【その男、ラナロウにつき】692氏



 ラナロウは常人ならば決して出さない速度で、宇宙空間を疾走した。小隕石を衝突ギリギリでかわしたり、わざとデブリに突っ込もうとしたりするものだから、ミリアムは終始叫びっぱなしだった。
 「よっと。ここらが折り返し地点だな」
 ラナロウが楽しげに呟き、機体を停止させた。同時に、MS形態に変形する。軽い振動がコックピットを襲った。ラナロウの首にしがみついたまま、ミリアムは荒く息を吐く。
 「……スピード出しすぎよ……」
 「ああ? 俺の運転が見たいっつったの、お前だろ?」
 「……じゃあなに、いつもあんな無茶苦茶なことしてるの?」
 「まあな」
 「どうして」
 「飛ばさなきゃ最前線に間に合わねぇだろ」
 「だからって、無理な速度出して障害物に激突でもしたら」
 「俺を誰だと思ってんだ? グランシャリオ最強の男ラナロウ・シェイド様だぜ」
 「自分で言わないでよ……」
 息も絶え絶えにそう言った後、ミリアムはベルトを外してラナロウの体にもたれかかった。
 「どうした」
 「疲れたのよ」
 「お前何もしてねぇだろ」
 「精神的によ。死ぬかと思ったわ……」
 「へっ、情けねぇの。そんなんじゃパイロットはやれねぇな」
 「私もそう思う……」
 反論する気力もないらしく、ミリアムはぐったりしたまま目を閉じる。
 「悪いけど、ちょっと休ませてくれる? 予定時間まではまだまだでしょ?」
 「まあな」
 かなり飛ばしてきたせいか、十分ほど休憩を取ったとしても時間的には余裕があった。
 「……ところで、これで見回りしてきましたって言えるのかしら?」
 「さあね。ま、見た感じ変なのはいなかったけどな」
 「あの速度で物を見る余裕があるなんて」
 「見えなきゃぶつかるだろ」
 「それもそうね」
 目を閉じたまま、ミリアムは薄く笑った。ラナロウは頭の後ろで腕を組み、
 「しっかし、つまんねぇな」
 「何が」
 「何もねぇだろうなとは思ってたが、ホントに何もねぇ。デスアーミーでも出てくりゃ、退屈しのぎにはなるのによ」
 「冗談言わないで。こんな不自然な体勢で戦闘までする気なの?」
 「ハンデだよ、ハンデ」
 「バカ」
 「んだと!?」
 「褒めたのよ。あなたってホント……もうバカとしか言いようのない技術の持ち主だわ。こんな風に思うの、初めてよ」
 気だるげな評価。ラナロウは難しい顔つきで少し考えてから、
 「なあ、今の、ホントに褒めたのか?」
 「そうだって」
 「でも、バカって言ってるじゃねぇか」
 「いい意味よ」
 「いい意味のバカなんてねぇだろ」
 「あるの。少なくともあなたに対しては褒め言葉だわ」
 「……そうなのか」
 「ええ。何なら何度でも言ってあげる。バカバカバカバカバカバカバカバカ……」
 「……やっぱムカツクぞコラ!」
 「うるさいわね、怒鳴らないでよバカ!」
 「またバカって言いやがったな!」
 「褒めてるんだって言ってるでしょ!」
 「今のは明らかに違うだろうが!」
 「そんなの区別しなくてもいいの、あなたバカなんだから」
 「やっぱ、けなしてやがるなこの……」
 不毛な言い争いを続けていたラナロウが、不意に鋭い視線を後方に送った。全天周囲モニターだから、当然背後の様子もスクリーンに投影されている。突然厳しい顔つきで操縦桿を握ったラナロウに、ミリアムがきょとんと、
 「どうしたの」
 「黙ってろ」
 短く、ラナロウが言う。ミリアムは口を閉じた。
 「……いやがるな……」
 「え」
 「そこかっ!」
 ギャプランが腕を持ち上げ、前方に向けて目が粒子砲を放った。ビームが闇を切り裂き、小隕石から飛び出してきた何かを爆散させる。
 「あれは……!?」
 「へへっ、おいでなすったぜ、子鬼どもが!」
 ラナロウが歯を剥いて野獣のように笑う。ミリアムは目を見開いた。
 「まさか、デスアーミー!?」
 その声に呼応するように、周囲に数機のデスアーミーが現れた。
 「そんな、いつの間に!? 何の反応もなかったのに」
 「こいつらが出てくんの、いっつもそんな感じだからな」
 明らかに状況を楽しんでいるらしい。ラナロウの声は弾んでいた。ミリアムは慌ててベルトを締め直す。
 「早く、機体を動かして……」
 「こいつらをぶっ飛ばさねぇとなぁ!」
 ラナロウの叫びを共に、MS形態のギャプランがサーベルを抜いて、正面のデスアーミーに突進する。ミリアムは悲鳴を上げた。
