【序章】 4296氏
私が初めて彼に会ったの、三週間前。
昇格試験当日。
面接試験控え室でだった。
私が座っている席の斜め後ろに彼が座っていた。
今でも、あの時のことを思い出すことが出来る。
彼を一目見ただけで私は動揺した。
自分が何に動揺しているのかも分からず、また動揺した。
はっきり言って、彼は人目を引くタイプではない。
頭が良さそうにも見えないし、容姿も平凡、人の良さそうなごく普通のありふれた人。
普通の制服を身にまとった、どこにでもいそうな人。
でも、そんな彼が私を乱した。
彼は、存在するだけで、私を大きく乱したのだ。
何度も後ろを振り向き、彼の姿を確かめた。
この後、面接試験が控えているというのに、私の頭の中は彼のことで一杯になってしまっていた。
何度も頭を振り払い、面接のことだけを考えようとしたけれど、出来なかった。
振り返って彼の姿を認めることが、どうしてもやめられなかった。
いや、もしかしたら、初めからそんなつもりはなかったのかも知れない。
私は試験のことなんかより、彼を見ていたかったのだ。
そのおかげで、面接は大失敗。
自分は、間違いなく落ちただろう、そう確信した。
そもそも、何を訊かれて何を答えたか、その一切を今でも私は思い出せない。
彼のせいだ。
私は、そう思った。彼のせいでこの試験に落ちた。
当時の私は、本気でそう思っていた。
彼のせいだと…何て自分勝手な人間だろう。
「来年があるから平気だ」
私はそう思った。
いま思えばそうやって自分に起こった感情を一生懸命になって否定しようとしていたのかも知れない。
いや、きっとそうなんだろう。
数日後、思ったとおり不合格通知が届いた。
私は愕然とした。
試験に落ちたことに対して愕然としたのではなかった。
私は、私がこの試験に落ちたことで、二度と彼に会うことができなくなるのではないか…
そんなことを考えている自分に気が付いて、そのことに愕然としたのだ。
補欠合格の通知が届いたのは、その三日後だった。
こんな人間ではないと思っていた。
私、という人間は、自分の感情の流れで動くような人間ではないと思っていた。
もっと冷静で、論理的な人間だと思っていた。
周りの人間は私をそういう人間だと思っていたし、私もどちらかといえばそれは当たっていると思っていた。
何より、今までのささやかな私自身の歴史は、私にそう教えていたから。
しかし、それは根底から、私自身によってくつがえされた。
名前も知らない人に恋−よりにもよって一目惚れだ−をして…
とても信じられないことだ。
私は、彼に、乱された。
卑猥な意味では決して、ない。
彼が、私自身のルールを乱した。
何をするわけでもなく、今までの私を粉々に砕いたのだ。
彼は気が付いていないだろう。
昇格授与式の日、私がどれほどまでに彼を探したかということを。
姿を見つけたときに、私がどれほど安心したかということを。
式の最中、どれほど彼の姿を目で追っていたかということを。
今も昔も、どれほど私があなたに恋しているかということを。
彼に、『私』を知覚して欲しかった。
狂おしいくらい、彼が愛しくなっていた…
☆序章
『私』と『僕』と
「らしくないな」
目の前に座っているガルン艦長が私に告げる。
『…申し訳ございません』
「謝罪の言葉が聞きたいわけではない」
今日の出撃。
いや、今日に限らず、あのことがあってから、私が戦果を上げることが出来ていない。
『…』
黙っていることしか出来ない。
「君を昇格させたのは、今までの戦果を評価してのものだったのだがな…」
何も言い返せない。
今日の出撃で、私の愛機は完全に壊れてしまった。
エルンスト少佐とゼフィール少佐が助けてくれなければ、艦までたどり着くこともできなったろう。
『…申し訳ございません』
「…下がっていい」
『…』
「聞こえなかったのか」
『失礼します…』
私は艦長室を後にする。
ガルン艦長は、シビアな人間。
結果を出さなければ、艦を降ろされる。
それだけは、避けたい。
だって、
この艦には、
彼が、
また、考えている。
彼のことを考えている。
駄目なんだ。
このまんまじゃ駄目なんだ。
そう思っても、何も…
「うっわ!ひでぇ!何コレ!」
ラナロウが声をあげる。
そんなにでっけぇ声で言わなくてもいいだろ、って少し思う。
全壊した機体。
