【Saen's longest day】172氏



 ミリアム・エリンによって持ち込まれたと思しき風習――バレンタイン・デイ。
 大半の女性と一部の男性にささやかな楽しみを、一部の男性に深い悲しみを、そしてごく僅かの男女に修羅場をもたらした日から一ヶ月が過ぎ、Gジェネレーション隊は何事もなかったかのような日常を送っている。
 そんな中、ミリアムがわざわざ説明したにもかかわらず根付かなかった風習もあった。
 ホワイト・デイ。
 バレンタイン・デイのお返しをするという風習であるが、大半の男性はすっかり忘れており、そして女性達もわざわざ気付かせるほどのイベントではないと判断したのか口に出さなかったために、その開催日である3/14を迎えた今日にも特別の動きを見せている男性はごく少数だった。
 その少数の中で、一際動き回っている男がいた――。


「クローデル伍長、リン伍長、ハットリ伍長、ご面会の方が見えてますけど」
 そんな風に言われて、みっつの同じ顔がまじまじと見合わされた。
 Gジェネレーション隊司令部直属情報処理室。そこには、隊内で評判の美人4姉妹が在籍していた。長女ミシェ・クローデル。次女シャン・リン。三女アヤカ・ハットリ。本来ならば四女のラ・ミラ・ルナが加わるのだが、彼女は諸般の事情により現在は実働部隊に所属している。
「うわ。サエンさんだよ、サエン・コジマ中尉」
 素早く入り口に視線を走らせたシャンが、入り口から身を隠すように姿勢を低くして言う。
 アヤカがそれに倣って頭を下げながら、苦笑と共に姉を見遣る。
「シャン姉さん、うわ、って……」
「だって、つい」
「ついじゃないわ。気をつけなさい、シャン」
 みっつめの同じ顔が降りてきて嗜める。ミシェだ。
「けど、お姉ちゃん……」
「それにしても一体何の用だろうね?」
 反駁するシャンを遮るように、四人目が顔を下ろす。ミラ――ではない。
「お兄ちゃんは呼ばれてないでしょ」
「……また、そうやってシャンは僕を除け者にする……」
「除け者も何も、男じゃない」
 シャンのにべもない答えに悲しげな顔で俯くアオイ・フタバ。彼女――いや彼は、シャンの言うとおり歴とした男性である。一卵性の四つ子であるミシェ、シャン、アヤカ、ミラよりも先に生まれていた長兄である。検査をすれば彼の遺伝子にはY染色体が含まれているし、裸になれば出るべきところが出ずに出なくていいところが出ている。
 そんな彼だが背格好は女性のそれと殆ど変わらず、そして顔立ちに至っては4姉妹と全く同じと言っていい。身内同士ですら時々間違えるほどだ。アオイはそれを面白がって、いつからか4姉妹と同じ格好をするようになった。今も同じ部署に所属している4人は同じ制服に同じインカムをしており、傍目には全く同じ人間が4人いるようにしか見えない。
「まあ、アオイ兄さんは置いておいて」
「ミシェまで……」
「あっ、泣かないでよ兄さん」
「ありがとうアヤカ、僕の事を気にしてくれるのは君だけだ」
「やだ、兄さん、恥ずかしい……」
「はいはいそこ、同じ顔で抱き合ってない。なんだか自分がやってるみたいでこっちまで恥ずかしくなるわ」
 しっかと抱擁するアオイと彼の腕の中で顔を赤くするアヤカを横目に、シャンは溜息をつく。
 それらをまるっきり気にしていないかのように、ミシェがちらりと入り口に目をやる。シャンの言ったとおり、サエン・コジマのスマートな長身が所在無さげにしている。
「で、サエンさんは何の用で来たのかしら?」
「またデートのお誘いじゃない? 3人まとめてなんて、バカにしてるったらありゃしない」
「どうかな。サエンはあれで結構ひとりひとりには誠実な男だと思うけど」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「あ、あの、あれじゃない? ほら、ホワイト・デイとかなんとかいう……」
「ホワイト……ああ、ミリアムさんが言っていたイベントね」
 アヤカの言葉にやっと得心がいったと頷くミシェ。
「わざわざお返しに来てくれたのね」
「ほらね。僕の言ったとおりだろ? 案外マメなんだよ、彼は」
「いいからアヤカから離れてよ、お兄ちゃん……あ」
 じろりとアオイを睨みつけたシャンは、その顔を見てぽかんと口を開く。
 次の瞬間には何かを企んだ笑みをその口許に浮かべていた。


