【閣下とお嬢様】419氏



 ネリィ・オルソンはよく『お嬢様』と呼ばれている。
 端然とした振る舞い。自然に浮かべる微笑み。誰であろうと物怖じしない物言い。高貴さ。
 それらを併せ持つが故の『お嬢様』であり、そしてネリィも否定するつもりは無い。
 その通りだからだ。
 
 ネリィがこの部隊に入った時、メンバーは自分を含めて僅か3名だった。
 戦艦すらまともに運用することも適わず、使用出来るMSはおおよそ実用に耐えうるものではなかった。
 正気の沙汰ではない。
 しかし文句を言ったところで現状が変わるはずもない。
 ただただ戦地を駆け回り、腕を磨き、MS開発のデータを取る日々がいつまでも続いていた。
 撃墜した敵機の数を競い合い、様々な機体を乗り換え整備員と意見を交換し、再び戦場へ───
 そして気づけば部隊内でもトップクラスのMSパイロットになっていた。
 部隊構成員も増え、これからは彼らの育成を手伝うことになる。
 そういうものだ。ごく自然と自分の未来を信じていた。
(そんな私がこんな所で感傷に浸っていると知られたら笑われますわね)
 ネリィは微苦笑をこぼすと眼下に広がる風景を視界に入れた。
 今また一機、MSがトレーラーに積まれ、格納庫の外へ運ばれていった。
 かつては数々の鋼鉄の巨人が居並んでいたアルビオンの格納庫。
 整備員らが所狭しと駆け回り、喧騒と共に機体の修理を行う見慣れた光景は既に無い。
 あるのは自分の機体を含め、アルビオンに残される3機のMS。
 そして最新鋭艦ペガサスLに搬入されるのを待つ、最後の1機のみだ。
 いつも怒鳴り声を上げ、口やかましく機体の扱いを講釈する老整備員の姿も見えない。
 彼もまた、ペガサスLに出向する身なのだ。
(本当、笑われますわ)
 ネリィがいるのは機体に搭乗するためにある橋架のタラップの上だ。
 自分の機体────ブルーディスティニー3号機の胸部を背にし、広くなっていく格納庫の様子を眺めている。
 
 部隊再編成。
 それが上層部より下された指令だった。
『歴史に埋もれたMS』を見つけ出し『最強のMSの製造』を目的として創設され、時代を超えて活動する非公式部隊『G/F』。
 初期とは比べ物にならない程増加された戦闘要員。
 扱われるのはその時代の───あるいは時代を超えた───最新鋭MS。
 戦闘が行われる度に新たな機体が開発され、部隊は日に日に増強されていった。
 そしてグリプス戦役終結後、更なる高みを目指すために下された指令が部隊再編成である。
 内容は、今まで部隊の中核を担っていた古参パイロットの代わりにニュータイプを編入するというものだった。
「二軍落ちって事か」
 隻眼の男の言葉がネリィの心情を代弁した。
「ワシとしても彼らニュータイプをただの兵器としては見たくないんじゃが」
 これはペガサスLに着任した老艦長の弁。
「だがこれから先、彼らの力は間違いなく必要となる。その時、彼らの力が使い物にならんと死ぬのはコチラじゃ」
 ネリィはそれらの話を理解したし納得もした。そしてあっさり了承するとひどく驚かれた。
「やー、てっきりお嬢ちゃんの事だから怒られるんじゃないかと」
「そんな醜いことは致しませんわ」
 そう、理解したし納得もした。
 自分の無力さを。
 結果として現在の状況がある。
 アルビオンは一番艦の役目をペガサスLに譲り、二番艦としてサポート役に徹する事となる。
 主だったMSは既にペガサスLに搬入された。これからアルビオンは残されたMSと人員で運用する事となるのだ。
 新たに補充される戦闘要員がどれほど使い物になるかは未知数で、となれば自分達が全力を出さなければサポートもままなるまい。
(ま、せいぜい頑張りますわ・・・・っと?)
 ふと見やれば残された最後のMSがトレーラーに積まれる作業を始めたところだ。
 そのMSを見て、ネリィは本日二度目の苦笑をこぼす事となった。
 見慣れた機体であったし、一度見たら忘れない容姿をしていたからだ。
 NT試験用ジム・ジャグラー。形式番号は無い。
 本来なら使用はおろか製造すらされていない、文字通り歴史に埋もれていたMSだ。
 そのまま永遠に埋もれていて欲しかったとネリィが思うMSでもある。
 元は連邦軍がジオン軍のビットによるオールレンジ攻撃に対抗して、遠隔操作によるオールレンジ攻撃の研究用に開発された試験用MSである。
 ベース機にはジムを使用し、ビットの代わりに無線で動く2機のRB-79ボールを両肩に装備するという何とも奇抜な機体であった。
 この珍妙な機体とおかしなパイロットと共に戦場に立つ事はしばらくなくなる───そう思うと嬉しい反面、淋しさを感じる自分に少し驚く。
「ネリィ君」
 だから名前を呼ばれた時、動揺を表に出さない事に苦労した。
 見ればタラップの向こう、居住区域への入り口に一人の男がいた。
 声を掛けてきた本人であり、たった今考えていた男───イワン・イワノフだ。
 彼は笑顔で近づきながら、
 「ここにいたかぁ。離艦するんで別れの挨拶をしようとしたらキミ、いないし」
 「気軽に近づかないで下さるかしら?感染したくありませんの」
 「感染って何に!?」
 木星病、と心で呟く。視線に力を込めイワンの接近を阻止すると腕を組んでため息一つ。
 「それで別れの挨拶とはなんですの?別に二度と会えなくなるワケではありませんし───そのほうが嬉しいですけど」
 「聞こえててるぞネリィ君っ」
 心底困った、といった表情を浮かべるイワン。それでも気を取り直したのか珍しく真面目な顔になると直立不動の姿勢でこちらを見据える。
 「それは置いておいてネリィ君」
 「・・・・なんですの?」
 ともすれば初めて見るイワンの真剣な眼に居心地の悪いものを感じ、思わず後に下がるネリィ。イワンは視線の強さは変えず、
 「どうしても言いたかったんだが・・・・・・今まで言えなくてなぁ」
 視線先をネリィからその背後へと向ける。そこには自分の機体がある。
 「この機体、『ブルー』ディスティニーなのに青くないですってねぃ」
 無言でイワンを橋架から蹴り落とした。

