【白の記憶】774310◆EPBN0TfcJw氏
日中は、ホールでやるいつものが終わると、疲れた子供たちのために休む時間が作られている。
ジュナスは思い思いに寝転がった子供たちに毛布をかけてやると、自分も壁にもたれかかった。
天井からぶら下がった円筒形がかすかに揺れている。
共振しているのだ。
「……どこに向かってるのかな…」
足を投げ出し壁に背中を預けてぼんやりと円筒形を見上げる。
それは真っ白な世界からジュナスや子供たちの知らない外へと放たれているのだ。
「わぁあああああっ!!」
その時、凄まじい悲鳴がホールに響き渡った。
考え事を断ち切られたジュナスは我に返って起き上がり、慌ててフォレに駆け寄る。
フォレはかっと目を見開き、頭を抱えて中空を見つめていた。目から涙が溢れ、フォレのぷっくりとした頬を濡らす。
「フォレ!」
頭を掻き毟り狂ったように泣き叫ぶフォレを抱きとめ、ジュナスは必死に呼びかけた。
眠っていた他の子供たちも目を覚まし、ぐずるように体を起こすが、ジュナスは彼らの異変に気付く。
泣いているのはフォレだけではなかった。マルクもスェイも、エリッセ、リッチェ、クリエ、全員がぼろぼろと泣いていたのだ。
一体どうしたのかと戸惑っていると、ノアがしゃくり上げながらジュナスの服を掴む。
「ジュナス…お兄ちゃん…」
「ノア。どうしたんだ?」
「い…いなく…ならないっ、で…」
「…え?」
それを皮切りに全員が口々に叫んでジュナスに抱きつく。
「いやだぁ! お兄ちゃん行っちゃやだぁ!」
「おにぃ、ずっと一緒にいてよぉ」
「兄さん…」
「置いていかないでくれよ…」
「にぃ…やだよ…やだ…」
「ジュナスお兄ちゃん!」
ノアたちを抱きとめながらもジュナスは戸惑っていた。なぜ急にみんながこんなことを言い出すのか全く分からなかったからだ。
と、レミニナが目にいっぱい涙を溜めながらジュナスの目の前に立つ。
「ジュナス… あたし達みんな、あんたがどっか行っちゃう夢見たのよ…」
見るとレミニナの肩はふるふると震え、涙が零れそうになるのを固く固く拳をつくることで必死に抑えているようだった。
「みんなを置いて! あんた、どっか行っちゃうの!」
訴えるように叫んだレミニナの目から、ついに涙が零れ落ちた。そして次から次へと涙はレミニナの頬を伝って床へ落ちていった。
「レミニナ… みんな、大丈夫だよ」
ジュナスはしがみつくフォレの頭を撫でる。
一番感受性の強いフォレはさっきから手が白くなるほどジュナスの服を掴んで震えていた。
「僕はいなくなったりしない。みんなの傍にいるから」
「絶対…?」
目も鼻も真っ赤にしたエリッセがジュナスを見上げる。ジュナスは優しく微笑み返した。
「あぁ。それに、もし離れ離れになるようなことがあっても、絶対にまた会えるよ」
「また…会える…?」
ノアが鼻をすする。
「うん」
ジュナスは頷いてノアの頭を撫でる。
「約束だ」
「約束…」
約束。
また、会える。
約束。
ほっと笑ったノアの顔が、白く灼けていった。
「ジュナス!」
ジュナスはその声にうっすらと目を開けた。白い天井が見えた。
『さっきの真っ白のホール』は浮かんでこなかった。
「ジュナス、分かるか? 俺だ」
覗きこむ顔を見て、ジュナスはかすかに目で頷いた。
なんだかついこの間も同じことをした気がする。その時もたしかマークは今のような疲れた顔をしていた。
だが今の彼は、前よりずっと憔悴して見えた。
マークはほっと安心すると、どさっと椅子に腰を下ろした。
「もう…目を覚まさないかと…いや、でも本当によかった」
はぁ、と安堵の溜息をついて額に当てた手は震えていた。
ジュナスは何があったのかと聞きたかったが、いかんせん体が全く動かない。まるで自分のものでないようだ。本当に首から下があるのか不安になる。
