【その男、ラナロウにつき】692氏



 彼を評して同僚曰く、

 ――あいつは人間の皮を被った猿だよ。股間以外の話だけど―― 通信兵K・N

 ――キレるタイミングさえ掴めればそんなに怖くないな。ニュータイプでも難しいだろうけど―― 小隊員S・K

 ――俺はどんなじゃじゃ馬でも乗りこなす自信があるが、奴と同じ機体に乗るのだけは勘弁願いたいね―― 小隊員M・G

 ――動物園にいたらさぞかし似合うだろうな。もちろん、場所は猿山だ―― 小隊員B

 ――あいつからはよく修理を頼まれるよ。サンドバックが破けたから縫ってくれって―― 小隊員N・M

 ――生身で宇宙に出しても大丈夫なんじゃないんですか? そんな感じですね―― 小隊員 E・C

 ――この間廊下で会ったらカツアゲされそうになったぞ!―― 督戦士官 I・I



機動戦記Gジェネレーションズ第二幕 第一話 その男、ラナロウにつき



 どれだけ頑張っても落ちない頑固な汚れに、ジュナスはうんざりしてため息を吐いた。
 「MSなんかよりも、まずは洗剤を高性能にするべきなんじゃないのか? 世の中間違ってる」
 「なに、馬鹿なこと言ってるんだよ」
 少し離れた場所でデッキブラシを動かしながら、シェルドが呆れて言う。
 「口よりもまず手を動かしなよ。早くやらなきゃ終わらないだろ」
 「だってさぁ、どう考えたっておかしいじゃないか」
 ジュナスが拳を振り上げて抗議する。
 「何で俺達がこんなところでこんなことをやらなきゃいけないんだよ!」
 「連帯責任だって。何度も言ってるじゃないか」
 「今はいつだ? ここはどこだ? 何だって地球の島国の古い風習に、俺達が従わなきゃいけないんだよ。断固抗議する!」
 ジュナスの演説にも、シェルドの白けた瞳は動かない。シェルドは黙って窓の外を指差した。
 「ああなりたくないだろ?」
 ジュナスが無言でそちらを見る。窓の外には、縄でグルグル巻きにされたサエンが浮かんでいた。顔に「変態男」「死ね」「女の敵」「肉」「生ゴミ」だのといったいくつもの落書きがある。ジュナスは嫌そうな顔をした。
 「そりゃ、元はと言えばサエンが共用のシャワー室覗こうとか言い出したのが始まりだけどさ」
 「君だって鼻の下伸ばして着いてったじゃないか。僕は止めたのに」
 「絶対安全だとか言われれば、ついやりたくなるだろ!」
 「まあいいけどね。結局土壇場で君が踏みとどまったおかげで、こうやって掃除だけで済まされてる訳だし」
 当てつけるように言って、シェルドはまた黙々とモップを動かし始める。ジュナスも仕方なくそれに習った。
 彼等は掃除を続けたが、少し経ってふと顔を上げたジュナスが、
 「あれ」
 「ん?」
 「サエンがいないぞ」
 シェルドもデッキブラシを動かす手を休めて窓の外を見る。先ほどまで芋虫のような格好で浮かんでいたサエンの姿が消えている。
 「どこ行ったんだ?」
 二人が周囲を見回すと、
 「やー、幸運だなぁ。たまたま外にいたら君みたいな可愛い子と会えるなんて。これも何かの縁だな、うん。一緒にお茶でも飲みにいかない?」
 調子のいい声。言うまでもなくサエン。二人は無言で顔を見合わせ、昇降口の外を見る。
 空中を這うようにして進んでいるサエンが、ドックの入り口に立っている小柄な人影に声をかけていた。
 「女の子……だよな?」
 「まあ、サエンが声かけてるぐらいだし」
 「……見た感じ、小学生?」
 「ぎりぎりで中学生ってとこじゃないかなぁ」
 「ホント見境ないなぁ、サエンも」
 呆れ半分に言葉を交わしつつ、二人はデッキブラシを片手に昇降口の床を蹴った。
 「ん、どうしたのそんな顔して。ああ、別に怪しい者じゃないって」
 「でもその顔」
 「ああ、これ?最近話題のボディペインティング。いや、フェイスペインティングかな?」
 「だけど、死ねとか」
 「今の流行は自虐的文句なんだよいやもう俺ってば常に時代の最先端で困っちゅえれぼ」
 ぺらぺらと適当なことを捲し立てていたサエンを、ジュナスとシェルドがモップで殴り飛ばす。サエンは顔面からドックの壁に突っ込んで動かなくなった。
 「……またつまらぬ物を殴って」
 「いやいいから。そこの君ー、大丈夫ー?」
 ジュナスの言葉を遮って、シェルドが件の少女に声をかける。少女は白目を剥いて浮かんでいるサエンを気味悪そうに眺めていたが、呼ばれてすぐに振り返った。シェルドは片手を上げる。
 「驚かせてごめん。あれのことは気にしないでいいよ、黙らせれば無害だから」
 「そりゃそうだろ」
 少女は反応に困っているようだった。ジュナスが首を傾げた。
 「君、どうしてこんなところにいるの? 宇宙港の中に入ってきたら危ないよ」
 「あ、ううん。ワタシ、この船に用があって」
 少女は、グランシャリオの巨大な船体を眺めながら、
 「これ、グランシャリオよね? Gジェネレーションの」
 「そうだけど……え、関係者の人?」
 「そうなるわね」
 少女は微笑んで頷く。シェルドとジュナスは声を潜めて、
 「誰かの娘さんかな?」
 「子供がいる人っていったら……エイブラムさん?」
 「肌の色も髪の色も違うじゃないか」
 「でも、それ以外に子持ちの人なんて……あ、まさかブラッドさんの隠し子とか?」
 「顔のパーツが違うじゃないか」
 「あの」
 すぐ近くで声。少女が旅行鞄片手に近寄ってきていた。
 「多分、何か誤解してるんじゃないかと思うんだけど、私、乗組員の娘とかそういうのじゃないわよ?」
 シェルドが目を見張る。
 「え、じゃあ……新しいパイロットとか!?」
 「いくら何でも若すぎるんじゃ」
 「ショウたちに比べたらそうでもないよ」
 「いや、パイロットでもなくて」
 「じゃあ……」
 ジュナスがぽん、と手を叩き、
 「今週の給食当番」
 「……あなたがワタシをどんな風に見ているかは何となく分かったわ」
 少女は苦笑しつつ、
 「ワタシ、こういう者です」
 と、IDカードを取り出してみせた。シェルドとジュナスが顔をつき合わせてそれを見る。
 「ミリアム・エリンさん?」
 「MS開発部の?」
 「ええ。初めまして、ジュナス君、シェルド君」
 二人は驚いた。ミリアムは澄まして言う。
 「開発に協力してくれている人たちだもの、名前ぐらい知っておくのは当然の礼儀でしょう?」
 「すげぇなぁ、まだこんなに小さいのに」
 ミリアムの小柄な体を見て感心するジュナスに、
 「それと」
 と、ミリアムは幼げな顔に苦笑を浮かべて付け加えた。
 「ワタシ、あなたたちよりは年上だからね?」
 何度も同じ事を言ったことがあるらしく、実に澱みのない口調だった。

 ブリーフィングルームに集まった乗組員たちの前で、出向社員ミリアム・エリンは簡単に自己紹介した。多くの者達は興味津々に彼女を眺めるか、近くの仲間と内緒話をしている。話題は、
 「小さな子だねぇ。何だか頭撫でたくなってくるよ」
 「ふん……殴り甲斐はなさそうだな」
 「いや、殴っちゃダメでしょ隊長」
  と、大体彼女の背の小ささや童顔のことだったが、
 「MS開発部ってことは、新しいMSが来るんですかね?」
 「どうじゃろうな。ワシらにはお偉いさんの意向なんぞほとんど耳に入ってこんからのお」
 「またゲテモノが増えんのかよぉ。いじり甲斐がありそうだなぁ、アヒャハハハ」
 「新兵器。いい響きであります! これぞ整備兵の醍醐味ってやつでありますね!」
 などと、ミリアム自身よりも彼女が来艦した理由を気にしている者もいる。衆人環視の中、ミリアムは自分の仕事のことをすらすらと説明した。
 ミリアムがグランシャリオに出向してきた目的は、本社で製作が進められていた最新式のMSシミュレーターを完成させるためだという。
 説明を終えたミリアムが質問を促すと、まず真っ先に第一小隊のニキが手を挙げた。
 「何故わざわざ、この艦で製作を行うのですか?」
 「いえ、製作自体はもう九割がたは完了しているんです。でも、実際にMSを操縦している人たちの意見を聞いてみないと、本当に使い物になるかどうかは分かりませんから」
 「つまり、我々に試作品のテストを?」
 「簡単に言えばそうなりますね」
 ミリアムが頷くと、パイロットたちの間にかすかなざわめきが生まれた。
 「ねぇ隊長、シミュレーターって、あのおもちゃみたいなやつでしょ?」
 エルンストの隣に座っていたカチュアが首を傾げる。エルンストは頷いた。
 「そうだな。まあ、あれはかなり旧式だが」
 「ワタシもあれ一回やったことあるけどさぁ、本物と違いすぎて全然役に立たなそうだったじゃん」
 遠慮のない評価に、エルンストは苦笑した。
 「あれはMSが初めて開発された頃のやつだからな。その頃はMSのデータも少なかったから、本物とかなり違った感じになるのは仕方のないことなんだよ」
 「ええ、イェーガー隊長の仰る通りです」
 どうやら聞こえていたらしい。ミリアムが、微笑んで頷いた。
 「今は様々な環境下でMSを運用したデータが集まってきていますので、シミュレーターもかなり本物に近付いているはずですよ」
 「へぇ、凄いんだ」
 カチュアが素直に感心する。ミリアムも機嫌が良さそうだった。
 「筐体は本日の午後に搬入されますので、パイロットの皆さんは是非一度体験して、感想等をお聞かせ下さい」

 「新兵器じゃなくて残念でありますが」
 と、カチュアを並んで廊下を歩きながら、ミンミは感心したように唸った。彼女の小さな両手には、かなり分厚い書類の束が握られている。件のMSシミュレーターの仕様書という奴らしい。カチュアは呆れて、
 「ねぇ、そんなの読んでて面白いの?」
 「もちろんであります。なかなか興味深い技術が使われているでありますよ」
 書類の束を一枚捲りながら、ミンミが言う。夢中になっている横顔。カチュアは横から覗き込んでみた。文字と図式と数式の羅列。げんなりして舌を出す。
 「何が書いてあるのかサッパリ分かんないよぉ」
 「いやいや、かなり分かりやすく書いてあるでありますよこれは」
 「えー、そうなの?」
 「先ほどの説明もよくまとまっていましたし、あのお方は非常に優秀な女性であります」
 興奮気味にそう評しつつ、ミンミはまた紙面を捲る。正面に曲がり角が迫っているのに気付かずそのまま直進しかけたので、カチュアは慌てて進路方向を正してやった。
 「もぉ。ミンミってば機械とかのことになるといっつもこうなんだから」
 「もちろんであります。自分は機械油をミルクにして育ったようなもんでありますから」
 「死んじゃうってば」
 一応そう言ってから、カチュアはしばらく無言で歩き続けた。隣のミンミは、歩みを止めないまま、書類を読むのに没頭しており、時折感心した様子で「ほお」とか「ははあ」などと呟いていた。顔が情熱に輝いている。
 「何がそんなに面白いんだか」
 カチュアがつまらなそうにそう呟くと、ミンミは書類に目を落としたまま、
 「それではいけないでありますよ」
 「え?」
 「カッちゃんはせめて自機のスペックだけでも、もう少しでいいから把握するべきだと愚考するのであります」
 「えー、いいじゃん、ちゃんと動かせてるんだし」
 「己を知り敵を知れば百戦危うからずと、昔の偉い人も言っていたそうでありますよ」
 「うー」
 反論できずにカチュアが唸ると、ようやく読み終わったらしいミンミが満足げに書類の束を閉じた。
 「ううむ、これは凄い」
 「役に立ちそうなの?」
 「役に立つも何も、従来の物とは比べ物にならないほどの高性能でありますよ」
 「へぇ。じゃあさ、本物に乗ってるのとあんまり変わんないぐらいなの?」
 「それはどうでありましょうか?」
 と、ミンミはまだ幼さの抜けない顔に、難しそうな表情を浮かべた。
 「どれだけデータが充実していても、本物の機体というのは同じ型でも微妙に違いがあるでありますから」
 「え、そうなの? だって、ああいうのって同じ工場で作られてるんでしょ?」
 「それでも、全く同じという訳にはいかないであります。使っている内にその機体特有のクセみたいなものがついたりもするでありますし」
 「ふーん」
 知らなかったな、とカチュアは感心した。
 「ミンミって凄いなぁ。ワタシ、そういうの全然分かんないもん」
 「自分、赤ん坊の頃からこの世界にいるでありますから」
 少し照れてから、とは言え、と、ミンミはもう一度書類の束の表紙に目をやった。
 「それでも、このシミュレーターならかなり実戦に近い体験が出来るはずでありますよ」
 「じゃあ、役に立つんだね」
 「そうであります。自分もいつかこういうのを作ってみたいであります」
 憧れるようにそう言うミンミに、カチュアはふと尋ねた。
 「ねぇミンミ、ミンミも整備兵やってるからにはさ、やっぱりいつかはガンダムとか作りたい?」
 「ガンダム、でありますか? うーん……」
 少し悩むように首を傾げた後、ミンミは笑った。
 「作れるのなら作ってみたいでありますが、自分が一番作りたい物はMSではないであります」
 「え、そうなの?」
 カチュアが意外そうに驚いた。
 「いつもロボット見てカッコイイって言ってるから、てっきり」
 「いやお恥ずかしい。自分、ヒーロー好きでありますから」
 そう言って頭を掻いた後、ミンミは少し声の調子を落とした。
 「自分が一番作りたいのは、脱出装置であります」
 「え?」
 予想だにしない単語を聞いた、というように、カチュアが目をぱちぱちさせた。ミンミは続ける。
 「帰還率100%の脱出装置。これを作るのが自分の目標であります」
 「どうして?」
 「もちろん、パイロットの皆さんに無事で帰ってきてほしいからであります」
 そう言って、ミンミは笑う。カチュアは自信満々に胸を張って、
 「ふふん、そんなのなくたって、ワタシは落とされないもん!」
 「む。そうでありますか? でも、万が一ということもあるのであります。油断は大敵でありますよ」
 何故か、心配そうにそう言うミンミ。その表情を見て、
 (あ、何かさっき言ったのとは違う理由があるんだな)
 と、カチュアは何となく察した。だから、それ以上は追及せずに、
 「そうだね。うん、気をつけるよ」
 「まずは無事に帰ってくるのが一番でありますからね」
 ミンミの顔に笑いが戻った。

