「共に鼓動を聞く者たち ・外伝」 343氏




少年は怯えていた。
悲鳴が、見えたのだ。
悲鳴は聞こえるモノだと、理解していた。
ただ、今は確実に見えたのだ。
そして阿鼻叫喚の様を、感じた。
見えたのではない、感じたのだ。
怯えた少年は、母親の姿を探す。
見つからない。
次に悲鳴を上げる番は、自分だ。
さらなる恐怖が身体を支配していって…。

「うわぁぁぁあ!」
「もういい。テストを終わらせろ。酸素吸入を開始。」
少年の悲鳴に男は卑屈な笑みを浮かべたまま、部下に指示する。
ガラス越しに見える検査機器の少年が落ち着きを取り戻す。
ニール・ザムは自分を研究者だと思っている。
だが、拷問の才能もあるのではないかと感じている。
「脳波のデータは?何か面白いものは見れたか?」
首を振る部下にニールは舌打ちする。
試験体が少なすぎる。
この少年、ルロイ・ギリアムは間違いなくニュータイプだろう。
だが、そのデータはもう搾り出しきったと言える。
「…くそっ!ルナ2からやって来る候補者に期待するしかないな。」
ニキ・テイラーは難しい女だ。
だが、了承した。
ティターンズの極秘作戦を生き延びたという候補者。
「これで、ダメだったら…。」
いや、手術はすでに可能だ。
ただ、さらなる確証が欲しいだけだ。
または、新しい要素を。
ニールは卑屈な笑みを再び作り、ラボを後にした。

疲れきった身体を引きずって、ルロイは部屋に戻る。
ドアが開くと、幼い少女が見える。
「…ただいま、シス。」
ルロイがそのままベッドに倒れこむと、少女はそぐに毛布をかけてやる。
「ありがとう」
ルロイはそのまま眠りに落ちる。
シスはルロイが今度こそいい夢が見れるよう、祈った。
夢の世界だけはここでも自由だ。
夢は眠らなきゃ見れない。
一生眠っていたい。
死が永遠の眠りなら、悪くない。
シスはそんなことを考えながら、ルロイの顔を見る。
疲労の色から今日も酷い実験だったことが分かる。
もうすぐ、自分の出番が来る。
シスは僅かに身体を震わせた。

ニールの落胆は大きかった。
当然である。
やってきたのは老いぼれ。
話によると十代のスペースノイド3人とこの老いぼれが生き残りらしいが。
ニュータイプの可能性を考えれば、若い方が良いと思っていた。
新しい世代ほど可能性は高いからだ。
いや、でもまだ分からない。
一年戦争の英雄、レビル将軍がニュータイプだったという説もある。
「このダイス・ロックリーも、あるいは。」
ニールは当然のように、その後の実験で落胆した。

「やれやれ、幻覚剤かあれは。」
ダイスは衛兵の鋭いにらみに肩をすくめる。
部屋に通されると三つ並んだベッドが見える。
うち二つは少女と少年が寝ていた。
「こんな子供と同じ部屋か?」
衛兵はただ、促すだけだ。
ダイスが部屋に入るとドアはロックされる。
「監獄だな、まるで。」
ダイスが空いているベッドに座る。
と、少女が起き上がる。
少年も目を開け、眠たげな声で話す。
「どうしたの、シス?」
「…ルロイ、新しいヒト。」
少女の声に少年はゆっくりと起き上がる。
「あ、こんにちは、おじさん。僕はルロイって言います。眠いので詳しいことはまた明日…。」
ルロイはそのまま倒れる。
シスもモゾモゾと毛布を被る。
目だけはダイスに向いていたが、やがて目を閉じる。
「なんなんじゃ、ここは?」
ダイスは不可解な状況を理解できないまま、眠りにつく。