「覚えているか…? 何があったか」
それも目で、覚えていない、と答えた。彼にはこれで充分伝わる。
彼は自分と同じ心の機微に鋭い。それはニュータイプと呼ばれる力だったが、それを抜いてもジュナスはマークという人物はヒトというのに対して聡いと思っていた。
「そうか…だがお前がこうやってまた倒れているのは、俺のせいだ…。すまなかった」
あぁ、だからずっと傍についていてくれたのかとジュナスは納得する。
もちろん普段も仲間に対して気配りを忘れない彼だが、自分のせいで誰かが傷つき倒れたとすれば責任を感じて自分のすべきことをするだろう。たとえそれが自分にどんなマイナスの影響を与えようと構いはしない。
マーク・ギルダーという男はそういう人物だった。
ジュナスは大丈夫です、と首を振りたかったがやはり体は動いてくれなかった。
そのとき、扉がノックされ少ししてニキが入ってくる。
ニキはジュナスが目を覚ましているのを見るなり、ほっと微笑んだ。だがすぐさま艦長の顔になると、ベッドの脇に立っていつものきびきびした声をあげる。
「ジュナス、目が覚めてよかったです。あなたにはドクターが許可するまで、ここで静養することを命じます。いいですね?」
「………」
反論の余地はなかった。
マークが代わりにニキに頷いてみせる。彼も今回ばかりは何も言わなかった。
「でも…本当によかった…」
ニキはそう、艦長でなく一人の仲間として言うと部屋を出て行った。
ほぅ、とジュナスは息をつく。
マークが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫か…?」
―――多分…。
「そうか」
ふ、とマークの口元がほころぶ。
と、そこに激しく扉がノックされる。何だ、と問う間もなく、ニキが部屋に飛び込んできた。
「マーク! 一緒に来てください!」
「ジュナスはどうする?」
誰かがついていないと、また何が起こるか分からない。だがニキのすぐ後ろにシェルドがついていた。
「俺がついてます」
「わかった。頼むぞ。行こう、ニキ」
マークは何事か聞かないまま部屋を飛び出していった。二人が出て行って途端に静かになった室内で、シェルドはマークが立ち上がった時に蹴倒した椅子を直して座る。
「お前の状態はすこしだけど聞いたよ」
「………」
シェルドにはニュータイプ能力はない。ジュナスの意思を感じるのは難しく、一人で喋る形となる。
「大変だったな…」
と言われても、正直実感が湧かない。何が大変だったんだろう、と逆にこちらが聞きたいくらいだ。
頭にはまだ靄がかかったようではっきりせず、記憶も曖昧で虫に食われた葉っぱのようだ。
ベッドの隣に座ったシェルドはジュナスを気遣ってか、単に戻ってきたのが嬉しいのかやたらと饒舌だった。いかに自分たちが心配していたか、無事にとは言えないが戻ってきてとにかくほっとしたことや、マークやラナロゥが必死に看病していたことを延々と喋る。
だがジュナスは、そのどれも聞いていなかった。
頭の中にどこかの光景が浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えを繰り返していたのだ。
「あんなマークさんの姿俺見たことないよ。 って、ジュナス? どうした?」
「………」
「おいってば」
だがジュナスは目線すらシェルドに向けようとしなかった。
彼の目は、今まったく別のものを見ていたのだ。
真っ白な天井、真っ白な床、窓のない真っ白な壁、果てのない円形の廊下。
誰かが笑っている。
楽しそうに笑っている。
幼い子供と、その子より大きいが大人じゃない―――二人が手を繋いで歩いている。
白い半袖Tシャツに長ズボン、素足に履いた白い靴。
無機質で非現実的な現実の世界を歩くそこに住む二人。