 カチュアとミンミは、居住ブロックの中心部に位置しているトレーニングセンターに入った。この部屋の隅っこで半ば埃を被っていた旧型のシミュレーターが撤去され、試作段階の新型が設置されているはずだった。
 その辺りに、大きな人だかりが出来ていた。二人は顔を見合わせ、人垣の端っこにいた整備班のライルにどうしたのかと尋ねた。ライルは苦笑する。
 新型のMSシミュレーターは予定よりも早く搬入されたらしい。既に、パイロットの数人は試用を終えたとのことだ。
 「それで、何故皆さんはシミュレーターを取り囲んでいるのでありますか?」
 「ひょっとして、誰かが壊しちゃったとか」
 「いや、壊してはいないんだけどね」
 困ったように、ライルが頭を掻く。その時、人だかりの向こうから
 「どういう意味ですか、それは!?」
 という叫びが聞こえてきた。聞き慣れない声。ミリアムだ。
 二人はするすると人だかりを抜け、人々の間から顔を出す。すると、新型のシミュレーターの前で第一小隊のラナロウとミリアムが向かい合っていた。
 「ゲッ、ラナロウだぁ……」
 カチュアは嫌そうに顔をしかめる。ミンミはきょとんとした。
 「ラナロウさんがどうかしたでありますか?」
 「あいつ嫌い」
 「どうしてでありますか?」
 「だってさぁ、乱暴じゃん。近付いただけでぶん殴られそうだし」
 「そうでありますか? 優しい人だと思うでありますが」
 「えぇー!? ありえない。絶対ありえないから」
 大袈裟に首を振るカチュア。ミンミが何かを言いかけたとき、再びミリアムが口を開いた。大勢の前で叫んだことを恥じるように、一つ咳払いをしてから、
 「もう一度言ってみてください。あなたが先ほど言ったこと、聞き流す訳にはいきません」
 キッとラナロウを見据えるミリアムに、彼の不機嫌そうな視線が返ってくる。
 「こんなガラクタ、クソの役にも立たねぇって言ったんだよ」
 ミリアムの頬がぴくりと動いた。
 「何が最新式のシミュレーターだよ。こんな物積み込んだって狭くなるだけだ。時間の無駄だったぜ」
 ミリアムの顔が紅潮した。
 「あのオカマ社長も大したことねぇな。こんな鉄屑に金かけるなんてよ」
 ミリアムが俯いて肩を振るわせ始めた。
 「ま、こんなん置いてたってその内スクラップにされるのがオチだ。せいぜいリサイクルの方法でも考えとくんだな」
 そう言ってラナロウは肩を竦めた。ミリアムの手の中で仕様書の束がぐしゃりと潰れる。ミリアムは眉を吊り上げてラナロウに詰め寄った。
 「いい加減にしなさいよ! こっちが黙って聞いてれば、随分好き勝手に言ってくれるじゃないの!?」
 顔が怒りで真っ赤になっている。近くにいたジュナスが「落ち着けって」と慌てて止めに入ったが、「黙ってなさい!」と一喝されてすごすご引き下がった。ミリアムは腰に両手を当てて、ラナロウを下から睨みつけた。
 「さっきの言葉、今すぐ撤回しなさい! これは私……いえ、開発チーム全体に対する侮辱だわ」
 ミリアムの怒り顔を見下ろし、ラナロウは嘲笑を浮かべる。
 「ハッ、笑わせんじゃねぇよ。侮辱だ? クソゲーをクソゲーって言っただけじゃねぇか」
 「……私たちが心血注いで作り上げたこのマシンを、こともあろうにゲーム……それもクソゲー呼ばわり!?」
 「おーおー、何度だって言ってやらぁ。クソゲーもクソゲー、ゲーセンにあったって誰もやらねぇよ!」
 ミンミがカチュアの袖を引いて、
 「カッちゃん、クソゲーって何でありますか?」
 「知らなくてもいいと思う」
 カチュアは迷わずそう答えた。乗組員が取り囲む中で、ラナロウとミリアムの口論はますます熱を帯びていく。
 「言ってくれるじゃない、私たちがこれを作り上げるのにどれだけ苦労したかもしらないで!」
 「ケッ、こんなポンコツ作るのに苦労してたんじゃ、ウチの開発部のレベルもたかが知れてるぜ!」
 「あーら、そういうあなただって、いかにも口ばっかりのヘボパイロットって感じじゃない!?」
 「あぁ!? テメエ誰に向かって言ってんだ!? 俺は第一小隊最強のラナロウ・シェイドだぞ!?」
 「やだ、本当にいるのね自称最強って。あなた井の中の蛙って言葉を知らないの?」
 「はぁ!? 訳分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ! 買わず!? 喧嘩ならいくらでも買ってやるよ!」
 「あらごめんなさい、あなたには難しすぎた? お山の大将の方がいい? それとも……ああ、猿山のボス猿なんてどう? やだ、ぴったりじゃない」
 「誰が猿だ!?」
 「あなたに決まってるじゃない。文字読める? 掛け算できる?」
 「バカにすんじゃねぇ! 出来ねぇのは割り算だ!」
 「うわ、バカ丸出しってこういうことを言うのね。生きてて恥ずかしくない?」
 「んだとこのチビ女!」
 「何よこの野蛮人!」
 お互いの鼻先がぶつかり合うほどの至近距離で、二人の視線がぶつかり合う。長身のラナロウと小柄なミリアムでは頭三個分ほどの身長差があるが、ミリアムは一歩も引こうとしない。
 「皆さん、何をしているのですか?」
 凛とした声が響く。人々が声の方を振り返ると、部屋の入り口から第一小隊長のニキが入ってきたところだった。
 「何か問題が?」
 ニキが問うと、人垣が二つに割れた。その先で睨み合う二人を見て、ニキが眉をひそめながらも歩み寄る。
 「エリンさん、何があったのですか?」
 「え? えっと」
 言いにくそうに、ミリアムがラナロウをチラチラと見る。ラナロウはそっぽを向いて「ケッ」と吐き捨てている。ニキは困ったように、
 「ラナロウが、何か?」
 「いえ、隊長さんに言うほどのことでは……」
 「こいつが持ってきたシミュレーターが役に立たねぇって言っただけだよ」
 遠慮がちに誤魔化そうとするミリアムの声に被せるように言って、ラナロウが肩を竦める。ニキはため息を吐いた。
 「……ラナロウ。そのような言い方は失礼ですよ」
 「ホントのことを言っただけだろうが」
 「仮にあなたがそう思っていたとしても、です。わざわざ気に障るような言い方をして波風を立てるのは感心できません」
 諭す言葉に、ラナロウは鼻を鳴らす。ニキは首を傾げた。
 「それで、あなたはどういった点が不満なのですか?」
 「あぁ?」
 「それは是非とも聞きたいわね」
 ミリアムが両腕を組んでラナロウを睨む。ラナロウは面倒くさそうに、
 「シミュレーターってのは実戦を体験できる玩具だろ?」
 「玩具という言い方はどうかと思いますが、実戦を体験できるというのは当たっていますね」
 「なら、やっぱこいつは出来が悪いな」
 と、ラナロウはMSシミュレーターの筐体をぽん、と叩く。
 「動かしたときの反動が甘いし、砂漠なんかで足をとられる感じもなってねぇ。宇宙空間はさっぱりしすぎてるしな。それに、敵の動きが馬鹿正直すぎる」
 「そうですか? 私も一度試用させていただきましたが、それほど違和感は感じませんでしたが……」
 ニキが振り向いて、他のパイロットたちに感想を聞く。全員、七割方は満足しているようだった。ラナロウは肩を竦める。
 「ま、お前らがそう言うんならそれでもいいけどよ。こんな物使ってうまくなったつもりでも、実戦じゃ通用しないと思うぜ、俺は」
 全員が黙り込む。ニキは少し考えてからミリアムに向き直り、
 「エリンさん、ラナロウの暴言にも全く根拠がないという訳ではないようですので、今回は見逃していただけませんか?」
 ミリアムは軽く思案していたが、やがてラナロウを見て、
 「一つ、聞いてもいいかしら?」
 「何だ」
 「気に入らない点を言えるのなら、最初からそう言ってくれればいいじゃない。何もポンコツだとかスクラップだとか言わなくても」
 「面倒くせぇだろ。それに、言ったところでこいつがこれ以上良くなるとも思えなかったしな」
 挑発的な物言い。ミリアムの瞳に静かな怒りが宿った。
 「つまり、あなたはこのシミュレーターに何の期待もしていないと。そういう訳ね?」
 「ああ。こんな物やってる暇があったらゲーセン行ってレーシングゲームでもやるぜ、俺は」
 「またゲームって……!」
 ミリアムが叫んだ。
 「屈辱だわ!」
 「ま、いいんじゃねぇの、こいつらはこれでいいって言ってるんだしよ。なぁ?」
 ラナロウの問いかけに、周りの人々が慌てて頷く。ラナロウは軽く屈み、気楽にミリアムの肩を叩く。
 「良かったな、お前の仕事も成功って訳だ。これからはこの船のパイロット連中がこれで訓練するだろうよ。ま、最も」
 ラナロウはミリアムに背を向け、
 「俺は使わねぇけどな」
 と、言い残して人垣の間から去ろうとした。ミリアムは俯いて全身を震わせていたが、ラナロウが入り口のドアを開けたときに勢い良く顔を上げ、
 「それなら、改良してやろうじゃないの!」
 ラナロウに指を突きつけた。人だかりがざわめく。ラナロウは肩越しにミリアムを振り返った。
 「こうもコケにされて引き下がったんじゃ、本社の皆に申し訳が立たないわ! 絶対にあなたが使いたくなるマシンを作ってみせる!」
 「あの、エリンさん。そんなことをしている時間は……」
 「最終的な期限まで、後二週間ぐらいはあります。それだけあれば十分です」
 ニキの言葉に、ミリアムは簡潔に答える。静かな口調だったが、その裏には隠しきれない怒気が潜んでいた。ラナロウは肩越しに振り返り、にやりと笑う。
 「へぇ、面白れぇじゃねぇか。やれるもんならやってみな」
 「ええ、お望みどおりリアルなシミュレーターを作ってあげるわ。後で吠え面かかないでよね」
 「へん、言ってろよ。んじゃ、俺は帰るぜ」
 ぷらぷらと手を振りながら、ラナロウが去っていく。スライド式のドアが閉まるのと同時に、人々は声を潜めて話し始めた。その中心で、ミリアムは少し申し訳なさそうに、
 「皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした」
 一礼。最初に答えたのは、近くにいたジュナスだった。
 「別に俺達はいいんだけど……ミリアムさん、ホントに大丈夫なの?」
 「割と勢いだけで言っちゃったように見えたんですけど……」
 付け足したシェルドの言葉に、ミリアムが困った顔で考え込む。
 「うわー、何かすっごいことになってきたねミンミ……ミンミ?」
 面白がって見物していたカチュアの隣で、ミンミは肩を震わせていた。
 「ミン」
 「感動したでありまぁぁぁぁぁっす!」
 甲高い叫び声が、部屋の空気を震わせた。全員が驚いた顔で声の方を見る。絶叫したままの姿勢で、ミンミが滝のような涙を流していた。
 「現状に満足せず、ひたすら高みを目指す技術者根性! 侮辱を決して許さぬ男の意地と意地のぶつかり合い! 自分は、自分はこういうのに憧れていたのであります!」
 「いや、私は女で」
 「ミリアムさん!」
 「はい!」
 ミリアムが反射的に姿勢を正す。駆け寄ったミンミがミリアムの手を取った。二人の体格は大体同じぐらいなので、絵的にもバランスがいい。
 「このミンミ・スミス、微力なれどもお力になるであります! 何なりとお申し付けくださればこれ幸い」
 「は、はあ、それはどうも……」
 ミリアムはその勢いに圧倒されていたようだったが、ミンミの言葉に少し思うところもあったようで、
 「……確かに、私一人の力では少し厳しいかもしれません」
 と、周囲の人々を見渡して、遠慮がちに
 「申し訳ありません。もしもお暇な方がいらっしゃいましたら、少しでいいですので協力していただけませんか?」
 「もちろんOKですとも!」
 と、真っ先に答えつつ、どこかからサエンがすっ飛んできた。
 「このサエン・コジマ、ミリアムさんのためなら例え火の中水の中、何ならベッドの中まででもお供いたしますとも!」
 「え、遠慮しておきます……」
 果てしなく嫌そうな顔で、ミリアムが首を横に振る。その反応を見てまたサエンが馬鹿笑いし始める。
 「……ホント、どういう状況なんだろ」
 カチュアはため息を吐いた。

 シスは無言で、自機であるBD一号機を見上げていた。
 MSデッキに人気はない。しんと静まり返った空気の中、シスの瞳だけが激しい葛藤に揺らいでいる。
 BD一号機の外見は、連合の旧主力機であるジムと大差ない。しかし、その性能はジムとは似ても似つかぬものだ。
 シスは少しの間目を瞑り、ふっと息を吐いて蒼い装甲に触れた。手に伝わる感触は冷たかった。
 「……私は人形」
 ぽつりと、シスは呟く。
 「ワタシは人形。感情を持たず、死を恐れず。ただひたすら戦うことだけを許された、戦闘人形……」
 左手を機体に、右手を胸に。その言葉は自分に言い聞かせるように。
 「そう。私は人形。だから、怖いことなんて、ない……だから、きっとできる……」
 シスの顔が苦しみに歪む。機体に触れている手が、小刻みに震えていた。
 「……怖い、の? どうして……」
 「何がですか?」
 突然横から聞こえてきた声に、シスは弾かれたように振り返る。見ると、ミリアムがきょとんとした顔で立っていた。
 「……ええと」
 「シス・ミットヴィルです。第三小隊の……」
 感情を抑えた声で言い、シスが一礼する。ミリアムも慌てて頭を下げた。
 「あ、ご丁寧にありがとう……私は」
 「ミリアム・エリンさん、でしたよね」
 「あら、もうご存知なのね。よろしくお願いします、シスちゃん」
 ミリアムが笑顔で右手を差し出してくる。ためらいがちに握り返しながら、シスはミリアムの顔を見て、
 「あの……」
 と、言いかけて口ごもった。ミリアムは一度首を傾げてから、
 「あ」
 と、気付いたように自分の頬に手を当て、照れたように笑った。
 「顔色良くないかしら?」
 シスは小さく頷く。ミリアムは苦笑混じりに、
 「やっぱり、お化粧で誤魔化すのにも限界があるわね」
 「……大丈夫ですか?」
 「ええ。ちょっと寝てないだけだから。ありがとう、心配してくれて」
 ミリアムが優しく微笑む。シスは少し赤くなって顔を伏せた。
 「ところで、何が怖いの?」
 シスは顔を硬くした。ミリアムが慌てて手を振る。
 「あ、ごめんね、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど」
 「いえ……」
 シスも慌てて首を振ったが、それ以降は口を噤んでしまう。そんなシスの様子を見て、ミリアムはぽん、と手を打って、
 「ああ、そっか。お化けね?」
 「は?」
 理解不能。シスが口を半開きにする。ミリアムは周囲を見回して
 「そうよね、今夜中で人もあんまりいないし……散歩してたら怖くなって帰れなくなっちゃったんでしょ? 違う?」
 「え……」
 シスはちらりと機体を見てから、
 「そんな、ところです」
 「やっぱりね。そういえば今日心霊特集やるって言ってたっけ。忙しくて録画も出来なかったわ。完璧に見逃しちゃったな」
 何と言っていいか分からず、シスは黙っていた。ミリアムは首を傾げながら、
 「技術者が幽霊信じてるなんて、おかしい?」
 「いえ……あの、それよりも、何か用事があったのでは?」
 「あ、そうそう。ちょっと整備班の人たちに道具を貸してもらおうと思ったんだけど」
 と、ミリアムは無人のMSデッキを見渡した。
 「誰もいないみたいね」
 「現在停泊中で、急ぎの仕事はないと聞いていますから……ミンミが手伝っていたのでは?」
 「張り切りすぎちゃったみたいでね。今シミュレーターの横で寝てるわ。起こすのも可愛そうだったから」
 ミリアムは再度周囲を見渡した。やはり、誰もいない。
 「まあ、いいわ。今すぐ使うって訳じゃないし」
 ミリアムは小さくため息を吐いて、
 「じゃ、帰りましょっか」
 「え?」
 「大丈夫大丈夫、部屋まで着いていってあげるから。ね?」
 「でも」
 「ああ、私のことならいいのよ。どうせこのあと、一旦部屋に帰ってデータまとめるつもりだったから」
 シスはミリアムの顔を見て、
 「少し、お休みになられた方がよろしいのでは?」
 「……ありがとう。でも、大丈夫よ。さ、行きましょう」
 ミリアムはシスの手を引いて歩き出す。シスは少しBD一号機を見てから、
 「はい」
 と答えて、歩き始めた。

 このように、ミリアムは期限である二週間の七割ほどを、ほとんど寝ずに過ごした。
 協力を申し出たミンミとサエン、その他パイロット達の協力もあり、MSシミュレーターの改良は遅々としたスピードながらも確実に進んでいた。
 事実、改良版を試用したジュナスやシェルド、エルンストやニキらは皆それが以前よりも進歩しているのを認めたのである。
 しかし。

 「もう、何なのよあの人!」
 叫びつつ、ミリアムがビールの缶を叩きつけるようにしてテーブルに置く。ご立腹である。傍で見ていたケイとネリィ、カチュアとミンミがそれぞれ顔を見合わせる。
 「こっちが毎日毎日寝ずに改良加えてるってのに、やれ射程距離が狂ってるだの弾道がおかしいだの! 挙句の果てにはシートの座り心地が悪い!? やってらんないわ!」
 言いつつ、一気に残りのビールをあおり、口元を袖で拭う。外見の問題もあって、端から見れば完全に未成年の飲酒である。
 「なんか、ワタシも飲んでいいかなーって気分になってくるんだけど」
 「ダメですわ。連合の法律ではカチュアはまだ未成年でしょう?」
 「うー」
 ネリィの警告に頬を膨らませ、カチュアが不満げにオレンジジュースに口をつける。
 四人は今、ミリアムの部屋に集まって談話中だった。
 出向社員であるミリアムにあてがわれた私室は、他の船員と大して変わりがない。グランシャリオは巨大宇宙戦艦だが、MSデッキや機関部が大部分の体積を占めているため、居住ブロックは大して広くないのだ。だから、広い部屋がないのも当然のこと。ミリアムは特に文句を言っていないが。
 「ま、あのバカは歯に布を着せないって点じゃあエリスとタメ張れるぐらいだからねぇ」
 どことなく居心地悪そうに、ケイが呟く。ミリアムの出身地の風習に合わせて、彼女らは地べたに直接座っている。それがどうにも落ち着かないらしい。
 「イライラする気持ちは、まあ分からないでもないやね」
 「そもそもあの無遠慮な男の要求に応えようという方が無茶なのですわ」
 場違いに上品なワイングラスを傾けながら、ネリィが酷評する。
 「意地になればなるほど調子に乗りますわよ、彼は」
 「そうでありますかねぇ」
 カチュアの横でオレンジジュースを飲みながら、ミンミが眉をひそめる。
 「ラナロウさんは少なくとも何が不満なのか、分かりやすい分、まだマシだと思うでありますが」
 「それは……確かにそうね」
 複雑な表情で、ミリアムが同意する。
 「何をどう直してほしいのか分からないときって、本社でもときどきあったもの」
 「へぇ、そういうのってあるんだ。例えば?」
 少し興味のある様子で、カチュアが聞く。答えたのはミリアムではなくミンミだった。
 「取り分け、カッちゃんの要求は分かりにくいであります」
 「え、ワタシ!?」
 ミンミは頷いて、
 「『もうちょっと、ここのところがドバーッと動くようにならない?』とか、『ここがチョイチョイッとバシッてなれば言うことなしなんだけど』とか、何がなんだか分からんでありますよ」
 「だって、それでも直してくれてるじゃん」
 「こっちにも技術者としての誇りがあるでありますから。お客様のご要望にお答えできないのは無能の証なのであります!」
 少し熱のこもった口調。分かる分かる、と言うように、ミリアムとネリィが頷いた。
 「誇りというのは人間が生きていくのに一番重要なものだと、私のお父様も仰っていましたわ」
 「そうよね。給料のためってだけじゃ、いい仕事は出来ないわ」
 「ま、今回はその情熱が仇になって苦労してるわけだけど」
 ビール缶片手にケイが茶々をいれる。そうしてから、感心した様子でミリアムを見て、
 「しかしまあ、知らないとは言えあんたも凄いよね」
 「え、何が?」
 きょとんとして、ミリアムが聞き返す。ケイはビールに口をつけながら、
 「あのラナロウに真正面から喧嘩売るなんてさ」
 「あー、そうそう。ワタシ見ててハラハラしちゃったもん。ミリアム殴られるんじゃないかって」
 カチュアも、どこかはしゃぐように頷く。ミリアムは目を白黒させながら、
 「え、あの人、そんな危険人物だったの?」
 「危険も何も。艦一番の問題児ですわ」
 ネリィの評価に、そうそう、とカチュアとケイが何度も頷く。
 「肩がぶつかって謝んなかっただけで相手半殺しにしたとか」
 「クレーンゲームに細工がしてあるってことが分かったとき、筐体を引っこ抜いて店主に投げつけたとか」
 「ストリートファイトで百人抜きしたあと、頭から血を流しながら『ガンダムだって殴ってみせらぁ。でもアッガイは勘弁な』とコメントしたというのは、こっちの世界では有名な伝説ですわね」
 「どっちの世界よ」
 と、一応言ってから、ミリアムは少し酔いが冷めたように、
 「そっかぁ。そんな危ない人だったのね」
 「ま、パイロットとしての腕は申し分ないんだけどね」
 ケイが苦笑する。
 「あいつが乗ってるギャプラン、加速が凄すぎてさ。他の奴には絶対乗れないって言われてるのさ」
 「え、そうなの?」
 「ああ。ラナロウの奴は身体が特別頑丈だからね。健康診断にきた医者が驚いて『君は本当に人間かね? 猿か何かの一種では』とか聞いて殴り飛ばされたぐらいだよ」
 「へぇ……何だ、ホントに凄いパイロットだったんだ」
 どことなく納得がいかないように、ミリアムが眉根を寄せる。カチュアがふと思いついたように
 「あ、だからかな、ラナロウがシミュレーター使えないって言ってるのって」
 「え?」
 「だってさ、そんな機体に乗ってるんだったら、戦闘も他の人とは違う風に感じるんじゃない?」
 「そうかもしれませんわね」
 ネリィも何かを思い出すように頷く。
 「単車で100kmオーバー出したあと、60kmぐらいだと凄く遅く感じますもの」
 「その例えもどうかと思うけどね」
 ケイが少し呆れて言う。そして、考え込んでいるミリアムを見て、
 「あいつの弁護する訳じゃないけどさ。出来る限りリアルなシミュレーター使いたいって理屈は分かるんだよ。パイロット連中はあれで慣れる訳だからさ。現実とちょっとでも違うと、実際乗ったときにそれが違和感になって、バカらしい失敗するかもしれないからね」
 「そして、戦場ではそれが死に繋がるでありますな」
 「そういうことさ」
 納得した様子で頷くミンミに、ケイがウインクする。それを横目に、ミリアムは考え込む。
 装置の改良自体は、ほぼ現時点での限界まで達していると、ミリアムは見ている。現場の人間であるダイスやライル、それにミンミの意見や、実際に実機を操っているパイロットたちの話を生で聞けたことが、開発にかなりいい影響を与えたのだ。
 だが、それでも足りないとラナロウは言う。
 「……つまり、後一つ、何かで補わなくちゃ……」
 「え、なに?」
 ミリアムの小さな呟きに、カチュアが首を傾げる。他の三人も、ミリアムの方を見た。四人の注目の中で、ミリアムはゆっくりと顔を上げ、
 「決めたわ」
 決意の表情だった。

