【Valentine's rhapsody】172氏
果たしてその習慣は誰が持ち込んだものだったか。
ユリウス・フォン・ギュンターは本部施設内を歩きながら、浮ついた周囲の空気にそんなことを考えた。
バレンタイン・デイ。彼の聞いた話によれば――-恋する乙女が、意中の男性に思いのたけを込めたチョコレートを贈る日。
数千年を超える時を駆け、明日を昨日に、昨日を今日にするような活動をしているGジェネレーション隊にとってたった1日の日付にこだわるのは無意味なことだと彼自身は思っているのだが、どうやら大方の人間はそうではないらしい。その証拠にもうここ一週間ほどは隊内の世間話がチョコの件でもちきりだし、一部の女性陣は男性を巡って職務中にも壮絶な視殺戦を繰り広げていたようだった。
「……娯楽が少ないのか……?」
彼の目から見れば空虚極まりない慣習をしっかり満喫しているらしい隊員達の姿を見るにつけ、そんな風にも思う。
自身が趣味の少ない人間であるという自覚もあったから、ユリウスは心の課題リストに娯楽施設の充実を加えておいた。
そのまま通路を歩いていたユリウスは、慣習の発信源を思い出した。
「そうか……ミリアム・エリンか」
というのも、彼の視線の先に当のミリアムの姿が見つかったからだった。
「……ミリアム、やはりこれは違うのではないか」
普段の彼女のイメージとは程遠いファンシーな掌サイズの包みを手に、エルフリーデ・シュルツは傍らの友人を振り返った。
長身な友人に見下ろされ、ミリアム・エリンは何故か慌てたように答える。
「な、何言ってるの、説明したでしょ? 今日は日頃『お世話になっている男の人』に『感謝』を込めてチョコレートを贈る日だって」
どこか怪しげな口調でまくしたてるミリアムの顔から包みに視線を移し、それからもう一度ミリアムの顔を見て、エルフリーデは首を傾げた。
「……アキラは『好きな人や恋人』に『愛情』を込めてチョコレートを贈る日だと言っていたのだが」
あまりにも直球に核心を突いた言葉を受け、ミリアムが返答に詰まる。
「……えーと……」
「それに……『感謝』を示すチョコレートに『I love you』の文字はおかしいのではないか?」
「……き、気にしないの、そんなことは! 別にケインさんのこと嫌いなわけじゃないでしょう?」
今度はエルフリーデが返答に詰まる番だった。
「それは、まあ……その……」
「ほら、どっちみち一緒じゃない」
「いやしかし……」
などと言い争っているうちに、エルフリーデの背後の方から着流し姿の男が歩いてきた。
目ざとく気付いたミリアムはばしん、と友人の肩を叩き、
「とにかく! ちゃんと私が言ったとおりにすること! じゃあね!」
と言い置いて脱兎のごとく退場していった。
「ミリアム……?」
「どうしたんじゃ」
一方的に置いていかれて呆気に取られる背後から特徴的なダミ声をかけられ、エルフリーデの背筋がピンと伸びた。
振り返った彼女の視界に入ったのは、予想に違わず、ぼさぼさの髷頭をしたサムライであった。
「ケ、ケイン……」
「お主、こんなところで何をしておる?」
「いや、私は、その……」
とっさに包みを背中に隠し、しどろもどろに答えるエルフリーデ。
ケインの両目が怪訝そうに彼女へと向けられる。
「どうした? 何かあったのか?」
「そ、その……こ、これを!」
意を決し、エルフリーデは包みをケインの鼻先に突き出した。
「こ……」
「か、勘違いしないでもらいたい! これは、日頃稽古の相手を頼んだり、指南……のようなものを受けていることへの礼だ! アキラとミリアムがやっているようなこととは違う! いいか、絶対違うのだぞ!」
何がしか言おうとしたケインを遮り、一息に言いたい事を言うと、エルフリーデは先ほどのミリアムと同様に脱兎のごとくその場を去った。
後に残されたのは、手にしたファンシーな包みがエルフリーデ以上に似合っていないケイン・ダナートただひとりである。
「……まぁ、ミリアムが楽しんでいるのは当然か」
物陰からその一部始終を見ていたユリウスは、溜息と共に歩き出した。
エルフリーデとケインの件は――-まぁ、そういうこともあろう。同じ艦でパイロットをやっている仲なのだから、不思議ではない。
それにあの程度ならまったく健全で問題がないとも言えた。
色々な時代、色々な戦場から人材が集まっているGジェネレーション隊では、道徳観念が大きく違うことも珍しくはない。
言い方を選ばなければ、ガラの悪い集団というのも居るわけで――-
「……と。噂をすれば、だね」
