【1000だったからSSうp】朔氏




 4.胎動

 気が向いて食事に向かうまでに多少の時間はかかったものの、部屋を出てから食事を取るまでは、そうかからなかった。食堂の端末から注文を出せば、全自動化された食堂はすぐに料理を出してくれる。さすがにハロは邪魔なので、自立移動させ、料理を受け取って席に着いた。
 この時間に食事を取るような人間はさほど多くなく、数百人は収容できる食堂もがらがら。だから、わざわざシェルドの向かいの空席を埋める必要があったとすれば、それはシェルドに用があるということだ。
 そして、軽食を持ったトレイを置いて、向かいに座ったエリス・クロードにはシェルドに用があった。
「久しぶりね、シェルド」
「久しぶり。ハロも会いたがってたよ」
 ハロは自分からそういう事は言い出さない、つまり方便だ。しかしハロは同調する。
「ハロー、エリス。ハロー、エリス。会イタカッタ、会イタカッタ」
 何処まで状況を把握して音声を作り出しているのか、いつまで経ってもシェルドには分からなかった。AIを弄った本人に尋ねても「企業秘密だ」だとか適当にはぐらかすばかりで、まともな答えを貰えた試しはなかった。



「久しぶり、ハロ」
 エリスはそこで一旦、微笑んで言った。それから表情を戻して、シェルドに言う。
「ラナロウから聞いたわ。また罰則だったんだって?」
 ビーンズサラダをつつきながら、エリスが切り出した。
 シェルドは肩をすくめるような仕草をして、塩茹でのニンジンを口の放り込む。
 ちなみにラナロウというのは、ラナロウ・シェイド。工科のパイロット候補、その上位にいて、下位のものを見下すような口調でいるくせに、しょっちゅうシェルドには構う。つまり今日の暮れにシェルドをからかった張本人でもある。それでも、ごくごく普通に会話を交わしているものだから、初めて見るものにとっては首を傾げざるをえない光景だ。ただ、いわゆる幼馴染の部類にあることを知っていると、その疑問は一瞬にして払拭されるだろう。そして、このエリスも同じように馴染み深い。ハロの送り主もこの二人だ。そして、ハロのAIをいじくった張本人はラナロウだった。この三人は、エリスこそNTの素質を見出されて、専門課程に移ったものの、今でもそれなりに交友を続けていた。
「居眠りでね」
 シェルドは軽く言った。深く話しをしたいとは思っていなかったからだ。
 しかし、エリスは切り込んでくる。




「真面目に受けたらどうなの? 選別試験に興味ないって言っても、卒業評価には響くでしょう。卒業したら、就業するんだから」
「仰るとおり。でも、居眠りってのには"つい"ってのがあるだろう?」
 反省の様子のない友人にエリスはため息を一つ。昔からこう、掴み所があるのに掴めない、妙な人物だった。そんな風に記憶を反芻した。
「それにしても、皆、どうせ受かりもしないのに良くやるよ」
 これは客観的な現実だ。本当に合格するのは本当に一握りの人間だけ。新たに次々と生産され、そして次々と世代が交代して行く中で、選抜された部隊を作り出すこのシステムは、一度きりの試験で優秀な成績を収めた人物。それをさらに吟味して選び出されるもので、このArk内部で突発的な事故で死ぬくらいの確率だった。
「そういうのは余り口にしないのが身のためよ」
「エリスにだから言ってるんだよ。それとも君が密告する?」
「そうね。それも悪くないかもしれない。同じように"乗り気でない"ようには見られたくないもの」
「十七管区最優秀な癖によく言うよ。僕と似たり寄ったりな成績だったなんて思えない」
 シェルドはそう言って笑った。



「逆に考えて、シェルドもここまで来れる、とは思えない?」
「僕は楽観主義者なんだ」
「悲観主義に見えるけど、そこには複雑な事情があるのでしょうね」
「整備はそれなりの成績なんだよ。ただ、遅れているだけ」
「で、今度は何処に転科するの? 整備に転科する前だって、それなりの成績だったじゃない。それとも、あの事故で」
 事故で。続く言葉を言いかけていたエリスの言葉を遮って、シェルドが言う。
「あいにく僕が学生でいる間に次のプロジェクト選抜試験はなさそうだし。だから、今度の試験さえ終われば、さほど気にしなくても良いってこと」
 プロジェクト選抜試験は10年に一度。だから、普通は試験に神経を尖らせ、必死になって取り組むのが常なのだ。
「冷凍睡眠って手もある」
 冷凍睡眠は、一種の救済処置である。試験が行なわれる期間に開きがあるため、完全に受けることの出来ない学生もいる。それゆえ取られる処置だ。しかし、これは全ての課程を修了した時点で受けたい、と願う学生にも適応されるものでもある。つまり希望すれば、最大で二度受けることが許されるのだ。
「どうして其処までして参加する道理があるのさ。それに、僕の感応試験の成績って知ってる?」
 その問いにエリスは、どうにもバツが悪そうに言った。
「あれは一種の目安みたいなものであって、後天的に幾らでも成長するものだし……。そもそも突然、覚醒することだってあるのは常識でしょ」