 MSシミュレーター完成の期限が、残り三日に迫ったその日。
 自室を訪れたニキ小隊長に哨戒任務を命ぜられたラナロウは、ぶちぶちと文句を言いながら艦内の通路を歩いていた。
 「めんどくせぇな……大体、哨戒なんざ正規軍の仕事だろうが」
 「その通りですが、我々にも立場というものがありますからね。艦が整備中で動けない以上、そういった支援で点数を稼いでおかなければいけないのでしょう」
 「知らねぇよそんなの」
 ニキは普段着だが、ラナロウは既にパイロットスーツに着替えている。しかし、気だるげに欠伸をしながら歩く様子からは、覇気というものが感じられなかった。ニキはため息を吐いて、
 「あなたという人は戦闘以外ではやる気がまるでないですね」
 「当たり前だろ。その辺ぷらーっと見回って帰って来るなんざ、何が楽しいんだ」
 「ネリィさんなら喜びそうですが」
 「誰だそれ」
 「この艦の操舵担当の女性ですよ」
 「ああ、あのクルクルしてる奴か」
 「同僚の名前ぐらい覚えてください」
 「うるせぇな。隊長の名前は覚えてるよ」
 「当たり前です」
 ラナロウは欠伸混じりにヘルメットを放り投げてキャッチしながら、
 「あーあ、にしてもくだらねぇ仕事だ。こんなんならシミュレーターでもやってた方が面白ぇぜ」
 ニキが少し感心した様子で、
 「随分評価が良くなりましたね」
 「あ?」
 「最初は鉄屑とかスクラップとか、散々に言っていたでしょう?」
 「んな細けぇこと覚えてねぇよ。ま、退屈しのぎにゃなるが、やっぱ実戦にはほど遠いな」
 「それでも、良くなってきているとは思うのですね?」
 「まあな。あのチビも随分張り切ってるみたいだしよ。そういやあいつは何て名前だったっけ?」
 「ミリアム・エリンさんですよ。出向社員の」
 「ふーん……ミリアム、ミリアム、ミリアム……」
 何度かその名前を舌で転がして、ラナロウは顔をしかめる。
 「言いにくい名前だ」
 「失礼ですよ」
 「しっかし、あいつも面白ぇー奴だよな」
 おかしくてたまらないと言うように、ラナロウは含み笑いをもらす。
 「ちょこっと改良する度に俺の部屋に来てよ、今度こそ満足させてやるからやってみろって胸張ってよ」
 「あなたが満足する出来に持っていくのが目標だそうですからね」
 「でも、やっぱまだまだなんだよな。そう言ってやれば、いちいち顔真っ赤にして地団駄踏んでよ」
 「真面目な方のようですからね」
 「ガキなんだよ。んで体だけじゃなくて頭もガキだなって言ってやったらスパナ投げつけてきやがって」
 ニキは珍しく、目を丸くして驚いた。
 「大丈夫だったんですか?」
 「あんなチビが投げたスパナに俺が当たるかっての。ちゃんと受け止めて」
 「いえ、そうではなくて。あなたですよ。仕返しにミリアムさんに暴力を振るったり」
 「俺が? 何で?」
 ラナロウは本気で訳が分からない表情だ。
 「そんなことをされて、あなたが怒らないなんて」
 「ガキのやることだろ? あいついちいちムキになるからよ、からかうと結構面白ぇんだよな」
 そう言いながら、悪がきのような笑顔を見せるラナロウ。ニキは小声で、
 「人のことは言えないでしょうに」
 「ん?」
 「いえ。しかし……」
 ニキは感心した様子で頷きながら、
 「あなたも丸くなったものですね……」
 しみじみと呟いた。ラナロウは不可解そうに眉をひそめながら歩いていく。そして、余所見をしていたせいで曲がり角から出てきたイワンと思い切り衝突した。
 「いってぇ……」
 「おぉ……頭と頭がゴッツンコー、エンドラ副官ゴットンゴー……」
 意味不明なことを呟きながら頭を押さえているイワンの胸倉を、ラナロウがつかみあげる。最高に不機嫌な顔だ。
 「おうコラどこに目ぇつけてんだジジイ!?」
 「や、止めろぉ! ワ、ワシは弱いんだぞぉ!」
 「うるせぇ! 一発殴らせろコラァ!」
 「ひぃぃぃぃ!」
 じたばたとラナロウの手を振りほどき、わたわたと逃げていくイワン目掛けて、ラナロウもまた勢い良く駆け出していく。
 止める間もなくそれを見ていたニキは、
 「……やはり、あまり変わっていませんか?」
 と、首を傾げながら二人の後を追って走り始めた。

 「クソ、あのジジイ逃げ足だけは速ぇぜ……」
 「またそんなことを……イワン少佐が気さくな方だからいいようなものなんですよ」
 「何が気さくだよ、あんなショボジジイ」
 悪態を吐きながらデッキの入り口へ続く角を曲がりかけたラナロウが、不意に立ち止まった。
 「どうしたのですか?」
 ニキが問うが、ラナロウは答えない。珍しくぽかんと口を開けている。その視線を追って首をめぐらしたニキもまた、目を丸くすることになった。
 「遅かったわね」
 パイロットスーツ姿のミリアムが、デッキの入り口の扉を背に仁王立ちしていた。
 「ミリアムさん、そのご格好は」
 「ご安心ください、艦長に許可は頂いていますから」
 硬い声で、ミリアムが返す。
 「ということは……」
 「ええ」
 と、ミリアムは頷き、ラナロウに目を向け、
 「あなたのギャプランに同乗させてもらいたいの」
 「……何考えてんだよ」
 ラナロウは呆れた様子でミリアムに歩み寄り、
 「大体お前、パイロットでもねぇのに……」
 と、ふと何かに気付いた様子でミリアムの体をまじまじと注視した。珍獣でも見る目つきである。
 「……な、なに?」
 少し顔を赤くして、ミリアムがまっ平らな胸の辺りを手で隠す。しかしラナロウはその部分には特に興味がない様子で、
 「そんなちっけぇパイロットスーツあったんだな」
 ミリアムが無言でラナロウのすねを蹴り飛ばした。

 「そりゃ確かに大人用のパイロットスーツは全部サイズが大きかったから、カチュアちゃんの借りましたけどね、だからってあんな言い方ないと思いません?」
 眉を吊り上げて文句を垂れるミリアムに、ニキは苦笑いを返したが、ふと心配そうな顔で、
 「ミリアムさん、本当にギャプランに乗るおつもりなんですか?」
 「……ええ」
 緊張した面持ちで、ミリアムが頷く。視線が上に向く。二人は今、ギャプランの足元にいた。ラナロウはコックピットで整備員と共に最終調整の最中で、
 「いいかクソガキ、今度壊してきたら承知せんからな!」
 「うるせぇハゲジジイ! 俺みたいなエースパイロットの機体弄らせてもらってんだ、ありがたく思え!」
 言い争う声がここまで聞こえてくる。ミリアムは顔を曇らせた。
 「今度壊してきたらって……」
 「被弾率と撃墜数が比例していますからね、ラナロウは」
 ニキの冷静な評価に、ミリアムの顔がさらに硬くなった。ニキは慌てて、
 「いえ、でも今回は哨戒任務ですから」
 「大丈夫です。私だって、シミュレーターでいくらかは」
 答える声は緊張に上ずっている。ニキはやはり心配そうな顔ながらも、ふと気になったように、
 「それで、何故ギャプランに乗ろうと?」
 「……自分でも子供っぽいとは思うんですけどね」
 と、前置きして、ミリアムは照れくさそうに、
 「何か、何回改良してもあの人が満足してくれないのが悔しくて。それなら、あの人の乗り方が実際どんなもののか分かればちょっとはって……」
 「そういうことですか」
 ニキは柔らかく微笑んだ。
 「素晴らしい情熱ですね……正直、羨ましく思います」
 「そんな……いつも空回りしてるって言われるぐらいで」
 ミリアムが苦笑混じりに言ったとき、降りてきたラナロウが、
 「準備は終わった。本気で乗るのかよ?」
 「もちろん。なに、心配してくれてるの?」
 「いや、コックピットをゲロで汚されちゃたまんねぇからな」
 ラナロウが肩を竦めた。ミリアムは頬をひくつかせる。ニキがフォローするように、
 「失礼ですよラナロウ。それに、宇宙でそんなことになったら汚れる前に溺れます」
 「ニキさん、フォローになってません」
 ミリアムは言い、ラナロウを睨み上げる。
 「悪いけど、これでも昔剣道習ってたの。そんなことぐらいで音は上げないわ」
 「そうかい。ま、口じゃ何とでも言えるもんなぁ。どうなったって知らねぇぜ、俺は」
 「何度も言わせないでちょうだい。望むところよ」
 ラナロウは、挑戦的に腕を組むミリアムをうさんくさげな目で見ていたが、その内諦めたようにかぶりを振り、
 「ま、いいさ。上がってこいよ」
 と言い捨てて、コックピットに向かっていった。ミリアムもそれを追って地を蹴る。
 「頑張ってください、ミリアムさん」
 ニキの応援に、ミリアムは軽く手を振って答えた。

 「で、お前ギャプランのことどんぐらい知ってんだ?」
 既にシートに収まったラナロウが、試すように訊いてくる。ミリアムはコックピット内を見回しながら、
 「加速と機動性を重視した機体だって。特にMAモードの最高速は、常人には耐えられないぐらいの負担をパイロットにかけるとか」
 「だろうな。だから俺がパイロットに選ばれてる訳だ」
 少し気分良さそうに、ラナロウが口元を緩める。
 「しっかし、そこまで分かってて何だってこいつに乗りたがるんだ?」
 「実際体験してみないと分からないことだってあるわ。あなたにとってMSに乗るっていうのがどういうことなのか、確かめさせてもらいたいの」
 ラナロウは首を傾げる。ふと、ミリアムが、
 「ねえ」
 「何だ?」
 「このコックピット、どう見ても一人分のシートしかないんだけど」
 「そりゃ単座式だからな……っつーか、んなことも分からず同乗するとか言ってたのか?」
 「だって、艦長に許可をもらおうとしたときは何も言われなかったから、てっきりスペースがあるものだと」
 「なに考えてんだあの女」
 うんざりしたように首を振ってから、ラナロウはミリアムの体を観察し始めた。いやらしい視線ではない。しかし、ミリアムは反射的に腕で体を隠す。
 「……今度は何よ?」
 「……これなら大丈夫そうだな」
 「何が?」
 ヘルメットの中で疑問符を浮かべるミリアムに、
 「いい手を思いついたのさ」
 と、ラナロウが指を立ててみせた。

 「しっかし、大丈夫かねぇミリアム」
 待機中のため暇だ暇だと愚痴っていたケイが、思い出したように言った。同じくシートに座って髪の手入れをしていたネリィがため息を吐く。
 「まさか、本当に許可が下りるとは思いませんでしたわ」
 「艦長も何考えてんだかなー」
 「まあ、本当に二人が同乗して出撃するということはありえませんけど」
 「え、何で?」
 きょとんとするケイに、ネリィは「いいですか」と
 「ギャプランのコックピットは言うまでもなく単座式で、他に人が乗れるところなんてありませんわ」
 「そうだね」
 「と言って、ベルトもなしに立っていたら」
 「そりゃ、急加速したときに凄いことに……ああ、そういうことか」
 納得したように、ケイがぽんと手を打った。ネリィが満足げに微笑む。
 「ラナロウがいかにお猿でも、そのぐらいは気付くはずですから」
 「いや、あいつなら気付かない可能性もあるよ」
 「それなら、出撃前に止めればいいんですわ」
 「ま、そうだね……っと、通信だ。噂のお猿さんからだよ」
 ケイがコンソールを操り始め、ネリィは再び髪の手入れを再開した。
 「ラナロウ、悪いけど出撃許可は」
 ケイの声が、途中で不自然に途切れた。見ると、口を半開きにしたまま固まっていた。
 「? どうしたんですの?」
 ネリィも顔を上げる。そして、スクリーンに映っている物を見て凍りついた。
 「何だお前ら、アホ面して」
 スクリーンには、ギャプランのコックピットが映し出されている。シートに座ったラナロウは、固まったままのケイとネリィを見て不思議そうな顔をしていた。ミリアムは無言だった。
 「あんた……」
 ケイが頭を抱え、
 「ふしだらですわ……!」
 ネリィが赤い顔で呻く。しかし、一番顔が赤いのはミリアムだった。
 「男女がそんな風に身を寄せ合うだなんて……! お二人は恋人同士でもございませんのに!」
 ネリィの声は震えていた。ミリアムの小さな体は、ベルトでシートに固定されている。シートにはラナロウも座っているから、二人は蟻も這い出せないほどに密着した状態なのだ。ミリアムは体を硬くしたまま身じろぎ一つしない。
 「ラナロウ! 何のつもりだいアンタ!?」
 「は? 何が?」
 ラナロウは本気で分からない風だ。ネリィがコンソールに手を突いて勢い良く立ち上がり、
 「に、任務にかこつけてそんな卑猥なことをなさるなんて……!」
 「何の話だよ?」
 「何の話って……」
 ネリィが絶句する。ミリアムとべったり体をくっつけているラナロウの顔からは、いやらしい感情が微塵にも感じられない。ケイが「参った」と言わんばかりに顔をしかめた。
 「ホント、そういうのには全然興味ないのな、あんたって」
 「あぁ?」
 「ど、どうでもいいから早くハッチを開けて!」
 耐え切れなくなったように、ミリアムが赤い顔で叫ぶ。ケイとネリィは顔を見合わせた。

 ニキは艦の廊下の窓越しに、宇宙港の出口から直接外に出て行くギャプランの機影を見送っていた。
 「うわー、ホントに行っちゃったんだー」
 「大丈夫でありますかねぇ」
 いつの間にか、隣にカチュアとミンミが立っていた。ニキは訊いた。
 「ミリアムさんがギャプランに乗ること、知っていたのですか?」
 「うん。昨日言い出したんだよ」
 「大人の方はお酒を飲むといい加減になるでありますから、てっきり冗談かと思ったのでありますが」
 ミンミが眉間に皺を寄せる。ニキは少し驚いて、
 「ミンミ、あなたは酒の席にも付き合わされるのですか?」
 「自分がいても何も言われないでありますよ。お酒を飲むと皆さん口が軽くなるでありますから、いろいろなことを聞くのにはいい機会なのであります」
 でも、とミンミは顔を曇らせた。
 「あまりいいことばかりでもないのであります。皆さん酔うと人が変わるでありますから」
 「え、なに? どうなるの?」
 カチュアが興味津々に訊く。
 「ライルさんは他人にやたらと物をあげたがるでありますし、ダイスさんは大声で歌った後に大の字で寝てしまうのであります」
 「うわー、すごいねぇ。あ、ニキ隊長はどうなるの?」
 「私、ですか?」
 ニキは痛いところを突かれたらしく、微妙に引きつった苦笑いを浮かべ、
 「出来ることなら、あまり話したくないのですが」
 「えー。どうなるの?」
 「いえ、人に話せることでは……申し訳ありません」
 ニキは深く頭を下げる。カチュアは慌てて、
 「あ、ううん。いいよいいよ。ホントは聞きたいけど」
 言ったあと、悪戯を思いついたときのように笑い、
 「それよりもさ、エルンスト隊長なんかどうなるのかな?」
 「エルンスト……ですか?」
 ニキは小さく首を傾げ、
 「彼は酒に強そうな印象がありますが……」
 「そうかなぁ。結構弱いんじゃない? 何かさ、酔ったら騒ぎながら服脱ぎだしそうな感じ」
 「コラコラ、勝手に人の評判を落とすんじゃない」
 苦笑しながら、エルンストが歩いてきた。「あ、隊長だ」とカチュアが手を振る。
 「今ねぇ、皆が酔っ払ったらどうなるかって話してたんだよ」
 「おいニキ、何でそんな話になってるんだ?」
 「それは……ええと、何故でしょう?」
 ニキが首を傾げる。ミンミが、
 「ミリアムさんが……」
 「ああ、そうでした」
 一つ頷き、ニキはエルンストに事情を説明した。エルンストは呆れたように、
 「根性のありそうな姉ちゃんだとは思ってたが……そこまでやるか普通?」
 「あら、あんな風に情熱に溢れている方は滅多にいませんよ」
 「すっごい頑張ってるよね。目の下に隈まで作ってさー」
 「技術者として見習いたい方であります」
 三人とも高評価。エルンストは降参するように両手を上げた。
 「ま、確かに気合入ってるとは思うけどよ。しっかし、ギャプランだもんな……無事に帰ってこれるもんだか」
 「へぇ、ラナロウが乗ってる機体ってそんなに凄いんだ」
 感嘆するカチュアに、エルンストが意地悪く笑う。
 「ま、お前が乗ったら小便漏らすな、間違いなく」
 「うー!」
 眉を吊り上げるカチュアが怒鳴る前に、ニキが厳しい顔つきで腕を組んだ。
 「エルンスト、今の発言は非常に失礼です。ましてやカチュアは女の子なのですよ?」
 「え」
 「ここでは小隊長のあなたが保護者のようなものなのですから、もっとちゃんとしてくれなければ困ります」
 「いや」
 「あなたの発言でカチュアの心が深く傷つき、健やかな成長が妨げられてしまったらどう責任を取るおつもりなのですか?」
 「あのな」
 「大体、あなたはいい加減すぎます。カチュアが今どれだけ難しい年頃にさしかかっているか、きちんと理解しているのですか?」
 「俺の話を」
 「どうなのですか?」
 「……す、すんません」
 エルンストが後頭部を手で掻きつつへこへこと頭を下げる。ニキは、
 「謝ればいいという問題ではありません。十代は最も多感な時期なのですから……」
 追い討ちをかけた。エルンストは「悪かった、悪かったって!」と平謝りするばかり。カチュアが
 「やーい、怒られてやんのー!」
 と、ニキの背後から囃し立てた。ミンミは、
 「うむ、酒と喧嘩は艦の花でありますな」
 満足げに頷いていた。