 「───それで、一体何の用があって私に会いに来たのです?」
 場所は先程の橋架の上だ。
 ネリィはイワンの頭部に包帯を巻きつけながら尋ねた。何故か激しく震えているので巻きにくい事この上ない。
 見ればイワンの視線は虚ろで、タラップ下、格納庫の床に向けられている。
 床には白いチョークで大の字になった人影が描かれており、頭部の辺りは血糊がこびり付いているのが伺えた。
 「さすがに死ぬかと思ったぞネリィ君!」
 「生きているじゃありませんの」
 「い、いやかなり刻の光を見たし宇宙が蒼く見えたり・・・・」
 きつく包帯を締めるとピンで留める。言動は意味不明だが意識はあるので大丈夫だろう。
 「はい、治しましたわ。私に治療されてよかったですわね?質問に答えなさい」
 「・・・・・・・・・・・・・・うむ」
 色々言いたそうだったが無視する。質問に答えさせるのが先だ。
 イワンはふらつく頭を支えながら手すりを掴んで身を起こすとこちらに向き合う。
 「だからさっきのとおり、言いたい事があって来たんだが」
 「また下らない冗談おっしゃるのなら主砲の弾頭に詰め込みますわよ?」
 「あ、あれは挨拶代わりみたいなものでなっ」
 慌てて首を振るイワン。そして咳払い一つすると真剣な顔を作る。
 また蹴り落とされたいのかと思わず身構えるが、しかしイワンは表情を崩さず、そのまま頭を下げた。
 「ワシのような者がネリィ君のポジションを奪ってしまい、スマン!」
 予想していなかった言葉にネリィは一瞬息を呑んだ。
 「ネリィ君がこの部隊の創設時期から関わってきているのは知っている!そして誰よりもプライドを持っている事も───」
 お止めなさい。慌てて言いそうになり、しかしあえて聞く事を選んだ。
 「創設メンバーの中でも優秀なMSパイロットであったキミは、その才能を惜しみなく他人に使ってくれた。
 新米のワシが窮地に陥った時、援護してくれたのはキミだった」
 「新型機を受領する時、自分は腕でカバーすると言って他のメンバーに機体を譲った。
 死地に入っては真っ先に飛び込み、後続に道を作ったのもキミだった。そして───」
 イワンは顔を上げ、ネリィを真っ直ぐ見据える。
 「そして部隊再編成の際、アルビオンに残る事を一番先に決めたのはネリィ君、キミだった。
 同情されるのを誰よりも嫌悪していることは知っている。しかしこれを同情と思わないで欲しい。
 今まで、本当に、ありがとう。これはワシからネリィ『先輩』に送る感謝の気持ちである────!」

 イワン・イワノフは『閣下』と呼ばれることがある。
 風貌に似合わない、おおよそ常人には理解し難い言動。圧倒的に多い被弾率。少ない命中率。
 おそらくそういった頼りない部分を揶揄されて呼ばれる『閣下』であり、そしてイワンは否定出来なかった。
 その通りだからだ。
 否、その通りだった。
 