ジュナスはそこに自分の存在を異質と感じながらも、その二人から目を離すことができなかった。
「シェルド…」
何の反応も返さないジュナスに異変を感じ、誰か他の人を呼ぼうとしていたシェルドはジュナスを振り返る。
半身をベッドから起き上がらせたジュナスの腕から外れたチューブが、宙ぶらりんに揺れていた。
「僕は…どこにいたんだ?」
その部屋へ行くと、既にラナロゥがベッドの脇に立ってその少年に面と向かっていた。その表情は険しく、少年への警戒心をはっきりと表していた。
「だからジュナスに会わせることはできねぇよ」
「でも…兄さんはここにいるんでしょう?」
「それを答える義理もない。てめぇのことを教えろって言ってるんだよ」
「兄さんに会わせてくれないなら何も言わない…」
「てめぇ…今の状況分かって―」
「そこまでです。ラナロゥ・シェイド。誰が彼への尋問を許可しましたか?」
ラナロゥはニキの姿を認めてチッ、と舌打ちした。そして後ろについて入ってきたマークに驚く。
だがラナロゥが声を上げる前にマークは察して、大丈夫だと頷く。
「シェイドが傍についてる。ところで…どうだ?」
「てんで駄目だ。口を開けば『兄さん』に会わせろばっかしで話になりゃしねぇ」
「そうか…」
マークはサンキュ、とかるくラナロゥの肩を叩く。
ニキはラナロゥを下がらせると、先ほどまで彼が立っていた所に椅子をひいて座った。
「ごめんなさいね。私はニキ・テイラー。この艦の責任者です」
「………」
だが少年はぐっと自分の膝を引き寄せて抱くとニキから目をそらした。
ニキは注意深くその少年を観察する。
まだ幼さを残す顔立ちは15歳前後といったところか。線の細い内気そうな少年だ。短く切った黒髪に、モンゴロイドに近い肌の色をしている。丸い青い瞳はさっきから忙しなく神経質に辺りを見回している。
膝を抱える腕は小刻みに震え、一向に収まらない。何かに怯えているのか?
ニキは椅子ごともう少し少年に近づいて話を切り出した。
「ジュナスに会いたいようですね」
少年がこくり、と頷く。
マークとラナロゥは部屋の扉近くの壁にもたれて静かに見守る。
「たしかにこの艦にジュナス・リアムはいます」
ぎょっとしてラナロゥが身を乗り出しかけたが、マークが無言でそれを制した。
ニキはできるだけ刺激しないように慎重に言葉を選んだ。
「ですが、今彼は体調を悪くしているのです。会わせてあげたいのはやまやまですが、今は私の権限で静かに休ませています」
「今、兄さんは起きてるよ…」
「何ですって?」
「隠しても無駄だ…。兄さんはすぐそこにいて、誰かと一緒…そうでしょう?」
「………」
ニキは絶句して壁にもたれているマークとラナロゥを振り返った。
二人とも驚いて少年を見ている。いや、マークは予想していたようで、やはりそうだったか、という表情をしている。
『サイコアクティヴ・アグリゲイション計画』の中枢施設に捕らえられていた少年。
やはり彼も、ニュータイプだ。
と、そのとき、少年が跳ねるようにベッドから飛び降りる。
「兄さん!!」
「ま、待ちなさい!」
慌ててニキが追い、マークとラナロゥが少年を止めようとするが、彼はいとも簡単に大人二人の手を掻い潜ると廊下へ飛び出した。
更にニキが目を見張る。
電子扉が少年が到達する直前に自然に開いたのだ。
一瞬目の錯覚かとも思ったが、そうではない。少年は自分で物理的に操作することなく、扉を開いたのだ。
そしてそれはマークとラナロゥもしっかりと目にしていた。
二人はさっと顔を見合わせると、そのまま少年を追って廊下に飛び出した。
「ジュナス! おい、ジュナス!」
シェルドの声が遠い。ジュナスは腕に刺さっていた点滴のチューブを引きちぎりながら起き上がったはいいが、そのまま足を踏み出す前にその場に倒れてしまった。
頭が割れるように痛い。