 「さーて、そんじゃ、お仕事と行きますかね」
 MS形態のギャプランを操りつつ、ラナロウがやる気なさげに言った。ギャプランは既に宇宙空間を移動中だ。指示された範囲を見回って、再びグランシャリオが停泊しているコロニーの宇宙港に戻る予定である。
 「あーあ、やっぱめんどくせぇ。こんなつまんねぇ仕事他の奴にやらせろってんだ」
 答える声はない。ラナロウは不機嫌そうに胸元を見下ろした。ラナロウと密着させるように体を固定されたミリアムは、身動き一つとっていない。
 「おい」
 返事はない。ラナロウはイライラしながら、ミリアムのヘルメットを小突く。
 「シカトしてんじゃねぇよ。折角乗せてやったってのによ」
 「この状態でまともに話せる訳ないでしょう!?」
 混乱と困惑といくらかの恐怖が混じった涙声で、ミリアムが怒鳴り返した。ラナロウは理解できない風に、
 「喋ってんじゃねぇか」
 「そういう意味じゃないわよ!」
 「じゃあどういう意味なんだよ?」
 「私の口からそれを言わせるつもり!?」
 「そう言ってんだろ。早く教えろよ」
 「セクハラ!? これってセクハラ!? 立場を利用した性的嫌がらせ!?」
 「何だそれ」
 「ああ、こんなこと父さんとだってしたことないのに」
 「そりゃそうだろ」
 「い、いい!? 今は事情が事情だからこんなことしてるけど、私にはそういうつもりは一切ありませんからね!」
 「はぁ?」
 「ふ、二人っきりだからって変なことしたら訴えるわよ!」
 「変なことって何だ?」
 本気で分からない風に、ラナロウが首を傾げる。いっそ無垢と言っていいほどの表情だ。ミリアムは言葉に詰まりながら、
 「ほ、本気で何とも思ってない訳?」
 「あ?」
 「それともなに」
 と、今度は泣きそうな顔で、
 「私ってそんなに魅力ないの?」
 「ん?」
 「こんなにべったり男の人とくっついてるのに、全然そういう気を起こされないなんて」
 「何だって?」
 「そりゃちょっぴり人より背が低くて童顔で胸も小さいとは思うけど。よく嫌みったらしく『あんたって経済的よねブラいらずだから』とか言われるけど」
 「……おーい」
 「だからって、これはあんまりじゃない!? そりゃ襲われるよりはマシかもしれないけど!」
 やたらと悲壮に叫ぶミリアム。ラナロウは迷惑半分理解不能半分に顔をしかめた。
 「何かよく分かんねぇけど、要するに乗ってるのが嫌になったのか?」
 「そ、そういう訳じゃ」
 いくらか落ち着きを取り戻したらしい。ミリアムは諦めたようにため息を吐き、改めて周囲を見回し始めた。全天周囲モニターに機体外部の映像が映っているため、シートに収まった二人の体は宇宙に浮かんでいるようにも見える。機体の操作を続けながら、ラナロウが訊ねる。
 「お前、MSに乗るのは初めてかよ?」
 「私だって一応MS開発チームよ? 初めての訳ないでしょ。一応免許は持ってるわ」
 ミリアムはため息混じりにそう言い、
 「実際に乗ったことはあんまりないけどね」
 「何でだ?」
 「本社には専属のテストパイロットがいるから。私の同僚にだって、MSに頻繁に乗る人なんていなかったわよ」
 「ふーん」
 何となく納得のいかない様子で、ラナロウが首を傾げた。
 「それで何であんなシミュレーター作れるんだ?」
 「データさえあればできるわよ。テストは他の人にやってもらえばいい訳だし」
 だけど、とミリアムは顔を曇らせた。
 「そんな考えだから、あなたを満足させられるシミュレーターが作れなかったのかもね」
 「あ?」
 「あなただけよ、あんなに文句つけてきたの。他の艦や支社に試作品持って行った仲間だって、概ねいい評価を得られたって話よ」
 「……」
 「まったく、あなたが噛み付いてこなければ、私だってこんな苦労せずに済んだのに……」
 少し愚痴っぽい呟きを、ラナロウは無言で聞いていたが、不意に、
 「あー、そういうことか!」
 「な、なによ突然」
 「何だお前、それでいきなり乗りたいとか言い出したのか!」
 「……え? なに、ちょっと待って」
 ミリアムは眉間に皺を寄せて考え込み、
 「……ひょっとしてあなた、何で私がここにいるのかとか、分かってなかったの?」
 「おう」
 ラナロウが大きく首を縦に振った。ミリアムは一瞬怒鳴りかけて、止めた。深く深く嘆息し、
 「……何で私ってこう一人で空回りしてばっかりなのかしら……」
 「なんだって?」
 「なんでもない。……そういうことだから、このギャプランの性能、見せてもらえると嬉しいんだけど」
 「さーて、どうすっかなぁ?」
 操作の手は休めず、ラナロウは意地悪く笑う。ミリアムは眉尻を吊り上げ、
 「ちょっと、ここまで来てそれはないでしょ」
 「だってなぁ、俺はお前がそういうつもりだって知らなかったしよぉ。敵同士なんだろ、俺とお前」
 「う……」
 散々張り合ってきた手前、今更違うという訳にもいかず、ミリアムは言葉に詰まる。ラナロウはまた愉快そうに笑い、
 「ま、別にいいけどな。その代わり、この仕事終わったらぜってぇ面白ぇシミュレーター作れよお前」
 「あなたに言われなくたってそのつもり。望むところだわ」
 「ヘッ、相変わらず口だけは達者じゃねぇか」
 「あなたこそ、遠吠えする準備でもしておくのね」
 きつく縛り付けられた体勢のまま、二人は至近距離でヘルメット越しに視線をぶつからせる。見た目に反して色気もへったくれもない。しかし、最初の頃に比べれば二人の瞳からはいくらか敵意が和らいでいるようだった。
 ラナロウはにやりと笑いながら、ギャプランの変形機構を起動させる。MS形態で低速飛行を続けていた機体が、瞬時にMA形態へと形を変える。
 「んじゃ、こっからギャプランの最高速を出すぜ。ビビッて小便漏らすなよ」
 「ホンットに下品ねあなたって。余計なことは言わなくていいからさっさとやってちょうだい」
 「ヘッ、偉そうに。ま、せいぜいしっかりしがみついとくんだな」
 挑戦的な口調。ミリアムは顔を赤くして、
 「これ以上どうしがみつけっていうのよ!」
 「さーて、行くぜぇ!」
 ミリアムの叫びには答えず、ラナロウは遠慮なしにペダルを踏み込んだ。変形を終えたギャプランが、後部のスラスター・ノズルから勢い良く焔を吹き出す。急加速。凄まじい衝撃が二人の体に襲い掛かる。
 「ひっ」
 ミリアムは思わず引きつった悲鳴をもらし、ラナロウの予告どおり彼の体にしがみつくこととなった。恐ろしい速度で周囲の風景が後ろに吹っ飛んでいく。
 「ちょ、ぶつかっ、あぶなっ、隕石がぁっ!」
 「ヒャッホーゥッ!」
 「し、死んじゃうってばぁぁぁぁっ!」
 ミリアムの絶叫など気にも留めず、ラナロウは上機嫌で機体を加速させる。ギャプランは曲芸のように障害物を避けながら、漆黒の宇宙に軌跡を描いて飛んでいった。

 「いいですか。子供の性格や情動の形成に、周囲の大人たちの存在が非常に重要であることは、多くの学者が提出した統計学的なデータによって証明されているのです。それを何なのですかあなたは。一時的であるにせよ保護者であるという自覚があるのですか?」
 ニキの説教はエルンストの反論を全く許さないまま、かれこれ十分ほども続いていた。カチュアは「ざまあみろ」と言わんばかりにクスクス笑っているし、ミンミも何やらうんうんと満足げに頷いている。
 「おいコラカチュア、お前子供扱いされてるぞ! いっつもみたいに文句言え!」
 「えー? 何のことー? ワタシ子供だからわっかんなぁい」
 「この野郎お前都合のいいときだけ」
 「エルンスト」
 「はい!」
 教師に叱られる悪童のように、エルンストは反射的に背筋を伸ばす。
 「あなたはカチュアの将来について真剣に考えているのですか? ただでさえこんなところにいるせいで、通常の教育システムからは切り離されているというのに」
 一切の妥協を許さぬ姿勢。エルンストはさすがにたまらなくなり、
 「そ、そんなことより、あの二人は大丈夫なのか?」
 「あ、逃げた」
 「敵前逃亡は銃殺でありますな」
 カチュアとミンミが横から茶化す。ニキはまだ厳しい目つきだったが、そろそろ勘弁してやろうと思ったのか、
 「心配せずとも、今回の仕事はあくまで哨戒。要するにパトロールの代行なのですから、大丈夫でしょう」
 「まあ、そうか」
 ニキの説教から逃げられて、エルンストはほっと息を吐く。しかし、
 「そう、かなぁ……?」
 不意に、カチュアが少し不安げに顔を曇らせた。エルンストはぴくりと片眉を上げ、
 「どうした、カチュア?」
 「うーん……何となく、だけどさ」
 カチュアは首を傾げ、
 「嫌な感じがするんだよね」
 自分でもよく分からないらしく、珍しく歯切れが悪い。だがエルンストは真剣な表情で、
 「嫌な感じって、どんなだ?」
 「え? でも、気のせいかも」
 「いいから、言ってみろ」
 「う、うん」
 エルンストの静かな口調に押されてか、カチュアは意識を集中するかのように、ぎゅっと目を閉じて眉間に皺を寄せた。
 「……うん……やっぱり、何かざらざらした感じがする……」
 「デスアーミー、か?」
 半ば確認めいたエルンストの物言いに、ニキが鋭く目を細め、ミンミが目を丸くする。カチュアは小さく首を傾げ、
 「そこまではっきりとは分かんないけど……でも、凄く嫌なものを感じるの」
 「よし、分かった。ありがとよ」
 エルンストはカチュアの頭をぽんと叩き、緊張した顔つきでニキに向き直った。
 「ニキ、パイロット連中に集合かけて、全員の機体を起動させておいてくれ。俺は今すぐEz−8で出る」
 その申し出を予想していたように、ニキはすぐさま、
 「エルンスト、あなたの言っていることには根拠が」
 反論しかけたが、
 「何も聞かずに言うとおりに。頼む」
 エルンストの強い瞳に見据えられ、ニキは少し迷う素振りを見せたものの、結局は首を縦に振った。
 「分かりました。足の速い機体にはすぐ後を追わせましょうか?」
 「そうしてくれると助かる。じゃ、俺は行くぜ。カチュアもバギ・ドーガを起こしとけよ」
 「う、うん」
 カチュアの返事を待たずに、エルンストはMSデッキに向かって駆け出している。その背中が曲がり角に消えるのを待たずに、ニキが
 「さあ、それでは行きましょうか。ミンミもデッキに行くのでしょう?」
 「はっ」
 「私はブリッジに連絡を入れてからいきますから、あなたたちは……カチュア?」
 指示を出しかけたニキの声が、カチュアの様子を見て止まった。カチュアは壁に寄りかかり、頭を押さえていた。幼い顔に苦しげな表情が浮かんでいる。
 「どうしたでありますか、カッちゃん?」
 「う、うん……ごめん、何でもない……」
 ミンミの呼びかけに答えて、カチュアが薄ら目を開く。言葉とは裏腹に、その口調は沈んでいた。「どうしたのですか」とニキが訊くと、カチュアは自信なさげに視線をさ迷わせながら、
 「声が、聞こえた気がしたの」
 「声?」
 ニキとミンミの声が重なる。カチュアは頷きながら、
 「苦しそうな、悲しそうな声。どこかで聞いたことがある気がするんだけど、誰の声だか分かんないの」
 「その声は、何と?」
 「誰かを、探してるの。どこだ、お前はどこにいるんだ、って」

 「ま、待った……」
 「十五回目だぞ」
 苦しげに呻くエターナに、ブラッドが呆れた様子で返す。二人は今、エターナの私室でチェス板を挟んで向かい合っているところであった。エターナが難しい顔で腕を組んでいるのに対して、ブラッドは文庫サイズの本を読みながらチェスを指していた。
 「何でそんなに強いんですかあなた」
 慎重な手つきで駒を動かしながら、エターナが抗議する。間髪いれずに、ブラッドが指し返した。
 「キサマが弱すぎるだけだ」
 きっぱりとした言葉。しかし、エターナは反論する余裕もない様子で、ひたすら板を睨んでいる。
 「お、おかしいですね……ええと、ここがこうなってああなるから、こうなるはずだったんですけど」
 ぶつぶつと呟きながら、板の上空で指先を動かすエターナ。ブラッドは呆れた様子で嘆息しながら、
 「またやり直すか?」
 「いいえ。まだまだ、勝負はこれからです」
 「私はキサマがどんな手で対応してこようが、五手以内に再び窮地に追い込んでやれる自信があるが」
 「またそんな自信過剰な……それなら、ここなんかどうです!?」
 「チェック・メイト」
 「うぇっ!?」
 目をまん丸に見開いたエターナは、手の平を突き出しながら、
 「待った!」
 「十六回目……」
 ブラッドはあからさまに白けた顔をしながら、駒を元に戻す。
 「部屋に来た途端にチェスをやろうなどと言うから、余程の腕なのかと思えば……」
 「くぅ」
 反論できずに歯噛みしながら、エターナはまたうんうんと唸り始めた。
 「単に前に言い負かされっぱなしで悔しかっただけか。つまらん」
 「い、言わせておけば……ここからが本当の勝負です!」
 言いつつ、エターナは勢い良く駒を進める。ブラッドは黙って対応して、
 「そういえば、例のゴーストガンダムだがな」
 次の手を考えていたエターナの目が、少し細くなった。
 「何か分かったのですか?」
 「まあ、な。あれに乗っているのは強化人間だそうだ」
 「何故?」
 「連合の……ルナ・シーンだったか。奴の小隊が部隊行動中にゴーストガンダムと遭遇したそうだ。本物のNTが言うことだ、まず間違いはあるまい」
 「と、なると……」
 駒を摘み上げながら、エターナがブラッドと目を合わせ、
 「サイコミュ兵器搭載のガンダム、と?」
 「さて、な。何しろ、今まで連合軍とゴーストガンダムの間には交戦記録が無い。詳しくは不明だが、一つだけはっきりしていることが」
 「何です?」
 「ゴーストガンダムは木星軍の兵器だ」
 駒を持つエターナの手が、空中で一瞬静止した。エターナはため息を吐きながら駒を下ろし、
 「間違いはありませんか?」
 「記録された映像を解析したところ、機体の随所に木星圏製MSの特徴が認められたそうだ」
 「型式などは?」
 「MRX-009。私が調べたところによると、サイコガンダムという名称だそうだ」
 「サイコガンダム……」
 どこか忌諱するように、エターナがその名を口の中で繰り返す。ブラッドはそれを見ながら駒を動かし、
 「チェック・メイト」
 「えぇ!?」
 エターナが身を乗り出して板上を見下ろす。絶望的戦況。
 「ま、待った……」
 「十七回目……」
 心底呆れたと言わんばかりに、ブラッドが嘆息する。エターナは駒を戻してまた唸り始めたが、その時部屋に備え付けられている艦内通信装置のアラームが鳴り響いた。
 「艦長、いるかい?」
 入り口付近の壁に設置されたモニターに、戸惑った様子のケイの顔が映る。背景はブリッジだ。エターナはどこかほっとした様子でモニターに歩み寄り、
 「どうしました、ケイさん?」
 「うん。何かさ、エルンストが発艦許可を求めてきてるんだけど……あと、ニキ姉がパイロット連中を召集してくれって」
 ケイは釈然としない表情だった。エターナも首を傾げ、
 「何かありましたか?」
 「うーん、何かよく分かんないけど、カチュアが嫌な予感がするって言ってるとか何とか……」
 「そうですか……」
 エターナは顎に手を当ててしばし考え込み、
 「分かりました、エルンストさんの発艦を許可します。ニキさんの言うとおりパイロットの召集も」
 「了解。あ、でもリ・ガズィはまだ直ってないから……」
 「そうですね。エリスさんには待機しているように伝えてください」
 「はいよ」
 頷きを一つ残し、ケイの姿がモニターから消える。エターナは振り返り、
 「そういう訳ですから、ブラッドさんも出撃の準備をよろしくお願いしますね」
 「フン、ガキ一人の言うことに重きを置くとはな」
 ブラッドはため息を吐きながら立ち上がった。エターナはそれを見て機嫌よく笑い、
 「決着が着く前にこんなことになって残念ですね」
 「何を言う。キサマの負けは明らかだ」
 「いえ、勝負はまだついてなかったんですから、この試合はお流れです」
 澄ました顔でエターナが言う。ブラッドは皮肉っぽく唇を吊り上げた。エターナが唇を尖らせ、
 「何です、その笑い方」
 「年甲斐もなく子供っぽいことを、と」
 「それ以上言ったらクビにしますよ」

 「あーあ、折角の休みなのにぃ。面倒くさいなぁ」
 「そんな風に言ってはダメよ、レイチェル。これもお仕事なんだから」
 不満そうに口を尖らせながら歩くレイチェルを、隣のエリスが優しく嗜める。
 二人は今、デッキに続く廊下を歩いているところだった。
 「でも、どうしてお姉ちゃん出撃しちゃいけないのかな?」
 「リ・ガズィは修理中だもの」
 「ワタシと一緒にサイコ・ドーガに乗れば出られるじゃない」
 「無茶言わないの。一人乗りのMSに二人で乗って戦闘だなんて、出来る訳ないでしょう?」
 「そうかなー」
 納得がいかない様子でレイチェルが口を尖らせたとき、曲がり角の向こうから、口を真一文字に引き結んだシスが歩いてきた。
 「あ、シスだ。おーい」
 レイチェルが笑顔で手を振る。しかし、シスはレイチェルの姿を認めると、ハッと息を呑み、どこか辛そうに俯いて元来た道を戻って行ってしまった。
 「あれ、どうしたのかな。シスー」
 シスを追って駆け出そうとしたレイチェルの腕を、エリスが後ろから掴んだ。レイチェルは驚いて振り向く。いつも笑顔を絶やさない姉が、見たこともないぐらいに厳しい表情で、レイチェルを真っ向から見据えていた。
 「ど、どうしたの、お姉ちゃん……」
 レイチェルは不安げな声で訊く。エリスは表情を和らげぬまま、ぞっとするほど冷たい声で、
 「レイチェル、もうシスと話してはダメよ」
 「え……」
 突然の言葉に、レイチェルは瞠目する。
 「ど、どうして?」
 「……悪い噂を聞いたの」
 「噂?」
 「シス・ミットヴィルは狂ってるって。戦闘中に暴走して、味方の一個小隊を壊滅させたことがあるって」
 「シスが!? そんな、嘘でしょ!?」
 「他にも、ちょっとした揉め事で、諍いの相手に重傷を負わせたとか……そんな危険な人間だったのよ、シスは」
 「でも」
 「お姉ちゃんも最近聞いたの。だから今までは分からなかったけど、そんな人に近付いてはいけないわ」
 エリスは淡々とした口調で断言する。レイチェルは迷うように、シスが去っていった方向と姉とを見比べ、
 「だ、だけど、そんなの噂でしょ? だって、シス、いつも皆のこと心配してて……優しい女の子だねって、お姉ちゃんいつも」
 「あの子の本性を知らなかったからよ」
 弱弱しく反論するレイチェルを、エリスの冷たい視線が黙らせる。レイチェルは俯きながら、
 「……わ、分かんないよ、そんなの……だって、シスは友達だし……」
 「あの子は悪い子だったの。もう関わっちゃいけないわ。あの子のことは忘れなさい。忘れるの」
 「……でも」
 なおも戸惑っているレイチェルを、エリスは無感情な瞳で見下ろし、
 「……レイチェル、お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」
 レイチェルは、その身を大きく震わせ、恐る恐る顔を上げた。エリスは何も言わない。何も言わないで、冷たい瞳でレイチェルを見ている。レイチェルの顔が恐怖で歪む。見開いた瞳に涙が浮かんだ。レイチェルは震える手でエリスに縋りつき、
 「や、やだ、そんな目で見ないで、お姉ちゃん……」
 エリスの瞳は揺らがない。ただ、沈黙の圧力をまとって、レイチェルを見つめている。レイチェルは頭を抱え、
 「やだ、やだ、いやだ……ワタシを捨てないで、お姉ちゃん……ごめんなさい、許して、お姉ちゃん……」
 レイチェルの涙声を黙って訊いていたエリスは、やがてゆっくりと口を開き、
 「……お姉ちゃんの言うとおりにする?」
 「……うん」
 「シスとはもう話さない?」
 「……う、うん……」
 「約束よ?」
 「うん……だから……」
 エリスはしゃくり上げるレイチェルの体を抱きしめた。レイチェルはエリスの胸の中で恐る恐る顔を上げる。見慣れた優しい微笑みが、姉の顔に戻っていた。
 「怖い顔してごめんね、レイチェル。だけど、お姉ちゃんレイチェルのことが心配だっただけなの」
 幼子に言い聞かせるように、エリスはレイチェルの頭をゆっくりと撫でる。レイチェルは安心しきったように目を閉じ、
 「うん……ごめんなさい、お姉ちゃん」
 「さっきの約束、忘れないでね?」
 「うん……ワタシ、もうシスとは話さない……お姉ちゃんがいてくれればいいもの……」
 「いい子ね、レイチェル。大好きよ……」
 エリスが耳元で囁く。レイチェルは何の疑問も感じていないような顔で、エリスの胸に顔を埋めた。
 「……」
 そんな二人の様子を、曲がり角に隠れたサエンが見つめていた。抱き合っている二人の姉妹を、汚い物でも見るような目で見つめながら、不機嫌そうに舌打ちをもらしていた。