「お待たせしてしまったかしら?」
 大きなバッグを提げて壁に寄りかかっていたサエンが、ミシェの優しい呼び声に振り返る。
「いや、気にしなくていいさ。君達のためなら待つ時間だって楽しい」
 殆ど脊髄反射なのではないかと思うほど澱みなく軽い言葉を返すサエンに若干呆れつつ、シャンも姉に従って軽く頭を下げる。
「それで、サエンさん、今日はどういったご用件で?」
「まさかまとめてデートに誘おうなんて考えてるんじゃないでしょうね」
「シャン」
 姉の嗜めるような呼びかけに顔を背ける。
 こんな軽薄なやつ、まともに取り合う必要なんてない。
 そんな風に考えるシャンの耳には、サエンの軽い笑い声が聞こえてきた。
「それはまた次の機会にね。今日は渡したいものがあるんだ」
 そう言うとサエンは、小柄な人間なら入れてしまいそうなバッグを開いて中から包みをみっつ取り出した。アヤカの想像通り、サエンはホワイト・デイのお返しに来たらしい。
 それを理解して、シャンは自分の目論見通りに進んでいると改めてほくそえんだ。
「これはミシェさんに。きっと気に入ると思う」
「ありがとうございます」
「これはシャニー、君にだ」
「……どーも」
「それから――」
 きた。さあ、アヤカと呼んじゃえ。
 密かにそう思うシャンの隣の姿に向いたサエンは、ちょっと困ったような笑みを浮かべて、
「アオイ、これをアヤカちゃんに渡しておいてくれるかい?」
「わかった」
「ええっ!?」
 素っ頓狂な声をあげたのはシャンである。
 アオイにいかにもアヤカだという顔でついてこさせ、サエンに間違えさせる――そんなシャンの計画は脆くも崩れ去った。
「それじゃ、また今度」
 シャンが呆然としているうちに、サエンは爽やかな笑顔で去っていく。
「流石ね、サエンさん」
「だから言ったろ? 彼は案外しっかりしてるんだって」
「本当に……あら、ボンボンじゃない」
「ミシェがお酒好きなの、ちゃんと覚えてたみたいだね? ほら、アヤカ。サエンから」
「ありがとう、兄さん……あ! イクラクッキー!」
「……これはアヤカにしか食べられないわね」
「本当に、よく覚えてるなぁ……」
 兄妹が談笑しながら席に戻る間も、シャンは未だ立ち尽くしていた。