まるで直接手を突っ込まれて掻き回されているようだ。
耳には覚えのある心を劈く絶叫が張りついて離れない。
「くそ! 誰か早く来てくれよ…!」
そのとき、電子扉が開いて小柄な体がシェルドの脇を通り抜けてジュナスに飛びついた。
咄嗟のことに反応できず、シェルドは目で追うのが精一杯だった。
「兄さん!」
「う…くっ、うぅ…!」
「もう…大丈夫だよ…」
ジュナスに飛びついた少年は細い指を絡めてジュナスの手を握ると、もう片方の手をジュナスの胸に置いた。
「兄さん…」
ジュナスは激しい痛みがだんだんと引いていくのを感じた。
同時に耳に張りついていた泣き声も消えていく。
手と胸に感じる温もりと、誰かの声に呼ばれてジュナスはようやく意識を取り戻す。
「………きみ…は…」
「アルクス…」
「アルクス…?」
アルクスと名乗った少年は、ようやく微笑んだ。
そしてそこに、ニキとマーク、ラナロゥの三人がやっと駆け込んだ。
「てめぇ!」
咄嗟にラナロゥが殴りかかる。だがそれはマークとシェイドに抑えられ叶わなかった。
「ち、違うよラナロゥさん! この子はジュナスを助けたんだ!」
「あぁ?!」
「本当だよ…ラナロゥ…」
ジュナスはアルクスに支えられ起き上がる。その顔色は悪く足元はふらつき今にも倒れてしまいそうだ。
じっとりと脂汗が額に浮かび、前髪が張りついている。
そしてアルクスは心底気遣うようにジュナスの顔を覗き込んでいた。
ニキはしばし彼を見ていたがやがて、ふぅ、と息をつくとシェルドを振り返る。
「シェルド、一体何があったのか説明できますね?」
「は、はい」
「ではこの場を誰か別の人に任せて、私の部屋へ来てください。マーク、ラナロゥ、あなた達も一緒に」
「あのガキはどうするんだよ? まさかジュナスの傍に置いとくつもりか?!」
「いいえ、そんなことはしませんよ。アルクス君、ジュナスは見ての通り体調を崩しています。あなたにもそれは解るでしょう?」
アルクスは視線を俯かせて頷いた。
「ドクターもすぐに来ます。ジュナスはこのまま絶対安静、面会謝絶とします。そしてあなたには一度ドクターの診察を受けてもらって、その後に無理にならない程度に話を聞かせてもらいます」
「………」
「よろしいですね?」
「兄さん…」
「僕は…大丈夫だから…。助けてくれて…ありがとう……」
「…分かった…」
一方、マークは胸に去来する疑惑と違和感に眉を顰めていた。
気になるのはジュナスとアルクスのお互いの態度だ。
ジュナスはアルクスに『兄さん』と呼ばれて何ら違和感なく返事を返している。だがアルクスにかける言葉は、少なくとも『兄さん』と呼んで親しまれている相手に対するものじゃない。
アルクスはアルクスで、ドームで助けた時も艦で目を覚ました時も、ジュナスをあんなにも激しく求めていたのに、ジュナスの態度や言動に違和感を感じていないようだ。
おかしい……。
まるでボタンを掛け違えたようだ。
マークはニキに連れられ部屋を出て行くアルクスの背中をじっと睨みつけるように見つめた。
そして、アルクスは口の中でぽそっとこう呟いた。
「『ドクター』はきらいだ…」
結論から言うと、アルクスとジュナスへの聞き取りは失敗した。正しくは、不可能だった。
二人とも肝心な二週間の記憶をほとんど失っていたのだ。
それに加えてジュナスは相変わらず精神の安定を欠き、時折ぼんやりと不明瞭な事を口にすることが多くなっていた。そしてアルクスも、ジュナスを『兄さん』と呼び、片時も離れようとしない。もしジュナスがほんの少しでも離れようものなら、途端に怖がりパニックに陥ることもあった。更にジュナス以外の他の誰にもなつかず、口を利こうともしないのだ。
原因は心因的なものにあるとドクターは言ったが、その起因となった出来事が分からないため根本的な処置はできず、仕方なくジュナスとアルクスがそれこそ一心同体のように一緒に過ごすことを黙認せざるをえなかった。
