新機動異聞GジェネレーションNEO 172氏
序章 大地を穿つ一撃
少年は、周囲の大人達の動きがにわかに慌ただしくなっていく事に気付いた。
11ヶ月前、少年の故郷は突如地球連邦に対して宣戦布告を行ったサイド3――ジオン公国の軍によって壊滅させられた。後に「ルウム戦役」として歴史の1ページに残される激戦を彼が生き延びたのは奇跡としか言いようがない。彼を含む数人が乗せられた緊急救命ポッドは宇宙空間を漂い、ジオン公国軍の新兵器「モビルスーツ」によって壊滅的な打撃を受け敗走する地球連邦軍艦隊のコース上に至っていた。ロドニー・カニンガム准将の座乗するネレイドが敵の主力を釘付けにしていなければ、そのまま見捨てられていたところだった。そうして満身創痍の残存艦隊と共に宇宙要塞ルナツーへ辿り着いた少年を、制宙権の大半を奪われた連邦軍は他へ移送することすら出来ずにいた。
そうして少年は、連邦宇宙軍の最前線であり最後の砦であるルナツーから後に「一年戦争」と呼ばれる戦争の推移をみつめていた。
「また戦争かよ」
精一杯の悪意を込め、少年は呟いた。
それを聞きとがめたわけではあるまいが、士官のひとりが立ち止まって少年の方を見た。彼の目には、連邦の下士官服を着たローティーンの少年が映っているだろう。もとより民間人の収容など想定していないルナツーに衣料の備蓄などあるわけもなく、一介の難民に過ぎない少年も兵士の服装をせざるをえないだけである。
しかし全ての士官がそんな事情を把握しているはずもなく、そして把握していない方の士官であるらしいその男が一歩、少年に歩み寄った。
「君……」
「貴様、何をしている?」
少年に誰何の言葉を向けようとした士官の背後から、冷静ながらよく通る声が響いた。少年にも聞き覚えのあるものだ。
その声の正体を悟ったのだろう。振り返った士官の肩が強張っている。
「緊急配備だ。ルナツーの艦隊も発進させる。貴様も持ち場につけ」
「はっ!」
直立不動で目の前の佐官――ルナツー司令ヴォルフガング・ワッケイン大佐に敬礼した士官は、それでも納得がいかないと言うように少年を一瞥した。その行動で少年の存在に気がついたワッケインは、目線で士官に早く行くように促し、少年へ声をかけた。
「なぜこんなところにいる。居住区を出るなと言ったはずだ」
「わかったよ」
つっけんどんな言葉を返し、少年はワッケインに背を向けた。そして踏み出す前に、頭だけで振り返る。
「また人が死ぬのか?」
「……最善は尽くす」
バンダナを鉢巻のように額に巻いた少年の覚めた瞳に引け目を感じ、ワッケインは一瞬言葉に詰まってしまった。それを知ってか知らずか、少年はその目よりも冷たい声音で言う。
「けどあんた達は、俺の家族を助けちゃくれなかった」
言い捨て、少年は居住区の方へ歩き出した。大人の言い分などすべて拒絶しているその背中にかける言葉を思いつかないうちに、ワッケインは己を呼ぶ声を聞いた。
「司令! ジャミトフ准将から通信が入っています!」
「わかった。すぐ行く」
背後の連絡士官にそう答えた時には、少年の姿は見えなくなっていた。そうしてやっと、ラナロウ・シェイドという少年の名が思い出された。
「コロニー落とし!?」
「ああ。今連絡が入った。やっこさん、本気らしい」
背後のベッドで恋人の肢体が跳ね起きる音を聞きながら、エルンスト・イェーガーは軍服に袖を通す。
数時間前、ジオン軍が緒戦で壊滅させたサイド2からコロニーを移送し始めたのが確認された。連邦軍はしばしその目的に気付くことが出来ず、ただでさえ遅れた発見からさらに時間を浪費してしまった。そのタイムロスは致命的になりつつある。彼らの乗艦するサラミスも、全速で阻止に向かったとしても、コロニーに取り付くことが出来るのは限界点ギリギリになってからと予想された。
しかしイェーガーは連邦の幕僚達を攻める気にはなれなかった。いまや人口の半数以上の故郷となる巨大構造体スペースコロニーを質量弾として攻撃することなど、正常な人間であれば思いつくことではない。ましてスペースノイド――コロニーを故郷とする宇宙生活者ならば尚更である。そしてアースノイドであっても、核を超える環境汚染を引き起こすことが明らかな作戦を実行に移すとは想像できまい。今次大戦では、環境に大きな影響を与えるわけではない宇宙空間でさえNBC兵器の使用は禁じられている。
「ジオンの奴等……イカれてるよ、本当に!」
掌を拳で打ち、ベッドの上の女は荒っぽい口調で吐き捨てた。それだけ感情を露わにしても、次の瞬間には訓練された軍人の動きで身支度を整え始めている。睦み合った余韻に浸っているゆとりもないことは、この数ヶ月でお互い解かっていた。
「それで、状況はどうなってるんですか?」
「ありったけの艦艇に召集がかかってるだろう。どれだけ間に合うかは知らねえけどな」
「大きい戦いになりますね」
「ああ。ジオンはどうしたって成功させたい作戦だろう。俺達だってやらせるわけにはいかねえ」
「やっぱり、狙いはジャブロー?」
「だろうな。あそこを叩かれれば、連邦の反抗作戦はおじゃんだ」
「地上の戦力で落とせなかったからって……」
「結局油断していたんだろ、俺達は。ジオンが一週間で40億を殺せる奴等だってこと、忘れてたぜ」
「……ちっ」
舌を鳴らし、背中まである緑の髪を今しがた羽織った上着の襟元から出して、女は既に身支度を終えているイェーガーを見遣った。
「これでコロニーが落ちれば、地球圏の人口は開戦前から半分になりますね」
「落とさせるかよ。俺達が死ぬ気で止める」
半分無意識にそう口にしたイェーガーは、自分を見る女の視線が鋭くなったのに気がついた。
「死ぬ気、なんて気軽に言うもんじゃないですよ」
「お前がそんなことで萎える女かよ」
気の強さを端的に示す女の凛々しい眉の下に揺れる双眸に、イェーガーは笑ってみせた。
だが女はにこりともせず、真摯な表情のまま答える。
「前の隊長はそう言って出撃して、ルウムで死にました」
