そう言ってやれば、いちいち顔真っ赤にして地団駄踏んでよ」
 「真面目な方のようですからね」
 「ガキなんだよ。んで体だけじゃなくて頭もガキだなって言ってやったらスパナ投げつけてきやがって」
 ニキは珍しく、目を丸くして驚いた。
 「大丈夫だったんですか?」
 「あんなチビが投げたスパナに俺が当たるかっての。ちゃんと受け止めて」
 「いえ、そうではなくて。あなたですよ。仕返しにミリアムさんに暴力を振るったり」
 「俺が? 何で?」
 ラナロウは本気で訳が分からない表情だ。
 「そんなことをされて、あなたが怒らないなんて」
 「ガキのやることだろ? あいついちいちムキになるからよ、からかうと結構面白ぇんだよな」
 そう言いながら、悪がきのような笑顔を見せるラナロウ。ニキは小声で、
 「人のことは言えないでしょうに」
 「ん?」
 「いえ。しかし……」
 ニキは感心した様子で頷きながら、
 「あなたも丸くなったものですね……」
 しみじみと呟いた。ラナロウは不可解そうに眉をひそめながら歩いていく。そして、余所見をしていたせいで曲がり角から出てきたイワンと思い切り衝突した。
 「いってぇ……」
 「おぉ……頭と頭がゴッツンコー、エンドラ副官ゴットンゴー……」
 意味不明なことを呟きながら頭を押さえているイワンの胸倉を、ラナロウがつかみあげる。最高に不機嫌な顔だ。
 「おうコラどこに目ぇつけてんだジジイ!?」
 「や、止めろぉ! ワ、ワシは弱いんだぞぉ!」
 「うるせぇ! 一発殴らせろコラァ!」
 「ひぃぃぃぃ!」
 じたばたとラナロウの手を振りほどき、わたわたと逃げていくイワン目掛けて、ラナロウもまた勢い良く駆け出していく。
 止める間もなくそれを見ていたニキは、
 「……やはり、あまり変わっていませんか?」
 と、首を傾げながら二人の後を追って走り始めた。

 「クソ、あのジジイ逃げ足だけは速ぇぜ……」
 「またそんなことを……イワン少佐が気さくな方だからいいようなものなんですよ」
 「何が気さくだよ、あんなショボジジイ」
 悪態を吐きながらデッキの入り口へ続く角を曲がりかけたラナロウが、不意に立ち止まった。
 「どうしたのですか?」
 ニキが問うが、ラナロウは答えない。珍しくぽかんと口を開けている。その視線を追って首をめぐらしたニキもまた、目を丸くすることになった。
 「遅かったわね」
 パイロットスーツ姿のミリアムが、デッキの入り口の扉を背に仁王立ちしていた。
 「ミリアムさん、そのご格好は」
 「ご安心ください、艦長に許可は頂いていますから」
 硬い声で、ミリアムが返す。
 「ということは……」
 「ええ」
 と、ミリアムは頷き、ラナロウに目を向け、
 「あなたのギャプランに同乗させてもらいたいの」
 「……何考えてんだよ」
 ラナロウは呆れた様子でミリアムに歩み寄り、
 「大体お前、パイロットでもねぇのに……」
 と、ふと何かに気付いた様子でミリアムの体をまじまじと注視した。珍獣でも見る目つきである。
 「……な、なに?」
 少し顔を赤くして、ミリアムがまっ平らな胸の辺りを手で隠す。しかしラナロウはその部分には特に興味がない様子で、
 「そんなちっけぇパイロットスーツあったんだな」
 ミリアムが無言でラナロウのすねを蹴り飛ばした。

 「そりゃ確かに大人用のパイロットスーツは全部サイズが大きかったから、カチュアちゃんの借りましたけどね、だからってあんな言い方ないと思いません?」
 眉を吊り上げて文句を垂れるミリアムに、ニキは苦笑いを返したが、ふと心配そうな顔で、
 「ミリアムさん、本当にギャプランに乗るおつもりなんですか?」
 「……ええ」
