マーク篇B
エターナ・フレイルは、体全体から淀んだ空気を発していた。
背筋を丸め、顔を俯け、ため息をつきながら廊下を歩いていた。
その理由は、
チョコレートを買うことが出来なかったから、である。
知った顔に、チョコを買うところを見られてしまうのが、気恥ずかしかった。
その為、店員一人になったタイミングで、買いに行こうと財布を握り締めていたのだが…。
ネリィ・オルソンが店の前で延々悩んでいた時間帯と重なり、エターナは、完全にタイミングを逃した。
(まだ、います…)
五分後
(早く決めて…!)
十分後
(もう!どうして…)
そんなこんなの内に、廊下でリコル・チュアートに出くわしてしまった。
いつもなら、彼女の長話に付き合っても一向に気にしないが、今日という日と、今という時間に限っては、話は別。
…のはずだった。
「知ってますか、エターナさん!ニキさん、レイチェル、キリシマさんの3人がマークさん狙いらしいですよ!」
瞬間、耳が巨大化した。
「その話、詳しく教えてくれませんか?」
内心の動揺を隠しながら、エターナはリコルにそう言った。
それが間違いだった。
趣味・お喋りのリコルのこと。
あることないこと、どこまで本当でどこまでウソなのか。
さながら、マシンガンにように喋りたてた。
エターナも、詳しい話を聴きたかった欲求もあった。
だから、彼女とついつい話し込んでしまった。
そんなこんなの内に、ハタと気がつけば30分以上長話をしてしまっていた。
彼女の話を切り上げるのに、さらに5分くらいかかってしまい、急いで売り場に戻ったものの、ネリィの姿も、店員の姿もなかった。
(…ネリィさん、リコルちゃん…後でお仕置きしてあげます…)
人のせいにして、ブツブツ言うものの、やっぱり悪いのは意気地なしの自分自身。
貧弱な胸も悩みの種だが、こんな自分の、引っ込み思案な性格にも悩みが尽きない。
「はぁ…」
自室に戻る気もせず、そんな俯いたままの状態でブラブラと艦内をほっつき歩いているエターナなのであった。
(どうするのよ、キリシマさんもレイチェルちゃんもチョコ買ってるのに…ニキさんは、どうだか分からないけど…)
ニキ・テイラーは売り場に姿を見せていなかった。
「はぁ…どうしy…ぐふっ」
俯いて歩いていたエターナは、何かにぶつかってしまい、そのまま尻餅をついてしまう。
(え?何です?何か暖かくて柔らかくて弾力のあるものが…)
顔を上げて、見上げると、そこにノーラン・ミリガンとネリィ・オルソンが立っていた。
「何ですの!人の胸にぶつかってきて、何か文句でもあるんですの!」
シェルドへの告白そのものが実らなかったネリィは、若干、立ち直ってはいたものの、その彼女本来の強気な性格を持って、エターナに八つ当たりした。
そして、その彼女の言葉、「人の胸」にカチンときてしまったエターナは、やおら立ち上がるとネリィにこう言い返した。
「誰がエグレ胸ですって!!」
エターナは、ネリィの胸を見ながらそう言った。
誰も言ってないよ、そんなこと。
気にしすぎです、エターナさん。
「何ですって!?誰が胸デカすぎですって!!」
誰もそんなこと言ってませんて、ネリィさん。
対極するコンプレックスを抱えた二人は、無言で睨み合った。
「エグレ胸と胸デカ…」
一方、ノーランは二人の傍らでそう呟いて、肩を震わせながら笑いをかみ殺していた
マーク篇C
「おーっほっほっほっほ!来やがりましたわ…じゃなくて、来ていただけましたのね!」
フローレンス・キリシマは、そう言って、マークに抱きつき、彼を上目遣いに見た。
純白のドレスに身を包んだその姿は、どこからどう見ても、お嬢様もどきもいいところであった。
「…」
マーク・ギルダーといえば、
(大根みたいなドレスだな)
と、失礼極まりないことを考えていた。
5分前のことになる。
自習室でマークはギルバートから渡されたキリシマ嬢からの手紙を読んでいた。
便箋の中身は手紙一つが入っており、その手紙の最初の文面は「果たし状」だった。
間違いにも程があるというものだが、マークがその意味を解さなかったのは、不幸中の幸いと言ったところだろうか。
続いて書かれていた文面。
「医務室にてお待ちしております」
何だかよくわからないが、とりあえずマークは医務室へと向かうことにした。
そして、医務室で彼が目にしたもの。
それは純白のドレスに身を包んだキリシマ嬢と。
猿轡をかまされ、
後手に紐で縛り上げられ、
両足をガムテープで固定され、
医務室の部屋の片隅に転がされ、
「うーうー」と唸ることしか許されないソニア・ヘインだった。
フローレンス・キリシマは、とにかく人気のないところで、秘密裏にチョコを渡したかった。
しかし、早々都合よく事が運ぶはずもなく。
考えに考えた末、彼女が出した結論は、
(人気のねぇところがねぇなら…ないのなら、作ればいいんですわ)
そして、そこに常駐しているソニア女医の意思など関係なく、彼女は医務室を乗っ取った。
さて、そのような光景を目にしたマークの第一声は、
「…お邪魔しました」
だった。
何をナニと勘違いしたのかは説明できないが、マークは見てはいけないものを見てしまったと思った。
そう踵を返そうとしたところで、マークはキリシマに抱きつかれた。
(大根の匂いはしないんだな)
この状況下で女性に抱きつかれて、まず思うことがソレなんですか、貴方は。
「マーク!…いえ、マークさん。お慕い申し上げておりました」
キリシマは、そう告白する。
マークは理解できない。
(オシタイモウシアゲテオリマシタ。押したい孟子上げていました???)