「……後でな」
女の言葉には答えず、イェーガーは部屋を出た。
「よし、そこだ、いけーっ!」
何かのスポーツを観戦しているような声援が12平米の部屋に響く。夕方の住宅地には似つかわしい光景である。テレビモニタに映っているのが、スティンガーを構えた中年の兵士でなければ、だが。
戦争ドラマを見てこんな歓声をあげられる部屋の持ち主の趣味は、混沌とした部屋の内装にも現れていた。壁に貼られているポスターはマッシブなアクションスターからふわふわしたキャラクターまでおよそ共通点というものが感じられない。ファンシーなピンク色のカーテンが塞ぐ窓の周りは、シックな壁紙。そのふもとのベッドは何故か迷彩柄である。
親に買い与えられたものであろう勉強机にはノートと教科書が開かれているが、座っているのは余所行きの服装をした10歳程度の少女である。
「クレア、あんたちょっとうるさい」
「レイチェルこそうるさい! いまいいとこなのっ!」
部屋の主と思しきスウェット姿の少女――クレア・ヒースローは、ベッドの上からテレビに声援を送っているところだった。スティンガーが発射され、モビルスーツ「ザク」のバックパックに吸い込まれる。爆発。
「やったぁ!」
自分の勉強机を使っている少女――レイチェル・ランサムの存在をすっかり無視して、クレアは大歓声をあげた。
モニタの中の兵士はスティンガーを捨て、地を蹴る。颯爽と走り出したその背後でザクの巨体が傾ぎ、轟音と共に倒れ伏す――はずだった。しかし次の瞬間緊迫した戦場の映像は途切れ、慌ただしく行き来する背広の男達が映し出された。
「あれ?」
戸惑うクレアの目の前で、いかにも急ごしらえなデスクにアナウンサーらしき女性が腰を降ろした。そこに1枚きりの原稿がほとんど投げるように差し出され、すぐさま目を通し始めるアナウンサーの胸元にスタッフらしき男がマイクを取り付けていく。
「レイチェル、何これ?」
「え? 臨時ニュース……みたいだけど」
レイチェルも勉強机から身を乗り出してテレビを覗き込む。
ふたりの少女の注視するモニタから、アナウンサーの上ずった声が流れ出した。
「番組の途中失礼します。ただ今入りました情報によりますと、ジオン公国軍がコロニーを地球に落着させる作戦を発動したということです。繰り返します、ジオン公国軍が、廃墟となったコロニーを地球に落着させる作戦を発動しました。細かい状況はまだわかっていませんが、予定を変更して報道番組をお送りします」
「えー? ジョー、もう終わり?」
クレアが不満げな視線を向けた先で、レイチェルは驚きに表情を固めていた。いつも自分を叱る友人が見せている間抜けな顔に、クレアは思わず声に出して笑う。
「あはは、どしたのレイチェル?」
しかしレイチェルはそれを咎める事もせず、はっと我に返るなり部屋を飛び出した。
「おばさま!」と自分の母を呼ぶレイチェルの声を開け放たれたドアの向こうに聞きながら、クレアはつまらなさそうに視線をモニタに戻す。
先程と同じ文面を繰り返すしか出来ないアナウンサーの顔が消えたかと思うと、音声はそのままに地球の遠景が映し出された。どこからの映像だろうか、拡大されていく地球の南半球の蒼さの手前に、小さな円筒形の物体が映っていた。
クレアはそれが何かわからないままにただ、ちっぽけだな、と思った。
連邦軍の展開が遅れている。
耳の早さでは定評がある学生がもたらした情報は、集会場を騒然とさせるには十分すぎた。集会場と言ってもコロニー公社が月に一度点検の際に訪れるだけの資材倉庫をそう呼び習わしているだけである。彼ら反戦派の学生団体にまっとうな場所を貸し与える施設など、戦時体制になって一年が過ぎようかというサイド3にありはしない。それだけで反逆者のレッテルを貼られてもおかしくないのだ。
「間に合いそうなのか?」
輪の中心にいる、リーダー格と思しき長髪の青年が、今しがた息を切らせて飛び込んできた男に問う。
「分からん。大体が艦艇不足だ。間に合ったところで止められるかどうか……」
力なく首を振る男の言葉に、集会場は絶望的な空気に包まれた。
コロニー落とし作戦の情報が入ってきたのが数時間前である。発動前に何らかのアクションを起こすために集まった場に続けざま、ハッテから移動を始めたコロニーの存在、さらに本国艦隊の半数も出撃しているという情報が飛び込んできた。とどめが今の情報である。
「連邦の司令部は何してたんだよ!」
苛立たしげに誰かが叫ぶ。その周囲から同意を示す声も上がる。コロニーの移送という異常事態になぜもっと早く気付けなかったのか。いや、そもそもなぜあれだけの物量差をもってしてここまでの長期戦をせざるを得なかったのか。もっと早くに宇宙軍を再編していればこんなことには……。感情的としか言いようのない無為な意見が狭い集会場を飛び交う。
「マーク、私達、これからどうすればいいの?」
動揺を隠せない傍らの女に落ち着くよう手振りで示し、長髪の青年――マーク・ギルダーは腹に力を入れた。
「みんな、落ち着け! ここで喚いていても何も変わりはしない!」
一瞬で静まりかえる学生達。マークは全員の注目が自分に集まっていることを確かめ、続ける。
「既に作戦は発動している。今から行動を起こしても、コロニー落としを止める事は不可能だろう。連邦の無能を非難するのは容易い。だが、今に至るまで何も出来なかった俺達にも責任はあるんじゃないか」
「だが、マーク……」
「聞いてくれ。みんなが本能的に感じている通り、コロニー落としは人類史上前例の無い大罪だ。コロニーを地上に落とすことは、俺達スペースノイドにとっての故郷を貶めること以上に、ジオン・ダイクンの愛した地球を汚すことを意味する。それを主導するのは、ジオン・ダイクンを暗殺して王様面しているザビ家だ。だが世間はそうは見ない。あの偉大なジオン・ダイクン、誰よりも地球の未来を憂えていたジオン・ダイクンの名を冠した国家が、戦争に行き詰まって地球を破壊する暴挙に出た。そう思われるだろう。ジオニズムの、いや、エレズム、コントリズムの権威すら地の底へ消える。俺達がこれから目の当たりにするのはそういう行為だ。それを止められなかったんだという事を、俺達はよく考えなければならない」