 緊張した面持ちで、ミリアムが頷く。視線が上に向く。二人は今、ギャプランの足元にいた。ラナロウはコックピットで整備員と共に最終調整の最中で、
 「いいかクソガキ、今度壊してきたら承知せんからな!」
 「うるせぇハゲジジイ! 俺みたいなエースパイロットの機体弄らせてもらってんだ、ありがたく思え!」
 言い争う声がここまで聞こえてくる。ミリアムは顔を曇らせた。
 「今度壊してきたらって……」
 「被弾率と撃墜数が比例していますからね、ラナロウは」
 ニキの冷静な評価に、ミリアムの顔がさらに硬くなった。ニキは慌てて、
 「いえ、でも今回は哨戒任務ですから」
 「大丈夫です。私だって、シミュレーターでいくらかは」
 答える声は緊張に上ずっている。ニキはやはり心配そうな顔ながらも、ふと気になったように、
 「それで、何故ギャプランに乗ろうと?」
 「……自分でも子供っぽいとは思うんですけどね」
 と、前置きして、ミリアムは照れくさそうに、
 「何か、何回改良してもあの人が満足してくれないのが悔しくて。それなら、あの人の乗り方が実際どんなもののか分かればちょっとはって……」
 「そういうことですか」
 ニキは柔らかく微笑んだ。
 「素晴らしい情熱ですね……正直、羨ましく思います」
 「そんな……いつも空回りしてるって言われるぐらいで」
 ミリアムが苦笑混じりに言ったとき、降りてきたラナロウが、
 「準備は終わった。本気で乗るのかよ?」
 「もちろん。なに、心配してくれてるの?」
 「いや、コックピットをゲロで汚されちゃたまんねぇからな」
 ラナロウが肩を竦めた。ミリアムは頬をひくつかせる。ニキがフォローするように、
 「失礼ですよラナロウ。それに、宇宙でそんなことになったら汚れる前に溺れます」
 「ニキさん、フォローになってません」
 ミリアムは言い、ラナロウを睨み上げる。
 「悪いけど、これでも昔剣道習ってたの。そんなことぐらいで音は上げないわ」
 「そうかい。ま、口じゃ何とでも言えるもんなぁ。どうなったって知らねぇぜ、俺は」
 「何度も言わせないでちょうだい。望むところよ」
 ラナロウは、挑戦的に腕を組むミリアムをうさんくさげな目で見ていたが、その内諦めたようにかぶりを振り、
 「ま、いいさ。上がってこいよ」
 と言い捨てて、コックピットに向かっていった。ミリアムもそれを追って地を蹴る。
 「頑張ってください、ミリアムさん」
 ニキの応援に、ミリアムは軽く手を振って答えた。

 「で、お前ギャプランのことどんぐらい知ってんだ?」
 既にシートに収まったラナロウが、試すように訊いてくる。ミリアムはコックピット内を見回しながら、
 「加速と機動性を重視した機体だって。特にMAモードの最高速は、常人には耐えられないぐらいの負担をパイロットにかけるとか」
 「だろうな。だから俺がパイロットに選ばれてる訳だ」
 少し気分良さそうに、ラナロウが口元を緩める。
 「しっかし、そこまで分かってて何だってこいつに乗りたがるんだ?」
 「実際体験してみないと分からないことだってあるわ。あなたにとってMSに乗るっていうのがどういうことなのか、確かめさせてもらいたいの」
 ラナロウは首を傾げる。ふと、ミリアムが、
 「ねえ」
 「何だ?」
 「このコックピット、どう見ても一人分のシートしかないんだけど」
 「そりゃ単座式だからな……っつーか、んなことも分からず同乗するとか言ってたのか?」
 「だって、艦長に許可をもらおうとしたときは何も言われなかったから、てっきりスペースがあるものだと」
 「なに考えてんだあの女」
 うんざりしたように首を振ってから、ラナロウはミリアムの体を観察し始めた。いやらしい視線ではない。しかし、ミリアムは反射的に腕で体を隠す。