 息を弾ませてデッキに走りこんできたシスを、入り口付近にいたミンミが目を丸くして出迎えた。
 「シーちゃん、どうしたでありますか? そんなに急いで……」
 「……出撃だって聞いたから……」
 息を整えながら、シスは言葉少なに答える。ミンミは笑いながら、
 「シーちゃんは相変わらず頑張り屋でありますな! でも、シーちゃんのBD一号機は一旦待機でありますから、そんなに急がなくてもよかったでありますよ」
 「……そう」
 シスはミンミの声を聞きながら、何かを探すようにMSデッキを見回す。その視線が、半壊で修理中のリ・ガズィで止まった。
 「……ミンミ、エリスさんは……」
 「え? ああ、リ・ガズィは修理中でありますから、エリスさんも待機だったはずでありますよ」
 それが何か? と首を傾げるミンミに、シスは表情を隠すように俯きながら、
 「……レイチェルも?」
 ミンミは特に疑う様子もなく一つ頷き、
 「あの二人は仲良し姉妹でありますから」
 「……そう」
 「シーちゃんは偉いであります」
 「え?」
 シスは驚いてミンミを見た。
 「前の戦闘で傷ついたエリスさんのことが心配だったのでありますな。戦友を大切に思う。シーちゃんは優しい女の子でありますなぁ」
 そう言って、ミンミは嬉しそうに笑う。シスは俯いて何も答えず、BD一号機の方へ向かっていった。その背中を見ながら、ミンミは頭を掻く。
 「……自分はまた何かおかしなことを言ってしまったでありますか? 猛省しなければ……」

 シスはBD一号機のコックピットの中で、無言のままシートに座っていた。
 「……違うの」
 膝を見ながら、ぽつりと呟く。
 「……そんなんじゃない。ワタシ、優しくなんかない……レイチェルを、殺そうとしてるのに……」
 シスは唇を噛んだ。
 「優しいのは、エリスさんとレイチェルの方。ワタシに良くしてくれる……」
 両膝を強く握る。
 「……ワタシ、レイチェルを殺したくない……二人とも、あんなに仲がよくて、素敵な姉妹なのに……でも、レイチェルを殺さなければ、皆が……どうすれば……」
 コンソールに突っ伏したシスが、ゆっくりと顔を上げた。
 「そう……一つだけ、方法が……皆が、助かる方法……ワタシは、それを選ぶの。皆を助けるの……それが、一番いい選択のはず……」
 ――チガウヨ。
 不意に、シスの耳に誰かの声が聞こえた。びくりと体を震わせ、シスは周囲を見回す。狭いコックピット。他に人が這いこむ余地など、ない。
 ――ソレハチガウヨ。アナタモ、イキルノ。ソレガ、イチバンノ……
 声が少しずつ小さくなり、聞こえなくなった。シスは目を閉じ、耳を澄ます。しかし、再びあの声が聞こえてくることはなかった。
 「……ワタシは人形」
 自らに言い聞かせるように、シスは呟く。
 「……ワタシは何も感じない。ワタシは何も怖くない。だから、きっと出来るはず……」
 その声は、哀れなほどに震えていた。その震えが治まるまで、シスは何度も何度もその言葉を繰り返した。
 それを聞いていた者は、誰一人としていない。ただ、モニターの片隅で、起動してもいないEXAMの四文字がゆっくりと点滅していた。

 ラナロウは常人ならば決して出さない速度で、宇宙空間を疾走した。小隕石を衝突ギリギリでかわしたり、わざとデブリに突っ込もうとしたりするものだから、ミリアムは終始叫びっぱなしだった。
 「よっと。ここらが折り返し地点だな」
 ラナロウが楽しげに呟き、機体を停止させた。同時に、MS形態に変形する。軽い振動がコックピットを襲った。ラナロウの首にしがみついたまま、ミリアムは荒く息を吐く。
 「……スピード出しすぎよ……」
 「ああ? 俺の運転が見たいっつったの、お前だろ?」
 「……じゃあなに、いつもあんな無茶苦茶なことしてるの?」
 「まあな」
 「どうして」
 「飛ばさなきゃ最前線に間に合わねぇだろ」
 「だからって、無理な速度出して障害物に激突でもしたら」
 「俺を誰だと思ってんだ? グランシャリオ最強の男ラナロウ・シェイド様だぜ」
 「自分で言わないでよ……」
 息も絶え絶えにそう言った後、ミリアムはベルトを外してラナロウの体にもたれかかった。
 「どうした」
 「疲れたのよ」
 「お前何もしてねぇだろ」
 「精神的によ。死ぬかと思ったわ……」
 「へっ、情けねぇの。そんなんじゃパイロットはやれねぇな」
 「私もそう思う……」
 反論する気力もないらしく、ミリアムはぐったりしたまま目を閉じる。
 「悪いけど、ちょっと休ませてくれる? 予定時間まではまだまだでしょ?」
 「まあな」
 かなり飛ばしてきたせいか、十分ほど休憩を取ったとしても時間的には余裕があった。
 「……ところで、これで見回りしてきましたって言えるのかしら?」
 「さあね。ま、見た感じ変なのはいなかったけどな」
 「あの速度で物を見る余裕があるなんて」
 「見えなきゃぶつかるだろ」
 「それもそうね」
 目を閉じたまま、ミリアムは薄く笑った。ラナロウは頭の後ろで腕を組み、
 「しっかし、つまんねぇな」
 「何が」
 「何もねぇだろうなとは思ってたが、ホントに何もねぇ。デスアーミーでも出てくりゃ、退屈しのぎにはなるのによ」
 「冗談言わないで。こんな不自然な体勢で戦闘までする気なの?」
 「ハンデだよ、ハンデ」
 「バカ」
 「んだと!?」
 「褒めたのよ。あなたってホント……もうバカとしか言いようのない技術の持ち主だわ。こんな風に思うの、初めてよ」
 気だるげな評価。ラナロウは難しい顔つきで少し考えてから、
 「なあ、今の、ホントに褒めたのか?」
 「そうだって」
 「でも、バカって言ってるじゃねぇか」
 「いい意味よ」
 「いい意味のバカなんてねぇだろ」
 「あるの。少なくともあなたに対しては褒め言葉だわ」
 「……そうなのか」
 「ええ。何なら何度でも言ってあげる。バカバカバカバカバカバカバカバカ……」
 「……やっぱムカツクぞコラ!」
 「うるさいわね、怒鳴らないでよバカ!」
 「またバカって言いやがったな!」
 「褒めてるんだって言ってるでしょ!」
 「今のは明らかに違うだろうが!」
 「そんなの区別しなくてもいいの、あなたバカなんだから」
 「やっぱ、けなしてやがるなこの……」
 不毛な言い争いを続けていたラナロウが、不意に鋭い視線を後方に送った。全天周囲モニターだから、当然背後の様子もスクリーンに投影されている。突然厳しい顔つきで操縦桿を握ったラナロウに、ミリアムがきょとんと、
 「どうしたの」
 「黙ってろ」
 短く、ラナロウが言う。ミリアムは口を閉じた。
 「……いやがるな……」
 「え」
 「そこかっ!」
 ギャプランが腕を持ち上げ、前方に向けて目が粒子砲を放った。ビームが闇を切り裂き、小隕石から飛び出してきた何かを爆散させる。
 「あれは……!?」
 「へへっ、おいでなすったぜ、子鬼どもが!」
 ラナロウが歯を剥いて野獣のように笑う。ミリアムは目を見開いた。
 「まさか、デスアーミー!?」
 その声に呼応するように、周囲に数機のデスアーミーが現れた。
 「そんな、いつの間に!? 何の反応もなかったのに」
 「こいつらが出てくんの、いっつもそんな感じだからな」
 明らかに状況を楽しんでいるらしい。ラナロウの声は弾んでいた。ミリアムは慌ててベルトを締め直す。
 「早く、機体を動かして……」
 「こいつらをぶっ飛ばさねぇとなぁ!」
 ラナロウの叫びを共に、MS形態のギャプランがサーベルを抜いて、正面のデスアーミーに突進する。ミリアムは悲鳴を上げた。
 「ちょっと、逃げないの!?」
 答えずに、ラナロウはデスアーミーを真っ二つにした。そのまま反転して、次の獲物に襲い掛かる。
 「ギャプランの機動性があれば充分逃げられるでしょ!」
 なおも必死に抗議するミリアムに、ラナロウは短く一言、
 「必要ねぇ!」
 「冗談でしょ!?」
 冗談ではなかった。ラナロウは殺到するビームをかいくぐり、デスアーミーを一機一機叩き斬っていく。
 「せめて距離を置いて戦って!」
 「趣味じゃねぇ!」
 即座に返答しつつ、ラナロウは目の前で金棒型ビームライフルを持ち上げたデスアーミーにビームサーベルを突き刺し、そのまま相手を蹴り飛ばした。宇宙の闇に炎の花が咲く。目の前で展開する見慣れない光景に、ミリアムは目を白黒させる。
 「そうそう、あのシミュレーター、爆発がリアルじゃねぇんだよな。今みたいな感じにしろよ」
 勝手に注文しながら、またもラナロウは一直線にデスアーミーに向かっていく。金棒型ビームライフルが放たれた。ギャプランの機体すれすれをビームの光が通過し、ミリアムは悲鳴を上げる。ラナロウはギャプランを敵に肉薄させながら笑った。
 「俺の腕を信用しやがれ」
 「してるけど!」
 「なら黙ってな!」
 叩きつけるように答える間にも、ラナロウはまた一つ敵撃墜数を増やしていた。それでも、ミリアムは叫ぶ。
 「だからって過信はしてないの……!?」
 その時、回転するような視界の中、ミリアムは遠くの方でいくつもの光が瞬くのを見た。ビームの光と、何かの爆発光。ラナロウは気付かなかったらしく、
 「大体な、こんなノロマな連中にこのラナロウ・シェイド様が捕まるわきゃねーんだよ」
 などと自信満々に断言しながら、最後のデスアーミーを斬り捨てた。こうして、結局、全ての敵がビームサーベルで始末されたのだった。
 「……ま、ざっとこんなもんだな」
 武器ラックにビームサーベルを納めながら、ラナロウが肩を竦める。そして、ミリアムの頭をヘルメット越しにぽんと叩き、
 「ほら見ろ、この俺がデスアーミーなんぞに……どうした?」
 食い入るようにあらぬ方向を見つめているミリアムに、ラナロウが首を傾げる。
 「今、光が……」
 「光?」
 「多分、ビームだと思う。あっちの方に、いくつも……」
 「なに!?」
 ミリアムの指し示す方向を見たラナロウが、小さく舌打ちをもらす。
 「先を越されちまったか」
 「え?」
 「デスボールだよ。連中の大将」
 「ああ……」
 デスボール。デスアーミーが現れるとき必ず現れる、司令塔とされる金属球体。これの撃破が、対デスアーミー戦闘における最重要目標である。
 「じゃあ、誰か他の人が?」
 「救難信号なんか出してねぇぞ、クソッ」
 不満げに、ラナロウがぼやく。ミリアムは信じられないという表情で、
 「まさかあなた、一人で敵を全滅させるつもりだったの?」
 「当たり前だろ」
 「……やっぱりバカね」
 「んだと!?」
 「ちょっとは考えなさいよ! エネルギーが保つ訳ないでしょ!?」
 「んなこと知るか!」
 「知りなさいよ!」
 またも不毛な言い争いが始まった。しかし、今度は長続きしなかった。通信が入ったからだ。
 「ラナロウ」
 呼びかける声。モニターにエルンストの顔が映った。見ると、Ez−8・HMCがバーニアを吹かして接近してくるところだった。後方に、シェルドのジム・カスタム高機動型と、サエンの百式の機影もある。三機とも、機動力に優れた機体だ。
 「大丈夫か……って、聞くまでもないみたいだな」
 周囲に漂う残骸を確認したのだろう、エルンストが賞賛混じりの苦笑を浮かべた。
 「相変わらずいい腕してるぜ」
 「ヘッ、当然だろ。しっかし、アンタだったか」
 「何がだ?」
 エルンストが眉をひそめる。ラナロウは、
 「とぼけんなよ。デスボールを撃破したのはあんただろ?」
 「……何だって?」
 不審そうな表情で、エルンストが聞き返してくる。ラナロウもさすがに眉根を寄せ、
 「……じゃあ後ろの奴等か?」
 「あーらら、相変わらず名前覚えてくれてないって訳ね」
 「ラナロウさんにそれを期待するべきじゃないでしょう」
 通信に割り込んできたサエンとシェルドが、苦笑混じりに言葉を交わし、
 「でもねーラナちゃん、俺らでもないんだな」
 「僕ら、戦闘の光を見て一直線にこっちに飛んできましたけど、一機のデスアーミーとも遭遇しませんでしたよ」
 変な相性で呼ばれたことに対して怒ることもなく、ラナロウは黙考を始める。ミリアムが抗議した。
 「違うわよ。隊長さんたちじゃないわ。だって、私があの光を見たとき、コロニーなんか見えなかったもの」
 エルンストたちはグランシャリオが停泊しているコロニーからやってきたのだから、当然彼らのはるか後方にはコロニーがある。小さいが、円筒形の人工島が確かに見えていた。ラナロウはうさんくさげな目でミリアムを見て、
 「見間違えたんじゃねぇのか」
 「……そりゃ、確かに自信はないけど……」
 ミリアムが顔を曇らせる。シェルドが、
 「でも、これ以上デスアーミーが出てこないってことは」
 「デスボールが撃破されたことは間違いない、か」
 サエンも頷く。エルンストは周囲を探りながら、
 「……ミリアムさんよ、他の連中がこの宙域で何かしてるっていう情報は?」
 「いえ、艦長に聞いていた限りでは、そういうことはないはずですけど……」
 「他のコロニーはまだ遠い。そこの駐留軍が……ってことも、ないか」
 「それじゃあ一体、デスボールを倒したのは誰なんでしょう?」
 シェルドが口を挟んだ。
 「分からないな。軍が秘密で試作機か何かのテストをやってた、なんて可能性もなくはないが……」
 エルンストが言いかけたとき、
 「皆、散れ!」
 と、突然サエンが叫んだ。聞き返す間もなく、固まっていた四機が散開する。彼らがいた場所を、数条のビームが通過した。
 「危なかった……」
 「悪い、サエン」
 「いやいや」
 「ヘッ、あのぐらい簡単に避けられたぜ」
 「ちょっと、素直に感謝しなさいよ。ありがとう、サエンさん」
 「ハッハッハ、感謝の意を表すのにそんな言葉は不要ですよ。ただ一つ、あなたの熱いキッスがあれば」
 「無駄口叩いている暇はなさそうだぞ」
 こんな状況でも口説くのを忘れないサエンを、エルンストが止める。とは言え、五人とも視線はビームが飛んできた方向を向いていた。だから、全員が同時に、その機影を目撃したのである。
 「……何だ、ありゃ」
 エルンストが呆然と呟く。徐々に近付いてくる黒い影……それは、馬鹿馬鹿しいほどに巨大な、モビルアーマーだった。全体に、黒を基調としたカラーリングが施されている。サエンが不機嫌そうに、
 「嫌な感じだな……」
 「ヘッ、撃ってきたってことは敵なんだろうが。ならやっちまえばいいんだよ」
 「ちょっと、相手がどれだけの性能を持ってるかも分からないのに」
 操縦桿を握り直したラナロウを、ミリアムが慌てて諭したとき、突然誰かから通信が入った。映像はない。音声のみだ。
 「ごきげんよう、醜く汚らわしい下賤の皆様」
 場違いに優雅で上品な声だったが、その分内容の奇抜さが妙に浮き立っていた。あまりの内容に、とっさに反応できたものは一人もいなかった。ただ一人を除いて。
 「んだとコラ!? 醜いだの汚らわしいだの! てめぇ、俺をバカにしてやがるな!」
 「そんなの聞けば分かるでしょ」
 「……ところで、下賤って何だ?」
 こちらもこちらで場違いである。呆れて声も出ないミリアムの代わりに、回線の向こうから甲高い嘲笑が響き渡った。
 「オーホッホッホッホ! これは愉快ですわ、宇宙にもお猿さんがいたんですのね」
 「だ、誰が猿だ!?」
 「さっきから醜く喚いているアナタに決まってますわ。あら、顔までお猿さんみたい」
 「こ、このっ」
 「まあまあ、落ち着いて」
 顔を真っ赤にするラナロウを、ミリアムが苦笑気味になだめたが、
 「その上メス猿まではべらせて、ここはどこの猿山かしら?」
 「だ、誰がメス猿よ!? それに、この姿勢には事情が」
 「お前らいいからちょっと黙っててくれ」
 うんざりした様子で、エルンストが口を挟んできた。「あ、ごめんなさい」と赤くなって謝るミリアムと、鼻息荒く操縦桿を握り締めているラナロウを横目に、エルンストは、
 「こっちの声は聞こえてるんだな? こちらは地球連合傘下の私兵軍、Gジェネレーションズだ。そちらの所属を聞かせてくれ」
 「あなたたちのことはよく存じておりますわ、下賤の方」
 「……つまり、俺達が一応軍属だということを知っていて攻撃を仕掛けてきたと。そう解釈してもいいんだな?」
 「もちろん」
 「そして、そっちの所属を言うつもりもない、と」
 「あなた方に教えて差し上げる必要がありまして?」
 「それじゃ、最後に一つ……そちらの目的は何だ?」
 返事はなかなか返ってこなかった。