集会場からは何の言葉も上がらない。先程とは意味合いの違う、しかし同じ沈黙が狭い空間を支配していた。俯きがちな一同を見回し、マークは静かに口を開いた。
「コロニー落としによってジオン公国は地球圏全てを敵に回すだろう。この戦争は負ける。もうこの趨勢は変えられない。平和的解決も望み薄だ。だが、ジオン公国が敗北しても、それはザビ家の敗北だ。ジオニズムの敗北ではないことを、俺達は知っている。いや、俺達しか知らないと言った方が正しいだろう。だから俺達には、戦争の後にしなければならないことがある。ジオン・ダイクンが最初に唱えたのは何だったのか。俺達が惹かれ、信じたダイクンの理想は何だったのか。もう一度己に、そして世間に知らしめなければならない。でなければ、ダイクンの理想はザビ家もろとも滅んでしまう」
それが暗闇の中の頼りない灯火のような希望でしかないことは、マークもよくわかっていた。だが、確かに希望である。少なくともマークはそう信じていたし、そう出来て欲しいとの願いもあった。
「阻止限界点まで800分!」
ティベのオペレータ席から意気軒昂な声がするのを意識の外で聞きながら、男は舷窓を埋め尽くす巨大な構造体に目を向けた。スペース・コロニー。彼が産まれ、そして今日までの日を生きてきた島三号型コロニーは今、本来あるべきラグランジュ・ポイントを離れて地球へと向かっていた。
ブリティッシュ作戦と命名されたコロニーの大気圏投入作戦は、今のところ連邦軍に邪魔されることも無く進行している。このまま作戦が遂行されれば、およそ半日後にはコロニーの大質量がジャブローを撃つはずである。いかに鉄壁の防衛網を誇る地球連邦軍本部ジャブローであっても、熱核兵器を遥かに凌駕するエネルギーの前には消滅するほかない。頭脳を失った連邦軍はジオン公国軍の敵ではなく、長かった独立戦争にも終止符が打たれる――ドズル・ザビの口から語られた筋書きは、しかし、どこか危うさを感じさせた。
既にジオンの継戦能力が著しく低下していることは、最前線にいる男にも身に染みてわかっていた。開戦当初こそ新機軸の兵器モビルスーツによって物量に優る連邦を圧倒したものの、電撃的に範囲を広げた占領地域の維持が当初の予定以上にジオンの体力を奪っていった。物量の差は時を追って戦局へと影響し、ジオンは逆に連邦の攻勢を許すようになっていた。量の差を補うために矢継ぎ早に開発された新型機の数々も結局は傷口を広げるだけに終わり、総数に比して異様に多い兵器の種類とそれらを取り扱うこともままならない新兵の群れというのが、連邦の大反攻に耐えるジオンの現状である。
挙句に、ジオン公国を名乗りながらその中枢を独占するザビ家の内紛がただでさえ悪い状況をさらに悪化させていた。今回の作戦に参加しているのはほとんどがドズル・ザビ麾下の宇宙攻撃軍であり、キシリア麾下の突撃機動軍からは鼻抓み者の海兵隊が回されているだけである。
「俺達はこんなことをしている場合ではないというのにな」
ふと、周囲の誰にも聞き取られない声で呟く。サイド6出身だった彼がサイド3へ移住したのは、ジオン・ダイクンの思想に共鳴したからだった。地球を愛し、人類の可能性を訴えたジオン・ダイクンの言葉に賛同したからこそ、彼はあえて地球から遠く離れた月の裏側へと移り住んだ。それが、どうだ。ジオン・ダイクンは暗殺され、その言葉は政争の道具へと堕した。後継者の顔をした選民主義者が未来への希望を現実の凶器へと変え、それに従わざるを得ない人々が死んでいく。そのひとりに過ぎない矮小な自分を省み、男は嘆息した。
この作戦が成功するにせよ失敗するにせよ、また多くの国民の命が失われる。同志として集ったはずの国民が、歪んだ思想の為に死んでいく。それだけではない。共に明日を歩めたはずの仲間の命を奪う行為であり、彼らなりの希望をも踏み躙る作戦である。
「独立、か」
結局のところ、ザビ家の独走に国民を繋ぎとめているのはその言葉でしかない。強硬な政策とモビルスーツの優位性に賭けた実力行使は、搾取される存在でしかなかったスペースノイドに独立の夢を見せた。男もその夢に魅せられた――逃れられなかったひとりだ。
「その夢の果てがこれか……」
このような手段の果てに得た独立に何の価値があるのか。開戦当初に行われた連邦寄りのサイドを殲滅する作戦以来ずっと燻り続けていた疑念はこれからジャブローへと落とされるコロニーを傍らにしてやはり男の心を苛んでいるのに、気付かない振りを続けざるを得ない。疑念に向き合えなかった後ろ暗さは、時を追うごとに乗り越えるには高すぎる壁となっていた。
「ゼノン大尉! 正面、連邦軍の艦隊を確認! モビルスーツ隊を展開しています!」
オペレータの声が思索を断ち切り、男の意識を現実へと振り戻す。考えることさえ許さないまま彼を押し流していく現実へ。
「ドズル閣下から打電! この作戦を成功させれば祖国の独立は成る。各員の一層の奮闘を期待する。以上です」
「わかった。聞いてのとおりだ。中将の期待を裏切るなよ。モビルスーツ隊、出撃用意。艦長、援護宜しく頼むぞ」
数機のモビルスーツとその運用に付随する艦艇、人員を束ねる地位にいる男――ゼノン・ティーゲルはそう言い、コロニーの護衛を務めるティベ級戦艦のブリッジを後にした。
数人の子供達が金網のフェンスにしがみつくようにして目を凝らしている。その憧憬の視線の先には連邦軍のモビルスーツが並んでいる。地球連邦のあげた反撃の狼煙であるオデッサ作戦以降その存在を公にされた量産モビルスーツ「ジム」の一個小隊が極東の島国にあるこの基地に到着したのは、つい昨日のことである。それから一日、物言わぬ鋼鉄の巨人は周辺の少年達のヒーローになった。その証左に、ジムの小隊は動作確認のために基地の敷地内を歩いているだけなのだが、一歩動くごとに子供達からは大歓声があがっていた。