リ・ガズィ・カスタム。
彼女の愛機だ。
正確には昇格してからの愛機。
それまで使っていた機体は、戦闘データ解析の為、地球に下ろされた。
機体の側には、ダイス整備班長がいる。
僕とラナロウは彼に近づき声をかけた。
「直るの?コレ」
ダイス整備班長は、僕達を見上げる。
「さて、ね…」
「おいおいおいおい。良いのかそんなこと言って」
ダイス整備班長でも難しい…か。
『彼女は?』
「無傷だよ。今艦長室で報告してる」
ライル整備員が、僕たちの後ろから声をかけてきた。
存在感薄いんだよな、この人。
腕は確かなんだけど。
『よく怪我もなく…』
「全く、不幸中の幸いだよ」
でも、ガルン艦長は、そう考えてはいないだろう。
足手まといは陸に降りろ。
それが艦長の口癖だ。
死ぬか生きるか。
ここは最前線。
甘えも失敗も、許されない。
「ライル」
「はい」
「ニードルとミンミ、バイスとスタン、ケイを呼んで来い」
「分かりました」
ラナロウが口笛を鳴らす。
「整備班、総動員ってわけ」
「幸い、他の機体に深刻な損傷はないんでな」
僕は期待を見上げる。
彼女は、自分の機体を見て、まず何を思ったんだろう。
そんなことを考える。
「ラナロウ」
ダイス班長が声をかける。
「ん?」
「余計なこと、あいつに言うなよ」
「…なーんで俺にだけ言うかねぇ」
『余計な一言が多いからね、ラナロウは』
壁を蹴り、通路へと飛びながら僕は言う。
「お前だって人のこと言えるか」
僕の後に続きながらラナロウが言う。
『僕は君とルロイくらいにしか言わないもの』
「光栄ですよ。ったく」
「オッケー。服を着て結構」
マリア医師が私に告げる。
「一週間安静にして、様子を見ます」
フェイ看護師が書き終わった書類を持って医務室の外に出て行く。
『マリア先生』
「やーねぇ。呼び捨てでいいわよ」
『でも』
「硬すぎよ」
『マリア…さん』
「それ妥協の産物?」
顔を上げてクスクスと笑っている。
「で、何?」
『ゼフィール少佐と付き合ってるんですよね』
「ええ」
その後の質問を用意していなかった。
「言ってもいい?」
『…はい』
「驚いた」
『え?』
「まさか貴女の口からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかったから」
『似合わないのは、自覚してます』
「ふーん…。それで何が聞きたいの」
何が聞きたい?
どう言えばいいんだろう。
こんな時、他の人なら、何て言うんだろう。
「向こうは苦労してると思うけどね。こんな性格だし」
『こんな性格?』
「激情女」
『そうは見えませんけど』
素直な感想だ。
「そう見せないようにしてるだけよ」
快活に笑っている。
「要するに、ひねくれてるってこと。貴女の場合、見た目と性格が一致してるから素直なんだろね」
マリアさんは私を見据える。
「好きな人でもできた?」
顔が真っ赤になったのが、自分でも分かる。
「そう…良かったじゃない」
『え?』
「相手が誰かは、訊かないけど…」
訊いて欲しい。
全てを吐き出してしまいたい。
「ま、とりあえず一週間、時間もあることだし。自分で何とかしなさいな」
『分かってます』
「分かってるけど、出来ない?」
どうしてだろう。
私はこんなに弱気な人間だっただろうか…
『…失礼します』
そう言って、私は医務室を後にした。
扉が閉まる寸前マリアさんが何か言ったのが聞こえた。
「重症」
何のことだか分からなかった。
僕は、少し困っていた。
強化人間は精神に異常をきたす。
それは僕も知っている。
それ故、時折奇行を演じることも知っている。
でも、その状況下に遭遇した場合の対処法は、よく知らない。
休憩室で目の前に座っている少し前に配属になった女の子、シス・ミットヴィル。
彼女はいま、茶色の紙袋を頭からすっぽりと被っている。
目と鼻の部分に穴が空いてはいるけど、表情は見えない。
お茶でも飲もうかと思って休憩室に入った時には、既に彼女はそこに座っていた。
引き返すのも変なのでそのままお茶を飲んだのはいいけど。
会話がない。
おまけに彼女は微動だにしない。
でも目は僕を追っている。
はっきり言って気まずい。
既に空になっているコップを口に運んで、飲んだフリをしている僕。
このまま出て行こうかと思うし、実際、そうしたいんだけど…
何て言うか、ねぇ?