 シェルドのその成績が、お世辞にも良好とは言えないことをエリスはよく知っていた。
 だからと言って、それを理由にする事を許すエリスではない。それでも負けじとシェルドは言う。
「けれど、それも今度の試験では評価の一つでもある。もちろん、二次試験以降でだけど」
 一次の試験は、大きく二つに分けられ、脳加速型のシミュレータを使った、艦隊運用、MS運用等など。それらを模擬戦争の中、配置された部署をこなすもの。それから、実際の宇宙で平時の延長としての様々なテストがある。これらは希望する分野に関して振り分けられはするものの、直前までその試験内容は告げられず、伝えられた時点から試験が始まるといった寸法だ。そして、この一次試験を突破したものを、さらに試験履歴や人物評価による書類審査でふるいにかける。シェルドが言った感応試験というのは、俗に言うニュータイプ適性検査のことであり、これも二次試験の審査項目だ。通常なら、書類審査が先行しそうなものではあるが、それをしてしまうと希望分野が偏って試験の進行が滞る恐れがあるため、全員参加なのである。そういった大規模な無駄とも言えることを出来るほどの力を人類は手にしていた。
「つまり、やる気がないのね?」


 エリスはのらりくらりとかわすシェルドを煽るつもりで言ってみせる。
 しかしシェルドはと言うと、「その通り」と残りの一口を頬張る始末。のれんに腕押しとはこのことだった。
 その様子にさすがのエリスも、ため息をついた。ちょっとくらいやる気にさせてやれよ、と焚きつけられて着たものの、当の本人は本当にやる気が無い様子なのだ。ため息も出るというものである。
「……周りに迷惑だけはかけないようにね」
「その点だけは努力するよ」
 殆どの受験者が『いざ』と意気込み、緊張して向かえようとしているこの試験。それ無難にこなすと宣言するのは、どれ程の精神的余裕であろうか。しかし、それに突っ込みを入れるものはここには居ない。エリスは実に優秀であり、さほど力みが入っているわけではないし、必死になって追い込みをしている同級生たちに至っては、かの選抜試験を間近に控えた夜になど、ゆっくり食事などしては居なかった。心にそんな余裕が無いのだ。
「今だからこそ言うけど」
 エリスは少し微笑み、そして切り出した。
「あの事故から、ちょっとシェルドって冷たくなった」
「……そう?」
 シェルドは心外だ、と思う。けれど、それをすぐに訴えない器量も持っていた。それに、エリスの言葉はまだ続きそうだったからだ。



「あの事故のこと、よく覚えてないってホントなの?」
 それはタブー視されるようになっていた事だ。安全が保障されていたはずの中で起きた事故。これまで長い事、話題に上がらなかったことだ。それにはまず、そもそも事故の存在を知るものが、ごく限られたていた事が挙げられる。
 最初のトラブル発生のときには、そこにシェルドと同じくして居た訓練生、そしてシェルドを救い出そうとした者たちがいたのだが、絡み合った事情により戒厳令が敷かれ、隠匿されることとなった。その表立った理由としては『日常的に使うはずのものが命にかかわるような事故を引き起こした。原因もはっきりしている以上、対策は容易く行なえる。これ以上の混乱は避けなければならない』だった。そういった経緯もあって、そのことが話題になることは、まずありえなかった。つまり「今だからこそ」と断りを入れたのは、タブー視され、口止めをされていたからだった。
「覚えてないのは本当だよ。いつものようにシミュレーターに入って、そこから記憶は曖昧。気がついたら病院のベッドの上で、エリスが隣に座っていて」
「そう、私がせっかくお見舞いに行ってたのにシェルドったら、"そんなところで何してるの?"って言った」
「本当にそう思ったんだから仕方ないだろう?」とシェルド。
 するとエリスは「やっぱり冷たい」と険しい顔で言う。
「だから……」
 シェルドは返答に窮した。