リフレッシュコーナーから聞こえてくる騒々しい声に、ユリウスはひとりごちた。
シェルド・フォーリーの顔が真っ赤なのは、パティ・ソープから20cmほどもあるハート型の包みを渡されたためだけではなかろう。
右手には今しがた受け取ったハート型が掴まれているのだが、左手にはその贈り主であるパティがぴったりとしがみついているのである。あまり自分の過去を語りたがらない彼女だが、どうやら水商売をやっていたらしいことはシェルドも察している。そして確かに、そんな世界で生き延びるのに役立ったのであろうと推測できる容姿を持っているのがパティ・ソープという女であった。
顔は美人とは言えないまでも愛嬌があり、少し化粧が濃いのに目をつぶれば十分に魅力的である。しかしある事情により横を向けないシェルドが今思い切り実感しているのは、どちらかといえば彼女の首から下の方だった。つまり、二の腕に押し付けられるボリュームたっぷりの胸のふくらみと、半ば強制的に触れさせられている太腿の柔らかさである。
どれだけの男がこの体に触れてきたのだろう――-などという下種な考えはシェルドの頭には浮かばず、ただ女体に触れているという現実でいっぱいいっぱいになっていた。
そして何より、彼に触れる女性は今パティだけではなかった。
どうして彼がパティの顔を見られないか、ということの答えがそれである。彼の首には女の細腕が絡みついて、見事なスリーパーホールドを極めているのだ。
その若さ溢れる瑞々しい腕の先で組まれている手は、腕と対照的に荒れていた。それも致し方ないことで、その腕の主は整備一筋十余年の天才メカニック、ケイ・ニムロッドなのである。その彼女がどういうわけかシェルドの首を極めていた。どうにか彼の指が挟まってチョークは免れているが、かなり本気である。
ところでケイ・ニムロッドといえば、Gジェネレーション隊の中でも優れたスタイルの持ち主ということで、ある筋では有名であった。元の時代を含めて付き合いの長いシェルドはそんなことは言われるまでもなく知っている――-むしろ作業中も所構わず暴れる彼女の体にはずっと悩まされてきたのだが、ではそんなケイにスリーパーホールドをかけられたらどうなるか?
つまり、シェルドは左腕だけでなく後頭部全体も幸せな感触に包まれていた。赤面もしようというものだ。
そんな傍から見たら色々と誤解を受けそうな状態の3人がどんな話をしているのかと言えば――-
「シェルド、こんな女からそんなもの受け取って! 情けないと思わないのかよっ!」
「ちょっとぉ、こんな女ってどういうことだい、ケイ?」
「アンタが『こんな女』以外の何だって言うんだよ! みんな知ってるんだよ、アンタの尻の軽さ!」
「……随分はっきり言ってくれるじゃないのさ。ならアタイも言わせてもらうけど、アンタの尻のデカさだってみんな知ってるんだよ?」
「な……か、関係ないだろそんなこと!?」
「ハハッ……ま、いいじゃん。アタイだって人並みに恋したいことだってあるさ」
「こんなマトモに恋したこともないようなガキだまくらかして、何が人並みの恋だよ!?」
「人の恋路にケチつける前に、自分が相手見つけたらどうだい? この子にはアタイがABCを教えといたげるからさ」
「な、何を言い出すのかと思えば、このエロ女! ほらシェルド、アンタからも断りなよ!」
「勝手にやらしー想像してるのはそっちじゃないの? ま、シェルドがOKしてくれればそっちの言い分なんかどうでもいいんだけど。ねえ、シェルド?」
「どうなんだよ、シェルド!?」
「…………た、助けて…………」
そうして、シェルドはそれっきり気を失ってしまうのだった。
「……大変だな、彼も……」
小さくかぶりを振って、ユリウスは踵を返した。あんな修羅場のそばを通り抜ける気にはなれない。
しかしまあ、なんだかんだでシェルドたちも良い部類に入る。結局ごたごたは彼らの中で完結して、外に迷惑をかけるということはないからだ。その辺り、パイロットとしてはマイナスなシェルドの弱気がよい方向に働いていると言えるだろう。
だがGジェネレーション隊にいるのはそんな平和な人間ばかりではない。
……こっちは、もっと大変な人達ばかりだな。
ユリウスは見知った顔がいくつかあるブリーフィングルームを覗いてみた。
「やれやれ、お互い大変だよなぁ」
そう言いながらも喜びを隠せない顔をしているのは、サエン・コジマだ。
「ジュナス、どんな感じだい?」
「40個くらいですね……ほとんど、顔も見たことない人からなんですが」
困ったように振り返るジュナス・リアムの背後の机には、可愛らしい包装が小山を築いている。