それでいいのかどうか。
強化人間と接したことなんて、ないんだし。
普通の人間と接するように接しろと、マークさんから言われてるけども。
袋、被ってるし。
しかも茶色。
どうしようか。。
まさか、変だよそれ、なんて言えないし。
困った。
こんな時に限って誰も来ないし。
ラナロウは部屋に帰ったし。
本気で困った。
本気と書いて、マジと読む。
いやいやいやいや、そんなことどうでもいいから。
なんとかしろよ、僕。
そう思ってると彼女が口を開いた。
「私は、誰、ですか」
まいったな。
私は食堂に来ていた。
何となく部屋に帰る気がせず、ブラブラと歩いていた。
違う。
一瞬でもいい。
彼と会いたい。
それが動機だ。
ごまかせない。
自分のことだ。
でも。
いない。
ため息しか出てこない。
「まぁだメシの時間じゃねぇぞ」
後ろから叫び声が聞こえて私は思わず振り向く。
『ドク・ダーム栄養士…』
「だぁかぁらぁ、いちいち敬称つけなくていいっつの」
『はぁ』
ドク栄養士。
厨房管理責任者であるハワード・レクスラー氏が、手を焼いている人物の一人。
他にも厨房の面子は問題を起こしそうで、まるっきり起こさないひとばかりだ。
バーツ・ロバーツ厨房副主任、グレッグ・マイン調理員、ネリィ・オルソン調理員…
そして彼、ドク・ダーム栄養士。
厨房で唯一の良心はパティ調理員だけだ。
彼が厨房と食堂を繋ぐ扉によっかかっていた。
「どした?浮かねぇ顔して」
『いえ、別に』
「男にでも振られたか」
『違います!』
怒鳴ってしまった。
「おっかないねぇ」
まるで気にしていない様子で笑っている。
「飯の時間じゃねぇけど、何か食ってけよ。死に損なったんだろ?」
『…』
これで励ましているつもりなのだ、この人は。
「勝手なことしてるとまたハワードさんに怒られますよ」
厨房の奥からパティ調理員が出てきた。
「いいじゃねぇか!腹減ってる奴に食わせて何が悪い!」
別に減ってない。
そう言い返そうとしたときは、既にドク栄養士は厨房の中に消えていた。
まいったなぁ。
「私は、誰、ですか」
『君は君。僕は僕』
「敵は誰ですか」
『敵はここにはいない。名前も知らない。顔も知らない。知らない方が、いい』
「敵を撃ち落した時、どんな気持ちになりますか」
『次の目標を探している』
「次の敵を撃ち落としますか」
『そうしないと帰れない』
「どうして帰りたいのですか」
『まだ生きていたいから』
「なら、どうしてここにいるのですか」
『僕が望んだから』
「矛盾しています」
『そうだね』
「どうしてここにいるのですか」
『そうしないと守れない』
「守るのは何ですか」
『人によって違う』
「あなたの守りたいのは何ですか」
『絆』
「それは何ですか」
『知っているはずだよ』
「私は知っている」
『絆、と聞いて、まず誰が思い浮かんだ?』
「エイチェル・ランサム」
『それは誰?』
「敵の名前。私たちは銃口で会話をする」
『倒したい?』
「分からない」
『彼女に会いたい?』
「彼女に会うために、私はここにいる」
『そう』
「守りたいのは絆。でも私にとってそれは敵」
『重いね』
「ありがとう」
『え?』
「ありがとう」
『お役に立てたかな?』
「少し嬉しい」
『そう…。それは、良かった…』
背後でドアの閉まる音がした。
振り返ってみると袋を被った女の子が休憩室から出て行くところだった。
シス・ミットヴィル。
強化人間。
ジェフリー・ダイン博士が生み出した生きる戦争兵器。
彼女は、何を考えて過ごしているんだろう。
後姿を見ながら呆けていると、休憩室の扉が、再び開いた。
心臓が一瞬、跳ねた。
いた。
こんなところに。
彼が。
いた。
どうしよう。
会いたいと思っていたはずなのに。
会いたかったのに。
こっちにこないで、と思ってしまう。
見られたくない。
情けない私の姿を。
彼の姿を見ると、何も出てこない。
情けない。
それでも。
視線は彼から外せない。
そして。
視線に彼は気が付く。
こっちを、見た。
たっぷりどっかり疲れて休憩室を出る。