やがて規定の動作をこなしたのだろう、ジムがプレハブの格納庫に姿を消すと彼らの熱狂も冷め、三々五々家路につき始めた。そんな集団のひとりが、名残惜しそうに基地を振り返る。こんな辺鄙な基地に最新鋭のモビルスーツが長居をするはずが無いことは、全員がわかっていながら口にしないことだ。
「すっげーな、モビルスーツって」
そんな寂しさと対極にある言葉も、誰も否定しない。その場の全員がモビルスーツに魅了されていることを隠そうともせず、頷いていた。強くて格好良い兵器というのは、いつの時代であっても男子の憧れの的である。
「あれと、ジオンのザクってのが戦うんだろ?」
「きっとザクなんてイチコロだぜ。ジムってメチャクチャ強いモビルスーツが元になってるらしいじゃん」
「知ってる知ってる、ガンダムってんだろ」
連邦の誇張された報道に子供らしい大袈裟な言い様が加わって、何やらとんでもない話になっていく。そのうちに、ジムの原型は一機でジオンのモビルスーツ全部をやっつけられるスーパーメカということにされていた。
「ガンダムかぁ……見てみたいなー」
半分は妄想の憧れを顔一杯に浮かべ、集団の中でも目立って小柄な少年が夕焼け雲に覆われた空を見上げる。
「バッカ、カルみたいなチビが行ったら踏み潰されて死んじまうぞ」
「はは、まったくだ」
「カルはチビだもんな」
仲間達の容赦の無い悪口を受けながらも、それがコミュニケーションの手段だとわかっているから、小柄な少年――カル・クロサワは特に気にした風も無く、照れたように笑ってみせるだけだった。つい今しがた彼が見上げた空一面を覆う雲のずっと向うにそのガンダムがいるとは露ほども考えていないだろう。そしてガンダムが立ち向かおうとしている相手がザクやドムではなく、もっと巨大な存在であることも。
彼らが他愛も無い会話で笑い合っているまさにその瞬間も、ジオンの作戦によってスペースコロニー「アイランド・イフィッシュ」はゆったりと宇宙空間を進んでいた。
「以上、作戦の説明を終わる。すぐにでも出撃できるようにしておけ!」
男ひとり女ふたりから成る艦載モビルスーツ部隊の面々はサラミス艦長の叱咤に追い出されるようにブリーフィングルームを後にし、出撃前最後のミーティングのためにガンルームに顔を揃えていた。コロニーへの接触までおよそ30分。言われなくとも、出撃の準備は出来ている。
「艦長も言ってたが、俺達の任務は本隊の攻撃に障害となる敵艦船を撃沈することだ。お前ら、熱くなってモビルスーツにばっかり構うんじゃねえぞ」
自分ともうひとりの同僚、ふたりの女性パイロットの目を交互に見てそう言う隊長――エルンスト・イェーガーの目には、いつものようなおどけた色は無い。今、自分達が関わろうとしている作戦の重さが、普段から明るい空気を作ることを忘れない彼をして真剣にさせているのだろう。その認識は彼女の心をしっかりと引き締めた。
「可能な限りモビルスーツへの攻撃は避けて、敵艦を沈める事を考えろ。モビルスーツの相手は後続がやってくれる。俺達は全力で駆け抜けるだけだ。特にトリッシュ」
イェーガーの顔が鮮やかに目を引く桃色の髪をした方のパイロット――トリッシュ・ベネットに向く。いつも飄々として捉えどころの無い男の見せる精悍な表情に思わず場違いな感情を抱きそうになるが、そんな彼女の些細な驚きに気付く様子もなく、イェーガーは言葉を継いだ。
「難しい作戦だが、立ち止まればその分危険が増えるだけだ。少しくらいこいつを見習って、走り抜けろ」
もうひとりのパイロットを示しての言葉に、トリッシュは頷いた。いくつか年上の同僚はいつも、付いて行くのがやっとの戦い方をする。それくらいの迷いの無さが必要だというのは理解できた。それがモビルスーツパイロットに転向して2ヶ月に満たないトリッシュに出来るかどうかはわからなかったけれども。
「あとはもうやるしかねえ。キツイ戦いになるだろうが、奴らの思い通りにさせてたまるか。必ず阻止する。いいな?」
再び頷くトリッシュ。そう考えることに迷いは無い。ジオン公国の所業に怒りを感じない連邦軍人などいないはずだ。
傍らで同僚も頷いたことが、視界の端で揺れる緑の髪でわかる。イェーガーも頷き返し、一呼吸置いて鋭い声を出した。
「よし、各員搭乗!」
「了解!」
それぞれのヘルメットを手に、そしてパイロット達は格納庫へ向かう。驀進するコロニーはもはや目と鼻の先に迫っていた。
「んぎぉっ!?」
薄暗い路地から珍妙な悲鳴が響く。続いて何かそれなりの重さを持った、しかし柔らかい物体が落ちたような音。しかしそれらの音はネオンライトの明るさが増してきた繁華街の喧騒に飲まれ、誰の耳に入ることもなかった。
「ったく……これじゃロクに近道も出来ないね」
ややあって、そんな呟きと共にボブカット風の金髪を揺らしながらひとりの少女が姿を現した。派手なプリントの入ったTシャツで起伏に恵まれた体を包んだ少女は、渋い顔で伸びきってしまったシャツの裾を見下ろす。その脇に抱えたスタジャンは土や足跡がついていて、さらに手首には指の跡のようにも見える痣が生々しく残っている。それでもその表情に明るさがあるのは、自衛行動に成功したからであろう。
ったく、戦争が始まってからこっち、タチの悪いのが増えるばっかりじゃないか。
口に出さないまでも、そう思う。彼女の暮らすフォン・ブラウンは地球圏経済の中心地であり、また最大の企業体であるアナハイムの本社が存在することもあって直接的な軍事行動の対象となることは無かったが、連邦の権威の失墜はモラルの低下という形で街を蝕んでいた。大人が戦時の好況で図に乗り、行政は戦争への対応に追われている。まして戦争という名の大犯罪が地球圏を覆っていれば、抑止を失った非行が蔓延するのは必然ともいえた。
