【G Generation's A-B-C】172氏
Crusher −オグマ・フレイブ−




 耳を澄ませばかすかに寝息が聞こえる程度の部屋は、明かり一つない完全な闇だ。
 無情にもその静寂を打ち破る、断続的な電子音。絶妙に耳障りに響くその音が部屋の主の覚醒をねらっているのは明らかである。
「む……」
 そんな低い呻きがしたかと思うと、すぐに電子音は鳴り止んだ。ごくありふれた朝のひとコマと言える。
 電子音が止む前に響いた、何か硬質な物が粉砕される音を除けば、であるが。
「……またやったな」
 先刻聞こえた呻き声とは別の、女性のものと思しき呟きが聞こえる。
 やがてどこからかの光が部屋の闇を払い始めた。
 ワンルームのアパートメント程度の広さの部屋で、デスクとベッドがある。デスクはコンピュータ端末を載せてあるだけで、あまり使われている様子ではない。ベッドの上にはブランケットが広がっていて、それは人の形に盛り上がっている。ベッドサイドには小さなマルチラックが据えてあり、その上に電燈が載っている。光源はそれであるようだ。
 そしてその電燈の足元には、何か直方体の物体だったらしいプラスチックの残骸があった。
 光の中に佇む裸身がそれを掴み、ためつすがめつしてから、呟く。
「見事に壊れているな……」
 呆れたように呟いた女性は残骸をダストボックスに放り込んで、ベッドを振り返った。
「オグマ。これで私の知る限り558個目だぞ」
「……俺の数えた限りなら719個目だ」
 部屋の主であるオグマ・フレイブはすでに半身を起こし、ベッドの上で膝を立てている。
 反省のない彼のその口調にジェシカ・ラングは眉を吊り上げ、引き締まったウエストに手をやって仁王立ちにオグマを見下ろす。
「威張るな」
「壊れる方が悪い」
 悪びれもせずそう答えて、オグマは立ち上がった。その拍子にブランケットが滑り落ち、電燈の貧弱な明かりの中でギリシア彫刻のように鍛え上げられた肉体が露わになる。彼はそれを意に介した様子もなく、備え付けのシャワールームへと向かっていった。
 その背中を見送って、ジェシカは嘆息と共にベッドへ腰を下ろした。
「モビルスーツをあれだけ扱える男が、何故こんな力加減が出来ないのだ……?」
 彼と同衾するたびに破壊される目覚し時計を見てきたジェシカは、半ば以上の諦めと共に呟く。それ以前も力が有り余っているらしいことは知っていたが、寝起きはそれが顕著になるらしい。ベッドサイドの器物損壊はもはや日常茶飯事であり、モーテルの冷蔵庫のドアをもぎ取ってしまったり、あるいはシャワーのハンドルをへし折ってしまったこともあった。ジェシカ自身、その肉体を壊されかけたことは一度や二度ではない。
 そんなオグマであるが、モビルスーツの操縦ともなれば精密機械もかくやと言うべき正確さを見せる。そういうことが出来なければ、マーク・ギルダーと並んでGジェネレーション隊のエースと呼ばれることなどない。
「……わからん男だ」
 バスタオルを肩にかけてシャワールームから出てきたオグマを一瞥し、ジェシカは口の端をやや吊り上げてそう漏らした。
「何か言ったか?」
「いや、大したことではない」
 怪訝な顔をして彼女の前に立つオグマにかぶりを振って、立ち上がる。長身の部類に入るジェシカの視点からでも、オグマの目を見るにはかなり見上げねばならない。反対に見下ろしているひとつしかないオグマの瞳が不思議そうにしているのが妙に愛嬌があって、ジェシカは微笑と共にその髪を撫ぜた。
 髪の手入れなど無用とでも主張するように無造作に伸ばされた蒼髪だが、濡れそぼったそれのつややかさは悪いものではない。とりわけ己が女らしからぬ短髪にしているジェシカにしてみれば、羨ましささえあるものだ。
「……そんなに髪が良いなら、貴様も伸ばせばいいだろう?」
 髪を撫でられ続けて鬱陶しいのだろう、目を背けて言うオグマの様子が、ジェシカの心に悪戯心を湧かせる。
「そうだな……髪を伸ばしてドレスを着たら、お前は白馬に乗って迎えに来てくれるのか?」
「くだらん」
 ジェシカの発した冗談めかした問いかけを、オグマはにべもなく切り捨てた。
 予想を外れた彼の態度に、ジェシカの手が止まる。怒らせてしまっただろうか?