 ラナロウらと黒いMAが向き合っているところから、少し離れた場所。無数のデブリが漂う中に、彼女らは乗機をダミー隕石に偽装して隠れていた。
 エルンストたちに対しては尊大に振舞いながら、その実彼女は厳しい表情で唇を噛んでいる。
 「あーあ、まずいんじゃないんですか、これは」
 副座型に改良されたコックピットの中、後方のシートに座った少年がにやにやしながら言う。
 「サイコガンダムの存在は、一応まだ秘密ってことになっているんでしょう? これって任務失敗ってやつじゃないんですか?」
 「お黙りなさい」
 彼女は通信機を切りつつ、肩越しに少年を睨みつける。少年は肩を竦めた。
 「まあ、黙れって言うんなら黙りますけどね……いいんですか? このままじゃ連合に僕らのことがばれますよ?」
 反論出来ず、彼女は悔しそうに、
 「まさか、あんなところでデスアーミーに出くわすだなんて……!」
 彼女らは、あの黒いMA……もとい、巨大MSサイコガンダムを、秘密裏に輸送している最中だった。その航行中に、デスアーミーの一群に遭遇したのである。無論、サイコガンダムを出撃させる予定などなく、あくまでも民間船の振りをして救助を求める予定だったのだが……
 「これだから強化人間など当てにならないと言うのですわ!」
 「ま、確かに、彼が勝手に機体を起動させて出て行かなければねえ」
 なのだった。サイコガンダムのパイロットが、デスアーミー発見と同時に、ブリッジからの命令を無視して勝手に出撃してしまったのだ。
 「責任者を呼びなさい、責任者を!」
 「ここでの責任者はあなたでしょう」
 「強化人間の責任者ですわ!」
 「知りませんよそんなの……困った人だなぁ」
 少年はわざとらしくため息を吐いて、
 「で、どうするんです? 彼らも随分警戒してるようですし、さすがにこのままにはしておけませんよね」
 「もちろんですわ」
 「と言っても、打開策なんて思いつかないでしょうけどね、あなたじゃ」
 最初から馬鹿にするつもりだったらしく、少年は瞬時にそう付け加える。彼女はカッと目を見開き、
 「お黙りなさい! 元はと言えばサイコガンダムに対する停止コードが働かなかったのが悪いのです! あなたの責任ですよ!」
 その糾弾に、少年はグッと言葉に詰まり、目を逸らす。
 事実、その通りだった。敵中で停止させる訳にもいかなかったので、サイコガンダムに対する停止コードの発信はデスアーミー殲滅後に行われた。しかしコードは働かず、サイコガンダムはあろうことか、一番近い位置にいたラナロウたちに向かって移動し始めたのである。そのため、彼女らは慌てて機体をダミー隕石で偽装し、サイコガンダムを追いかけてきたのだ。そして、ようやっと停止コードが起動したと思ったら、Gジェネレーションズの機体群はすぐ目の前だった。その上、既に第一射が放たれた後ときた。
 少年は少しの間無言だったが、やがて無理に余裕の笑みを作り、
 「て、天才だって間違うことぐらいありますよ。失敗は成功のもとって言葉、知らないんですか?」
 「フン、何が天才ですか。地球で試験に落ちて逃げ帰ってきたくせに」
 彼女の冷笑に、今度は少年が激昂する。
 「オマエ! この僕を侮辱する気か!?」
 「あら、それ以外に聞こえまして、天才さん?」
 せせら笑う彼女に、しかし少年は開きかけた口を閉じ、嘲笑を浮かべた。
 「はん、今さら何を言ったって、所詮負け犬の遠吠えさ」
 「何ですって?」
 「知ってるよ、何とかして手柄を立てたくて、今回の任務の責任者に立候補したってさ」
 「グッ……」
 「それなのに、これだよ。僕らはただでさえ冷遇されてるんだ……あんたなんか、二度とこんな機会を手に入れることは出来ないだろうさ!」
 「それはあなたも同じでしょう!?」
 「僕は大丈夫さ。僕は天才なんだ、僕の頭脳を必要としている人間はいくらだっている。でも、あんたは違うだろう? 究極の能力を持たされた僕と違って、あんたが一般人より優れてるところなんか、ちょっと顔がいいってことぐらいのものさ」
 「……」
 彼女は唇を噛み、反論もせずに黙っている。少年はますます調子づき、
 「そうだ。僕とあんたとじゃ、全然事情が違うんだ。僕は数万の遺伝子から選びに選びぬかれた最高のコーディネイター。その点あんたは親にすら見離された」
 「黙れ」
 夢中で捲し立てていた少年の科白が、彼女の低い声に遮られた。
 「それ以上言ったら、八つ裂きにして宇宙に放り出してやる……!」
 冗談や脅しではない。彼女の見開かれた瞳に激しい怒りが渦巻いていた。少年が思わず身を引いた、その時、
 「あのー、ちょっといいかなぁ?」
 場にそぐわないのんびりとした声と共に、片手を上げる少女が一人。今まで会話に参加していなかった、同乗者だ。
 「あのさ、今、言い争ってる暇なんてないと思うんだけど」
 的確な指摘に、二人は押し黙った。
 「分かってくれた? ンでさ、一ついい考えがあるんだよね」
 そう言って、少女はにっこりと笑う。二人は顔を見合わせた。

 「……何で急に黙っちゃったんでしょう、あの敵」
 「さあな」
 シェルドの戸惑った声に、エルンストは首を傾げた。さっき質問して以降、あれほど尊大に振舞っていた敵からの通信が全くない。
 「別に誤魔化しようの無いことを訊いたつもりはないんだが……」
 「ですよねぇ」
 「それよりさぁ、さっきの子、誰かに似てたと思わないか?」
 戦闘には不似合いな浮ついた声。サエンだ。エルンストは「おい、あんまり油断するなよ」と言いつつも、
 「ネリィか」
 「そうそう。喋り方とか何かそっくりだよなぁ」
 「ネリィさんだって、あそこまでお嬢様じゃないよ」
 雑談ムードが高まる中、ラナロウだけがコックピットの中でイライラした表情を浮かべている。
 「おい、あのデカブツ全然動かねぇじゃねぇか。さっさとぶっ壊そうぜ」
 「ダメよ。あのビームの量だと、近付いた瞬間に撃ってきたら避けようがないわ」
 ベルトによってラナロウとくっついたまま、ミリアムは先ほどからコンソールをいじって敵機の解析を行っていた。
 「あの中央の砲口から、拡散させたビームを発射して全方位に攻撃するのね……」
 「……クソッ、いらつくぜ!」
 ラナロウが足でシートに八つ当たりする。密着していたミリアムが「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げた。
 「ちょっと、こんな狭いところで動かないでよ!」
 「うるせぇ! グダグダ言ってっと殴って黙らせっぞ!」
 「こらこら、女の子にそんなこと言っちゃダメっしょラナロウ君」
 開きっぱなしの回線から、サエンの軽い声が流れてくる。さらに少し非難がましい口調で、
 「って言うかさ、何でそんな羨ましいことになっちゃってんの、ラナロウ君よ」
 「あぁ?」
 「いえ別に、これはそういうのじゃなくて」
 赤くなって言い訳するミリアム。
 「それに、別に好きでやってる訳じゃ」
 「だったらラナロウの膝の上から俺の膝の上に乗り換えないかい?」
 「え」
 モニターに映ったサエンが、「さあこの胸に飛び込んでおいで!」と、爽やかにいやらしい笑顔で両腕を広げる。ミリアムはげんなりして目を逸らし、
 「……こっちの方がまだマシだわ」
 「あのなお前ら、一応敵が目の前にいるってことを忘れんじゃ……」
 呆れた様子でエルンストが言いかけたとき、
 「聞こえますわね、見るも無残な下層の方々」
 と、再び無駄に傲慢な物言いが、会話に割り込んだ。エルンストが、
 「ああ、聞こえてるよ……で、こっちの質問には答えてもらえるんだろうな?」
 「ええ、もちろんですわ。こちらの目的でしたね? そう、一言で言うなら……」
 その時、巨大MAの中央部についている砲口が、光を放ちだした。エルンストたちは瞬時に機体を散開させた。
 「くたばれ……って、ところかしら?」
 言葉と共に、拡散メガ粒子砲が放たれる。それを器用に避けながら、ラナロウは舌打ちした。
 「ほら見ろ、やっぱりさっきぶっ壊しとくべきだったんだよ!」
 「そんなことしたら、このビームの嵐で蜂の巣になってたわよ!」
 全身を襲うGに耐えながら、ミリアムが必死に叫び返す。ラナロウはビームの射線から逃れつつ、
 「そっちこそくたばりやがれ!」
 叫びながら、ギャプランの腕部のメガ粒子砲を放った。しかし、その光は敵機に届く直前で四散してしまう。ミリアムは驚きに目を見張った。
 「まさか、I-フィールド?」
 「あぁ!?」
 「電荷を与えたミノフスキー粒子を機体の周囲に展開させておくことによって、ビームを婉曲させることが出来る装備よ!」
  「分かんねぇよ!」
 「要するに、こっちのビームは一切通用しないってこと!」
 ミリアムの説明どおり、他の三機が放つビームも、敵機に届く前に完全に無効化されていた。
 「なら直接ぶった斬りゃいいんだろうが!」
 「ちょっ……!」
 ミリアムが止める間もなく、ラナロウはビームサーベルを引き抜いて敵機に突撃する。だが、その刃先が届く前に拡散ビームが飛んできた。ラナロウは慌てて回避したが、一条のビームが腕部を吹き飛ばしてしまった。ミリアムが悲鳴を上げる。
 「バカ、普通こうなるって分からない!?」
 「あのぐらい避けられるっての!」
 「当たったじゃない!」
 「直撃じゃねぇ!」
 「バカ!」
 警報が鳴り響くコックピットの中で、二人は怒鳴りあう。その時、不意に敵機が妙な動きを見せ始めた。今までしまい込まれていた部分が展開し、機体が徐々に形を変えていく。
 「変形する……」
 呆然と、エルンストが呟いた。敵機はその巨体に似合わない俊敏さで、変形を完了した。
 「こいつ、ガンダムじゃないか!?」
 シェルドの叫びどおり、変形した巨大MA……いや、MSは、連合の名機であるガンダムと非常によく似た形だった。異なるのは、その常識外れの巨体と、黒を基調としたカラーリングだけである。
 「どこのどいつだ、こんな悪趣味な物作りやがったのは!」
 悪態とともに、エルンストのEz-8がビームを放つ。しかし、形が変わってもI-フィールドは健在で、黒い装甲には焦げ目一つつかない。ミリアムは唸った。
 「その上あの拡散ビーム砲……まさに要塞ね」
 「はは、しかもまた武器が増えたらしいぜ」
 サエンの声は引きつっていた。答えるように、敵機が両腕を持ち上げ、指を向けてきた。指先に開いた穴と腹部の砲口が、同時に光を放ち始める。
 「マジか!?」
 マジだった。間髪いれずにビームの豪雨がやって来た。事前に察知していたために四機とも何とか撃墜されずに済んだが、
 「ほとんど運が良かっただけですね……」
 シェルドが震え声で呟いた。
 敵機はさらにビームを連発してくるということもなく、宇宙空間に浮かんでいる。チャージ中らしい。さすがに、エネルギー消費量も多いようだ。
 「だからあんなに大きな体をしているんだわ」
 「たくさん動くからその分体を大きくして、溜め込むエネルギーも多くしようって? そんな単純な」
 呆れた口調でサエンが言う。
 「大体、あんなデカイ体してちゃ、いい的になるだけじゃないか」
 「だからこそのI-フィールドなんだろうよ……実際、こうなっちまったら打つ手がない」
 エルンストの言うとおり、四機の兵装はほぼビーム兵器のみだった。実弾兵器と言えばEz-8と百式のバルカン程度のもので、当然ながら敵機の厚い装甲を突き破れるとは思えない。
 「どうする? 危険を承知で突っ込むかい?」
 サエンが問うた瞬間、敵機腹部の砲口と指先が、再び光を放った。一応予測が出来ていたため、全員散開して何とか回避する。
 「こうやって逃げまくって、相手のエネルギー切れを待つか?」
 「でも、こんなのいつまでも保ちませんよ!」
 エルンストの提案に、シェルドが叫び返す。
 「グランシャリオでも戦闘は確認してるはずだ。待ってれば援軍が来るだろう」
 「ケッ、奴等の機体なんざトロすぎるぜ」
 「だねぇ。皆が来るより、敵機のエネルギーが切れる方が早いかも」
 「後退したら」
 「追撃されるだけだな」
 「それならやっぱり逃げまくるしか」
 「だから、限界が」
 敵機がチャージしている間に、四人は結論の出ない議論をかわす。それに加わらずに、真剣な表情でコンソールをいじっていたミリアムが、
 「皆さん、敵のメガ粒子砲の射線を割り出しました!」
 と、叫んだ。同時に、そのデータが全員に転送される。
 「これで少しは避けやすくなると」
 言いかけたとき、三度目のビーム斉射が四機を襲った。サエンとラナロウは素早く避けたが、エルンストとシェルドの機体がそれぞれ足の一部と腕の一部にビームを喰らった。皮肉にも、ミリアムのデータに気を取られていて、避ける動作が遅れてしまったのだ。
 「シェルド、エルのおっさん、大丈夫かい?」
 「な、何とか」
 「クソッ、やっぱりいつまでも避けられるもんじゃないか……!」
 エルンストが舌打ちする。その時、無言でミリアムのデータを見ていたラナロウが、
 「おいお前ら、俺に感謝しろよ」
 「いきなり何言ってんの?」
 ミリアムが不審そうにラナロウを見上げる。そして、彼の吊り上った口元から、犬歯が覗いているのを見つけた。獰猛な笑み。
 「あのデカブツをぶっ倒す方法を思いついたんだよ」
 「え」
 「本当か?」
 にわかには信じがたいらしく、エルンストの声はどこか疑わしそうだ。ラナロウは自信満々に、
 「おうよ。この俺に任せりゃ、お前ら全員ウチに連れ帰ってやらぁ」
 「あのね……この状況で頭がおかしくなったんじゃないの?」
 「んだと!?」
 「いい、ギャプランの装備はビームサーベルとメガ粒子砲だけなのよ? ビームサーベルなら多少の効果は望めるでしょうけど、さっき吹き飛ばされちゃったじゃない」
 「んなこたぁ分かってるさ」
 「じゃあどうするつもりなの? メガ粒子砲じゃ、I-フィールドは……」
 「ビームを使わなきゃいいんだろうが」
 「え……?」
 ミリアムが目を見開く。ラナロウは楽しそうに、
 「で、どうすんだお前ら? 乗るか?」
 全員が答えを返す前に、再びビームの嵐が吹き荒れた。敵機も狙い方が分かってきたらしく、数条の光がラナロウたちの機体すれすれを突き抜けていった。
 「乗った!」
 一番先に叫んだのはサエンだった。
 「……何となく不安だけど……他に方法もないし」
 消極的に、シェルドも賛同する。
 「やれやれ。博打ってのはあんまりいい思い出がないんだがな」
 諦めたように苦笑しながら、エルンスト。ラナロウは満足げに頷き、
 「よし、んじゃあお前ら、奴の周りを適当に飛び回れ」
 「敵の気をひきつけろってことか?」
 「おう」
 「で、でも、そんな至近距離であのビームを喰らったら……」
 「なるほど、チップは俺達の命って訳か。いいねぇ」
 少し怖気づいている様子のシェルドとは裏腹に、サエンの口調はどこか楽しげだった。ミリアムが焦った声で、
 「サエンさん、正気ですか!? この人が何をするつもりなのかも分からないのに……!」
 「ふふん、俺は危険を愛する男なのさ。どう、惚れ直したでしょ?」
 サエンがウインクした。ミリアムはうんざりした口調で、
 「何てことなの……バカは一人だけだと思ってたのに」
 「誰がバカだこの野郎」
 そう言った後、ラナロウはにやにやしだし、
 「で、お前はどうすんだよ?」
 「え」
 「え、じゃねぇよ。乗るか?」
 ラナロウの問いかけに、ミリアムは一瞬口を開きかけてから閉じ、諦めたように首を振った。
 「……分かったわ。私の残りの人生全部、あなたに賭けてみる」
 「ヘヘッ、そうこなくちゃな」
 ラナロウがヘルメットの中で舌なめずりする。
 「くぅー! いいなぁさっきの科白。『私の人生あなたに預けます』だなんて、俺も言われてみたいぜ」
 「人生を預ける? サエンに? 気が狂ってるとしか思えないよ」
 悶えているようなサエンの声に、シェルドのため息混じりの言葉が重なる。
 「これであんたもバカの仲間入りって訳だな」
 エルンストが苦笑気味にミリアムに言う。ミリアムはげんなりしながら、
 「認めたくはないですけどね」
 「おっと、あのウド野郎もやる気満々らしいぜお前ら」
 ラナロウは、敵機の腹部砲口が徐々に光を帯び始めたのを見ながら言った。ミリアムが緊張した顔で、
 「ホントに大丈夫なの?」
 「うるせぇな……俺の腕を信用してるんだろ?」
 ミリアムが小さく息を飲み、それから一つ、頷いた。
 「……そうだったわね」
 「だろうが。さって、行くぜお前ら……3、2、1……」
 四機がそれぞれに構えを取る。
 「GO!」
 ラナロウが鋭く叫ぶ。無数のビームをかいくぐるように、Ez-8と百式とジム・カスタム高機動型が突撃を開始した。