 非公式部隊『G/F』に配属された当初、イワンはまったく目にかけてもらうことはなく、ただの補充員としているだけだった。
 与えられる機体はいつ解体されてもおかしく無いものばかり。実際自分が『解体』しかけることもざらであった。
 仲間からはお荷物扱いされ、こなす任務は後方支援と無人コロニー占拠。
 それでも艦を降りなかったのは、小心者ながら持つ意地であったし、開花されつつあった力のせいでもあった。
 各地を転戦するうちにイワンは自分がニュータイプである可能性に気づいたのだ。
 やがてその才能に目覚め、仲間からも少しずつ認められるようになった。
 部隊再編成の際、自分が一番艦ペガサスLへの配属が決定したことを聞いた時など、あたりをはばからず泣いてしまった。
 その時、ペガサスLの艦長に聞かされた話が、自分の為にポジションを譲った者がいるということだった。
 何故とは聞けなかった。
 理由は知っている。
 そもそも部隊再編成の目的は『自分』のようなものを中心とすることであり、『彼ら』は違ったからだ。
 気が付けばイワンはアルビオンに残る面々に会いに行っていた。
 元より口のうまい方ではない。
 ある者には無言で殴られ、ある者には無視された。
 当然だ。自分の行為が彼らのプライドを傷つけるだけだということは分かっていた。
 それでも会わずにはいられなかった。伝えなくてはならなかった。
 今、自分がいるのは、彼らが作り上げたモノがあるからだということを───
 そして目の前にいるのは会うべき最後のメンバーだった。
 彼女は自分を殴るのだろうか(既に蹴り落とされたが)?あるいは無言を返すのだろうか?
 見れば彼女は顔を伏せ、震えていた。その表情は長い金髪に隠れて見えない。
 怒りのためか、それとももしや
 (イカン、泣かせてしまったか!?)
 戦場での戦いぶりを知っているせいか、彼女がまだ年若い少女だということを忘れていた。
 自分の言葉が感動させる程、彼女の心に届いたのか。これは喜ぶべきなのか?謝るべきなのか?
 しかし、イワンの葛藤は一瞬で消えた。
 ネリィは顔を上げると勢いよく笑い出したのだ。
 それも格納庫中に響き渡るほど大きいものだった。
 いつも浮かべる微笑でも、相手を見下す高笑いでもなく、普通の少女のように声を上げて。
 「まったく、何をおっしゃるかと思えばいい歳したおじさんが」 
 このように声を上げて笑ったのはいつ以来だろうか。目に浮かんだ涙を拭うとネリィは口を開けて驚いているイワンを見やる。
 「言う事に欠いて『先輩』はないでしょう?初めて貴方の冗談に笑ってしまいましたわ」
 「い、いや冗談では───」
 何かを言いかけるイワンを指を立てて黙らせる。
 「お黙りなさい。いいですこと?貴方は貴方なりに悩んだようですけど、余計なお世話というものですわ」
 イワンは叱られた子供のように口を閉じた。そのような事は自分でも分かっていたのだろう。
 それでも馬鹿正直に伝えずにはいられないのはこの男の欠点であり、美徳とも言えるとネリィは思った。
 だから慰めるつもりはなく、ただ己の思いを放つ。
 「正直おっしゃいますと、アルビオンに残る道を選択したのは今でも悔しいですわ。
 でもそれは貴方達に対するものではなく、自分の力不足に対してのものですの」
 後ろを振り仰ぐ。そこには自分の愛機であるブルーディスティニー3号機がこちらを見下ろしている。
 「だから貴方が悩むのであれば、それは残る私達にではなく、これから戦場を共にする方々としなさい。
 それこそが私達がやってきたモノなのですから」
 頷くと内心に付け加える。
 (もっとも、貴方のような人がいるだけでも、私達のやってきたことが無意味でないと知れて嬉しいですけど) 
 無論口にすることはない。おだてると調子に乗るのがこの男の欠点であり悪徳だからだ。
 「以上で私の話は終わりです。理解頂けたらさっさとペガサスLにお行きなさい。『先輩』の命令ですわよ?」
 「・・・・・・・・・・・ネリィ君・・・・・・すまない」
 大きい体を小さくさせて頭を下げるイワン。
 その時、唐突にネリィはこの男が去ることが淋しいと感じた理由が分かった。
 それはある日鳥が巣から旅立つように、育てた者が一人前になる淋しさと喜びと同じだということだ。
 イワンは顔を上げる。顔が僅かに赤いのは自分の言葉に感動したのだろう。
 彼は照れくさそうに頭を掻くと
 「本当にすまないなぁ。不覚にも『先輩の命令』って聞いてドキドキしちゃってワシ───これって恋!?」
 「『変』ですわね」
 言葉と共にイワンを橋架から蹴り落とす。
 そして再び理解する。
 やはりこの男が離れるのは嬉しい感情が勝るのだということを。
 人体のような物が高い所から落ちた音が響く格納庫で、ネリィは優雅にため息をついた。