 「ちょっと、逃げないの!?」
 答えずに、ラナロウはデスアーミーを真っ二つにした。そのまま反転して、次の獲物に襲い掛かる。
 「ギャプランの機動性があれば充分逃げられるでしょ!」
 なおも必死に抗議するミリアムに、ラナロウは短く一言、
 「必要ねぇ!」
 「冗談でしょ!?」
 冗談ではなかった。ラナロウは殺到するビームをかいくぐり、デスアーミーを一機一機叩き斬っていく。
 「せめて距離を置いて戦って!」
 「趣味じゃねぇ!」
 即座に返答しつつ、ラナロウは目の前で金棒型ビームライフルを持ち上げたデスアーミーにビームサーベルを突き刺し、そのまま相手を蹴り飛ばした。宇宙の闇に炎の花が咲く。目の前で展開する見慣れない光景に、ミリアムは目を白黒させる。
 「そうそう、あのシミュレーター、爆発がリアルじゃねぇんだよな。今みたいな感じにしろよ」
 勝手に注文しながら、またもラナロウは一直線にデスアーミーに向かっていく。金棒型ビームライフルが放たれた。ギャプランの機体すれすれをビームの光が通過し、ミリアムは悲鳴を上げる。ラナロウはギャプランを敵に肉薄させながら笑った。
 「俺の腕を信用しやがれ」
 「してるけど!」
 「なら黙ってな!」
 叩きつけるように答える間にも、ラナロウはまた一つ敵撃墜数を増やしていた。それでも、ミリアムは叫ぶ。
 「だからって過信はしてないの……!?」
 その時、回転するような視界の中、ミリアムは遠くの方でいくつもの光が瞬くのを見た。ビームの光と、何かの爆発光。ラナロウは気付かなかったらしく、
 「大体な、こんなノロマな連中にこのラナロウ・シェイド様が捕まるわきゃねーんだよ」
 などと自信満々に断言しながら、最後のデスアーミーを斬り捨てた。こうして、結局、全ての敵がビームサーベルで始末されたのだった。
 「……ま、ざっとこんなもんだな」
 武器ラックにビームサーベルを納めながら、ラナロウが肩を竦める。そして、ミリアムの頭をヘルメット越しにぽんと叩き、
 「ほら見ろ、この俺がデスアーミーなんぞに……どうした?」
 食い入るようにあらぬ方向を見つめているミリアムに、ラナロウが首を傾げる。
 「今、光が……」
 「光?」
 「多分、ビームだと思う。あっちの方に、いくつも……」
 「なに!?」
 ミリアムの指し示す方向を見たラナロウが、小さく舌打ちをもらす。
 「先を越されちまったか」
 「え?」
 「デスボールだよ。連中の大将」
 「ああ……」
 デスボール。デスアーミーが現れるとき必ず現れる、司令塔とされる金属球体。これの撃破が、対デスアーミー戦闘における最重要目標である。
 「じゃあ、誰か他の人が?」
 「救難信号なんか出してねぇぞ、クソッ」
 不満げに、ラナロウがぼやく。ミリアムは信じられないという表情で、
 「まさかあなた、一人で敵を全滅させるつもりだったの?」
 「当たり前だろ」
 「……やっぱりバカね」
 「んだと!?」
 「ちょっとは考えなさいよ! エネルギーが保つ訳ないでしょ!?」
 「んなこと知るか!」
 「知りなさいよ!」
 またも不毛な言い争いが始まった。しかし、今度は長続きしなかった。通信が入ったからだ。
 「ラナロウ」
 呼びかける声。モニターにエルンストの顔が映った。見ると、Ez−8・HMCがバーニアを吹かして接近してくるところだった。後方に、シェルドのジム・カスタム高機動型と、サエンの百式の機影もある。三機とも、機動力に優れた機体だ。
 「大丈夫か……って、聞くまでもないみたいだな」
 周囲に漂う残骸を確認したのだろう、エルンストが賞賛混じりの苦笑を浮かべた。
 「相変わらずいい腕してるぜ」
 「ヘッ、当然だろ。しっかし、アンタだったか」
 「何がだ?」
 エルンストが眉をひそめる。ラナロウは、
 「とぼけんなよ。デスボールを撃破したのはあんただろ?」
 「……何だって?」
 不審そうな表情で、エルンストが聞き返してくる。ラナロウもさすがに眉根を寄せ、
 「……じゃあ後ろの奴等か?」
 「あーらら、相変わらず名前覚えてくれてないって訳ね」
 「ラナロウさんにそれを期待するべきじゃないでしょう」
 通信に割り込んできたサエンとシェルドが、苦笑混じりに言葉を交わし、
 「でもねーラナちゃん、俺らでもないんだな」
 「僕ら、戦闘の光を見て一直線にこっちに飛んできましたけど、一機のデスアーミーとも遭遇しませんでしたよ」