 接近した三機が、まとわりつくように敵機の周囲を飛び回り、隙を見てはビームライフルやバルカンを浴びせる。I-フィールドや装甲に阻まれてダメージを与えることは出来ないが、そのことが逆に敵機のパイロットの癇に障ったらしい。敵機が、ビームを撃つのも忘れて蚊を追い払うように両腕を振り回し始めた。
 その隙に、ギャプランが動き始める。敵機に向かって前進するのではなく、その頭上に向かって上昇し始めた。
 「どうするの?」
 「ま、黙って見てろって」
 ラナロウがヘルメット越しにミリアムの頭を小突いた。ギャプランは少し前の下方に敵機を見下ろせる位置まで近付いていた。エルンストらの機体は、未だに敵機の周囲を飛び交っている。サエンなど、百式に手を叩かせて完全におちょくっているポーズだ。ミリアムは呆れて、
 「何のつもりであんな動きをプログラムしてるのかしら」
 と呟いてから、自機の位置を確認して、納得するように頷いた。
 「そっか、敵の背後に回りこむつもりなのね」
 敵機は今まで、後ろに向けてビームを発射していない。
 「でも、I-フィールドが前方にだけ張り出されているって保証はどこにも」
 「何ぶつぶつ言ってんだ、お前」
 怪訝そうに、ラナロウが言う。
 「俺は奴のケツにつけるつもりなんかねぇぜ」
 「え……じゃあ、何をするつもりなの?」
  「まあ見とけよ……あー……どうすんだったかな……」
 ラナロウは顔をしかめて、コンソールに手を伸ばす。コンソールとラナロウの間にはミリアムがいるので、自然と抱きしめられるような体勢になった。ミリアムは顔を赤くする。
 「ちょっと」
 「うるせぇ黙ってろ、時間ねぇんだからよ……よし、これで……」
 ぎこちない手つきでコンソールに指を這わせていたラナロウが、最後に隅っこの決定キーを力強く押し込んだ。それに呼応するように、コックピットに音楽が流れ始めた。
 「え、なに!? バグッた!?」
 ぎょっとして首を巡らすミリアムを横目に、ラナロウは音楽に合わせて体を揺らし出した。無闇にハイテンポで、攻撃的な音楽だ。メロディだけで、歌声はない。ただ、時折意味不明な打撃音やら悲鳴やら歓声やらが混じっている。ミリアムは眉根を寄せて、
 「……これ、ひょっとして何かのBGM?」
 ラナロウは嬉しそうに、
 「おう。よく分かったな」
 「ちなみに、何の?」
 「格ゲーだよ、格ゲー」
 「何それ」
 「格闘ゲーム。何だお前、頭いいと思ったら案外物知らねぇんだな」
 BGMの効果も相まってか、ラナロウはやたらと上機嫌だ。ミリアムはムッとしかけたが、すぐにハッとして、
 「って、音楽鳴らしていい気分になってる場合じゃないわ! 早く何か行動を起こさないと……」
 「それを今からやってやるって言ってんだよ……おい、お前ら!」
 ラナロウが通信回線を開く。途端に、エルンストの非難が飛んできた。
 「おいラナロウ、まだか! さすがにそろそろ」
 「おう親父、待たせたな。今、そのデカブツをぶっ倒してやる。だから、お前ら全員でそいつをその場に押さえとけ」
 「は? 押さえろって……」
 「機体で腕に組み付けってことだよ」
 「なんだと!?」
 エルンストが目を見開いた。ラナロウは急かすように、
 「さっさとやれ! でないとこっちに気付かれるだろうが」
 「しかし」
 「おっさんおっさん、もう諦めて従おうよ。こうなったらもうヤケクソってことで」
 ヤケクソなどと言っている割には、どこか楽しそうなサエンである。エルンストは数瞬迷った後、
 「……クソッ、こうなったら地獄までだって付き合ってやらぁ! おいシェルド、出来るか!?」
 「な、何とかやってみます!」
 ジム・カスタム高機動型のバーニアで逃げ回っていたシェルドが、まず敵機に接近し、その腕に組み付いた。サエンとエルンストも、隙を見てそれに続く。さすがの巨大MSといえども、MS三機に組み付かれては動きを封じられたも同然だった。その光景を見下ろしながら、ラナロウが犬歯をむき出しにして笑う。
 「ふふん、お前らにしちゃ上出来だ。よくやった雑魚ども」
 「いいから早くやれバカ!」
 「任しとけ!」
 ラナロウが操縦桿を握り直す。都合のいいタイミングで、コックピット内に流れるBGMも山場に突入した。耳をつんざく大音響の中、ミリアムは必死に声を張り上げる。
 「敵の動きを押さえてもらったって、I-フィールドはまだ健在だし、ビームサーベルだってもうないでしょう!?」
 「ヘッ、そんなもん無くたっていいんだよ」
 「一体何をするつもりなのよ!」
 ミリアムが悲鳴のような叫び声を上げる。返答は一言、
 「蹴り飛ばすんだよ」
 「……へ?」
 予想だにしない言葉に、ミリアムが目を丸くする。ラナロウはそんなことはお構いなしに操縦桿を操り、ペダルを思い切り踏み込んだ。
  静止していたギャプランが、敵機に向かって右足を突き出した。後部のバーニアが焔を噴き出し、ギャプランは敵機に向かって一直線に降下し始めた。スクリーンに映る敵機の巨体が、ぐんぐん迫ってくる。ラナロウの獣じみた咆哮と、ミリアムの絶叫が重なった。敵機がようやく気付いたように、双眸をこちらに向けてくる。しかし、とき既に遅し。
 「うらぁ!」
 ラナロウの雄たけびと共に、ギャプランのつま先が敵機のカメラ・アイを突き破った。コックピット内に流れるBGMに、けたたましい警報が加わる。ミリアムの全身を衝撃が突き抜けた。ギャプランは右足のつま先を引き抜くと、今度は左足を垂直に上げ、敵機の頭頂部にかかと落としを喰らわせた。モニターに「2COMBO」の文字が現れる。
 「な、何なのこれぇ!? 何がどおなってるのぉ!?」
 涙目でラナロウにしがみつきながら、ミリアムが叫ぶ。ラナロウはアドレナリン全開の物騒な笑みを浮かべながら、
 「格ゲーモード!」
 「はぁ!?」
 「ミンミに無理言ってつけさせたんだよ!」
 「何よそれぇ!?」
 説明している間にも、ギャプランは様々なモーションで敵機に打撃を与え続けていく。回し蹴り、左手での殴打、膝蹴り、頭突き……最早MSの動きではない。敵機の装甲が見る見るうちにへこみ、壊され、無残な姿をさらしていく。しかし、攻撃側であるはずのギャプランも、敵機を殴ったり蹴ったりする度に装甲が吹き飛び、所々から火花を散らしていた。「COMBO32!」という合成音と共に、機体の深刻なダメージを示す警報が気が狂ったように鳴り響き、コックピット内が赤い警戒色に塗りつぶされる。
 「ハハハハハハッ! やっぱ無抵抗の奴を思う存分殴るのが一番面白ぇなぁ!」
 「いやぁぁぁぁ! 夢なら覚めてぇぇぇ!」
 興奮の絶頂に達しているラナロウと、泣き喚くミリアムの声も知らぬ気に、合成音は「COMBO33!」と新記録達成を宣言した。

 その光景は、もちろんダミー隕石に隠れて監視していた彼女らにも見えていた。
 「な、な、な……」
 彼女は食い入るようにモニターを見つめていたかと思うと、わなわなと唇を震わせ、
 「何て非常識な!」
 「や、野蛮だねぇ」
 さすがに、少年の方も余裕の笑みが大分に引きつっていた。少女のほうはあっけらかんとしたもので、
 「凄いねぇ。モビルスーツってあんな使い方もあるんだ」
 「ないよ!」
 少年が間髪いれずに返す。少女はむき出しの肩を竦め、
 「そんな怒んなくてもいいじゃない。あたい、せっかちな男は嫌いだな」
 「あんたに好かれたくなんかない!」
 「ムキになっちゃって……そんなに照れなくてもいいのに」
 「照れてなんかない!」
 少年はそばかすの浮いた顔を真っ赤にして怒鳴り返す。野太い声がコックピットに響いたのは、その直後だった。
 「……ほう」
 感心したような、低い響き。他の三人が一斉に押し黙った。コックピットの一番後ろの席に身を横たえていた、右目に眼帯をした男がのっそりと起き上がったところだった。
 「なかなか、面白いことをする」
 男は、そう言って顎に手を当てる。不機嫌そうな口調ではない。しかし、それでも男以外の三人の間には紛れもない緊張感が流れていた。三人は、無言で俯き、男と目を合わせないようにしていたが、
 「……例のものの準備は?」
 やがて彼女が、極力男の方を見ないようにして、少年に問いかけた。
 「え……あ、ああ、今、完了したところさ」
 少年もまた、男の方を見ないようにしながら、慌てて答える。
 「なら、早くやっちゃおうよ。さっさとしないとサイコガンダムが壊されちゃうよ」
 「言われなくても」
 茶化すような少女の言葉に、少年が手元のコンソールを操作し始める。
 彼らが慌しく動いていることなど全く気にも留めないかのように、眼帯の男は格闘戦を続けているギャプランを、じっと見つめていた。

 「……ったく、無茶苦茶やりやがる……!」
 敵機の左腕にしがみついているEz−8の中で、エルンストは舌打ちした。何せ無重力の宇宙空間だから、ラナロウが言ったとおり敵機を同じ位置に固定しておくことがかなり難しいのである。
 「なんつーか、チンピラ集団の下っ端になった気分だねこれは」
 左腕を押さえているサエンが苦笑混じりに話す。エルンスト自身、顔をしかめながらも瞳にはどこか楽しげな色が浮かんでいる。
 「にしても」
 エルンストは、敵機の頭部付近に目を向ける。ギャプランは、左腕部が半壊していることなど気にもせず、ひたすら敵機を殴り続けていた。エルンストは呆れて、
 「MSで殴るなんて真似するのは、クレアぐらいのもんだと思ってたがな」
 「なんだって?」
 小さな呟きに、サエンがめざとく反応する。
 「こっちの話だ」
 エルンストがそう言って手を振ったとき、不意に誰かの声が聞こえてきた。
 「どこだ……」
 「なに?」
 エルンストは思わず周囲を見回す。そしてそれが、装甲越しに接触している、敵機のパイロットの声であることに気付いた。いわゆる「お肌の触れ合い回線」である。エルンストは耳を澄ました。
 「どこだ、どこなんだ……お前はどこにいるんだ……」
 敵機のパイロットらしき声が、虚ろに響く。
 「殴られて、錯乱してるのか? だが……何だ、この声……聞き覚えがある?」
 エルンストは目を閉じ、必死に記憶を探った。闇の向こうに、誰かの影が見えた。その時、
 「どこなんだ……なあ、答えてくれよ、マリア……」
 「マリア!? うわっ」
 エルンストが驚いて顔を上げた瞬間、コックピットが大きく揺れた。位置調整するのを忘れたため、ギャプランが敵機を蹴り飛ばした振動がEz-8にも伝わってきたのである。
 「何やってんだよ」
 ラナロウが不機嫌そうに言ってくる。サエンが苦笑して、
 「怒るなよ。このでっかいのを押さえておくの、結構難しいんだよ」
 「そろそろ終わらせてくれた方が、こっちとしては有難いんだけど」
 提案するシェルドの声には疲労がありありと滲み出ていた。ラナロウは少し不満げに、
 「チッ、仕方ねぇな……だったら、次で超必殺技を決めてやるか」
 「あくまでも格ゲーにこだわるのな」
 肩を竦めるサエンのことなど無視して、ギャプランが右足を大きく振り上げた。エルンストは慌てて、
 「ちょっと待て、こいつは……」
 言いかけた瞬間、今まさに足を振り下ろそうとしていたギャプランの動きが、ぴたりと止まった。
 「なに……?」
 エルンストが呆気に取られたとき、Ez-8のモニターに「ERROR!」という赤い文字が現れた。エルンストが眉をひそめてコンソールに指を伸ばした瞬間、「ERROR!」の文字が増大して、モニターを埋め尽くした。
 「何だ!?」
 慌てて操縦桿を動かすが、機体は完全に操作不能となっていた。エルンストは舌打ちを漏らす。
 「ウイルスか!」
 MSというのは当然ながらコンピューターで制御されているから、コンピューターウイルスによって機体に誤作動を起こさせるというのは非常に有効な手段である。だが、無論アンチ・ウイルスプログラムも組み込まれているため、機体を一挙に操作不能にすることなど、まず無理な話のはずだが。
 「動け、動け!」
 エルンストはでたらめにコンソールをいじったが、機体は全く反応しなかった。そうこうしている内に、「ERROR!」で埋め尽くされたモニターの片隅で、小隕石が一つ、弾けとんだ。その中から、異様なほどに頭部が大きなMSが一機、姿を現す。
 「偵察用の機体……あいつの仕業か!」
 その機体は急速にこちらに接近してくると、巨大MSを押さえ込んでいる三機を引き剥がし始めた。攻撃してくる素振りは全くない。それどころか、どこか急いでいるようでもあった。ほとんど数秒の間にその作業は完了し、偵察機は破損した巨大MSを引き連れて飛び去っていく。
 「クソッ、待ちやがれ!」
 怒鳴りながら、エルンストは操縦桿を動かした。システムの復旧は既に始まっているようだったが、機体を操作できるほどには回復していない。そうこうしている内に、敵機の機影は完全に見えなくなってしまった。
 「チクショウ、このポンコツが!」
 エルンストは悔し紛れにコンソールを叩いたが、それでMSが動き出すはずもない。
 「どういうことだ……」
 敵機が飛び去っていった方向を見つめて、エルンストは歯を噛み締める。
 「お前は……死んだはずじゃなかったのか、ビリー……」

 「ああ、危なかった。一時はどうなることかと思ったよ」
 偵察機のコックピットの中、少女が安堵した様子でにっこりと微笑む。少年は余裕しゃくしゃくに髪をかき上げ、
 「ふふん、ま、この僕のすること、上手くいかないはずがないんですよ」
 「そうだねぇ。やっぱ君はすごいよ。あたいなんかとは出来が違うんだね」
 少女の手放しの賞賛に、少年は鼻高々に胸を張る。
 「はは、そんな当たり前のことを言ってもらっても困りますね。僕とあなたじゃそもそも生まれが違うんですから。ま、もっとも」
 と、少年はチラリと彼女を見る。
 「僕と同じ存在とされながら、何の役にも立たない人もいる訳ですけど」
 反応はない。少年はムッとして、
 「聞いてるんですか?」
 「……何か、言いましたか?」
 彼女はぼんやりとしていたようだった。いちいち繰り返す気にもなれないらしく、少年は肩を竦める。
 「ふん、これでコーディネイターだって言うんだから」
 彼女はやはり反応せず、自分たちが退避してきた方向をじっと見つめていた。
 そんな彼らの会話には加わらず、眼帯の男は状況に興味を失くした様子で、再び身を横たえている。サイコガンダムのパイロットも、不気味な沈黙を保っていた。広いコックピットには、少年が得意満面で自分の能力を語る声だけが響いている。そんな、周囲の状況など見えていないかのように、彼女はじっと宇宙の彼方を見つめている。
 「……私からの贈り物、是非とも受け取ってほしいもの……」
 彼女はかすかに微笑んだ。
 「久しぶりにお会いできるんですもの……そうでしょう? 親愛なるネリィ姉さま……」
 どこか、薄暗い笑みだった。

 「あー! あのウドの大木が! 今度会ったら速攻ぶっ壊してやる!」
 「ちょっと、静かにして! あなたが無茶した分、システムにかなり異常が出てるんだから!」
 「うるせぇ、そんなもん三秒で直せ!」
 「バカなこと言わないでよ、バカ!」
 「あんだと!?」
 シェルドは、通信回線越しにラナロウの喚き声と、ミリアムが怒鳴り返す声を聞いていた。
 「何か、随分仲良くなりましたよねあの二人……」
 通信回線を開いたまま、呟く。しかし、サエンからもエルンストからも、返事が無かった。
 「……何かありました、エルンストさん?」
 「……あ? 悪ぃ、聞いてなかった」
 「いえ、別に重要なことじゃないからいいんですけど」
 エルンストは、先ほどから何かを考え込んでいる様子だった。シェルドは困惑しながら、
 「それに、サエンも」
 「……ん? ああ、悪い。ちょっとエリスちゃんのこと考えててさぁ」
 いつも通りの軽薄な声に、シェルドは何故か顔をしかめた。
 「いちいちそんなことまで言わなくてもいいよ」
 サエンは面食らった顔で、
 「何でそんな怒ってるんだ、シェルド?」
 「怒る? 僕が?」
 言われたシェルドの方が、逆にきょとんとした。
 「どうして?」
 「俺に聞かれても困る」
 「それはそうだけど」
 「しかし、何だな。シェルドの怒った声聞くってのも珍しいな」
 「え」
 「呆れてるところはよく見るけど」
 「……そうかな?」
 シェルドは首を傾げた。サエンはにやにやしながら、
 「はっはーん。さては、俺がエリスちゃんを狙ってるのが気に入らないんだな?」
 「……エリスを? 僕が? そんな訳ないだろ」
 シェルドの声がまた不機嫌になった。サエンは嬉しそうに、
 「ほらやっぱり! 何だよ、お前もエリスちゃん派かよ」
 「派って何だよ。別に僕はそんな」
 「じゃあ何で怒ったのかな? ん?」
 「そんなの、勝手に決め付けられたら怒るだろ、普通」
 シェルドは分かりやすいぐらいにムキになっていた。サエンは「んー、青春だねぇ」などと、しばらくにやついていたが、不意に、
 「……でもな、悪いことは言わないから、エリスちゃんは止めといた方がいいぞ」
 シェルドは驚いて顔を上げた。サエンはいつになく真面目な顔をしていた。
 「何で?」
 「ん……まあ、いろいろあるけどな。俺から言えることは、見込みがないってことだけさ」
 それ以上、サエンは何も言わずに、シェルドから目を逸らした。その顔から、それ以上の追及を許さない雰囲気が漂っていた。
 「……何だよ、言うだけ言って……」
 シェルドは拗ねたように呟き、やはりモニターに映っているサエンから目を逸らす。
 「あれ?」
 そして、モニターの片隅に、何か小さな物が浮かんでいるのを発見した。おそらく、手の平サイズの物体だ。目に付いたのは、それがわずかに発光していたからだ。
 「何だろう?」
 シェルドはゆっくりと機体を近づけ、コックピットハッチを開き、手を伸ばした。それは、筒状の物体だった。やはり手の平に収まるサイズで、側面部分に文字が刻まれていた。
 「……親愛なるネリィへ?」
 シェルドは無意識の内に、先ほどの偵察機が去っていた方向を見ていた。物体には小さなライトがつけられていた。誰かに拾ってほしかったのは、間違いないだろう。
 「シェルド、ギャプランの応急修理が終わったってさ」
 「何とか自力で動けるらしい。このままコロニーに戻るぞ」
 サエンとエルンストから通信が入った。シェルドは「はい」と頷き、機体を仲間たちの方へと移動させ始めた。その途中、もう一度さっきの方向を見て、
 「知り合い、だったのかな」
 小さく呟いた。

 「あーあー、ったくよぉ、ちっともすっきりしねぇな」
 「まだ言ってるの」
 コンソールを操作しながら、ミリアムが呆れて言った。ベルトはもう外している。ギャプランは半壊状態で、人体が危険にさらされるほどの速度は出せないからだ。
 なおかつ、機体各部に深刻な損傷があるため、ミリアムが細心の注意を払って操作しているところだった。デリケート過ぎて、ラナロウには不可能だったのだ。
 「……っつーか、MSの操作、普通に出来るじゃねぇか、お前」
 「こんな風にゆっくり慎重にやれば、ね。今日の戦いで実感したわ。私にMS戦闘をこなすのは無理だって」
 ラナロウは誇らしげに、
 「だろうな。俺以外に、MSで格闘戦がやれる奴なんている訳がねぇ」
 「あのね、MSの腕っていうのは殴るために作られてる訳じゃ……もういいわ」
 ミリアムは疲れた様子で話を打ち切った。そして、小さく呟く。
 「……いっそ、格闘専用のMSでも作ったほうがいいんじゃないかしら」
 「あん?」
 「何でもないわ……ま、いろいろデータも取れたし、よしとしますか」
 「へぇ」
 「今度こそ、あなたの眼鏡に適う物を作ってみせるわ。期待してなさいよ」
 ミリアムは、自信ありげにそう言った。