 Gジェネレーション隊本拠地に存在する射撃練習場に、銀髪の美女の姿があった。
 エターナ・フレイルという彼女の名前を知る者にはふたつの種類がいる。その片方、Gジェネレーション隊きっての「お嬢様」である彼女を知る者は多い。だが彼らは今のエターナを見れば目を丸くするだろう。何故なら彼女は今、硬質なゴーグルと耳を覆う無骨なヘッドセットをしているのだから。そして少数の、もう片方の人々はその姿にある種の畏怖さえ抱くのである。
 今、エターナの瞳はゴーグルを――そしてスコープを通して、数百メートル先の標的をじっと見据えている。いつもながらの穏やかでどこか憂いを帯びた表情のまま、彼女は指を動かす。トリガーを引く。
 刹那、鼓膜を劈く銃声が響き、彼方の標的は粉砕された。
「……ふぅ」
 おっとりと息を吐き、エターナはライフルを肩から離した。エターナという女性が肩に残る銃撃の反動を心地よいと思える神経を持っているという事は、あまり知られていない。そうでなければ彼女はGジェネレーション隊に在籍している事はないし、狙撃用モビルスーツを与えられて小隊の一翼を担う事もない、というのは道理である。
 それでもそうと知る者が少ないのは、もちろん彼女より濃い女性が多いというのもあるが、それ以上に彼女の羞恥心がそうさせていると言える。恥ずかしがって他人の前では絶対に射撃をやろうとしないのである。
 今日も練習場にいるのは彼女だけ。20余りが用意された射撃レーンは、殆どが空席だった。
 その、はずだった。
「………!」
 隣のレーンから銃口が突き出ているのに気付く。
 誰かがいる。見られた。恥ずかしい。
 そんな思考の連鎖が起こるより先に、閃光と銃声が迸った。
 一度ではない。二度、三度――そしてマガジンが空になったのだろうか、数度の後にようやく止む。
 エターナはふと気になって、再びライフルのスコープを覗いてみた。
 自分が先刻撃ち砕いた標的の隣に、人型のターゲットがぶら下がっている。その左胸――心臓にあたる位置に弾痕は集中していた。それだけならばエターナは何も感じなかっただろう。しかし、その弾痕の描いた形を見た瞬間に、エターナは隣のレーンにいる人間の正体に気付いた。
「……サエンさん?」
 恐る恐る覗いた時には、レーンは蛻の空となっていた。
 ただぽつんと、射撃台の上に包みが置かれている。
「これは……」
 包みと、それからもう一度ターゲットを――スコープ無しではぼんやりとしたシルエットにしか見えない――見て、エターナは小さく微笑んだ。