シスが休憩室から遠ざかり、ブリッジへ通じる道へと歩いてくのを見届けてから、肩を下ろした。
レイチェル・ランサム。
敵側の強化人間の名前か…。
艦長に報告するべきか。
名前から何かわかるだろうか。
少し、迷う。
そこで視線を感じた。
『あれ?』
視線をたどると、食堂の椅子に座っている彼女の姿を見つけた。
どうしよう。
彼がこっちに来る。
駄目だって。
来ないで。
来ちゃ駄目。
心臓がバクバクいってる。
顔が赤い。
見てるから駄目なんだってば。
見てるから、近づいて来るんだから。
目を逸らせば。
でも。
『どうしたの?』
彼が私に声をかけてくる。
それだけで。
たったそれだけで。
私は、震えた。
『どうしたの?』
『なんでもない』
『いや、何でもないって顔じゃないけど?』
『なんでもないの』
強い口調だった。
拒絶。
困ったな。
ってか、困ってばっかだな僕。
そこで、彼女の前にトレイと食器が並んでいるのに気が付いた。
『食事中?』
『え?ああ、うん。ドク…ッさんが』
噛んだ。
『ああ』
納得したように言ったもののドクさんが何をしたのかよく分かんなかった。
まぁお節介やいたんだろうな、って思う。
『座ってもいい?』
『え?いや、私、もう行くから』
『へ?』
『いや、ん、何でも。ごめんなさい』
『は?』
『それじゃ』
足早に食器を片付けて、彼女は立ち去ってしまった。
『嫌われてんのかな、僕』
何か悪いことでもしたかな。
「青春謳歌」
「覗きは悪趣味ですよ」
「人聞きの悪い。たまたま視線の先にあいつらがいただけだ」
「はいはい」
ドクさんとパティさんの声。
とりあえず聞こえないフリしようと思った。
っていうか、ドクさん。
小声になってませんよ。
さて、と。
追いかけようか。
追いかけないほうが良いのか。
迷った時は、既に撃ち落されているのが戦闘。
日常では、どうなんだろう。
馬鹿だ。
馬鹿か。
馬鹿だ。
何してるんだ。
帰ってどうするんだ。
きっと変に思われた。
変な奴だと思われた。
最低だ。
話をすればよかったのに。
座ってもらえばよかったのに。
逃げてどうするんだ。
なんで。
いっつも。
彼と話す時はこうなんだ。
分かってる。
もう、分かってる。
私は立ち止まる。
彼の声で、私に声を。
心地良かった。
呼ばれただけで。
こんなに、嬉しいなんて。
もし。
抱きしめ合ったなら。
どんな気持ちになるんだろう。
想像している自分に気が付いて、恥ずかしさと情けなさで一杯になった。
………
私は、
あなたの名前を、
呼んでもいいですか。
私の声で、
あなたの名前を、
呼んでもいいですか。
迷った末、追いかけることにした。
でも、見つけることが出来なくて、結局、自分の部屋の前に帰ってきてしまった。
艦内は全部探した。
どこにもいない。
探してないのは、女子棟内部だけ。
彼女の部屋の前にいようかとも思ったが、女子棟と男子棟は区切られている。
必要時には、艦長と女子棟管理責任者に許可を貰う必要がある。
ガルン艦長とエターナ・フレイル管理責任者。
絶対、不可能な二人だ。
この前、女子棟に潜入を企てたサエン・コジマとビリー・ブレイズ。
あの二人がどうなったか。
みんな知っている。
彼らは、無理やりパイロットスーツを着させられ、そのまま宇宙に投げ出された。
コルト・ロングショットとかいう名前の、宇宙ゴミ拾い屋、通称デブリ屋。
彼が通らなければ、彼らは宇宙のゴミとなっていたはず。
その前に、放射能で焼き尽くされたか。
どっちかしかない。
二人を宇宙に投げ出す前のエターナさんの怒号。
「あなたたちは、不潔です!」
アレはよく覚えている。
っていうか、今時、不潔って言い方もないとは思うんだけど。
天然なのかなぁ。
二人が救出されたのは幸運以外の何物でもない。
そう言ったのは通信課のフレイさんだ。
僕はそうは思っていない。
ガルン艦長は、切れる。
きっと艦の航路の後にデブリ屋がいるのを知っていたんだろう。
その上で、あの罰を行った。
おっかない。
彼女のあの行動は気にかかるけど。
