シェルド篇C




ネリィ・オルソンは焦っていた。
彼女は、自分がシェルドに持っている感情を自覚している。
ノーランやエリスの想いも、認識している。
彼女は、焦っている。
このままでは、自分はただの「意地悪な女」で終わってしまうことになる。
相手がノーランだけなら、これほど焦りはしなかったろう。
しかし、エリスがシェルドに対し、やけに優しげな目線を送っている事実に気がついた瞬間から、ネリィは危機感を感じ始めた。
あの弱気なシェルドのこと。
『年上の威圧的な女』より、『同年代の優しい女の子』の方が好みのタイプに決まっている。
じゃあ、自分も優しくすればいいだけなのに、それが出来ない。
シェルドを見ると、つい、意地悪なことを言ったり、露出の多い服を着てからかってやったりしたくなってしまう。
(小学生の『どの子好き〜?』ごっこじゃないんですのよ…)
そう思って、自分をいさめる。

ここが正念場なのだ。
このバレンタインで、シェルドの感情を少しでも自分に向けることが出来れば、自分にも勝ち目はある。
チョコを渡す時に告白すれば良いものを、それをしないのは理由がある。
彼女は、自分の持っている感情を、「ちょっとだけ」察してもらった上で、シェルド「から」告白されたいのである。
プライドの高さと女心のなせる技である。
だから、ネリィはガチガチにド本命のチョコを渡すことは避けたかった。
それは告白も同然の意味を示すからである。
かといって、いかにも義理チョコでは、何にもならない。
そんなわけで、ネリィ・オルソンは30分以上も、並べられたチョコを見ては、アレでもないコレでもない、と頭を悩ませ続けているのである。
そんなことをしている間に、時間がどんどん減っていくことに、未だネリィ・オルソンは気がついていなかった。

さて。
そこまで想われていることなど夢にも思っていないシェルド君は。
バレンタインだというのに、自室に引きこもって、覚醒武器のメンテナンス・マニュアルなんぞ読んでおりました。
そんな味気ないもの読んでいる場合ではないぞ、青年。
君はこれから、大きな試練を味わうことになるのだから。




シェルド篇D



シェルドは一心不乱にメンテナンス・マニュアルを読みふけっていた。
マニュアルを読んでいるだけで、ワクワクしてくる。
(早く覚醒武器のメンテナンス、したいなぁ)
なんて呑気にシェルドは思っている。
その時。
彼の自室の呼び鈴が鳴った。

「あ、はい」
誰だろう。と、シェルドは首をかしげる。
今日は訓練も講習もないのに。
扉を開けると、そこにノーラン・ミリガンが立っていた。
「…お前は、今日というこの日に、何で自分の部屋にいるんだ」が彼女の第一声であり、
「あ、いや、すみません」が彼の第一声であり、
(ほっといてください)が彼の本音だった。
ここで、2.5秒ほどの微妙な沈黙が流れる。
「入っていいかな」
「え?あ、どうぞ」
ノーランはシェルドの部屋に入る。
シェルドはノーランを部屋に入れた。

そして。
ノーランより先に部屋の前に来ながらも、扉を叩く勇気がなく、あっちウロウロこっちウロウロした結果、ノーランに先を越されてしまったエリス・クロードは、
その光景の全てを目撃してしまう。
真っ白になる思考の片隅で彼女が見たものは、やけに残酷な音を立てて閉まっていく扉だった。



シェルド篇E



「座っていいかな」
「あ、あ、はい、どうぞ、さっきまで座ってたから、あの、あったかいですけど」
一方、部屋の中ではそんな間の抜けた会話が始まっていた。
シェルド君、言わなくていいんだよ、そんなこと。
当然の反応というか、ノーランは若干呆れた。
本当に私はこんな年下の男の子が好きなのか…と、自問してしまう。
しかし、答えははっきりしている。
好きだから、ここにいるのだ。
切っ掛けは何気ないもの。
訓練使用機体であるヅダの性能について、整備班に不満をぶちまけたことから始まる。
「本当に大丈夫なの!?空中分解とか御免だよ!」
そんな彼女の怒号に反発したのは、整備班の班長であり整備指導教官でもあるケイ・ニムロッドではなくシェルドだった。
「乗ってから言ってください」
今でもノーランは、その時のシェルドの瞳を思い出すことが出来る。