『君もいつかああなるぜ』
 そう記されたメッセージカードが示しているのはきっと、胸をハート型に打ち抜かれた人型なのだろう。




 Gジェネレーション隊本拠地の各所には、様々な雑貨や日用品を扱う酒保が設置されている。その名のとおり、酒も取り扱う売店だ。そこにいくつか据え付けられているテーブルのひとつに、女性がふたり陣取っている。
「だからさぁー……ね? そこはおとことひて、手ぇ出さにゃきゃいけないじゃん? ……ぷはぁ」
「はいはい、そうね」
 赤ら顔で琥珀色の液体を呷っているのがパティ・ソープ、そして彼女を煽るように酒を注いでいるのがラビニア・クォーツである。
 パティの方はすっかり出来上がっているらしく、肌は真っ赤だわ呂律は回らないわ、もう見るに耐えない。ラビニアの方は落ち着いたもので、自分のペースで飲んでいるようだ。
「ほら、グラスが空いてるわよ?」
「ほんとらぁ……おにーさん! おかわり!」
 パティは空のグラスをぶんぶん振りながら店員を呼びつける。
「あたい、じひんなくひちゃうよぉ……」
 困った表情を隠せない店員がそれでもグラスに液体を満たしていくのを蕩けた目で見ながら、パティは泣きそうに呟く。
 ラビニアはそんな彼女の碧の髪を撫でるようにしてやり、それから、問う。
「ねえ、パティ。ちゃんと私のお薬シェルドくんに飲ませたの?」
「あたりまえらよ! くちうつひで……」
「えっ?」
「……のませようとして、おいだされたの……」
「……あのね」
 飲ませていない薬の効果が出るわけがない。
 ラビニアは呆れて溜息をつきながら、考える。
 もっともシェルド・フォーリーのオクテさならば、薬を飲んでいてもパティを追い出すかもしれない。そういえばユリウスは結局、あのチョコをどうしたのだろうか。カチュア・リィスとか、シス・ミットヴィルとかといるときに食べていると、面白いのだけれど……まさか、ショウ・ルスカと一緒には食べまい。
 そのまさかだとは知らないラビニアの頭上に、不意に影が現れた。
「あ、サエンだぁ」
 ラビニアが見上げるより早く、ぐでんぐでんのパティがその正体を口にする。
「こりゃまた……随分、荒れてるね」
「うるさーい! あんただってきらいだぁ……」
 ぷい、と背中を向け、頬を膨らませるパティ。
「うん?」
「どうやら、パティが荒れてる原因は貴方にもあるみたいね、色男さん?」
「さてね。女の子を泣かせちゃうのは色男の宿命みたいなものだからな」
「ふふ、本当に口の減らないオトコ……」
 そう言いながらも、ラビニアは嫌そうではない。
 そんな彼女の艶のある視線を受けながら、サエンはしぼんだバッグから包みをふたつ取り出してラビニアに差し出した。
「これは?」
「ひとつは、君のありがた迷惑な贈り物のお礼だ」
「あら、迷惑だった?」
「あんなものに頼る必要はない、ってことさ。気持ちはありがたいけどね」
「そう……で、こっちはパティが正気に戻ったら渡せばいいのね?」
「さすが、話が早くて助かるよ」
 笑って、サエンはバッグを手に立ち去ろうとする。その手を握って、ラビニアは首を傾げる。
「もう行くの? 迷惑のお詫びに、おごるわよ?」
「悪いけど、この後に約束があるんだ。酒を飲んでいくわけにはいかないね。それに、どんな理由があっても女の子におごらせるなんてしないさ」
「あら、紳士なのね? その割に、今日は随分と忙しかったみたいだけれど」
 すっと細くなったラビニアの目が、包みの入っていたバッグに向けられる。
「や、これは……」
「まあ、貴方の価値観に口を出すつもりはないけれど……ただ覚えておきなさいね。貴方やこの子みたいに恋で遊べる子ばかりじゃないの。ほどほどにしておかないと、いつか大泣きされるわよ」
「ああ………」
 サエンは罰が悪そうに苦笑して、ラビニアの手を優しく振り解いた。
「それじゃ、俺は行くよ」
「ええ」
 遠ざかっていくサエンの後ろ姿から視線を外し、ラビニアは拗ねたままのパティに目を向けた。
 その瞳は、年長者にふさわしい優しさを湛えていた。



「ふぅ……」
 溜息と共に、マリア・オーエンスは掌に載せた懐中時計に目を落とす。さっきより進んだ長針は、もう少しで頂上に辿り着いてしまう。それを見ていたくなくて、精緻な細工が施された蓋を閉じた。
 彼女がいるのはGジェネレーション隊本拠地の居住区に構えられたバーのカウンターである。落ち着いた雰囲気の店内には、幾組かのカップルの姿がある。そんな中でマリアは独り、ホットミルクのカップに口をつけた。
「どうして今日に限って遅いの……?」
 彼から誘われるのはいつものこと。けれど、いつもは必ず彼が先に来ていた。用事が片付かなくて遅刻してしまったときはもちろん、時間通りに行っても、たまには先にいようと思っても、彼は必ず先にいた。そんな彼が、今日はいない。今日は、きっと人々にとって特別な日であるはずなのに……。
 ひょっとして。
 不意に、嫌な想像が頭をもたげる。
 周りの人間に躊躇いなくプレイボーイと評される彼。ひょっとして誰かと遊んでいるのではないか。自分のことなど、忘れてしまって。
「……そんなこと、ない」
 口に出して否定する。少しだけ、信じる元気が湧いてきた気がした。
 きっと何か事情があるのだ。遊んでいるように見えるけれど、あれでGジェネレーション隊のトップエースのひとりなのだから。
 再び吐きそうになった溜息を飲み込んで、マリアはもう一口ホットミルクを啜った。
 柔らかい暖かさが体中に染み渡って、不安を消していくような気がする。
 まだ、待てる。
 マリアは小さく微笑み、自分を誘ってくれた男に思いを馳せた。

 サエン・コジマの一日は、まだまだこれからのようだ。