もっとも、そんな事を考える彼女自身も人の事は言えない。彼女が薄暗い近道を通って向かう先にあるのは、淫靡な空気の澱む歓楽街である。そこに吸い寄せられるような仕事を終えた大人達の波に乗って、彼女も歩く。
彼らを不潔だと思う感性は持ち合わせていない。けれども、尊敬など出来るはずもない。くだらない戦争、くだらない仕事、くだらない日常に疲れ、くだらない娯楽に溺れる彼らは彼女の心を覚めさせこそすれ、将来に希望を抱かせる要素は一片も持ち合わせていない。
ふと、父親の姿を思い出す。典型的な仕事人間だったけれども、年に一度のバカンスの折には目一杯自分の相手をしてくれた父。物静かで滅多に喋らないが、たまに口にする言葉には人生の重みを感じさせた父。正直で律儀で真面目で、およそこの世の悪徳と無縁そうだった父……。
父が今の自分を見たらどう思うだろう。そんな栓の無い想像でも、目の前の現実よりは彼女の心を揺らした。
「ケイ! 遅いよ!」
だから正面から飛んで来た知っている声に対し、少女――ケイ・ニムロッドは手を振り返すを躊躇った。自分は何をしているのだろう。その疑問に答えを与えるには、やたらに着飾って楽しい振りをしている同年代の少女達の姿は浅薄に過ぎるようにも思えた。そんな、良心と呼べるのかわからない感傷が意識を支配したのもつかの間、背後から伸びてきた2本の腕がケイを抱き締めていた。
「ケイ、さみしかったぜ?」
聞き慣れた囁きをすぐそばに聞いて、ケイは胸の奥が震えるのを感じた気がした。父がいなくなり母が仕事に出て、友人と呼べるかも怪しい同年代の少女達の群れにしか居場所を見出せなくなったケイにとって、初めてのケイ・ニムロッドを必要としてくれた少年。遠慮も無く自分の体に触れてくる手の持ち主の顔を振り仰ぎ、ケイは媚びた笑顔を作る。先程までの感傷はどこかに消えてしまっていた。
「ごめん、変なのに絡まれてさ」
「マジで? 大丈夫だった?」
「大丈夫じゃなきゃここいないって」
「ん。よかった」
「ありがと」
猫なで声で意外と逞しい少年の腕にしがみつく。傍らを行き過ぎる男がコロニーがどうとか、ジオンがどうとか言っているのを耳が耳に入りはしたが、自身が軽蔑していたのとさして変わらない現実に溺れ始めたケイの脳がそれらの言葉の意味を深く考えることは無かった。
地球連邦軍がその構成要素にモビルスーツを加えたのは、実質的には1ヶ月前のオデッサ作戦以降である。それ以前にもモビルスーツの配備が行われていた部隊もあったがそれらはぶっつけ本番の運用試験といった側面が強く、制式採用型の量産が始まったのはRX-78ガンダムのロールアウト以降と言って良いだろう。そうして各地への配備が進んでいるRGM-79ジムは装甲こそ雛型であるガンダムに劣るもののビーム兵器を標準装備し、攻撃力の面では十分と言えた。さらにガンダムの実戦運用データを援用し、本来の意味でのGM=ガンダム・マスプロダクションモデルとして開発された数種類のジムの配備も始まっていた。オリジナルモデルであるRX-78-2ガンダムを擁するホワイトベース隊、現在の第十三独立部隊と共にコロニー迎撃の先陣を切ることとなったサラミス所属のイェーガー小隊にこれら新型のジムが配備されていたのは僥倖と言えよう。
少なくとも、イェーガー小隊の一翼を担うパイロットであるシャノン・マシアスはそう考えていた。
「邪魔をするなっ!」
裂帛の気合と共にジム・コマンド――後期量産型ジムの最も普及しているモデル――がビームサーベルを振るい、目の前のザクを両断する。ガンダムに迫るスペックを見せるジム・コマンドにとって、黎明のモビルスーツであるザクは遥か格下の相手である。多少の技量の差があっても補えるし、連邦のモビルスーツ配備の最初期から最前線でジムを操ってきた自分の技量がジオンの兵士に劣るとも思えない。現に自分達は小隊としての行動を放棄して各個に戦闘を行っているが、形勢は別段不利ではない。
メガ粒子化したミノフスキー粒子の灼熱がザクの推進剤に火をつけ、次の瞬間にはその四肢を爆散させる。それを見届けず、シャノンの意識は次の獲物を探している。仕留め損ねるはずなどない。
「次っ……!」
コロニーの周囲には、その進路上に展開する連邦艦隊目掛けメガ粒子砲を放つジオンの艦艇が無数に存在していた。まるで円筒形の電灯にたかるハエのように。そんな連想に我知らず笑みを浮かべ、シャノンは手近なムサイ級に狙いを定めた。ハエのような虫は駆除しなくてはならない。
シャノンの殺意を漲らせて疾駆するジム・コマンドの行く手に、ムサイ級の直掩と思しきザクが立ち塞がる。ザクマシンガンからの曵光弾がジム・コマンドへと放たれるが、シャノンは僅かに操縦桿を操作して光の描く軌跡を回避する。間一髪。いや、紙一重の見切りであろうか。
後者だと信じて疑わないシャノンはスピードを緩めないまま乗機にサーベルを構えさせる。一撃必殺の光の刃。狙うのはコクピットやジェネレータが集中する胸腹部である。害虫は確実に仕留めておくに限る。それにイェーガーも言っていたではないか。全力で駆け抜けるだけだ、と。ならば障害物は排除しなければならない。
「死ねっ!」
一閃。モニターの向こうのザクに光刃が吸い込まれ、抵抗なくザクの装甲を溶断した。やった、と確信し、シャノンは本来の標的であるムサイ級に意識を集中する。モビルスーツを送り出し援護する母艦としてのみ完成されたムサイ級に対空火砲は存在しない。連邦軍の主な戦力が大艦艇であった戦争初期には効率化の側面でジオンを大いに助けたその特徴は、代わって連邦宇宙軍の主力となったモビルスーツの前には致命的過ぎる弱点となっていた。シャノンもほとんど無抵抗に近いムサイ級を沈めたことがあった。そのとき、最後の足掻きか、あるいは断末魔とばかりに放たれたメガ粒子砲の応射に、シャノンは嘲笑をもって答えた。
所詮は、宇宙植民者の浅知恵だ。
「分を弁えろ、貴様らは!」