ダイスはゆっくりと目を開ける。
寝ている少年、ルロイが視界に入る。
30バンチを一緒に抜け出した坊主たちと同じぐらいの歳か。
女の子の方、シスとかいったか、彼女はもっと年下。
シスが目を覚ます。
ベッドから起き上がり、ダイスの目に立つとお辞儀をする。
ダイスも起き上がる。
「ああ、おはよう」
シスはそのまま備え付けの洗面所に向かう。
ここは本当に監獄のようだ。
手洗い場、簡素なベッド、机とイス。
それ以外は何もない、殺風景な部屋。
シスが顔を洗い終えると、ダイスも顔を洗う。
シスがタオルと差し出し、受け取る。
タオルから顔を上げると、ルロイが起き上がっている。
「え、あ、おじさん、誰?」
シスがルロイの服を引っ張る。
「…昨日の夜来た、新しいヒト。」
ダイスは苦笑しつつ、自己紹介する。
「ダイス・ロックリーじゃ。よろしくな。」

ニール・ザムはニキ・テイラーに問いただす。
衛星通信の映像は極度に悪い。
ルナ2近辺のミノフスキー粒子濃度が高いのだろう。
音声は割りとクリアなのだが。
「なぜ、あんな老いぼれをよこした?」
「様々なパターンが欲しいという貴殿の要望に応えた形だと思ったのですが。」
ニキの冷静な回答に、ニールはイラつく。
いけ好かない女だ。
「ニュータイプである可能性は新しい世代のほうが大きいのだ!そんなこと、NT研究の基礎だろうが。」
「すいません、研究のことにはとても疎いもので。」
本来ならばニキの方が上官である。
技術士官のニールが偉そうな口を叩く資格は無い。
ニールはわざとそれをやることで、ニキの怒りを買おうとしているのだが。
ニキに感情の起伏は見られない。
ニールは態度を崩さず、要求する。
「例の事件の関係者、三人もよこしてもらおうか?」
ニキは一拍置いて返答した。
「考えておきます。」
何を考えるんだ、このアマ。
ニールは怒りをかみ殺す。

ニキは通信を終えると、ため息をついた。
強化人間の計画が非人道的なのは理解している。
だが、まだ自分がティターンズに反旗を翻す人間だと知られるわけにはいかない。
スペースノイドに対抗する人口NTの研究。
それにも協力する姿勢を見せなければならない。
「…さて、どうしたものでしょうね。」
ニキは通信機に向かって部下のエイブラムを呼びつけると、イスに深く座り、思考する。

パンと水。
それが朝食だった。
ダイスは呟く。
「せめてミルクにならんのかのう。」
自分はまだいいが、同室の二人はまだ育ち盛りだろう。
だが、ルロイもシスも淡々と食事を終える。
食事というのはもっと楽しいものではなかったのか?
突如、ブザーが鳴ると、シスはドアの前に向かう。
「がんばって。」
ルロイの言葉にシスは頷く。
ダイスは首をひねる。
がんばる?何を?
まさか、昨日に自分がやられたような…。
「おい、まさかあんな小さな娘にも幻覚剤を…。」
ドアが開き、シスの姿が消える。
「冗談じゃないぞ!ここは狂っとるのか!」
「幻覚剤?」
ルロイがダイスに聞く。
が、むしろダイスはルロイに聞き返す。
「お前、今あの娘に『がんばって』といったろう!どういうことじゃ!」
「がんばって、耐えて欲しいから…」
ルロイはそれだけ応えるが、言葉が続かなかった。

ニールはルーチンワークの前にあくびをした。
シスに関してはすることがほとんど無い。
手術を施すだけで、新たな発見は無いのだ。
それに今は慣らしの段階だ。
モニターにシスの苦痛に耐える顔が映る。
面白みの無いガキだ。
拷問しても面白くないかもしれない。
「…拷問か」
ニールは呟く。
「…いや、実験だな。」
口の端が曲がる。