気にかかる程度の理由で、女子棟入室許可を出す人たちでもないし。
無断入室して、罰をくらうのもごめんだ。
しょうがない。
借りを作るのは癪だけど。
アイツに頼むか。
「こんなところで何してるの」
後ろから声をかけられて、私は少し驚く。
『いえ、どうも』
「ボケッとしてる暇があるのなら、整備班の様子みてきなよ」
『え…』
「総動員でアンタの機体、修理してるよ」
そんな。
てっきり廃棄させるものだとばかり思っていた。
「あんた、もしかして…」
『え』
「ほっとしてるんじゃないでしょうね」
『…どういう意味ですか』
「もう戦場に出ないで済む、ってね」
頭に血が上っていくのが分かる。
『どういう意味ですか』
「鋼鉄の血乙女、なんて呼ばれて浮ついているから機体をあんな目にあわせるんだよ」
『それは関係ありません』
「どうだかね。艦長への報告が終わっても、機体の様子を見にも行かないでプラプラしてる奴の言うこと?」
『それは…っ』
言い返せない。
機体のことが、頭になかったのは事実だ。
「…」
『…』
「言い返せないのか」
『…』
「陸に降りたら?」
そう言って、ディライア・クロウ少佐は去っていった。
『何よ…』
涙が出てきた。
役立たず・ろくでなし・根性なし・泣き虫。
最低だ。
あの人がいるからいけないんだ。
そうだ。
あの人さえいなけりゃ、私があの人を好きになることもなく、こんなに苦しむこともなかった。
違う。
悪いのは、私だ。
最低なのは、他の何者でもない。
私だ。
『何だって!?』
「だからぁ、ディライアさんに説教されてて、とてもじゃないけど無理だったんだってばぁ」
ため息しか出てこない。
『どんな様子だった?』
「泣いてたよ」
『…で、お前は何してんだよ』
「だって、何言っても無駄そうだったし」
『そのまま帰ってきたのか…』
「うん」
うん、じゃないだろ。
受話器を抱えながら、頭も抱える。
一瞬、お前に頼んだのが間違いだった、とでも言おうかと思ったけど、やめた。
『この能天気娘』
悪態はついた。
「何よぉ」
向こうでふくれッ面になっているのが簡単に想像できる。
この役立たずな幼馴染は、子どもの頃から変わらない。
クレア・ヒースロー。
「随分、気にかけてるじゃない」
『え?』
「私が機体半壊状態で帰ってきた時には、何もしてくれなかったくせに」
『あれは自分が悪いんだろ』
目標を追って、追って追って追いすぎて。
そのあげく目標・現在位置・母艦位置、全てをロスト。
宇宙で迷子になって、そのあげく隕石群とぶつかったのだ。
帰ってこれたのは、ほぼ奇跡に近い。
「何よぉ」
『彼女の場合、今まで機体を損傷させることすらなかったんだ。それがアレだ。気にかかって当然だと思うけど』
「ふーん…」
『…何?』
「ばっかみたい」
切られた。
『何で僕が怒られるんだよ…』
女の子は、疲れる。
「いる?」
『あ、はい。今開けます』
部屋のロックを解除すると、ニキ・テイラー大尉がそこにいた。
「入って良いかな」
『どうぞ。散らかってますけど』
ニキ大尉は部屋を見渡してから言った。
「謙遜を通り越して嫌味だな」
『すみません…』
「…どうしたの」
『え?』
「以前なら、いちいち謝ったりしなかったと思うんだけど」
そうなのだろうか。
『分かりません…』
「ま、そんなことを言いに来たわけじゃないんだ」
『はい』
「座っても?」
『あ、はい』
ニキ大尉は部屋の片隅に会った椅子へと腰掛けた。
私は簡易性のベットに腰掛ける。
「噂になってるわよ」
『え?』
「天下の鋼鉄の血乙女が、恋をしてるって、ね」
『えっ…』
「と、言うのは嘘。駄目だよ、そんな時、えっ、とか言っちゃ」
一瞬、マリアさんのことを疑った自分を恥じた。
『カマかけたんですか』
「気を悪くしたなら、謝る。けど、それ以外に今の貴女が本音を言ってくれるとは思えなかったんだ」
言い当てられる。
「相手は、誰?」
マザーコンピューター、ニキ・テイラー。
この人に、嘘はつけない。
部屋でボケッとしててもしょうがない。
この艦では、個々のトレーニングは義務付けられていない。
