新機動異聞 GジェネレーションNEO 172氏

第1章 アーガマ始動




グラナダで


 アナハイム・エレクトロニクスの研修施設という触れ込みで月面都市グラナダの公式地図にも記載されているその建築物に足を踏み入れたエルンスト・イェーガーは、行き交う男女の纏う制服を一瞥してそれが本当に触れ込みだけであることを実感した。地球圏に住んでいれば一度は目にしたことがあるであろうアナハイムの制服を着ている者はひとりも居らず、イェーガーと同じものや彼が見慣れたものを着ている者がほとんどである。それらはいずれもA.E.U.G.――エゥーゴ/反地球連邦運動の名で括られる地球連邦軍内の派閥で用いられている制服だった。
「こんなもんで、訓練所だってんだからな」
 念のためにサラリーマンを装ってわざわざスーツを用意してきたイェーガーは急にバカらしくなって、ハイスクール以来久し振りに彼の首に巻きついているネクタイを緩めた。
 グラナダも今ではフォン・ブラウンと並んでアナハイムのお膝元である。加えて一年戦争当時にジオン公国の勢力下だったこともあり、今でも反連邦の気風が強い。そういう場所であれば、名目さえ誤魔化せばエゥーゴの尖兵を養成していても問題にはならないのだろう。イェーガーの言葉の通り、アナハイムの研究施設として登録されている巨大な建築物は現在、エゥーゴの志願兵訓練所として機能している。
 そのことはつまり、エゥーゴのバックにアナハイムがついていることを証明してもいた。実際のところ、ジャミトフ・ハイマン中将らの台頭を良く思わない地球連邦軍の一部が分裂する形で生まれたエゥーゴが活動していくためには新たなスポンサーが必要だった。それも地球連邦政府に対抗しうる大口の、である。そして大口という点で言えば、アナハイムグループを超える候補は地球圏に存在しなかった。そういう背景があるから、エゥーゴの施設は少なくない場合にアナハイムの庇護を受けていた。地球圏の経済に大きな影響力を持つアナハイムの施設であれば、連邦軍もおいそれと手を出せないという事情もそれを手伝っている。
 そうと知らないわけではないイェーガーだったが、ここまでオープンになっているとは想像していなかった。商売人のアナハイムがやっていることであるからリスクを計算した上でのオープンさだろうと予想はするのだが、ハイティーンの姿も少なくない所内の様子に違和感を覚えずにはいられない。
 これが戦争をやろうという組織の一端だろうか?
 浮かんだ疑問は明確な疑念とならないままイェーガーの意識に滑り込み、代わりに現実的な問題が思い出されて彼は腕時計に目を落とした。12時38分。夜にはグラナダを発たなければならないスケジュールの中で擬装の真似事までして訓練所を訪れた目的を果たすため、イェーガーは事務員らしきひとりの少女を捕まえた。
「悪いが、人を呼んで欲しい。トリッシュ・ベネットっていう女だ」
 普通の訓練生ではないのだろう、周囲の人間とは趣の違う服装をした少女は、イェーガーの示した身分証――地球連邦軍大尉のもの――を確認すると、少々お待ちください、と硬質な声で言って、所内へと歩いていった。
 少女の一風変わった髪飾りがその歩みに合わせて小さく揺れるのを見送ったイェーガーは、再び周囲の光景に視線を向けた。エゥーゴの幹部に聞いた話では、パイロットの育成を主に行っている施設ということだった。
 7年前の戦争で地球圏の兵器体系に革命を起こしたモビルスーツは、7年の時の間に主力兵器としての地位を揺るぎない物にしていた。戦車や戦闘機、攻撃艇はモビルスーツの補助戦力となり、今やパイロットと言えば戦闘機ではなくモビルスーツのそれを指すのが当然である。従って、この施設もモビルスーツパイロットを養成していると了解できた。7年前に宇宙戦闘機からモビルスーツへ転向したイェーガーにとってそれは感慨深いことである。