ムサイ級が前面に装備された3門の連装メガ粒子砲をジム・コマンドに向けようとする。遅い。今まさに地球に落ちんとしているコロニーを前にしたシャノンの怒りが迸るのとどちらが早かったか、ムサイ級の艦橋はビームサーベルによって瞬時に消滅していた。さらにバルカンの吐き出した銃弾がエンジンパートを破壊する。完全な沈黙。
やはり、ジオンなど恐れるに足りない。
シャノンが己の認識を確かめた次の瞬間、ジムの狭いコクピットをけたたましい警報の波が襲った。
「なんっ……」
咄嗟に操縦桿を動かすが、状況を確認する間もなく激震。敵機の接近を告げていた警報に、自機の損傷を知らせる警報が重なる。ランドセルと腰部に損傷があるのをコンパネに見たシャノンは、ようやく敵機の姿をメインカメラに捉えた。左腕を喪失したザク。シャノンが数十秒前に切り捨てたと思ったはずの機体が生きていたらしい。手にしたヒートホークが執念に灼けていた。
その灼熱が再びジム・コマンドに迫る。だが、相手を捉えた上で二撃目を受けてやれるほどシャノンは鈍くない。ほぼ死んだランドセルの推力を四肢のバーニアで補いヒートホークの刃をかわして、その動きを利用してザクにとどめの太刀を浴びせる。シャノンの視界の中心でザクのコクピットが両断された。
ヒートホークを振り下ろした姿勢のまま停止したザクを蹴り、ジム・コマンドは再び機動を始めた。その動きにはシャノンの苛立ちが窺える。
「しゃらくさい……!」
たかがジオンのザクが、自分の乗ったジム・コマンドに傷をつけるとは。些細な傷だが、傷は傷だった。戦場では無数にあって然るべきの出来事が、シャノンには我慢ならなかった。
収まらない不快感にシャノンは戦闘中であるにも関わらずヘルメットを脱いだ。緑髪が広がり、そして意志の力に溢れた双眸がバイザー越しでなくモニタを見つめる。コロニーは落ち続けている。止めなければならない。
そして突如、彼女の眼前が爆ぜた。
1、2週間前には街を歩けば必ず見かけたはずのジオン兵は、今や完全にその姿を消している。代わりにジオン兵より幾分官僚的な制服に身を包んだ連邦兵の姿が見られるようになっていた。旧世紀からキャリフォルニアと呼び習わされてきた地域の話である。
物心つく頃からその街の住民として生きてきたローティーンのエリス・クロードにしてみれば、彼らはいずれも余所者に過ぎない。ただ連邦軍の方がほんの少し見慣れている、というだけの話で、どちらも戦時経済や戦時警戒を押し付けるだけの存在である。その傲慢さに関して、地球居住者全体をアースノイドとして見下しているジオン公国軍と、その占領下にあったキャリフォルニア地域の住民に裏切り者を見るような視線を向けてくる地球連邦軍に大した違いはなかった。
その意味においては、エリスにとってガルマ・ザビは唯一それらの枠に収まらない存在だったと言える。北米軍司令官という肩書を持っていたその青年はまるで少女漫画から抜け出してきたような高貴さと美麗さを併せ持った存在だった。もちろん容姿の良さだけではなく優しさに溢れた心根も持っていると思えた。群集を前に演壇に立ち、自らの言葉で理想を語るガルマの姿はそれはそれは輝いて見えたものだ。ニューヤーク市長の娘との恋物語もスキャンダルとはならず、噂としてガルマの存在に花を添えるだけに終わった。連邦軍との戦いに自ら出陣して戦死したガルマの後任、ガルシアとかいう髭面の小男が矮小で狭量な男だったこともガルマの美化に拍車をかけただろうか。ともかく、エリスの中ではガルマ・ザビの記憶のおかげでジオン公国軍が凶悪な侵略者と位置付けられることはなかった。そしてそうした考えを持つ者はキャリフォルニアの住人の中でも少数派ではない。少なくとも、連邦軍よりはガルマの方がマシな統治だったという意見はよく聞かれた。いずれにせよ、戦争に巻き込んだ存在であることに変わりはないけれども。
そんなエリスは、商店を営む自宅の2階にある部屋で朝から晴れない気分を紛らわせるために、今は亡きガルマ・ザビのブロマイドを眺めていた。
「お前! 俺達を何だと思ってんだ!」
窓の外から怒声。見れば、カーキ色の制服に身を包んだ連邦兵が何やら怒鳴っている。向かいの雑貨屋の店主と口論になっているらしい。
兵士と住民のいざこざは戦争開始以来毎日絶えることがない。結局のところ戦争というのは、個々の住民にとっては迷惑な事態でしかない。街を闊歩する兵士というのはそのひとつのシンボルでしかない。直接の戦場にならなかったこの街がまだ幸運な方であるというのは、エリスもニュースや遠くの知人から知っているが、それは兵士の横暴を許す理由にはならないと思えた。それだから、心情的には店主を応援する。
とはいえ口論が5分も続くとエリスは見慣れた行為に興味を失い、耳障りになってきた声を聞かないで済むようオーディオに繋がれたヘッドホンに手を伸ばした。丁度お気に入りのラジオ番組が始まる時間のはずだった。市域内でしか聞こえないようなローカル局の放送だが、戦時下において平時の空気を残している貴重な番組だ。
しかしチューナーを合わせたエリスはヘッドホンから流れてくる声に形の良い眉を顰めた。涼やかで軽快なDJのものではなく、面白みの欠片もないアナウンサーらしき男の声だったからだ。戦時中であるから、放送内容が変わることはしばしばあった。無論そうして放送される内容はそれなりに重要な内容であることをエリスも知っているので、ニュースの中身に集中する。
そして切迫したアナウンサーの声が告げる言葉の羅列の意味を理解した瞬間、エリスの全身に怖気が走った。
「コロニーの投入は成功した! ギルバート、戻れ!」
「うるせえ! まだアースノイド共が残ってるだろうが!」
アイランド・イフィッシュは既に阻止限界点へと到達し、地球への落着は確実となった。コースも問題ない。あと数時間後には地球の引力に吸い寄せられ、連邦軍ジャブロー基地を直撃するはずである。