 むっつりとしたオグマの表情はいつもと変わらず、かえって感情が読めない。
「そんな女に興味はない」
 オグマは吐き捨て、未だ自分の髪に触れたままのジェシカの手を払いのける。そしてそのまま、無造作に彼女の胸を掴んだ。片手に余る豊かさが無残なほど歪む。
「っ……!」
 苦痛に顔を歪めながらも気丈に睨みつけるジェシカを眺め、オグマは愉悦の笑みを見せる。
 彼女を苛む手を押すようにして、その身体をベッドに転がした。
「くだらん冗談は大概にしておけ」
「……そうだな。私が黙って待っているなど、あり得ないことだ」
 指の跡が赤く浮き始めた胸をかばうようにしながら、応える。胸の痛みは漫言を口にした代償と思うことにして、ジェシカは短い嘆息と共に天井を仰いだ。
 その視界に、蒼髪を垂らしたオグマの顔が入ってくる。
「貴様に姫なんぞ似合わん。貴様は俺について来ればそれでいい」
「フン……お前こそ冗談はやめろ。私がお前について行くのではない。お前が私の尻を追いかけているのだろう?」
 ジェシカは意外と端整なオグマの頬に手を添え、野生的な笑みを浮かべる。
 オグマの酷薄な微笑がそれに応え、ジェシカの首筋に埋まる。
「二度とそんな減らず口を叩けないようにしてやる」
「お前こそ自分の立場を知れ」
 自分の内側から響いてくるようなオグマの声に答えて、ジェシカは逞しい背中に腕を廻す。
 備え付けのベッドが自らの上でうごめくふたり分の重みに軋んだ、そのとき。
 突然部屋に響いた無粋な電子音にふたりはその動きを止め、顔を見合わせる。
「出ろ」
「……ちっ」
 壁に据え付けられた通信機を顎で示すジェシカにオグマは舌打ちをして、彼女の肉感的な身体から離れた。
「通信機まで壊すな」
 面白くなさそうな声のジェシカの冗談を鼻で笑って、オグマはそれでも内心気をつけてスイッチを入れる。
「何だ」
 モニタに映し出されたのは、オレンジ髪のオペレータの姿だった。
「オグマ・フレイブ、司令がお呼びです。至急、司令部へお越し願います」
「ちっ……了解。すぐに向かう」
 通信機を切り、そのままオグマはクローゼットに向かう。優に人間がふたりは入れる容量だが、若干の私服と野戦服がその片隅にあるだけだ。
 オグマはその中から比較的フォーマルな服装を選び出す。
「司令からか」
 ベッドの端からジェシカが問う。その表情が残念そうなものに見えるのは、錯覚ではあるまい。
 ダークグレーのボトムに脚を通しながら、オグマは応じる。
「ああ。何の用かは知らんが、急ぎらしいな」
「やれやれ……シャワー、使うぞ」
「勝手にしろ」
 眼帯を締める姿を横目に、ジェシカはシャワールームに入る。
 正面の姿見に映る彼女の姿には、ところどころ痣が残っている。そして胸には、真新しい指の跡。首筋にはキスマークも残されている。思わず吐いた息は、熱い。
「じゃあな」
「……ああ」
 ドアの外から聞こえた声に応じて、ジェシカは姿見から視線を外した。昂ぶり始めた気分を夕べの汗と一緒に流してしまおうとシャワーを出そうとして――-出来なかった。
「あの男……」
 頭を抱えるジェシカの眼下にあるシャワーのハンドルは、見事に歪んでその用を果たさなくなっていた。