 そんな転機に彼の部下として新しい戦場を戦った少女が、今は教官として当時の彼女とそう変わらない歳の志願兵達を教えている、という話を聞いていたイェーガーが、本来別の人間がするはずだった仕事を買って出たのだった。
「隊長!」
 その懐かしい姿に呼ばれ、イェーガーは軽く手を挙げた。
 鮮やかな桃色のショートカットを揺らして駆け寄ってくる姿は、記憶に残っている7年前の姿と変わらない。連邦軍のものに似たエゥーゴの制服を着ていることもそれに拍車をかけているのだろう。トリッシュ・ベネットは7年前よりも大人びた笑顔で、イェーガーを迎えてくれるようだった。
「久しぶりだね、イェーガー隊長」
「ああ。元気そうで何よりだ、トリッシュ」
 嬉しそうに差し出した右手を握ってくるトリッシュの笑顔の後ろに小さく頭を下げる先程の少女を見つけ、左手で謝意を表しながら、イェーガーは改めてかつての戦友の姿を間近に眺めた。若さの盛りだった一年戦争当時と比べれば幾分落ち着いたらしいその様子と、自分に対してもすっかり物怖じしなくなった逞しさに顔を綻ばせる。
「教練やってるって話は本当みたいだな」
「ああ……驚いたよ、パメラ――私を呼びに来た子から隊長の名前を聞いたときは。来るなら連絡してくれれば良かったのにさ」
「悪い。急に決まったんで、暇がなかった」
「まったく。隊長が来るってわかってれば、もうちょっとしっかりメイクしてきたんだけどね?」
 言葉どおり化粧っ気の薄い顔でからかうように微笑むトリッシュに、イェーガーはかぶりを振って応じる。
「そいつは残念なことをしたな」
「思ってもないことをよく言うよ。で、隊長は何しに来たの? そんな――」
 トリッシュの視線がイェーガーの全身を往復し、すっと細められる。
「似合いもしないスーツ着てさ」
「うるせえな。ここはアナハイムの職業訓練所だろ? 連邦の軍人が立ち寄るところじゃない」
「そういえばそんなお題目だったかい? 中にいる人間は、誰もそんなこと気にしちゃいないさ」
「みたいだな。まったく、えらい恥だよ」
「ははっ――で?」
 続きを促すトリッシュの視線に、イェーガーは不貞腐れた表情を引っ込めた。
「ああ……アーガマって、知ってるか?」
「名前くらいはね。ブライト大佐が指揮してるっていう、新型艦だろ? 隊長も転属かい?」
「まあ、それもそうなんだがな。そこに、この養成所から配属になる奴がいるそうだな」
「……まさかそれで迎えに来たのかい? そんなの、裏方の連中に任せとけばいいじゃないか」
「つれないこと言うなよ。お前に一目会いたくて来たんだぜ、俺は?」
「なら、花束のひとつでも用意してきてくれなくちゃね」
 見知った相手との会話は、その相手と過ごした時間まで意識を遡らせる。何となく18歳の少女と話している気になっていたイェーガーは、軽くからかうつもりでそんなことを口にした。しかし実際には大人の女性であるトリッシュは、艶かしささえ感じさせる微笑みでそれを受け流している。いい女になった。そんな感慨がイェーガーの胸中をよぎる間に、トリッシュは言葉を継ぐ。
「そういえば、隊長、シャノン少尉とはどうしたんだい?」
 その会話の展開はイェーガーにとって、不意打ちだった、と言う他はない。7年前を共に過ごした戦友ならば当然口にして然るべき名前だったが、イェーガーは無意識にその名前を思い出さないようにしていた。だからトリッシュの唇からシャノン・マシアスのファーストネームが出た瞬間、表情を繕うことも忘れて、驚きの表情を彼女に向けてしまっていた。