 変な相性で呼ばれたことに対して怒ることもなく、ラナロウは黙考を始める。ミリアムが抗議した。
 「違うわよ。隊長さんたちじゃないわ。だって、私があの光を見たとき、コロニーなんか見えなかったもの」
 エルンストたちはグランシャリオが停泊しているコロニーからやってきたのだから、当然彼らのはるか後方にはコロニーがある。小さいが、円筒形の人工島が確かに見えていた。ラナロウはうさんくさげな目でミリアムを見て、
 「見間違えたんじゃねぇのか」
 「……そりゃ、確かに自信はないけど……」
 ミリアムが顔を曇らせる。シェルドが、
 「でも、これ以上デスアーミーが出てこないってことは」
 「デスボールが撃破されたことは間違いない、か」
 サエンも頷く。エルンストは周囲を探りながら、
 「……ミリアムさんよ、他の連中がこの宙域で何かしてるっていう情報は?」
 「いえ、艦長に聞いていた限りでは、そういうことはないはずですけど……」
 「他のコロニーはまだ遠い。そこの駐留軍が……ってことも、ないか」
 「それじゃあ一体、デスボールを倒したのは誰なんでしょう?」
 シェルドが口を挟んだ。
 「分からないな。軍が秘密で試作機か何かのテストをやってた、なんて可能性もなくはないが……」
 エルンストが言いかけたとき、
 「皆、散れ!」
 と、突然サエンが叫んだ。聞き返す間もなく、固まっていた四機が散開する。彼らがいた場所を、数条のビームが通過した。
 「危なかった……」
 「悪い、サエン」
 「いやいや」
 「ヘッ、あのぐらい簡単に避けられたぜ」
 「ちょっと、素直に感謝しなさいよ。ありがとう、サエンさん」
 「ハッハッハ、感謝の意を表すのにそんな言葉は不要ですよ。ただ一つ、あなたの熱いキッスがあれば」
 「無駄口叩いている暇はなさそうだぞ」
 こんな状況でも口説くのを忘れないサエンを、エルンストが止める。とは言え、五人とも視線はビームが飛んできた方向を向いていた。だから、全員が同時に、その機影を目撃したのである。
 「……何だ、ありゃ」
 エルンストが呆然と呟く。徐々に近付いてくる黒い影……それは、馬鹿馬鹿しいほどに巨大な、モビルアーマーだった。全体に、黒を基調としたカラーリングが施されている。サエンが不機嫌そうに、
 「嫌な感じだな……」
 「ヘッ、撃ってきたってことは敵なんだろうが。ならやっちまえばいいんだよ」
 「ちょっと、相手がどれだけの性能を持ってるかも分からないのに」
 操縦桿を握り直したラナロウを、ミリアムが慌てて諭したとき、突然誰かから通信が入った。映像はない。音声のみだ。
 「ごきげんよう、醜く汚らわしい下賤の皆様」
 場違いに優雅で上品な声だったが、その分内容の奇抜さが妙に浮き立っていた。あまりの内容に、とっさに反応できたものは一人もいなかった。ただ一人を除いて。
 「んだとコラ!? 醜いだの汚らわしいだの! てめぇ、俺をバカにしてやがるな!」
 「そんなの聞けば分かるでしょ」
 「……ところで、下賤って何だ?」
 こちらもこちらで場違いである。呆れて声も出ないミリアムの代わりに、回線の向こうから甲高い嘲笑が響き渡った。
 「オーホッホッホッホ! これは愉快ですわ、宇宙にもお猿さんがいたんですのね」
 「だ、誰が猿だ!?」
 「さっきから醜く喚いているアナタに決まってますわ。あら、顔までお猿さんみたい」
 「こ、このっ」
 「まあまあ、落ち着いて」
 顔を真っ赤にするラナロウを、ミリアムが苦笑気味になだめたが、
 「その上メス猿まではべらせて、ここはどこの猿山かしら?」
 「だ、誰がメス猿よ!? それに、この姿勢には事情が」
 「お前らいいからちょっと黙っててくれ」
 うんざりした様子で、エルンストが口を挟んできた。「あ、ごめんなさい」と赤くなって謝るミリアムと、鼻息荒く操縦桿を握り締めているラナロウを横目に、エルンストは、
 「こっちの声は聞こえてるんだな? こちらは地球連合傘下の私兵軍、Gジェネレーションズだ。そちらの所属を聞かせてくれ」
 「あなたたちのことはよく存じておりますわ、下賤の方」
 「……つまり、俺達が一応軍属だということを知っていて攻撃を仕掛けてきたと。そう解釈してもいいんだな?」
 「もちろん」
 「そして、そっちの所属を言うつもりもない、と」
 「あなた方に教えて差し上げる必要がありまして?」
 「それじゃ、最後に一つ……そちらの目的は何だ?」
 返事はなかなか返ってこなかった。