 不意に断裂してしまった時間を繋ごうと、何か、と思ったものの、目の前にあったのはすっかり平らげたトレイだけ。仕方なく水の入ったカップを掴んだ。くるくるとこね回して、持て余した間をどうしようかと迷う。
 とどのつまり、シェルドは困り果てた。そこへエリスが破顔一笑してみせる。
「冗談よ」と纏まった息を吐き出し、笑った。
 そこでようやく、からかわれたのだと気がついた。
 普段見ないエリスを見つけたようで、唖然としていると、エリスは続けた。
「でも、考えがずっと淡白になったとは思う。やっぱり深層意識で、何か変化があったのでしょうね。それとも、無邪気さみたいなのが消えたのは、成長したの?」
「だといいけどね」
「まるで他人事――」
 他人事、の後に言葉が続くはずだった。しかし、そうはならず、代わりに少女らしい悲鳴が続くこととなった。
 何か、大きな音がしたかと思うと、強い振動、それもちょっとやそっとではない。
「何だ!?」
 シェルドも不意をつかれたそいつに、慌ててテーブルにしがみついた。
 エリスも同じようにテーブルを掴んで、その揺れに耐えている。ハロは「ナンダ、ナンダ」と繰り返しながら跳ね回って、いや安定できなくて飛び跳ねてしまっている。




 最初、デブリが衝突したのか、と思った。けれど、すぐにそんな考えは捨て去る。デブリは全周警戒の自動迎撃システムが打ち落とすはずだし、もしそれが出来ないほど条件で飛来した場合であっても、区画閉鎖や警報がとっくに鳴り始めているはずだ。それが死んでいるなど、ありえはしない。対応がなされていなければ、各所で減圧が起こって大変な騒ぎになる。それに、振動が続いているというのも頷けない。
 初等教育で習った知識を引っ張り出しながら、シェルドはさらに考えた。では、他の可能性は何か。
(区画が切り離されている……?)
 導いた解答はそれだ。
 しかし、切り離されていると言っても、Arkから完全に外れることはない。接続が解除されるのは、最初に考え付いた、外殻が破壊されたなどした場合の減圧対処の一環として行なわれるそれで、シャフトが切り離されるようなことはない。もし、切り離すにしても、高速度で回転して重力を発生させているArkから離れるということは、無重力になるということになる。結果としてそうなる前にでも、重力が均一のままというのはありえないはずだ。
『現在、発生中の振動ですが、原因は調査中です。慌てず騒がず、教員の指示に従ってください。繰り返します――』
 管理の対応は思いのほか早かった。詰めていた誰かによるものだろう、館内放送として流れ始める。
「それぞれ戻りましょう。ここに居ても何も分からないわ」
 シェルドは続く揺れの中、頷いて見せた。それから「気をつけて」と告げる。


「貴方こそ」
 そうして、真逆へと分かれた。
 食堂の出入り口は三方向。そのうちの一つへ、揺れが収まらぬ中、転ばぬよう移動する。
「ハロ、ハロ」
 ハロの声だ。
 咄嗟のことで、ハロの事をすっかり忘れてしまっていた。
 その音声に反応して振り返ると、転がったハロは器用にも別の入り口のあたりを進んでいくのが見えた。エリスの向かった最寄の場所とも違う、別の方だ。(この見つけたハロは違うハロ。忘れているのに気づいて、エリスが連れて行った)
「どうしてあんなところにっ!」
 シェルドは一人毒づき、追いかけた。考えゆえのことではない。置いていくなんて可能性を端から持っていなっただけのことだ。
 揺れは相変らず続いている。
 それでもシェルドは無理をしてでも追いかけた。
 出入り口となっている自動扉は開いたまま。一旦、そこの縁に手をかけ、ハロの跳ねてゆく方を見やった。すると、違うものが先に目に付いた。
 いや、目が合った。
「女の子……?」
 シェルドは呟いた。
 何故、こんなところに、あんな女の子がいるのだろう。そういう呟きだった。
 ここはいくら教育施設であるといえど、初等教育は行なわれているわけではない。見るからに幼い、大よそに見積もっても十歳かそれを超えたあたりにしか見えない、そんな少女がいるには場違いすぎる。
 しかし、そんな戸惑うシェルドとは違い、その少女は何事もないかのようにハロを抱き上げ、そして、ふっと目を逸らしたかと思うとそのまま駆け出した。
「ちょっと!」
 シェルドは声を張り上げたが、さっさと小ぶりな身体は振動の中を駆け抜けていく。まるで、何事もない平時のときのように、だ。




「ったく……」
 苦々しく呟き、「仕方ないな……」と続けた。
 シェルドの判断はこうだ。何か、は分からないものの異常事態の今、場違いに迷い込んだ少女を放っておくわけにはいかない。特に、この第十七管区は工科があることもあって、最端部に位置し、宇宙港たるドッキングベイに程近い。何か異常があるならば、危険と近い位置にあるとも言えるのだ。それに、ハロの件もある。だから追う。追って、避難させなければならない。
 そうして、シェルドが後を追い、駆け出したタイミング。その頃になって、ようやく振動は終わりを見せた。変わりに事が始まり出す。時間は夜のを深めてゆく頃。シェルドは、こんな時間にあのような少女が迷い込むはずがないとまでは、咄嗟には推し量ることができなかった。