ドアが開くと、慌ててルロイはその前に立つ。
そして倒れこんでくるシスを受けとめた。
その手際のよさに、ダイスは驚いた。
きっと一度や二度ではない。
よくあることなのだ。
ルロイはシスの髪を軽くなでると、ベッドまで運ぶ。
「…おやすみ。」
シスは軽く頷くだけだ。
ルロイはダイスに向き直ると、言う。
「彼女、いい夢を見るといいけど。」
淋しげな笑顔だった。
「何が、どうなってるんじゃ?」
ダイスの質問にルロイは首を振りながら応える。
「何かの実験みたいで、ニュータイプとかなんとか言ってた。」
「ニュータイプ?」
「なんでもエスパーみたいなものらしいですけど。おじさんも何か覚えがあるんじゃないですか、妙に勘が冴えてたりとか?」
ダイスは首をひねる。
「ギャンブルはからきしじゃったしな。」
ルロイは笑い、ベッドに腰を落ち着かせる。
「なんか、危ない目に遭うのを予期したとか?」
ルロイの言葉にダイスは顔を上げる。
「…それは、ワシではないが、あるかもしれん。ちょっとまて、と言うことは小僧、お前は覚えがあると言うことか。」
「…少し。」
ルロイは顔をうつむける。
「ここはそういう人が集まるらしいんです。」
そして、シスの方に目を向ける。
「でも、…たぶんこの娘は違う。」






「シス・ミッドウィルか…」
ニールはラボで一人佇み、呟く。
ニールが連れてきた少女は辛抱強い。
もっと泣き叫ぶかとも思ったのだが。
研究者としてニールは自らの人選に自信を持っていた。
素質は、ある。
「あとはチップの完成を待つだけなのだが…。」
ニールの視線は水槽に入ったバイオチップに向けられる。
ロザミア・バダムとは違う、新しい発想だ。
だから検体は子供の方が良かった。
ニールはため息をつきラボを出て行った。

「何が、違うんじゃ?」
ダイスはルロイの言葉に、さらに問う。
ルロイは呟く。
「この娘は…危ない目に遭うのを予測できなかった。きっと、危ない目に遭った子なんですよ。」
ルロイは思う。
大人は子供はたくましいと言う。
でも本当に残虐行為を目の前で見せられ、耐えられる子供がいるだろうか?
または、その行為に染まってしまう子供は?
「…シスは旧ジオン公国の人間です。」
「ジオンの?」
連邦軍のジオン残党への弾圧はダイスも知っている。
自分もそのとばっちりを受けたのだから。
「…シスは上手く話せない。でも僕には分かるんです。この娘の気持ちが。」
ルロイは苦笑いする。
「凄く感覚的なことなんですけど。」
ダイスは笑わなかった。
「で、その娘の気持ちは、どうなんじゃ?」
ルロイはダイスを見据えた。
「『生きていたって意味はない。苦しいだけ』僕も、そう思います。」
ダイスはその視線をしっかりと受け止めた。
「悲しいことを言うな。『生きている』ことにはきっと意味がある。」
逆にルロイが視線をはずした。
ダイスの瞳はなお、ルロイをしっかりと捕らえていた。
「そして君が以前に『危ない目』にあったのに、生き残ったことにも意味があるはずじゃ」
ダイスは自分も同様だと思った。
あの少年に生かされたのには何か、意味があるのだ。

朝になってラボに呼ばれたのはダイスだった。
二回目の試験。
ニールは笑みがとまらなかった。
部下は不審に思うかもしれない。
よい結果が得られる試験には到底思えない。
「ククッ、少し強引にいかないとNT能力は発揮されない、そういう場合もありえる。」
ニールは自分を独り言で説得した。
すぐに折れる自分。
「電流による身体への負荷からスタートだ。」
部下へ指示する。
やがて聞こえるダイスの声。
「ぐおぁぁあ!」
「死なない程度に続けろ!限界まで!」
ニールには他人の苦痛の声が心地よかった。
女の声だともっと心地いいかもしれない。
「よし、やめ!次は外傷を与えよう、多少の出血はやむ終えん。…古典的だが鞭ってのはどうかな?」
部下たちはニールの様子の異変に気づいたが、指示には従った。
ラボが狂気に染まっていっていた。
「な、これのどこが実験だというんじゃ!」
ダイスの抗議はすぐに悲鳴に変わる。
ニールは思う。
女の悲鳴ならシスのものがいいだろう。
いや、あの高慢なルナ2の司令ならばもっと聞き応えがあるに違いない。
しかし、どちらも叶わぬことだ。
シスは大事な商品になる予定だし、ニキははるか空の彼方だ。
「しばらくは、この親父で我慢だな。」
ダイスの苦悶の顔を見てニールは表情を歪めた。