 生まれた奇妙な沈黙に、トリッシュが首を傾げる。
「隊長?」
「――あ、ああ。それより、今度から俺の同僚になる奴を呼んで欲しいんだが」
 あからさまに話題を変えようとしたイェーガーに怪訝な顔を向けながらも、トリッシュは傍らに黙して控えていた少女――パメラ・スミスに何事かを指示した。
「さて、私はこれから食事なんだけど、隊長は?」
 パメラの後ろ姿を見送るのもそこそこにそんな話題を向けてくるトリッシュの視線に、シャノンの名前が遠ざかるのを感じて、イェーガーは我知らず安堵すると共に空腹を思い出していた。

 訓練生でごった返す食堂で摂った食事は、過ぎ去った7年を振り返るうちに瞬く間に終わっていた。
「まあ、隊長が忙しかったっていうのはわかったけど……どうしてシャノン少尉に会ってないのさ?」
 唐突なトリッシュの言葉に、イェーガーは口に含んでいたピュア・ティーを噴き出しそうになった。どうにか堪えて、異物の感触にツンとする鼻を押さえながら恨めしそうな視線を目の前の無邪気な表情に向ける。
「だから、俺はずっとペズンでMSの基礎機動データをだな……」
「それはわかったって。でも、7年間あんな石ころにカンヅメだったわけでもないんだろ?」
「そりゃあ、そうだが……ん?」
 返答に窮するイェーガーの背後に、小さな影。振り返ると、パメラの生真面目な顔が頭越しにトリッシュを見ていた。
「ヒースロー准尉をお連れしました」
「ああ、ありがとう。時間とらせて悪かったね」
「いえ。失礼します」
 定規で測ったような敬礼をして、パメラは足早に立ち去っていった。変わった子だ。3度目の後ろ姿を見送るイェーガーがそんな風に思うのと同時に、パメラよりも一回り小さい影が彼女の居た場所に陣取っていた。
「きょーかん、なに? 私今荷造りの真っ最中だったんだけど」
 甲高く、幼い声。
 嫌な予感と共に動いたイェーガーの視界には、まだローティーンではないかと思える黒髪の少女がぽつねんと立っていた。
「まだ終わってなかったのかい? 午前中には終わらせときなって言ったじゃないか」
「あはは」
 トリッシュの厳しい口調にもあっけらかんと笑ってみせるその少女は、確かに周囲と同じジャケットタイプの軍服を着ているものの、軍の訓練所という場所にはひどく不似合いな存在に思えた。まさか、こんな子供が? イェーガーの口から疑問の言葉が出るより先に、トリッシュの苦笑が喋り始める。
「待たせたね。その子が、明日から隊長の同僚になるっていう――」
「何だと、テメェ! もう一回言ってみやがれ!」
 少女を示したトリッシュの右手が、食堂の喧騒を割いて響いた怒声に止まる。若い男のものだった最初の声に応じるように、威勢のいい女の声が響く。
「悪いけど、あたしはバカに何度も説明してあげれるほど暇じゃないんだよ」
「なっ……!」
「ほら、さっさと退く。それとも言葉もわかんないくらいバカになったのかい?」
「このクソアマ……ぶっ殺してやる!」
「また、ニムロッドか……! ごめん隊長、止めてくる」
 またあんた達かい、と声を張り上げて怒声の方へ向かっていくトリッシュを目で追うイェーガーの傍らに、少女が立った。
「おじさんが迎えの人?」
「………」
 トリッシュの言いかけた言葉から考えれば、この少女が自分と共にアーガマに配属になる訓練生らしい。だが、くいっ、と首を傾げる仕草はまさにローティーンのそれだし、口調にも幼さが残っている。まさか、こんな子供がエゥーゴの隊員でもないだろう。そう強く思う。
 しかしそんなイェーガーの望みにも似た想像を切って捨てるように、少女は額に手を添え――敬礼のつもりらしい――にっこりと微笑んだ。
「アーガマへの配属を拝命しています、クレア・ヒースロー准尉ですっ!」