だがジュナスも何ら不平不満ひとつ言うこともなく、むしろアルクスが傍にいることに安心しているようにも見えた。
しかし、それが逆に、マークには不安に思えてならなかった。
救出してから一週間が経ち、体調も落ち着いたジュナスは絶対安静が解け、艦内を自由に動き回れるようになった。だが精神状態は要経過観察とされ、寝起きは医務室でという制限がついていた。
マークはホールのソファでジュナスにもたれかかり甘えるアルクスを見ながら、じっと考えていた。
アルクスがジュナスのパニックを助けた時に感じた疑惑は結局晴れず、解決しようと話を聞きたくても今の状況ではとても無理だ。
ジュナスは精神操作を受けているのは間違いない上に、心因的なものか人為的なものか判断がつけられないが記憶障害も起こしていることは由々しい事態だ。しかも後遺症の有無も分からないとくれば、早急に手を打たねばならないのにこれではどうしようもない。
マークは苛立ちを溜息にして深く吐き出した。
その夜、アルクスはいつものように枕と毛布を引っ掴んで、ジュナスの隣に乗り込んだ。
ジュナスはその用意を手伝ってやる。アルクスは、歳は16だと言ったが甘えてくる仕草は幼子そのものに思えた。
毎夜毎夜、意気揚々とベッドに乗り込んでくる様など16にはとても見えない。
「アルクス、ちゃんと毛布かぶるんだぞ」
「はーい」
ジュナスの口調もついつい幼子に言い聞かせるものになるが、アルクスがそれを不快に思った様子はない。むしろどこか嬉しげでさえある。
ドクターがやれやれ、と肩をすくめて二人にちゃんと休むように言って部屋の電気を消して出て行く。
ジュナスは枕の下に片腕を差し込んで横を向いて毛布にくるまった。
「兄さん」
「ん?」
「兄さん、まだあの夢を見るの?」
「…うん」
あの夢というのは、ジュナスが白い夢と名づけた夢のことだった。
真っ白な天井、真っ白な床、真っ白な壁、窓もない建物の中に自分一人が立っているのだ。夢なのに現実にあるような、でもないような不思議な感覚を見るたびに感じる夢だった。
だがジュナスは頻繁にその夢を見ているはずなのに、内容をほとんど思い出せないのだ。
記憶に関しても言える『靄がかかった』ようで思い出そうとすればするほど不明瞭になっていく。
ただ覚えているのは、真っ白な建物の中に自分が立っているというだけ。
そしてその夢は、なぜかアルクスと一緒にいる時にだけしか思い出せず、ドクターに話さないといけないと思いながらも話せずにいるものだった。
「今の僕の状態に関係しているんだろうけど…これだけ続くと本当気味悪いな…」
「そうだね。 …ねぇ、兄さん」
「うん?」
「もしかしてそこって、俺と兄さんがいた場所じゃないの?」
「施設か……」
「俺…そこに行ってみたい」
「アルクス、それは…」
「気持ち悪いんだよ…。ここじゃ何一つ分からないし、みんな首を傾げてまるで腫れ物に触るような目でしか見ない。それなら、自分たちが動くしかないじゃない」
「それはそうだけど…」
訴えるアルクスから体ごと目をそらして、ジュナスは天井を見つめた。
ひどいパニックに陥ってアルクスに助けられた後、マークに自分とアルクスがいた所がどんなところか聞いた。
返ってきた答えは短く、地球連邦の特殊施設、とだけだった。
その後、どういった用途の施設か何度聞いても、調べていない分からないと言われかわされてしまった。
結局それ以上聞き出せなかったが、施設のことを隠すイコールそれは今の自分たちの状態に深く関わっているのだということは分かった。
そしてマークやニキが、そこに自分やアルクスを近付けたくないと思っていることも分かった。
彼らが強く警戒する理由も分からないわけじゃない。