 「……今度は何よ?」
 「……これなら大丈夫そうだな」
 「何が?」
 ヘルメットの中で疑問符を浮かべるミリアムに、
 「いい手を思いついたのさ」
 と、ラナロウが指を立ててみせた。

 「しっかし、大丈夫かねぇミリアム」
 待機中のため暇だ暇だと愚痴っていたケイが、思い出したように言った。同じくシートに座って髪の手入れをしていたネリィがため息を吐く。
 「まさか、本当に許可が下りるとは思いませんでしたわ」
 「艦長も何考えてんだかなー」
 「まあ、本当に二人が同乗して出撃するということはありえませんけど」
 「え、何で?」
 きょとんとするケイに、ネリィは「いいですか」と
 「ギャプランのコックピットは言うまでもなく単座式で、他に人が乗れるところなんてありませんわ」
 「そうだね」
 「と言って、ベルトもなしに立っていたら」
 「そりゃ、急加速したときに凄いことに……ああ、そういうことか」
 納得したように、ケイがぽんと手を打った。ネリィが満足げに微笑む。
 「ラナロウがいかにお猿でも、そのぐらいは気付くはずですから」
 「いや、あいつなら気付かない可能性もあるよ」
 「それなら、出撃前に止めればいいんですわ」
 「ま、そうだね……っと、通信だ。噂のお猿さんからだよ」
 ケイがコンソールを操り始め、ネリィは再び髪の手入れを再開した。
 「ラナロウ、悪いけど出撃許可は」
 ケイの声が、途中で不自然に途切れた。見ると、口を半開きにしたまま固まっていた。
 「? どうしたんですの?」
 ネリィも顔を上げる。そして、スクリーンに映っている物を見て凍りついた。
 「何だお前ら、アホ面して」
 スクリーンには、ギャプランのコックピットが映し出されている。シートに座ったラナロウは、固まったままのケイとネリィを見て不思議そうな顔をしていた。ミリアムは無言だった。
 「あんた……」
 ケイが頭を抱え、
 「ふしだらですわ……!」
 ネリィが赤い顔で呻く。しかし、一番顔が赤いのはミリアムだった。
 「男女がそんな風に身を寄せ合うだなんて……! お二人は恋人同士でもございませんのに!」
 ネリィの声は震えていた。ミリアムの小さな体は、ベルトでシートに固定されている。シートにはラナロウも座っているから、二人は蟻も這い出せないほどに密着した状態なのだ。ミリアムは体を硬くしたまま身じろぎ一つしない。
 「ラナロウ! 何のつもりだいアンタ!?」
 「は? 何が?」
 ラナロウは本気で分からない風だ。ネリィがコンソールに手を突いて勢い良く立ち上がり、
 「に、任務にかこつけてそんな卑猥なことをなさるなんて……!」
 「何の話だよ?」
 「何の話って……」
 ネリィが絶句する。ミリアムとべったり体をくっつけているラナロウの顔からは、いやらしい感情が微塵にも感じられない。ケイが「参った」と言わんばかりに顔をしかめた。
 「ホント、そういうのには全然興味ないのな、あんたって」
 「あぁ?」
 「ど、どうでもいいから早くハッチを開けて!」
 耐え切れなくなったように、ミリアムが赤い顔で叫ぶ。ケイとネリィは顔を見合わせた。

 ニキは艦の廊下の窓越しに、宇宙港の出口から直接外に出て行くギャプランの機影を見送っていた。
 「うわー、ホントに行っちゃったんだー」
 「大丈夫でありますかねぇ」
 いつの間にか、隣にカチュアとミンミが立っていた。ニキは訊いた。
 「ミリアムさんがギャプランに乗ること、知っていたのですか?」
 「うん。昨日言い出したんだよ」
 「大人の方はお酒を飲むといい加減になるでありますから、てっきり冗談かと思ったのでありますが」
 ミンミが眉間に皺を寄せる。ニキは少し驚いて、