でも、宇宙でトレーニングを怠けると、死に繋がる。
そのことは承知している。
怠けた奴から、いなくなっていく。
運動着に着替え、トレーニング室へと赴いた。
入ってから、後悔した。
最低だな。
一番会いたくない人に会ってしまった。
「よぉ」
『どうも』
「何だ。愛想ないな」
『生まれつきですよ』
トニー・ジーン。
「おい、蒼炎の蜃気楼」
『その名前で呼ばないでくれませんか』
「いいじゃねぇかよ。敵側のお前を指すコードネームだ」
『嫌なんですよ』
「いいじゃねぇかよ。俺なんか、何にもついてないんだぜ」
『付けばいいってものでもないでしょう』
「そうか?ハクが付くとは思えないか」
思うか。
『そういうものですかね』
「内心、天狗になっているんじゃないの?」
僕たちがしてるのは、殺し合いだぞ。
「いいよなぁ。それなりに戦果も上げられて、その上、敵にまで認められるんだからなぁ」
うんざりしてくる。
敵の電波を傍受して、得た情報。
僕と、僕の乗る青いF91のことだ。
バイオコンピューターのリミットが解除された際。
F91は青い残像を持って動く。
そんなあだ名が付いているのは、その為だ。
自分がそんなコードネームで呼ばれてくることを知った時には、内心、確かに舞い上がった。
でも、敵側に認められるということは、それだけ僕をマークしてくる奴も増える、ということだ。
パイロットなら承知のはずなのに。
「俺なんかベルガ・バラスだぜ。あんなので何しろってんだよ」
いい機体だとは、思わないのか。
「やっぱ、乗ってる機体性能が一番だよなぁ。鋼鉄女なんか機体乗り換えた途端、アレだもんな」
感情が爆ぜたのが、自分でも分かった。
「そう、そんなことがあったの」
『はい…』
私はニキ大尉に全てを話していた。
「まさか、ね…」
『意外、ですか』
「お似合いだと思うよ」
『年下ですよね、彼』
「年上だよ、彼」
『え!?』
私は声をあげてしまう。
「貴女より、年上だよ。まだ少尉だし。そう見えないけど」
『そう、だったんですか』
「何も知らないんだね。彼について」
何も知らない。
彼について、何も知らない。
それが、一番怖い。
『私は…』
「蒼炎の蜃気楼。彼が戦果を上げ始めたのは、ごく最近のこと」
『…』
「最初は、整備士見習いの、ただの少年だった」
知らなかった。
「でも、ある日。彼の幼馴染が帰ってこなくてね。凄い剣幕で、勝手に機体に乗り込んで飛び出して行った」
幼馴染…
「クレア・ヒースロー。彼女自身は知らないけど、彼は彼女を助けに行った」
苦しい。
「彼女は自力で帰ってきたんだけど、彼が飛び出して何したと思う?」
え。
「機密行動中の敵の一個中隊。撃破して帰ってきた」
一人、で?
「当時の艦長も怒るに怒れなくてさ、何しろ情報部も知らなかった敵の作戦をたった一人で阻止したわけだからね」
『作戦…?』
「コロニー落とし」
コロニー落とし…
「それからだよ。パイロットになって戦果を上げ始めたのは。まぁ一個中隊全撃破の戦果には遠く及ばないとしてもね」
『知りませんでした…』
「本人が言いたがらないからね。夢中で何も覚えてないって言ってたし」
そうだったんだ…
「それから専用機体が当てられて。彼の最初の戦果を称えて、彼が好んでよく着てる青色のジャンパーにちなんで、青くカラーリングされた」
私は…
『彼は、その、』
「クレアさんのこと?」
その時、扉が思い切り強くノックされた。
「TPOを考えて欲しいな」
目の前にエイブラム・ラムザット中尉が立っている。
自律と規律を重んじる人物だ。
僕はトニーと並んで正座させられていた。
「何があったか知らない。知りたくもない」
後ろからソニア・ヘイン中佐が言う。
「二人とも今日中に反省文を提出のこと。提出次第、反省のため独房に入ってもらう」
トレーニング室の外では野次馬が集まっていた。
「何か言うことは?」
『ありません』
トニーは何も言わない。
悪いのは俺じゃない、と言いたげだ。
でも、確かにそうだ。
最初に手を出したのは、僕のほうだ。