しかし、言われてみれば、遅々として自分やアルクスへの対処は進まず、アルクスも言ったように『腫れ物に触るような』扱いをされているようにも実は感じていた。
「ねぇ兄さん。こっそり抜け出して、施設へ行こう」
「…そうだね。行ってみよう」
この状況を打破するにはそれしかない。―――ジュナスはごく自然にそう思い込んだ。
決めた後、行動に移すのは早かった。ジュナス救出その後の騒動もあり、艦はずっと待機状態にあったことも幸いした。
ジュナスとアルクスは数日後、ドクターが部屋を出て行ってから、格納庫へ行き息を潜めて作業員の交替の時間を待った。
そして引継ぎの一番手薄になる時を狙って、バイクに跨ると、気付いた作業員の制止も聞かずにハッチを開けて飛び出したのだ。
追手はすぐにかかる。おそらく自分を助けに一度施設に入ったマークとラナロゥが来る可能性が一番高い。施設に入る前に捕まればアウトだ。
ジュナスは腰にしがみつくアルクスに、もう一度しっかり掴まるよう告げるとアクセルを大きく吹かした。
艦内は火がついたような騒ぎになっていた。
格納庫の作業員から直ちにブリッジに連絡が入り、そこからニキへ連絡がいった。ニキはすぐにマークとラナロゥに追うように指示を出した。二人は同じくバイクで出ようと、格納庫へ行ったが待っていたのは更なる騒ぎだった。
壁にかけていたバイクのキーが全て床に落とされ、どれがどれか分からなくなってしまっていたのだ。
それなら少々大掛かりだがMSでと思ったが、なんとハッチに普段はかかっていないパスコードがかけられスクランブルがかけられないというのだ。
「くそ! ジュナスの奴か!」
ラナロゥは拳をハッチの操作パネルに叩きつけて怒鳴った。
ジュナスはパイロットとしてだけでなく通信兵として優秀な技術を持っている。それゆえコンピュータの操作は慣れたものだ。
「こうなったら同時進行でやってくれ。先に行けるようになったほうで追いかける」
マークのその言葉に作業員たちが頷いて、直ちに作業に取り掛かる。
「くそ… 二人で出たということは、あそこか」
「施設か!」
「あぁ。だがジュナスが言い出すとは思えない。アルクスが誘ったんだろう」
「けどよ、どうして戻るんだ。あいつだって犠牲者の一人じゃねぇのか?」
「………」
まさか、とマークの頭に恐ろしい考えがよぎる。
「あいつがシステムの一部だとしたら…」
「はぁ? だが奴はあのカプセルにいたんだぜ!」
「俺たちが見たカプセルにはたしかに腐乱死体があった。だが利用する者、される者の二通りがいたとすればどうだ…」
「………」
さすがにラナロゥも言葉を失った。アルクスもジュナスと同じ状況だと信じて疑いもしなかった。
「『サイコアクティヴ・アグリゲイション』…精神に作用する集合体。だがそれは無秩序では意味がない。…奴が、統括者だ」
「ならアルクスがジュナスをそそのかして施設へ戻ったのは、そのサイコなんちゃらをまだ続けるつもりなのか? あいつのニュータイプ能力を使って」
「あぁ、おそらくそうだ。まだシステムは動いている…あいつは、計画が中断されたことを知らないんだ」
そのとき、ハッチの解除にあたっていた作業員たちからわっと歓声があがる。
責任者のケイ・ニムロッドが駆け寄り、ハッチのコードが解除されたことを伝えた。
「バイクのキーもはまったそうだよ。どっちでいく? MSはどれでも発進できる」
一瞬二人が顔を見合わせる。
「俺はフェニックスで出る。ラナロゥ、バイクで行ってくれ」
「分かった」
なぜかは聞かなかった。ラナロゥは、マークにはマークの考えがあるのだと信頼し、それに従うだけだ。それが今まで培ってきた信頼関係でもある。