普段、絶対に見ることの出来ない強気な瞳。
その瞳に、私は、吸い込まれてしまった。
否。
今でも、吸い込まれ続けている。

あの時の瞳が見たくて、ノーランはシェルドに何かしらちょっかいを出しているのだが。
機体や整備に関すること以外、何らシェルドは強気な視線を送ることはなかった。
かといって、機体や整備に関することであれこれ言って、シェルドに嫌われてしまうのは嫌だった。
(我ながら屈折してるよなぁ)
シェルドとの関係を変えたくて、色々足掻いてはみたものの。
鈍感なシェルドはさっぱり変わらなかった。
だから、ノーランは一大決心をした。
それは、このバレンタインで二人の関係を変えること。
良い方に転ぼうと悪い方に転ぼうと、後悔は、ない。
そんな思いで来たのに。
−あ、あ、はい、どうぞ、さっきまで座ってたから、あの、あったかいですけど
−あったかいですけど
−あったかいですけど
−あったかいですけど

何かもうどうでもよくなってきたノーラン・ミリガンだった。




シェルド篇F



シェルドの部屋では、今、沈黙が流れている。
二人ともピクリとも動かない。
ノーランにしてみれば、思い切り出鼻をくじかれた思いで一杯だったし、
シェルドにしてみれば、善意で言った言葉−あったかいですけど−を言ったきり、ノーランが反応しないので、どうすることも出来ず、ただ戸惑い、突っ立っていた。
ただ、一つ気になることはあった。
それは、ノーランが左手に持っているモノである。
その包装はどこからどう見ても、バレンタイン・チョコ用にしか見えなかった。
(またか)
と、シェルドは思う。
ここでも、僕はチョコレート伝達係をやらされることになるのか…
学生の頃から、しょっちゅう女の子に頼まれていた。
気の弱いシェルドは、そんな頼みを断れるはずもなく。
いちいち言いなりになって、律儀に伝達係をやった。
その度に、その度に、シェルドは傷ついていた。
(もういいけどね。慣れてるしさ)
そう思って自嘲するシェルド。
しかし、彼は間違っている。
そんな生き方で、いいはずなど、ない。
それに。
いま、目の前に立っている女性は、彼が学生時代に会ったような幼稚な女の子では、ない。
ノーラン・ミリガンは、自分の想いを告白するのに、他人を使うような女性ではないのだ。
それが、分かっていれば、彼女が何をしにシェルドの部屋を訪れたのか、を察することが出来た筈なのに。

ほどなくして、ノーランは口を開く。
「シェルド、あんたに渡すものがあるんだ」と。
そして、
自分の過去と目の前の女性をごっちゃにしてしまった少し幼い青年は、ぶっきらぼうにこう答えてしまう。
「分かりました、そのチョコ誰に渡せばいいんですか」と。
その言葉を聴いて、
ノーラン・ミリガンはシェルド・フォーリーを理解した。

「違うよ、シェルド」
ノーランは、優しく、声を出した。
「このチョコはね、アンタだけの物なんだ」
「…え」
シェルドは受け止めることが出来ない。
異性に告白されたことなど、一度だってないこの青年は、
人と関わることを極端に恐れるこの青年は、
彼女の想いを、受け止めることが出来ない。
「何を言ってるんですか…からかわないで下さい」
だから、逃げようとする。
自分に優しい言い訳を作って、他人と関わらなくて済むように。
傷つかなくて済むように。
辛い思いをしなくて済むように…と。
だが。
そんなシェルド・フォーリーの「隙間」に、ノーラン・ミリガンは、想いを持って、踏み込んだ。