それに伴い、ジオン公国軍も後退を始めていた。艦艇は地球連邦軍に向けた砲撃を続けているが、それらは命中を期待されてはいない。コロニーへの砲撃を加える連邦軍への牽制となればよい、と、半ばめくら撃ちのように乱射されている。そして灼熱したメガ粒子の砲火を縫って、単眼を持ったモビルスーツ達が各々の母艦へと戻っていく。
そんな流れに逆らうようにその場に留まったドムの携えたジャイアントバズが遠くの連邦艦艇に向く。だが、そのマニピュレータがトリガーを引いても弾体が放たれることはなかった。弾切れだ。
パイロットはバズの弾頭の代わりに悪態を吐いた。
「くそったれが!」
「後退だ、ギルバート・タイラー! 作戦は成功した」
放っておけばヒートサーベルを抜いて連邦艦隊へ斬り込んでいきそうなドムの肩を、指揮官を示す角飾りを付けた高機動型ザク――MS-06Rが押さえる。そのコクピットで怒鳴るゼノン・ティーゲルの言葉は、しかし、ドムのパイロット――ギルバート・タイラーには届きそうもなかった。
「なんでだよ! まだ戦えるぜ、俺様は!」
「必要のない攻撃は認められない。そもそも推進剤の尽きかかったドムでどうする気だ」
「知るか! 俺様は連邦の奴等を叩き潰すだけだ!」
「後退しろ! これは命令だ!」
ギルバートの苛立ちを表現するかのように、ドムのモノアイが頭部に刻まれた十字のスリットを上下左右する。推進剤がどうした。そんなもの、気合で補ってみせる――と思っているのか、ギルバートはペダルを思い切り踏み込んだ。
機動性ではドムに比肩する高機動型ザクといえども、推力を全開にしたドムを押さえ込むほどのパワーはない。しかしもちろんそれは、全開の推力が続けば、の話であった。
コロニーを巡る激戦でドムの推進剤は殆どが使い果たされていたのだろう。数秒の噴射の後、各所のバーニアは煙も噴かなくなった。
「チクショウ! 俺様を戦わせない気か!?」
「後退しろと言っているのだ。下がれ、ギルバート」
「クソォ……!」
ギルバートがどれだけペダルを操作しても、ドムは動けなかった。ただAMBACの力でその場を回るだけだ。進むことが出来なければ、連邦軍と戦うことは不可能である。
「なら、補給を受けてすぐに出るぞ!」
「我々はコロニーの投入に成功した。既定の宙域に後退したら作戦終了だ」
「連邦軍の奴等がコロニーを壊しちまったらどうするんだよ!?」
「デブリの直撃にも耐えるコロニーの外壁。艦隊の砲撃ごときでどうなるものでもない。心配はないだろう」
「わからんぜ!」
「いい加減にしろ、ギルバート。我々は帰艦する」
「ゼノンてめえ、途中でコロニーがぶっ壊れたら一体――」
高機動型ザクに曳航されるドムのコクピットでギルバートは喚き続けていた。それは、彼のもっと戦いたいという本能が言わせた言い訳に過ぎない。彼とて本気で、連邦の火砲によってコロニーが破壊されると考えてはいなかった。しかし現実には、彼の言葉はあながち間違いでもなかったのである。
連邦軍は最後まで諦めずにコロニーに砲撃を加えた。艦砲射撃だけでなくモビルスーツやモビルポッドまでもが、己の数百倍を超える大きさの物体に攻撃をかけ続けた。そのためなのか、あるいはもともとの構造上の問題なのか。
大気圏に突入したコロニーはその圧力に耐えられず、その円筒形を崩壊させていった。
「おい、今何か光った……!」
上ずった同僚の声を聞きつけ、作業服姿の少年はチェックを終えた積荷のリストを畳んで舷窓の方へ体を流していった。
コロニー間を行き来する民間船は、戦時中にあっても運行を続けていた。いち早く中立を表明しジオンの攻撃を免れたサイド6、アナハイム・エレクトロニクスをはじめとした巨大企業によって実質的には緩衝地帯の役目を果たしている月面、そしてそれらと戦争当事国である連邦とジオンにも物資の行き来は依然として存在する。平時に比べ幾分不自由ではあったが、輸送船の往来はそう簡単に途絶えるものではない。少年が働いているのもそうした輸送船の1隻であった。
そして船は今、地球を見下ろす航路を進んでいる。舷窓に身を寄せた少年は眼下の青い星に、南北に連なったふたつの巨大な大陸と、それに比して小さい、半ば島のような大陸を認めた。スペースノイドの少年は知識としてしか知らない、南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸である。
最初少年は、アメリカ大陸の南半分に視線を向けた。連邦軍総司令部ジャブロー。ジオンのコロニー落としの目標はそこだろうと、輸送船の大人達が話しているのを聞いていたからだ。だがそこには、同僚が言うような光はない。
「なあ、一体どこが……」
光っているんだ、と聞こうとして、少年は傍らの同僚を見た。しかしそうとは聞けなかった。自分と同じ歳なのにどこか冷たいところのある同僚の顔が、白く凍りついていた。
「どうしたんだ?」
「……ウソだ……」
「どうしたんだよ、ビリー」
同僚――ビリー・ブレイズはどこか虚ろな目で少年を見返した。いつもの張り詰めたような冷たさとは違う。今にも崩れ落ちそうな危うさを感じさせた。
「なあ……俺の見間違いだよな? あんなところに、落ちるはずないよな?」
「あんなところ?」
「だって、親父がいるんだぜ? 栄転だ、地球勤務だって……親父は喜んで……」
少年はもう一度舷窓の向こうの地球を振り返った。
そして気付いた。
オーストラリア大陸の南東の端が盛り上がったように膨らみ、広がっていた。まるで――雫が落ちた後の水面のように。
「なあ、見間違いだったんだよな? シドニーに、コロニーなんて……」
震えたビリーの問いに、少年は答えることが出来なかった。
「うん、明日帰るから……ごめんなさい。……うん、ありがとう。おやすみなさい」
「ごめんなさいね、レイチェルちゃん」
受話器を置いたレイチェル・ランサムに、友人の母親は申し訳なさそうに頭を下げた。
「今日はレイチェルと一緒に寝たい」
