【G Generation's A-B-C】172氏
Daemon's blood −ブラッド−




「バカめ……」
 目の前に居座る姿にそう吐き捨てられながら、ニードルは反論することも出来ず、ただただ平伏した。
「そんな仕事も出来ないようだから、君は針などと呼ばれるのだと、わかっているのかね?」
 万年筆が紙越しに机を叩く音と共に、一語一語諭すような言葉が投げかけられる。
 口調こそ丁寧だが、その端々に相手を見下しきった色が滲んでいる。少なくともニードルはそう感じていたが、それに逆らうだけの力を彼は持ち合わせていない。
「このオトシマエは、必ずつけるからヨォ……」
 他の者が見たら間違いなく驚くであろう卑屈さで、ニードルは懇願する。
 彼の前の姿――-デスクに向かって手を動かしていた白衣の男は、ゆっくりと椅子を回転させてニードルへ向き直る。
「言うだけならばゴミ共にも出来ることだよ、ニードル君。君は違うだろう?」
「……へ……?」
 自らにかけられた言葉の意味を図りかね顔を上げるニードルに、白衣の男はかぶりを振って嘆息する。
「わからないのかね?」
「え、あ、いやッ」
「……まあいい。君はこれまで私に多大な協力をしてくれた。特別に、教えてあげよう」
 歪んだ笑みと共に与えられた言葉にニードルが表情を緩めた刹那、白衣の男の脚が動いた。
 次の瞬間には、ニードルは仰向けに転がっている。
 その鼻から流れている――-と思われるフェイスガードの下から漏れる鮮血に白衣の男はその歪んだ笑みを強くしつつ、立ち上がる。
「失敗したならまず謝罪しろと……君はお母様に教わらなかったのかね?」
 仰向けのままの脇腹に、男の脚が突き刺さる。
 洗練されたとはとても言い難い、しかし容赦など微塵もない蹴撃はニードルの細身を吹き飛ばすには充分だった。
 今度は横に転がり、ベッドにぶつかって止まった。脇腹を抑えてうずくまるその姿に歩み寄りながら、白衣の男は続ける。
「失敗したなら相応の罰を受けなければならないと……君のお母様は教えてくれなかったのかね?」
 再び脚が唸る。今度は肩口を強かに打った。
 ニードルは悲鳴をあげ、床をのたうつ。
「失敗したなら……いや、そうか。これは失礼した」
 もう一撃を加えようとした白衣の男は、何かに気付いたように脚を止め、慇懃に片手を挙げた。
 そして顔を上げ、蔑み切った目でニードルを見下ろす。
「君がお母様から教わったのはファックの仕方だけだったな」
 硬直するニードルの体を傲慢に睥睨したまま、白衣の男は口を閉じない。
「さあニードル君、立ちたまえ。次の仕事は君がお母様に教わったことを生かせるものにしてあげよう」
 たっぷりの沈黙を置いて――-反論ひとつしないまま――-ニードルが立ち上がる。
 その目には確かに憎悪と怨嗟の色があるのだが、それは決して言葉とならない。
 満足げにそれを見て頷き、白衣の男はゆったりと椅子に腰掛けた。
「君がこれまでしてくれた仕事は私の仕事をしやすくするための、言わば賄賂を作ってもらう仕事でね」
 白衣の男が机上の端末を操作すると、大き目のモニタにいくつものウィンドウが表示される。すべてムービーであるようだ。
 しかしニードルはそちらには一瞥もくれず、ただ白衣の男の顔をねめつけている。
「男というのは御しがたい生き物らしくな、こんな物でも欲しがる輩はごまんといるのだよ」
 まるで自らは男でないかのような口ぶりで、男はひとつのウィンドウを指し示す。
 妙齢の女性が複数の男性に囲まれているムービーだった。
「特に君の作品はファンが多くてね。私もだいぶ助かっているのだ。これは本当のことだよ、ニードル君。まあ、噂に名高いうちの部隊の少女達のものがないのは、私も、私の友達もすこぶる残念がっていることではあるがね」
 男の歪んだ笑みを向けられても、ニードルは眉ひとつ動かさない。
 やれやれ、とでも言うように肩を竦め、白衣の男はその笑みを消した。
「では本題に入ろう。今回の君の失態の原因は、何だね?」
「そりゃァ……」
 ニードルの脳裏には、能面のような顔を持った東洋人の少女が浮かんでいた。
 白衣の男はそれを見透かしているかのごとく頷いて、モニタを向きながら答える。。
「うちの部隊でも人気があるのは、無論エリス君やクレア君、エターナ君達だが……東洋人というのはそれでそそられるものがあると、そんな風に言ってくる友達も多くてね」
「はァ……?」
「友達思いの私は、そんな彼らのためにプレゼントを用意しようと思うのだ」
「……てェことは……」
 ニードルの眼差しに首肯で答えた白衣の男は、横目で彼を見返す。
「フェイ・シーファンを連れて来い。ただし、キズモノにはしないようにな」
 強硬手段を否定するのと同時にニードルの独走を抑える言葉を含ませて、白衣の男はじっとニードルを見据えた。
 その眼前で、ニードルの表情が醜く歪んでいく。
「ヤッちまうのかよォ?」
「彼女の処遇については私が受け持とう。……無論、こちらの用が済めば、君の自由にしてもらって構わない。他人に悟られない範囲でな」
「ヒャヒャヒャ……! やっぱ話がわかるぜェ、ブラッドの旦那はヨォ!」
「くれぐれも周囲に悟られないように頼むよ」
 哄笑し、瞳を怪しく輝かせるニードルの様子に満足げに頷き、白衣の男――-ブラッドは念を押すように続けた。
 ニードルはそれを聞き終わらないうちに部屋を飛び出していった。もう行動を開始するつもりなのだろう。
 その軽すぎる足取りを鼻で笑って、ブラッドは再びモニタに向かう。その指先が少し走ると、新たなウィンドウがモニタに出現した。
 能面の画像だ。
「君の指示通りにしたよ。まったく、扱いやすいカスだ」
 画像に向けてブラッドは口を動かす。その表情には、ニードルを侮蔑する色など微塵もなく、ただ無関心が支配しているだけだ。
「ありがとうございます……あとはこちらで……」
 スピーカーから、か細い声が答えた。
 ブラッドは薄気味悪くさえある能面の画像を見据え、無表情のまま応じる。
「しぶとさだけが取り柄のような奴だが、壊されると私も少しばかり困るのでね。ほどほどに頼むよ」
「ウフフ……」
 返って来た冷笑に少しだけ眉を顰め、
「……もっとも、君を辱めて欲しいという要望も実際にあるのだがね?」
 かすかな恫喝を交ぜてブラッドは答えた。
 しかし、返事の代わりに届いたのは、冷笑のエンドレスリピートだった。
「ウフフ……ウフフ……ウフフ……」
「……フン」
 面白くなさそうに鼻で笑って、ブラッドは能面の画像を閉じた。冷笑も止まる。
 再びモニタは無数の女達が辱められ、犯され、傷められているムービーに支配された。
 それらをまったくの無表情で視界に入れながら、呟く。
「男は跪く女を欲するが、そもそも人は眼下でのたうつ他人を欲するのだよ、ニードル君……道化師という名のね」
 しかしブラッドは、それにすら関心がないような貌をしていた。