ラナロゥはケイからバイクのキーを受け取ると、エンジンをかけるが早いかあっという間にハッチから夜の森へと走り出た。マークも作業用通路を駆け抜けてコックピットに座る。スイッチやレバーを引いて直ちに発信準備にかかる。
そのとき、前面のモニターにニキの顔が映った。
『マーク!』
「ニキ、状況が変わった。俺はこいつで二人を追う。ラナロゥはバイクでもう出ている。詳しい説明は後になるが、勘弁してくれ」
『それは構いません。それより、ひとつ気になることが』
「なんだ?」
マークは準備の手を止めないまま聞き返す。サイドモニターにフェニックスの状態を示すパラメーターが表示され、全てグリーン値に入っていることを確認する。
『システムの中核ともいえる人物のことが分かりました』
「見当はついてる。アルクスだろう」
『いいえ、彼は違います』
「なんだと?」
思わずマークの手が止まる。想像だにしていなかった返答に、嘘だろうとニキを見返す。だが彼女ははっきりと頷いた。
『アルクスという少年は一年ほど前に失踪し、死亡が確認されています』
「ならあれは誰だっていうんだ!?」
まさか死者が甦ったわけではあるまい。
気味の悪い符号ばかりが揃って、まるでホラーミステリーのようだ。
だがニキは冷静に言葉を返した。
『それは分かりません…。マーク、中核を担う人物の件ですが、あの施設で子供を探してください』
「子供?」
『あのシステムはその性質により、強く柔軟なニュータイプ能力を必要とするため、子供が使われていたんです』
「………」
『おそらく、その子供がまだあの施設にいるはずです。どのような形だとしても…』
「…分かった。ジュナスを保護した後に一度見てみる」
『お願いします』
マークはもう一度頷いてみせると、通信を切った。
クリアになったモニターを見ると、下でケイがGoサインを出している。
マークは一度深呼吸をすると、フットペダルを踏み込みバーニアを吹かした。
ドーム形をした施設は暗闇に包まれていた。
おそらく二人が助け出された時のままなのだろう、中途半端に開いた玄関からロビーに入ったジュナスは持ってきたフラッシュライトを点ける。暗闇の中に鮮明に丸い光の輪が浮き上がる。
さっとロビーを見渡すが随分とがらんとした印象を受ける。
作り物の観葉植物さえ置かれていても不思議ではないのだが、それすらもなく、ただただ無機質で無味な空間が広がっていた。本当に自分はこんなところにいたのだろうか。
ジュナスはその不安を打ち消すように、後ろのアルクスを振り返る。
「アルクス、どうだ? 何か見覚えは?」
「ううん…。兄さんは?」
「……分からない…」
「そう…。奥へ行ってみようよ。ここは研究施設だったんだから、何か残っているかもしれない」
「そうだな」
カツン、カツンと静寂に包まれたドームにやたらと大きく靴音が響く。内側にせり上がるような壁に反響して、それはまるでコーラスのように何重にもなって返ってきた。
―――なんとなく、覚えがあるような気がする。
この反響する靴音にではなく、反響という言葉そのものが頭の中で引っ掛かる。
ジュナスは自分が歩くのに合わせてふわふわと揺れる光の輪を見ていた。と、一瞬、その輪の中をなにかが横切った。
「あっ!」
「なに?」
「…今、なにか横切らなかった?」
「…さぁ、よく見えなかったけど…行ってみようよ」
アルクスはそう言うと、まるで誘うようにジュナスを追い越して手招きした。
一瞬躊躇って足が止まるが、こんな場所ではぐれてはお互い危ないと、ジュナスはアルクスを追いかけた。
―………。
その二人の姿を何者かがじっと見つめていた。
アルクスとジュナスはちょうど玄関から正反対の位置に立っていた。目の前には真っ暗な部屋の入り口が大きな口を開けて待ち構えている。
「なんの部屋だろう…?」
ジュナスはフラッシュライトをさっと部屋の中へ滑らせる。だが光の輪はなんの影も作らなかった。
