【1000だったからSSうp】朔氏




 5.鳴動

 コンサート会場は、熱気に包まれていた。
 実にそれは、スタジアムを埋め尽くさんばかりの大観衆で、ほぼ全員が立ち上がり、今か今かとシャロンの登場を待ちわびているのだ。
 あまりの人の数に、警備にあたる者からは、仕事の困難さを見て取れる。
 民間のイベントに軍が小型の対人MSを持ち出す勢いなのだから、そう見ることはたやすい。立哨する小型MSは、十数機。いずれも、テロの警戒に余念が無い。これだけの人だかりなのだ。中に爆発物ひとつ放り込まれるだけで、一次被害以上に人の波による二次被害が用意に予想される。故に警戒は厳だ。
 しかし、そんな警備にあたるものも、シャロンの歌は楽しみなものだった。
 チケットはすぐに完売。高額なオークションチケットを手に入れなければ、生の歌声は聴くことが出来ないはずだった。しかし、彼らはそこにいるのだ。役得と思わずして何と言えよう。
 そんな彼らを他所に、やがて、曲が流れ出した。
 それは、シャロンの代表曲、出会いの歌だ。
 会場の照明は絞られ、スポットライトがステージに現れたシャロンへ注ぐ。
 それまで、騒がしかった会場が、一気に静まり、伸びのある歌声が、拡声器を通していないとは思えない声量で、けれど繊細な音楽で、満たし始める。
 初めて生の歌声を耳にする人は思うだろう。
 『これがシャロンか』と。
 二度目の観客は思うだろう。
 『やはり、素晴らしい』と。
 曲は徐々に盛り上がりを見せてゆく。まるでオーケストラが後ろにあるかのように、力のある歌声は、ピアノ単体の伴奏しかないとは思えないほどの迫力がある。
 それでいて、伸びやかに響くのだ。
 曲の中盤、ホログラムになったシャロンが空に投影され、観客の目を引く。
 シャロン・キャンベル。幾らかの束に取り纏めても、大きく膨らんだ金色の髪。神々しいようなその容姿に、歌声に、人は惹かれていく。
 彼女の人気は本物だった。
 やがて、一曲目が終わった頃だ。
 観衆は、声を張り上げて声援を飛ばし、シャロンは満足そうに辺りを見渡す。ステージ上からは、人の顔など一つも分からないが、全てが自分の方へ向いて、歓声を送っていると思うと、満足以外の何者でもなかった。
 続いて、シャロンは二曲目がある。
 MCを挟まずに歌い続けるのが彼女の流儀だ。
 しかし、その二曲目が始まることはなかった。
 突如、会場を――いや、コロニー全体を振動が襲ったのだ。それは、シェルドが『区画の切り離し』だと認識した振動と同じものだった。

 エターナは酷い不快感に襲われていた。
 そいつは、頭の中に入り込んでこようとする。それは一つは二つではない。けれど、塊となったモンスターのようなものだった。
 タイミングから考えて、察しはついている。仲間が行動を起こしたのだ。
 しかし、それが分かっていたとて、どうしようもないものだ。
 ――強烈な意思の渦。
 飲まれまいと、懸命に自分を保とうとする。巻き込まれたら、引きずられてしまう。それは明確に"わかる"ことだ。それでも、いくらかが頭に食い込んできては、エターナの感覚の邪魔をする。それは、悲鳴、絶叫、恐怖、そういった負の感情の塊だ。受けてもダメ、逃げようとしてもダメ。上手く受け流すしかない。
「くっ……」
 瞬間、僅かながら機体操作を誤ったのは、実にその影響だった。その小さなミスは、徐々に戦闘における優位性の歪を大きくしてしまう。
 いくら敵も量産された同型機、フェニックスタイプだと言えど、本物のニュータイプたるエターナの敵足りうるとは言えない。しかし、機体性能は、ほぼ互角。パイロットを補助するシステムは充実していたし、強化されたパイロットたち。そして、練度に然したる差はない。互いに実戦経験は無いとも言えたし、あるとも言えた。共に実戦と同様に感じる脳を酷使しながら行なう、かのシミュレーターで訓練したパイロットなのだ。だから、如何に敏感に、シャープに感じられるか、それが勝負の分かれ目。
 エターナは飛行形態の機体をロールさせ、迫る敵機のミサイルを回避した。一基、二基、そして爆発。回避のための運動がどれ程きわどく、至近をすり抜けるものであったかは、自機が発した推進剤に、ミサイルが触れて起爆したことを見れば一目だ。しかし、いくら至近弾を食らおうともフェニックスはビクともしない。機体の強度は尋常ではなく、最も心配すべきは座するパイロットであるほどだ。同時に敵機にも同様のことが言える。先ほどから牽制で打ち込み続けた40mmのバルカン砲は、装甲を跳ねるばかり。勿論、エターナもそれが決定打になるとも思ってはいない。しかし、内臓のよじれる機動を相手にも強いる事には意味がある。