 「データが消えてる!?」
 MSデッキに、ミリアムの声が響き渡った。そのすぐそばで、ダイスが頷く。
 「ああ。ギャプランだけじゃなく、今日の戦闘に参加した機体全部からじゃ。今日の交戦記録が全部消されとる。敵ながら器用な真似をするわい」
 ダイスはハゲ頭を撫でながら言った。ミリアムの全身から力が抜けた。重力があったらへたり込んでいるところだ。
 「……あそこまで苦労して、何も得るものがなかっただなんて……」
 「そうでもないじゃろ」
 言って、ダイスはにやりと笑う。
 「ミン坊から聞いたぞ、嬢ちゃん。シミュレーターの完成度を上げるためにギャプランに乗り込んだんじゃろ?」
 「え……はい、そうですけど」
 「見上げた根性じゃわい。大丈夫、データには残っとらんでも、あんたの頭が全部覚えとる。自信を持って改良したらいい」
 ダイスは力強く、ミリアムの肩を叩く。ミリアムは少しの間黙って考えていたが、自信を取り戻した表情で頷いた。ダイスも満足げに笑う。
 「ま、ワシ等も出来ることがあったら協力するわい。頑張っとくれ」
 「ありがとうございます……それじゃ、早速作業に取り掛かりますので」
 言って、ミリアムはデッキの入り口に向かって地を蹴った。ダイスは慌ててその背中に手を伸ばす。
 「おい、そんなに急がんでも、ちょっと休んだらどうじゃ?」
 「いえ、コンピューターと違って、人間の記憶は消えやすいですから。体が戦闘の空気を覚えている内にやっちゃいたいんです。それじゃ、失礼します」
 一礼して、ミリアムは張り切ってデッキから出て行った。ダイスは苦笑気味にハゲ頭を撫でながら、
 「やれやれ、何だか随分たくましくなったもんじゃわい」
 「ま、この俺のおかげだな」
 ダイスの独り言に答えたのは、ラナロウだった。振り向くと、一人満足げにウンウンと頷いていた。
 「ふふん、周りの腰抜けどもにもいい影響を与えるとは、さすが俺だな。自分でもこの才能が怖くなるぜ」
 「……ラナロウ」
 「あん?」
 ダイスの低い声に、ラナロウがきょとんとする。次の瞬間、ラナロウの頭に怒りの鉄拳が炸裂していた。
 真っ赤にした顔に青筋を立て、ダイスがギャプランを指差す。ギャプランは「格ゲーモード」のおかげでひどい状態だった。ラナロウは目に怒りを込めて立ち上がった。
 「うるせぇ、こうするしかなかったんだよ! また直せばいいじゃねぇか」
 「簡単に言うなアホ。ここまでぶっ壊れちゃ手に負えんわい。もう廃棄じゃ廃棄!」
 「んだと!? テメェ、ギャプラン捨てやがったら殺すぞ! 意地でも直せ」
 「意地にも限界っつーもんがあるわい!」
 「この野郎、リ・ガズィだって直してるじゃねぇか!」
 「あれはまだマシじゃ! 毎度毎度性懲りもなくぶっ壊してきおって! もう金輪際お前の機体なんぞ直してやらん! ちっとは反省しろ、反省」
 「自分の腕の悪さを棚に上げて言ってんじゃねぇぞクソジジイ!」
 「なんじゃと!? そっちこそ腕が悪いからこうなったんじゃないのか、ええ!?」
 売り言葉に買い言葉。二人は唾を飛ばして罵りあい、挙句の果てに拳を振り上げたので、周囲の整備員は慌てて二人を取り押さえた。

 着艦してからも、シェルドは機体から下りずに、周囲の様子をぼんやりと眺めていた。その視線が、ラナロウとダイスが取っ組み合いをしているところの反対側で止まる。
 「エリス、か」
 小さな呟き。モニターの一部を拡大する。エリスは、修理中のリ・ガズィのそばでミンミと話しているところだった。シェルドは小さく咳払いをし、
 「別に、そんなんじゃないけど」
 誰にともなく言い訳しつつ、像をさらに拡大した。話しているエリスの顔が、モニターに大写しになる。穏やかな笑顔。シェルドの顔が赤くなった。
 「何やってんだ、僕は。これじゃ覗き見じゃないか」
 呟きながらも、シェルドは魅入られたようにエリスの顔から目を離さなかった。
 「これじゃサエンやジュナスのこと笑えないな」
 自嘲気味に呟き、シェルドはエリスの微笑をじっと見つめ続ける。
 「サエンの言うとおり、可愛いとは思うけどさ……だからって、別にそんなんじゃないよな……今までだって、そんな風に思ったことなんて一度もなかったし」
 ただ、サエンがあんなことを言うもんだからちょっと意識してるだけさ、と、シェルドは自分の独り言に決着を着けた。と同時に、エリスたちの話も終わったらしく、ミンミが一礼して離れていった。エリスが小さく手を振っているのを視界の隅に収め、シェルドは小さく息を吐いた。
 「さて、と。いつまでもこんなことやってる訳にはいかないな。ネリィさんに届け物もあるし……」
 言って、シェルドはモニターを切ろうとした。しかし、ふとそこに映っている物を見て、目を見開いた。
 「……エリス?」
 そこには、相変わらずエリスの顔が大写しにされていた。だが、その表情が一変していた。張り詰めている、というよりは、追い詰められている、とでも言うべきものであり、真剣、というよりは深刻な色が強い。そして、何よりも、彼女の瞳はぞっとするほど冷たい輝きを放っていた。モニター越しにもそれが分かる。シェルドは息を呑んだ。
 エリスはその表情のまま、何事かを考えながらその場を立ち去る。シェルドは彼女がデッキから出て行くのを見送った後、コックピットハッチを開けた。
 「よ、お疲れ」
 開いたハッチの向こうから、シェルドが笑顔を突き出してきた。そして、すぐにきょとんとして、
 「どうした、そんなおっかない顔して」
 「……いや」
 シェルドは首を振ったが、表情から硬さが消えないのが自分でも分かった。不審そうなジュナスに、シェルドは右手に持っていた筒を差し出した。
 「これ、ネリィさんに届けてくれないか」
 「え、なに?」
 「外で拾った。ネリィさん宛てらしいから。じゃ、よろしく」
 短く言って、シェルドはジュナスに筒を押し付けてコックピットを抜け出す。ジュナスが慌てて、
 「お、おい」
 シェルドの背中に声をかけたが、振り返りもせずにどこかに行ってしまった。
 「何なんだよ、ったく……」
 ジュナスは面倒くさそうに頭をかきながら、筒を見る。
 「ホントだ、親愛なるネリィへ、だって。でも、何だろうな、これ……?」
 さらに筒を観察していたジュナスが、不意に目を見開いた。
 「……この印……」

 「ミンミ、ちょっといいかな」
 ダイスとラナロウの乱闘を止めようとしている人々の近くで、シェルドはようやくミンミを見つけて声をかけた。
 「あ、シェルドさん。先ほどはご苦労様でありました! 生還されて何よりであります!」
 ミンミはピシッと敬礼を決め、
 「自分に何か御用でありますか?」
 「うん、大したことじゃないんだけど……さっき、エリスと話してたよね?」
 「はい、お話ししたでありますが……?」
 それが何か、とミンミは首を傾げる。シェルドは少し考えてから、
 「何を、話してたのかな?」
 「は。何を、でありますか?」
 ミンミは不思議そうな顔をしながらも、
 「BD一号機のことについて、質問されていたであります」
 「BD一号機?」
 シェルドは、デッキの向こうに見えている蒼い機体をチラリと見た。
 「何で?」
 「最近シーちゃんの調子が良くなさそうだから、万一のときにしっかりサポートできるように、BD一号機の性能を把握しておきたかったそうであります」
 「シスの調子が、悪い?」
 シェルドは不可解そうに目を細めた。ミンミはエリスの言ったことに何の疑問も抱いていないらしく、笑顔で続けた。
 「自分にはそうは見えなかったでありますが……第三小隊の皆さんは仲良しでありますから、ちょっとした変化でも相手の調子が分かるのかもしれないでありますね」
 「仲良し……か」
 確かに、表面上はそうだ、とシェルドは思った。
 (でも、さっきのエリスの表情は……仲間のサポートについて考えてる表情なんかじゃなかった。あれは、どっちかと言うと……)
 「あの、シェルドさん?」
 呼ばれて、シェルドはハッとした。思わずその場で考え込んでしまったようだ。ミンミが不安そうな顔をしていた。
 「自分はまた何かまずいことを言ってしまったんでありますか?」
 「いや、違うよ。ちょっと、ね。ありがとう、ミンミ」
 「お役に立てれば幸いであります」
 そう言って、ミンミは人の良さそうな笑顔を見せる。人を疑うことを知らないような、無垢な微笑みだった。いたたまれなくなったように顔を伏せて、シェルドはその場を立ち去った。

 「あ、いたいた……ネリィ!」
 艦長室に続く廊下を歩いていたネリィは、不意に後ろから声をかけられた。振り向くと、そこに第二小隊のジュナスがいた。左手に、何やら筒のような物を持っている。
 「やっと見つけたよ。届け物があってさ」
 「届け物? 私にですか?」
 「うん、そう。ああ、でもネリィって見ればすぐ分かるからいいよな。そんなひらひらしたの履いてる金髪巻き毛の人なんてネリィぐらいのもんだもんな」
 遠慮なしにそう言って明るく笑うジュナスに、ネリィは気分を害されたようにわずかに顔をしかめた。
 「それで、届け物というのは?」
 「ああ、そうだそうだ、忘れるところだった、いけねえいけねえ」
 「……相変わらずそそかっしいですわね、あなたは」
 ネリィはため息を吐く。
 「ははは、よく言われるんだよなこれが。もうちょっと落ち着けとかさ」
 ジュナスはやたらと楽しそうに笑う。ネリィは首を傾げた。
 「何でそんなに舞い上がっておられるんですの?」
 「ははは、そりゃだって、なあ?」
 「なあ、と言われましても困りますわ。きちんと説明していただかないと」
 「だってさぁ、こんなとこにお仲間がいるとは思わなかったからさ」
 「お仲間?」
 ネリィは困惑して眉をひそめた。そんな彼女の戸惑いなど気にもかけず、ジュナスは右手に持っていた筒をずいっと突き出してくる。
 「これ。何か外に落ちてたんだってさ」
 「外……? 何故それを私に?」
 「ネリィ宛てなんだよ」
 見ると、確かに筒の側面に「親愛なるネリィへ」という文字が刻み込まれていた。
 「それだけじゃないんだよな。その筒の、蓋のとこ見てみてよ」
 「蓋?」
 言われて、筒の蓋を見る。そこには、バラの紋章が描かれていた。
 「……」
 ネリィの目が大きく見開かれる。
 「いやぁ、俺もそれ見てビックリしちゃってさ。まさかネリィが……」
 ジュナスの嬉しそうな言葉は、半分もネリィの耳には届いていなかった。ネリィの視線と意識は、バラの紋章に釘付けになっていたのだ。
 「……失礼いたします!」
 一方的にそう言い捨てて、ネリィは来た道に向かって駆け出した。
 「え、ちょっと!」
 ジュナスが後ろから声をかけても、止まる気配すら見せない。ネリィの背中が曲がり角の向こうに消えてから、ジュナスはぽりぽりと頬をかいた。
 「……何か、皆忙しそうだな……」
 呟いてから、また気楽な笑顔になる。
 「ま、いっか。嬉しい発見もあったことだし。しかし、まさかこんなところでなぁ。ビックリだなぁ。こんな偶然って、あるもんなんだなぁ」
 言いながら、鼻歌混じりに歩き出す。その足取りはどこまでも軽かった。

 廊下を駆け抜けて自分の部屋に戻ってきたネリィは、急いで扉をロックすると、部屋の照明の下で件の筒を確かめた。
 「……やはり、これはクォーツ家の紋章……」
 呟き、額を押さえてため息を吐く。
 「何故今頃になって……? いいえ、それよりも、私がここにいるのはとっくの昔にばれていたということですの? それなら、何故連れ戻そうとしないのです……」
 ネリィは目を閉じて考え込んでいたが、やがてまた筒を観察し始めた。そして、気付く。蓋の部分が、スイッチのようになっていた。押し込むと、「親愛なるネリィへ」と書かれていた部分の反対側の側面が、静かにスライドした。内部から、デジタル表示の文字が現れる。
 「母様の名をお言いなさい」
 母様、という単語を目にしたとき、ネリィは嫌悪感も露わに顔をしかめた。
 「……ラビニア……」
 吐き捨てるように呟くと、底の部分が開き、中から一枚の丸めた紙が滑り落ちた。拾い上げて開く。
 「親愛なるネリィ姉様へ。近々、久方ぶりにお会いすることとなりましょう。つきましては、十年前私になさった仕打ちを精算させて頂きたく存じます。お覚悟を。シャロン・キャンベル」
 ネリィは首を傾げながら、何度も何度も手紙を読み返した。しかし、読む度に眉間のしわは深くなるばかりだった。
 「シャロン……私が、あなたに何をしたと言うんですの……?」
 小さな問いかけに答える者は、無論、誰一人としていなかった。

 乗組員たちの細々とした問題を孕みながらも、グランシャリオの日々は確実に流れていく。そうして、三日の時間が過ぎた。その間、ミリアムはトレーニングセンターにこもりっきりだった。整備員たちも仕事の合間を縫ってそのサポートに駆けつけ、装置の改良は順調に進んだようである。
 「……どうだった?」
 シミュレーターのハッチを開いて出てきたラナロウに、腕を組んで仁王立ちしたミリアムが問いかけた。
 ラナロウは後頭部をかきながらミリアムに歩み寄り、遠慮なしにぐしゃぐしゃと頭を撫で回した。
 「ちょ、ちょっと」
 「合格も合格、大満足だ! ここまで出来りゃ大したもんだぜ!」
 「え……」
 ミリアムは目を見開き、どこか信じられないような面持ちでラナロウの顔を見上げる。満足げに、犬歯を見せて笑っていた。見る見る内に、ミリアムの顔に喜びが満ちていく。
 「いぃ……やったぁぁぁぁ!」
 「やったでありますね、ミリアムさん!」
 万歳して喜ぶミリアムに、ミンミが駆け寄る。二人とも、目の下の隈とボサボサの髪が痛々しい。ミリアムはもちろんのこと、ミンミもサポートのためにずっと付きっ切りだったのである。二人は手を組んで踊りだした。
 「ありがとう、これもミンミちゃんのおかげよ、本当にありがとう!」
 「そんな、自分の力など微微たるものであります。全てはミリアムさんの努力の賜物なのであります!」
 ミンミらしい、手放しの賞賛。ミリアムの瞳に涙が浮かんだ。
 「ご協力してくださった皆さんも、ありがとうございました! これもそれも、全部皆さんのおかげです!」
 ミリアムは周りで見物していた人々に大きく頭を下げた。拍手と口笛がトレーニングセンターに満ちる。ミリアムは何度も何度も頭を下げている。その体から力が抜け、ふらりと倒れこみそうになったのをニキが慌てて抱きとめた。
 「ミリアムさん、大丈夫ですか?」
 「す、すいません。エヘヘ、何だか気が抜けちゃって……」
 ミリアムは、ニキの腕の中で気恥ずかしげに微笑む。疲労感と同時に、達成感と充足感が全身から漂ってくる。ニキは労わるように頷き、
 「無理もありません、ほとんど三日休みなしでしたからね……我々乗組員一同、ミリアムさんに最大限の賛辞を捧げさせていただきますよ。ですよね、ラナロウ?」
 ニキが、ミリアムを抱きかかえたままラナロウに向き直る。ラナロウは珍しく満足した様子で頷き、
 「ああ。まさか、俺もこいつがこんなに面白くなるとは思わなかったからな」
 言って、ぽんぽんとシミュレーターの筐体を叩く。物語としては最高の終わり方だと、誰もが微笑んだ。が、
 「いやぁ、これで連日連夜タダゲーが出来るってもんだ!」
 ラナロウの脳天気な笑いに、瞬時に空気が固まった。ミリアムの笑顔が凍りつき、ニキの微笑が引きつる。
 「ん? どうしたお前ら?」
 一人、ラナロウだけがきょとんとした顔をしている。ミリアムは無言でラナロウに歩み寄り、
 「……あなた、今『タダゲー』とか言った?」
 「それがどうかしたのか?」
 「……私が、何でこんなに苦労してシミュレーター改良したか、分かってる?」
 「ん? 俺がクソゲーつったのが気に入らなかったんだろ? 今なら十分客取れるぜ、これ。良ゲーだ、良ゲー」
 あくまでも、ラナロウは上機嫌だ。
 「そうじゃなくてね、ゲームとかそんなつもりじゃなくてね、私はこのシミュレーターを実戦に向けた訓練に役立ててもらおうと」
 「実戦?」
 ラナロウは素っ頓狂な声で言って、
 「はは、馬鹿言うんじゃねぇよ。こいつはあくまで実戦に近いのを体験できる玩具だろ? 訓練なんかに使える訳ねぇだろ」
 ゲラゲラと笑った。ミリアムの全身が細かく打ち震える。噴火寸前。しかし、そんなことになど微塵にも気付かぬ様子で、ラナロウはポンとミリアムの肩を叩き、
 「で、これいつゲーセンに入るんだ?」
 その瞬間、その場の誰もが「何かが切れる音」を聞いた。止める間もなく、
 「この……クソバカ猿!」
 どこからそんな力が湧いて出たのか、ミリアムは大きく跳躍してラナロウの顎に膝蹴りを叩き込んだ。決して細くはないラナロウの身体が、一瞬宙に浮く。ミリアムは間髪いれずに数発の拳撃を放つ。全弾命中。誰かが「エリアルコンボ!?」と叫んだ。ミリアムは、そのまま床に倒れ付したラナロウの体に乗っかり、マウントポジションで何度も何度も殴りつけた。
 「私がっ、こんなにっ、苦労したってのにっ、このっ、猿がっ、猿がっ、猿がぁっ!」
 「す、凄い、あのラナロウが成す術もないなんて!」
 「いや、驚いてる場合じゃないってジュナス。ちょっと、止めなよミリアムー!」
  近くで見ていたジュナスとカチュアが、慌てて止めに入る。結局、数人がかりで取り押さえるまで、ミリアムはコンボ記録を伸ばし続けたのであった。
 「……あの動き、MSに組み込めば……」
 「止めておいたほうが無難だと思いますが」
 冷静に観察しているミンミに、ニキがため息混じりに答えた。



 機動戦記Gジェネレーションズ第二幕 第一話 『その男、ラナロウにつき』 完