「エースってのはそんなもんだ。なぁ、マーク?」
「評価されているのだから悪い気はしないが……さすがに100を超えると数える気も無くなるな」
腕を組んでまんじりともせずに居るのはマーク・ギルダーである。彼の背後にある小山は、ジュナスの背後のものの3倍はあるように見えた。
他の男に見せたら尊敬と嫉妬を嫌というほど集められるだろうそれを軽く一瞥して、マークは嘆息した。
「いったいどこからこんな風習が湧いて出たのだか……検閲所はてんてこ舞いだと聞くぞ」
「ま、まぁ一日にこんなに物が届くなんてほとんどないですからね……」
彼らの背後にある小山を形作る包みをよく見れば、そのほとんどにGジェネレーション隊の検閲印が押されていた。同じ部隊内でのやり取りに検閲印が押されることはないから、彼らに届いた包みは別部隊からの物が大半ということになる。
これだけの数をチェックする検閲所の苦労は推して知るべしである。
「贅沢言うなよ、お前ら。俺なんざこれだけだぜ」
そんな風に言って、エルンスト・イェーガーはみっつの包みを示してみせた。可愛らしい包みとシックで瀟洒な包み、それからやたらとゴージャスな包みである。
「お前は日頃の行いに問題がある」
「っていうか、イェーガーさんのそれって全部本命ですよね? レイチェルとフレイさん、それにシャロンさん。どうするんです?」
「……まぁ、俺のことはどうでもいい。サエン、お前はどうなんだ」
薮蛇を地でいく話の流れを断ち切って、イェーガーはさっきからやたらと上機嫌なサエンに水を向ける。
するとサエンはその満面に涼やかでいてどこか下品という器用な笑みを浮かべた。
「聞きたいかね? 昨日までの時点で9万……」
「………」
「もとい、さっきまでの時点で347個だ」
思わず揃って頭を抱える3人に、サエンは自慢げに付け加える。
「当然だが俺にチョコをくれたハニー達の名前はすべて記憶してるぜ」
「随分と集まったものだな……」
「へへん。常日頃から贈り物や気遣いを忘れない俺の愛を、ハニー達はわかってくれてるのさ」
「でも……」
呆れ混じりに感心するマークの隣で、ジュナスはサエンの背後の小山をじっと見ている。
それから、自分の背後のものをもう一度確かめる。
そして再びサエンの背後に視線をやって、ジュナスはやっぱり、と頷いた。
「なんだか、僕のと山の大きさが変わらないように見えるんですけど」
ぴしっ、と音を立ててサエンが凍りついた。
「そういえば、そうも見えるな」
「ですよね? 三百いくつも集まってるなら、マークさんの倍以上あっていいのに……」
「おいおいジュナス、言ってやるなよ。俺だって気付いちゃいたが黙ってたのによ」
「え?」
「まあ……全部義理だ、というのは残酷すぎる真実だな」
無闇に含蓄のあるマークの声でそんな風にとどめを刺され、サエンは完全に石になった。
「……ま、こんなものか……ん?」
気付かれないようにブリーフィングルームを出たユリウスは、自分の方に向かってくるみっつの姿を認めて立ち止まった。
「あら、天才くん。どうしたの?」
ユリウスが撤収の算段を考えるより早くそんな声をかけてきたのは、妖艶が服を着て歩いているようなラビニア・クォーツである。 彼女とその両隣にいるエリス・クロードとマリア・オーエンスに会釈を返し、ユリウスは曖昧に笑った。
「いや、ちょっと……みなさんこそ、どうしたんです?」
すると、はにかんだように笑うエリスとマリア。視線でそれらを示し、わかるでしょ、と言うように艶然と微笑むラビニア。
さすがにこれまで今日の光景を見てきて気付かないほど鈍感なユリウスではない。
「ああ……ちょうど、マークとサエンは中にいますよ」
「ちょ、ちょっとユリウスくん……」
「………」
顔を赤くしながら違うとでも言いたげに手を振るエリスと対照的に、マリアは微笑んだまま俯いてしまう。
ラビニアはそんなふたりを優しい目で見つつも、ユリウスに鋭い一瞥をくれた。
「天才くんはもうちょっと女の子の気持ちを研究した方がいいかもしれないわね」
「あ、その……すみません」
「そんなことだから、義理チョコのひとつももらえないんじゃなくて?」
柔らかい口調ながらもそんな風に言われ、ユリウスは少し眉根を寄せた。
「貰えないんじゃなくて、貰わないんです。まったく、みんなしてこんな習慣に染まって……」
「ふふ……それじゃあそういうことにしておくけれど……」
言いながら、提げたバッグから小さな包みを取り出すラビニア。5cm立方程度のものだ。
「彼女達へのお詫び代わりにこれを受け取ってくれないかしら?」