 敵機は、追加装備されたミサイルを放ち終え、飛行形態である意味を失い、MS形態をとった。推進装置を一方向に纏めることで、高出力を得るのもこう至近戦闘ではあまり意味がない。MS形態ではMS形態での高い機動性を持てるのがフェニックスだ。
 エターナは頭痛を唾液と共に飲み込み、振動に震える機体を操作する。こちらもオプション装備のプロペラントを切り離し、MS形態をとるのだ。変形は、まるで糸で操作される操り人形のように、中からではなく外に引き出されるような印象を受けた。それは、IFBD(I-フィールド・ビーム駆動)特有のものだ。中からではなく、外から動かす。平たく言えばそういうシステムである。
 変形の終えた機体、手足のアンバックを利用して反転したフェニックスは、敵機の接近を感じ取っていた。ぐん、とパイロットスーツに引っ張られるような感覚。窮屈なパイロットスーツに収まった体が締め付けられる。エターナは見るよりも先に感じとって、前腕部に収納されているサーベルを手に掴ませた。そのまま、反転してゆく勢いでサーベルを振り上げる。
 敵機にしてみれば、とんでもない機動に見えたことだろう。しかし、そのパイロットにそれを知覚することは出来なかった。電磁場によって収束したプラズマエネルギーが、コクピットごと分解していたからだ。機体は真っ二つに切断され、慣性の法則に従い、機動どおりに飛んでゆく。
 そこでエターナは息を呑んだ。いくら渦巻く感覚に"悪酔い"していたとしても、致命的なミスだった。
 切断された機体は、エターナに近づいたときと同じスピードでコロニーの方へ流されてゆく。
 慌て、翼のメガビームカノンに火気管制を以降させたが、そこで踏みとどまった。
 ジェネレータたる、不連続超振動ゲージ場縮退炉は、小型の機動兵器に必要なエネルギー以上の、高い水準を持っている。もちろん安全対策は十二分に施されている。しかし、ジェネレータへの直撃は、どのような誤作動を招くか、不確定なものだ。故に、直撃は避けなければならない。コロニーのような限定空間が近くにある以上、それは普通以上の留意が必要な事柄だった。当然、どんなルーキーでも習う常識でもある。そして、どのような誤作動、と表現されるそいつは下手を打てば、周囲の空間を飲み込んで崩壊させる可能性であった。
 そんな可能性がある以上、メガビームカノンは当然使えはしない。そもそも、この位置ではコロニーを掠めてしまう。
 急いで、回り込んで、それから――。
 何とかしなければならない。残念ながら、そう思うのはエターナだけだった。残りの二機の不死鳥は、味方がやられたことに激情を露にし、攻撃を激しくしてくる。
「そんな場合ではないのに!」
 至近ともいえる距離ですり抜け、バルカンでけん制をかけた。それとほぼ同時にエターナの指先が、コンソールをはじく。サイコミュの補助システムを立ち上げたのだ。
 脚部のバーニアを一点噴射することで、急激な反転。それで一旦、敵機との距離をとる。そして急制動。
「いって……!」
 反射的に漏れる願いの言葉。その呟きと同時に、背面に格納されていた数基のフェザーファンネルが飛び出し、推進剤の光芒が弧を描いた。目標は、弾丸のごとく突き進むフェニックスの残骸だ。
 フェニックスガンダムに搭載されるフェザーファンネルは高出力のビームを放つことができる。それ自体にジェネレータを搭載しているビットと違い、使い切れば回収してチャージしてやらねばならない。戦闘中の回収は期待できないゆえ、つまりは、消耗品と考えて良い。単機による作戦であるため、作戦の第一段階である、今の時点での消耗は避けるべきことだ。しかし、そんな事を言ってはおれぬ事情が今はある。
 エターナのNTとしての能力は決して低くは無い。逆に高いとも言えなかった。それでも、フェニックスに搭載されたサイコミュシステムは、パイロットの能力を数倍に増幅させる。
 追いすがるようにして、残骸の片方を包囲したファンネルはすぐさまビームを放つ。光芒に飲み込まれ、ほとんど消滅する勢いで破壊された。それを確認するのは、超常現象的な感覚によるものである。エターナの駆るフェニックスの全周囲モニタには敵機の機動予測が次々に表示されてゆく、その中でのモニタリングは危ういものがある。何せ同時に処理すべき項目がいくらもあるのだ。しかも、さらに増える。
「――!」
 その時、エターナは小さいながらも強い敵意が紛れ込んだのを感じ取った。
 反射的に機動を捻り変則的に動くと、元いた場所を光芒が走った。自分の放ったファンネルとは違うそれが自分を狙っている。敵機もファンネルを放ったのだ。その数は――
「上半身は、何処!」
 先ほど破壊したのは落とした機体の下半身部分。上半分はまだ飛んでいるはずなのだ。
 ――まず一つ目!