悪いのは、この場合、僕のほうなのだ。
理屈ではそうなんだけど、納得は出来ない。
エイブラム中尉とソニア少佐が去る。
野次馬の中からラナロウとルロイが出てきた。
「何やってんだよ」
「大丈夫か」
『悪い』
鼻時を拭きながら僕は二人に謝る。
「立てっか?」
『平気』
トニーは野次馬をかき分けてどこかに行ってしまった。
ため息一つ。
「何言われたんだよ。お前らしくもない」
『…そうだね』
自分でも、らしくない、と思う。
めったなことじゃ怒ったこと無いのに。
「医務室行くぞ」
ルロイが僕を促す。
『大丈夫だよ』
「鏡見て、そのツラ見てから言え」
ラナロウが僕を引っ張る。
二人の優しさに、嬉しさと情けなさで一杯になった。
「もう終わったところだよ」
ジェシカ大尉が私たちに言う。
私の部屋に知らせに来たミリアム少尉と、ニキ大尉と一緒に駆けつけたときには、もうトレーニング室に二人はいなかった。
「怪我の具合は?」
ニキ大尉が聞く。
「大丈夫だろ。死にはしないよ。まぁ当分メシは食えないと思うがね」
「腫れてました?」
ミリアム少尉が訊く。
「トニーのほうが酷かったな」
よかった、大した怪我じゃないんだ。
「何、考えてんだか…」
『ケンカの原因は何だったのですか?』
ジェシカ大尉は肩をすくめた。
「知らんよ」
「ジェシカ」
ラビニア大尉が私たちのほうに近づいてきた。
「何だよ。ラビ」
「ちょっと来い」
「何で」
「いいから」
二人が離れていく。
「しっかし、珍しいですね」
ミリアム少尉が呟く。
『何がですか?』
「トニーさんじゃない方、ですよ」
ニキ大尉が横目で私を見た。
「お前は初めてだよな」
ブレッド独房管理人が、僕に言う。
『はい』
「荷物の持ち込みは禁止。面会は俺が許可を出した人間のみ。食事は独房の中で」
『…』
「他にご質問は?」
『何で管理人なんかやってるんです?』
ブレッドさんが、僕の顔を見る。
「いいか、坊や。俺達は、上の命令でこの艦にいるだけだ。戦争が終われば、はいさようなら。後はどこでどうなろうが、知ったこっちゃ無い。ここはとどまる場所じゃない。通り過ぎる場所だ。そんなことは承知の上だろうが」
『パイロットの時の成績を見ました。一線を退いた理由が知りたいんです』
前々からこの人に訊きたかった事だ。
「はん」
鼻で笑う。
「青二才には言いたくないね」
軽くあしらわれる。
『知りたいんです』
どうして自分は、こうもしつこいのか。
ブラッドさんは何も言わず、手で付いて来いというジェスチャーをした。
駄目か。
死神・ブラッド。
敵味方問わず恐れられたパイロット。
かつての英雄。
独房管理者に甘んじている理由が分からない。
少し歩いてから、ブラッドさんは立ち止まった。
「ここがお前の部屋だ」
『どうも…』
独房の中に入る。
その後、金属特有の嫌な摩擦音がして、扉が閉められる。
「教えてやろうか、坊や」
覗き窓からブラッドさんの声が聞こえた。
「殺すのも殺されそうになるのにもウンザリしたわけじゃない」
僕は黙っていた。
「俺のとどまる場所なんて、ここしかないんだよ」
意味が分からなかった。
「面会に行けば良いじゃない」
そう言ってくれるのは嬉しい。
でも、その勇気が出てこない。
面会に行けば、彼はきっとこう言うだろう。
−どうしたの?−
きっとそれに近い意味の言葉を言うだろう。
それは私と彼との距離を示している。
彼に面会に行く。
彼はそれを驚く。
それが怖い。
「はぁ…」
ため息が聞こえる。
「いいチャンスだとは思えないの?」
『チャンス?』
「親しくなるチャンスじゃない」
そうか。
そう考えれば良いのか。
『で、でも』
「ん?」
『迷惑かも知れないし』
「そうやって、自分の気持ちに立ち向かわなくて済む言い訳を次から次へと捻り出してさ…」
『…』
「やがて、戦争が終わって、姿を見ることもなくなれば、諦められる」
『…』
「…とでも思ってるの?」
思っている。
きっといつかは、諦められる。
そうなれば、楽になれる。
「あなたね…」
その時、緊急サイレンが鳴った。