ユリウスは無碍に突っぱねようかとも思ったが、まだ顔を赤くしている少女達に僅かな罪悪感を感じ、首肯した。
「……わかりましたよ」
「うふふ……ありがとう、天才くん」
包みを渡すときに見せたラビニアの笑みに一瞬、妖しげな影が差したが、ユリウスはそれに気付くことなく少女達へと視線を動かしていた。
「すみませんでした。こういったことには疎いもので」
「いえ、いいのよ。気にしないで」
「悪気が無いのは……わかっています」
「そう言っていただけると助かります。……きっと、喜んでもらえますよ」
特にサエンは。
見るも哀れだった先ほどの様子を思い出し、心の中でそう付け足す。
「ありがとう、ユリウスくん」
「貴方にも……祝福を」
もう一度少女達に頭を下げ、ユリウスは自分の部屋へと足を向けた。
その背中に、ラビニアの声がかかる。
「そのチョコ、大切な人といるときに食べなさいな」
「……は?」
問い返そうと振り返った時には、彼女達の姿はもうブリーフィングルームに消えていた。
数秒後、奇跡でも見たかのようなサエンの歓喜の声が聞こえてきて、ユリウスは思わず吹き出してしまった。
「……やれやれ。みんな、何が楽しいんだか」
「おかえりー」
溜息と共に入ったユリウスの部屋に、聞き慣れた声がした。
見れば、来客を迎えるためのソファにちょこんとショウ・ルスカが座っている。それだけなら別に珍しいことではないのだが、何故かその格好はいつもの制服姿ではなく――-いや、制服には違いないのだが、いつもスラックスの下半身が何故か半ズボンにハイソックスという出で立ちであった。
「……一応聞く。どうしたんだ、一体」
「えっと……『今日は渡したいものがあって来たんだ』」
「……?」
「『これがおれの気持ちさ。受け取ってくれよ、はにい』」
そしてショウは、なんだか見覚えのある大きなハート型を差し出してきた。
まるっきりちぐはぐな口調と行動にピンと来たユリウスは、ハートを机の上に置いてショウの隣に腰を下ろした。
「ショウ、正直に答えるんだ。誰にやらされてる?」
「え、だ、誰にって……」
ショウの円らな瞳が当惑に揺れる。ショウがこんな目をするのは大抵本当に後ろめたさややましさが無いときだというのを知っているユリウスは、深く息をついて、もう一度彼の目をじっと見つめた。
「……聞き方を変えよう。僕にこんなことをしてくれようと思ったのはどうしてだ?」
「えっと……この前、ミリアムさんとエルフリーデさんが『今日はお世話になっている人に感謝を込めたプレゼントをする日だ』って話をしてるのを聞いて。それで僕、ユーリィにありがとうって言いたかったから」
そういえばミリアムはエルフリーデを動かすのにそんな方便を使っていたらしかった。ショウはたまたまその場面に居合わせたのだろう。
とりあえず誰かの悪意が動機でないことはわかったが、まだ疑問はある。
「それじゃあ、このハート型はどこで手に入れたんだ?」
「それは……カチュアちゃんにその話をしたら、パティさんがそれを聞いてて、今朝くれたんだ」
ああ、とユリウスは包みへの既視感に納得した。
幸せ固めを食らっていたシェルドの右腕にしっかと掴まれていた包みが今目の前にあるものと同じだったのである。
「で、僕に言ったわけのわからない台詞は?」
「さっき会ったサエンさんに、『プレゼントを渡すときの台詞』を教えて欲しいって言ったら……」
「その格好は……?」
「ラビニアさんが、これの方が盛り上がるでしょうって」
真相がはっきりして、ユリウスはその下らなさに思いっきり脱力した。
色物揃いの寄り合い所帯だというのは前々からわかっていたことだったが、まさかこれほど変な事態を呼ぶとは。
「あの、僕、何か……」
「……よくわかった」
不安げに瞳を揺らすショウの頭を、ぽんぽん、と軽く撫でる。彼自身に罪はない。というか、誰が悪いというものでもない。
強いて言うならば、ショウの世間知らずと素直すぎる思いが悪いのだ。
それがわかって、その思いを向けられているユリウスは安心したように微笑んだ。
「ありがとう、ショウ」
そしてショウもまた、嬉しそうに笑うのだった。
こうしてバレンタイン・デイはGジェネレーション隊において責任者公認のイベントとなったのだった。もっとも当の責任者にとっては、他の隊員達と違う意味合いを持ったイベントであったけれども。
この後ラビニアの贈り物を二人仲良く食べ、しばらくしてから彼女のたくらみに気付いたユリウスが、取り返しのつかない過ちを犯す前にショウを追い出さねばならなくなったというのは――-まあ、蛇足であろう。