 感覚を広域に広げ、走査させながらも自機は狙撃。宇宙を舞うファンネルを落とす。
 次の瞬間、エターナは嘆く。
 破壊した敵機は二つの塊ではなく、上半身部分はいくらにも飛び散っていたのだ。それは敵がコロニーへ流れるのを避けるために攻撃を命中させた結果だった。しかし、先ほどまで敵機の飛び方に注意を払う事を主軸においていたエターナにはファンネルが敵の飛び続けていたのを知らない。だから、予想外の出来事だった。しかも半端な攻撃によって破片はデブリとなって幾らにも飛び散っている。あれではコロニーへ飛び込むまでに、確実に分解することは不可能だ。
 次第に距離を詰め、取り囲むフェザーファンネルを螺旋を描き回避しながら、エターナは半ば絶望的ながらに願った。あわよくば、被害が出ないように、と。そして同時に、潜入した仲間のことも、案じた。
 
 まず会場には、どよめきが渦になって訪れた。
 次に、悲鳴。
 観衆が人でなく、混乱そのものに変わってしまったのだ。
 それは、『もしも何かあったら……』と予想されていた通りの事態だった。
「何が起こってる!」
 無線に向けて怒鳴りつけたエルンスト・イエーガーは小型のMS、マティのコクピットにいた。警備のマティ部隊の隊長を任せられていたエルンスト。情報が全くないのだ。それでは、何処に誘導してよいのか分からない。シェルターへ誘導するにしても、人数が多すぎる。輸送手段なしでは、シェルターへの誘導は困難を通り越して、不可能だ。
 しかも、既に酷くなる一方の混乱は、目も当てられない。下手にマティを動かせば、周囲の者を蹴飛ばしてしまいかねない。
 もうここは戦場のような有様だった。逃げようと人を押し、その結果、押された誰かがまた別の誰かを押し、連鎖が続けば死者が出る。冷静に考えようとするもの、とにかく考える前に逃げようとするもの、そしてこの人の渦から脱するための手段を求めるもの。一言に言いかえれば、意思の渦だった。
「落ち着きなさい!」
 エルンストは集音装置が拾った声を聞いた。
 誰の声か、と思った。
 そして、それは観衆の疑問でもあった。
 エルンストはマティのシステムに走査を命ずる。対人用兵器として開発されたマティは、そういった部分に重きを置いている。だから、それが誰の一喝であったかすぐにわかった。実はエルンストも予想していた、そしてその通りだった。
 シャロンである。
 かのシャロンの声は、誰が思い描いていたよりも、きつく高圧的なものだった。それが、発した状況を踏まえた上であったとしても、だ。シャロンの歌ではない声を聞くのは、どの観客も初めてのことだ。それは当然だ。シャロンは大衆に向けにて、一言たりとも話をしたがない。それは徹底されていて、コンサートですら普通は聴けないのだ。
 しかし、それが聞けたと喜ぶものはこの場には当然いない。
 騒ぎは何一つ収まっていないのだ。
 それでもエルンストは思った。何とかしてくれないものかと、だ。
 彼が他人にすがったのは久しぶりのことだ。だが、それは無常にも意味を成さない。
 それ以上の事態が、間をおかずに起きてしまった。