「兄さん、入ってみようよ」
「………」
「兄さん?」
「ここは…」
ざわざわと波が押し寄せる。
真っ暗な部屋の中から『何か』がくる。
ジュナスはそれに抵抗する術をもっていなかった。
フラッシュライトがするりと手から抜け落ちて割れた。
そして暗闇が降りると共に、ジュナスは意識を手放した。
白衣を着た大人たちが何か話している。『ドクター』だ。
真っ白な天井、真っ白な壁、真っ白な床、真っ白なベッド、真っ白な大人たち、そして真っ白な『僕』たち。
ここ最近、毎日同じ光景を見ている。
あれが終わった後は、体が動かなくて辛くて意識がストンと落ちてしまう。
そして目が覚めると、いつもこの光景だ。
真っ白な天井、真っ白な壁、真っ白な床、真っ白なベッド、真っ白な大人たち。
『僕』たちは真っ白に囲まれている。
真っ白な大人たちは、白と同じくらい気味の悪い硬さの視線を『僕』たちに向けながら何か話している。
『僕』たちが苦しい、と言っても大人たちは頷くだけで助けてはくれない。辛い、と言っても頷くだけ。痛い、と言っても同じ。
真っ白な大人たちは、『僕』たちを見ていない。
じゃあ何を見ているんだろう―――?
昨日、一人いなくなった。一昨日までいたはずなのに、いなくなった。
今日、また一人いなくなった。昨日までいたはずなのに、いなくなった。
でもその代わりに、別の人が来た。
同じだった。その人も真っ白な僕たちの一人になった。
ある日、あれが終わって、また倒れた。
『僕』はそんな『僕』を見ていた。
でも大人たちは見ている『僕』には気付かなかった。
そして、倒れた『僕』の周りに集まった大人たちは『僕』を抱えるとどこかへ連れて行った。
いつもの部屋だった。
真っ白な天井、真っ白な壁、真っ白な床、真っ白なベッド、真っ白な大人たち。
いつもの真っ白な空間。
でも、今日は違った。
突然、『僕』は激しい痛みに晒された。
『僕』は叫んだ。
痛い! でも真っ白な大人たちは助けてくれなかった。
やめて! でも真っ白な大人たちはやめてくれなかった。
苦しい! でも真っ白な大人たちは楽にしてくれなかった。
どうして! でも真っ白な大人たちは答えてくれなかった。
『僕』は、いつもの真っ白な空間に真っ赤な何かが飛び散るのを見てまた意識を失った。
それから目覚めた『僕』はずっと……同じ場所に閉じ込められた。
気付けば涙が溢れていた。
一瞬、真っ白な空間に放り出されているのかと思ったが、起き上がったジュナスが目にしたのは暗闇だった。倒れた拍子にフラッシュライトが割れてしまったのか、一切の光のない空間が目の前に広がっていた。
「アルクス…?」
溢れた涙を拭って一緒に来た少年の名を呼ぶが返事はない。
そのとき、トン、と誰かが肩に触れた。
「アルクスか?」
「………」
だが答えはない。代わりに小さな手が手に触れる。
アルクスじゃない。もっと幼い子供のものだ。
しかしジュナスはその手を振り払うことができなかった。
覚えのある感触と温もりだったからだ。
「君は…」
名前を呼ぼうとするのを制するように、しーっ、と子供が息を吐く。
ジュナスは口を閉じた。
それに満足したのか、子供はジュナスの手をどこかへ連れて行こうと引っ張った。
「そっちへ行きたいんだね? わかった…。一緒に行くよ」
カツン、カツン、とやがて一人分の靴音が空間に反響した。
『僕』はそれから沢山の『僕』と出会った。次々と『僕』は代わり、消えていった。でも『僕』は一度もいなくなることなく、ずっとずっとそこにいた。
やがて真っ白な大人たちが来なくなった。
『僕』も来なくなった。
『僕』は、みんなと相談した。
そして、あることを約束して、決めた。
『僕』たちにはしないといけないことがあった。
そのために『僕』は、必要なのだ。
だから『僕』は『僕』を―――