キリシマは続ける。
「これをアンタに…貴方に受け取っていただきたいんです」
そう言ってキリシマが差し出したチョコの包みを見て、マークは露骨に顔をしかめた。
マーク篇D
「マークって甘い物、大嫌いだよ」
「マジですか!?」
「マジです」
ここは、ノーラン・ミリガンの自室。
あれからノーランは、胸に関して猛る二人を何とかなだめすかし、自室へと誘導していた。
話題の中心は、エターナが凹んでいた理由とその背景について。
おのずとエターナは自分がマークを好きであることを、二人に告げなくてはならなかった。
そこから話題はマーク・ギルダーについて、へと変わっていった。
「甘いもの、お嫌いなんですか…」
エターナは、そう一人呟く。
果たしてチョコが買えなくて良かったのか悪かったのか…。
「アイツ天然だからね。今日がバレンタインなのも分かんないだろうから、チョコ渡されそうになったら、断るんじゃないか?」
自分の椅子に腰掛けているノーランは、そう推測する。
先ほど、椅子に腰掛けようとした際に、シェルドの一言を思い出し、含み笑いをしてしまいそうになっていた。
「お馬鹿さん、ですものね」
ベッドに腰掛けているネリィも同意する。
「マークさんは天然でも馬鹿でもありません!」
部屋隅の壁に寄りかかっていたエターナは、そう反論する。
しかし、
「気がついてないのは、恋に恋しているアンタらだけだよ」
「冷静に見ていれば分かりますわ」
二人にさらに反論され、エターナは困惑する。
(そうなの…?)
「ま、いいや。とりあえずコレ食べてしまおう」
ノーランは部屋の中心にあるテーブルに置いてあるネリィのチョコを見てそう言った。
「さっさと供養して頂けますか。もう使い道のないものです」
フンとそっぽを向いて、ネリィはそう強がる。
っていうか「供養」ってあなた…。
「エターナも食べなよ。せっかくだし」
「あ、はい。頂きます」
包みと蓋を開け、箱からチョコを取り出し、ノーランとエターナはそれを口に含んだ。
「ん…酒入ってる、コレ」
「バーボンって言って下さいますこと」
「アンタねぇ、シェルド未成年だぞ」
「このくらいで未成年も何もありませんわ」
「大体、シェルド酔わせて何するつもりだったんだよ」
「ナニもしませんわよ!このくらいのアルコールで酔う人などおりませんわ!」
ネリィは、間違っている。
そのくらいの酒入りチョコでも酔う人はいる。
しかも、割と貴女のすぐ傍に。
マーク篇E
医務室に盛大なビンタの音が響いた。
フローレンス・キリシマは部屋から駆け出して行き、
マーク・ギルダーは叩かれた頬を撫でながら唖然とし、
ソニア・ヘインは唸ることを止め、今目の前で起こったことを回想した。
「受け取れません」
「あぁ!?何でだ…どうしてですの…他に意中の女性でも」
「移駐の女性?…いませんが」
「いねぇのに、アタイのチョコは受け取れないと!?」
「ええ、まぁ」
「どうしてだよ!」
「(チョコ)嫌いですので」
バチーン!!!
バチーン!!
バチーン!
バチーン…
諸行無常の響きあり。
ソニアは、思う。
誰も悪くない。
誰も悪くないから、早く縄を解いてくれ。
マークは、思う。
痛い。
キリシマ嬢の方がよっぽど痛いよ、マーク・ギルダー。
その呆然とした状態の後、意識を取り戻したマークはキリシマを追いかけようと廊下に飛び出る。
しかし、もう時既に遅く、彼女の姿はどこにもなかった。
その瞬間になって、マーク・ギルダーはバレンタインとチョコレートという二つの言葉を結びつけることが出来た。
(…馬鹿野朗!!)
自分をそう叱責して、マークはキリシマを見つけるために走り出した。
「ぅーう…」
おーい…。
ソニアは、部屋に一人、そのままの状態で取り残された。