マーク篇I
仲のいい3人の子どもたち。
家が近所で、学校も同じでよく遊んだ。
泥だらけになって、かくれんぼした少年時代。
懐かしい、という言葉だけでは語り尽くすことの出来ない過去。
やがて、女の子たちは気がつくことになる。
その3人の内に、男の子が1人いるという事実に。
仲が良い、という言葉だけでは周囲は納得しなくなっていく。
親や共通の友達たちは、その関係に「恋愛」や「付き合う」という言葉を持ち込み始める。
言葉の上で否定しながらも、少女たちは分かっていた。
少女たちはその1人の少年を意識し始めていることに。
少年だけが、天真爛漫、且つ、鈍感に過ごし、何も変わることはなかった。
それでも、年月は流れていく。
少年期の終わりと青年期の初めを迎える頃になり、やっと彼は気がつく。
自分の感情を。
そうして、彼は1人の女性を選ぶ。
選ばれなかった女性の方に問題があったわけではない。
ただ、鈍感なまま大人になった青年が、自分の気持ちを受け入れて行動した。
そして、相手の女性は、それを受け入れた。
それだけのこと、と言えばそれだけのことだった。
選ばれなかった女性は、心から祝福した。
そもそも、その2人の女性は、お互いがお互いの気持ちを知らなかった。
選ばれなかった方が、たまたま気がつく結果になっただけのこと。
選ばれた方が選ばれなかった方を裏切ったわけではない。
分かっている、そう、分かっている…。
しかし、幸せそうな2人の傍で日常を過ごすことなど、出来なかった。
「だから、私は軍に志願したの」
ニキ・テイラーは、レイチェル・ランサムにそう話す。
全ては、彼を忘れるため。
前に進むため。
自分を変えるために。
勿論、その2人は私を止めた。
でも、止まることなど出来ない。
皆のために、私は、いなくなるしかないのだから。
程なくして彼女が亡くなったという知らせを受ける。
駆けつけた私が目にしたのは、憔悴しきった彼の姿だった。
かつての無邪気な青年の面影は、そこにはなかった。
私が、彼を支える番だ。
そう思わなかった、と言えば嘘になる。
心のどこかで、暗い喜びに浸っていた。
でも。
すぐにそれは叶わないのだと気がついた。
彼は、私を見てはいない。
私を見る時、彼は必ずその向こうにいる思い出の彼女の姿を見ている。
彼が、私を見ることはない。
私は、分かってしまった。
私の出番は、永久に、来ないのだ、と。
マーク篇J
ニキ・テイラーは、そこで話を途切ると、机に置いてあったコーヒーを口に含んだ。
ここは、彼女の自室。
あれからレイチェルは、ニキを追いかけ、詳しい話を訊かせてくれと頼んだ。
最初は断ったニキだったが、レイチェルの真剣な眼差しに負け、場所を彼女の自室へと移し、少しずつ語り始めた。
そして、今、その話が終わったところだった。
「マークが軍に入隊した時には、いささか驚いたな。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった」
コーヒーを飲んだ後、彼女はそう言った。
「…ニキさん」
レイチェルは何も言うことができない。
パイロット教官の立場であるニキ・テイラーを、本来なら「さん付け」で呼ぶことなど許されないのだが、ニキ・テイラーは「教官」と呼ばれることを嫌い、訓練生にも「さん付け」で呼ばせていた。
「…言わなくて、いいんですか?」
ん?とニキは顔をあげる。
「だって、そんな、そんなことって…!」
(これじゃ、あんまりにも、ニキさんが可哀想だよ…!)
レイチェルの目には涙が浮かび始める。
ニキ・テイラーは、レイチェルの涙を見止めると、言った。
「ありがとう。レイチェル。優しい子だね、君は」
でもね、と彼女は続ける。
「例えば、このコーヒー、砂糖とクリープが入っている。この2つを入れないとコーヒーなんて飲めたものじゃないんだ、私は。でも、マークはそれを知らない」
彼女はそこでコーヒーを一口含んだ。
「私は、彼がブラックコーヒーじゃないと飲めないのを知っている。マークは、私がクリープコーヒーじゃないと飲めないのを知らない。分かりやすく言えば、そういうことなんだ」
「…分かりません、私には」
「レイチェル。この話はね、愛することは出来る。でも、愛されることは叶わない。この先、何があっても、それはもう動かない話なんだ」
「やってみなけりゃ、分からないじゃないですか!」
ニキ・テイラーは黙って首を振る。
「この話が、映画や漫画なら、私と彼が結ばれてハッピーエンド、そうなったろう。今でも、彼が艦内で何かをした、という話を聞いて、まだ胸が高鳴ることもある」
「だったら!」
「でもね、これはもう分かってしまったことなんだ」
分かってしまったことなんだよ…。
そう呟くとニキ・テイラーは瞳を閉じた。
レイチェル・ランサムには、分からない。
ただ、彼女が思うことは、
(私は、どうしようもなく子どもなんだ)
と、ただ、それだけだった。
「…万が一」
「え?」
「万が一、今、この艦内に、トロくさくてノロマで天然入ってて消極的で酒に弱くて……」
そう、ラビニアと何もかもが正反対で…
「っていう女がいて、その人がマークを好きだったら、どうなるかな?」
歯が軋るほどに甘いコーヒーの入ったマグカップを、少し持ち上げて、ニキ・テイラーは少し笑った。
マーク篇 エピローグ
マーク・ギルダーは自室のベッドの上で困惑していた。
椅子に腰掛け、昔のことを思い出していると、唐突にドアがノックされた。
ドアを開ければ、エターナ・フレイルが部屋の中に飛び込んで来たのだった。
マークは、彼女の勢いに押され後ずさり、最終的にはベッドの上に逃げた。
なおも彼女は、何やらワケの分からないことを、さんざんまくし立てた後、急に黙った。
何をするのかと思えば、彼女は、自分が着ているタートルネックの後ろに両手を回すと、いつもつけているネックレスを外し始めた。
そして、
「チョコ忘れたから、これを差し上げます」
妙にはっきりとした口調でそう言うと、ベッドに上がり始め、マークの首筋に両手を回すと、そのネックレスを付け始めた。
必然的に、両者の顔が近くなる。
その一瞬、
覚醒している両者は、互いが互いの世界を見合った。
それは、1秒にも満たない瞬間的な出来事。
未熟なマーク・ギルダーは、その現象を整理できなかったし、
泥酔しているエターナ・フレイルは、その現象をはっきりと認識できなかった。
しかし、それは事実、起こったことなのだ。
酔いの回りと覚醒による刺激で疲れたためか、エターナはそのままマークの膝に倒れこんで寝入ってしまう。
マーク・ギルダーは自室のベッドの上で困惑していた。
今の出来事は何だったのか。
彼女は何をしに来たのか。
何も理解することが出来ない。
とりあえずマークは、彼の膝を枕代わりにして、スヤスヤと気持ち良さそうに寝ているエターナ・フレイルに毛布をそっと掛けた。
やがて彼女は目を覚ますだろう。
瞬間的に跳ね起きた後、目の前の現実を受け入れることが出来ず、エターナ・フレイルは彼を見たまま、固まってしまうかも知れない。
マーク・ギルダーは、彼女のボサボサの髪と酔った時の涙跡でグチャグチャの顔を見るかも知れない。
これから先、二人がどうなるか。
それは誰にも分からないことだろう。
しかし、
一瞬、見つめ合った後、
「ひどい顔だ」
そう言って笑う彼の首元に、彼女のネックレスが光り輝いていることだけは間違いない。