ダイスは立つことができなかった。
身体にはまったく力が入らない。
研究員、衛兵に引きずられているのを頭の隅でかろうじて理解していた。
扉が開く。
「…おじさん!」
少年の声が聞こえる。
「…っ!」
少女のか細い、悲鳴も。
だが、反応はできなかった。
ベッドに転がされ、そのまま意識が途絶える。

ニールは満足感を抱えて自室に戻る。
コンピューターのLEDの点滅が、重要な通信が入ってきたことを知らせる。
ニールは記録の再生を行う。
ニキ・テイラーの文字がモニタに移る。
「件の若者の件について。
三名は事件の機密事項を知る者として手放すことは出来ない。
三名には軍籍を与え自分の指揮下において監視することにした。」
ニールの満足感は一瞬で消え去った。
「あのアマ…!」

ルロイの不安はどんどん大きくなっていった。
ダイスの状態はただ事ではない。
軽度ではあるが火傷は全身にわたり、微熱が続く。
さらに背中は血で汚れていた。
実験?実験って何なんだ?
自分もここでは何度も悪夢を見てきた。
だが、ここまで酷い目にはあったことはない。
殺される?
瞬間、あまり聞かない声がルロイに届く。
「…殺されはしない」
シスの声だった。
シスはダイスの顔をのぞきながら、呟く。
「殺さないように、してるの」
ルロイは目を見張る。
「死なない程度に、ってこと?」
コクリとうなずくシス。
その頭に大きな手が添えられた。
ダイスが意識を取り戻したのだ。
ただ、やさしく、シスの頭をなでる。
シスは無言だ。
「…すまない、怖い目にあわせてしまったな」
ダイスはすまなそうに言った。
ルロイは首を振る。
「どうして、おじさんが謝るの?」
ダイスは微笑した。
「…年寄りだけだ、きっと。こんな目に遭うのは」
シスは身を強張らせた。
ダイスは嘘をついている。
それは優しさから来るものかもしれないが、逆効果だ。
覚悟していたほうが、本当の絶望にあっても理性を保つことが出来る。
ダイスはシスの様子を悟ったのか、頭に添えた手でぽんぽんと軽く叩く。
「やはり、怖いか。だったら、思いっきり泣いてもいいじゃぞ」
「!?」
シスが困惑の表情を浮かべる。
「感情を抑えていても、何も変わらないんじゃ。お嬢ちゃん、泣きたかったら泣くんじゃ。…それはルロイ、お前にも言えることじゃがの。」
ダイスはため息をつく。
「お前たちは感情を抑えすぎじゃ。理不尽な状況に、憤り、泣くんじゃ。諦めても何も変わらんぞ。生きていればな…。」
シスはダイスの手を払いのけた。
そのまま、自分のベッドにもぐりこむ。
ルロイはダイスの前に立つ。
「生きていれば、何ですか?」
ダイスは呟く。
「きっと、いい事がある。」
ルロイは嘲笑した。
「そんな、有様なのに?こんなに苦しんでいるのに?おじさんはここに来る前に死んでしまったほうが良かったんだ。そのほうがよほど楽だったんだ。」
ダイスは無言だった。
ルロイは自分でも酷いことを言ってると思った。
だが、今はそれが快感だった。
なぜだろう?
「ここにきて何かいい事がありましたか?」
ルロイの言葉にダイスは笑った。
「お前たちに会えた。」
ルロイは、言葉に詰まった。
ただ、虚を突かれた表情から下にうつむくと、自分のベッドに転がった。