ひとつ歳下の友人であるクレア・ヒースローがそう言いだして聞かなくなったため、彼女は久し振りの外泊をすることになっていた。今、親へその旨を告げたところである。
「気にしないで下さい、おばさま。クレアが言い出したら聞かないの、今に始まったことじゃないですから」
「そう言ってもらえると助かるけれど……どうしたのかしら、クレア」
頬に手を当てて、首を傾げるクレアの母。クレアのワガママの理由がわからないのだろう。
だがレイチェルにはなんとなく、クレアの気持ちが分かる気がしていた。だからこうもあっさりとクレアの求めに応じもしたのだ。
「レイチェル、お風呂ー」
色違いのパジャマをふた揃い抱えて、クレアが部屋から出てきた。その表情に、いつもの元気の塊のようなクレアの面影はない。
「わかった。それじゃおばさま、お風呂お借りします」
「ええ、好きに使ってちょうだい」
優しげな母の目が、クレアをお願い、と言っているように感じて、レイチェルは力強く頷いて見せた。クレアの事を心配しているのはレイチェルも同じである。彼女にとってクレアとは昔から一緒の、妹みたいなものなのだ。そんなレイチェルでも、これほど緩慢なクレアを見るのは初めてだった。
いつもは賑やかで母親に怒られるくらいのバスタイムも、今日は不思議なほどに静かだ。レイチェルはクレアの艶やかな髪を洗いながら、いつもこうだったら楽なのだけど、と思わないでもなかったが、すぐに考え直す。いつもクレアがこんな調子だったら、きっと自分は心配で胸が潰れて死んでしまうだろう。
「ねえ、レイチェル」
奇妙にエコーがかかった呼び声に、レイチェルは泡だらけのまま振り返った。先に体を洗い終えて既にバスタブにいるクレアが、円らな瞳が伏せた。
「かみさま、怒ってるよね」
「……そうかもね」
かみさま。時折クレアから飛び出すそのフレーズは、無宗教のレイチェルからすると奇異な響きを持っている。それでもその言葉が間違っていないと了解できるのは、クレアがかみさまの名前を出す時にはレイチェルも漠然とした感情を抱いているからだ。そんな心の動揺をレイチェル自身も持て余しているところに入り込んでくるのが、クレアの言葉だった。
「クレアがそう感じるなら、そうかもしれない」
言いながら、全身の泡を流す。それでも全身に何かがまとわりついたような不快感があるのは、先程目にしたコロニー落着の報道のせいだろう。
大人の男でもゆっくり体を伸ばせるだけの広さを持ったバスタブは、少女ふたりくらいなら肌を寄せ合えば簡単に入れる。クレアを胸に抱くようにして、レイチェルは彼女の後ろに体を滑り込ませた。
「あれ……レイチェル、おっぱい大きくなった?」
「へ!?」
「なんかふにふにしてるよ」
「ど、どうだっていいでしょ、そんなこと!」
「……いいなぁ……」
「気にすることないと思うけど……」
「よし決めた。私絶対レイチェルより大きくなる」
「な!? ……もう、勝手にしてよ」
「えへへ……」
さっきまでの深刻なムードはどこへやら、忍び笑いで体を摺り寄せてくるクレア。レイチェルも渋い表情をしているが、本気で嫌がってはいない。クレアがこうして過剰なくらいのスキンシップを求めてくるのは、とっくに慣れていることなのだ。それに――
「くっつきすぎよ? クレア……」
今のレイチェルには、クレアの温もりが優しかった。
もう、陽は高いはずなのに。
アリス・スプリングスの街は、かわたれ時の薄闇に包まれていた。
この街の南東、かつてオーストラリア最大の都市として栄えたシドニーは既にない。あるとすれば、空を覆う分厚い粉塵の雲の中にかつてシドニーだったものの残滓が残っているだけである。それが、コロニーシリンダーの直撃を受けた都市の末路だった。
それでも折角の日曜日に遊びに出ない子供達ではない。ここにも親の制止を振り切って家を飛び出したひとりの少年がいた。しかし、不安さを紛らわせるような危うい浮揚感で走り回っている周囲の少年達とは一線を画している。何かを真剣に考えている、そんな真摯な顔で、少年は一直線に走っていた。
彼の行く先には、ジオン軍の駐屯基地がある。少年がもっとも信用できる大人は、そこにいるはずだった。
そして彼の予想通り、ジオン公国軍中尉「荒野の迅雷」ことヴィッシュ・ドナヒューは、彼がしばしばそうしているように少年達に囲まれていた。基地の騒音に負けないくらい大きい子供達の声から、夕べのことへの疑問がドナヒューに殺到しているとわかる。夕べのことに関わるという意味では少年のしたい話も同じである。しかし彼は、疑問を抱いているわけではなかった。
「ドナヒューおじさん」
「アンクル・ドナヒュー」を囲う人の波をかき分け、少年は輪の中心にいる大男の前になんとか回り込む。質問攻めに辟易しているらしいドナヒューは見知った少年の呼びかけに気付き、ひとつしかない目を彼に向けた。
「なんだ、ジュナス。俺は今ちょっと忙しいぞ」
「ドナヒューおじさん。ジオンは、何をしたんですか」
少年――ジュナス・リアムの発した言葉は、周囲の子供達を静めるだけの真剣さを含んでいた。ローティーンにもならない少年としては異質に過ぎるものだ。それを感じ取ったのだろう、ドナヒューの目がすっと細くなった。
「ジュナス?」
「……ジオンは、何をしたんですか」
繰り返す問い。
ドナヒューは答えなかった。答えられなかった。
そういう人間だと本能的に感じ取ったからこそ信頼していた人間に問い掛けなければならない苦しさを押さえ込んで、ジュナスは続ける。
「一体何をしたんですか。何をすれば、あれだけ……」
言葉が途切れる。
一瞬だけ、静寂が訪れた。ドナヒューも、周りの子供達も、何も言わない。何も言えない。
「何をすれば、あれだけ沢山の悲しい人をつくれるんですか!?」
絶望の群れ。渦巻く悲鳴。重ねられる怨嗟の言葉。心の奥底に染み付いて離れない昨夜の夢が、ジュナスにそう叫ばせていた。
「アンクル・ドナヒュー」の答えは、いつまで経っても返ってこなかった。
序章 大地を穿つ一撃 了
(以下続章)