「出たり入ったり忙しいな」
『戦争ですからね』
「つまらない答えだ」
僕は独房を出された。
これから開戦だ。
いくら反省のために独房に入っていたとしても、そんなのは関係ない。
戦争なのだ。
『ブラッドさん』
「あん?」
『さっきの言葉の意味、教えてくれませんか』
ブラッドさんは呆れたような顔をした。
「阿呆か」
『教えてください』
「…」
『お願いします』
「静っていう言葉を知っているか」
『え?』
「アキラの母国、日本という国の言葉だ。」
そう言って、彼は宙に字を書いた。
指を追ったが、字体はよく掴めなかった。
『それが、何か…』
「こう書くんだよ。青い争いってな」
『え?』
「静か、という言葉にさえ、争うという言葉が入っているのさ」
『それが、何の…』
「戦ってきな。そして帰ってきな少年。続きは、今度だ」
彼は、そう言って、踵をかえした。
死神、ブラッド。
彼は、かつての戦争中、被弾した女性の母体内で泣いているのを発見された、らしい。
それでついた名前が、ブラッド。
生まれたときから、血まみれだった。
真偽は分からない。
無責任な噂でしかない。
−俺のとどまる場所なんて、ここしかないんだよ−
でもあの言葉は、
そういう意味、だった。
私は、見ていることもできなかった。
機体の修理は、間に合わなかった。
厨房や医務室の人たちと一緒に、保護室に入っていた。
非戦闘員の彼らは、艦が落ちそうになった際、いつでも避難出来るようこの部屋に入っている。
つまり、脱出ポッドそのものと同じ。
この保護室、そのものが排出される仕組みになっている。
あとは信号や電波を拾った民間機や軍に救出されるのを待つ。
艦の一部であって、一部でない。
ここはそういう部屋なのだ。
外の情報は一切、入ってこない。
私は、押しつぶされそうだった。
抑圧だ。
誰かがいる。
今まで感じたことのない、誰かが、宇宙にいる。
敵だ。
間違いない。
どうか、どうか、神様…
彼を、
保護室から出ることが出来たのは、2時間後だった。
私は急いで指揮官室に向かった。
そして、パネルに映っていたその情報を見た。
「見るな!」
誰かが言った。
私は、見てしまった。
未帰還者−3名
機体名「XM-05B」ベルガ・バラス
パイロット−トニー・ジーン
機体名「RX-105」Ξガンダム
パイロット−クレア・ヒースロー
機体名「F91-B」ガンダムF91
パイロット−シェルド・フォーリー
ああ、
私が感じたのは、
この暗闇だ。
クレアのことが好きなわけじゃない。
彼女はNTで僕は、違う。
戦争を彼女は怖がった。
NTであるが故に、戦争の参加は義務付けられてしまう。
NTは、貴重な戦争資源なのだ。
そう言ったのは、誰だったか。
彼女の母親に側にいて欲しいと言われた。
涙。
NTに生まれたことを、彼女が悔いないよう。
側にいて、見守る。
そのはずだった。
どうして、こうなった。
甘かった。
戦争を甘く見ていた。
人を殺した。
「敵を撃ち落すと、そのパイロットの声が聞こえる…」
クレアはそう言った。
僕は、OTだ。
何も見えない。
何も感じない。
初めて敵機を撃ち落した時も、何も感じていなかった。
既に次の機体を探していた。
クレアのことなど、頭の片隅にも、なかった。
居場所が欲しいだけだ。
母親に頼まれたから、ここにいるわけじゃない。
シス・ミットヴィルに言った様に、絆を守りたいわけじゃない。
敵を、撃ち落すと、気分が、いい。
一種の高揚感。
それを、
感じたいがために、
ここにいるだけなんだ。
だから、
そう。
だからあんなにブラッドのことに執着したんだ。
何故。
一線を退いた。
どうすれば、
この、
高揚感から抜け出せるのですか。
敵を、撃ち落すのは、気分が、いい。
これで帰れると、思う。
気分の悪い高揚感。
だけど、気持ちがいい。
どうすれば、
ここから、
離れられるのですか。
いつまで、
こんなことを、
一体、いつまで…
−俺のとどまる場所なんて、ここしかないんだよ−
それは、
僕に絶望しろと、
そういうことなのですか。