 「ミンミ、あなたは酒の席にも付き合わされるのですか?」
 「自分がいても何も言われないでありますよ。お酒を飲むと皆さん口が軽くなるでありますから、いろいろなことを聞くのにはいい機会なのであります」
 でも、とミンミは顔を曇らせた。
 「あまりいいことばかりでもないのであります。皆さん酔うと人が変わるでありますから」
 「え、なに? どうなるの?」
 カチュアが興味津々に訊く。
 「ライルさんは他人にやたらと物をあげたがるでありますし、ダイスさんは大声で歌った後に大の字で寝てしまうのであります」
 「うわー、すごいねぇ。あ、ニキ隊長はどうなるの?」
 「私、ですか?」
 ニキは痛いところを突かれたらしく、微妙に引きつった苦笑いを浮かべ、
 「出来ることなら、あまり話したくないのですが」
 「えー。どうなるの?」
 「いえ、人に話せることでは……申し訳ありません」
 ニキは深く頭を下げる。カチュアは慌てて、
 「あ、ううん。いいよいいよ。ホントは聞きたいけど」
 言ったあと、悪戯を思いついたときのように笑い、
 「それよりもさ、エルンスト隊長なんかどうなるのかな?」
 「エルンスト……ですか?」
 ニキは小さく首を傾げ、
 「彼は酒に強そうな印象がありますが……」
 「そうかなぁ。結構弱いんじゃない? 何かさ、酔ったら騒ぎながら服脱ぎだしそうな感じ」
 「コラコラ、勝手に人の評判を落とすんじゃない」
 苦笑しながら、エルンストが歩いてきた。「あ、隊長だ」とカチュアが手を振る。
 「今ねぇ、皆が酔っ払ったらどうなるかって話してたんだよ」
 「おいニキ、何でそんな話になってるんだ?」
 「それは……ええと、何故でしょう?」
 ニキが首を傾げる。ミンミが、
 「ミリアムさんが……」
 「ああ、そうでした」
 一つ頷き、ニキはエルンストに事情を説明した。エルンストは呆れたように、
 「根性のありそうな姉ちゃんだとは思ってたが……そこまでやるか普通?」
 「あら、あんな風に情熱に溢れている方は滅多にいませんよ」
 「すっごい頑張ってるよね。目の下に隈まで作ってさー」
 「技術者として見習いたい方であります」
 三人とも高評価。エルンストは降参するように両手を上げた。
 「ま、確かに気合入ってるとは思うけどよ。しっかし、ギャプランだもんな……無事に帰ってこれるもんだか」
 「へぇ、ラナロウが乗ってる機体ってそんなに凄いんだ」
 感嘆するカチュアに、エルンストが意地悪く笑う。
 「ま、お前が乗ったら小便漏らすな、間違いなく」
 「うー!」
 眉を吊り上げるカチュアが怒鳴る前に、ニキが厳しい顔つきで腕を組んだ。
 「エルンスト、今の発言は非常に失礼です。ましてやカチュアは女の子なのですよ?」
 「え」
 「ここでは小隊長のあなたが保護者のようなものなのですから、もっとちゃんとしてくれなければ困ります」
 「いや」
 「あなたの発言でカチュアの心が深く傷つき、健やかな成長が妨げられてしまったらどう責任を取るおつもりなのですか?」
 「あのな」
 「大体、あなたはいい加減すぎます。カチュアが今どれだけ難しい年頃にさしかかっているか、きちんと理解しているのですか?」
 「俺の話を」
 「どうなのですか?」
 「……す、すんません」
 エルンストが後頭部を手で掻きつつへこへこと頭を下げる。ニキは、
 「謝ればいいという問題ではありません。十代は最も多感な時期なのですから……」
 追い討ちをかけた。エルンストは「悪かった、悪かったって!」と平謝りするばかり。カチュアが
 「やーい、怒られてやんのー!」
 と、ニキの背後から囃し立てた。ミンミは、
 「うむ、酒と喧嘩は艦の花でありますな」
 満足げに頷いていた。